topmaintext『黒い手』シリーズ魔法先生ネギま!・クロスオーバー>見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.45
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 その日、麻帆男寮の食堂に極めて場違いな空気が流れていた。
 食堂の入り口には寮生達が鈴なりになって、恐る恐る中の様子を伺っている。
 いや、そこがキッチンである以上、当たり前と言えば当たり前の光景なのだが、彼等からみれば極めて異質の存在がそこにあった。
「雨で冷えているはずだから、暖かい物がいいわよね。横島さん達にも何か作って行こうかしら?」
 彼等の視線の先に居るのは千鶴。男達の視線などお構いなしに、鼻唄混じりに料理をしている。彼女は寮の方でも普段から自炊をしているので手馴れたものだ。
 手際よく小太郎のための食事だけでなく、横島達にも軽くつまめる物を用意している辺り実に気が利いている。その姿はさながら夫を手料理で出迎えようとする新妻と言ったところだろうか。もちろん、彼女はれっきとした中学生。にも関わらず、見ている者達にそう思わせる何かを千鶴と言う少女は持っていた。
 時間が時間なため、キッチンでは寮生達の夕食の準備をするべくパートの人達が慌しく動いている。当然寮生でない者が入ってきた事に不審そうな視線を向けていたが、すぐさま千鶴が堂々とした態度でにこやかに麻帆男寮に来た事情を説明すると、パートの人達も納得した風だった。
 ちなみに、現在彼女が料理をするために使用している材料は、豪徳寺が自炊用に用意していたものである。
 各部屋にキッチンのないこの麻帆男寮では、自炊する場合は皆、食堂を利用する事になっており、業務用の大型冷蔵庫には食材を預けられるようになっているのだ。

「お、おい、お前声掛けてみろよ」
「いや、お前行けよ…」
 食堂の入り口で、寮生達は誰が声を掛けるかと肘で突きあっている。
 しかし、誰一人として動こうとする者はいない。男子校生である彼等がこのようなシチュエーションに不慣れだと言うのもあるが、千鶴を連れて来たのが横島だと言うのが一番大きな理由であろう。
 と言うのも、転入生である横島は彼等にある意味で恐れられているのだ。
 その原因は転校初日から今日に至るまでの彼の行動にある。
 横島は転入初日から豪徳寺とつるんでいた。これは、豪徳寺が一方的に横島を追い回していたのだが、この豪徳寺薫と言う男、温厚な人柄のおかげで恐れられこそしないものの、格闘技一辺倒の変わり者として周囲から浮いた存在である。そんな彼が付き纏っている時点で、周囲の横島を見る目は、豪徳寺を見る目とニアリイコールで結び付く。
 その上、横島は初日の内にアスナと知り合い、エヴァ、茶々丸と鬼ごっこを繰り広げ、その数日後にはアスナを除霊助手として迎え入れている。
 横島はその間、クラスメイト、寮生の誰とも親しくなっていない。近くに女子大、女子高、女子中とあるのだから、男にかまける時間は一分一秒も惜しいと言うのが彼の本音なのだろうが、これでは「人を避ける不審な男」と誤解されても仕方がないだろう。
 アスナが除霊助手となって以降は、ほぼ毎日のように世界樹前広場でアスナ、古菲と一緒なのだが、これは寮生達の知らない事だ。彼等が知っているのは、放課後、豪徳寺と共に世界樹前広場に向かう姿だけであり、この事により二人がますます同類として見られてしまうのも無理はなく、結果として横島と寮生の間に壁を築き上げる事となった。
 そんな彼が連れて来たのだ、千鶴は。
 下手にちょっかいを掛けようものなら、後で横島に何をされるか分かったものではない。彼の事を直接知らなくとも、彼がGSである事は既に寮生の間に知れ渡っているのだ。『オカルト』と言うファクターが寮生達の怯えに拍車を掛けている。
「…て言うか、アレ麻帆良女子中の制服、だよな?」
「え、高校生だろ?」
「いや、どう見ても女子大生…実はコスプレ好きのOLか?」
「皆さん、何か言いました?」
「「「いえ、何でもないっス!」」」
 寮生達はひそひそと小声で話していたのだが、しっかり千鶴には聞こえていたらしい。
 見惚れるような笑顔で振り向く千鶴。その表情とは裏腹に凄味のある声に、男達は思わず背筋を伸ばして答える。
 怖いのならそのままそそくさと逃げ出してしまえば良いのだが、男達は動かなかった、いや、動けなかった。
 凄味がある事を差し引いても見惚れるような千鶴の笑顔。所謂「キレイなおねえさん」だ。何は無くともその姿をこの目に焼き付けたいと言うのは哀しい男の性であろう。

