絶対可憐大作戦! 3
日本から遠く離れた国ナルニア。今、その国から旅立たんとする飛行機のファーストクラスに、横島忠夫の母、百合子がいた。
日本のクロサキから連絡を受けた夫、大樹の態度にいつもの悪さをした時のそれを見つけた彼女は、そのまま大樹の後を尾行。会社で分厚い書類を受け取り、日本行きの飛行機のチケットを手配しているのを見つけると、すぐさまそれらを強奪したのだ。
大樹は手傷を負いながらも逃走したため取り逃してしまったが、彼の残した書類を見て彼女は驚愕した。クロサキが横島から連絡を受けてからの時間を考えると、よくぞ短時間でここまで揃えたものだと感心するしかない資料は、息子が大樹の隠し子と思われるB.A.B.E.L.の特務エスパーを引き取り自らの除霊事務所に連れ帰った事実と、その組織の活動に関する物だったのだ。
残念ながら、大樹にとっても薫の存在は寝耳に水だったらしい。B.A.B.E.L.の方を調べてみても、部外秘なのか薫個人に関する情報を引き出す事は出来なかった。ただ、その組織の活動内容から察するに彼女が超能力者であると推察できる。
しかし、そんな事はどうでも良い。百合子にとっての一番の問題は息子が無断で引越し、既にGSとして独立して事務所を開いていたと言う事実だ。
実はこの事は百合子には知らされていなかった。最初にその報を受け取ったのは大樹だったのだが、彼は故意にその事を百合子に伝えなかったのだ。彼女が高校も卒業しないうちからの開業など認めるわけがない。そう判断した彼なりの息子への援護だったのだが、今の彼女を見る限り、その援護は裏目に出てしまったようである。彼女がすぐさま日本行きを決めたのは言うまでもないだろう。
百合子がもう一つ気になっている事がある。それは薫がB.A.B.E.L.の特務エスパーだと言う事だ。
大樹と言う男は、百合子と結婚する前の彼は所構わず、それどころか相手が誰であろうとも構わず飛び掛かるような男であったため、お世辞にも女性に好かれるタイプではなかった。
結婚後、自分が退職した後を任せられるようにとスパルタ教育を施し、表面上だけは紳士として育て上げた結果ああなってしまったのだ。浮気も自分の管理下にあるなら許容範囲かと考えていたが、それが今の状況を招いたと考えると失敗したかなと思わなくもない。
その事から推察するに、彼の隠し子と言うのなら、彼女の年齢は少なくとも息子以下だろう。つまり、B.A.B.E.L.は未成年の薫を特務部隊の一員としていると言う事だ。
「何考えとるんや、こいつらは…」
関西弁が出るのは彼女が本気で怒っている証拠である。こんな女性と隣り合わせてしまった隣席の乗客は泣くしかないだろう。
そして、飛行機はそのまま日本へ向けて飛び立った。会社に訪れただけで株価を変動させる歩く超常現象主婦『村枝の紅ユリ』を乗せて。明朝、日本に到着予定である。
「ん、にいちゃんどうした?」
横島が急に立ち止まったため、薫が見上げるように彼の顔を覗き込み不思議そうに声を掛ける。彼の方はすぐには反応できず、青ざめた顔で辺りを見回していた。
「…今、飢えた雌ライオンに睨まれた気がした」
「なんだそりゃ? あたしみたいな美少女連れてるから、嫉妬されてるんじゃないか?」
「だと良いんだけど…」
奇しくもそれは、ナルニアから母百合子が飛び立ったのとほぼ同時刻であった。
そんな会話をしながら辿り着いたのは中武百貨店。
横島の家の空き部屋は現在洋室、和室両方あるので薫本人に選ばせたところ、彼女は和室の方を選んだ。
「とりあえず、布団を買わないとなぁ…」
「ふとんは一つに、まくらはふ・た・つ♪」
