topmenutext『黒い手』シリーズ絶対可憐チルドレン・クロスオーバー>絶対無敵! グレートマザー再び!! 2
前へ もくじへ 次へ

絶対無敵! グレートマザー再び!! 2


 令子と西条が訪ねて来た翌日の朝。目を覚ました横島の上には、薫が重なるようにして眠っていた。小さな指で横島のTシャツをしっかりと掴んでいる。起こさないよう順々に優しく綻ばせていき、そっと薫を布団の上に下ろした。
 そして、もそもそと這い出すように布団から出る横島。薫が目を覚まさなかった事を確認し、続けて彼を挟んで薫の反対側を見てみると、そこには紫穂がすやすやと静かな寝息を立てていた。更に隣の布団では葵が寝ていたはずなのだが、その布団は既に空っぽになっている。おそらく彼女は横島よりも早くに起きて、今は台所でマリア達と一緒に朝食の準備をしているのだろう。
 横島はそろりそろりと足音を忍ばせながら部屋から出る。かつて一人暮らしだった頃は、家の中ではズボンも履かずに下着姿で過ごす事が多かった。しかし、この家に引っ越して、同居人が出来てからはそうもいかなくなってしまったのだ。今ではちゃんと寝巻きを着るようになっているので、そのままでも問題は無い。
 少し前までは、これが最後の砦だと言わんばかりに、寝る時だけは下着姿だった。しかし、それも薫達と一緒の部屋で寝るようになって終わりを告げる事になる。原因は、顔を真っ赤にして恥ずかしがった葵だ。一方の薫は平然としていたので、気にせず彼女の前で下着姿になってしまった横島だったが、葵に怒られ、諸手を挙げて降参する事となったのは言うまでもない。
 ちなみに、横島と薫の部屋は隣り合わせた畳の和室であり、その間は襖で仕切られてる。元々大きな一室だったのを二部屋に分けているのだ。寝る時は襖を開いて一部屋に戻している。
 二つの部屋はそれぞれ同じ大きさである。一人部屋の横島はともかく、薫の部屋は葵と紫穂の三人で使っているため、少々手狭だ。横島は二人も自分の部屋を持てばどうかと提案するが、どちらも首を縦に振ろうとはしなかった。遠慮しているわけではない。確かに半分の部屋を三人で使うのは少々手狭ではある。しかし、襖を開けば十分な広さを持った一部屋になるではないかと三人はほくそ笑む。
 横島の部屋は、徐々に薫達三人に浸食されつつあった。

 洗面所で顔を洗った横島は、いそいそと軽い足取りで台所へと向かう。その表情は実に嬉しそうだ。葵が料理をする朝は、台所に行って彼女の料理を味見をさせてもらうのが楽しみになっていた。今では横島が学校に持っていく弁当に入るおかずの一品は、葵のお手製になっている。
「おはよ〜。今日もいい匂いさせてるな」
「あ、横島はん。おはようさん」
 横島が台所に入ると、並んで立つマリアと愛子の間に、パジャマの上にエプロンを身に着け、長い髪を纏めて二つのおさげにした葵の姿があった。彼女は彼の姿に気付くと、手を止めて振り返る。横島が近付いていくと、葵はクイッと眼鏡を上げて茶目っ気のある笑顔を見せた。どうやら、今日の料理は上手く出来たらしい。
「ほら、今日はアスパラベーコン巻きや。ええ具合にカリっと焼けとるで」
「ほほぅ、では熱々を」
「はい、あ〜ん」
 一つ食べさせてもらうと、塩コショウが利いていて本当に美味しかった。いつものように葵の頭をわしゃわしゃと撫でてやると、彼女は嬉しそうに目を細めた。美味しかったのでもう一つ摘もうかと皿の上を見てみると、何種類かのベーコン巻きが並べられてある。葵は一工夫して、アスパラ以外にもじゃがいも等、色々と巻いたらしい。横島が手を伸ばすと、葵はすかさずピシャっとその手を叩いて、それを窘めた。
「横島はん、あかん! それはお弁当のおかずや。お昼まで楽しみに取っとき」
「横島君。朝ご飯はこっちに用意してるから、葵ちゃんの料理は我慢しなさい」
「しょうがねえなぁ……」
 愛子にも窘められてしまい、横島はすごすごと引き下がった。横島家では、朝食は皆揃って食べる事になっているので、居間に行って皆が起きてくるのを待つことにする。
