裕奈が横島の部屋を訪れた翌日。彼女は、朝から様子がおかしかった。
話し掛けてもどこか上の空。時折紅潮した頬に両手をあてて、にやけた顔でくねくねしだす。昨夜横島に甘え、そしてキスをした事を思い出しているのだろう。しかし、それを知らないクラスメイトは、何故そのような事になっているかが分からず、遠巻きに見守るばかり。
そんな状況が動いたのは昼休み、皆が食事中の時であった。勇敢にも、その状態の裕奈に声を掛けた者がいたのだ。
「裕奈さ〜ん」
裕奈の机の上に立ち、ちょこちょこと手を振る小さな姿、さよだ。チャチャゼロサイズの人形の身体であるため、机の上に立って、やっと席に着いた裕奈と視線が合う高さになる。
惚けて、蕩けていた裕奈も、目の前でパタパタと振られるさよの手にハッと我に返り、さよに目を向けた。
「あ、さよちゃん。どうしたの?」
「えと、あのですね……私……裕奈さんの事、おかあさんと呼んだ方がいいんでしょうか?」
裕奈の動向に注目していた食事中の面々が、一斉に噴き出したのは言うまでもない。
「さ、さよちゃん……? それは一体、どう言う事なのかな〜?」
ゆらりと立ち上がったアスナが、さよに問い掛ける。さよが横島の事を「おとうさん」と呼び慕っているのは、3−Aの者なら誰でも知っている事だ。そんな彼女が「おかあさん」と呼ぶと言う事は、すなわちそう言う事である。
「昨日の晩に、おとうさんと裕奈さんが〜」
「うんうん、それで?」
「ベッドの上で〜」
「ベッド!?」
思わず身を乗り出すアスナ。周囲の面々も驚きに目を見開いている。
「あ〜、さよちゃんそこまで。後は私から説明するから」
これは誤解されてしまう。そう察した裕奈は、覚悟を決めて自分で説明する事にした。
どちらにせよ仮契約(パクティオー)したら皆に知らせる事になるのだ。それならば、今説明しても変わりはない。昨晩は抜け駆けしてしまったと言う負い目もあったので、これは丁度良いタイミングとも考えられる。
「いや〜、実は私もにいちゃんと仮契約しようと思ってさ」
「それで横島さんの部屋に? カモがいないと仮契約は出来ないんじゃ?」
「あははははは……」
笑って誤魔化す裕奈。元々彼女は、横島に甘えに行っただけなのだ。彼の部屋で仮契約カードを見付け、自分も仮契約する事を決めたのだがら、昨日横島の部屋を訪れた時点では、はっきりと仮契約すると考えていた訳ではない。
しかし、この場で「にいちゃんに甘えに行きました」とは言えるはずもなく、裕奈はその辺りは誤魔化して説明する事にした。
「えっと……それじゃ……しちゃったの?」
一通り説明を聞いたアスナが、真っ赤な顔でおずおずと問い掛けてくる。最近、言動が女子中学生のそれから逸脱しつつあると言われている彼女だが、意外なところで純情だ。
「いや、その……うん」
そして裕奈も負けないぐらいに真っ赤な顔で答えた。皆が生暖かい眼差しで裕奈を見詰めている。これは毎日の横島との修行とは、また別の意味で恥ずかしい。
裕奈はわたわたと手を振り、更に詳しい理由についても説明する。
「ほ、ほら、仮契約するとなると、どのみちしちゃう訳じゃない! だったら、その前に儀式じゃなくて普通にしたいな〜って……ねぇ?」
勢いよく説明をしようとするが、だんだんと勢いが衰えていき、最後は小首を傾げながら小さな声で同意を求める形となっていた。
「……………」
その問い掛けに、一部の者達が言葉を詰まらせる。
横島と仮契約している『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』夕映、古菲、千雨と、ネギの従者の一人であるのどかの四人だ。
彼女達は皆、仮契約する時のキスが、初めてのキスだった。今まであまり気にしてはいなかったが、裕奈の言う通り「仮契約の儀式の一環」として済ませるのは、少し勿体なかったかも知れないと思えてきた。
そして、アスナは一人うんうんと頷いている。彼女も仮契約の時が初めてだったのだが、裕奈と同じように儀式の一環としてだけでは満足出来ずに、横島と二人で買い物に行った際に、仮契約とは関係なしにキスをした。それだけに裕奈の気持ちが分かってしまう。順序は違えど自分も同じような事をしているため、これから仮契約しようとしている彼女にアスナは何も言う事が出来ないどころか、むしろ共感すら覚えていた。