横島の肩によじ登り、そう甘く呟きつつ耳に息を吹き掛ける薫。
すると、横島はすぐさま飛びのくと「ドキドキなんかしてないぞー!」と絶叫し、薫はそれを見て笑い転げる。紫穂がいればもっと面白くなっていただろう。彼女がここにいないのが実に残念だ。
どうやら、ここに到着するまでのやり取りで、横島に対し念動能力はさほど効果がないと悟ったらしく、薫は攻め手を精神攻撃に切り変えていた。有喜に何を吹き込まれたのかは知らないが、急にやる事為す事が強引になった横島に対し、このままでは主導権が奪われてしまうと危機感を感じたのだ。
自分を大事にしてくれるのはいいが、もっと話を聞いて欲しい。そういう意図も無くはないのだが、その様はまるで動物同士の縄張り争いのようにも見えた。
「葵ちゃんと紫穂ちゃんが遊びに来た時のために二人用のもついでに買っておくか」
「い、いいのかよ?」
薫は驚きの声を上げるが、対する横島は「当たり前だろ」と一言。彼女が言葉を失っている間に店員を呼び、さっさと買い物を済ませてしまう。
まさか、自分とは縁もゆかりもない『超度(レベル)7』の二人を家に招待するとは薫にとっても予想外の事だった。心のどこかで横島は血の繋がった妹だから自分を引き取ったのだと考えていたのだ。横島にしてみれば急に妹ができた事が問題であり、『超度7』の超能力などそれこそどうでも良い事なのだから、見事なまでのすれ違いだ。
「郵送で明日になっちまうらしい。だから今日は予備のを出すから」
「よし! じゃ、今日は一緒に寝るか! 勝負パンツはこれでどーだ?」
それでも、やられっぱなしは性に合わないらしい。薫は下着売り場から持ってきたランジェリーで見事なカウンターを決め、横島は店員が止めるまで柱に頭を叩きつけて、己に湧き上がった煩悩を否定し続けるのだった。
「なぁ、そんな怒るなよー。どうせあれはサイズ合わないから穿けないってば」
「そういう問題じゃないだろ」
そう言いつつ横島は、薫の躾けにはハニワ子さんにも協力してもらおうとか考えていた。どうやら彼の中での横島家一番の良識人は彼女らしい。
そのまま子供服の売り場へと移動するが、到着した横島は周囲を見回して途方に暮れる。あまりにも子供服の種類が豊富なのだ。
「…誰かアドバイザー連れてくりゃよかった」
「数日分の着替えはあるし、今度にするか? B.A.B.E.L.の方で使ってたの送ってもらう事もできるし」
せめて無駄に幅広い知識を持つ愛子だけでも連れてくれば何とかなったのではないかとも思うが後の祭だ。今日は服を買うのを諦めた二人は家具だけを注文して帰る事にする。
「別に、適当に選んだっていいのに、ナース服とか」
「それは拙いだろ、流石に。それより家具を選びに行くぞ」
「はいはい。まぁ、今まで使ってたのは和室にゃ合わないだろうしな」
そう言って薫はいくつかの家具を選んだが、それらはどこか古臭さを感じさせる物だった。
こんな所まで親父臭いのかと横島は思う。同時に彼女の嗜好はひょっとして同年代の友達が出来ず、周囲にB.A.B.E.L.の大人達しかいなかった所為ではないのかとも。もしそうだとしたら、あまりにも哀れだ。
しかし、だがしかし、
「なぁなぁ、ドリンク特価だってよ! これ飲みゃ一発でビンビンだぞっ、オススメだって!」
素直に同情できないのは何故なのだろうか。横島は大声ではしゃぐ薫を横目に頭を抱えるのだった。
涙が止まらないのは周囲の視線が痛いほどに突き刺さるからだろう、多分。
その後、買い物を終え帰宅しようとした二人。しかし、横島の携帯に愛子からの連絡が入り「夕飯まで時間をつぶして来て欲しい」と言われてしまった。何か企んでいるのだろうが、悪い事ではないだろうと素直に近くの喫茶店に入り時間をつぶす事にする。