 台所から出て行こうとしたところで、マリアが声を掛けてきた。
「横島さん。居間に・携帯電話を・忘れて・いました」
「え、マジで?」
 いつもなら枕元に置いているはずの携帯電話だが、昨夜は居間に置きっぱなしになっていたらしい。そのまま居間に行くと、テーブルの上に横島の携帯電話が置かれていた。
 手に取り、昨夜の内にどこかから連絡がなかったか調べてみる。すると、メールを一件受信していたので、早速内容を確認してみる事にした。
「……げっ」
 メールを読み終えた横島は、短い声を上げてその動きを止めた。心なしか顔が青くなっており、その頬には汗が一筋伝っている。
「おっはよー、兄ちゃん♪ ……って、どうしたんだ? 朝っぱらからそんな顔して」
 起きた薫がやって来て横島の背に飛び付き、首に腕を回して抱き着いた。しかし、横島は何の反応も示さない。何事かと思い、薫は肩越しに横島の手にした携帯電話を覗き込み「……げっ」と小さな声を漏らす。偶然か、必然か。似たもの兄妹は、反応もまた似たものであった。
 そのメールには、横島の母、百合子が今晩に日本に到着する事が書かれている。ナルニアの大樹から日本に居る部下のクロサキに連絡が入り、彼が横島にメールを送ってくれたのだ。と言っても、当の大樹はまだ帰国する事が出来ない。一緒に帰国するはずだった百合子がとうとうしびれを切らしてしまい、一人で先に帰国する事になったそうだ。
 ちなみに、百合子は直接横島家に連絡を入れるのだが、大樹は彼を通す事が多い。横島とクロサキ――と言うよりも、横島除霊事務所と村枝商事の繋がりを強くしておこうと言う、父から子への大樹なりの援護なのかも知れない。
「あの母ちゃん、帰ってくんのかよ」
「養子縁組したんだから、今まで帰ってきてなかった方がおかしいんだけどな」
 実のところ、横島家の養女として迎えられた澪と、大樹、百合子の二人は、まだ顔を合わせた事が無い。彼女を家に閉じ込めていた両親から親権を取り上げるために、桐壺が強引に事を進めたためだ。
 無論、クロサキを通じて大樹達に連絡を取って、二人が同意したからこそ、実現した話ではあるのだが。
「母ちゃんが帰ってきたら、澪の事も解決してくれるかなぁ」
「どうだろなぁ。おふくろだって、ずっと日本に居られるわけじゃないだろうし」
 いずれ帰国する事は分かっていた。そのため、愛子達はいつ百合子が帰ってきてもいいように、毎日しっかりと掃除をしている。横島としても、不意に帰ってこられて困る事もない。今現在問題があるとすれば、それはやはり澪との関係のみであろう。
「おはよう、横島さん」
 薫より少し遅れて、紫穂も居間に入ってきた。朝起きて、まず身嗜みを整えるかどうかが二人の差となったようだ。パジャマのままの薫に対し、紫穂は既に着替え終えている。以前は夜更かしをするタイプで、朝には弱かった紫穂。しかし、この家に来てからは薫達に合わせて就寝するようになったため、朝もしっかり起きられるようになっていた。
「紫穂〜、母ちゃんまた帰ってくるらしいぞ」
「母……ああ、百合子さんね」
 紫穂は、薫の「母ちゃん」と言う言葉を聞いて、実の母である女優の明石秋江、横島の母の百合子のどちらを指しているのかと一瞬迷ってしまった。薫は、百合子の事は自然に「母ちゃん」と呼べるぐらいに慕っているようだ。
 以前、中武デパートに買い物に行った際に反エスパー組織『普通の人々』のテロに巻き込まれた横島、薫、百合子の三人。その時に百合子は、テロ実行部隊から薫を守ったそうだ。超度(レベル)7の念動能力者(サイコキノ)である薫。そんな彼女ですら物怖じてしまう「母は強し」を地で行く姿に、ある種の敬意と憧れのようなものを抱いているのかも知れない。
「でも、そうなると問題は澪ちゃんよね」
 メールによると、百合子の到着は今晩になるらしい。紫穂の言う通り、今の一部の者達にしか心を開いていない澪を、百合子に見られてしまうのは不味い気がする。なんとか百合子の帰国までに、澪との関係を好転させたいところだ。
「って、澪とタマモはまだ起きてきてないのか?」
「まだ寝てるんじゃない?」
