「うぅ、緊張する〜」
待ちに待った日がやってきた。今日、アスナは横島と一緒に買い物に出掛ける。クラスメイトはデートだと囃し立てるが、アスナ当人にそのつもりはない。いや、極力考えないようにしているのだろう。ただでさえこんな調子なのだ。デートと意識してしまえば、それこそ動けなくなってしまうだろう。これでも、朝刊配達で一っ走りしてきたおかげで、随分マシになってはいるのだ。
「アスナ。そんな風に緊張してると、今日一日身が保たないよ〜」
現在、自室で着替え終えたアスナは、鏡とにらめっこをしていた。ストライプ柄のシャツの上にオレンジのジップアップパーカジャケットを重ね、下はデニムのショートパンツと言った出で立ちだ。足下はポップな色使いのサンダルで決めている。今回のコーディネートは、裕奈の協力によるものであった。活動的な中にも可愛らしさを忘れないと言うのがテーマらしい。
「一日……そうだよね、一日中一緒なんだよね」
「アスナ、落ち着くアル。一つ屋根の下に住んでるんだから、いつも一日一緒アル」
「やっぱり、待ち合わせに横島さんが遅れてきたら『ううん、今来たとこ♪』とか言わないとダメかしら?」
「一緒にこの家出発するんですから、待ち合わせなんてしないのでは?」
すかさずツっこみを入れる古菲と夕映。やはり、アスナは相当テンパっているらしい。当の横島は、今頃出発の準備を済ませて1階のサロンで寛いでいるはずだ。待ち合わせと言うならば、サロンで合流する事こそが待ち合わせであり、この時点で遅れているのはアスナの方である。
そして、アスナ達がサロンに降りると、横島は一つのテーブルを囲んで木乃香と談笑していた。木乃香と横島、二人が揃うとなんとも言えずにほのぼのとした空間が形成される事になる。当の横島自身も戸惑い気味であった。肘掛けのある一人用のソファに腰掛けて、湯飲みで日本茶を飲んでいる。なんともアンバランスではあるが、そろそろ慣れてしまいそうないつもの光景であった。見ていて、アスナも思わず頬が緩んでしまう。そんな雰囲気を木乃香と言う少女は持っていた。
アスナはその雰囲気を少し羨ましく思うが、どう頑張っても自分にはこの雰囲気を出す事は出来そうにない。
自分に出来るのは、自分の良さを思い切りぶつける事のみだ。アスナは元気の良い声で横島に声を掛けた。
「横島さん、お待たせしました!」
まず最初にアスナに気付いたのは、横島の向かいに座る木乃香だった。おめかししたアスナの姿を見て目を輝かせる。
そして横島も声に気付いて振り返り、アスナの姿を見ると笑顔になった。どことなく恥ずかしそうにしているのは、これから二人で買い物に行くのが実質デートと変わらない事が、彼にも分かっているのだ。
「お、準備出来たか。それじゃ、そろそろ出発するか?」
「はい!」
時間は少々早めではあるが、エヴァの家からはバス停までもそれなりに距離がある。今日の目的地であるデパートに到着する頃には、丁度良い時間になっているだろう。
ちなみに、今日行く店は横島が和美に電話をして教えてもらった店だ。彼の携帯には、彼女の番号もしっかり入っている。和美の情報の中にはいくつか候補となる店があったのだが、目的の買い物を終わらせた後、そのまま帰らずに別の買い物等「寄り道」をしやすいであろう店と言う事で、デパート内の店を教えていたりする。彼女なりのアスナへの援護射撃であった。
「兄ちゃん、おみやげお願いね〜」
「良さそうなのがあったらな」
横島におみやげを要求している裕奈。これも、リボンを買い終えた後「寄り道」しやすいようにするための援護――かどうかは微妙なところだ。彼女の場合は、本気でおみやげが欲しいだけの可能性が大いにあるから油断は出来ない。
こうして、横島とアスナの二人は同居人達に見送られてレーベンスシュルト城から出発した。
城を出るとまずボトルを安置した地下室に出る。階段を上るとエヴァの家のリビングに出た。模様替えがされたわけでもなく、掃除も行き届いているのだが、何となく寂しさを覚える風景だ。
