「ウッキーッ!」
「あ、待ちなさい!」
信玄公の執念が宿った猿――信玄猿が園外へと飛び出してしまったため、アスナ、横島、古菲、唐巣の一行もまたそれを追って飛び出した。
遊園地『武士道甲斐ランド』の周辺は自然豊かな山林に囲まれており、園外に出たアスナ達の目の前に初夏の鮮やかな緑が広がる。そして、むせかえるような草木の匂い。どちらも麻帆良ではあまり馴染みのないものだ。
麻帆良学園都市も周辺を見渡せば山に囲まれているのだが、普段は都市内で過ごし、都市外に出向く時も電車を利用する自分達が如何に自然と離れて暮らしているかを思い知らされる。
しかし、決して不快なものではない。むしろ心地良く、思い切り深呼吸したいぐらいなのだが、残念ながら信玄猿を追って『信玄公の軍配』を取り戻さねばならないと言う状況は、それを堪能する事を許してはくれない。
「よし、俺が先頭を行くぞ。ついて来い!」
横島はそう言うとアスナ達の返事も待たずに『栄光の手(ハンズ・オブ・グローリー)』を両手で発動する。両手でのサイキックソーサーと同じように、妙神山の修行を経て扱えるようになった二刀流だ。そのまま一行の先頭に立ち、剣状に変化させたそれらを振り回して藪を払いながら信玄猿を追って駆け出した。
「枝から枝へとちょこまかと…楓ちゃんなら速攻で捕まえられたんでしょうねぇ」
「いない楓を頼りにしても仕方ないアルヨ」
信玄猿を追って走り続け、アスナよりも二周り以上年が離れた唐巣が息を切らせはじめた頃、一行は小高い丘の頂上に辿り着いていた。
「あの猿はどこだ?」
横島は『栄光の手』を一旦消して周囲を見回す。
「霊波なら、あちらの、方から…」
息も絶え絶えの唐巣が指差す先へとアスナ達が目を凝らしてみると、丘の麓の荒廃した平地に軍配を持った信玄猿の姿を見つける事が出来た。
「な、なにあれ…」
ただし、そこに居たのは信玄猿だけではない。猿アルなと古菲が呟き、横島と唐巣も同意するように頷く。そう、そこには無数の猿の群が、信玄猿を中心に集結していたのだ。
はじめは荒廃していると思っていた平地だが、よく見てみるとそうではない事が分かる。
平地を埋め尽くす枯れ色は土や枯れ草の色などではなく猿の体毛。平地全体を猿の群が埋め尽くしており、その全てが丘の上のアスナ達一行を睨み付けているのだ。
「百…いや、もっといるな」
「まさか、近隣の猿を集めたのか?」
平地自体、さほど大きなものではないようだが、それでも猿の数は百どころか二百、三百ではきかないだろう。
「武田猿軍団アルか?」
流石に騎馬武者はいないようだが、猿もあれだけの数が揃えば脅威である。唐巣は相手がこれだけの規模となるなら、一旦退いてオカルトGメンに応援を要請するなり、態勢を整えるべきかと、思わず一歩後ずさった。
その時、一斉にアスナ達の背後から金切音のような猿の声が響き渡った。
何事かと振り返ってみると、どこかに隠れていたのか、ここに来るまでは姿を見せなかった猿の群が土埃を上げて丘を駆け上って来ていた。麓の猿軍団程ではないが、相当の数である。
こちらもまともに正面からぶつかるには、少々酷な相手だ。焦ったアスナと古菲は慌てて奇襲を仕掛けてきた背後の猿軍団とは逆の方向に逃げようとするが、それを横島が二人の腕を掴んで止める。
「待てっ! そっちに行ったら猿の思うツボだぞ!」
「えっ…?」
言われてアスナ達も気付いた。咄嗟に背後から迫る猿軍団とは逆方向に逃げようとしたが、その先、つまり前方へと丘を駆け下りて行くと、そこに待ち構えているのは信玄猿率いるもう一つの猿軍団、おそらく本隊だ。
「き、啄木鳥(きつつき)戦法、か…」
愕然とした声で呟く唐巣。啄木鳥戦法、それはかつて川中島の戦いにおいて、武田信玄が宿敵である上杉謙信に対して仕掛けた計略である。にわかに信じ難い話だが、それを今、信玄猿が猿軍団を用いてアスナ達一行に仕掛けて来たのだ。
