人気のなくなったサロンで、エヴァ、学園長、明石教授の三人が一つのテーブルに着き、優雅なティータイムを楽しんでいる。
「ククク、娘はなんとか納得してくれたようだな。良かったではないか」
「良かったのか、悪かったのか……」
エヴァの言葉に頭を掻きながら苦笑して答える明石教授。確かに、娘、裕奈が自分と同じ魔法使いになると言ってくれたのは嬉しい。魔法使いのGSとなり、魔法使いとGSの間を取り持つ架け橋になると宣言した時など、思わず涙ぐんでしまいそうになった。娘の手前、なんとか堪えたが。
しかし、それは同時に、一般人のままでは関わる事のなかったであろう危険に足を踏み入れると言う宣言でもあるのだ。父親としては気が気ではない。心配なのか、座る明石教授はどこか落ち着きが無くそわそわしている。
「そんなに心配なら、様子を見に行ったらどうじゃ?」
「いえ、僕が行くと甘やかしてしまいそうで……それよりも、裕奈やネギ君から魔法を習おうとしている子達のために、魔法界から初等教本を取り寄せる事は出来ないでしょうか?」
「う〜む、それはワシも考えておったのじゃが」
明石教授の提案、それは学園長も考えていた事であった。実のところ、ネギは物心つく頃には自然と魔法が使えるようになっていたため、逆に人に基本的な部分を教えるのに向いているとは言い難い。それを補うためにも魔法界で使われている初等教本は必須であったが、学園長がそれを取り寄せるのは、少々問題があった。
「『あやつ』め、この期に及んでワシの足を引っ張るとは……」
その原因は、数十年前に学園長が行った事にある。魔法使いと一般人の垣根を取り払うために、一般人を魔法使いとして育て上げようとしたものの、弟子の一人が禁呪に手を染め、兄弟弟子を皆殺しにして失踪したあの事件だ。
その事件の影響で、当時麻帆良に居た魔法使いの内、情報公開に反対してた者達が魔法界に帰ってしまい、結果として情報公開が数十年遅れる事になった事は、今でも学園長の心に重くのしかかっている。
学園長が魔法界から教本を取り寄せるのが難しいと言うのも、その事件の残した爪痕だ。また同じ事が起きるのではないかと、魔法界にいらぬ警戒感を与えてしまうのである。今は情報公開の準備を進めている真っ最中なので尚更であろう。
「弐集院君は娘のために個人で取り寄せておるそうじゃし、君の方で皆の分も取り寄せてもらえんかのぅ」
「そうですね。親が子のために取り寄せるのであれば問題も無いでしょうし、やってみます」
幸いな事に、学園長以外の個人が教本を取り寄せる事については、あまり問題視されていなかった。麻帆良に限らず、各地の魔法協会に所属する魔法使い達が、人間界で生まれた自分の子供のために教本を取り寄せる事は、特に珍しい事でもないためである。あくまで、過去に問題を起こしてしまった学園長個人が警戒されているに過ぎないのだ。
「ところで、エヴァよ」
「なんだ?」
「ここの時間設定なんじゃが、通常に戻さんか?」
「……一応、理由を聞いておこうか」
現在、レーベンスシュルト城内の時間は、外の一時間が中での二十四時間となっており、これを設定する権限は、主であるエヴァにあった。
「あの子達の反応を見たじゃろ。あの様子だと、これからどう言う状況になるか――予想出来ない訳ではあるまい」
「む……」
エヴァにも学園長が言わんとしている事が理解出来た。おそらく3−Aの面々は、このレーベンスシュルト城に入り浸るだろう。彼女達の寮は麻帆良学園都市の中でもかなり設備の整った寮だが、この城は更にその上を行く。
現に、ヘルマン一味による麻帆良襲撃の一件で『別荘』の事を知った面々は、帰り際に試験勉強の際に使わせて欲しいと言っていた。早く年を取るぞと脅しておいたが、あまり効果はなさそうだ。
学園長としても、全寮制である麻帆良女子中に通うエヴァが寮以外に住むのを特例として認めている手前、仮に少女達がここから学校に通うようになっても止めるのは難しい。
「3−Aを関東魔法協会公認のクラスにした事で、ある程度の予算は確保出来るが」
「流石に、あの人数が一日に何日分も使うとなると、賄い切れんか」