 念のために申し上げておくが、千鶴は麻帆良女子中学校の三年生であり、ここは麻帆良男子高校の寮である。

「よし、完成♪」
 満足気に頷いた千鶴は、出来上がった料理をトレイに乗せていく。その料理は実に美味しそうで見ている寮生達はゴクリと喉を鳴らした。彼女が特別料理が上手いと言うわけではないのだが、キレイなおねえさんの手作りと言う事実が、彼等の目にフィルターを掛けている。
「うぉ、うまそーっ!」
「食いてーっ!」
 男達の足が我知らず前に一歩踏み出される。「おねえさんの手料理」、食べたいと思うのは当然の事だ。
 一斉に男達が動き出し入り口に十人以上が殺到したため、人が詰まって身動きが取れなくなってしまう。そこにトレイを持った千鶴がやって来ると、我こそがと互いに隣の男を拳で押し退けて前に出ようとする。
「あらあら」
 揉み合い状態で、さながら乱闘のような有様となった寮生達を見下ろして千鶴は暢気な声を上げた。
「あの〜…」
「「「「「はい、何でしょう!?」」」」」
 折り重なって倒れながらも顔を上げて元気良く答える寮生達。
 にこやかな笑顔で語り掛ける千鶴に、自分のために手料理を作ってくれたのかと一瞬夢を見るが―――

「通れないので、道を開けてもらえますか?」

―――世の中そんなに甘くはなかった。寮生達は揃って力なく崩れ落ちる。
 その料理は元々小太郎のために作られたもの。彼等はそれを知らなかったのだ。
 手料理を巡って熱い戦いを繰り広げた男達、その死闘の果てに勝者はなく、ただ屍が連なるのみ。
 勝者がいるとすれば、それはこの屍の山を築き上げた千鶴であろう。彼女は目の前に広がる死屍累々の光景など気にも留めず、やはり鼻唄混じりでその脇を悠々と通り過ぎて行くのだった。

見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.45


 一方、横島の部屋では豪徳寺、横島による小太郎への尋問が行われていた。小太郎が素直に答えるため、尋問と言ってもそれほど厳しいものではないが。
「まず聞いておきたいのは、麻帆良に来た目的だが…」
「俺だって西洋ま――」
「ストップ! ストーップ!」
 「魔法使い」と続けようとした小太郎の口を慌てて豪徳寺が押さえた。
「魔法使いに関する話はナシだ、一般人も居るんだからな」
「わ、分かったわ…面倒やなぁ、だからキライなんや」
 豪徳寺が小声で注意を促し、小太郎は面倒臭そうにそれに従う。
 小太郎にとってはどうでも良い事なのだろうが、ここには魔法使いの事情を知らない大豪院に夏美が居るので、魔法使いと言う言葉を出してもらっては困る。
 その後小太郎は、逃亡中にローブの男、コートの男、道化師姿の男の密談現場に出くわし、追われる身となってしまったため、麻帆良に逃げ込んだ事を話した。
 何故そこで麻帆良なのかと尋ねると、他に行く当てが無かった事も素直に話す。小太郎の事をある程度知っている豪徳寺は、嫌いな西洋魔法使いの本拠に助けを求めるなど、その三人の男は如何ほどの相手なのかと、頬に一筋の冷や汗が伝うのを感じていた。