「文珠ーーーっ!」
横島の判断は早かった。
すぐさま文珠を出して『霧』の文字を込めて発動させると、噴き出した濃霧が辺りを包み込んで皆の視界を奪い去り、右も左も分からなくなった猿達は戸惑った声を上げてその足を止める。
「もういっちょ!」
続けて横島は両手にサイキックソーサーを発動させ、それらを頭上に向けて放り投げた。コントロールされた二つのサイキックソーサーは空中でぶつかり合い、爆音と爆炎を迸らせる。
それが決め手となった。霧の向こうから聞こえてくるのは耳障りな金切り声。猿軍団は混乱の坩堝に陥り、我先にとこぞって壊走し始めた。
「逃げるぞーっ!」
その掛け声と同時に古菲と唐巣が走り出す。当然、彼女達も視界を奪われているので手探りの状態なのだが、方向さえ間違えなければ後は丘を下るだけだ。唐巣が一度木にぶつかったりもしたが、こちらはさほど問題はない。一方、アスナは咄嗟に動くことが出来ずにきょろきょろとしていたが、そうなると予想していた横島がアスナを抱き上げると、一目散に逃げ出す。その方向は奇襲を仕掛けて来た背後の猿軍団。最早散り散りの状態になっている猿の群を中央突破する形で一行は窮地を脱し、『武士道甲斐ランド』に逃げ込んだ。
そして、一同は息を切らせて園内を駆け抜けて行くのだが、この時点で開園時間が過ぎていたため、園内は入場客で賑わっていた。親子連れ、恋人達、彼等の楽しそうな笑顔とは裏腹にそれを見る唐巣の表情はどんどん険しくなっていく。
そのまま事務所に駆け込み、スタッフに事情を説明して、客を避難させる事が出来ないかと聞いてみるが、ゴールデンウィーク初日で天候にも恵まれているため、入場者数がかなり多く、避難させようにも大きな混乱が起きてしまうのは目に見えているとの事。このままでは、武田猿軍団が遊園地に攻め込んで来た時に、一般人にも大きな被害が出てしまう。唐巣は苦悶の表情でぐっと唇を噛んだ。
唐巣が難しい顔をしてスタッフと話をしている間、横島、アスナ、古菲の三人は呼吸を整えながら、こちらに残っていた夕映とエヴァが買ってきてくれた飲み物を受け取って、喉を潤していた。
飲み物のチョイスに関しては悪い意味で定評がある夕映だが、流石にエヴァが止めてくれたらしくどこにでもあるような清涼飲料水である。走り回って乾いた喉に冷たいそれが流れ込んでいく。
「ふーむ、武田信玄の執念に取り憑かれた猿か。冗談みたいな話だな」
「猿が計略を…ですか?」
武田猿軍団に啄木鳥戦法を仕掛けられた事を話すと、やはり二人は信じられないと言いたげな表情を見せた。
当然であろう。横島達もいまだに信じられない。
「あの猿達、私達を追い掛けてくるのかしら?」
「どうだろなぁ。俺達を敵視してるなら来るだろうし、他に目的があるならそっちを優先するんじゃないか?」
「目的って何アルか?」
古菲のツっこみに横島はピタリと動きを止め、そして腕を組み、首を傾げて考え始めた。
『信玄公の軍配』、正確にはそれに宿る執念は近付く者に自分を手に取らせようとしていた。その結果呼び寄せられたのがあの猿であり、手にした猿はあの通り信玄公の執念に取り憑かれてしまった。
では、軍配の執念は何を目的として猿に取り憑いたのだろうか。
武田猿軍団の次の行動を知るためには、それについて考える必要があるだろう。横島だけでなく、アスナ達四人もまた頭を捻って考え始め、それはスタッフとの話を終えた唐巣がやって来るまで続けられるのだった。
見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.62
唐巣は溜め息混じりで戻ってきた。彼が項垂れると同時に前髪がハラリと抜け落ちているように見えるのは気のせいだと思いたい。