エヴァの言葉に学園長は神妙な面持ちで頷いた。
そしてエヴァも考える。学園長の言う通りにするのは癪だが、自分一人が食べる分であれば文句は言わせないにしろ、他の者達の分もとなると話は別だ。それに、そもそも別荘を出したのは、京都から持ち帰った書物の山を一刻も早く調べてしまうためである。その文献調査が何の成果も無く終了した今、エヴァに時間を惜しむ理由など無い。むしろ、夏休みになれば、彼女を縛る呪いを解析するために横島と共に妙神山に赴き、女神ヒャクメを訪ねる事になっているのだ。気分は「もういくつ寝ると夏休み」である。
「フンッ……まぁ、いいだろう。このパーティが終われば、この城の時間設定を通常に戻してやる」
この城に客人が入る以上、エヴァも城内で過ごさなければならなくなるだろう。今の時間設定を続けていれば、夏休みまでの時間がとてつもなく長くなってしまう事に気付いたエヴァは、学園長の提案を受け容れる事にする。仕方なくやってやると言う態度で振る舞いながら。
一方、他の者達は、それぞれの目的のために行動を開始していた。
まず、茶々丸は城内の清掃に奔走している。流石に広大な城全体を綺麗にするには、別荘の方に居る姉妹達を連れて来ない事にはどうしようもないだろうが、せめて宿泊に使っている部分だけでも清掃しておこうと考えたらしい。それでも一日では無理だと思われるので、時間を見て超、五月と合流し、昼食の準備を手伝う事になるだろう。
ネギは、魔法を学ぼうとしているのどか達と共にテラスへ。彼に用があるらしいあやかと聡美がこれに続き、のどか達は魔法生徒である美空の手を引いて連れて行った。
一方、豪徳寺達は四方の修行用空間を見物すると別行動を取っていた。危険な場所だとは聞いているが、それがどれ程のものなのか、一度体感しておきたいそうだ。小太郎もその内の一つ、丘陵地帯については知っていたが、他の三つの空間は未見だったため、これを機に見ておこうとついて行く事にする。また、豪徳寺達では転送装置の使い方がよく分からないため、同じく修行用空間を見ておきたい和美が、転送装置が扱えるチャチャゼロを右肩に、左肩にはさよを乗せてこれに同行した。
ちなみに、「魔法使いのGS第一号」になると宣言したばかりの裕奈は、ネギ達と行動を共にしていない。魔法だけでなく霊力を身に付けなければならない彼女は、今日とうとう経絡を開くと言う古菲と一緒に、自分も経絡を開いてもらうつもりらしい。そのため、今は横島達と一緒のはずである。
そして、魔法使いの事情は知ったものの、横島パーティ、ネギパーティ共に深くは関わっていない美砂と円、それに桜子の三人は、高級リゾート顔負けのレーベンスシュルト城を堪能するかと思いきや、意外にも三人揃ってレーベンシュルト城外の出城に居る横島の下に向かっていた。裕奈達が霊能力者の資質があるかどうかを横島に調べてもらったと言う話を聞いて興味を持ったらしい。
「横島さん、桜子調べて!」
「……えっ、私?」
ただし、美砂と円が知りたいのは「自分」に霊能力者の資質があるかどうかではない。
信じ難い程の強運の持ち主であり、彼女が賭けたものが実現するとさえ言われる少女、椎名桜子に資質があるかどうかであった。
見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.79
出城では、中庭に横島、アスナ、古菲、夕映、裕奈の五人が集まっており、城内には木乃香、刹那、千鶴、夏美、アキラ、風香、史伽の七人が居た。城内の面々は、サロンを作るために利用した倉庫内に家具がまだまだ余っていたため、こちらの出城にも修行中の休憩所を作ろうと言う事で、木乃香が式神を使って家具を運んでいる真っ最中である。すらむぃも例の不格好なゴーレムを作って、それを手伝っていた。
横島は、突然中庭に桜子を引きずるようにして現れた美砂と円に目を丸くしている。
「桜子ちゃんに霊力が?」
「そうでもないと説明つかないでしょ、アレは」
「そいや、幸運も不運も霊力が呼び込むもんだって聞いた事あるな」
「やっぱり!」