「お、ジャンボパフェだって」
「帰ったら晩飯だから、そういうのはやめとけ」
「育ち盛りだし、いいじゃん」
「せめて、こっちのケーキにしとけ。俺も頼むから」
「…わかったよ」
横島が注文しようとしているのは可愛らしいサイズのケーキだ。彼も同じ物を注文すると言うので、薫も渋々承諾した。
「そいやさ、あの連中どこまでがあの家に住んでるんだ? 土日だから、あんだけ来てるのか?」
「ん、いつもあんなもんさ。毎日あれほどでないにしろ六道の生徒が遊びに来るんだよ」
それを聞いて「やっぱ、ハー…」と何か言い掛けた薫を横島は「違う」と止める。
「無理すんなよ〜、おいしい立場じゃねぇか」
「お前にわかるか、周囲全体に監視されてるみたいで、何もできない辛さが」
「…あたしが悪かった。だから泣くなって」
要するに、横島にとって今の環境は周囲に美味しい餌が用意されているのに、どこに罠が仕掛けられているか、どれだけ仕掛けられているかも分からないため身動きが取れない状況なのだそうだ。血の涙を流して口惜しがる姿を見ると、薫も素直に謝るしかない。
それはともかく、あの家に住んでいるのは昼にカレーの鍋を持って来ていた愛子、居間でTVを見ていたマリアとテレサ、昼食後すぐに出掛けてしまったタマモと言う少女に普段は蔵の研究所にいるカオスと言う爺さんと、バイトに行っているため、まだ顔を会わせていない小鳩、そしてハニワ兵達らしい。
「…あのハニワ、ラジコンか何かじゃなかったのか」
「俺もよく知らんが、ちゃんとそれぞれ人格があるらしいぞ」
横島達や近隣の住民はもう慣れてしまったが、やはり初見の者には驚きが大きいようだ。
更に横島が言うには、週末を利用して稽古する生徒達のうち、寮生でない者は土曜日は泊まって行くのが通例らしい。門限が厳しいため毎週帰宅しているかおりと明日仕事があるおキヌ、魔理は帰るらしいので、有喜を筆頭にジミーこと舞浜静美、天城美菜、神野むさし、メリー=ホーネットの五名が今夜泊まって行くと言う事だ。
薫はそれを聞いて「プチ合宿?」と疑問符を浮かべるが、あながち間違いではないだろう。そんな言葉があるかどうかはともかくとして。
「そんなにいるんじゃ気合入れなおさないとな…」
「何をする気か知らんが、あの家じゃ真面目に構えた奴が馬鹿を見ると思うぞ」
「にいちゃん、自分の家によくそこまで言えるな」
「事実だからな、無心で気楽に構えるのが一番だ」
おそらく、女子高生に囲まれながらも何もできない彼が編み出した自己防衛手段なのだろう。
だが、薫はそれに倣うわけにはいかなかった。彼女にしてみれば、これはあの家に自分の領域を確保できるかどうかの戦いなのだ。実は「真面目に構えた奴が馬鹿を見る」を地で行く行動なのだが、生憎と彼女はこの事実に気付いていなかった。
横島達二人がおそらく和やかに談笑している頃、家の方では皆慌しく動き回っていた。
そんな中、蔵の研究所の方から猫の形をしたプレートを持ったカオスがやって来て、バイトから戻ってきていた小鳩にそれを渡す。
「ほれ、こんなもんでどうじゃ?」
「あ、もう完成したんですか?」
カオスが差し出すそのプレートには丸みを帯びたアルファベットで「KAORU」の五文字が貼り付けられている。そう、薫の部屋のためのネームプレートだ。
「和室じゃから、付け方がちと特殊なんじゃがの。きっちり対人センサーと防犯トラップも付けておいたぞ」
「…必要ないと思うけど」
タマモが冷ややかに突っ込むがカオスは気にも留めない。