見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.122
キスと言う話題に沸き、盛り上がる3−A。騒がしくなってきたため、あやかは委員長として皆を抑えようとするが、話題の内容が内容だけに彼女達の勢いを押し留める事が出来ない。
そんな中、一人千鶴だけがにこにこと笑顔で盛り上がる皆を見守っていた。
その様子に気付いた夏美がおずおずと声を掛ける。
「ね、ねぇ、ちづ姉。随分と落ち着いてるけど、ちづ姉も仮契約の時がファーストキス……だったんだよね?」
夏美の問い掛けに、千鶴はにっこりと微笑んで答えた。
「うふふ、もちろんよ」
「それじゃ、なんでそんなに落ち着いてるの……?」
夏美もまた、裕奈の言葉に思うところがあったらしい。
彼女自身は仮契約をしている訳ではないし、横島の修行を受けている訳でもない。しかし、もっと横島とお近付きになりたいといつも考えている。恥ずかしさがなければ、横島の修行を受けたいし、仮契約だってしても良いとさえ考えていた。
彼の部屋で過ごす時間が長いのは、レーベンスシュルト城の面々の中でも、夏美が一番長いだろう。しかし、それも部屋に横島がいない時の話である。普段の彼女は当の横島を前にすると、顔を真っ赤にして何も言えないままであった。
そんな夏美をよそに千鶴は笑顔でこう答える。
「だって私、ファーストも、セカンドも、その先もあの時に済ませちゃったもの」
その瞬間、教室内の空気が凍り付いた事は言うまでもない。
皆の注目が裕奈から千鶴へと移り、皆こぞって千鶴を質問攻めにするものの、千鶴は「あらあら」と微笑みながら、それら全てをいなしてしまう。
「て言うか、それってアリなの?」
アスナがカモに問い掛ける。
「いや、同じ人物同士だと一枚ずつしか出てこないって。二枚出るとしても、そりゃ最初の一枚がスカカードだった場合さ」
「そ、そうなの……」
当てが外れたと言わんばかりの表情になるアスナ。
そうなるのも仕方がないだろう。仮契約の儀式以外でもキスをした事がある。それが他の面々よりも自分の方が横島に近しいと言うアスナの強みだったのだ。それだけに裕奈や千鶴の行動は彼女にとって衝撃的であった。
しかも千鶴の場合、セカンド以降はカモも把握していないと言うのだ。これは大事件である。
「わ、私も負けてられないわ……」
裕奈の仮契約を邪魔するつもりはない。共に横島の下で修行を受ける仲間なのだ。彼女も『魔法使いの従者』になると言うのなら、歓迎こそすれ拒む事はない。
しかし、それはそれ。これはこれ。恋する少女として二人には負けられないと、アスナは闘志の炎を燃やすのであった。
「で、でも、どうしよう……この時期は忙しいから、また買い物に誘ったりは出来ないし。警備の時はくーふぇもいるし……」
しかし、ではどうするのかと言う話になると、そこから先に中々進む事が出来ないのはご愛敬である。
最近の彼女を見ているとにわかに信じられないかも知れないが、アスナは、好きな人を前にすると緊張してしまうような一面も持っているのだ。色々と大胆な事もしてしまう彼女だが、それは恥ずかしさに負けずに何かやろうと考え抜いた結果だったりする。
「追い詰められて暴走している」と言い換える事も出来るかも知れないが、それは言わぬが華であろう。
その後、改めて裕奈がカモに仮契約の件についてお願いすると、彼は二つ返事で快く引き受けてくれた。相手が横島であると聞き、オコジョ協会からのボーナスを期待して待ってましたと言わんばかりだ。
「それじゃ、おかあさんじゃないんですか?」
さよが首を傾げて尋ねてくる。心なしかその表情は残念そうだ。
「う〜ん、私にとって横島さんはにいちゃんだからねぇ」
「裕奈さんは妹ですか〜」
「そうそう。さよちゃんと同じような感じかな」
先程とは打って変わって嬉しそうな表情になるさよ。「おかあさん」ではないにせよ、自分と繋がりがある事が嬉しいのだろう。
さよはぴょんと机の上から裕奈の胸に飛び付き、満面の笑みを浮かべて裕奈にこう言った。
「それじゃ、裕奈さんは私のおばさんですねっ!」
その瞬間、裕奈はさよを胸に抱きかかえたまま机に突っ伏し、裕奈に注目していたクラスメイトは一斉に噴き出した。当のさよは、皆のリアクションなど気にも留めずににこにこ顔である。
