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 01 その頃、魔界では


「なんじゃこりゃ……」

 魔法界での戦いを終えた横島は、魔鈴と共にゲートを潜って魔界へと向かうアンを見送った後、ピートと共にエミの車に乗せてもらって帰途に就く。まずは唐巣の教会でピートを降ろし、次に横島の家に向かったのだが、ようやく帰り着いた家は、天使メッシャーの襲撃によりボロボロになっていた。その家を呆然とした表情で見上げた横島の第一声が、先程の一言である。
「私達が向こうに行ってる間に、一体何があったワケ……?」
 窓から見える光景に堪らず車から降りてきたエミも、同じく呆然としている。流石の彼女も、まさか天使が襲撃してきたとは思わないだろう。
 二人で庭に回ってみると、メッシャーの放った熱線の跡が生々しく残っていた。抉られた地面の縁が焼け焦げており、近付くと熱気が感じられる。
 更に屋根、壁を見てみると、そちらも破壊の痕跡がそこかしこに見える。何より問題なのは、留守番しているはずのタマモ達の姿が見えない事だ。横島は、家族の姿を探すために家の中に駆け込み、エミもそれに続く。正直なところ、エミは疲れており厄介事は御免だと考えていた。しかし、この状況で住民の安否も確認せずに帰るのは、流石に気が引ける。
 庭には誰の姿も無いため、二人は縁側で靴を脱いで家の中に入った。そして、手分けしてタマモ達の姿を探す。
「あれ、帰ってきたの?」
 玄関の近くを通り掛かったところでテレサとマリアが帰ってきた。どうやら買い物に行っていたらしい。横島は二人の無事な姿を見てホッと胸を撫で下ろし、大声で別の場所を探しているエミに呼び掛けた。
「ところで、何があったの? 家がスゴイ事になってるけど」
「お前らも知らないのか……」
 どうやら、テレサとマリアの二人も、家で何があったのかを知らないらしい。マリア曰く、今日はタマモとカオスが留守番をしていて、シロが遊びに来ていたそうだ。愛子と小鳩の二人は、まだ学校から帰ってきていないとの事。
「こっちにカオスのじいさんが居たワケ」
 エミが、台所に居たカオスを見付けて連れてきた。彼はこの家で何が起きたのか全て知っているらしい。合流した一行は、比較的無事である蔵を改造したカオスの研究所へと向かう事にした。

