絶対可憐大作戦! 5
「まずいですね、局長」
「うぅむ…」
昨日に続いて薫を見守っていた桐壺と柏木の二人は、百合子の登場に頭を悩ませていた。
その背後では葵、紫穂の二人に付き添われた皆本が怪我をおして駆け付け、桐壺の背中に刺さるような視線を向けている。
いつもは三人揃って見舞いに来るはずなのに、今日に限って薫の姿が見えない事を不審がった皆本。変なぐらいに機嫌の良い二人から薫に兄がいた事がわかったと聞き、驚いて跳んできたのだ、葵の瞬間移動で。
「あの人類唯一の文珠使いが薫の兄と言うのは本当なのですか!?」
「わからんっ!」
大声を上げる皆本に対して、桐壺は胸を張って答える。しかし、その内容は胸を張れるような物ではない。その二人のやり取りに柏木はこめかみを押さえて眉を顰めた。
確かにそうなのだ。薫と横島が本当の兄妹かどうかと言うのは五分五分だとB.A.B.E.L.は見ている。
熱狂的ファンである桐壺は認めないだろうが、薫の母である女優明石秋江の性格と、横島の父が浮名を流しているらしいと言う事を考慮すれば有得ない話では無い。それがB.A.B.E.L.の見解だ。
「わからないって、どういう事ですか!」
「あの薫君が、兄の存在を知って嬉しそうにしていたんだぞ! そこで、『違うかも〜?』なんて言える訳ないじゃないか!」
「違うかも〜?」の部分を、子供のように可愛らしく言っているのがポイントだ。
「だからと言って…!」
「少女から家族を取り上げろと言うのかネ? 貴様は鬼かぁーーーッ!!」
涙を流しながら目を光らせてエキサイトし始めた桐壺。こうなったら皆本が怪我人であろうとお構いなしである。彼の襟首を掴んで振り回しながら、薫達への深い愛情を熱く語り出した。
「で、実際のとこはどうなん?」
「どうって言われても…私は、横島さんの心を読んだだけだから」
薫が横島の妹かも知れないと言った紫穂は視線をそらして、しれっと流す。
「結構、お似合いの二人やと思うけどなぁ」
ボケとツッコミとして特にねと紫穂は思ったが、あえて口には出さなかった。
「さて、買い物も終わったし喫茶店で一休みでもしてから帰ろうかね」
「うぅ、こんなお子ちゃまぱんつ〜」
「…人前でパンツ持って涙流してるんじゃない」
呆れた声の百合子の突っ込みが入り、薫もそれもそうだと手にしていた買ったばかりの下着を仕舞う。
「そんな事言ったってよー、最近の子供はすげーんだぞ」
「よそはよそ! うちはうち!」
言い返してみても、百合子は怯まない。逆に怯まされた薫は、彼女から顔を背けて「どうせ、ホントは娘と思ってないんだろ」と呟いた、隣の百合子にも届かないような小さな声で。その表情にいつもの快活さは無い。
そして、二人並んでエレベーターの扉の前で待っていた時、異変が起こった。
まず、周囲の電気が次々に消え、立て続けに防火壁が次々と閉じていったのだ。
「クッ、サイキック…!」
先に反応したのは薫。こんな突発的な状況では、特務エスパーとしてのキャリアが物を言った。
今にも行く手を阻もうとする防火扉を念動能力で止めようとするが、彼女の超能力をものともせず、防火扉は重い音を立てて閉じられてしまった。
そのままニ人は数人の客と共に、エレベーター前のフロアに閉じ込められてしまう。
一方、無言の百合子の目付きが鋭くなる。何かトラブルがあれば防火壁が閉じると言うのはわかるのだが、先程の動きに意志らしきものを感じたのだ。被害の拡大を防ぐのではなく、まるで自分達を閉じ込めるような動きに。
「くそっ!」
薫は必死な表情で閉じられた扉をこじ開けようとするが、重量感のある防火壁はビクともしない。普段の彼女なら難なく吹き飛ばせるサイズだと言うのにだ。
「薫ちゃん、落ち着いて」
「これが落ち着いてられるかよ! 超能力が効かないんだぞ!」
声を荒げても扉は開かない。何が何だかわからなくなった薫の瞳から思わず涙が零れてしまう。
「イイ表情だねぇ」
「!?」
まるで纏わりつくような声に百合子は薫を庇うように背に隠して振り向く。