裕奈にとって横島が兄だとすれば、さよから見た裕奈は、父の妹。すなわち叔母。そう考えれば間違いではない。
しかし、年頃の少女としてそれを受け容れる訳にはいかず、裕奈は必死にさよを説き伏せる事になる。二人の話し合いの結果、最終的に裕奈は、さよの「おねえちゃん」の立場に収まったようだ。
仮契約は相手がいなければ始まらないため、今日はカモをレーベンスシュルト城に連れて帰る事になった。授業が終わり放課後になると、早速裕奈はカモを肩に乗せて帰路につく。
「ところで、ネギ君の修行の方は、カモ君がいなくても大丈夫なの?」
「あ〜大丈夫大丈夫。オレっち普段から兄貴の修行手伝ってる訳じゃねーし」
裕奈が問い掛けると、カモはあっさりと手――いや、前足を振って答えた。
カモはネギ達の修行に参加している訳ではないので、修行中はカモがいてもいなくても変わらない。実際、いたとしてもまほネットでネットサーフィンをしたりゲームをするぐらいであった。
当然、寄り道もせずに真っ直ぐ帰路を急ぐ裕奈。やはり気になるのかアスナ達も一緒に下校し、レーベンスシュルト城に住んでいない面々も、野次馬根性丸出しで当然の如く付いて来た。流石に部の出し物の準備がある者はついて来ていないが、それでもかなりの人数である。特に和美などは取材する気満々であった。
「えっと……仮契約の時は二人きりにしてくれるんだよね?」
「え? ハハハハハ、だ、大丈夫だって。後で取材はさせてもらうけど、メインはアーティファクトの方だからさ」
何故かしどろもどろになる和美。これは何も言わなかったら、仮契約の時まで取材する気だったなと裕奈はジト目になる。
とは言え、皆年頃の女の子。こう言う話題に興味津々なのは裕奈も理解出来る。もし他の者が仮契約すると言う話になれば、自分も野次馬根性を出してついて行っていただろうと考えると、何も言う事が出来なかった。
「まぁまぁ、アーティファクトをお披露目する場が出来ると考えましょうぜ」
ここで裕奈のやる気が削がれてはならないと、カモが肩の上からフォローする。
裕奈は釈然とはしなかったが、仮契約の場で二人きりになれるならそれで良いだろうと、このまま皆を引き連れてレーベンスシュルト城に帰る事にした。
「ところで裕奈ちゃん。どこで仮契約するつもりなの? 私は、テラスを薦めるわ」
「あの植物園みたいなとこも、悪くない雰囲気だたアル」
「私は別荘でしたから何とも……夕暮れ時なら、あの砂浜も良い雰囲気になれるかも知れませんが」
「私に聞くな。今にして思えば、ファーストキスはゲームの中って何だよこれ……」
口々に仮契約を行う場所を薦めてくる千鶴達。三人の言葉を聞いて、千雨は自分の状況がいかに異常であったかを思い知り項垂れてしまった。
「私の場合、麻帆良じゃないからねぇ」
アスナの場合は修学旅行中に仮契約したので、その舞台となったのは宿泊先の旅館だ。ネギと一緒にセーフハウスに行ったためここにはいないが、のどかもまた仮契約を行ったのはその旅館である。
「う〜ん、仮契約する場所かぁ……」
それは裕奈も考えていない事であった。仮契約する事ばかり考え、どこでするかなど想像もしていなかったため、裕奈は腕を組んで考え込む。
レーベンスシュルト城が収まったボトルの中は広い。レーベンスシュルト城だけでも広いと言うのに、城外も加えたら相当なものになる。
「エヴァちゃん、どこかオススメある?」
「は? オススメって聞かれてもなぁ……」
くるっと振り返り、城主であるエヴァに尋ねてみるが、彼女もそのような事は考えた事がないらしく、どう答えたものかと戸惑った様子であった。
それでも真剣に考えてくれるあたりが親切なのだが、その内容が裕奈の役に立つかどうかはまた別問題である。なんと、エヴァが考えた仮契約を行う場所は、本城の自室にある大きなベッドの上と言うものであった。仮契約だけでは済まさず、そのまま血も戴いて横島を貪り尽くす気満々だ。エヴァはそれで良いかも知れないが、裕奈がそれを真似しても仕方がない。
「う〜ん、やっぱりテラスかなぁ?」
千鶴にあやかる訳ではないが、裕奈は仮契約を行う場所としてテラスを選んだ。裕奈自身、眺めの良いあの場所を気に入っていたのだ。
