「これでよしと…」
放課後の麻帆良女子中の正面玄関ホールに怪しげな影が一つあった。小さなそれは人の影ではない。
「へっへっへっ、真祖と戦うのにGSの力を借りるのはいいとして。やっぱり仮契約(パクティオー)の一つでもやっとかないとな。ペットとして」
その正体は、ネギのペットのカモだった。
ペットとして受け容れられたものの、やはり下着ドロの罪から逃れてきた身なので、本国に強制送還されないようにペットとしてこれだけ役に立っていると言う実績を作っておきたいのだろう。
昨日の「ネギ先生を元気づける会」に集まっていたネギの生徒達を見て、ネギに対して明らかに好意を寄せている少女、宮崎のどかを『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』にしてしまおうと、彼女を呼び出す手紙を靴箱に仕込んだのだ。もちろん、ネギからの手紙だと偽っている。
この宮崎のどかと言う少女は、クラスメイト曰く顔を出すと可愛いとの事だが、彼女は長い前髪で顔の上半分を隠している。
ネギが麻帆良女子中に赴任したての頃に階段から落ちかけた彼女を魔法で助けた事があり、彼女もそれ以来ネギの事を意識しているようだ。人の好意を測ることのできるカモから見ても、現時点でネギへの好意がクラスで一番であることは間違いない。
だからこそカモは彼女を選んだのだ。現在は恋人探しの口実となっているネギの仮契約者候補として。
「さぁーて、次は兄貴の方だ!」
そう言って、いやらしい笑い声を上げながらカモは走り去る。
可愛らしいオコジョの外見とは裏腹に、やけに親父臭い笑い声だった。
「ん?」
「アスナ、どうかしたの?」
「いや、何かみょーな笑い声が聞こえたような…」
その時、アスナは和美と一緒に報道部の部室に居た。ここにはインターネットに接続できるパソコンがあるので、ここでGS協会のサイトを見ようとしているのだ。
慣れているのか和美が次々と画面を切り替えて目的のサイトに辿り着く。アスナは機械の類が苦手なのでちんぷんかんぷんだ。
「横島忠夫…お、いたいた」
「ホント!?」
「あ〜、この人が受かった時の試験、事件があって記録残ってないわ」
「えぇ〜」
メドーサが火角結界で吹き飛ばした…と思わせて、実は火角結界を止めようとした小竜姫の竜気の余波で記録媒体が全滅したあの試験の事だ。
これでは本人か同姓同名の別人か、写真がないので確認できない。しかし、横島は事務所を持っているとの事なので他にも調べる方法はる。和美はめげずに更に調べを進めていった。
「事務所は…東京都の豊島区雑司が谷か、最近できたとこみたいだね」
「そりゃ、まだ高校生だしね」
アスナもモニタを覗き込むが、事務所の情報を見ても横島個人については当たり障りのない事しか書いていない。
紹介文の中に「妖怪との共存を目標に掲げている」と一文があるのを見つけ、要するに「皆仲良くしよう」って事だと判断したアスナ。その時彼女の脳裏に浮かんだのは、エヴァに遊ばれながらも結局戦いそのものは有耶無耶にした横島の姿だった。あの姿は、まさにこの一文に当て嵌まらないだろうか。少し違うが、アスナはそう思った。
「でも、事務所があるのに何で麻帆良に来たんだろ?」
「さ、さぁ? 仕事の都合とかじゃない?」
アスナは、ネギ達魔法使いが関わっているのだろうと考えていたが、その事を和美に漏らすわけにはいかないので、適当に誤魔化した。
「お、経歴のとこ見てみなよ。美神令子除霊事務所の出身だってさ」
「えっ、あの美神令子の?」
現役GS最高峰と謳われる美神令子の事は、GSに憧れるアスナだけでなく和美も知っていた。良くも悪くも有名なので当然の事だろう。実際、彼女に憧れてGSを志す者は少なくない。アスナも違うとは言い切れないだろう。
「美神令子の関係者なら、オカルト業界じゃ名門じゃない?」
「う〜ん、でも美神令子と横島さんって、何かイメージ違うような」
「と言うと?」
「『お金のためなら何でも除霊する』ってタイプじゃなさそうなのよねー」
昨日エヴァが言った横島評そのままである。
しかし、そんな事を知らない和美は別の意味で受け取った。