「あ、唐巣神父。どうなりました?」
「やはり、入場者の避難は難しいそうだ」
遊園地側としては、大勢の客で混雑しているからと言うのもあるが、ゴールデンウィークの初日にそんな事件を起こしては、風評被害で明日以降の客の入りにも響くとでも考えているのだろう。客の安全を考えてないのではないかと不満気な表情を見せるアスナと古菲。一方、横島と夕映の二人は、遊園地にとってゴールデンウィークのような行楽シーズンが如何に稼ぎ時であるかが理解できてしまうため、う〜むと唸っていた。
「幸い先程の様子では、猿軍団も完全に支配され、統率された集団と言うわけではなさそうだからね。仮に遊園地に近付いて来たとしても、大きな音とかで脅かせば逃げていくだろう。地元の役所や猟友会の方にも協力を要請している」
「オカルトGメンは来てくれないのですか?」
夕映の問い掛けに、唐巣は苦虫を噛み潰したかのような顔をして黙り込んでしまった。これには横島が代わって、『武士道甲斐ランド』は事を公にしたくないのだと答える。
オカルトGメンは公共機関。これに応援を要請すると言う事は、事が公になってしまうと言う事だ。オカルトGメンが発表しなくとも、最近は報道機関がオカルト関係のニュースに目を光らせているため、下手をすれば今日の夕方にはニュースになってしまうかも知れない。
「こういう時に、秘密裏に解決するのがGSだからなぁ」
「…え〜っと、結構アングラな仕事なんですか? GSって」
「と言うよりも、あまり自慢できるものではないだろ、霊障に遭うと言うのは。うらめしや〜だぞ?」
アスナの素朴な疑問に今度はエヴァが答える。最後の部分はご丁寧に両手を胸の前でだらりと下げ、舌を出しておどろおどろしさを演出している。怖がらせるつもりなのだろうが、どちらかと言うと可愛らしく見えてしまう事については、本人の名誉のために誰も触れないでいる。
しかし、彼女の言う通りであった。霊障が起きると言う事は、何かしらの恨みつらみが存在すると言う事だ。それが依頼者に直接関わりのない事であったとしても、あまり表沙汰にしたくないと考えるのは当然の話であろう。
GSに守秘義務があると言うわけではないのだが、いちいち吹聴するような真似をしないと言うのがGS業界における不文律であり、企業などが依頼者の場合、契約の条件として他言無用と申し付けてくる場合も少なくない。
今回のケースは少々特殊ではあるが、風評被害を恐れていると言う意味ではそれと大して変わらなかった。
「そもそも、ここに来るですか? このまま武田猿軍団を率いて川中島にでも向かった方が納得がいくです」
これは夕映の弁。かつて決着が付かなかった宿敵上杉謙信との対決を今こそつけるために現代に蘇った。確かに歴史を紐解けばそう推理する事も出来る。
猿軍団が居たのは『武士道甲斐ランド』の北側。もし、この説が正しければ、猿軍団はこのまま北上し、遊園地が被害に遭う事もあるまい。
「いやいや、他にも考えられるぞ――」
横島がそう言い掛けたところで、事務所に先程の横島達のように息を切らせたスタッフが飛び込んで来た。
「どうかしたんですか?」
「さ、猿軍団が…猿軍団がここに向かっています!」
「げっ…」
「猿軍団の数は?」
「わ、わかりません、千匹以上はいそうな猿の集団です!」
「「「「えーーーっ!?」」」」
先程よりも更に数が増えている。横島はあちゃーと天を仰いだ。どうやら彼の予想が当たってしまったようだ。
「上洛、ですか」
夕映もすぐにピンと来たらしい。しかし、やはり『バカレッド』のアスナと『バカイエロー』の古菲は何の事だか分からなかったようなので、『バカブラック』かつ『バカリーダー』である夕映が簡単に説明をする。