「なんて言うか……生活感ないなぁ」
「実際、生活してないですもんね」
レーベンスシュルト城を使うようになってから、エヴァの生活基盤はボトル内の城に移っていた。このリビングもあまり変わってないように見えるが、実は大事な私物は既に城の方に運び込まれていたりする。二階の寝室はそれが顕著であり、本棚は既に空になっていた。今やこのリビングを使うのは、テレビを見る時ぐらいしかない。城内でテレビが見られるようになると、いよいよこのリビングを使う事はなくなってしまうだろう。
実は、エヴァはこの家に対し、麻帆良からの借り物と言うイメージを抱いていた。今までは特に気にした事もなかったのだが、『登校地獄(インフェルヌス・スコラスティクス)』を解呪出来る可能性が現実味を帯びてきたため、それを意識するようになってしまったと言うわけだ。
「その分、城の方は賑やかだしいいじゃないですか。それより早く行きましょ!」
「まぁ、そうだな。それじゃ行くとするか」
アスナが腕を絡めて早く行こうと促してきた。どこかできっかけがあればこうしたいと考えていたアスナにとって、部屋を見回して立ち止まる横島は、またとないチャンスだったのだろう。横島は肘に胸が押し付けられてドギマギしていた。
それにしても、今日のアスナは積極的だ。いつもならば恥ずかしくて、こうして腕を組むのも躊躇してなかなか最初の一歩を踏み出す事が出来なかっただろう。それがこうして自ら一歩を踏み出している辺り、彼女の本気振りが伝わってくる。
その後、家を出てバス亭に到着しても、バスに乗った後も、アスナは嬉しそうな顔をして、横島の腕を放そうとはしなかった。
デパートに近付くにつれて増えていく周囲の人。実はアスナも心の中では放した方が良いのではないかと思っていた。しかし、もう少し、あともう少しと思っている内に放すタイミングを逃してしまい、結局そのままデパートに到着する事になる。
ここまで来ると周囲は多くの人が行き交っており、逆に今の二人のように腕を組んでいる姿も少しだが見掛けるようになっていた。それを見てアスナは「ここまで来たら、もうこのままでいいんじゃないか」と思い始めるようになる。
このままデパートの中に入ろうとしたその時の事だ。
「あれ? 横島さんとアスナさんじゃないですか。お二人も買い物ですか?」
入り口の前で、突然背後から聞き覚えのある声に話し掛けられた。忘れ掛けていた恥ずかしさを思い出し、真っ赤になってしまうアスナの顔。持ち前の反射神経を無駄に活かして、瞬時に腕を放して飛び退いたのは言うまでもない。
見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.86
「ネ、ねねネ、ネねギじゃない!」
声の主の方へと振り返り返事をするアスナ。しかし、思い切り声が上擦ってしまっている。
話し掛けてきた声の主はネギであった。彼一人だけではなく、小太郎、豪徳寺の三人連れである。更に彼の肩の上にはカモの姿があり、彼はアスナの状況を察したのかニヤニヤとイヤらしい笑いを浮かべている。周りに人が多いため、喋ろうとしないのは幸いであった。
「おぅ、お前等も買い物か?」
そんなアスナの気持ちを知ってか知らずか、横島は堂々とした態度で返事をする。アスナは、横島は平気なのかと驚くが、そうではない。無論、恥ずかしさはあるのだろうが、アスナから腕を絡めてきてくれる事が嬉しく、誇らしく、むしろ鼻高々に自慢したいのだ。
「え、例の水晶球の『本拠地』で使う日用品とか、色々と買いに来たんです」
「面倒やと思ってたけど、皆でやってるとなんか楽しくなってくるな。こう言うの」