「タマモ姉ちゃん、朝にゃ弱いもんなー。澪のヤツもそんなとこまで真似しなくてもいいのに」
 タマモを姉と慕う澪。髪型もそうだが、彼女が何かとタマモの真似をしたがる傾向にあった。これまで家の屋根裏部屋に閉じ込められてきた澪は、タマモを通して世界を見ていると言い換える事も出来るだろう。だからと言って、タマモの怠け癖まで似なくても良いのだが。
「早起きの癖付けとかないと、学校に通うようになってからがキツいな。起こした方がいいか」
 そう言って横島は、テレサに起こしに行ってもらおうと考えた。しかし、つい先程澪との関係を好転させようと決意したばかりではないかと思い直し、自ら二人を起こしに行く事にする。
「んじゃ、ちょっくら行ってくるわ」
「……あ、あたしも行くよ!」
 横島は薫を下ろして一人で行こうとする。しかし、薫も何か感じ取ったのか、自分も行くとその後に続いた。なんだかんだと言いながら、薫も澪と仲良くしたくないわけではない。
 そんな彼女の気持ちを接触感応能力(サイコメトリー)を使うまでもなく察したのは紫穂。しかし、それを口に出して指摘すると、薫は却ってムキになってそれを否定しそうだ。そのため、紫穂はあえて何も言わずに二人と一緒にタマモと澪の部屋へと向かう事にする。
「さぁて、それじゃ寝顔はいけ〜ん♪」
「遊びに来たんじゃないぞ」
 二人を起こすと言う目的を忘れていそうな薫の頭を、横島はコツンと小突く。部屋の中からは声どころか、物音一つ無い。やはり二人はまだ寝ているようだ。
 まずは薫と紫穂がそっと襖を開けて中を覗いてみる。するとそこには一つの布団に潜り込んで眠るタマモと澪の姿があった。澪がタマモにひしっと密着して抱き着いており、心なしかタマモの方は寝苦しそうである。元々この部屋には二つの布団が敷かれているのだが、澪の方が寝ている間にタマモの布団に潜り込んだらしい。
「なんだか、薫ちゃんみたいね」
「え〜、あたしあそこまで寝相悪くないって」
「寝相は、ね」
 確かに薫の言う通りだ。寝相――寝ている間に動いた距離に関しては、隣の布団に移動した澪に比べれば、薫は大した事がないだろう。しかし、それはスタート地点の問題である。二つの布団を並べて寝ているタマモと澪の二人に対し、薫は最初から横島と一緒の布団で寝ている。つまり、薫は最初から移動する必要がないと言う事だ。紫穂が言っているのは寝相ではなく、大好きな人に抱き着く事で安心して眠る事が出来ると言う点についてである。
 もっとも、かく言う紫穂も似たようなものだったりする。横島の古物除霊を手伝った後は怖くて眠る事が出来ず、彼と一緒に寝る事でようやく安心して眠る事が出来るのだ。人の事を言えたものではない。違いがあるとすれば、薫は横島を抱き枕にするのを好むのに対し、紫穂は腕枕をしてもらうと安心する事ぐらいであろうか。
「それじゃ、起こすか」
「私はタマモさんを起こすわ」
 空気を読んだ紫穂が、機先を制してタマモを起こしに向かうと、残された横島と薫はおのずと澪を起こす担当となる。
 二人でそろりと近付き、澪の寝顔を覗き込む。薫達と比べて荒れた髪。あどけない寝顔だが、その目元には涙のあとがあった。まだ、前の家の事が忘れられないのだろうか。それに気付いた横島は、涙のあとにそっと指を添える。
 その指先の感覚に気付いた澪は、枕元に居る二人の気配を感じ取り、驚いた子猫のようにバッと飛び起きる。すぐさまタマモの姿を探し、すぐそばに居る事に気付くと、紫穂に起こされて眠そうに目をこすりながら身体を起こしたばかりのタマモに勢い良く飛び付いた。寝起きざまに不意を突かれてしまったタマモは、そのまま澪に押し倒されてしまう。
「ちょっ! 何なのよ、いきなり!」
「だ、だって、いきなり……」
「横島、澪に何したのよ!」
「何もしとらん!」
 思わず大声で反論した横島だったが、その声に反応して澪がビクッと怯えるように肩を震わせて、その身を縮み込ませてしまう。それに気付いた横島は、慌ててその口を押さえた。
「もうすぐ朝ご飯だから起こしに来たのよ。早く来てね、皆待ってるから」