確かに、桜子は比較的危険に近い位置にいながら修学旅行三日目の晩も石化を免れ、ヘルマン一味が襲撃した時もすらむぃ達に攫われる事も無かった。偶然や直感で危険を回避する事にかけては相当なものがある。
横島としても、今日はアスナのためにサイキックソーサーの手本を見せ、夕映の痛みを和らげるために霊力を送り、裕奈と古菲の経絡を開く、と大量に霊力を使う予定があったため、あまり無駄遣いは出来ないのだが、桜子の強運の秘密と言うのは正直興味があった。
見ると、アスナ達も興味津々の様子である。少し調べる程度ならばあまり霊力も使わないだろうと、横島は桜子の資質調査を引き受ける事にした。
「それじゃ、ここに座ってくれるかな」
「はーい」
横島がベンチに座るように促すと、桜子は特に嫌がる様子もなく腰掛けて、目を閉じた。美砂と円に引きずられるようにしてやって来た彼女だが、資質を調査される事を嫌がっていたわけではなく、ただ単に状況が理解出来ていなかっただけらしい。
彼女自身、自分に資質があるかどうかなど別段興味は無いが、横島に任せておけば身の危険はないだろうし、拒む程でもないと考えていた。
「それじゃ、始めるぞ」
「……んっ?」
横島が露わな首筋に手を当て霊力を送り込み始めると、桜子は意外と早くに反応を示した。
「ちょっと、これ、くすぐったいかも……」
霊力を送り込んだ際の反応は十人十色だが、桜子はまだ身体の内側に霊力が流れる以前の第一段階で、くすぐったさを感じてしまうタイプらしい。この反応は史伽のそれに近い。
しかし、それにしても早過ぎる。急激に霊力を送り込めば夕映の二の舞だ。そのため、横島は少しずつ、ゆっくりと時間を掛けて霊力を送り込もうとしていた。にも関わらず、桜子は顔を真っ赤にして笑いを堪えている。史伽と違い転げ回らないように我慢しているようだが、あまり長くは保ちそうになかった。
これはもしやと思い、横島は少し霊力を強めてみた。すると案の定、桜子はくすぐったさ以外の違和感を感じ始めたようだ。しきりに小首を傾げている。横島の方も、抵抗感を感じていた。やはり桜子も経絡は閉じているようだ。
「ほい、おしまい」
「え、もう?」
「もう分かったからな」
「で、で、どうだった?」
横島が霊力の供給をストップして手を離すと、美砂と円が詰め寄って聞いてきた。アスナ達も興味があるのかそれに続く。桜子当人よりも周囲の面々の方が、彼女の強運の秘密に興味があるのかも知れない。
横島はどう答えるべきか迷ったが、下手に誤魔化しても意味が無い事に気付き、正直に結果を伝える事にする。
「結論から言うとだな……」
「言うと!?」
「桜子ちゃんに霊能力者の資質は無い。ごく普通の一般人だ。むしろ、霊力弱い方じゃないか?」
「………まじ?」
「まじ」
信じられないと言った表情の一同、これまでの彼女の強運伝説を考えれば当然の反応であろう。
しかし、彼女が霊力の低い一般人であると言う事実は揺るがない。
横島が霊力を送り込む事により少女達が反応する理由、それは体内に送り込まれた霊力が、彼女達の魂に負荷を掛けるためだ。
桜子の反応が早かったのは、少ない霊力でも彼女の魂は負荷と感じたと言う事だ。つまり、彼女の霊力が弱いと言う事である。意外にも、桜子の生まれ持った霊力は夏美、風香、史伽と比べても弱かった。
「つまり、桜子の強運は……」
「霊力とは関係ない……?」
「そう言う事だろうなー。幸運呼び込めるような霊力が無い事は確かだし」
「えへへー。なんか私ってスゴイねー」
邪気の無い笑顔を見せる桜子だったが、一同はますます謎の深まった強運伝説に絶句し、何のリアクションを返す事も出来なかった。
続けて横島は、美砂と円も調べてみるかと尋ねるが、彼女達は霊能力者になりたいとは考えていないらしく、あっさりと断った。本当に桜子の強運の謎を解き明かしたかっただけらしい。そのまま三人はレーベンスシュルト城に戻ってしまったため、横島達は修行を再開する事にする。
まずは夕映からだ。彼女は昨日に比べて、痛みを堪えながらではあるが、自力でゆっくりと歩けるぐらいに回復していた。