ネギがあやかから譲ってもらったトレーニングジムは、トレーニング用の器具はあったものの、その他の備品が殆ど無い状態だったらしい。そのため、今日は小太郎、豪徳寺と一緒に、買い出しに来たと言うわけだ。予算は言うまでもなくネギの財布――麻帆良で教師をしている彼の給料である。以前は、失敗した魔法でアスナの制服を吹き飛ばしたりして、その弁償に費やされてほとんど手元には残っていなかったそうだ。しかし、最近はそれもなくなってきたおかげで、現在のところ彼の財布はそれなりの余裕がある。
「おお、そうだ横島。お前が使ってた部屋なんだがな、今はこの二人が使っているぞ」
「そうなのか。ジムの方はどうした?」
「魔法関係者のセーフハウスに置いてますから、おおっぴらにそこで暮らす訳にもいかないんですよ」
「結構頻繁に出入りしてるけどな」
横島がレーベンスシュルト城に移る前に住んでいた麻帆男寮の部屋は、現在ネギと小太郎の物になっていた。元々二人部屋を一人で使っていたので、二人が住むには丁度良いのだろう。
言葉を換えれば、もう麻帆男寮には帰る場所が無いと言う事だが、横島はそんな事は気にも留めなかった。アスナを始めとする少女達と一つ屋根の下で暮らせるレーベンスシュルト城を出て、むさ苦しい男の園である麻帆男寮になど、それこそ頼まれても戻りたくはない。
「〜〜〜〜〜っ」
「……うっ!」
その突き刺さるような視線に真っ先に気付いたのは豪徳寺であった。
視線の主はアスナ。何か言いたげな表情で三人を見ている。せっかく二人きりだったのに邪魔をするなと言いたいのだ。この手の話題には鈍感である豪徳寺でも、それを理解する事が出来た。
「そうだ! 横島さん達も一緒にどうですか?」
一方、そんな視線にとんと気付かないネギは、空気を読まずに横島に一緒に店を見て回らないかと提案した。彼にしてみれば、横島は尊敬する『パーティを率いるリーダー』の先輩であるため、何かためになる話でも聞く事が出来ればと考えての事なのだろうが、今回は致命的にタイミングが悪かった。その瞬間に膨れ上がるアスナから発せられる何か。小太郎も感じ取ったようで、ブルッと肩を震わせる。同じくそれに気付いた豪徳寺は、慌てて二人の間に割って入り、フォローする事にした。
「まてまて、ネギ君。横島達だって用事があってここに来たんだ。無理に付き合わせるのは良くないぞ」
「え……あ、そうでしたね。すいません、無理言っちゃって」
「そうよ。横島さんの話が聞きたいなら、エヴァちゃんの家に来ればいいんだから。ほら、横島さん行きましょ!」
ここですかさずアスナが横島の手を取った。
「お、おう。それじゃネギ、また今度な!」
「はい、またレーベンスシュルト城に伺います!」
挨拶を交わし、そのまま横島はアスナに引き摺られるようにしてその場を離れた。やはり、今日のアスナは積極的であり、どこか大胆である。後に残された豪徳寺が、無事この場を切り抜けられた事に、ほっと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
デパート内に入ったアスナは、店内に入ってすぐの所にあったエスカレーターを使って二階へと上がっていく。階を隔ててネギ達から見えない場所まで来ると、再び自分から腕を絡めた。そして唇を尖らせると、少し拗ねた様子で頬を膨らませてみせた。
「もう、今日は私と買い物に来たのに……」
「スマン。ネギに頼まれると、どうにも断り辛くてな」
「それは……分からなくもないですけど」
その可愛い仕草にしどろもどろになりながらも、横島は言い訳をする。その言い分はアスナも覚えがあったので、ここは素直に引き下がった。こうして多少強引に二人きりになったのは、ケンカをするためではないのだから。
アスナは、話を変える事にした。勿論、腕は組んだままで。
「ところで、どの店に行くんですか?」
「ああ、三階に小物とかアクセサリーを扱ってる店があるらしい。ここら辺じゃ、そこが一番品揃えが豊富なんだと」
「へぇ〜」
横島が和美から教えてもらった店は、アスナも知らない場所だった。普段から、今使っている鈴付きのリボンしか使っていないのだから仕方在るまい。