そこに立っていたのはミンキン姉妹の一人、妹アメリア。その手に鞭を持ち薫を見下している。
「B.A.B.E.L.は本当に良い物を作ってくれたよ」
「『超度(レベル)7』をここまで抑え込めるなんて、皆本だったかい? 優秀な男じゃないか」
「!?」
驚愕の表情で己の手首に填められた制限装置(リミッター)を見る。確かに、それは薫の超能力を抑制する物ではあるが、使えなくするような物ではないはずだ。
「超能力による犯罪を防止するために開発された、新型のECM(Esp Counter Measure)さ。携帯できるようなサイズじゃないけど、一定範囲の超能力を抑え込む事ができる」
「あ、ああ…」
B.A.B.E.L.は超能力者の保護、そして超能力の研究を行っているが、その研究成果を活かして超能力を使用した犯罪に対処するのも仕事なのだ。当然予防措置についても研究されている。『普通の人々』はその成果を盗んだのだ。
「皆本ー! お前は余計な事ばっかりーーー!」
「はーははは! 飼い犬に手を噛まれるとは正にこの事だねぇ」
どうやら、皆本は薫の犬扱いらしい。薫の方もあえて否定はしない。
もっとも、これは言葉通りの意味だけでなく、『普通の人々』は超能力者はその力で普通の人々を支配しようとしている、かも知れないと考えているのだ。
「さぁて…イイ声で泣いておくれよっ!」
恍惚とした表情のアメリアが奮う鞭が薫に迫る。その勢いに薫は思わず目を瞑り顔を背けた。
しかし、何故かいつまで経っても痛みが来ない。
薫が不思議そうにその瞳を開くと、そこには鞭を巻きつけた腕から血を滲ませた百合子の姿があった。
「…何やってんだい、あんた」
アメリアが信じられない物を見るように百合子に呟く。
「そうやって、超能力者に媚を売ろうってハラかい? 大した下僕根性だ」
別方向から掛けられた声に視線を向けると、目の前のアメリアと同じレザースーツの女、マリアが静かな怒りを百合子に向けている。
彼女達には「超能力者を庇う」と言う行為が理解できない。彼等は人間ではないと言うのが彼女達の認識なのだから。
「何やってる? そりゃ、こっちの台詞だよ」
そう言いつつ、百合子は腕に巻きつけられた鞭を掴み、逆にアメリアを引き寄せようとする。無論、アメリアもそれに抵抗し、二人は鞭で力比べをする形となった。
額に汗を流し歯を食いしばるアメリアに対し、百合子は不敵な笑みを浮かべる。一見わからなかった、いや脳が理解を拒否したが、相手はかなり高齢だ。力ではこちらが勝る。
「媚? あんたも何言ってんだい」
マリアを一瞥し彼女に動く気配がない事を確認すると、再びアメリアを見据えて一旦呼吸を整える。
「子供を甘やかすとね、ウチの馬鹿息子みたいになるんだよッ!!」
そして、叫ぶと同時に一気に引き寄せ、バランスを崩した彼女の頬にスナップを利かせた渾身のビンタを食らわせた。
悲鳴をあげる間もなくもんどりうって昏倒するアメリア。
百合子は腕の絡んだ鞭を解いてマリアに向き直るが、彼女は仲間が倒されたと言うのに眉一つ動かしていない。
「子供? 違うね、そいつらはモンスターさ」
倣然と言い放つ。この物言いには百合子もカチンと来る。
彼女の言い分をそのまま受け容れると言う事は、同時に息子への否定も受け入れると言う事だ。怒りも二倍である。
「あんたはその子の力を知ってるのかい、化け物じみた超能力を」
こめかみをひくひくとさせて明らかにキレている百合子に対し、マリアは無表情に言い放つ。
彼女は正に氷、全てを凍てつかせる氷山だ。アメリアとは格が違う、その意志は強固で揺らがない。
しかし、百合子も負けていない。伝説のOL『村枝の紅百合』があえて一線を退いて臨んだ子育てへの情熱は燃え盛る炎だ。息子、娘ともに化け物扱いされて黙っていられるわけが無い。
そして、火花を散らす二人に挟まれる薫。
「…えーっと、あたしおいてけぼり?」
流れに乗り遅れてしまった少女は呆然とした表情で呟いた。
一方、外では人の流れに飲まれてそのまま建物から追い出されてしまった横島が呆然とデパートを見上げていた。