「史実において、信玄公は上洛を目指すも、志半ばにして病に没したと言われています」
「それは何度か聞いてるんだけど…」
「『ジョウラク』って何アルか?」
そこから説明しなければならないのかと夕映はがっくりと肩を落とした。
『上洛』と言うのは、室町時代末期、すなわち戦国時代において、室町幕府の将軍を保護し、京都へと上る事を指している。
その頃の京都は応仁の乱以降百年以上続いた戦乱で荒廃しており、そこを支配する事自体には実質的な意味はなかった。しかし、将軍の御所等は京都に在り、将軍を保護することは自らの力を示す好機だったのだ。戦国大名にとっては、その結果として全国支配のために必要な権威を手に入れる事こそが目的なのである。
「ハイここ、試験に出るですよ」
「いや、歴史の授業じゃないアル…」
夕映の説明を聞き終えて、どこか疲れた様子の古菲。しかし、おおよその事は理解できた。
「今の時代に京都に行く事に、何か意味あるのかしら?」
「…まぁ、執念だからなぁ」
意味があるかどうかは関係がない。信玄猿にとっては、上洛を果たす事こそが重要なのだろう。
「南下して、東海道に出てから、西と言ったところか」
唐巣は頭の中で猿軍団の進路を思い浮かべて、予想される武田猿軍団のルート上に『武士道甲斐ランド』がある事に気付き、大きな溜め息をついた。
「とにかく、遊園地に近付く猿をどうにかしましょう」
「そうだね。爆竹や空砲で脅かせば、猿もここを迂回するかも知れない」
「猿害対策は、それだけでは足りないと言われてるですが?」
唐巣は何とか猿軍団を園内に入らせないようにと案を出すが、すかさず夕映の反論を食らい、数本の前髪が散る。彼女の言う通り、猿は学習能力が高く、罠を仕掛けたりして、しばらくは追い返す事が出来たとしても、すぐに効かなくなってしまうのだ。
「犬でも呼んでくればいいのかしら?」
「ヤギが効くって聞いた事あるなー」
とは言え、ここは動物園ではなく遊園地だ。必要だからとすぐさま動物が出てくるわけがない。
現在進行形で迫り来る猿軍団には、やはり横島達の手で対抗するしかないだろう。
「横島君は私と一緒に来てくれ。猿を水際で食い止めるんだ」
「了解っス」
唐巣は横島を連れて二人で園外に出る事にした。現在、猿軍団に対して最も有効な手段は横島のサイキックソーサーだ。文珠も効果がありそうだが、こちらは何度も使う事が出来ない。
更に横島はエヴァに応援を要請しようとする。
「エヴァは手伝ってくれるか?」
「別に構わんが…近隣の猿が絶滅しても知らんぞ?」
「いや、それは流石に不味い」
対するエヴァは承諾の返事を返すが、いくらなんでもその内容では頷く訳にはいかない。
けろりとした表情で言っているが、それはエヴァが真実を口にしている証拠だ。確かに今のエヴァは魔力の封印が解けた全開状態。強い事は確かなのだが、逆に手加減が出来ない状態なのである。
魔法を使わない状態でも彼女は十分戦力になるのだが、それだけを求めるならば、彼女の手を借りる必要はない。今必要なのは、大規模な爆音等、猿を怯えさせ、逃げ出させるための手段なのだ。
「あのっ、私達は?」
「中の方を頼む、流石に全部はフォローし切れんだろうし。お客さんに被害が出ないようにな」
「わかたアル!」
アスナと古菲は園内を担当する事となった。中に入り込んだ猿が、客に襲い掛かるのを防ぐのが目的だ。猿を追い払い、場合によっては捕獲する。
「それならば、お二人にはこれを」
そう言って夕映が二人に渡したのは耳に装着する形のトランシーバー。スタッフが普段から使用している連絡用の物だった。夕映はモニタールームで監視カメラの映像を見ながら、随時二人に連絡を入れてくれるそうだ。