 続けて横島も問い掛けた。
 彼はベッドの上でうつ伏せになっている夏美の側で、彼女が怖がらないように小太郎との間に入るように立っており、扉近くの彼からは少し離れているが、小太郎の方も彼がGSである事に気付いていて素直に耳を傾ける。
「俺からも聞いときたいんだが、この札はなんだ?」
 横島が手にあるのは小太郎の額に貼られていた札。横島が間違えて剥がしてしまったため、小太郎が人間の姿に戻ってしまったあの札だ。その札を見て、小太郎は「ああ」と声を上げた。
「俺は昼の内はそれがないと犬の姿になれんからな」
 つまり、その札を貼っていれば昼の内にも犬に変身出来ると言う事だ。
 横島の知る人狼族の少女シロは逆に昼の間は人の姿になれなかったが、それを補うために令子は精霊石のペンダントを身に付けさせていた。この札はそれと同じような効果があるのだろう。
 無論、精霊石と同じだけの効果があるはずもなく、持続時間は数時間程度の使い捨てだそうだが。
「…普通、逆じゃないか? 俺にも人狼族の知り合いがいるが」
「人狼族やない、『狗』や」
「犬?」
 『犬』ではなく『狗』である。ただし、言葉面そのままの「他人の秘密を嗅ぎ回る者」や罵りのような意味合いは無い。
 小太郎の説明によると、『狗』と言うのは人狼族の遠縁にあたる者達との事だ。人狼族である事には変わらないのだが、人間が農耕を始め、人狼族が人間と袂を分かとうとした時に、それでもなお人間の中で生きていこうとした者達がいた。彼等の事を人狼族でありながら狼でない者、すなわち『狗』と呼ぶのだ。小太郎はその子孫だと言う。
「つまり、飼い犬になったんだな」
「飼われとらんわー!」
「あ、そう言えば、犬の時の小太郎君って四国犬みたいですよね。目の上の白い斑点とか」
「愛衣、今はそう言う話をしているわけじゃ…」
 高音がツっこむが、愛衣の言う通り、先程までの小太郎の姿は明らかに狼ではなく犬だった。それについても聞いてみるが、生まれた時から犬だったそうだ。狼と犬の祖先を辿れば同じ種に辿り着くように、長い年月を人の中で暮らしている内に、狼ではなく犬に近付いて行ったのかも知れない。
 人狼族の子供が昼間は人の姿になれないように、『狗』の子供が昼間は犬の姿になれないのは、この両者の生活環境の違いのためであろう。『狗』はそれだけ人間に近いのだ。
 小太郎曰く、『狗』はそれぞれ単独で人間の中に隠れ住んでいるため、横の繋がりはほとんどなく、彼も自分と死に別れた親以外の『狗』は知らないそうだ。

「となると、問題はその三人組が何者か、だな」
 ここで大豪院も参加して疑問を口にする。
 その三人組が麻帆良を目指していたからこそ、小太郎は彼等との決着を付けるために来た。
 決着を付けるための味方を見つけるべく、彼等の目標である麻帆良に来たと言うのもある。ここで尋問に素直に答えているのも「敵の敵は味方」の言葉通りに横島や豪徳寺を味方に出来ないかと考えての事だったりする。
「何か手掛かりはないのか?」
「う〜ん………あ、ローブの野郎から奪ったった瓶があるで」
「む、そうなのか」
 髪の中、耳の後ろ辺りから小瓶を取り出して豪徳寺に投げ渡す。受け取った豪徳寺はしげしげとその小瓶を手に取って見る。表面に描かれている魔法陣、文字。豪徳寺に理解はできないが、それらは如何にも魔法っぽい。大豪院も覗き込んで来たので、横島に向けて「分かるか?」と投げ渡す。