そして、小鳩はネームプレートを胸に抱き、こう呟いた。
「横島さんの妹の薫ちゃんか、会うのが楽しみ。仲良くできたらいいなぁ…」
バイトから帰ってきて、薫の事を聞かされた小鳩は最初こそ驚いたものの、やはり他の住人と同じく「受け容れない」なんて選択肢は最初から存在しなかったようだ。
繰り返すが、この家は「真面目に構えた奴が馬鹿を見る」のだ。薫も直に思い知るであろう。
「って言うか『ヨーロッパの魔王』謹製のお部屋のネームプレートって…」
「他じゃ絶対に御目に掛かれないわよね…」
カオス達のやり取りを眺めていた姫と霞の呟きに、六道の生徒一同がコクコクと頷いた。
それから約三十分ほど喫茶店で時間を潰した二人は、横島が再び愛子から「もう帰ってきて良い」と連絡を受けて家まで帰って来た。
薫は「武者震い」だと言うが、どこか怯えが見える。どうしてそこまでと横島は思うが、彼女は真剣そのものだ。
「よし、行くぞ!」
「だから、そんな気合入れなくても」
「いーんだよ、行くぞ!」
そう言って大股で歩いて入り口へと向かう薫。
扉の前で一旦足を止め、一度深呼吸して扉に手を掛け、そして開いた。
「「「「「おかえりなさーい!」」」」」
数度の破裂音が響き、薫の頭に細い紙のリボンが降りかかる。
愛子、小鳩、タマモ、マリア、テレサの五人が玄関でクラッカーを準備して待ち構えていたのだ。
「…え?」
「さ、こっちこっち」
呆気にとられたまま愛子達に手を引かれて連れて行かれる薫。まったく状況が理解できていない。
「こういう事だったのか」
「イエス。おキヌさんの・提案です」
苦笑する横島。これで薫も真面目に悩むだけ無駄だったとわかってくれるだろう。横島はそのままマリアとともに居間ではなく広間の方へと向かった。
「あ、えーっと…」
横島が広間に到着すると、薫が一番上座に座らされて途方に暮れていた。
彼女の背後には「ようこそ、横島家へ!」と書かれた大きな横断幕。絵の具が少し垂れているところを見るに、急遽作ったのだろう。
おキヌの提案、それは薫の歓迎会を開く事。
これには六道の生徒を含め家に居た全員が賛同し、二人が買い物に出掛けている間に急ピッチで準備を整えたのだ。
「あ、横島君の席はここよ!」
そう言って愛子は薫の隣の席を指差し、横島はその席につくと隣で呆然としてる薫の頭を撫でる。
「どうだ、心配する必要なかったろ?」
「そ、そうだな………よし、じゃあまずビールでカンパいぃ!?」
カオスのために用意されていたビールに手を伸ばそうとした薫の後頭部にハニワ子さんのハリセンが炸裂した。
流石は横島家一の良識人と言われているだけあって反応が速い。
「はい、薫ちゃんはジュースで乾杯しましょうね」
「いいじゃんかよ、こんな時ぐらい羽目外しても」
「十年早いっ!」
横島が薫の頭をはたくのを見て、ジュースを注ぐ小鳩がクスクスと笑う。
薫は、ここで初めて目の前にいる小鳩とは初対面である事に気付いた。
「…って、あんた誰?」
「はじめまして、私は花戸小鳩。この家に居候させてもらっているの」
「小鳩ちゃんは、俺がここに引っ越してくる前に住んでたアパートで隣の部屋に住んでたんだけどな。お袋さんが療養所に入って一人暮らしになるから、今はここで暮らしてるんだ」
「へ〜」
横島の説明も上の空で聞き流して小鳩をまじまじと見る薫。
ジュースを注ぎ終わって小鳩がその場を離れた後も、薫の視線は彼女を追っていた。
「…にいちゃん、やっぱすごいのか?」
「何がだ?」
「あのねえちゃんだよ、やっぱ脱ぐとスゴイのか!?」
その言葉に吹き出す横島。それぞれに騒いでいた女性陣達の動きも止まってしまっている。