『武士道甲斐ランド』側としては「ちょっと猿が園内に紛れ込んだ」と言う、軽いハプニングとしてこの件を処理したいとの事。園内における猿の追い払いについてはスタッフも協力してくれるらしい。
「更にこれを」
「………これを着るの?」
スタッフがアスナ達に手渡したのは特撮ヒーローが着ているような全身スーツ。ただし渡された二着は両方とも赤を基調としたもので、つまりどちらもレッドである。
表面はプラスティック製のプロテクターで覆われており、どうやら武者の鎧をモチーフにしているようだ。頭に被るヘルメットもある。こちらもモチーフは兜。額部分は金色の前立で飾られており、これまた武士らしい。
スタッフによると、それは『武士道甲斐ランド』の所謂ご当地ヒーロー、名は『甲斐ランダー』と言うそうだ。
アスナ達のような私服姿で猿を追い払うのは問題がある。客が自分達も手伝えないかと猿に手出ししかねないからだ。手伝う事自体が問題と言うわけではなく、猿に近付いた事で怪我でもされたら問題となる。
客の安全のためにも、あくまで猿への対処はスタッフのみで行い、客は逃げると言う形を徹底しなければならない。
「しょうがないわね〜」
「でも、顔を隠せるアル」
正直これを着るのは恥ずかしいが、猿と戦う姿と言うのもみっとも良いものではない。客の前に出るのは確実なのだ。古菲の言う通り、顔が隠せると言うのは有難かった。
アスナ達が更衣室に向かい、横島は唐巣と共に事務所から飛び出して行った。夕映はスタッフに案内されてモニタールームに向かおうとするが、その前に一人事務所から出ようとしていたエヴァに声を掛ける。
「エヴァさんはどちらへ?」
「私の出番はなさそうだからな、客の中に紛れ込んで猿を見張っといてやろうと思ってな」
と言いつつヒラヒラと手を振りながら事務所から出て行こうとしている。出番がないので遊ぶ気満々だ。
聞いた話によると、彼女は修学旅行の時、大阪のUSJに行ったはいいが千草一味の陽動のための襲撃によりお目当てのジェットコースターに乗れなかった事があるそうだ。だから今回こそは乗りたいのだろう。
とりあえず、エヴァが客側にいれば、彼女の楽しみを邪魔しようとする猿が居れば軽く蹴散らしてくれるはずだ。しかも、こっそり魔法を使って周囲にバレないように。
ここでエヴァがこの事務所でじっと待っていても今回の件を解決するにはプラスマイナスゼロだ。また、彼女が客に紛れて遊んでいてもマイナスにはならない。むしろ、彼女がいる地点は安全になるためプラスだと言えるだろう。
そう判断した夕映はエヴァを止める事はせずにそのまま見送る事にし、エヴァはそのまま鼻歌を歌いながら事務所から出て行った。
園外に出た横島と唐巣の二人。前方は緑の森、背後には色とりどりの賑やかな遊園地。子供達の歓声も聞こえている。なんとしても守り切らなければならない。唐巣は早速『武士道甲斐ランド』を囲む柵を利用して結界を張り始めた。
横島はそこから更に猿軍団の方へと駆け出した。信玄猿が命じた命令は南下する事、早くに軍団の中央を崩して左右に分けてしまうのだ。そうする事で意図的に猿軍団に『武士道甲斐ランド』を迂回させる事が出来る。
土埃を上げて迫る武田猿軍団。信玄猿はその霊力を以って近隣の猿全てを集めてしまったのだろうか。その数は千どころか数千に達していそうな勢いだ。
「おりゃ、サイキックソーサー!」
猿の群が見えたところで横島は両手に出したサイキックソーサーを投げる。二つが衝突するのは空中ではなく猿達の前方、爆発と言っても霊力によるものなので、周囲の木々に燃え移る心配はない。
突然前方で爆発が起きた猿達は驚いて左右にバラけていく。横島は更に追い討ちを掛けて猿軍団を散り散りにして行った。
「地面の方はどうにかなるが…」