「へぇ〜…」
「な、何よ、ニヤニヤ笑って」
「いや、昨日会ったばかりなのに、やけに詳しいって言うか…結構、信頼してる?」
「そんなんじゃないってば、昨日会ったとこなんだし。なんて言うんだろ、『親友』…は違うか。そうねぇ、一言で言えば…『戦友』ってヤツ?」
「何それ?」
アスナ自身横島の事を詳しく知っているわけではないが、昨日一緒にエヴァから逃げ回った事により、彼女の中で『戦友』のような感覚が芽生えかけているのは確かだ。ネギが横島を頼ると言い出せば、安心して「そうしなさい」と言えるぐらいに信用はしている。
昨日の出来事を知らない和美が聞いても訳が分からないのも無理はないだろう。
横島は『文珠使い』としてGS協会に登録されているが、それぐらいの重要な情報となると、流石に不特定多数が見ることのできる場所には置いていない。
アスナ達がGS協会のサイトで調べられるのはここまでのようだ。
「でも、美神令子って言ったら世界有数のGSでしょ? それ考えたら横島さんも相当のGSだと思うよ。詳しくは突撃インタビューを待てってとこだけど」
「やっぱり、そうなのかなぁ」
「ぶっちゃけさ、アスナが弟子入りするかどうかより、弟子入り断られる可能性の方が高いんじゃない?」
「う゛…」
和美の指摘に呻くアスナ。今まであえて考えないようにしていたが、確かにその可能性の方が高いのだ。今のアスナはオカルトに関しては憧れているだけの素人に過ぎない。
確実に言えることは、ここで足踏みしていても先には進めないと言う事。
せっかく、目の前に憧れの世界への入り口が開いているのだ。ここは駄目元でも飛び込んでみるしかないのだ。
「…朝倉、ありがと。私、とりあえず行ってみるわ」
「うまく行ったら、ネタにさせてよね!」
和美なりの励ましに、小さな笑みで返したアスナ。
勢い良く立ち上がったまでは良かったが、そのままの状態でピタリと止まり、そしてブルブルと震えだした。どうにもまだ踏ん切りがつかないようだ。
元気と言う言葉を体現したような少女であるアスナだが、実はこういう状況に弱い面があったりする。
「アスナ、ここは勢いで突っ走りなよ。もし、GSの仕事が短期間のだったらどうすんの。アスナが踏ん切りついて弟子入り頼む頃には帰っちゃってるかもよ?」
「…いい、それならずっと憧れだけで、私」
「ダメだこりゃ」
相当重症だ。
アスナの口から虚ろな笑いが漏れていた。
そのまま立ち上がると、フラフラ〜っと報道部の部室から出て行ってしまうアスナ。
横島の情報を聞いた事で、かえって彼を遠くに感じてしまったようだ。
見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.03
そんな少女達の話題の的になっていた横島忠夫が現在何をしているかと言うと…。
「横島、尋常に勝負しろォーーーッ!」
「野郎に追い掛け回されても嬉しくないっちゅーねん!」
昨日に引き続き鬼ごっこを繰り広げていた。ただし、昨日のようにアスナを連れ、エヴァ、茶々丸に追い掛けられると言った華やかなものではなく、男臭い豪徳寺薫との一対一と言う、横島にとっては苦行以外の何物でない地獄絵図であった。
追い掛け回す側の豪徳寺は、それなりにこの鬼ごっこを楽しんでいたりする。
「受けてみろ! 喧嘩殺法未羅苦流究極闘技(ケンカサッポウ・ミラクル・キュウキョクトウギ)!」
「どこの流派だ、それは!?」
「超必殺・漢魂(オトコダマ)ッ!!」
「のわーっ!?」
豪徳寺の必殺技である遠当て「漢魂」を大騒ぎしながらあっさりと避けてしまう横島。
一時代前の不良少年にしか見えない豪徳寺だが、これでもれっきとした『気』の使い手であある。
裏の魔法使い達とは一切関わりがないが、一般人の中では頭抜けた実力者なのだ。霊力と気の違いはあるが、GS資格取得試験を受験すれば、それなりに良い成績を残すだろう。
「…試験に出てきたら、あの外見だけでタイガーより目立つんだろうなぁ」
それは言わぬが華である。
閑話休題。
「やるじゃねぇか! そうこなくっちゃな!」