「はぁ? 天使が攻めて来た?」
 天使メッシャーが攻めて来た。蔵の中でその説明を聞いた横島は、思わず素っ頓狂な声を上げて立ち上がる。隣のエミ達も、流石に予想外だったらしく、驚きを隠せない。
「ウム、飛んで来た妖刀『八房』を追ってな。タマモとシロは、つい先程その『八房』を持って妙神山に向かったところじゃ」
「二人は無事なんだな?」
 横島の問いにカオスはコクリと頷く。メッシャーの攻撃が如何に苛烈であったかは庭を見れば分かると言うものだ。タマモ達の身を案じていた横島は、カオスの返事にへなへなと力が抜けたように座り込んだ。それにつられるように彼の両隣に座ったエミとテレサ、お茶を淹れているマリアも皆安堵の笑みを浮かべる。家の被害は大きいが、怪我人は一人も出ていないようだ。
 タマモ達で天使を倒したと言うのが気になるが、こればかりは向こうから攻めて来たのだから仕方が無いだろう。
 何にせよ、一安心だ。マリアがお茶菓子も用意してくれたので、エミは帰るのは後回しにして、ここで一息付く事にする。
「あ〜、エミさん」
「ん? どうしたの?」
 寛いでいる彼女に、横島がおずおずと声を掛けた。
「こう言う時って、どっかに通報した方がいいんスか? 警察とか、自衛隊とか、GS協会とか、オカルトGメンとか」
 尋ねる横島の表情は引きつり、冷や汗まみれだ。この時、彼の脳裏にはかつてメドーサが天竜童子を狙った際の騒動が浮かんでいた。
 あの時令子は、当時事務所があったビルをメドーサにより爆破され、その後の入居を断られた事があるのだ。その後、令子は渋鯖人工幽霊壱号が宿る今の事務所を手に入れる訳なのだが、その時の騒動を側で見ていた横島は、今回の一件も警察沙汰になるのではと気が気ではない。
「あ〜……」
 横島の考えを察したのか、エミはどっと疲れた表情になる。彼女もGSとして、いや、それ以前も色々とオカルトの修羅場を潜り抜けているだけあって、このような「霊障による物的被害」の問題は、何度も経験しているのだろう。
「あんたの場合なら、唐巣神父と猪場のオッサンに連絡して、手を回してもらった方が良いワケ」
 ちなみに、美智恵に連絡すると言う手もあるのだが、エミはあえてその名を挙げなかった。オカルトGメンは警察関係者であるため、エミ自身思うところがあるのだろう。また、六道夫人に対処を頼むと言う手もあるのだが、こちらは端から却下である。彼女に借りを作ると後が怖い事は、エミ自身よく分かっていた。
「ちなみに、保険とかは……?」
「霊障にそんなもん効く訳ないでしょ」
「ですよねー」
 基本的に、霊障による被害は保険の対象外である。令子も、メドーサにビルを破壊された際には、被害総額全てを自腹で弁償していたりする。
 被害に遭ったのが自分の家だけだったのは、不幸中の幸いと言えるかも知れない。それでも、令子やエミならばともかく、まだまだ新人GSである横島には頭の痛い話だ。
「天使がやったって話だし……『キーやん』にでも請求してみる?」
「勘弁してくださいよ」
「ま、とにかく、騒ぎになる前に手を回してもらわないといけないワケ。とりあえず、どっちかに電話しなさい」
「了解っス!」
「分かった情報は、全部こっちにもよこすのよ」
「へーい」
 先程とは打って変わって乗り気のエミ。過激派の天使が動き出したとなると、呪術の使い手である彼女にとっても他人事ではないのだ。天使に関する情報はいち早く手に入れたいのだろう。身近な人間が関わっているとなると、尚更である。

 横島は言われるままに独立時の保証人の一人であるGS協会名物幹部、猪場道九に連絡を取った。案の定、人ならざる者達との交渉を一手に引き受ける彼は、このような状況での対処も心得たもので、横島の家で起きたのは霊障であると関係各所に連絡して、事件にならないよう手を打ってくれた。他所に被害が出ていなかったため、何の問題もなく、スムーズに話は進んでいく。
 同時に猪場は、妙神山に連絡を取って今回の件について詳しい情報を集めるよう横島に要請した。
 日本では、猿神と小竜姫が睨みを効かせているせいか、あまり聞かない話だが、世界では魔属性に属する術師が天使によって粛清されると言う事件が増えていた。人間以外の被害となると、オカルトGメンも把握していないが、そちらも増えていると考えられている。あまり表立って騒がれていないが、過激派神族の動きは世界中で問題となりつつあったのだ。
 そして、横島は妙神山の方にも連絡を取る。向こうはヒャクメが既に天使の襲撃を察知していたらしく、現在天界に問い合わせている最中らしい。しかも、壊れた家の弁償についても交渉してくれているそうだ。向こうもかなり慌ただしい状態らしい。横島は、手短にタマモとシロの二人が『八房』を持って妙神山に向かっている事を伝えると電話を切った。
「後は……待ちだな」
「ノー・横島・さん。お片付けが・まだです」
 連絡が終わり、やるべき事は終えたと、待ちの態勢に入ろうとした横島をマリアが引き戻す。確かに、連絡は終わった。しかし、メッシャーの襲撃により半壊した家の始末は、まだ始まってすらいないのだ。
「それじゃ、情報収集は任せたから!」
 巻き込まれる事を恐れたエミは、そのまま急いで帰ってしまった。後に残された横島は、溜め息をついて立ち上がる。愛子と小鳩が帰ってくるまでに、せめて台所と居間の片付けは済ませておかねばならないだろう。
 カオスは庭のカオス式地脈発電機のチェックをするそうだ。今は残骸しか残っていない状態だが、地脈からエネルギーを引き込むと言う手段で発電していた装置だっただけに、そのルートの状況をチェックし、場合によっては閉じなければならないのだ。一人でさせるのは心配なので、テレサを助手に付ける事にする。
 蔵を出た横島は、ボロボロになった家を見上げた。
 改めて見てみると、天使襲撃の被害は思っていたよりも大きそうだ。家の中の被害がどの程度かまだ分からないが、外壁は穴が空いてない部分もヒビが入っていたりと、全体的に直さなければいけないだろう。
「こりゃあ……建て直しか?」
 ポツリと呟く横島。マリアは早速、家の片付けに向かっていたため、その呟きは誰の耳にも届く事なく、虚しく辺りに響くのだった。