「どんなの買うかは、アスナが決めてくれよ。俺はよく分からんからな」
「ハイ、もう決めてますから!」
そう言ってアスナはじっと横島の顔を見る。正確には、その額に巻かれたバンダナを。赤一色の飾り気のないバンダナだ。時折別の柄の物を着けたりしているが、横島は基本的に、その赤いバンダナを愛用していた。アスナはそれを見て、赤を基調にしたリボンを買おうと考えている。
そんな話をしている内に二人はお目当ての店に到着した。賑やかに飾り付けられた入り口からして、何ともカラフルでファンシーな店だ。男一人であれば店内に足を踏み入れるのに躊躇していたであろう。そう言う、男にとっては近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。今回はアスナと一緒だから構わない――と言いたいところだが、何事にも限度と言うものがある。実際、品揃えは良い店なので、和美は横島ならばアスナのために入ってくれるだろうと踏んで教えてくれたのだろう。
「スゴい店だな……」
「わ、私と一緒なら大丈夫ですよ!」
店の雰囲気に圧倒されている横島。アスナはその手を引いて、店へと入っていった。
外観がファンシーならば、店内も更にファンシーであった。二人以外にも客の姿はあるのだが、皆アスナと同年代かそれより下と言ったところだ。この店はそう言う客層を対象にしているのだろう。
店内に入ってきた横島の姿に店内にいた客達がにわかにざわめきだした。男、しかも明らかに高校生なのだから当然の反応であろう。その腕がアスナと組まれている事が分かると、今度は羨望の眼差しがアスナへと注がれ始めた。彼女達の目にはアスナが年上の彼氏をゲットしたように映ったのだ。中には大した顔ではないと言うものや、自分の彼氏の方が格好良いと言ったやっかみ混じりの視線もあるが、アスナに注がれる視線は、概ね彼女を羨むものであった。
むずがゆい視線を一身に受けながら、アスナは横島を連れてリボンが並べられている棚へと向かう。その表情が少し引き攣って見えるのは気のせいではあるまい。
「どれにする?」
「え〜っと……」
周囲の視線が痛いのは横島も同じであった。しかし、今はアスナのために我慢だ。リボンに意識を集中させ、周りの視線を忘れようとする。
アスナはまず、手近にあった赤いリボンを手に取った。ピンクの水玉模様で、ハートをモチーフにした飾りが付いている。思わず手に取ってみたものの、よく見てみると自分が着けるのには可愛過ぎるのではないかと思えた。
続けて、赤いグログランリボンにラメの入った花形のクッションと星をモチーフにした飾りが付いた物、手編みのさくらんぼがついた赤いギンガムのピコリボンと手に取っていくが、どうにもしっくりと来ない。
「これはどうだ?」
横島が一つのリボンをアスナに見せた。小さな花のラインが入ったリボンだ。変に飾りが付いている物よりもシンプルな方が良いのではと、アスナはそれを手に取って見てみる。彼の手元を見てみると、彼の目の前には同じようなリボンが並んでいた。どうも、アスナが見ていたのは飾り付きのリボンが置いてある棚だったらしい。アスナはそちらのリボンも見てみる事にする。せっかくなので、ぐっと横島の方に身を寄せながら。
レース編みの物、チェック模様の物、ステッチ入りの物、更にはレトロな桜模様の物まで、様々なリボンを手に取ってみた。自分の髪に当ててみせては、横島に「どうですか?」と聞いてみるが、横島はどれを見ても「かわいいぞ!」と言うばかり。本当にリボン選びには役に立たない。それでも嬉しくなって頬を上気させてしまうあたり、アスナもまた現金である。
正直、こうして二人でリボンを見ているだけでも楽しかった。アスナ自身、少しでもこの時間を長引かせるために、赤系のリボンならば何でも手に取ってみていた。
しかし、そんな楽しい時間も、不意に終わりが訪れる。
「あれ?」