「な、何が起こっているんだ…」
「横島はん!」
その声と同時に上空から降り注ぐ二人の少女。
「へぶっ!」
見事、見上げた横島の顔面に着地したのは葵と紫穂だった。
「あー、びっくりした」
「そりゃ、こっちの台詞だ!」
「横島はん、何下から覗き込んでるんよ」
「大丈夫よ、横島さんが見たのは葵の靴の裏だから」
「そうそうって、紫穂ちゃん出会い頭に人の心読まない!」
「…もしかして、そういう趣味あるん?」
「断じて違う!」
三人よれば何とやらと言うが、二人でも相当の物らしい。つい先程までたった一人に振り回されていた横島に太刀打ちできる訳がない。
一通り横島をからかった葵は不思議そうにデパートを見上げる。元々彼女は中武デパートの中にいる薫を目標に瞬間移動したはずなのだ。しかし、現に葵は中武デパート直前の上空に出現し、横島の顔面に着地した。
念動能力者の薫がいない状態では、そのまま地面に落下した場合無事では済まないのだが、そんな状態の二人に墜落されても横島が平然としてるのは、彼が横島だからであろう。
「! 二人がここに来たって事は、ここで何かあったのか!?」
「え、え〜っと、それは…」
問い詰める横島に対して口篭る葵。
今、ここで起きているのは「薫が超能力者」だから起きた事件である事はB.A.B.E.L.は既に把握しており、葵達も知っている。同時に、横島の母が巻き込まれている事も。
隠しきれるような事ではない事はわかっているが、この事が原因で薫が嫌われてしまうかもと考えるとどうしても事情を話す事ができない。
「…紫穂ちゃん」
「何?」
ぽつりと小さく呟く横島に対して、小首をかしげて返事する紫穂。この時点では彼女にもまだ余裕があった。
しかし…
「心を読むのは君の専売特許じゃないんだよ」
そう言う横島の手には『覗』の文字が光る文珠が一つ。
それが文珠である事はわからないが、明らかに異様なエネルギーを発するそれに顔を青ざめて尻餅をつき後ずさる紫穂。彼は冗談を言ってるわけではない。心を読まなくてもそれがわかった。
「さあ、さあ、さあ! 教えてもらうぞ!」
「い、いや…」
文珠を片手に迫る横島に、涙目で怯える紫穂。傍から見れば「変質者に襲われそうな少女」にしか見えない。
葵も関西人として突っ込むべきかどうか迷っていたが、そのわずかな躊躇が彼女から突っ込む権利を奪ってしまった。
「「いたいけな少女に何するかーーーッ!!」」
「ぐはーっ!?」
葵達を追って車で駆けつけた桐壺と皆本の一撃が横島に炸裂したのだ。
「横島クン、君は一体何をやっているのかネ! 私は君を信じて薫クンを託したと言うのに!!」
「誤解だーーーッ!!」
「…紫穂」
「何?」
「局長はん達が来るのわかってた?」
「局長が怒ってる時ってわかりやすいから」
そう言いつつ、紫穂は先程まで地面に触れていた手のひらから砂を払った。
「新型ECM!?」
「ああ、『普通の人々』がB.A.B.E.L.の研究成果を盗んだらしい」
「そんな…で、ECMって何?」
横島の素ボケに対して、皆本は怪我人だと言うのに律儀にずっこける。
「きょ、強力なデジタル念波を発生させて、あらゆる超能力を無効化する。従来型よりデータ深度が深くて効率もいいんだが、どうしても大型になるのが欠点で―――」
「大型? それがどこかにあるって事か?」
「………」
二人の会話に混ざらずにいた局長が露骨に目を背けている。
「局長はん?」
「何か知ってるのね?」
右手をかざして近付く紫穂に抵抗できるわけがなく、そもそも隠す事でもなかった局長の話によると、最近ESPによる万引きが少なからず起きており、中武デパートのような一部の大型店舗に新型ECMを試験的に設置しているそうだ。
「全然知らんかった…」
「僕もだ」
開発した皆本も知らない内に進められていた、と言えば彼がないがしろにされているようにも聞こえるが、この辺りの事は「研究者」の仕事ではない。
「ん? それじゃ、葵ちゃん達が空から降ってきたのは」
「瞬間移動が無効化されたんやろね」