 一方、魔界の方でも、過激派神族の動きが問題となっていた。
 人間界における天使メッシャーの襲撃もそうなのだが、魔界の方でもルシオラの居城が攻められ、城の地下に保管されていた『宇宙のタマゴ』が奪われてしまったのだ。魔界正規軍は、襲撃者の正体、目的を掴もうと躍起になっている。
 また、数千年ぶりの天使による魔界侵攻に、反デタント派の魔王級達が「天界に侵攻し、報復すべきだ」と声高に叫んでいた。魔界正規軍のデタント派魔王級達は、天使の再度の襲撃を警戒すると共に、彼等を抑えるのに駆けずり回っていた。
 デタント派、反デタント派、共に慌ただしくなってきたため、新人魔王級ルシオラへの注目度が下がったのは、不幸中の幸いと言うべきだろうか。
 とは言え、魔界正規軍はルシオラの事を放置している訳ではない。反デタント派がルシオラに構っていられない状況なため、≪荒天の有翼虎≫を始めとする魔王級がお守りにつく事はなくなったが、何かあった際には誰かが駆け付けるまで時間稼ぎが出来るよう、魔界正規軍から二名の援軍を派遣する事になった。
「クッ……この私が前線から外されるとはな」
「仕方ないじゃない。あたし達第二軍の特殊部隊は、人間界へ長期潜伏するために集められた部隊よ。今は、時期が悪いわ」
 白亜のルシオラ城の城門前に佇む二人の魔族。それは、黒い翼を持つ、士官用のボディスーツに身を包んだ目付きの鋭い黒髪の女性、ワルキューレ。そして、見事なブロンドをなびかせる、少し垂れ目で、ワルキューレ以上のスタイルの良さを誇る肢体を着崩した黒い着物に包む女性――鎌田勘九朗であった。人間であった頃はともかく、今の勘九朗はれっきとした女性である。多分。
 彼女達の所属する第二軍特殊部隊には、勘九朗の言う通り人間界に長期潜伏するための訓練を受けたエージェントが揃っている。しかし、この時期に人間界に派遣するのは神魔族双方を刺激する事になるため、現在は上司である魔王級≪情欲の豹≫の命により、各所への手伝いに回されていた。そして、ワルキューレと勘九朗の二人に命じられたのが、ルシオラ城の守備任務と言う訳である。

