topmaintext『黒い手』シリーズ魔法先生ネギま!・クロスオーバー>見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.46
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 雄叫びと共に犬豪院ポチがパイパーに襲い掛かった。
 ただ獣の俊敏さでやみくもに攻撃するのではなく、明らかに武術を修めた者の動き。流石のパイパーも、ラッパを吹く隙を見出せずにいる。
 しかし、ラッパが吹けなくともパイパーが強力な悪魔である事に変わりはない。
 一度突き出した両手から魔力を放てば、犬豪院が踏み止まろうとしても、その圧力に勝てずに押し戻されてしまう。
 距離を取ってしまえばこちらのものだ。パイパーはラッパを吹きながら自らも後ろに下がる。この距離ならば如何に犬豪院のスピードが速かろうとも、これではパイパーがラッパを吹き終わるまでに辿り着く事ができない。
「ホッホッホッ! ガキになったら、オイラに手が届かないんじゃないか?」
『ウオォォォーンッ!!』
 パイパーがラッパを吹き終わらんとしたその時、体勢を立て直した犬豪院が腹の底から雄叫びを上げる。廊下全体を震わせるその咆哮は霊波となってパイパーへと襲い掛かり、見事ラッパの音色を掻き消してしまった。
「何ぃッ!?」
 さも当然と言わんばかりの犬豪院は表情を変えずにパイパーへと駆けて行く。古来より犬の吠え声には退魔の力があるとされている。フェンリル狼の末裔である人狼族の方がより強い力を持っているのは当然だ。
 何より、どちらも「音」を使ったもの。単純に力ではパイパーの方が勝っているが、呪いの旋律が完成する前に大音量の吠え声で掻き消す事が可能となる。
 しかし、これは決め手にはならない。実際にパイパーに拳を叩き込んだ事で犬豪院は気付いていた。
 今は速さで対抗出来たとしても、パイパーを打ち破る事はできない。先程の両手から放たれた魔力がその証拠だ。相手が力押しで来れば、彼に勝ち目は無い。
「横島ッ!」
「お、おうっ!」
 犬豪院の判断は早かった、すぐさまGSである横島を呼び、二対一の形とする。
 何より犬豪院から見ればパイパーは異教の悪魔。このような者達を相手にする専門家は、やはりGSである。
 横島もすぐさま動き出し、今度は左手にサイキックソーサー、右手に文珠を一つ握り込んだ。
 三つの霊能を使い分ける器用さを持った横島だが、実は使う霊能を切り替えるには、出したものを一旦消すためのタイムラグが必要となる。高音、千鶴の二人がパイパーのラッパにより子供にされた時もそうだ。咄嗟に文珠で守ろうとしたが、その時既に両手が塞がっていたため、切り替えようとしている間に呪いの旋律が完成してしまった。「使い分けられる」と言う事は、言い方を変えれば「使い分けなければならない」と言う事。他にもラッパを止める手段はあったはずなのだ。あれは明らかに横島の判断ミスである。
「今度は文珠を叩き込んでやるっ!」
「文珠だと!?」
 パイパーはすぐさま魔力で犬豪院ごと押し戻そうとするが、横島が犬豪院を背後から押して踏み止まろうとする。
「助太刀するぞッ!」
 更に豪徳寺、山下、中村、小太郎の四人が駆け付け、横島も含めて五人掛かりで犬豪院を押す形となり、魔力の圧力と拮抗し始めた。
 流石のパイパーも、これには焦りを隠せない。距離が離せないとなれば、ラッパを吹く隙も無い。
 彼等を片付けるには、こちらも相応に準備を整えなければならないだろう。そう判断したパイパーは、この場は一旦退く事にした。犬豪院が自分の下に辿り着くより先に、廊下の窓を突き破り外へと飛び出す。
「横島…それにイヌッコロ! 貴様らがどんな手を使おうとも、オイラが必ずガキにしてやるッ!」
 そう言い残し飛び去るパイパー。
 横島達は、すぐさま窓どころか壁ごと吹き飛ばした大穴から外の様子を窺うが、パイパーの姿は既に見えなくなってしまっていた。