 横島がそれを受け取ると、高音がずいっと身を乗り出して覗き込んで来た。
 彼女はそれに見覚えがある。何故ならそれは、彼女が図書館島地下迷宮メンテナンスの時に、魔法生物を捕らえるために使用している『封魔の瓶(ラゲーナ・シグナートーリア)』と同じ物なのだから。
「横島君、ちょっと…」
 手を引いて夏美から距離を取り部屋の隅へと移動する二人。高音は小声でその小瓶の正体を横島に告げる。
 『封魔の瓶』は、図書館島地下迷宮メンテナンスでは魔法生物捕獲のために使われているが、本来は通常の方法では倒す事のできない魔族、魔物の類を封じるための物だ。
 小太郎はこれをローブの男から奪ったと言っていたが、これは魔法使いしか持ちようのない物。すなわちローブの男の正体は魔法使いであると推測される。
「なんやよう知らんけど、ローブのヤツはそれでコートのヤツを脅すか何かしとったみたいやな」
「中に何か入っているのか?」
「いや、俺も蓋開けて確認してみたけど、何も入っとらんかったわ」
 向こうで小太郎達が暢気に話しており、それを聞いた高音が顔をつき合わせている横島にしか聞こえない声で、何を暢気な、とポツリ呟いた。
 『封魔の瓶』が脅しとして通用すると言う事は、そのコートの男の正体は魔族、或いは魔物であると推察できる。元々、瓶に封じられていた者をローブの男が解放したと考えても良いだろう。
 これは大問題だ。学園長に報告すべきかと二人で話し合おうとしたその時、トレイに料理を乗せた千鶴と、小太郎の着替えを買ってきた山下、中村の二人が戻って来た。
 料理を見た途端に小太郎は目を輝かせ、山下、中村がその前に着替えろと彼を捕まえる。
 豪徳寺も参加しての三人掛かりで小太郎を着替えさせている間に、また後でと高音との話を切り上げて夏美の下に戻る横島。二人が話している間は愛衣が彼女を看ていてくれたようで、横島は愛衣と交代する。夏美の方も初対面の愛衣よりも、顔見知りである横島の方が安心できるようだ。
「ほら、着替え終わったらご飯にしましょうね」
「おおー! 腹減ってたんや!」
 着替えを終え、中村の選んできたジャージ姿になった小太郎は、ひったくるようにトレイを受け取るとがっつくように料理を食べ始めた。ちなみに、中に着ているシャツは山下の選んだ物なのだが、それがどのような柄であるかは本人の名誉のために割愛する。
 そこには小太郎の分だけではなく横島達の分として用意されたおつまみもあったのだが、そんな事などおかまいなしだ。いっそ清々しいまでの見事な食べっぷりである。
「それで忠夫ちん、どうすんだ? この子、先生に突き出すのか?」
「いや、どうしようかと…」
 中村の言葉に小太郎は咽て胸を叩く。一方、問われた横島は、どうすれば良いのかと言葉を濁すに留めた。
 突き出すとすれば学園長なのだろうが、小太郎は京都から逃げ出した身だ。学園長に引き渡せば、そのまま京都に送られ、罰せられる可能性もある。本当にそうしてしまって良いのかどうか。横島には小太郎を庇い立てする義理はないのだが、場合によっては少年の一生を左右しかねない問題に、決断できずにいた。