 紫穂はすかさずフォローを入れ、横島と薫と手を引いて部屋から出て行ってしまった。残されたタマモは、しがみ付く澪をなだめながら考える。
 澪をあの屋根裏部屋から助け出して一週間が経過したが、いまだに彼女は一部の者達――タマモ、ハニワ兵、それにテレサにしか心を開こうとしない。かく言うタマモも他人と積極的に交流しようと言うタイプではないので、あまり人の事は言えない。それでも今の澪があまり良くない状態である事は理解出来た。
 正直なところ、タマモは「家族の機微」と言うものに関しては専門外である。流石のタマモも、今の澪に対しどうすれば良いのか、どうしてやれば良いのか分からない。出来る事と言えば、こうして縋ってくる彼女を守ってやる事ぐらいであった。

 一方、紫穂に手を引かれて部屋を出た横島達は、丁度起きてきたところのドクターカオスと鉢合わせになっていた。新聞を手に持ち、丹前を羽織った甚平姿のカオスに『ヨーロッパの魔王』としての威厳は無い。老人にしては背が高くて体格が良い事を除けば、どこにでもいそうな好々爺のご隠居と言った風情である。
「失敗したようじゃのぅ」
「なんだ、聞いてたのか?」
「人聞きの悪い。『聞こえた』じゃ。日本語は正しく使わんとな」
 そう言ってカオスは笑った。対する横島は何も言い返す事が出来ない。
「それにしても、お主も苦労しとるようじゃな」
「正直なところ、どうすれば良いのかさっぱり分からん」
「それで、そっちの嬢ちゃんとは扱いが違うわけじゃな」
 カオスの言う「そっちの嬢ちゃん」とは薫の事だ。
「いや、別に区別はしてないだろ」
「そうか? ワシも家庭の事については人に言えた義理ではないが、二人に対する接し方が違う事は分かるぞ」
 横島としては、薫も澪もちゃんと妹として受け容れているつもりだ。扱いが違うなどと言われては、黙ってはいられない。すぐさまカオスに反論しようとするが、あっさりと返り討ちにされてしまった。
「……そう見えるか?」
「嬢ちゃん達の方にも原因はあるんじゃろうが、少なくともお主の対応に差がある事は確かじゃな」
「う〜ん、どうすりゃいいんだろ?」
「それこそワシに聞くな。さっきも言うたが、ワシは人に教えられるほど『家庭』っつーもんを知ってるわけではない」
 横島はカオスに相談を持ちかけてみるが、残念ながら彼もこの件については相談役足り得ないようだ。
 しかし、全く無意味だったと言うわけでもない。カオスの言う通り、横島が澪に対し、薫に接するのと同じように振る舞えるかと問われれば、首を横に振らざるを得ない。澪と薫、二人の態度に違いがあるのも事実だが、同時に横島からの対応の差がある事もまた、否定出来ない事実であろう。
「さて、悩むのは横島に任せるとして、ワシらは朝飯にしようかの」
「そうね。どうにかするのは、横島さんの役目だもんね」
「って、待て。俺も行くぞ!」
 横島を放って居間に行こうとするカオス達。横島は慌ててそれを追うが、その足取りは、先程よりも心なしか軽くなっていた。何か手がかりを掴めたような気がする。少しだけだが、心も軽くなったかのようだ。ひとまずこの場はタマモに任せ、横島達は居間へと戻る事にする。

 その後、タマモが澪を伴って居間に現れた事で全員集合となり、賑やかな朝食が始まった。しかし、澪だけはタマモに合わせて小さく「いただきます」と喋ったのみで、黙々と食事を進めている。
 横島はチラチラと澪の様子を伺ってみるが、やはり彼女は俯いたままだった。時折視線を上げようとしているのだが、上目遣い気味に横島と目が合うと、やはり慌てて視線を下ろしてしまう。昨日と同じような反応だ。
 その様子を見て横島は考えた。やはり澪は自分の事を警戒しているのではないだろうかと。
 考えてみればこの一週間、横島と澪はほとんど言葉も交わしていない。澪がタマモ達以外とは話そうとはしないのだから仕方がないとも言えるのだが、同時に横島達の方でも、どうせ彼女は返事をしてくれないだろうと腫れ物に触れるような扱いで避けていたとも言えるだろう。つまりは、どっちもどっちである。