「『普通の人々』ってのがここにいるのか?」
「…それは、えと」
「そうよ」
言葉に詰まる葵。紫穂の方は対照的に平然と肯定する。そんな彼女を葵はキッと睨みつけるが、それでも彼女は表情を変えない。
出会い頭から横島の心を読んでいた彼女には、彼の次の行動が予測できているのだろう。
「待ってろ薫ー! にいちゃんが今行くぞーーーっ!!」
思い切り吠えた。周囲の人目があるにも関わらず。
こうなると予測していた紫穂は口元に小さな笑みを浮かべ、葵は呆然とした表情でその背中を見つめていた。
「と言うわけで、困った時の文珠頼み!」
「待つんだ、超能力犯罪と戦うのは我々B.A.B.E.L.の仕事だ」
先程まで「覗」の文字が浮かんでいた文珠の文字を変えようと輝かせる横島。しかし、それを皆本が止める。
「でも、ECMってヤツのせいで薫達は超能力を使えないんだろ!?」
「わかっている! だから、武装した部隊を送り込んでECMを停止させる!」
「その部隊はどこなんだ!?」
「それは…」
準備をするにも時間がかかる。しかし、こうしている間にも薫は危機に晒されているかも知れない。
横島は今すぐにでもデパート内に突入したいが、皆本にしても一応は「一般人」である横島を一人行かせるわけにも行かない。
二人が揃ってやきもきしていると、そんな彼等の前に一台の高級車が飛び出してきた。
「え?」
「い、今のはまさか…」
呆気にとられる皆本に対して、横島は目を丸くして顎を落とす。
そのまま勢いをつけて通り過ぎて行った車に、自分の父大樹が乗っていたのが見えたのだ。
「って、あの車デパートに突っ込んだで!?」
「ナイス親父!」
言うやいなや、あまりにもな展開に唖然としている桐壺と皆本を尻目に、横島は大樹の乗っていた車を追ってデパートの中に入っていってしまった。
大樹の車がデパートに突入した音は百合子達の元にも届いていた。
想像以上に早い展開にマリアは眉を顰める。B.A.B.E.L.の特務エスパーがここに到着しても、ECMがあるため彼女達には何もできない。それから突入部隊を準備するにももう少し時間がかかるはず。それが彼女の考えだった。しかし、現に階下に何かが突入していきている。
「遊んでる暇はなさそうね…」
「そういう割には、随分と余裕じゃないか」
指を鳴らして微笑む百合子に対して、マリアは彼女を見下すように不敵に笑う。
どんな武器を繰り出してくるかと百合子は警戒していたが、マリアは意外にも徒手による戦いを挑んできた。ライダースーツで格闘する彼女の姿はまるで映画だ、年齢を考慮しなければ。
相当喧嘩慣れしているのか、テロリストであるマリア相手に百合子は互角の戦いを繰り広げ、当の目的であったはずの薫は既に蚊帳の外となっている。
「いーもんいーもん、落書きしてやる、えい」
仕方ないので、薫は気絶しているアメリアの顔に落書きする事にした。
一方、デパートの一階では大樹とクロサキが『普通の人々』を相手に奮戦していた。
多少荒事に慣れている程度では大樹の相手にはならない。ナルニアの村枝商事は何度も現地の武装ゲリラに襲撃されている。そこの支社長なのだ、彼は。
「支社長、お手柔らかに。もみ消しが面倒なので」
「わかってる。しかし、ほんとに『普通の人々』だな。武装ゲリラの方が手強いぞ」
せっかく持ってきた『秘蔵の物』を使うほどでもなくて大樹はどこか不満顔だ。クロサキの方はどこか懐かしそうにしているが、きっと気のせいだろう。
その時、横島が二人に合流した。
「親父!」
「ん、忠夫か。こんな所で何やってんだ」
「え、いや、喫茶店でおふくろ達を待ってたらこの騒ぎで…」
普段と違って真面目な顔を見せる父に戸惑い、横島は言葉を詰まらせてしまう。
「お前ら、今日は何を買いに来たんだ?」
「薫の服だけど」
「忠夫を置いて二人だけで…そうか、下着を買いにいったんだな」
「…となると、西側のエレベーターを利用しようとしていたはず。こちらです支社長」
それだけ言うと颯爽とその場から駆け去る大樹とクロサキ。その後姿はどこかの映画スターを彷彿とさせ、残された横島は唖然とするばかりだ。