「それにしても…よく食べるな、君は」
「ここに来るまで、ロクに食ってないからな」
 山下のツっこみに答えながらも、食べる手は休めない。もはや手掴みだ。千鶴もその行儀の悪さに怒る様子もなく、うふふと微笑ましそうに見守っている。
 その様はまるで子供だ。それを見ていた横島と高音が毒気を抜かれてしまう程に。
「まぁ、突き出すまでもないよな」
「…そうね、ここは横島君の判断に従うわ」
 おずおずと提案する横島に、高音も溜め息をついて同意した。魔法生徒としては色々と不味いのだが、彼女も本音では、こんな子供を突き出したくはないのだろう。
「……?」
 ただ一人、横島の間近で話を聞いていた夏美だけは事情が飲み込めないようで、疑問符を浮かべていた。

 小太郎の処遇をどうするか、細かい事は後回しだ。
 横島、高音、愛衣の興味は既に小太郎が話した三人組の男に移っている。
 はっきりと言ってしまえば、小太郎は無害だ。京都では天ヶ崎千草に雇われて横島達と戦ったが、今の彼には雇い主そのものがいない。しかし、件の三人組の男は麻帆良を狙っていると言う。ならば横島達は麻帆良学園都市を守るために、その男達に対処せねばならない。
 小太郎の話に出てきたローブの男はおそらく魔法使いであろう。コートの男は魔族、或いは魔物の類だ。
 では、三人目の道化師姿の男は一体何者なのか。
「小太郎君、その三人目の男はどんなヤツだったのかしら?」
「そうやな〜…とりあえずアレや、ハゲ。全部やないけど、てっぺんハゲや」
 ある意味、子供らしい感想である。
「そんでもってピエロの顔してな、ほっそい手足で、真っ黒なピチピチの全身タイツ着とんねん。ローブのヤツもダッさい格好しとったけど、あっちは変態やな」
 言いたい放題だ。しかし、嘘を言っている様子はない。
「真っ黒なピエロねぇ…」
「スカしたヤツね」
 そう言って高音はバカにしたような笑みを浮かべる。
 道化師姿の男、悪魔パイパーの名誉のために言っておくと、彼は黒の全身タイツなど身に付けていない。彼の身体は首、手首、足首以降のみ姿が見え、それ以外は全て不可視で透けている。夜で周囲が暗かったため、黒に見えただけに過ぎないのだ。
「でもハゲとったから、全然様になっとらんかったで!」
「人を外見で判断するのもどうかと思うが…」
「みっとも良いものではないな。最悪のファッションセンスだ」
「山下センパイに言われるんだから、相当だよな」
 小太郎、豪徳寺、山下、中村の順で言いたい放題だ。しかし、当のパイパーがここにいないため、フォローするものなどどこにもいない。
 更に小太郎は、その男の脇を通り抜ける際に妙な寒気を感じたと付け加えた。
 『狗』と名乗っているとは言え人狼族。人間よりもはるかに優れた超感覚を持っている事は間違いないだろう。つまり、三人目の男が悪魔パイパーである事は分からなくとも、まともな相手でない事は予測できる。横島達は、コートの男と同類であると考えていた。
「お兄様、その事を早くお知らせしたらどうですか?」
「そ、そうだな。麻帆良が狙われてるのは確かなんだし、学園長に――」
 愛衣に言われてその事に気付いた横島は、早速ポケットから携帯電話を取り出す。
「学園長? 警察ではないのか?」
 しかし、そこで今まで腕を組み、瞑目して黙っていた大豪院がピクリと片眉と共に瞼を開いた。
「いや、それは…」
 そうなのだ、魔法使い、関東魔法協会について知らない者達にとっては、学園長はただの麻帆良学園の責任者に過ぎない。あの頭を怪しんでいる者も少なからず存在するだろうが、それだけだ。ここで非常事態を報告する相手としては不適当である。
 失敗に気付いた横島。しどろもどろになってフォローしようとするが、無言でこちらを見据える大豪院は、そうそう誤魔化されてはくれそうにない。
 どうしたものかと頭を悩ませていた丁度その時、ベッドでうつ伏せになっていた夏美がむくりと身体を起こした。
「うぅ…」
「おぉ! 夏美ちゃん、もう起きて大丈夫なのか? どこか痛いとこはないか?」
「あ、ハイ、横島さんのお札のおかげで…もう大丈夫です」
 それと同時に身を翻すようにして横島は夏美の方へと顔を向ける。夏美の事が心配なのも確かだが、誤魔化すのが無理ならばこのまま強引に話を変えてしまおうと考えてこその勢いだ。声を掛けられた夏美は心配を掛けまいと弱々しい笑みを浮かべて答える。
 一方、大豪院は横島の意図に気付いていたが、夏美を押し退けてまで自分の話を押し通すつもりはないようで、再び黙り込んで二人の会話を見守っていた。
「愛衣、私達もそろそろおいとましましょうか」
「えっ…あ、はい、そうですね」
 愛衣は一瞬、この状況で何故と言いたげな表情をしたが、高音が目配せをした事により、すぐに横島が動けない代わりに自分達が学園長への報告に行くのだと気付く。
 確かにこの状況ならば、高音達だけで報告に行くのは良い考えだ。二人で報告すれば、学園長も鵜呑みにはせずとも警戒を強めてくれるだろう。
 二人はすぐに行動に移そうと立ち上がり、料理を全て平らげて満足そうな小太郎の脇を通って、扉の前に立つ。
「それじゃ、お邪魔しました」
 優雅に振り返り、ご丁寧に一礼。
 そして扉を開き、外に出ようとしたその瞬間、高音の目の前を一人の寮生が横切った。