「い、いきなり何を…」
「見ただろ、あの服の上からでもわかるボリューム! く〜、きっとスゲーんだ! スゲーに決まってる!!」
「指をわきわきすな!」
横島にしてみれば、今まであえて忘れようとしていた事を無理矢理思い出させられているようなものである。
ハニワ子さんからハリセンを受け取るとそれを一閃、強制的に薫を黙らせた。
「まったく、誰に似たんだか…」
「な、なんて言うか…横島さんのお父様より、むしろ横島さんに似てますね」
「勘弁してくれ…」
この中で唯一、双方を知るおキヌが冷や汗交じりに言う。しかし、彼女も知らない過去の大樹を知る百合子がここにいれば、薫は昔の大樹にそっくりだと言っただろう。
その後も薫は本来の調子を取り戻したのか絶好調だった。その様は酒を飲んだわけでもないのに酔った中年親父の如し。そのため、薫がセクハラ紛いの行動を取ろうとしては横島に抱きかかえられ連れて行かれると言う光景が度々繰り返された。
おかげで「どう接すればいいかわからない子」と思われていた薫のイメージは、見事に「手のかかる悪ガキ」に修正される事となる。
元々、セクハラしなければ明るく人懐っこい性格であり、今日集まった生徒達は皆妹がいない事もあって好意的に受け容れられている事だけは確かだろう。
「いてて、ゲンコツはやめろよなー。脳細胞に傷がついたらどうすんだよ、超能力が暴走するぞ」
「そん時ゃ文珠で治してやるよ。見たかったんだろ?」
「う〜、どうせならもっとスゴイ効果を見たい」
涙目の上目遣いで横島を睨む薫。どんどん互いに遠慮が無くなってきている、きっと良い傾向なのだろう。二人を見守る一同の目は暖かかった。
そうこうしているうちに寮生達の門限の時間が近付いていきた。門限と言ってもハニワ兵達が送り届ける事を条件に特別に認められた、通常より遅めの門限であるため外はもう真っ暗である。パーティはこれでお開きとなり、後片付けは残る者達に任せ寮生達とおキヌ、かおり、魔理の三人が帰宅する事となった。
「えー、帰っちゃうのかよ」
「悪ぃ、また今度な」
「ごめんなさい、事務所に戻って朝ご飯の支度をしないといけないの」
「私達は、明日また伺いますわ」
魔理に頭を撫でられ、子供扱いされたと思ったのか薫が彼女にパンチを繰り出す。無論本気のそれではなく悪ふざけのレベルだったため、魔理は「十年早い」と笑いながらそれを受け止める。そんなじゃれ合う二人を横目にかおりはいつも通り横島に頭を下げ、別れの挨拶を交わしていた。
「ところで横島さん。薫ちゃんの事、ご両親には伝わってるのですか?」
「…多分知らないと思うから、しばらくは黙っておこうかと。もし離婚となったら、俺は今度こそニューヨークに連れて行かれるかも知れん」
その言葉を聞いて、以前百合子が来日した時の騒ぎを思い出して冷や汗を流すおキヌ。事情を知らない薫、かおり、魔理の三人は疑問符を浮かべるが、彼女に関しては実際に会った者でなければあの凄まじさは伝わらないだろう。
そして横島はクロサキの有能さを理解できていなかった。彼は要点をぼやかした横島の質問からおおよその事情を察して、既に大樹へと報告している。
「とりあえず、兄妹一緒に暮らしてますって既成事実を作ってからじゃないと、本気で離れ離れにされちまう」
確かに、息子への執着は大樹より百合子の方が強く、薫は大樹としか血の繋がりは無い。本当に離婚となったら、二人は引き離されてしまうだろう。横島としては今回も何とかなるんじゃないかと思ったりもするが、不安を拭い去る事はできない。
安心させるように薫の肩を抱き寄せる横島。百合子を知らない彼女には事情はわからないが、その女性が自分の生活を脅かす事になるかも知れないと言う事だけは理解できた。