しかし、彼女の向上心は治すだけでは留まらない。横島に霊力を供給してもらい、それが体内に残っている内に身体を動かす事で、経絡を通って霊力が巡る感覚を掴んでおきたいと考えている。
まずは桜子に代わってベンチに座り、横島に霊力を送り込んでもらう。
途端に和らいでいく痛み。それに代わって内から湧き出てくる温かさと気持ち良さが身体を満たしていき、夕映はこぼれ落ちそうになる甘い声を、辛うじて堪えた。
指先、つま先まで鈍い痛みと気持ち良さを伴いながら霊力が巡っていく感覚。それと同時に、おへその下、下腹部辺りが暖かいを通り越して熱くなってきた。全身に霊力を巡らせながらも、その部分に霊力が集まっているようにも思える。
「ゆえ吉、おなか痛いの?」
「いえ、むしろ気持ち良いと言うか、ここが熱くなってくるような感じです」
「そこは丹田アルヨ」
熱くなってきたお腹を、服の上から撫でる夕映。その姿はどこか愛おしそうで、残った痛みも、淡雪のように溶けて消えてしまいそうだ。
「そう言えば、体内に七つある霊力中枢(チャクラ)の内の一つがここでしたね」
人間の身体には身体の中心線に沿って、頭頂(サハスラーラ)、眉間(アジュナー)、喉(ヴィシュッダ)、心臓(アナーハタ)、腹(マニプーラ)、腰(スヴァディッシュターナ)、会陰(ムーラーダーラ)の七つの霊力中枢があると言われており、魂から生み出された『生命力』、人間で言うところの霊力は、まず霊力中枢から発生し、そこから経絡を通って全身を巡るとされている。
「私、霊力使っててもそんな感じはしないなぁ……」
「アスナさんは、別の霊力中枢に集中しているのでは?」
横島自身、妙神山では全身の霊力を高め、コントロールする修行を主に行っていたため、あまり意識した事はないのだが、生命力が集中しやすい霊力中枢と言うものが存在し、それは人によって異なるそうだ。夕映は腰、すなわち丹田に集中しやすいタイプなのだろう。
「アスナは霊力使うとどんな感じになるの?」
「熱くなるのはお腹って言うより、むしろ頭かしら? なんかぼーっとしてくるって言うか……頭痛ってわけじゃないのよ。むしろ、おデコ?」
「ああ、そりゃ眉間の霊力中枢だな」
要領の得ないアスナの説明に尋ねた裕奈は疑問符を浮かべるが、横島はそれで理解する事が出来たようだ。彼の集中しやすい霊力中枢も眉間であったため、アスナが覚えた感覚を、横島自身も感じていたのだ。
「横島師父も眉間アルか?」
「らしいな。今まであんま意識してなかったけど」
「横島さんと一緒かぁ……」
「横島と一緒」と言う事実に、アスナがまたもやにやけ始める。
彼女が横島と同じように煩悩を集中させて、額から霊波砲を撃つ日も近いかも知れない。
閑話休題。
夕映はお腹に手を当てたまま立ち上がると、目を閉じたままゆっくりと一歩踏み出してみた。足が地面に着いた振動が下腹部に響き、横島の霊力により下から突き上げられるような鈍痛を覚える。
しかし、それと同時に、夕映は暖かさと心地よさが全身へと流れ出すかのような感覚が広がって行くのも感じていた。経絡にダメージを受けた身体を動かすために、横島に供給された霊力を消費しているのだ。
一人で歩いているのだが、横島に縋り、身体を支えてもらっているかのようにも感じられる。彼の霊力に支えられている事は確かなので、あながち間違いとは言い切れない。
「ゆ、夕映ちゃん、どんな感じなの?」
「大分楽になりました。こうして歩いているだけでも、横島さんの霊力が身体を駆け巡っているのを感じますので、横島さんの霊力頼りではあるのでしょうが……なんとなく、こうした方が霊力を使う感覚に早く慣れるような気がするです」
「そう言うもんアルか?」
「なんてーか、『筋肉鍛えるには、まずぶっ壊せ』って感じだな」
「あー、なんとなく分かるよ。横島兄ちゃん」
治りかけの身体を敢えて酷使する事で霊力が身体を巡る感覚を覚えようと言うのは、「男らしい」を通り越して「漢らしい」発想と言えるかも知れない。現実に、供給された横島の霊力に頼らなければ身体を動かせない状態なのだから、相当無茶をしている。
「しかし、アスナさんも同じ事をしていたのでは?」