「うわあぁぁぁッ!?」

 ただし、「走り抜ける」ような生易しいものではない。
 その寮生は何かに吹き飛ばされていた。すぐさま高音は扉から顔を覗かせて視線で追うと、その寮生は数メートル先で廊下に叩き付けられている。
 呻き声を上げているので生きてはいるようだが、だからと言って軽い傷でもない。
「愛衣、下がりなさい! 横島君!」
 そう言って高音は愛衣を部屋の中へと突き飛ばし、自らは倒れている寮生へと駆け寄って行く。それと同時に豪徳寺、大豪院が立ち上がって廊下へと飛び出した。愛衣を受け止めたために横島は出遅れてしまったが、更に小太郎、山下、中村の三人も豪徳寺達の後に続く。
 彼らが廊下に出てみると、そこは既に大勢の寮生達が倒れていた。
 どうやら彼等は千鶴が料理を持って部屋に戻った後も部屋の前に集まっていたようで、ここに倒れているのはその寮生達である。
「クッ…一体何が」
「豪徳寺、どうやらヤツの仕業らしいぞ」
 大豪院が廊下の先を見据えて構えを取る。
 続けて豪徳寺もそちらに目をやると、そこには小太郎の言葉通りに頭頂部が禿げ上がったピエロの生首が浮かんでいた。いや、正確には首だけではない、二つ手首に二つの足首、そして首のすぐ下には二つの大きなボタンらしき物が浮かんでいた。手首の一つがラッパを持っており、それが場違いな不気味さを醸し出している。
 豪徳寺達はその正体を知らないが、この宙に浮かぶバラバラのピエロこそが悪魔パイパーだ。
「な、なんだありゃ…」
「動きをよくみろ、あのパーツは全て繋がっている」
 その異様な姿に驚愕し、目を丸くする豪徳寺に対し、大豪院は宙に浮かぶそれぞれのパーツが一つの身体として、連動して動いている事に気付く。
「小太郎君が言っていたのは黒……そうか、透けているのか!?」
 豪徳寺にも合点がいった。
 光学迷彩かとも考えるが、それを判断する術は彼等には無い。
「貴様、何者だ! これは貴様がやった事なのかッ!?」
「ホッホッホー! 群がって邪魔だったんでね、オイラが掃除してやったのさ――こんな風になッ!!
 突き出した掌から撃ち出された魔力の塊が襲い掛かる。
 豪徳寺は咄嗟に前に出て、両手を交差してそれを受け止めた。
「ムッ…」
「豪徳寺!?」
「痛てぇな、オイ! 大丈夫だ、大した事は無い」
 気を高めて防御したようで、修行の成果か学ランの袖はボロボロになってしまったが、腕そのものは無事のようだ。
 まさか防がれるとは思っていなかったパイパーの動きが一瞬止まり、大豪院がその隙を見逃さずに動く。
「一点集中ッ!」
 気合一閃、大柄な体からは想像もできない素早い踏み込みでパイパーに近付き、顔面を目掛けて突き上げるようなアッパーカットを繰り出した。
 本当ならば得意の正拳突きを胴体に叩き込んでやりたいのだが、透けた身体に拳で殴って通用するのか不安だったため、首から上を直接狙ったのだ。
「甘いぞ、デクノボー!」
 しかし、その攻撃はあっさりとパイパーの手に受け止められてしまった。
 元より地の上に立たず、宙に浮いているパイパー。地を這う者が放つ下から上へ向けての攻撃など、少し身体を浮かせてしまえば、すぐに威力を失ってしまう。
「む、ぐぅ…!」
「ホーッホッホ、どうしたどうした、骨の軋む音が聞こえるぞ?」
 そのまま大豪院の拳を握りつぶそうとするパイパー。
 細い指からは想像もできないような握力。まるで万力に締め付けられているかのようだ。
「うおぉぉぉぉぉっ!!」
 廊下に響き渡る大豪院の雄叫び、その拳の骨が今にも砕け散らんとしたその時―――

「超必殺『漢魂(オトコダマ)』ッ!」
「裂空掌ッ!」
「あだっ!」

―――豪徳寺、中村の放った気の遠当ての技がパイパーの側頭部に見事命中。
 全くの無傷とはいかなかったようでキッと二人を睨みつけるが、その瞬間を狙って小太郎の放った『狗神』が大豪院の拳を掴むパイパーの腕に噛み付いた。
「ぐわっ!」
 これにはたまらずパイパーもその手を放してしまう。
「フッ、助太刀するぞ大豪院!」
 続けて山下が動いた。
 得意の気による身体強化でスピードを上げ、一気に大豪院の影から飛び出し襲い掛かる。
「食らえ、3D柔術ッ!!」
「なめるなっ! 人間風情があぁッ!!」
 しかし、パイパーもやられっ放しではない。
 山下の拳が届く直前に、全身から放電するように魔力を放ち、小太郎も含む豪徳寺達五人をまとめて寮生達と同じように吹き飛ばしてしまった。

 倒れる何人もの寮生達を見て、緊急の時のための治療用の水薬を寮生達に与えていた高音は、その爆音に気付いて立ち上がった。この水薬は当然、魔法薬(ポーション)なのだが、非常時には一般人に使う事も許されている。彼女のような魔法生徒だけでなく、魔法先生も常備している備品の一つである。
「貴方、その姿は…悪魔パイパーね!」
「ホウッ! オイラを知っているとは感心、感心」
 高音はパイパーの事を知っていた。
 パイパーはその昔、ヨーロッパを荒らし回った魔族の賞金首だ。人類に与えた被害は魔族の中でもトップクラス、魔法世界にもその名が知れ渡っている。