 これでは澪が心を開かないのも当然だ。もしかしたら、彼女にとっての現状は、屋根裏部屋に閉じ込められていた頃とさほど変わっていないのではないだろうか。
 変わった事と言えば、周囲にタマモ達が居て守ってくれると言う事だけ。結局のところ、澪にとっては、横島達も自分を閉じ込めていた母親と同じように恐ろしい存在なのかも知れない。「恐ろしい」は言い過ぎにしても、よく知らない相手である事は確かだろう。
 考えてみれば、薫も初めてこの家に来た時はそうだった。初めて兄が出来たと喜んだは良いが、上手く馴染めずにいたのを覚えている。
 あの時は、横島の方から薫に歩み寄った。その結果、人も羨む仲良し兄妹となった今の二人がある。澪に対してもそうだ。タマモ達が取りなしてくれる事を期待しているだけではなく、横島の方から歩み寄らねばならない。
「よし、決めたぞ」
 突然声を上げる横島。澪はその声を聞いて小さく肩を震わせた。少なくとも、同じ家に住む者達――特に、新しく兄になった横島の事を意識してはいるようだ。前向きに考えれば、返事をしなくても、こちらの話を聞いてはいると言う事である。
「横島さん、どうしたんですか?」
「小鳩、愛子。俺、今日学校休むわ」
「いきなりねぇ。学校より大事だって言うなら、仕方がないけど」
 横島の突然の申し出に、愛子はチラリと澪の方に視線を向けてから答えた。彼が何故休むと言い出したのか、察しているようだ。同じく小鳩も察したようで愛子に続く。彼女達も澪との関係はなんとかしたいと考えているが、まずは兄である横島が何とかしなければならないだろう。
「ああ、それと、今晩おふくろが帰ってくるらしいから、晩飯は奮発してくれ」
「へ〜……って、え?」
「そ、そうなんですかっ!?」
 百合子帰国の報に対し、愛子と小鳩は薫以上に驚いてみせた。薫も、あの母ちゃんが帰ってくるのかと色々と感慨深いのだが、二人はそれ以外にも思うところがあるらしい。
「ちょっ、どうしよう。台所とか、お風呂とか、おトイレとか、ちゃんと掃除しないと!」
「晩ご飯もどうしましょう! 学校の帰りに買ってこないと……」
 二人揃って何とも慌ただしい。百合子を出迎えるための準備について考えている。彼女達にしてみれば、百合子の突然の帰国は抜き打ちテストのようなものだ。この家の家事を担当するものとして、無様なところは見せられない。
「どうする? 私達も休む?」
「うぅ、いけない事ですけど……でも……」
 生徒になりたくて騒ぎまで起こした学校妖怪が、こんな事を言っている。
 最近は青春ドラマよりもホームドラマを求めていると言う愛子。文字通り学校よりも家庭を優先しようとしていた。小鳩も魅惑の提案に心が揺れているようだ。
「お前等な……」
 横島は呆れ顔だ。しかし、彼とて澪のために学校を休むと決めたところなので、人の事は言えない。
「あ、それならあたし達も休んじまおうかな〜♪」
「ほら、薫もこんな事言い出すから、お前等はちゃんと学校行ってこい」
 とりあえず横島は、便乗して学校を休もうとする薫を理由にして、二人に学校に行くよう言い聞かせる。愛子達も、そう言われては引き下がらない訳にはいかない。家の掃除についてはマリア達に任せて、自分達は学校帰りに夕食の買い物をする事にした。

 そして、百合子帰国の報によりすっかり慌ただしくなった朝食は終わった。愛子と小鳩、それに薫達三人は、朝食の片付けが終わると、そのまま揃って学校に行った。今日の横島はテレサと一緒に皆を見送る側である。横島だけが休む事に薫は不満そうであったが、葵と紫穂が宥めすかせていた。帰ったら思い切り横島と遊ぶと言う事で妥協させたようだ。
 その間、澪はどうしてたかと言うと、皆の話について行けずに俯いて小さくなっていたようだ。
 もしかしたら澪は、自分に理解出来ない話題で盛り上がる周囲に取り残されて、疎外感を感じているのかも知れない。やはり何とかしなければならない。澪を、本当の意味でこの家の娘、自分の妹にしなければならないと、横島は決意を新たにする。