「この展開、何?」
取り残された横島がそう呟いてしまうのも無理はないだろう。
横島が我に返り大樹達を追い、皆本達が部隊を突入させた頃、百合子とマリアの戦いはクライマックスを迎えていた。
薫は先程買ったお菓子を片手に完全に観戦モードに入っている。アメリアの顔は落書きし尽くしてもう描くスペースが無い。
「モンスターに与する裏切り者が!」
老女とは思えない動きで繰り出されたマリアの拳が百合子の額に突き刺さる。しかし、百合子はのけぞる事もなくそれを受け止めた。
「何度も何度もモンスターって、うちの娘を化け物扱いしてんじゃないわよ」
滲んだ血が額から流れるが、そんな事は気にも留めない。
「娘? お前は戦車を吹き飛ばす、いつ爆発するかわからないような爆弾を家族だと言うのか!」
百合子がマリアの襟を掴み、マリアは拳でそのまま押し切ろうとする。
身長はマリアの方が高いため百合子が上から押さえ込まれている形になっているが、百合子はそれでも負けじとマリアを睨みつけた。
「馬鹿げている! 貴様は無知なだけだ、世界を見ろ! 今この時も超能力による犯罪が行われているんだ! あってはならないんだよ、超能力はッ!!」
「関係あるかーーーッ!!」
勢いで額の拳を押し返し、そのままマリアの顎に百合子の頭突きが炸裂する。たまらずのけぞるマリア、百合子の方にもダメージがあったのか少しよろめいている。しかし、掴んだ襟は離さない。
「超能力があるから? アホか、あんたは…超能力があろうとなかろうと悪いヤツは悪い!」
「クッ…」
「子供がそうならんよう躾けるのが、親の義務やろが!」
凍てついた氷山が怯んだ。本能的に察知した百合子はここが勝機だと空いた手でもマリアを掴み―――
「日本のおかんをなめんなーーーッ!!」
―――見事な一本背負いを決めてマリアを床に叩きつけた。
「…貴様の、言っている事は、荒唐無稽な理想だっ…暴走する超能力相手に、ただの人間ができる事など…」
「まだわからんのかい」
先程までとは逆にマリアを見下ろす形となった百合子は、どこか物悲しい、しかし優しい微笑みを浮かべてこう言った。
「『ただの人間』やない、『母親』や」
「………」
窓から差し込む夕日を背にした百合子の姿に「母は強し」、そんな言葉が思い浮かぶ。
完全なる敗北を悟り、マリアは何も言えなくなってしまった。
「それじゃ、あんたもいっとくか?」
その彼女の元に、猫のような笑みを浮かべた薫が油性マジック片手に迫っていた。
結局、横島達三人と皆本達がその場に辿り着いた時には、マリアの顔は落書きで埋め尽くされていた。
そこで家族四人が揃ったのだが、娘に会う事を主な目的に日本へ一時帰国した大樹もこの状況では流石に百合子の方を優先した。
「忠夫、薫の方を頼む」
「おう」
それだけ言うと大樹は百合子の元に向かい、彼女に肩を貸して助け起こす。
薫は横島の姿に気付くと嬉しそうに抱きついてきた。
「なぁなぁ、おふくろすごかったんだぜ! にいちゃんにも見せてやりたかったなー」
「俺はもうイヤと言うほど思い知ってるから」
「それで、親父はどこなんだ? 来てるんだろ?」
横島に抱き上げられた薫がきょろきょろと周囲を見回す。
横島の指差す先を見ると、そこには百合子に肩を貸す大樹の後ろ姿があった。
「ちぇ、やっぱ娘より自分の奥さんかよ」
「そうしないと後が怖いからな」
横島の言葉に笑う薫。確かにそうだ、ここで彼女を放って自分のとこに来たら、きっと大樹は後で百合子にお仕置きされる。その様が容易にイメージできた。
そのまま二人も事後処理はB.A.B.E.L.に任せてデパートを出る。
その姿を見送った葵がポツリと呟いた。
「…なんて家庭や、薫のキャラが薄くて目立ってない」
B.A.B.E.L.の面々もその言葉を聞いて頷いていた。
「おーい、忠夫こっちだ」
デパートを出たところで大樹は横島達を呼び寄せる。
そこにクロサキの姿はないが、彼は先程言っていた「もみ消し」のために動いているのだろう。