「ええい、このバトルジャンキーがっ! どこにでも棲息しとるのか、お前みたいなヤツは!」
避ける横島の姿を見て何故か嬉しそうな豪徳寺。横島はその姿に雪之丞の影を見ている。
「この道は…麻帆良女子中か、さてはお前、中武研の関係者だな?」
「知らんわっ! 昨日来たばっかだから、他に道を知らんだけじゃーっ!!」
『中武研』とは中国武術研究会の略称だ。
アスナのクラスメイトである中国からの留学生、古菲(クーフェイ)が部長を務めるクラブで、古菲が昨年の総合格闘技大会『ウルティマホラ』の優勝者であるため、学園都市全体に名が知れ渡っている有力クラブの一つでもある。
ちなみに、中武研は麻帆良『女子中学校』のクラブなので横島がその関係者であるはずがない。この場合は「部長古菲の関係者か」と聞くのが正しいだろう。
しかし、横島は中武研の事も古菲の事もまったく知らない。
土地勘がないため、見知らぬ場所で袋小路に逃げ込んで追い詰められるのを避けるために、昨日アスナ達とさんざん走り回った麻帆良女子中周辺に向かっているに過ぎなかったりする。
いざと言う時は豪徳寺を痴漢か覗きかに仕立てて、彼を女子生徒の生贄にして逃げ切ることも考えていた。
「なるほど、戦場を選んでいるのか。道場でスポーツ格闘技をやってるだけの連中とは違うようだな!」
「何で俺の回りにゃこんなのばっかしー! 『キーやん』のアホー!!」
何故かますますエキサイトする豪徳寺に思わず悲鳴交じりに『キーやん』に対する恨み言が漏れる横島。ここ麻帆良学園都市にはミッション系の聖ウルスラ女子高等学校もあるので、その関係者に聞かれれば怒られてしまったかも知れない。幸いにもここは麻帆良女子中のエリアであるため聞かれる事はなかったようだが。
「こうなったら!」
言うやいなや方向転換をする横島。土地勘はなくとも遮蔽物の多い方へと逃げて相手の視界から消える作戦に出た。それで豪徳寺が横島を見失ってくれればしめたものだ。
横島が巧みに茂みの中を進んで行き、豪徳寺がわずかな音を頼りにそれを追う。
昨日の騒がしさとは裏腹に、今日の鬼ごっこは静かな戦いの様相を呈してきたようだ。
「童心に帰って楽しく鬼ごっこ…なわけねーだろ、コンチクショー!」
「そこかっ!?」
ただし、横島は騒がしかった。
「兄貴、大変だーっ!」
「カモ君!?」
兄貴とは言うまでもなくネギの事である。
授業を終えての帰り道、ネギは大声を上げながら走ってくるカモを見て慌てて彼に駆け寄る。周囲を見回してみるが人影はないようだ。
「ダメじゃないか、こんな場所で喋っちゃ」
「そんな事より大変なんだよ、兄貴! 兄貴の生徒の宮崎のどかってのが不良にカツアゲされてるぜ!」
「ええ、カラアゲ!?」
ネギは「カツアゲ」と言う言葉を知らなかった。
しかし、カモの様子から穏やかな状況でない事は分かる。ネギは慌てて周囲に人影がない事を確認すると、杖に跨り空を飛んでのどかの救出に向かった。
既にお分かりだろうが、カモの話は真っ赤な嘘だ。
のどかは今頃、カモが仕込んだ手紙を見つけて約束の場所、女子寮の裏に行っているはず。後は二人を会わせて、ネギを適当に言いくるめて仮契約させてしまえばいい。
計画は完璧だ。カモはネギの肩に乗ってオコジョにあるまじき凄みのある笑みを浮かべている。
数分後、この笑みは木っ端微塵に砕け散る事になる。
まさか、のどかが不良以上のトラブルに巻き込まれるとは、この時点のカモには想像することもできなかったのだ。
隠れよう隠れようと茂み、路地裏と目立たない所を逃げ回っていた横島はいつしか見知らぬ場所に辿り着いていた。彼は知らないが、ここはアスナ達が暮らす女子寮の前だ。時間は既に放課後なのでまばらながらも寮生の少女の姿が見える。
普段アスナ達が電車を使って通学している事を考えれば、逃げ回っている内に随分と遠くまできたものだ。妙神山を毎日往復していた横島は慣れたものだが、なかなかどうして豪徳寺も鍛えている。
「…やばいな。ここにいたら、変質者扱いされかねん」
女子高生、女子大生ならともかく、女子中学生で変質者扱いは流石に横島も勘弁してもらいたい。