「え?」
「修学旅行の最終日に」
「……ああ」
夕映に指摘され、アスナはポンと手を打った。
彼女の言う通り、アスナは修学旅行三日目の晩に『両面宿儺(リョウメンスクナ)』と戦うために横島と同期合体を敢行し、翌日ろくに身体を動かす事も出来ない状態に陥っていた。確かに、この時のアスナは、仮契約(パクティオー)カードを通して横島に霊力を供給してもらう事で身体を動かしていた。これは今の夕映に近い状態だ。
「今の横島さんは、皆さんにも霊力を供給しなければならないので、私に送り込み続けるわけにはいかないでしょうが、似たようなものです。安心してください。お腹の中にある横島さんはしっかりと感じています。これがなくなれば、おとなしく休みますから」
「それはそうなんだけど……」
力強い返事をする夕映とは裏腹に、どうにも歯切れの悪いアスナ。
修学旅行最終日のアスナと、今の夕映が似たような状況にある事は確かなのだが、実のところ二人には大きな違いがあった。
夕映は、ただひたすらに真面目だ。早く霊力を目覚めさせたくて無茶をしている。一方、アスナは買い物に行く横島について行きたい一心だけで、霊力を供給してもらっていた。冷静に比較してみると、情けなくなってしまう。
「わ、私も頑張らないと……」
横島の『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』として負けてはいられない。
「横島さん! 次は私、お願いします!」
「いや、ダメだ。裕奈、古菲の順番で、アスナは最後」
「ガーン!」
やる気になって、次は自分の修行をと横島に頼み込むが、残念ながら横島としても、その頼みを聞くわけにはいかなかった。
「私から? 先約はくーちゃんでしょ?」
「わ、私は別にいいアルヨ」
「いやいや、経絡開くって結構霊力使うんだよ。裕奈は特に」
「え、そなの?」
実は、そうなのだ。
横島が行う修行は、体内に霊力を送り込む事により、魂に負荷を与えると言うものだ。経絡を開くのも、負荷を掛けて開くのである。しかし、この「負荷」と言うのは、一定量の霊力を送り込めば良いと言うものではない。
例えば、先程の桜子は霊力を送り込み始めてから「くすぐったい」と言う反応が出るまでが早かったが、これは彼女の持つ霊力が弱かったためだ。霊力が弱いため、少量の霊力を送り込まれただけで負荷と感じてしまうのである。
では、生まれ付いて霊力が高い裕奈はどうなるのか。当然、彼女の魂に負荷を掛けるためには、大量の霊力を送り込まなければならない。
これは革命的な横島の修行方法の限界でもあった。霊力を目覚めさせ、また霊力を強く鍛える事が出来るのだが、対象の魂に負荷を掛ける事が出来なければどうしようもない。つまり、相手の霊力が強ければ強い程、横島はそれに比例して大量の霊力をコントロールし、送り込まねばならないのだ。それはとりもなおさず、裕奈に与える負荷も大きいという事に他ならない。
例えば、木乃香のような生まれ付いて桁外れな霊力を持つ者になると、今の横島ではこの方法で鍛えてやる事は不可能であろう。
生まれつき強い霊力を持つ裕奈は、一般的に見れば木乃香や千鶴ほどではないにせよ、霊力に目覚めやすいタイプだと言える。しかし、皮肉にもそれは横島の修行に向いていないと言う事でもあった。
夕映への霊力供給は痛みを和らげるために先に行ったが、アスナ、古菲、裕奈の三人に関しては、経絡を開く古菲と裕奈、中でも霊力が強い裕奈を一番にするべきだと言うのが横島の考えである。
自身は経絡を開くダメージとは無縁だったアスナだが、夕映の時の一部始終を見ていただけに、それがどれだけ重い意味を持っているかは理解しているので、ここはおとなしく二人を見守る事にする。自分一人でサイキックソーサーの修行をする事も考えたが、この修行も、一人でやっているように見えて、その実、横島は常にアスナを気に掛けていた。今は、二人の経絡を開く事に集中させるべきであろう。
ちなみに、裕奈は横島との仮契約を行っていなかった。彼女自身、魔法使いを目指しているため、いずれ自分が従者を持つかも知れないと考えると、今ここで横島の『魔法使いの従者』になって良いものか判断がつかなかったのだ。