 城門を開いたベスパは、どこかほっとした様子で二人を出迎えた。天使の襲撃はなんとか退けたものの、プロフェッサー・ヌルは重傷。ゲソバルスキーの数がかなり減っており、城の守りが不安だったのだ。正規軍の士官であるワルキューレと勘九朗の二人は心強い援軍である。
「とにかく入ってくれ。今、姉さんは天使の痕跡について調べてるところだから、すぐに会わせる訳にはいかないが……」
「調査か。ならば、私も手伝おう」
「あたしはパスね。そう言う細かい事は苦手だから」
 ワルキューレがルシオラの手伝いを申し出る。彼女はヒャクメの様な探査能力を持っている訳ではないが、それはルシオラも同じ事だ。彼女はきっと調査用の機材を用意しているのだろう。それを使えばワルキューレでも手伝う事が出来る。性格的にはベスパよりも向いているだろう。
 ルシオラの調査を手伝えない事を歯がゆく思っていたベスパは、勘九朗に「適当に寛いでいてくれ」と言い残すと、早速ワルキューレを姉の下に案内するべく行ってしまった。
「それじゃ、そっちは私が案内してやるじゃん」
 残された勘九朗の前にハーピーが降り立った。城門の上に居たようだ。勘九朗は、彼女に城の中を案内してもらう事にする。
「って、そっちなの?」
「いや、今城に行っても、調査中のルシオラ達と、刺身になってるタコだけだし」
 後ほど確認したが、ヌルは刺身になどなっていなかった。何本か足がもげていたが、これは援軍としてゲソバルスキーを出すために自ら切り離したそうだ。しばらくすればまた生えてくるらしい。
 ハーピーが案内したのは、庭園にある時代を感じさせる造りの家だった。玄関先には大小の全身鎧が並べられており、その周囲に少し大きくなったガルーダの雛達が戯れている。
「ここは?」
 ワルキューレと違って、勘九朗はここに来るのは初めてであり、ルシオラとベスパ以外の事は知らされていない。何故、こんな白亜の城の庭園にこんな古めかしい家があるのかと疑問符を浮かべる。
「ここには、人間界から来た魔鈴と、グーラーと、あと、え〜っと……そう! アンが住んでるじゃん!」
「人間界……?」
 その単語を聞いた勘九朗が眉を顰める。この家は、魔鈴が魔法で周囲の空間ごと出現させた物なのだが、そんな魔法の存在など知らない彼女は、どうやって人間がこんな所まで来たのかと考えた。元人間だけあって魔界に来る困難さはよく分かっている。

 家の中に入って、勘九朗は更に驚いた。
 魔鈴とアンは良い。魔鈴から感じられる力は、彼女が優れた術師である事を示していた。こうして魔界に居るのも彼女の力のおかげなのだろうと、勘九朗は察する。アンはまだまだ未熟なようだが、れっきとした人間だ。だが、もう一人の住人、グーラーは明らかに人間ではなかった。額に生えた一対の角が、彼女が人ならざる者である事を示している。
 今は勘九朗も魔族であるため、その事自体はどうでも良いのだが―――

「あら、お客様ですか? 一緒にお茶でもいかがです?」

―――何故、その三人が極当たり前の様に一つのテーブルを囲んでお茶しているのだろうか。
 同じ魔族であるハーピーに尋ねてみたら「え、当たり前じゃん?」と言う返事が返ってきた。この城では、これが当たり前の光景なのだそうだ。しかも、グーラーは外のガルーダ達の母親でもあるらしい。これには流石の勘九朗も絶句してしまう。
 力を求めて魔族となった勘九朗にしてみれば、色々とツっこみたい光景である。しかし、そのなごやかさに何も言う事が出来ない。
 結局、魔鈴に誘われるままに席に着き、皆で勘九朗の歓迎会も兼ねたティータイムとなった。ハーピーが席に着く際に人間に変化した事に勘九郎は気付く。確かに彼女の翼と一体化した手では邪魔になってしまうだろう。それが分かっていると言う事は、これまでに何度もお茶会を楽しんでいると言う事である。
「……あたしが人間止めてまで求めたモノって何だったのかしらね」
 天を仰ぐ勘九朗の声が、やけに疲れているように聞こえたのは、きっと気のせいではあるまい。

「………」
 その一方でアンは言葉を失っていた。
 突然の訪問者、勘九朗が魔族だったから? いや、そうではない。この城で世話になるようになって、しばらく経つ。その間、ルシオラ達と毎日のように顔を合わせているのだから、今更魔族を見たからと言って驚きはしない。魔法学校で出会った魔王級≪炎の獅子≫に比べれば可愛いものである。
「……お、大きい」
 アンは、ようやくその一言を絞り出した。
 そう、アンは勘九朗の胸を見て絶句していたのだ。
 この城の住人は、ベスパを筆頭にスタイルが良い者が多い。ハーピー、グーラー、こちらに何度か訪れた事のあるワルキューレや、アンがこの城に来た直後に興味を持って一度この城を訪れた≪悪霊姫≫、発展途上であるアンから見れば、皆羨ましい限りだ。ルシオラは例外だが、彼女もまた均整のとれた身体だと思う。
 しかし、目の前に現れた勘九朗は、そんな彼女達を上回っていた。
 女性にしてはかなり長身で体格も良いため、腰の細さは負けているだろうが、それを補って余りある圧倒的なボリュームである。
 魔に堕ちて魔族化したらしく、「勘九朗」と言うのは人間だった頃の名前らしい。男性名と言う事は、元は男性だったのだろう。それでもアンは、そのスタイルの良さを羨ましく思うのだった。