「逃げた…のか?」
「………いや、多分、準備をしに行ったんだ」
「準備?」
 怪訝そうな顔をした山下の問いに答える事なく、横島は下唇を噛み締める。彼の脳裏にはかつて令子と共に戦った時のパイパーの姿が浮かんでいた。
 まず、はっきりと言える事は、今戦ったパイパーは、あの時戦ったパイパーよりも強いと言う事だ。
 パイパーは力の源として『金の針』と言う物を所持しており、令子が戦った時はそれを奪われて数百年経過した状態だった。そのため、使える魔力も限られていたのだが、今のパイパーにその様子はなかった。
 一度、令子により滅ぼされたパイパーは、コスモプロセッサにより復活を果たしたのだが、その際に『金の針』も一緒に再生されたのだろう。『金の針』の無いパイパーは不完全な状態だ。滅ぼされた魔族を復活させられると言うのに、わざわざ不完全な状態で復活させる道理はない。
 つまり、現在のパイパーは『金の針』を所持しており、無限の魔力を行使できると言う事だ。
 その気になれば街一つに住む全員を子供にする事も容易い。言うまでもなく麻帆良学園都市未曾有の危機である。先程それを行わなかったのは、ひとえに準備不足のせいであろう。
 あの時のパイパーにあって今のパイパーにないもの、それは取り巻きのネズミの存在だ。パイパーが一旦退いたのも、ネズミを集めるためだと思われる。
「な、なぁ、犬豪院? ラッパが大合奏で、魔力でドーム作ってその中全体に呪いを掛けるとなると、防げるか?」
「…無茶を言うな」
 横島は不安気に尋ねてみるが、犬豪院はそれをばっさりと一言で切って捨てる。
 一つの音同士だからこそ対抗する事ができた。力押しされれば犬豪院に勝ち目は無い。パイパーもそれに気付いていたからこそ、あえて退いてネズミを集めに行ったのだ。

「ところで、豪徳寺達は何で? お前らやられてたんじゃ」
「ああ、あっちの嬢ちゃんがくれた薬を飲んだらすぐに――」
 ここで豪徳寺はずいっと横島に近付いて声を潜める。
「――横島、まさかあの子は…」
 指差す先に居るのは愛衣。今も手に小瓶を持ち、倒れた寮生達を助け起してその中身を飲ませている。どうやら高音が使っていたのと同じ、治療用の魔法薬のようだ。彼女はそれで、まず豪徳寺達を回復させたのだろう。
 豪徳寺はネギの『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』だ。魔法使いの事情を知っているだけに、その魔法薬を飲んだ事ですぐ愛衣の正体に辿り着いたらしい。
「と、とりあえず、その話はまた後で。ここじゃ不味い」
「…それもそうだな。分かった、まずは皆を助けよう」
 まずは寮生達を助けるのが先決と、ここは豪徳寺も素直に引き下がる。
 悠長にしているとパイパーがネズミを集め終えてしまうかも知れない、そうなれば麻帆良は終わりだ。
 更に、振り返れば無言で愛衣の裾をぎゅっと掴んでいる子供になってしまった高音。部屋には床にへたり込んだ夏美の隣にちょこんと澄ました、同じく子供となってしまった千鶴の姿がある。
 問題は山積みだ。これからどうすれば良いのか見当もつかない。
「とりあえず、エヴァに相談してみるかなぁ…」
 本当ならば学園長に相談すべきなのだろうが、ここで横島はあえてエヴァの名前を挙げた。
 当然、学園長にも報告はするのだが、彼等はパイパーだけでなく他にも居ると言う麻帆良を狙う者達に対処しなければならない。何より横島は高音、千鶴を救う術を知っている。彼女達のために奔走するのは横島の役目であろう。
 その間、二人の安全を確保するのに適役なのがエヴァだ。普段から何かと理由を付けて血を吸われているのだから、これぐらいは要求しても罰は当たるまい。

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 全ての寮生達を助け終えた頃には、既に日が暮れていた。