その時、ふとアスナの目が一つのリボンに止まった。赤ではなくピンクを基調としたリボンだ。その上に赤で文字が刺繍されているのだが、それがなんと破魔札に書かれていそうな文字だったのだ。その周りには色違いのリボンが幾つか並んでいる。
「横島さん、これって……」
「大した力はなさそうだが、れっきとした護符らしいな。どこが作ってるんだ?」
そのリボンの棚に立てられていた商品看板を見てみると、どうやら本当に陰陽寮が一般人向けのお守りとして作っているらしい。値札を見てみると、確かに除霊具らしく他のリボンに比べて少し割高だ。
「陰陽寮製かよ……色々やってんだなぁ」
「でも、それだけ力の方は信用出来るって事ですよね?」
赤が基調であれば当初の予定通りだ。それに、このデザインならば他のリボンを付けるよりも除霊助手らしいだろう。アスナは鈴付きのリボンの代わりとなる新しいリボンを、これにする事に決めた。
「あの、これでもいいですか?」
「もちろんだ!」
横島も、すぐさま承諾した。元よりアスナの好きなリボンを買ってあげるつもりだったのだから、文句など出るはずもない。僅かながらも護符としての効果があるのならば、尚更である。
早速、レジに持って行って支払いを済ませる事にする。店員はプレゼント用の包装をするかと尋ねてきたが、アスナはすぐに付け替えたいと言ったため、横島はそれを断った。すると店員は、そのリボンを小さな紙袋に入れて手渡してくれる。
その紙袋を手に二人は店の外に出る。店外に出た瞬間、横島は空気が軽くなったかのような錯覚を覚えていた。店員は女性のみ、客は少女のみと言う、彼にとっては夢のような空間だが、やはり場違いだと感じていたようだ。冷静に考えてみればレーベンスシュルト城も似たような環境と言えるのだが、やはり気心の知れた者同士は違うと言う事であろうか。
「あの、早速着けてきますね。この先のカフェで待っててください!」
「分かった」
そう言って横島を残すと、アスナは紙袋を手に化粧室へと向かって行った。リボンを買った店から少し歩いた先にカフェテリアがあるので、横島はそこでアスナが戻ってくるのを待つ。
「いよいよ、このリボンともお別れ、か」
化粧室で鏡の前に立ったアスナは、外した鈴付きのリボンを手に感慨深げに呟いた。
なんだかんだで、高畑にプレゼントされて以来十年近く身に着けてきたものだ。いまや身体の一部とも言える。それを新しい物に取り替えると言うのだから、感慨深くもなろう。
「さよなら、ただの女の子だった私……」
そう言って、リボンを紙袋に仕舞うと、言い知れぬ寂しさが彼女を襲った。
再びそのリボンに手を伸ばそうとするが、すんでのところでその指を止める。
もう決めたはずなのだ。鈴付きのリボンにさよならして、横島にプレゼントしてもらったリボンに付け替える事を。
同じその紙袋の中に入っていた護符のリボンを摘むと、心の中に何か暖かなものが広がっていくような感覚を覚えた。
大丈夫。このぬくもりがあれば、大丈夫だ。アスナは新しいリボンを取り出し、実際に髪を纏めてみる。前の物より少し長めのリボンであったため、垂れ部分が少し長く下がっている。髪型自体は変えてないが、鈴がなくなった事もあり、少し見た目の印象が変わるかも知れない。
鏡に映った自分をじっと見詰め、アスナはパンッと頬を叩いて気合いを入れる。
「改めてヨロシクね。除霊助手にして横島さんの弟子、見習いGSの私!」
そしてアスナは、何かを吹っ切ったような軽く、それでいて力強い足取りで横島の待つカフェテリアへと歩き出す。
その表情は正に輝かんばかりで、今までの彼女に無いなにかが溢れ出ているかのようであった。
「横島さん、お待たせしました!」
「お、おう」
カフェの店内にいた横島に、より元気よく声を掛ける。ビックリしたのか、横島は手に持ったコップの水を零しそうになっていた。そんな様子にくすくすと笑みを浮かべながら、アスナは彼の向かいの席に座った。