「おっけい、任せてくだせえ! 兄さんが帰ってりゃ、すぐにでも出来ますぜ!」
「にいちゃん、もう帰ってるかなぁ?」
そうと決まれば、後はレーベンスシュルト城に戻って仮契約を実行するだけだ。裕奈達一行は、少し足早に帰路を急ぐのだった。
裕奈達がエヴァの家近くの小川に差し掛かると、川からすらむぃ達が顔を覗かせた。
「カモを連れてるって事は、今日もぶちゅ〜っとやっちゃうワケだな?」
「うっ……」
さよと同じく彼女達も昨夜の目撃者だ。裕奈の肩の上にいるカモの姿を見て、これから何が行われるか察したらしい。すらむぃは、裕奈の顔を見てニヤニヤしている。恥ずかしくなった裕奈は、思わず頬を染めて目をそらした。
「横島さんなら、先程帰って来ましたよー」
「高音と、愛衣と、一緒だった……」
あめ子とぷりんも横島が既に帰宅している事を教えてくれる。すらむぃのようにからかったりはしないが、こちらの二人も興味津々と言ったところだろうか。心なしか目を輝かせているようにも見える。
「興味があるのは分かるが、ちゃんと見張りをしとけよ」
「え〜っ!」
「は〜い」
「………」
そのまま放っておくと、見張りの仕事をすっぽかして城内までついて来そうだったので、エヴァがぴしゃりと窘める。すらむぃは不満を露わにしたが、あめ子とぷりんはそう言われる事が分かっていたようで、素直にそれを受け容れた。
ぶちぶちと愚痴を零すすらむぃを残し、一行はレーベンスシュルト城内に入る。ゲートを潜って別棟に帰ると、一階のサロンに横島の姿があった。それに千草、月詠、アーニャの姿もある。一緒に帰宅したと言う高音と愛衣の姿はない。つい先程戻って来たばかりなので、まだ自室に居るのかも知れない。
「あ、おかえり〜」
テーブルの上に本を積み上げていたアーニャが、顔を上げて裕奈達に声を掛けた。今日も書斎からオカルト関係の本を持ち出し、千草に教わりながら勉強をしているようだ。千草の方も真面目な生徒にまんざらでもないらしく、家庭教師役を買って出ている。
そんなアーニャの隣に座っているのが月詠。こちらは真面目に勉強をする気があるのか微妙なところだが、何やら楽しそうだ。
勉強中のアーニャ達を横目に、裕奈はつかつかと横島に近付いて行った。横島は自室で着替え終えて、サロンに降りて来たばかりのようだ。
「にいちゃん!」
「お、おう、なんだ?」
昨夜の事を思い出し、思わずたじろいでしまう横島。その様子に裕奈の方も反応し赤面してしまう。
しかし、ここでひるむ訳にはいかない。肩の上から激励するカモの声を聞きながら、裕奈は勇気を振り絞って次の言葉を紡いだ。
「にいちゃん、カモ君を連れて来たよ! 昨日の約束通り、私と仮契約してっ!」
「仮契約ですって!?」
だが、その言葉に真っ先に反応したのは横島ではなくアーニャだった。
魔法使いである彼女は、当然仮契約が何であるかは知っている。
ネギがのどか、ハルナ、豪徳寺の三人と仮契約している事は、まだ聞かされていなかったが、横島がアスナ、夕映、古菲、千鶴、千雨の五人と仮契約している事は聞かされていた。土偶羅とも顔を合わせた事があり、その知識に唸らされたものだ。
「えっと、ユーナもしちゃうの……?」
真っ赤な顔をしてアーニャは問い掛けた。
おませな彼女は、アスナ達と同じように仮契約を特別視している節がある。横島と仮契約すると言う事は、二人はただならぬ仲なのだろうと考えていた。あながち間違いではない。
「いや、まぁ……うん。そうなんだよね〜」
一方裕奈はと言うと、予想外のところから反応されてどうリアクションすれば良いのか困っている。とりあえず笑って誤魔化しつつ肯定の返事を返してみせた。
「あ、アスナ達も仮契約してるのよね? その、いいの……?」
「いいって言うか、なんて言うか……一緒に修行する仲間だし? ねぇ?」
アスナが同意を求めると、夕映と古菲の二人がうんうんと頷いた。千鶴は変わらずにこにこしており、千雨は「そうじゃねぇだろ!」とツっこみたい衝動にかられながらも、そっぽを向いて黙っている。千鶴以外の四人は、裕奈と同じく頬を真っ赤にしていた。
アスナ達の反応に、何やらただならぬものを感じ取るアーニャ。思わず「大人ってスゴい」と呟く。