 皆を見送った横島が居間に戻ると、そこにはまだタマモと澪が残っていた。いつもならば、食事が済めばそそくさと居間から出て行ってしまうのだが、今日はタマモが澪を引き留めてくれていたらしい。彼女を何とかしなければいけないと考えているのはタマモも同じである。横島が何かしようと言うのであれば、全面的に協力してくれるだろう。
「………」
 一方、澪は俯いたままで顔を上げようともしなかった。横島がテーブルを挟んで向かいに座ると、またもやビクッと肩を震わせる。
 やはり警戒――いや、怯えている。これから叱られるとでも思っているのだろうか。薫の場合は、横島が強引に歩み寄って彼女を振り回せば、薫の方から反撃してきた。しかし、澪の場合はそうも行きそうにもない。ただビクビクと震えているだけになりそうだ。
「なぁ、澪。そのままでいいから聞いてくれるか」
 なんとなくだが、横島は澪の気持ちが分かり掛けてきていた。彼女は何も変わっていない。屋根裏部屋に閉じ込められていたあの頃と。
 確かに澪は、タマモ達とは話をするようになっている。しかし、他の者達に対しては心を閉ざしたままだ。
 確かに澪は、あの家からこの家へと住む場所を変えた。しかし――彼女は本当に救出されたのだろうか。
 横島達は、例の強盗の騒ぎに紛れて、なし崩し的に連れ出した。それは良いのだが、実のところ彼女の心はまだ閉じ込められたままなのではないだろうか。あの屋根裏部屋にではない。澪の、彼女自身の心の中に。
 ただ場所が変わっただけ。そう考えると横島の中でしっくりくるのだ。澪を取り巻く、今のこの状況が。
「まだ分かんないかもしんないけど、澪はもう自由になったんだよ」
「じゆう……?」
 ここで初めて澪は顔を上げて横島の顔を見た。その顔には疑問符が浮かんでおり、この男は何を言っているのだろうと言わんばかりである。言っている横島の方も、今の澪にはこれを言っても意味は伝わらないだろうなとは思っていた。何せ澪は、今まで自分がどれだけ不自由な立場に居たのかすら理解していないのだから。
「今は分からなくてもいい。これから俺達が分かるようにしてやる」
「う、うん……」
 まだぎこちないが、返事してくれたのは大きな前進であろうか。これを取っ掛かりにして、もっと澪の心に踏み込んでいかなくてはいけない。
「そう言えば、澪が今着てるのはタマモの服なんだっけ?」
 これも澪自身が望んだ事なのだが、現在澪が着ている服はタマモから借りている物であった。屋根裏部屋に閉じ込められていた彼女は、ほとんど服を持っていなかったため、最初に入浴した後にタマモが自分の物を貸す事にした。何かとタマモの真似をしたがる澪が、これをいたく気に入り、その後もタマモと衣類を共用して今に至っている。
「……ダメだった?」
 横島の言葉にしゅんとなる澪。やはり、叱られるのではないかと思っているのだろう。
 無論、横島の目的は澪を叱る事などではない。
「ダメじゃないけど、タマモと同じ服を着るにしても、やっぱ自分の持っとかないと不味いだろ」
「何着か、私のを澪にあげる?」
「いや、そんな事よりも――今日は買い物に行くぞっ!」
「……はぁっ!?」
 横島の提案にタマモは素っ頓狂な声を上げた。
 タマモは知っている。澪が自分やハニワ兵達以外に心を開いていないと言う事を。大人が怖いのだ。この家に来た経緯を考えれば当然であろう。だからこそ、自分が守ってやらねばとも考えていた。基本的にものぐさな彼女だが、こうして慕われれば情が湧くと言うもの。そのためにこの一週間は大好きな散歩も控えている。
 タマモはB.A.B.E.L.で超能力を測定する検査を受ける際に「横島タマモ」として登録されている。一方、澪は横島家の養女となり横島澪となった。奇しくも同じ姓となった二人は、兄、横島忠夫に先駆けて姉妹になったと言えるだろう。
「あんた、分かってんの? 澪は――」
「だからこそだっ!」
 澪が他の人間達を恐れているから守ってやらねばならないと考えるタマモ。しかし、横島は逆に、だからこそ外に連れ出してやらねばならないと考えている。澪に教えてやりたいのだ。世界は澪を傷付けるものばかりではないと言う事を。そのための方法として、横島は澪を買い物に連れて行く事しか思い付かなかった。薫の時と同じ方法である。