「あの、どうですか?」
「うん、その、なんだ、可愛くなったんじゃないか?」
「ホントですか!?」
「あ、いや、前のリボンの時は可愛くなかったわけじゃないぞっ!」
「分かってますよ♪」
似合っているかと尋ねてみると、横島はしどろもどろになりながらも可愛いと褒めてくれた。リボンを選んでいる時と同じ言葉だ。彼はこのような時に器用に褒められる性格ではない。どう思っているかは、言葉よりもその態度で伝わってきた。
大丈夫だ。横島は確かに、新しいリボンを付けたこの姿を可愛いと思ってくれている。そして、前のリボンの時も可愛いと思っていたのも本当だろう。嬉しくなってきたアスナは、あたふたと慌てふためく横島の姿をニコニコと満面の笑みを浮かべて見守っていた。
続けて二人は、デパートの中をブラブラと散策する事にした。何かおみやげを買って帰らないと、エヴァや裕奈達がうるさそうだったからだ。勿論、腕は組んだままだ。アスナは嬉しそうに頭を横島の肩に預けている。
途中、ネギ達の姿を見掛ける事もあったが、豪徳寺が気を遣ったのか、それともアスナを恐れたのか、向こうから声を掛けてくる事はなかった。彼等も大量の荷物を抱えていたので、それどころではなかったのかも知れない。
「そう言えば、お昼はどうするんですか?」
「ああ、外で食ってくるって茶々丸には伝えてある。どこで食うかは、まだ考えてないけどな」
「それじゃ、食堂棟に行きません?」
「食堂棟に? ここらの店でもいいぞ。予算はあるし」
現在、横島の財布には例の事務所を通さずに受けた『オコジョ妖精保護』の報酬が入っているので、結構懐は温かい状態であった。
「いえ、実は……その後で、付き合って欲しいとこがあるんです」
「う〜ん、分かった。それじゃ、買うみやげはちょっと考えないとな」
「そうですね」
アスナの希望を聞き入れ、昼食は食堂棟の方に行く事にした。食堂棟は学校が休みの日でも部活中の生徒や教職員、それに外部から来る一般客のために開いている。
ただ、ここから食堂棟へと移動して昼食を済ませ、更にアスナの行きたい所に付き合えば、それなりに時間が掛かってしまうだろう。つまり、エヴァ達へのおみやげは、要冷蔵の物は避けた方が無難と言う事になる。
「ケーキもダメか?」
「おまんじゅうとかなら、大丈夫じゃないですか? 確か、一階に有名なお店あったはずですよ」
結局、アスナの意見を受け、エヴァ達へのおみやげはその和菓子屋で買って帰る事になった。
いざ持って帰ってみると、麻帆良で有名な店だけあって、エヴァは何度も食べた事があり不満たらたらの様子だった。その一方で、裕奈達にとっては有名だがなかなか口に出来ない高級店であったらしく、彼女達には概ね好評であった。
無論、エヴァも愚痴をこぼしながらも、しっかり食べていた事は言うまでもない。
その後、横島とアスナは食堂棟へと移動して昼食を済ませる。横島が選んだ店は、レーベンスシュルト城に移り住むまで常連だったうどん屋であった。この店はリーズナブルながらも本格的で、知る人ぞ知る隠れた名店だ。天ぷらもお勧めである。
横島はレーベンスシュルト城に移り住んでからは、この店を訪れていない。毎日茶々丸や木乃香お手製の手作り弁当がもらえるため、外食する必要がなくなったからだ。
店主は横島の顔を見ると、毎日のように訪れていたのに急に来店しなくなった常連の姿に驚いた様子だった。しかし、彼の連れであるアスナの姿を見ると事情を察したらしく豪快に笑って祝福してくれる。きっと、アスナが手作り弁当を作っているとでも思っているのだろう。実際に作っているのはアスナではなく、茶々丸と木乃香なのだが。
他の客が少なかったため、あまり待たずに注文した料理が運ばれてくる。横島もアスナも、割と食べる時は黙々と早食いする傾向があるため、二人とも食事中は静かであった。
そろそろ二人とも食べ終わるかと言う頃になって、横島は一体どこに行きたいのかとアスナに尋ねてみる。