 ベスパに連れられて階段を下りて行くワルキューレ。辿り着いたのは、何も無いだだっ広い空間であった。この城の敷地と同じぐらいの大きさがあるのではないだろうか。どれくらい広いかと言うと、ルシオラが地下空間の中にポツンとある『宇宙のタマゴ』の存在に、最初は気付かなかったぐらいだ。
 ルシオラは、初めてこの地下空間を見付けた際、何のための空間か分からずに土偶羅に問い合わせた。すると返ってきた答えは「倉庫だ」の一言。以前は、アシュタロス自ら作った兵器を始めとする様々なものがこの部屋に収められていたらしい。
 しかし、アシュタロスが人間界に出向く際に全て持って行ってしまった。何故『宇宙のタマゴ』が一つだけ残っていたのかは土偶羅にも分からないらしい。案外、アシュタロスも一つだけ残っている事に気付かなかったのかも知れない。奪っていった天使達も困ったのではないだろうか。
 ワルキューレが辺りを見回してみると、中心から少しズレた位置に調査用の機材が雲霞のように並んでいた。その近辺に宇宙のタマゴがあったのだろうか。
「ルシオラ、何か手伝える事はあるか?」
「あ、ワルキューレ。正規軍から派遣されてくる援軍って貴女達だったのね」
 ワルキューレの声に気付き、顔を上げたルシオラは、その表情を綻ばせた。援軍の話は聞いていたが、誰が来るか分からなかったので不安だったのだろう。こうして知り合いが来てくれた事で一安心である。
「こっちはもう終わるところよ。連中、ほとんど痕跡を残してないわ」
「そうか……連中は一体、何が目的だったんだろうな」
「それについては、いくつか考えられるけど……それは、上で話しましょうか」
 ワルキューレの到着は少し遅かったようだ。調査は既に終わってしまっていた。ルシオラが命じると、どこからともなくハニワ兵達がわらわらと集まって来て、機材の片付けを始める。
 ルシオラはベスパとワルキューレを伴い上に戻った。とりあえず、正式な挨拶がまだだったので謁見の間に入ると、玉座に腰掛けてワルキューレから援軍派遣に関する書類を受け取る。ワルキューレとの仲を考えれば、そのような物は必要ないのだが、今回は正規軍の正式な命令で訪れているため、色々と手続きが必要になってくるのだ。