不安は確かにある。しかし、薫に関しては横島に任せておけば心配ない。二人の様子からそう感じたおキヌ達は安心して帰宅する事にした。もっとも、魔理以外は全員明日も朝一番でここに来る事になるのだが。
ふと気が付くと横島の腰にしがみ付く様な体勢になっていた薫は慌てて飛び退く。どことなく顔が赤い。
「そ、それじゃ、あたしは風呂にでも入らせてもらうよ」
「場所はわかるか?」
「大丈夫! それじゃ、小鳩ねえちゃんと一緒に入って色々と…」
再び指をわきわきし始めた薫を見てある種の危険を感じた横島は、彼女が親父臭い笑みを浮かべている間に捕まえてしまう。
「あ、おい離せよ!」
「やらせんぞ、俺でもできそうにない事を」
「だからって青い果実に手を出す気か? いやー、あたしもとうとう男の本能に火を付けるように」
「玄関先で人聞きの悪い事言うなー!」
そう言いつつも薫を抱き上げて家の中に入っていく横島。
よくよく考えてみると、彼女の行動はタマモのそれに近い。そして薫の親父臭さと違って、幼いながらも女を感じさせる仕草を心得ている元傾国の大妖と比べれば、横島も比較的冷静に対処する事ができるのだ。
「よし、それじゃ一緒に入るか? あたしが背中流してやるよ」
「ば、馬鹿言うな!」
「お客さん、こういうとこはじめて〜?」
「んな金あったら、もっといい生活してたよ! コンチクショー!」
あくまで「理論上」の話である。
そのまま薫を抱えて脱衣場まで行った横島は、誰も入浴していない事を確認すると彼女を残して立ち去ろうとするのだが、降ろされた薫がどこかショックを受けた表情をしている事に気付いてしまう。
力を持つ者は家族からも怯えられると言う有喜の言葉が事実ならば、生まれた時から『超度7』の薫はどのような生活を送ってきたのだろうか。良いイメージが全く浮んでこない。
きっとこの子は親と一緒にお風呂に入るような、誰しもするであろう経験すら、したことがない。
そこまで思い至ってしまうと、もうこのまま立ち去るような事はできなかった。
「また下ネタ言ったら、頭から水かけるぞ」
「わ、わかったよ」
しかし、薫はどことなく嬉しそうだった。
「…で、なんで目隠ししてるんだ?」
面白くなさそうに呟く薫。
対する横島は目隠しして入浴していた。彼なりのけじめ、薫に対する配慮らしいが、逆に言えば自分の理性がそれだけ危ういと言っているような物である。薫にとってはむしろ嬉しい事だ。それだけからかう余地があると言う事なのだから。
「ま、こっちは見放題だからいいんだけど」
そう言って下卑た笑いを見せる薫の視線はある一点に注がれている。
「どこ見てるんだっ!?」
「いやー、見るの初めてだから後学のために」
「そんな個人学習はまだ早い!」
しかし、薫は止まらない。
「おおー、今度葵と紫穂に自慢してやろ」
横島は目隠しの下から涙を流し、そして薫の頭にはゲンコツが落ちた。
「いてて…んぢゃ、お詫びにあたしが背中流してやるよ」
「タオルはそこに掛かってるの使えよ」
「チッ」
自分の身体に石鹸を塗りたくろうとしていた薫は横島にハッキリと聞こえるように舌打ちをする。
それでも素直にタオルを取り、少し強めに横島の背中を洗う薫。彼女には横島が目隠しをしている事。いや、そこまでしなければ一緒に入れないと言う事が気に食わなかった。
「なぁ、そろそろ目隠し外せよ。そこまで避けられると何かヤな感じなんだけど」
「そうは言ってもな…」
「それともあれか? あたしの背中流す時に目が見えないのをいい事に色々弄ろうと…」