 他の寮生が救急車を呼んだりと大騒ぎになったが、すぐに騒ぎを聞き付けた弐集院がやって来て騒ぎを収めてくれる。どうやら学園長達も既に侵入者の存在は察知しているらしく、現在魔法先生達が総出で侵入者の捜索に当たっているそうだ。
 横島は豪徳寺達に部屋に戻らせ、小太郎だけを連れて寮の外に出て、そこで弐集院に事情を説明する。
「ローブの男に、コートの男に…悪魔パイパーねぇ。あの伝説の悪魔が麻帆良に現れるとは…」
「この子が三人の密談を目撃したらしいです。ローブの男は魔法使いだったとも」
「ほんまやで、『魔法の矢(サギタ・マギカ)』とか言うの撃ってきたからな」
「ふぅむ…」
 顎に手を当てて唸る弐集院。小太郎の立場を考えて、彼のおかげである事を強調してみせたが、幸いにも魔法先生達は侵入者が三人組である事は知らなかったらしい。
 弐集院の話によると、一時間ほど前から麻帆良学園都市周辺の山中で何者かが連続して魔物を召喚しているそうだ。召喚されたのは大して強くない者達なのだが、数度召喚するごとに位置を変えて、更に召喚する事を繰り返しているため、召喚主を捕らえる事ができずにいる。
「他に二人居るとなると、そちらは陽動の可能性があるな」
 山中でフードを目深に被ったローブ姿の男が目撃されているそうだ。小太郎の話を合わせて考えてみるに、件のローブの男が召喚を行っている事は、ほぼ間違いないだろう。
「横島君、君がパイパーと戦った事があると言うのなら、そちらは任せても良いかな?」
 如何に大して強くない魔物と言えども、一般人にとっては脅威だ。しかも、召喚された数が異様に多く、現在弐集院達は魔法先生総出で魔物の掃討に当たっている。
 まず、そちらをどうにかしなければ、とてもじゃないがパイパーや、現在所在の分からないコートの男に対処する事はできないそうだ。
「何人かの魔法生徒を街中の捜索に当たらせるが…」
 彼等は魔族と戦った経験などないため、パイパーはおろか、魔物と戦わせるのも危険である。
 高音が無事であれば、魔物などものともせずに獅子奮迅の活躍を見せたであろうが、彼女はああ見えても魔法生徒の中ではトップクラスの実力者、例外なのだ。
「わ、分かりました。できるだけやってみます」
「俺も協力するでッ!」
「頼んだよ」
 そう言って弐集院は足早に去って行った。このまま直接学園都市を出て山中の召喚現場へと向かうのだろう。
 元より高音、千鶴を助けるためにもパイパーはどうにかしなければならないのだ。弐集院に言われずともそのつもりであった。
 残された横島は小太郎を連れて部屋へと戻る事にする。すぐに皆を連れてエヴァのログハウスに向かいたいところだが、その前に犬豪院ポチから話を聞かねばならないだろう。
 人狼族の少女シロや、彼女の故郷の村の人々の事は知っているが、どうやら彼はまったく別の群の出身らしい。犬飼ポチのような例もあるので、その辺をはっきりとさせておく必要がある。
 万が一、エヴァの所へ連れて行って「吸血鬼と狼男は不倶戴天の天敵同士」などと言われてはエヴァが危険だ。
 いや、エヴァの身がどうにかなると思っているわけではない。この場合、危害を加えるのがエヴァであり、加えられるのが横島と言う意味で「エヴァが危険」なのだ。自分の身の安全が掛かっているだけに、横島も必死である。

 横島が部屋に戻ると、既に着替えを済ませて来た犬豪院ポチが人間の姿で戻ってきていた。
 人狼族である事が知られたせいか着物姿なのだが、シロの故郷の人々と比べて、どことなく上品な印象を受ける。派手ではないのだが生地そのものが違う感じがする。喩えるならば「時代劇で町人の中に実は高貴な身分の武士が浪人の振りをして混じっている」と言ったところだろうか。
 部屋の中を見ると、一番奥の窓際に犬豪院の姿がある。そこから順に机のある右側に豪徳寺、中村、ベッドのある左側に山下が居て、その背に隠れるように愛衣、夏美がベッドに腰掛けている。子供になってしまった高音と千鶴はそれぞれ愛衣と夏美の膝の上だ。