横島は、できるだけ平静を装ってその場から立ち去ろうとしたが「見つけたぞ、横島!」豪徳寺が追いついて来たので、慌てて女子寮の裏手へと逃げて行った。
「ネギ先生…わ、私なんかがパートナーで、いいのかしら…」
しかし、そこは奇しくもカモがのどかを呼び出した場所だった。
鉢合わせになってしまい、横島は咄嗟の判断でのどかの口を押さえて手近な茂みに飛び込んだ。ここに残していては豪徳寺が彼女を問い詰めると思ったのだ。
「きゃっ…!」
「しーっ! 追われてるんだ、少し静にしてくれ」
『追われている』と言う言葉にのどかは少し顔を青くし、二人は息を潜めて茂みの中でしゃがみ込む。
横島は悟った。ここが逃亡劇の終着点だと。
ただし、結末は二種類。豪徳寺が彼を見つける事ができずにこの場を去れば、後は悠々と寮に帰るだけ。
逆に見つかれば、のどかを置いて逃げる事はできないし、連れて逃げるのも無茶な話。
どちらにせよ逃亡劇はここで終わるだろう。
先程の小さな悲鳴を聞きつけたのか、すぐに豪徳寺がその場に現れた。
リーゼント頭の彼の姿を見て、茂みの中ののどかは悲鳴を上げかけて慌てて口を押さえる。
どうやら彼女は豪徳寺を横島を追う不良生徒と誤解したらしい。
「そこの不良生徒さん! のどかさんをどこへやったんですか!?」
「む…子供?」
そして、今度はのどかを助けるために飛んで来たネギと豪徳寺が鉢合わせしてしまった。
「のどか? 知らないな、そんな女子は」
「とぼけないでください! 貴方がのどかさんをカラアゲにした事は分かってるんですよ!」
「か、唐揚げ?」
豪徳寺の外見に問題があったのだろう、ネギも完全に誤解してしまっている。そしてカモは予想外の出来事に肩の上で慌てていたため、フォローする事もできずにいた。
そして、豪徳寺も急に「唐揚げ」などと言われて訳が分からず戸惑っている。
一方、茂みの中で声を潜めて会話する二人。
「…君がのどかちゃん?」
「あ、あの……ハ、ハイ、そうです」
「唐揚げって何のことだ?」
「………さぁ?」
こちらもやはりネギが何を言っているのか理解できずにいた。
今は茂みの外でネギが大声を出しているので、二人の声は外に届いていない。
状況はよく分からないが、ネギは豪徳寺を悪者だと思っているらしい。
横島がどうするべきかと悩んでいる内にネギが杖を構えた。のどかの姿が見えないため相当焦っているらしい。魔法を使ってでも豪徳寺を倒そうと言うのだろう。
しかし、ネギの魔法は隠していなくてはならないのだ。こんな所で使用するのがタブーである事は横島にも分かる。
いっそこのまま豪徳寺を悪者にしたてて、自分は逃げてしまおうかと考えていた横島だったが、これには慌てて茂みから飛び出した。こういう時こそネギをフォローしなくてはなるまい。
「ネギ! のどかちゃんとやらならここにいるぞ!」
「あっ、横島さん!」
「横島、そこに居たのか!」
これで事態は収束するかと思われたが、そうは問屋が卸さなかった。
「横島、貴様…」
そう、最後は豪徳寺が誤解する番だったのだ。
「貴様そんな所に少女を連れ込んで何をやっとるかァッ!!」
漢が吼えた。
そのままの勢いで横島に殴り掛かり、横島は咄嗟にそれを受け流してのどかを巻き込まないように茂みを飛び出して場所を移動しようとする。しかし、豪徳寺はこれ以上の逃げを許さない。
「!? やっぱこいつ、何かの力を持ってる!」
「やっぱりお前にも分かるのか、横島!」
ニヤリと笑う豪徳寺。その身体には溢れ出さんばかりの『気』の力が漲っている。
そして、二人の戦いの幕が開いた。
「…ったく、何やってんだよこいつらは」
横島達はこれからが本番だが、ネギ達の方は落ち着いてきたところでカモがぼやく。
「せっかく俺っちが兄貴に仮契約してもらおうとのどかの嬢ちゃんを呼び出したってのに」
「え! カモ君、そうだったの!?」
ネギは驚きの声を上げるが、カモは悪びれずにネギを丸め込みにかかる。
これは逆転のチャンスだ。同じ場にいるが横島と豪徳寺、ネギとのどか、両者の状況は完全に分断されている。
何より、突然目の前で喧嘩が始まったためネギものどかも混乱して正常な判断力を失っているだろう。今この場で仮契約させてしまおう。カモはそこに活路を見出していた。