とは言え、アスナ達が横島を師と仰ぎ毎日修行している事をアーニャは知っている。それに魔法界には『仮契約屋』と言うものも存在する。修行を通じて結ばれた仲間であるならば、大人だしそれで良いのだろうとアーニャは考えた。千草や刀子が聞けば、皆まとめてまだまだ子供だと言うかも知れないが。
「なるほど……まぁ、納得したわ」
「納得してくれたか〜……って、問題はアーニャちゃんじゃなくて、にいちゃんだよっ!」
いつの間にかアーニャとの会話になっていたが、本題は彼女ではなく横島だ。裕奈が勢いよく横島の方へと向き直ると、サロンにいる全員の視線も横島に集まる。
「にいちゃん! やっぱりダメとか言わないよね?」
裕奈は更に横島に近付き、彼のシャツの胸元を掴んで密着する勢いで迫り寄る。
その勢いに押されながらも、横島は首を縦に振った。
「も、もちろんそんな事は言わないぞ! 昨日約束したからな!」
「……良かったぁ〜」
その返事を聞くと、裕奈は安心したのか力が抜けて腰が砕けてしまった。
「おっと」
へたり込みそうになるところを、横島が咄嗟に腰に手を回して彼女の身体を支えた。
そのまま抱き寄せられ、裕奈は横島にもたれ掛かる形となる。
「うわ〜っ! うわ〜っ!」
まるで恋人同士が寄り添っているようにも見える二人の姿を見て、アーニャは耳まで真っ赤にして両手で顔を覆った。しかし、指の隙間からしっかり見ている。やはりおませな彼女は、こう言う色恋沙汰には興味津々のようだ。
「へっへっへっ、兄さん達。それじゃそろそろ始めましょうかい。お嬢さんはテラスでの仮契約をお望みですぜ」
いつの間にかアーニャの頭の上に飛び移っていたカモが、いやらしい笑みを浮かべて声を掛けてくる。
横島は言われるままにテラスに移動しようとするが、裕奈がそれを手で制した。
「ちょ、ちょっと待った!」
「どうしたんですかい? 今更怖じ気付いたんで?」
裕奈がぶんぶんと首を横に振る。
「その……私、制服のままだし着替えさせてよ。今日体育があったからお風呂にも入りたいし……」
そう言って裕奈は、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
これから仮契約すると言う事は、すなわち横島とキスをすると言う事。
どうせならば、きっちり身嗜みを整えてからにしたいと裕奈は考えていた。年頃の少女らしい考えであろう。
「おっとこいつは失敬」と、カモは額をぺしっと叩いて詫びを入れた。
しかし、そこは自称「仮契約コーディネーター」。すぐさま段取りを組み直す。慌てる必要はない。時間を掛けようとも仮契約する事は確かなのだ。ならば、本人同士納得出来る形で仮契約してもらう事が望ましい。
「それじゃ、こうしやしょう。オレっちと兄さんは先にテラスに行って待ってます。姐さんは、準備が済んだらテラスに来てくだせえ」
「う、うん、分かった……」
カモの提案に裕奈はコクンと頷いた。
「それじゃ、俺は先にテラスに行ってりゃいいんだな?」
当然、横島の方にも異存はない。彼の出で立ちは普段通りの私服だが、そもそも彼は余所行きでも普段と変わらない服装なのだ。仕事の時はスーツを着たりするが、裕奈としても普段通りの「にいちゃん」でいて欲しい。
「うん、にいちゃんはそのままでいいよ。それじゃ、待っててね。すぐに行くから」
「お、おう」
抱き寄せられたままだった裕奈は少し背伸びをして横島の頬にキスをすると、えへっと笑って走り去って行った。そのまま階段を駆け上がり、自分の部屋へと向かって行く。
「……ハッ!」
しばし呆然としていた横島だったが、ふと気が付けば周りからの生暖かい視線に晒されていた。それだけでなく、中にはヤキモチ入りの視線もいくつか混じっている。
「い、行くぞ、カモ!」
「合点でさぁ!」
いたたまれなくなった横島が、身を翻して逃げるように走りさるのは、それから数秒後の事である。
つづく
あとがき
レーベンスシュルト城に関する各種設定。
関東魔法協会、及び麻帆良学園都市に関する各種設定。
魔法界に関する各種設定。
各登場人物に関する各種設定。
これらは原作の表現を元に『黒い手』シリーズ、及び『見習GSアスナ』独自の設定を加えて書いております。
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