 このままではいけない。澪を何とか外の世界に連れ出さねばいけない。タマモも理屈では分かっているのだろう。それ以上の反論はしてこなかった。二人の間に挟まれる形となった澪は、二人の顔を交互に見ながらオロオロしている。
「安心しろ、澪。タマモも一緒だから」
「タマモと、一緒……?」
 流石に、いきなりタマモと引き離すような事は考えていない。横島は、澪とタマモの両方を連れて三人で出掛けるつもりであった。澪の方もタマモが一緒ならばと承諾する。二人は居間に来る際に髪型は整えていたが、流石に外出出来るような服装ではない。横島も寝巻き姿のままだったので、まずは着替えて、それから出掛ける事にした。

 マリア達に澪を連れて出掛ける事を伝えると、彼女が外に出る事を心配していた。やはり、タマモと同じく不安なのだろう。とは言え、横島としてもここで引き下がるわけにはいかない。確かにこの家は澪にとって安全な環境だ。しかし、この家に澪を閉じ込めるわけにはいかないのだ。ハニワ兵の澪父も、横島に対してペコリと頭を下げ、止めようとはしなかった。彼も分かっているのだろう。このままではいけないと言う事を。
「そう言う事なら止めないけど、私もついて行った方がいい?」
「いや、テレサ達は愛子に掃除を頼まれてただろ。おふくろは今晩到着するから、そっちを頼む」
「……そうね、分かったわ」
 テレサも心配そうにしていたが、愛子に頼まれた事があるため、渋々引き下がった。澪の事も大事だが、百合子が帰国する事もこの家にとっては一大事なのである。
「とりあえず、昼飯は外で済ませてくるから」
「それじゃ、ウチはカオスの分だけでいいのね。助かるわ」
「とりあえず、薫達より早くに帰れるようにしないとな」
「あー、機嫌悪かったからねぇ、覚悟しといた方がいいわよ?」
 先に着替え終えた横島が、テレサと二人でそんな会話を交わしている内に、タマモと澪の二人が着替えてやって来た。やはり二人は同じような服を着ており、髪型も似ているため、一見双子のようにも見える。
「それじゃ行きましょうか」
 そう言ってタマモは横島の手を掴んだ。手を繋いで歩こうと言うのだ。普段の彼女ならやらない事である。
「………」
 それを興味深げに見詰めるのは澪。そう、タマモは澪に見せるために手を繋いだのだ。
 前述の通り、澪は何かとタマモの真似をしたがる。しかし、自分から手を伸ばす事は出来ずにもじもじとするばかり。タマモの意図に気付いたテレサが、見ていられないと横島を肘で突くと、そこで横島もようやく気付き、自分の方から澪の手を取った。
「行くぞ、澪!」
「う、うん!」
 横島にぐっと手を引かれて歩き出す澪。その時、彼女はほんの少しだが笑みを浮かべる。油断していれば見逃してしまいそうな微かな笑みだったが、横島は目聡く見逃さなかった。
「澪、今笑ったか?」
「え、あ、その……」
「いやいや、怒ってるわけじゃないって。もっと笑えるようになれたらいいな!」
「し、知らない!」
 恥ずかしいのか、澪は顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。タマモはそんな澪の様子を眺めながらくすくすと笑っている。
 気付かない振りをするべきだっただろうか。失敗したかと思わなくもないが、横島としても見逃すわけにはいかなかったのだ。
 見過ごしてしまいそうな小さな笑みだったが、それは澪が横島に対して見せてくれた初めての笑顔なのだから。



つづく





あとがき
 澪の父親がハニワ兵である。
 澪が横島家の養女となる。
 これらは『黒い手』シリーズ及び『絶対可憐チルドレン・クロスオーバー』独自の設定です。ご了承下さい。

 やっぱり、こういう問題は難しいですね。
 私も専門家ではありませんので、色々おかしいところがあるかも知れません。その点についてはご容赦下さい。

前へ もくじへ 次へ