「わかった、外すからそれ以上言うな」
横島は仕方なく白旗を揚げ、薫はニヤリと笑う。
そんな会話を交わしているうちに横島の背を流し終わり、次は薫の番だ。彼女は元々タオル等を巻いておらず、恥らう素振りも見せずに横島の座っていた椅子に交代で座る。
「お前、もう少し恥じらいと言う物を…」
「そういうのが好みか? って言うか、兄妹ってこんなもんじゃないの?」
不思議そうに問い返す薫。横島の方も一人っ子だったため、世間一般の兄妹像と言うのがよくわからない。
「まぁ、仲が良いならそれでいいじゃん。さ、カモーン」
そう言って、自分が使っていたタオルを手渡す薫。その表情は実に楽しそうだ。
横島は苦笑してそれを受け取った。力入れ過ぎると痛いだろうから加減しようなどと考えながら。自分でも気付かないうちに薫のペースに振り回されているのかも知れない。
今日兄妹になったばかりの二人が仲良く湯船に浸かっている頃、遠く離れたナルニアの地でようやく動ける程度まで回復した大樹がクロサキから送られて来た新しい情報に目を通していた。
そこにはB.A.B.E.L.を取り巻く状況に関する情報が記されている。政府から援助を受けていると言う事とオカルトGメンとは仲が悪いと言う事。そしてもう一つ、超能力者の排斥を目的とし、そのためにはテロをも行う過激派『普通の人々』に狙われていると言う事。
そして、どこでこんな情報を手に入れたのかは知らないが、B.A.B.E.L.を一人離れた薫を彼等が狙っていると言う事が最重要事項として記されている。彼は何故かこういう荒事方面への広い情報網を持っている。この様な状況では実に頼りになる男だ。
これを見た大樹の表情が険しくなる。娘の存在は寝耳に水であったが、だからと言って愛情を抱かない訳ではない。むしろ、憎たらしい息子よりも、可愛い娘の方が良い。
「まだ娘の顔も見てないんだぞ…忠夫、父さんが行くまではお前が薫を守れよ」
その後は死んでくれてもかまわない、とは流石に口に出しては言わない。
彼もまた百合子を追って日本へと向かう事を決意した。
廃ビルの一角。暗闇が支配する空間に彼女達はいた。
ボディラインをくっきりと浮かび上がらせる、黒いレザーのライダースーツに身を包む二人。手には鞭を持っている。
「これが次のターゲットかい?」
「『超度7』が一人で…確かにチャンスだね。私と姉さんをわざわざイギリスから呼び寄せるだけの事はある」
どうやら二人は姉妹らしい。姉の手には薫の写真が一枚、写っている彼女がカメラに気付いていそうにない事から察するに隠し撮りなのだろう。
姉はその写真を大胆に開いた胸元へとしまい込んだ。
妹の方は鞭を手に恍惚とした表情を浮かべている。
「あいつより生意気そうな面してるじゃないか」
「楽しみだねぇ、どんな泣き声を聞かせてくれるか…」
そう言って二人はより深い闇へと姿を消した。それを見送る『普通の人々』の幹部は苦い表情をしている。
彼も本音では「少女虐待のエキスパート」を自称する彼女達を使いたくは無いのだ。しかし、先の桐壷帝三襲撃の失敗によりテロ実行部隊の戦力が不足している今、『ザ・チルドレン』の一人がB.A.B.E.L.を離れて単独行動をしていると言う千載一遇のチャンスを逃さないためには彼女達の力を借りる以外に手は無い。
姉の名はマリア、妹の名はアメリア。『普通の人々』テロ実行部隊の実力派、その名もミンキン姉妹。
「って言うか、いい年した婆さんがあんな格好するのってどうよ?」
幹部の男がポツリと呟いた。
つづく
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