「すまねェ、兄貴。でも、これも兄貴を思ってのことなんだ」
『魔法使いの従者』は魔法使いを守り助ける者、そして魔法使いが従者に魔力を供給することで血行促進、精力倍増、お肌もツルツルになり、肉体的にも精神的にも大きくパワーアップできるとカモは言う。
そしてこうも言った。エヴァとの戦いのために横島に力を借りるのはいいが、やはり従者の一人でも連れていないと魔法使いとして格好がつかないと。
「兄貴は『偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)』を目指してるんだろ? だったら、仮契約ぐらい軽くこなさねぇと! ただ、魔法が使えるだけじゃ『偉大なる魔法使い』には届かねぇぜ!」
「そ、それはそうかも知れないけど…」
ネギは揺らいでいる。
この少年の中で『偉大なる魔法使い』という言葉は、それだけ重い意味を持っているのだ。
「はっはっはっ、やるじゃないか横島!」
「喜ぶな! 俺はお前と違って、そんな奇特な趣味は持ち合わせとらん!」
「あ、あのネギ先生…」
「のどかさん!」
一人取り残されていたのどかがネギの元に駆け寄ってきた。こういう時は流石横島と言うべきか、茂みに飛び込んでいたと言うのに彼女には怪我一つない。
その姿を見てほっと胸を撫で下ろしたネギだったが、次の彼女の言葉は彼にとって予想外のものだった。
「わ、私なんかがパートナーでいいんでしょうか?」
「へ…?」
顔を真っ赤にしているのどか。相当の混乱状態に陥っているのだろう。すぐ側で横島と豪徳寺が戦っているのだが、彼女の目には入っていないようだ。真っ直ぐにネギだけを見詰めている。
急な話の展開に呆気に取られるネギに対し、カモは想定外だがこれも良いと、グッと器用に親指を立てた。
ネギは知らない事だが、カモがネギからと偽って送った手紙にはハッキリと「パートナーになってください」と書かれていた。のどかは最初からそのつもりでここに来ていたのだ。
「ほらほら! 向こうもああ言ってるんだ。さっさと仮契約してこんな所はおさらばしようぜ!」
「え、あ…」
もう一押しだ。そう判断したカモはこっそりほくそ笑んでいた。
「これでもくらえ! 超必殺・漢魂!」
「なんの、サイキックソーサー!」
今こそチャンスだと、カモはネギの肩を降りて二人の足元に魔法陣を描いた。仮契約のための専用魔法陣だ。
「さあさあ、仮契約は何人とでも結べるから、兄貴は軽い気持ちでこうブチューっとキスを…」
「うん、ブチューっと…って、キスー!?」
驚きの声を上げるネギ。向こうでは豪徳寺と戦っている横島の耳がピクリと動いている。
仮契約を行う際、専用魔法陣の上で口付けを交わすと言うのは最も簡単な契約方法として魔法使いの間で広く知れ渡っている。他にも方法はあるのだが、面倒臭いと言う理由であまり使われていないのが現状だ。
最近は、仮契約が恋人探しの口実に使われていると言うのには、この辺りの事情も関係していると思われる。
「やっと見せたな! それがお前の力か!」
「アホか! のどかちゃんに当たったらどうすんだ!?」
「キス、ですか? わ、私も初めてですけど、ネギ先生がそう言うなら…」
「え゛、えーーーっ!?」
ネギが大声を上げた「キス」と言う単語だけがのどかの耳に届いていたらしい。更に顔を真っ赤にしているが、本人はやる気のようだ。目を瞑りネギを待っている。
「か、カモくーん」
「ここまで来て何迷ってんだよ! 男ならホラ! ブチューッてウラ!」
のどかに続いてこちらも混乱状態に陥ってしまったネギはカモに助けを求めるが、そもそもこの仮契約を仕組んだのはカモだ。発破を掛ける事はあっても、助け舟を出すような真似はしない。
「そんなヘマはしない! それに、いざと言う時はお前も止めるだろう。それでこそ俺の見込んだ男だ!」
「男に見込まれても嬉しくないわー!」
薄目を開いてネギとの身長差に気付いたのどかが、そっとしゃがんで顔の高さを合わせる。顔を覗き込まれるような形になったネギは顔を真っ赤にして硬直。魅入られたように動くことすらできない状態だ。