一方、横島の方も、霊力を送り込む修行を行う際の保険については、文珠があれば仮契約カードによる供給ラインも必須ではないため、無くても大丈夫だと判断していた。
「それじゃ、裕奈はここに座って」
「う、うん、優しくしてね」
「出来るだけ痛まないようにするつもりだが、やっぱり開く瞬間は痛いと思うぞ。開く直前の状態で負荷を掛け続ければ、いずれ痛まないまま開くようになるかも知れんが、こればっかりは試した事がないから分からん。成功すれば、時間は掛かるが一番楽な方法になるが……どうする?」
「う〜ん……」
超も認める革命的な横島の霊力を目覚めさせる修行方法だが、実のところ、これを行うのはアスナ、夕映に続いて裕奈で三人目である。そのため、方法論がきっちりと確立されている訳ではなく、横島自身、手探りな部分もあった。夕映の現状も、もしかしたら防げたかも知れない。もっとも、その場合は夕映の代わりに別の誰かが経絡をこじ開けるダメージを負う事になっていただろうが。
この横島の提案は、言うなれば、木乃香や千鶴のような生まれ持った霊力が強過ぎて、自然と経絡が開きかけの状態になると言うのを横島の手で再現しようとしているのである。これで本当に経絡が開きやすくなるかどうか確証はない。提案した横島自身も成功するかどうかは五分五分と考えていた。霊力を送り込んだ際の抵抗感や、対象の霊力の強さに変化が見られないならば、すぐにでも方法を切り替える必要に迫られるであろう。
「やっぱいい。ゆえ吉も頑張ったんだし、普通の人より素質あるって言う私が逃げるわけにはいかないよ」
「そう、か」
しかし、裕奈は時間を掛けるよりも一気に経絡を開いて、霊能力者、魔法使い、両方の修行を始めたいと考えていた。
彼女がそう言うのであれば、横島としては、細心の注意を払って極力痛まないようにして経絡を開くのみである。
この時、横島の周囲に居た一同は横島と裕奈に意識が集中していたため、気付かなかった。
「痛まないまま開くかも知れない、か……」
出城内に居るはずのある人物が、木陰から横島の話に聞き耳を立てていた事に。
「さぁ、来て!」
誰もその人物に気付かなかったため、横島達は修行を続けていく。スカート丈が短めのワンピースを着ていた裕奈は、横島に背を向けて座ると、肩紐を下ろして肩を露わにした。ずり落ちそうになる服は胸元で手を使って押さえた。
丁度、手で押さえられた胸元が、裕奈の鋭意成長中のたわわな胸を強調する事になり、横島のやる気は倍増となる。裕奈、古菲の経絡を開くために霊力が足りるかどうかが心配であったが、これならば大丈夫だろう。横島の自家製永久機関、スイッチオンだ。
「ほあぁぁぁーっ!」
「……んっ」
身体がぽかぽかと暖かくなる第一段階、顔が上気して気持ちよくなり始める第二段階。今回は横島も比較的冷静さを保っていたため、順を追って裕奈の反応が変わっていく。
「あっ……」
熱い吐息と共に微かな声が漏れた。横島に送り込まれた霊力が彼女の魂に負荷を掛け、経絡を刺激するまでになったようだ。
気持ち良さで力が抜けてしまいそうだったが、裕奈はぎゅっと拳を握り締めて堪えている。
横島も、ここで深呼吸して一旦気持ちを落ち着かせる。少し腰を浮かせれば、再びあの絶景を目の当たりに出来るのだろうが、今は我慢だ。ここからは、更に慎重に霊力をコントロールしていかなければならない。
ここで横島は、霊力の出力に波を持たせてみた。一気に経絡を開くのではなく、強弱を付けて閉じた経絡を突付くようなイメージだ。
霊力を強くする度に、裕奈の肩がピクッ、ピクッと震えている。激痛と言うほどではないものの、リズミカルに体内を突かれているような感覚があるようだ。突かれる毎に声が漏れそうになるが、口を噤んでぐっと我慢している。
「裕奈、大丈夫か?」
「だ、大丈夫、痛いのと、気持ち良いのと、半々ぐらいだから……」
それでも、全く痛くないと言うわけではないらしい。あくまで「我慢できない程ではない」だけに過ぎない。