「あ、え〜っと……ちょっと、けじめを付けとこうと思いまして」
しかし、アスナは珍しく歯切れが悪かった。そして、ここから大した距離ではないので、黙って付いて来て欲しいと頼み込む。
理由は分からないが、こうして頼み込まれてしまうと、横島としても嫌とは言えない。ならば、昼食が終わればすぐに行こうと、横島は残っていた天ぷらを口に放り込んだ。アスナもその提案に真剣な表情でコクリと頷く。やはり、彼女にとっては、とても重要な話のようだ。
「ここ、なのか?」
「はい、ちょっと待っててくださいね」
昼食後、アスナが横島を連れて案内したのは毎朝新聞の販売店であった。彼女は毎日、最近は放課後の修行時間を確保するために毎朝早朝に、ここから新聞配達に出発している。
しばらく店の前で躊躇していたアスナだったが、やがて意を決して、横島を外に残し一人店の中へと入って行く。そして、店長らしき夫婦に何やら話し始めた。アスナは何度もその夫婦に頭を下げ、夫婦は夫婦でチラチラと外の横島の方を見ている。横島は何事かと疑問符を浮かべるばかりだ。
更にしばらく待っていると、アスナが呼びに来て、横島も中へと招かれた。中へ入ると、夫婦は品定めをするような目でジロジロと横島を見る。
「あ、あの、何か?」
その疑問には、夫婦ではなくアスナが答えた。
「横島さん、実は……私、新聞配達止めようと思ってるんです。今、その事を店長達に話してたところで」
「以前から、それらしき事は漏らしてたんだけどね。GSの修行に専念したいとか」
どうやら以前から考えていた事らしい。元より放課後の修行時間を確保するために朝刊配達のみに切り替えたりしていたのだが、レーベンスシュルト城に移り住むようになって、古菲と裕奈の二人が、アスナの参加出来ない朝の時間に修行をするようになったのが、決定打となったのだ。
「なんでも、アスナちゃん、あんたに弟子入りしたそうじゃないか」
「はい、一ヶ月程前に」
「よく知らないけど、特殊な才能がいる仕事なんだろ? 大丈夫なのかい?」
夫人の横島を見る目がキツいのは仕方のない事だろう。彼等夫婦はオカルトとも、魔法使いとも何の関わりもない一般人だ。彼等にしてみれば、GSも胡散臭い存在なのだろう。
特に彼等はアスナの家庭の事情を知っており、彼女の事を自分達の娘のように思っているところがある。そんな娘同然のアスナが、GSの修行をするため自分達との接点である新聞配達のバイトを辞めたいと言い出したのだから、こんな反応をするのは当然であった。
「素質は、あると思います。成長も早いですしね。確かに危険な仕事なので、絶対大丈夫と保証する事は出来ませんが……」
「あの、私本気なんです! 急にバイト辞めるって言い出して、申し訳ないとは思ってるんですけど、でもっ……!」
横島が夫人に答えている傍らで、アスナは必死な表情で頭を下げる。
すると、アスナの髪を纏めている新しいリボンが夫婦の目に入った。彼女のトレードマークであったいつもの鈴の付いたリボンではなく、それっぽい文字が入ったリボン。アスナが新しいリボンに変えた。それは夫婦にとっては、百万の言葉を積み重ねられるよりも、説得力があった。そして悟る、アスナは真剣であると。
「分かった。頑張るんだぞ、アスナちゃん!」
店長がアスナの肩に手を置いて元気づける。
「なぁに、配達の事なら心配いらないよ。他にもバイトは大勢いるからね、今までアスナちゃんに頼ってた分、あいつらを走らせるさ!」
夫人もまた、アスナの背をバンと叩き、笑顔でサムズアップしてみせた。
そして二人は、横島の手を取って頼み込む。急に朝刊配達のみに切り替えて欲しいと願い出るなどしたので、なんとなくこうなる予感はあったのかも知れない。夫婦はどこかさっぱりした表情をしていた。
「横島さん。アスナちゃんの事、よろしくお願いしますね」
本当に二人にとってはアスナは娘同然だったのだろう。横島にはその姿が、裕奈の事を頼み込んできた明石教授の姿に重なって見えた。