ぼやきつつ横島は頭上に目をやった。そこには枝から枝へと飛び移りながら前進する猿達の姿が見える。その数は地面を走る猿の数に比べれば極僅かだが、それはあくまで比較論。元々の数が多いため、それでも数十匹となる。
しかし、流石にその一匹一匹を狙い撃ちにするわけにはいかない。そんな事をしていれば、その隙に地面側を無数の猿が駆け抜けて行ってしまうだろう。
あまりにも数が違い過ぎる。横島一人で対応するには、それが限界であった。上側を突破して行った猿達に関しては園内のアスナ達に任せるしかない。
『アスナさん、古菲さん、来たです!』
耳に装着したトランシーバーから夕映の声が聞こえてきた。
その連絡を受けるのは『甲斐ランダー』の衣装を身に着けたアスナと古菲。肩、胸、腰、それに手足に甲冑を模したプロテクターがあるため、一見しただけでは体型が分からず傍目には性別も分からないだろう。青年男性として見れば背が低過ぎるだろうが、顔も見えないのだ。そんな事を気にしてはいられない。
更に古菲はスタッフからネットを二つ借りて持っている。猿を追い払うだけではなく、場合によっては捕らえるためだ。
長袖の赤い制服を着た、体格が良いアルバイトスタッフが五名、これに同行する。ネットで捕らえた猿達を確保するのは彼等の役目である。
「北側から侵入したのね、分かったわ!」
「アスナ、行くアルヨ!」
そう言って古菲は駆け出し、アスナもまた神通棍を伸ばしてその後に続いた。
格好が格好だけに刀でも持てば似合っただろう。『甲斐ランダー』の小道具の中に刀があるらしいが、流石にそれでは戦えない。
「神通棍は強過ぎないアルか?」
「『ハマノツルギ』でもいいんだけど…あれ外見がハリセンだから見た目で猿に舐められそうで…」
走りながら古菲が問い掛けるとアスナは少し困った表情になって答えた。確かにハリセン片手に向かっていっても猿に馬鹿にされてしまいそうだ。なるほどと古菲は頷いた。
せっかく使えるようになった神通棍を使いたいと言うのもあるのだろう。横島に除霊の仕事の一端を任せられたのが嬉しいと言うのもある。ヘルメットのおかげで二人の顔は彼等に見えていないのだが、それでも園内を駆ける二人に客達が視線を向けており、アスナはどこか誇らしげであった。
「あ、いたわっ!」
「数が少ないアル。これなら網でっ!」
駆け寄るアスナ達に気付いた猿が逃げ出そうとするが、スピードを上げて踏み込んだアスナが、先回りするように霊力の光を放つ神通棍を振り下ろす。
行く手を遮られた猿達は進むに進めずたたらを踏み、その隙を突いて古菲がネットを被せると、すぐさまスタッフがそれを押さえ込みに掛かる。それで猿達は一網打尽となった。
『アスナさん、古菲さん、続けて西側! 迂回した猿が入り込み…ああ! そこからすぐ東のミュージアムにも猿が近付いています!』
終わったと思った次の瞬間に届く夕映の通信。
アスナと古菲は、捕らえた猿をスタッフに任せて二人だけで次の行動に移る事にする。
「次はネットは使えないわね」
「捕まえても、押さえ込んでるヒマが無いアル」
古菲は残った一つのネットをマントのように羽織った。何かを捕らえるために作られた専用の投網ではないので、相手の動きを一時期的に止める事は出来ても、その後は力で押さえ込まなければならないのだ。数によってはアスナと古菲の二人でも可能だろうが、その間二人がその場から動けなくなってしまっては元も子もない。
「夕映ちゃん、私達はミュージアムの方に向かう事にするわ!」
『分かりました。西側にはスタッフの方達に向かってもらいます』
ここから近いミュージアムに向けて駆け出す二人。
実は、それを見送る者がスタッフ以外にもう一人居た。
「よしよし、元気に駆け回れよ。私の楽しみのためにな」
この場所から程近い絶叫マシーンの行列に並ぶエヴァだ。