しかし、横島は手応えを感じていた。夕映は我慢しきれずに悲鳴を上げるような激痛があったのだ。経絡の開きやすさには個人差があるが、前回よりも今回の方が、上手い経絡の開き方をしているのではないだろうか。
「よしっ、行くぞ……!」
ここで横島は霊力を強め、開き掛けた経絡を完全に開き切った。一際強い痛みが裕奈に襲いかかり、裕奈は両手で口を押さえて声を上げないように必死で堪える。
しかし、痛みはここからが本番だ。経絡を開く痛みは、そのまま全身へと広がって行く。裕奈も堪らず目を見開き、仰け反るような体勢になってピンッと身体を伸ばし、横島は咄嗟に空いた左腕を彼女の腰に回して、彼女がベンチから落ちないように支えた。
やがて全身の経絡が開き切り、裕奈はふっと力が抜け、糸が切れたように横島に身体を預けるようにもたれ掛かる。横島が顔を覗き込むと、裕奈の目尻には涙が浮かんでいた。口元は両手で覆い隠したままだが、手を離したためにはだけ掛けている胸が激しく上下している事から、呼吸も荒くなっている事が分かる。
「裕奈、大丈夫?」
心配そうに問い掛けるアスナに、裕奈は顔を真っ赤にしたまま力無く微笑むと、自分がどんな格好になっているかに気付いて、もそもそと衣服の乱れを直し始めた。しかし、横島にもたれたままでは上手く行くはずもなく、見かねたアスナが手を貸して直してやる。
幸い、裕奈の経絡へのダメージは、夕映ほどではなかったようだ。身体を動かそうとすると痛みが走るようだが、全く動けない程ではなく、裕奈は自力で立ち上がってみせた。しかし、直後に足下をふらつかせて倒れそうになり、アスナが慌ててその身体を支える。
熱に浮かされているのか、ふわふわと身体が浮いているような感覚があるらしく、直立する事が出来ない状態のようだ。
「夕映ほどのダメージは無いみたいアルな」
「裕奈さんの方が霊力が強いからでしょうか……?」
「いや、経絡を開く前に時間を掛けたおかげかも知れん」
「どう言う事アルか?」
夕映は、裕奈が自分よりも霊力が強いからではないかと推理したが、どうやら横島の考えは違うらしい。
次は自分の番である古菲は、興味津々の様子で横島に問い掛けた。
「夕映の時と違って、経絡を開くまでにじっくり時間を掛けただろ? 送り込む霊力も強かったし、その分裕奈の中には俺の霊力が大量に溜まっている状態だったんだ。それが痛みを和らげてくれたのかもな」
「なるほど、私に霊力を送り込んで痛みを和らげているのと同じ事が、裕奈さんの中で起きたのですね」
「スマン! 夕映の時も同じようにしてりゃ、そこまでダメージを受ける事もなかったかも知れん!」
「それについては……気にしないでください。横島さんの修行が革命的なものである事は分かっているです。私の犠牲で、横島さんがこの修行法の欠点に気付き、解決法を見出す事が出来たのならば、私はそれに協力出来た事を誇りに思うです」
裕奈の経絡を開いた事で分かったが、経絡を開く痛みは、開く前に大量の霊力を対象の体内に溜めておく事により軽減出来るようだ。
横島は夕映に謝るが、彼女はそれをあっさりと許した。横島がわざとやったわけでない事は分かっている。それに、新しい事に挑戦する以上、試行錯誤は付き物だ。身体の痛み以上に、自分もそれに参加していると言う事実が、夕映には嬉しかった。
「裕奈、休むなら出城の中に連れて行くけど、どうする?」
「う〜ん……これから古菲の経絡を開くんでしょ? それならここで待つよ。私も見届けたいし」
「オッケー、それなら腰下ろしとく?」
「そうだね、お願い」
土ならば躊躇していたかも知れないが、幸いベンチの周囲は芝生だったので、裕奈は芝生の上に腰を下ろして古菲が経絡を開くのを見届ける事にした。芝生が少しチクチクするが、手足の痛みに比べれば微々たるものだ。アスナは、裕奈を座らせると、続けて心なしかふらついていた夕映にも手を貸して、腰を下ろさせる。
「それじゃ、次は古菲な」
「いよいよ私の番アルな……」
次は古菲の番だ。横島は思っていた以上に霊力に余裕があるらしく、休憩を挟む事なく古菲をベンチに呼び寄せる。