「パイパーだとぅ!?」
 一方、部屋の中でも横島が驚きの声を上げていた。
「お。お兄様ぁ…」
 不安に押し潰され、消え入りそうな愛衣の声。彼女もパイパーの名は知っているようで、奮えが止まらないようだ。
 千鶴はまだ気丈そうに振舞っているが、夏美は明らかに怯えている。
 今の状況で逃げればどうなるかは火を見るよりも明らかだ。横島も正直逃げたいのだが、その背に少女達の視線が突き刺さっている。彼女達は横島を頼りにしているのだ、流石の横島もこれでは逃げ出す事ができない。
「は、はは、はーっはっはっ、この横島お兄様に任せなさい!」
 半ばヤケクソで横島は叫んだ。
 愛衣にはいざと言う時は魔法の事が知られてしまっても良いから、箒に乗って逃げろと耳打ちし、こうなれば一人で戦うよりも、外に居る高音と一緒に戦った方が良いだろうと覚悟を決めると、いつも通りに『栄光の手(ハンズ・オブ・グローリー)』とサイキックソーサーをそれぞれの腕で発現させ、高音の待つ廊下へと躍り出た。
「出て来たか、横島ァ! あの時の借りを返してやるぜッ!!」
「く〜! お前もコスモプロセッサで復活したクチかぁ」
「よく分かってるじゃねぇか、お利口さんだ」
 そう、このパイパーはアシュタロスがコスモプロセッサを行使して妖怪、魔族を大量発生させた際に復活した悪魔族の一匹である。
 かつて横島は、令子の除霊助手だった頃に、パイパーと一戦交えている。あの頃は霊力も使えない素人であったが、パイパーの力の源である『金の針』を持って逃げ続け、それを人質に令子の命とを天秤に掛けて交渉合戦を繰り広げたものだ。
「横島君、パイパーを知っているの?」
「助手だった頃にちょっとな」
「そう…」
 呟く高音の表情は優れない。パイパーの恐ろしさについては現代の人間界よりもパイパーが暴れ回っていた時代を直接知る者が存在する分、魔法世界の方でまことしやかに語られているのだろう。
 どうするべきか、高音が考えている内にパイパーが動き出した。
「貴様はこのオイラ直々にガキにしてやる!」
 そう言って手にしたラッパを吹き出す。
 高音と横島の二人は、それが人間を子供に変えてしまう呪いの旋律である事を理解しているため、咄嗟にそれを防ぐための行動を起こそうとした。
「あーっ!」
 しかし、横島はこの時ミスを犯す。
 彼にパイパーのラッパを防ぐ術は文珠しかないのだが、既に『栄光の手』とサイキックソーサーで両手が塞がっているため、文珠を出すにはどちらかを一旦消さなければならない。その数秒のタイムラグが命取りとなるのだ。
 逆に、高音には防ぐ術そのものがなかった。簡易結界等で一度ならば防ぐ事はできるのだが、今この状況からパイパーがラッパを吹き終わるまでにそれを用意するなど、できるはずがない。
 こうなれば仕方が無い。高音の決断は速かった。
「か、勘違いしないでよ!」
「っ!?」
 あと数秒で吹き終わると言うその時に、いきなり横島に抱きついたのだ。
 突然の出来事に横島は目を白黒させるが、次の瞬間に高音の真意に気付く。
「高音、お前!」
「愛衣の事、頼むわよ」
「ヘイッ!」
 呪いの旋律は完成し、ぼんっと音を立てて高音の身体から煙が吹き出した。
 その煙が晴れた後に残されたのは、幼い一人の少女。そう、高音はパイパーのラッパが防げないと判断するやいなや、自らの身を犠牲にして、パイパーと戦った経験のある横島に全てを託したのだ。
「女に庇われたか…だが、オイラのラッパはまだまだ続くぞっ!」
 一方、パイパーも横島が無事な事を確認すると、再びラッパを吹き始める。
「うわわわわっ!?」
 幼い高音を抱き上げたまま後ずさる横島。高音はきょとんとした表情で状況を理解できていない様子だ。いきなり泣き出さないだけでも有り難い。
 既に文珠は横島の手の中にあるが、文珠の数にも限りがある。
 このまま防戦一方では、いずれ文珠が尽きて横島も子供にされてしまうだろう。
 考えても良い考えが浮かばない。パイパーと一対一ではあまりにも条件が悪過ぎる。仕方なく横島は身を翻して部屋に飛び込んだ。高音を抱いたままでは戦えないため、愛衣に彼女を預けようと思ったのだが、パイパーはすぐに後を追って来る。
「ホーッホッホ! 逃がしはしないぞッ!!」
 扉の前に立ったパイパーは部屋の中をぐるっと見回し、そしてベッドの上にへたり込んだ夏美の姿を見つけた。
 パイパーの目がニヤリと歪む。周りの者を次々に子供にして横島を苦しめるのもいいかも知れない。そう考えたパイパーはラッパを横島ではなく夏美へと向ける。
「夏美!」
 その時、千鶴が飛び出して夏美を庇った。
 パイパーとしては横島の知己であれば誰でも良いため、ラッパを止めたりはしない。
「ッ!?」
 呪いの直撃を受けた千鶴。噴き出す煙が晴れた後には、高音と同じように幼い少女となった千鶴の姿がそこにはあった。
「ちづ姉ーっ!?」
「ホッホッホー! 庇い合うとは、美しい友情だなァ、オイ!」
 これで呪いの犠牲者は二名、内一名は一般人だ。
 何とか文珠で時間を稼ぎ、その間に愛衣達を逃がすしかないかと思案する横島。
 しかし、パイパーはそんな事などお構いなしに再びラッパを吹き始める。