いざと言う時は、列に並んだままこっそり魔法で援護しようかと思っていたが、その必要はなかった。あの二人、中々に手際が良い。
事務所を出てからすぐにここに来たのだが、開園からしばらく経っていたせいか既に長蛇の列が出来上がっており、こうして並ぶ羽目になっている。しかし、そんな事などおかまいなしに、今か今かと自分の順番を心待ちにしていた。
「明日はまた別の場所だと言っていたからな、今日は遊びまくってやるぞ!」
わくわくと目を輝かせるエヴァ。その表情はまさに、遊園地を楽しむ子供そのものであった。
一方その頃、横島は武田猿軍団を東西の二つに分断し終えていた。途中、軍配を持った信玄猿を見かけたような気がするが、すぐさま人――もとい猿波に飲まれて見えなくなってしまったため、確認できずに終わってしまう。
横島が全速力で唐巣の元に戻ると、地元の猟友会の猟師達が駆けつけてくれていた。
「横島君、猟友会の方達が来てくれた。私は、彼等と共に空砲で猿を追い払う!」
「分かりました! それじゃ、俺はこっち側に!」
ある程度の範囲に結界を張り終えていた唐巣は猟師達と共に西側へ、横島は一人で東へと向かう。この分け方は、横島の二つのサイキックソーサーによる爆炎と爆音が空砲よりも遥かに効果があるためだ。
こうして結界を張ったとは言え北側全てをカバーするには至らない。それどころか東西からは容易く侵入する事が出来る。既に百匹程度入り込んでいるだろう。それについては園内のアスナ達に任せるとして、横島と唐巣は、やはり当初の予定通り、猿を脅して追い払うしかない。
「サイキックソーサーは、威力の割には使う霊力少ないけど、流石に連発するとキツいな…」
流石の横島も息が切れてきており、走るスピードも落ちてきている。
しかし、ここでへこたれている訳にはいかない。園内ではアスナ達が頑張っているのだ。アスナの師匠として無様なところを見せるわけにはいかない。
目を瞑れば色鮮やかに思い出せる。アスナとの出会い、GSを目指して努力してきたアスナとの日々を。
そして横島は目を開き、自分を奮い立たせるようにこう叫んだ。
「煩悩集中ーーーッ!!」
思い出以外にも色々と思い出していたらしい。
横島の額から発射された強力な霊波砲が柵を越えて園内に入ろうとしていた猿達の行く手を、地面を抉るように薙ぎ払い、阻んだ。猿達は恐れをなして逃げ出して行く。
それにしても凄まじい威力だ。煩悩により増幅された霊力を撃ち出すだけと言う単純な霊能だが、その破壊力はサイキックソーサーや『栄光の手』を超えていると言っても過言ではない。
「ふっふっふっ、使った以上に霊力をチャージ出来たぞ」
勝ち誇るようにニヤリと笑う横島。アスナだけでなく、麻帆良で出会った少女達の事も思い出して、消耗した霊力を煩悩で回復させてしまったようだ。マッチポンプも良いところである。
とにかく、強引に元気を取り戻した横島は、更にスピードを上げて猿軍団へと突撃して行った。
西側からは空砲の音が響いてくる。今頃は唐巣も猿軍団を相手に奮闘しているのだろう。園外における人間対猿の戦いは、今のところ人間側の優勢に進んでいた。
一方、アスナと古菲の二人は園内で東奔西走していた。横島達が北側中央を抑えた事もあり、そこからの侵入がなくなった分、猿の侵入が東西からに振り分けられてしまったのだ。
一般客には、イベントの一つとして捉えられているようで、子供達が園内を走り回る『甲斐ランダー』に手を振り、二人はそれに手を振り返したりしている。
『西側…そこからすぐ南です。モガちゃんハウスに猿が入り込みました!』
「分かった、すぐに向かうわ!」
『今度は東側、ホテルの駐車場に現れました!』
「ホテルの向こう側か、了解アル!」
『そこからすぐ北にある武士道温泉です!』
「今度は近いわね…行くわよ!」