「ん、その子が薫か?」
「え、ああ」
父親に会える。薫の顔から喜びが溢れ出そうになる、しかし…
「…その子、俺の娘じゃないと思うぞ」
その大樹の言葉が薫を突き落とした。
「は? いきなり何言ってんだよ、おふくろにはもうバレてるんだから」
「いや、もし明石君との間に子供がいるとすれば、その子はお前と同い年か一個下だ。明石君が退職したのは十五年も前の話なんだからな」
「それって…」
「どーいう事ですか、横島さん!」
呆然とする横島。
近くで話を聞いていた皆本達もそれは同様だった。皆本が大樹に掴みかかっている。
横島はクロサキに問い合わせた時「明石」と言う姓だけを伝えた。そして、クロサキが薫について調べた時、B.A.B.E.L.によって伏せられていたため、薫の家族については知る事ができなかった。その二つの事実から誤解が生まれていたのだ。
「ウソだ! ウソだー!」
「あ、薫っ!」
薫が繋いでいた手を振り払い走り去った。横島もすぐさま駆け出し後を追う。
「おっさんタイミング悪すぎるわー!!」
「薫ちゃん、お兄さんができてホントに喜んでたのにー!!」
直後、大樹は葵と紫穂の一撃を食らい、倒れ、
「あんた、忠夫と同い年か一個下って事は…私が初産で難儀してる頃の話やないかー!!」
「ああ、しまった!」
直後、百合子の怒涛のお仕置きを受けて完黙した。
追撃をかけようとしていた葵と紫穂も、この惨状を目の当たりにしてしまっては、もう何もする事ができない。
「しゃーないなぁ…紫穂、うちらも追うで」
「まかせて、こっちよ」
そのまま二人はそれぞれの超能力を駆使して薫を追うべくその場から姿を消す。
「局長、どうしましょう?」
「人の家庭に問題に立ち入るべきではないと思うが…このまま撤収と言う訳にはいかんだろうネ」
そして、極めて一方的な「夫婦喧嘩」を前にして、取り残された皆本達B.A.B.E.L.の面々は頭を抱えていた。
「うぅ、チクショー…」
辺りが夕闇に染まる頃、薫は郊外に立つ送電塔の中ほどで膝を抱えていた。
葵と紫穂の二人は既に到着し、葵の瞬間移動を駆使して薫の隣まで来たはいいが、何と声を掛ければいいのかわからず、ただただ一緒になって腰掛けている事しかできない。
二人も、ここまで悲しむ薫は見た事がなかった。
彼女達も家庭的にはそう恵まれている訳ではない、不幸だ、不幸だと嘆く気も無いが。
それでも「普通の家庭」と言う物に対する憧れはある。そして薫はそれを得かけていたのだろう、それを失ったからこその嘆きだ。
「なぁ薫、横島はんちってどんなとこ? 本格的にGSになって一年も経ってないって話やから、あんま金は持ってへんのやろ?」
そう言って笑う葵。冗談で元気付けようとしたのだが、薫は反応を返さない。
「にいちゃ…横島は、超能力とか関係なしに、ホントににいちゃんみたいだったんだ…」
「そう…」
「………」
「念動力で道路に叩きつけてもすぐに立ち上がって…」
「そ、それは、やり過ぎやろ」
「プロのGSなんだから、皆本さんよりタフだと思うけど」
葵の方が冷や汗を流していた。
「でも、もう終わりだよ! 兄妹じゃなかったんだから!」
「…そうかしら?」
しれっと言う紫穂を睨みつけた薫は思わず拳を振り上げようとするが、その直前で薫の腕を葵が掴む。
「葵、止めんな!」
「止めるに決まってるやろがっ!」
そのまま薫は怒りの捌け口を葵に移そうとするが、その前に紫穂がにっこりと場違いな笑みを浮かべる。
そして、笑顔のまま人差し指を立てて、ある提案を薫に持ちかけた。
「賭けをしましょう、横島さんが薫を迎えに来るかどうか。居場所は制限装置の中の発信機ですぐにわかるわ」
「来る訳ねーだろ! あたしは『超度7』なんだぞ!!」
「じゃ、私は来る方に賭ける」
そう言ってにっこりと笑う紫穂。その姿からはどこか余裕が感じられる。
それもそのはずだ、紫穂は中武デパートで会った時にも横島の心を視ている。彼をからかうためではない。紫穂も彼女なりに薫の事を心配していたため、彼が薫の事をどう考えているか確認していたのだ。