『ウオォォォーンッ!!』

 そのままパイパーがラッパを吹き終わろうとし、横島も仕方なく文珠に『護』の文字を込めたその時、張り詰めた空気を切り裂くような獣の雄叫びが響き渡った。
「な、なんだぁ!?」
 それ自体に力が込められた咆哮に、パイパーは思わず演奏を中断してしまう。
 横島も何事か理解できずにキョロキョロと辺りを見回すが、その声の主は彼の真後ろに立っていた。
 背後で膨れ上がる圧迫感。横島が思わずバッと振り向くと、そこには横島よりもはるかに大きな身体をした、狼面の獣人の姿があった。高音も突然現れたその姿に驚き、泣きはしないものの、怯えて横島にひしっと抱き着く。
「あ、あのー、どちらさんでせうか?」
「………………」
 しかし、獣人はその問いに答える事なく拳を振り上げた。
 横島は咄嗟に高音を背で庇うが、いつまで経ってもその拳が振り下ろされる事はない。それどころか、痛みはまったく感じないのに、戦う音だけが耳に届いている。
 何事かと横島が恐る恐る目を開けると、信じられない光景が広がっていた。
 なんと、狼面の獣人がパイパーと戦っているではないか。
「クッ、食らえッ!」
 パイパーが魔力の塊を撃ち込むが、獣人はそれを手で受け止める。
 勢いに押されて距離は開いてしまったが、ダメージそのものはなさそうだ。
「チッ、狼男(ヴェアヴォルフ)が居るなんて聞いてないぞ!」
「………俺も、言ってなかったからな」
 その時、獣人が口を開いた。
 発声器官の構造が違うせいか異質な声になっているが、横島はその声にどことなく覚えがあった。
「何者だ、貴様…ッ!」
 忌々しげにパイパーが問い掛ける。
 その問いに対し、獣人は構えを取りながら答えた。
 周囲では、比較的ダメージの少なかった豪徳寺達が、痛みを堪えながら身を起こそうとしている。彼等がその構えを見ればこう答えたであろう、「見覚えがある」と。

「我が名は豪院ポチ! 我が一族の誇りに掛けて、これ以上仲間を傷付けさせはせんッ!!」

 朗々と名乗りを上げる大豪院、もとい点一つを加えて豪院ポチ。
 その姿は正に、獣人の姿となった人狼族そのものであった。



つづく


あとがき
 小太郎が『狗』である事と、『狗』に関する設定。
 また、大豪院ポチに関する設定も、『見習GSアスナ』独自のものです。ご了承下さい。

 今回の話で大豪院、もとい豪院ポチの正体が判明。
 点一つ付ければ『GS美神』における人狼族の名前(姓に犬の一文字、名はペットの犬の名前)になると言う事で、彼を人狼族にしてみました。

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