「それで、姉さん。何か分かったのか?」
「素性についてはサッパリ。でも、堕天使とかじゃなくて、れっきとした天使であった事は確かなようね」
「だとすれば、今頃堕ちているだろうな」
「………多分、そうでしょうね」
 残念ながら、ルシオラの調査の結果は芳しいものではなかった。襲撃してきたのが、れっきとした天使である事は分かったのだが、魔界であれだけの騒ぎを起こしたのだ。今頃はワルキューレの指摘通り堕天使に堕ちているだろう。
 しかし、ルシオラは生返事を返した。何やら思うところがあるようだ。
「姉さん、どうかしたのか?」
「……連中、まだ生きてるのかしら?」
 なんと、ルシオラの考えは、襲撃者の裏に潜む黒幕の存在に及んでいた。彼女は、襲撃者達は既に口封じのために消されてしまい、『宇宙のタマゴ』はどこかへ持ち去られてしまったと考えているのだ。逆に言えば、『宇宙のタマゴ』の存在を知り、利用しようと考える以上、それぐらいの相手を想定すべきだと考えていた。
「『宇宙のタマゴ』を利用すると言っても、具体的にどう利用するんだ?」
 現物を見た事が無いワルキューレが、ルシオラ達に問い掛けた。
「とりあえず、究極の魔体と同程度のバリアを張る事が出来るわね」
 その問いに対し、あっさりと答えるルシオラ。尋ねたワルキューレの方が狼狽えて後ずさってしまう。
「あ、あの、主神クラスとの戦いを想定したとしか思えないバリアか!?」
「あれって実は、『宇宙のタマゴ』の技術を利用してるのよね……」
 究極の魔体のバリアは、あらゆる攻撃を無効化する力を持っていた。空間を捩じ曲げ、別の宇宙へ攻撃を逃がす事により無効化するのだ。『宇宙のタマゴ』があれば、そのバリアを再現する事が可能となる。
「後は、新しい世界を生み出す事が出来るぞ」
「『創世』か。裏に天使が潜んでいるなら、それも有り得る話だな」
 もう一つは、文字通りの『宇宙のタマゴ』としての使い方だ。新しい異空間を生み出す事が出来る。
 ちなみに、横島は南極に攻め込んだ際に、宇宙のタマゴを一つ腐らせて駄目にしている。そのタマゴの中の世界は滅んでしまったため、文字通り横島は「一つの世界を滅ぼした男」であると言える。『破壊神 横島』とでも呼ぶべきであろうか。
 天使達に関する続報が無いため、これ以上は推察するしか出来ない。しかし、ルシオラはどんな目的があるにせよ、それはロクなものではないと考えていた。
 ハッキリと言ってしまえば、『宇宙のタマゴ』には「普通の使い方」と言うのが存在しないのだ。わざわざ宇宙のタマゴを狙って、奪って行ったと言う事は、何かしらの大それた目的があるはずである。

「とにかく、ワルキューレも今はこの城で寛いで頂戴」
 そう言ってルシオラは玉座に腰を沈めた。小さな身体が、豪華な玉座に文字通り沈んでいく。
「……そんな暢気な事を言ってて良いのか?」
「今は仕方がないな。敵の正体も分からんし、ハッキリ言って身動きが取れん。守りを固めるので精一杯だ」
 ルシオラのそんな態度に訝しげな視線を向けるワルキューレに、ベスパが溜め息をつきつつ答えた。
 正直なところ、今の彼女達には動きようがない。相手が天使となれば、デタントの問題もあるので尚更である。
「承知した。この城の防衛のために全力を尽くさせてもらおう」
 何にせよ、形式上ではワルキューレはルシオラの指揮下に入るのだ。ビシッと背筋を伸ばしたワルキューレは、ルシオラに対して敬礼をして見せた。
 しかし、ルシオラはそんな彼女に対し、悪戯っぽい笑みで応える。
「いいのよ、そんなに堅くならなくても」
「い、いや、しかしだな……」
「どうせ、周りの魔王級達も、この城にかまけてなんていられないわ」
 どうにも真面目な性分であるワルキューレに、ルシオラは肩をすくめてみせる。彼女は、この騒動が終わるまで、この城が狙われる事が無いと確信していた。神魔族の戦いが始まるかも知れないこの状況で、魔族同士が争っている暇は無いのだ。今頃反デタント派の面々も、神族との戦いに備えて準備を整えているところであろう。

「だから、しばらくは英気を養っててちょうだい。いずれ来る出番のために、ね」

 そう言って微笑むルシオラの瞳は、ベスパにもワルキューレにも見えない遠くを見詰めていた。彼女はいずれ出番がくる事を確信しているようだ。いや、「分かっている」のかも知れない。
 傍目には、無垢な少女の微笑みだ。しかし、ワルキューレは思わず身震いしてしまう。
 見習いとは言え、魔王級の名は伊達では無い。彼女にそう思わせるだけの何かがその笑みには潜んでいた。



つづく




あとがき
 いよいよ『黒い手』シリーズ最終章の開始となります。
 皆様、もうしばらくお付き合いください。

 今回は、最終章を始めるにあたってのプロローグとして、魔界の情勢を整理してみました。

 霊障による被害は保険の対象外である。
 『冥界』に関する各種設定。
 『堕天』に関する各種設定。
 『宇宙のタマゴ』に関する各種設定。
 究極の魔体のバリアは『宇宙のタマゴ』の技術を利用している。
 これらは『黒い手』シリーズ独自の設定です。ご了承ください。

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