だからこそ紫穂は自身を持って言い切る事ができた、横島は必ず薫を迎えに来ると。だからこその余裕と言う訳だ。
「ぽ〜〜〜〜〜」
どこからか声が聞こえてくる。
郊外のこんな場所に誰が来るのかと葵が周囲を見回してみるが、人影は無い。
「…ハニワ?」
呆然と空を見上げる紫穂につられて葵もそちらを見ると、そこには飛行機雲で一本の線を描きながら夕焼け空を飛ぶハニワの姿があった。薫もまだ個別認識できていないが、それは目付きの悪いハニワ兵だった。ちなみに、他のハニワ兵に飛行能力は無い。
「ぽっ!」
そのまま逆噴射をしてゆっくりと薫達の隣に降り立つ目付きの悪いハニワ兵。薫が伏せていた顔を上げると、その顔を確認した彼女は夕日に向かって「ぽ〜〜〜〜〜!」っと大声を上げる。
「こ、コレ生きてんの?」
「………」
初めて見るハニワ兵に葵は好奇心に目を輝かせ、紫穂は心を読むべきか、読まざるべきかと指をうずうずさせて迷っていた。
先程の大声は仲間への連絡だったらしい。数分後にはそれぞれハニワ兵を一体連れた横島達が送電塔の周囲に集まった。
横島の家に住む者達だけでなく、タイガー、ピート、雪之丞の三人、それに六道の生徒達も集まっている。薫の知らない顔もいると言う事は、昨日横島の家に来ていなかった者もいるのだろう。百合子もボロキレのようになった大樹を引きずって駆けつけていた。
「薫ー! 降りて来ーい!!」
「ここはあんたが迎えに行きなさい!」
下の方で横島が大声を張り上げ、その後頭部をタマモが蹴飛ばしている。彼女の言う通りだと思ったのか、横島はもの凄いスピードで送電塔を登り、薫達の所までやって来た。
「薫!」
「何しに来たんだよ!」
「何しにって…迎えに来たに決まってるだろ! とりあえず、ここから降りるぞ!」
「おい、離せよ!」
有無を言わせず薫を抱え上げた横島は、そのまま送電塔から地面に向けて飛び降りた。葵達も瞬間移動でその後を追う。
「さ、早く帰るぞ薫」
「帰るってどこにだよ! あたしの事は放っとけばいいだろ!?」
「なんでそうなるんだ!」
「それはこっちの台詞だッ! 妹じゃなかったんだぞ! 血の繋がりなんかなかったんだぞ!!」
「それは…」
そう言われると横島も何と答えれば良いかわからない。
彼自身、薫の事を本当の妹のように考えていたと思う。妹と言うのがどういう物なのか、正直なところまだよくわかっていないが、家族として心から受け容れていた事は確かだ。
しかし、赤の他人であった事が判明してしまった。「兄妹だから」と言う、一緒に暮らす理由が消えてしまった。
周囲の皆も何と言えばいいか分からずおろおろとする中、呆れたような座った目をしていたタマモが、今にも念動力で飛び去りそうな薫の動きを遮って横島に声を掛けた。
「横島、今まで世話になったわね」
「は?」
いきなり何事かと反応できない横島を無視して次に動き出したのはカオス。
「マリア、ワシ等も元のアパートに戻るとするかの」
「イエス、Dr.カオス」
「私も学校に戻らないとダメか」
次々と横島と一緒に暮らす面々が薫と同じく家を出ていくと言い出す。
横島は呆然と立ち尽くし、薫も急な展開についていけない。しかし、自分がこんな悲しい思いをして家を出て行こうとしている時に、出て行く必要など無いのに出て行こうとするタマモ達に対して、薫は無性に腹が立った。
「お、おい…何言ってんだよ! 出ていくのは血の繋がりの無いあたしだけだろッ!?」
「ハッ、あんたやっぱり横島妹ね」
怒声をあげる薫に対しては、タマモが皆を代表して鼻で笑う。
「自慢にもならないけど、ウチにはね…元々血の繋がってるヤツなんていないのよ!」
「ッ!!」
「馬鹿な事やってないで、とっとと帰るわよ。あんた宛の荷物が庭に積み上げられてるんだから、夕飯までに片付けなさい」
それだけ言うとタマモは踵を返してスタスタと歩いていき、カオス達もそれに続いた。「なんで私がガキの面倒見なきゃいけないのよ」と言う彼女の言葉に周囲の皆は苦笑している。
「あたしは、あたしは…」