「任せて下さい!」
ここは毅然と対応しなければならない。横島は力強く頷くと、胸を張って答えてみせる。その姿を見て、夫婦は涙ぐみながらも、娘の巣立ちを祝福するのだった。
「あ゛〜、緊張した〜。アスナも、あんな大事なとこ連れてくなら、事前に教えといてくれ。ムチャクチャ焦ったぞ」
「す、すいません」
新聞の販売店で店長夫婦との話を終えた二人は、エヴァの家への帰路に着いていた。今は腕を組んでおらず、横島はアスナの少し前を歩いている。直前まで横島に伝えなかったのは、アスナ自身、販売店の前に到着するまで踏ん切りが付いていなかったためだ。こればかりは、アスナが謝り倒すしかない。
しかし、謝りながらもアスナの心は晴れ晴れとしていた。GSの修行と新聞配達のバイトの両立が難しいのは以前から分かっていた事だ。
彼女にとって新聞配達のバイトは、非日常に染まりつつある自分の周囲の環境の中での唯一の日常、一般人の世界との接点である。そう、ネギと出会い魔法使いの存在を知った。そして、横島と出会って除霊助手となり、霊力に目覚めて見習いGSになった。そんなアスナにとって、新聞配達のバイトと言うのは彼女に残された「一般人の世界」への逃げ道でもあったのだ。
アスナは今日、それを断った。自らの手で。
これからは朝の時間も修行に費やす事が出来るだろう。だが、これは時間だけの問題でもない。
「よーこしまさん♪」
アスナはてててっと走って横島の前に回り込んだ。そして踵を返して振り向くと、両手を広げて彼に抱き着く。
突然抱き着かれた横島が目を白黒させていると、更にアスナは瞳を閉じ、唇を横島のそれへと押し付けた。
どれぐらいそうしていただろうか、とても長い時間唇を重ねていたような気もする。やがてアスナは唇を離すと、悪戯っぽい笑みを浮かべてこう言った。
「いきなりゴメンなさい。キス……してみたかったんです。『仮契約(パクティオー)』とか関係なしに」
そしてアスナは、密着させていた身体も離して数歩下がると、硬直して動けない横島に向けてキッパリとした口調で宣言する。
「私、横島さんについて行きます」
古菲も、夕映も、裕奈も、他の皆も、横島と共に行く意味を真剣に考えている。それに比べて自分はなんて中途半端なのだろうと考え、悩んでいた。
確かにアスナが横島に弟子入りしたのは、信用出来そうだからと言うのもあったが、GSを志すアスナにとって一番最初に現れた弟子入り出来るGSが横島だったからだ。そのGSを志す理由も、学園長に借りている学費の返済のためである。他の皆に比べて、なんて不純な動機であろうか。
しかし、今もそれだけなのかと問われれば、ハッキリと否だと答える事が出来る。
横島と一緒にいたい。横島と一緒の道を歩んでいきたいからGSを目指す。それで良いではないか。
他の皆のような真面目な理由は無い。しかし、横島を好きだと言う気持ちに対しては誰よりもひたむきなつもりである。それは、ある種の開き直りの境地であった。
そう、新聞配達のバイトを辞め、「一般人の世界」への逃げ道を断ったのは、時間だけの問題ではない。
理由はどうあれ、これは本気でGSを目指すと言うアスナの決意の証でもあるのだ。
「絶対、立派なGSになってみせます……横島さん、ずっと私の事、見ててくださいね!」
そう言って笑うアスナの笑顔は、今まで見た事がないような、晴れやかなものであった。
つづく
あとがき
レーベンスシュルト城、食堂棟、そしてアスナのバイト先である毎朝新聞販売所は、原作の表現を元にオリジナル要素を加えて書いております。
陰陽寮が一般人向けの護符を開発、販売している。
麻帆良学園都市にデパートがある。
これらは『黒い手』シリーズ、及び『見習GSアスナ』独自の設定です。ご了承下さい。
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