『西側第二入園口付近に猿出現、急いでください!』
「…は、反対側」
「アスナ、頑張るアルヨ!」
「ムッキーーーっ!!」
「アスナが猿になてどうするアルか」
あまりにも数が多すぎてアスナが切れてしまった。
無理もあるまい。当初はただの女子中学生に何が出来ると言いたげな目をしていたスタッフ達のほとんどが力尽きるぐらいに走り回ったのだから。
そんな彼女達に追い討ちを掛けるように、状況は更に悪化していく。
猿達が学習したのか、何発空砲を撃っても効果がなくなってしまい、とうとう西側が突破されてしまったのだ。第二入園口付近にはレストランがあり、そこを目掛けて猿軍団が殺到、更に園内各所に散らばって行く。
『た、大変ですアスナさん! 西側が突破されてしまいました!』
「なんですって!?」
夕映の通信に驚きの声を上げるアスナ。古菲は何も言わずにいの一番に駆け出した。
この状況の変化はもう一人にも被害を及ぼす事になる。
「ふふっ、次だ。いよいよ乗れるぞ」
絶叫マシンの列に並んでいたエヴァだ。ようやく次の番で乗れるところまで来ていた。
「…ん?」
にわかに周囲が騒がしくなる。何事かとエヴァが疑問符を浮かべて辺りを見回してみると、周囲に猿の姿が明らかに増えていた。それを見て彼女は、横島めしくじったかと舌打ちする。
ここでジェットコースターに乗るのを邪魔される訳にはいかないのだ。
幸い周囲は騒然としており、誰も彼女に注目していない。
念のために認識阻害の魔法を掛けてから、魔法で猿達を蹴散らしてやろう。そう考えてエヴァが認識阻害の魔法の詠唱を始めようとすると、それよりも早くスタッフが動き出してしまった。
「お客様、大変申し訳ありません。猿達が追い払われるまでアトラクションの運行を中止させていただきます」
「なにっ!?」
思わず詠唱を中断してしまうエヴァ。
ここにいる猿達を蹴散らせば問題ないのだろうと詠唱を再開するが、そんな彼女を更なる衝撃が襲う事になる。
「凶暴化した猿の群が迫っております。皆さん、係員の誘導に従って避難してください」
「なんだとぅっ!?」
中断再び。横島が東西に分断して半分に減らし、唐巣と猟師達も奮闘したが、それでも数が多過ぎたようだ。流石のスタッフ達も入園客の一時的な避難を決めてしまった。
呆然と立ち尽くすエヴァも、スタッフに手を引かれるままに連れて行かれて避難させられてしまう。
途中で我に返ってその手を振り払い事務所に向かうが、そこには夕映しかおらず、横島は園外だと言う事を思い出してその足を止めた。
「………」
避難する人波に背を向けて無言で佇むエヴァ。泣いているのか、小さく肩を震わせている。
修学旅行の時に続き、今またジェットコースターに乗れなかった事が余程口惜しかったのだろう。
振り返ったエヴァは、肩越しに猿が来たであろう西側を見据え、静かな、それでいて力の篭った声でこう呟いた。
「おのれクソ猿共が、目にもの見せてくれる…ッ!」
前言撤回。泣いていたのではなく、怒り狂っていたようだ。
その表情はまさに、怒りの炎に身を焦がす悪鬼羅刹そのものであった。
つづく
あとがき
前回もここに書きましたが、『黒い手』シリーズ及び『見習GSアスナ』はフィクションです、実在の歴史上の人物とは一切関係ございません。
また、『武士道甲斐ランド』の元ネタは言うまでもありませんが『富○急ハイラ○ド』です。
しかし、そのものではないと言う事をここでお断りさせていただきます。
実はアトラクションの配置などは参考にしていたりしますが、アトラクション名、遊園地周辺が山林に囲まれている等は『見習GSアスナ』独自の設定となります。ご了承下さい。
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