そっとのどかがネギの頬に手を添えて、少しずつ顔を近付けて行く。
カモが二人の足元で旗を振って声援を送っているが、最早二人の耳には届いていないだろう。
魔法陣の放つ神秘的な光の中は二人だけの世界だ。
「よっしゃー! 行け兄貴、ほらブチュー!」
カモの興奮が最高潮に達し、二人の唇が触れ合う直前―――
「人の後ろで何やっとんじゃーッ!!」
―――横島の怒りが爆発した。
豪徳寺の正拳突きを躱すと同時にその腕を掴み、見事な巴投げで彼を叩き付けたのだ。
ただし、地面ではなくネギに。
「よっしゃー、仮契約カードゲットー! …て、あれ?」
出来上がったばかりの仮契約カードを手にカモは固まった。
のどかは気を失って倒れている。怪我はなさそうなので精神的な負担が原因だろう。
この光景を見ずに済んだのは彼女にとって幸運だったと言える。
「あ、兄貴…大丈夫か?」
「お、重い…」
そう、横島に投げ飛ばされた豪徳寺がネギを押しつぶしていたのだ。
そして、カードが現れたと言うことは、そう言う事だ。
契約失敗によって発生するスカカードではない。正式な仮契約カードがカモの手元にはある。
「カモ君、一体何があったの?」
「え、えーっと…」
ネギは突然の出来事だったのと、それまでが既に混乱の極致であったためか、何が起きたのかを理解していなかった。カモも、ここで「兄貴、野郎と仮契約が成立したぜ!」などとは口が裂けても言えない。
「あの、横島さん。のどかさんを女子寮に運びたいので手伝ってもらえませんか。流石に魔法で運ぶと見つかっちゃうかも知れませんので」
「あ、ああ、わかった」
「この人はどうしましょう?」
「ほっとけ。腹が減ったら勝手に帰るだろう」
この人とは当然豪徳寺の事だ。完全に気絶している。
ちなみに寮に運ばれたのどかは、目を覚ますと横島が飛び出して来た辺りからの記憶が曖昧になっていて、この場での出来事は全て夢だったと自己完結したようだ。きっとそれが賢明なのだろう。
一方、その頃…。
「ああ、もう! なんでネギのヤツ帰ってきてないのよ!」
思い悩んだまま夕刊配達を終えて寮に帰ってきたアスナは、まだ帰ってきていないネギを待っていた。彼から横島の連絡先を聞こうと思ったのだ。
そのくせ、ネギと一緒に横島がのどかを運んで来て寮の玄関口がにわかに騒然となった時には、会いに行こうかどうしようかと迷っている内にタイミングを逃してしまっていたりする。
結局横島はそのまま帰ってしまい、その後帰ってきたネギに頼んで横島の携帯番号を教えてもらうのだが、いざ電話を掛けようとすると指が震えて掛ける事ができない。
いつものアスナらしくないと、見かねた木乃香が声を掛けた。
「アスナらしくあらへんなぁ、何でそないに緊張してるん?」
「だって…GSにはなりたいけど、私全然霊力とかないし…」
どうしても、アスナの中で横島と一緒に除霊している自分がイメージできないようだ。
弟子入りを頼んだとしても、断られてしまうイメージしか浮かばないようで、頼む前から凹んでいる。
女の子の頼みは断らない。
横島は霊力そのものを鍛える術を身に着けている。
横島自身がただの荷物持ちからスタートした。
実はアスナにとってのプラス要素を探せばいくらでもあるのだが、それを知るにはまだ横島の事を知らなさ過ぎた。
「アスナさん、よく分からないけど頑張ってください! 大事なのは少しの勇気ですよ!」
「あー、ありがとねー」
そう言いつつもふて寝しているアスナ。今日はもう電話をするのを諦めてしまったようだ。
「あーあ、姐さんはしょうがねぇなぁ」
木乃香の前で喋るわけにはいかないので、早々にネギのベッドに退散していたカモ。
今現在、彼にとって重要なのはネギとエヴァの戦いに関してだ。アスナの事も心配ではあるが、今はそちらにかまけている場合ではない。
「さて、こいつが切り札になるかどうか…」
ニヒルに笑うカモの足元では、『豪徳寺薫』の仮契約カードが淡く光っていた。
つづく
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