夕映に続けて裕奈も経絡を開いたのだ。もう躊躇などしていられない。元々、痛みに対する恐怖はあまりなかった。今は何よりも、これ以上アスナ達に遅れを取りたくないと言う気持ちが強い。
「わ、私も肩をはだけた方がいいアルか?」
「あー、確かに直接触れた方が調整しやすい事は確かだな。霊衣とかならともかく、普通の服だし」
実際に触れるのは首筋、すなわち喉の霊力中枢なのだが、それでも肩を露わにさせるのは、手の平全体で触れようとすると、どうしても背中まで掛かってしまうためだ。絶対にそうしなければならないと言うわけではないが、精密な霊力コントロールが必要であるため、マイナスになる事は出来るだけ避けたいのである。
「うぅ〜……ちょと待てて欲しいアル!」
そう言うと、古菲は勢い良く立ち上がってレーベンスシュルト城の方に駆けだそうとして――そこでピタリとその足を止めた。
「どうした?」
「もしかして、これなら……」
レーベンスシュルト城に戻って着替えてくるつもりだった古菲。しかし、直前にある事を思い付き、懐から一枚のカードを取り出した。横島との仮契約カードだ。すぐさま古菲は『来れ(アデアット)』と唱えてアーティファクト『猿神(ハヌマン)の装具』を出現させる。ただし、斉天大聖を真似た装束ではなく、例の白いバニー姿である。
そして、何を思ったのか、その場で横島に背を向けて上着を脱ぎ始めた。この装束には下着はついていないらしく、正面から見れば胸が露わになっているだろう。流石にアスナ達の視線がある手前、横島は黙ってその背中を見詰める事しか出来なかったが。
更に古菲は、手にした上着を力任せに引き裂いた。そのまま引き裂いた上着を再び羽織るのだが、背中の部分がパックリと裂け、日に焼けた小麦色の背中が丸見えの状態となっている。
「な、何をしていらっしゃるんでせうか?」
「カモが言てたアル。アーティファクトは写し身だから、壊れても再び召還すれば元に戻てると!」
仮契約カードで召還されるアーティファクトはオリジナルではなく写し身である。つまり、写し身が壊れてしまっても、オリジナルは壊れていないため、再度無傷の状態の写し身を召還する事が出来るのだ。古菲はこれを利用して、背中に直接触れる事が出来る服を即席で作った。斉天大聖を真似た装束ではなくバニーを選んだのは、前者には黄金の鎧が付いているためである。
「さぁ、横島師父!」
「お、おぅ」
古菲に促され、横島は彼女の背に手を当てた。緊張しているのか、既に彼女の背中は熱くなっている。
横島の手が触れた瞬間、古菲はビクンと身体を震わせた。怖いのだろうか。それとも、期待しているのだろうか。自分でもよく分からない。
今はただ、心を平静に保って、横島の霊力を受け容れるだけだ。そう考えた古菲は、ピンと背筋を伸ばして姿勢を正すと、深呼吸をしてその目を閉じるのだった。
つづく
あとがき
レーベンスシュルト城は原作の表現を元にオリジナル要素を加えて書いております。
レーベンスシュルト城、エヴァの別荘、或いは修行用の空間を入れている魔法のボトルは、主が内部の時間の流れをそれぞれ設定する事が出来る。
魔法先生が、子供のために魔法界から魔法教本を取り寄せる事がある。
学園長は、過去の失敗が理由で、魔法界から魔法教本を取り寄せる事が出来ない。
桜子の強運の秘密は霊力ではなく、彼女自身の霊力は、むしろ一般人よりも低い。
これらは、『黒い手』シリーズ、及び『見習GSアスナ』独自の設定です。
また、今回は横島が行う霊力に目覚めさせる修行についても、幾つか新しい設定が出てきました。
対象の霊力の強さに比例して、横島も強い霊力を送り込まねばならない。
そのため、生まれ付き霊力の強い、一般的に見て霊能力者に目覚めやすいタイプは、実は横島の修行には向いていない。
経絡を開くまでに、対象の体内に霊力を溜めていると、経絡を開く痛みを緩和する事が出来る。
これらも『黒い手』シリーズ、及び『見習GSアスナ』独自の設定です。ご了承下さい。
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