タマモに対して何も言い返せなかった薫は顔を伏せて肩を震わせている。
そんな彼女の肩に横島はそっと手を添え、薫は涙を堪えた瞳で彼の顔を見上げる。
優しげな笑みを浮かべた横島は彼女に対して一言こう言った。
「薫…」
「にいちゃん…」
「安心しろ、にいちゃんの方がよっぽど危険人物だ! にいちゃんは危険物でもこんなに元気だぞ!」
「アホかぁーーーッ!!」
どうやら、その言葉は彼女のお気に召さなかったらしい。
しかし、どこか吹っ切った少女は怒った表情を見せながらも、血の繋がらない兄を引き摺って帰路についたそうだ。騒がしくも暖かい我が家へ帰るために。
その晩はそのまま横島家に泊まった薫だったが、結局は元の鞘に収まる事となり、兄妹の同居生活はたった二日で幕を閉じる事となった。
百合子も大樹を連れて都内のホテルに泊まる事にすると連絡があった。下手に自分が口出しするより横島と薫二人だけにした方が良いと判断したようだ。後で電話を受けた横島が怯えていたので、軽く脅しも入っていたと思われる。
B.A.B.E.L.では皆本、桐壺の二人がどうにかして横島と薫を一緒にいさせようと努力したが、横島がGS協会の若手ホープであり、薫がB.A.B.E.L.の誇る『超度7』の特務エスパーであるという立場がそれを許さないと言う、所謂「大人の事情」によりそれは叶わなかった。
翌朝、申し訳なさそうな顔をした柏木が迎えに来て、皆が薫を見送るために玄関先に集まる。
「せっかく、薫ちゃんの部屋の荷物が届いたのに、残念だったわね」
「わりぃな、これでもあたしは特務エスパーだから」
本当に残念そうな愛子に対して薫は笑うが、その笑顔にはどことなく力がない。そんな薫の前に、マリアの背を押された横島が飛び出してくる。
「に、にいちゃん…」
「あー、その、なんだ」
「………」
しどろもどろとしていた横島だったが、すがるような薫の視線と、背中に突き刺さるような皆の視線を受けて覚悟を決める。
「先に断っておく、俺はお前に迫られても別にドキドキとかしなかったぞ」
「はぁ?」
「つまり! これから言う事は別にやましい下心があるとかじゃなくてだな…」
「だから、何なんだよ?」
恥ずかしいのか、横島は咳払いを一つしてから続ける。
「要するにだ、今度こっちに来れる時は友達も連れて来い」
「! い、いいのか…?」
ハッと顔を上げて薫が横島の顔を見上げるが、横島は自分でも似合ってないと思っているのか、照れてそっぽを向いていた。
「あー、お前の部屋もあのままにしとくぞ、念動能力無しに片付けるのが面倒だからな」
「文珠使えば楽勝でしょうが」
「テレサ・今は・突っ込んではいけ・ません」
マリアがテレサの口を押えて引っ込ませるその姿に、思わず薫の顔に笑みが浮かぶ。
「べっ、別に寂しくなんかはないぞ!」
「無理すんなって♪」
ようやく少女の顔に本当の笑顔が戻った。
たった二日の付き合いだが、これでこそと思わせる花の様な笑顔に皆の顔にも安堵の笑みが浮かぶ。
「それじゃ、にいちゃんが寂しくなる前に帰ってくるから!」
「人の話を聞け!」
しかし、薫は横島の話を聞かずに走り出す。そして、柏木の用意した車に乗り込む直前、彼の方へ振り返り大きく手を振った。
「それじゃ、いってきまーす!」
「おう、がんばってこいよー!」
こうして、突如横島家を襲った嵐のような二日間は過ぎ去った。
百合子達は大樹が仕事を放り出して帰国していたため、その日の内にナルニアへと戻り、当の嵐の様な少女は笑顔で去っていった。その小さな胸に一つの絆を抱いて。
「…って訳で、二人も連れてきていいって事になったんだ」
「ほんまか!?」
「確か医学検査の日が近かったわよね。その前日に皆でお邪魔しましょうか」
「あ、それ賛成ー」
「あたしに感謝しろよ、お前ら!」
もっとも、その嵐はほんの数日後に更に勢力を強めて再び訪れる事となるのだが、その事を知るのは当の三人の少女のみだった。
おわり
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