 おそらく犬豪院に対する恐れがあるのだろう。そのため、このような非常時にある程度慣れている豪徳寺が犬豪院との間に、自他共に認めるフェミニストである山下が愛衣達の前に立っているのだろう。
「あ、横島さん…」
 振り返った夏美が、横島の姿を確認して安堵の溜め息を漏らす。狼男に恐ろしいピエロ、そのピエロに子供にされた千鶴。現実感がないのにリアル過ぎる非現実、現実逃避する事すら許されない状況に、かなり精神的にまいっているようだ。
「おねえちゃん、だいじょうぶ?」
 膝の上の千鶴が心配そうに上目遣いで顔を覗き込み、頬をてしてしと叩いてくる。
 あきらかに子供、小学生かどうかすらも怪しい。普段は夏美が「ちづ姉」と呼んでいるのに、今は千鶴が「おねえちゃん」と呼んでくる。第三者から見れば違和感は無いのだろうが、漠然と漂うこの違和感は一体何なのだろうか。
 服装も当時の物らしいが、襟にフリルの付いた白いブラウスにワンピースのスカート。何とも清楚なお嬢さんと言った感じだ。口調なども年の割にはしっかりした印象を受ける。こんな頃から年の割りに老け…もとい大人びていたのかと、妙に冷静に考えている自分に夏美は苦笑してしまった。
 高音の方は、ひしっと愛衣にしがみ付いてその胸に顔を埋め、顔を上げようともしない。こちらも子供の頃の服装なのだろうが、ブレザーにタイと千鶴以上にきっちりとした服装をしており、まるでどこかの制服のようにも見える。更に地味な色をしたロングコートを羽織っている。ここにアスナや木乃香がいればこう言っていたであろう「まるで、初めて会った時のネギのようだ」と。
 出会った時はなんて堂々とした人なんだと思ったが、意外にも子供の頃は引っ込み思案なタイプだった――と夏美が勘違いしてしまうのも無理はあるまい。
 一方、愛衣は高音がこんな状態になっている理由を何となく察していた。
 今の彼女は、魔法界『ムンドゥス・マギクス』にある魔法学校の制服姿なのだ。すなわち今の彼女は魔法世界で暮らしていた頃の姿である。
 高音は、両親が人間界で働いているため両世界を交互に行き来していた愛衣と違って、聖ウルスラ女学院に入学して麻帆良に来るまでずっと魔法界で暮らしていた純粋培養の魔法使いだ。
 魔法界の子供達にとって、賞金首である凶悪魔法使い『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』と、魔法界誕生のあらましに関わる『魔女狩り』はポピュラーな怪談話である。
 前者はそれこそ日本で言う『ナマハゲ』のようなものだが、後者は親から子へと伝えられる戒め、躾のような意味合いも含められている。人間は恐ろしいものだ、だから私達魔法使いは人間界を追われて魔法界に逃れたのだと。
 元々は故郷を離れざるを得なかった者達の恨み節だったのかも知れない。しかし、現在ではこの『躾』によって魔法使いの中でもエリートに近い者達ほど人間界に疎い傾向が強くなってしまっており、高音もそのような家で生まれ育ち、人間界に来て色々と驚いた、と愛衣はかつて聞いた事があった。
 パイパーに子供にされた者は記憶もその頃に戻ってしまうと言われている。魔法技術が発展した魔法界と科学技術が発展した人間界では明らかに文明が異なる。
 魔法界ではない場所、周囲の見知らぬ者達、子供の高音にも何故か自分が人間界に居る事は理解できてしまう。愛衣から離れようとしないのも、彼女が魔法使いである事を本能的に察したのであろう。
 そう考えると、高音の今の態度は引っ込み思案なのではない。恐ろしいのに泣き叫ぶ事もなく、じっと耐えているのだ。
 子供なのに気丈だ。腕の中で小さく震える肩を、愛衣はぎゅっと抱き締めるのだった。

 そして、横島と小太郎はその夏美達の脇を通って犬豪院ポチの前に立った。
 大豪院の大に点をひとつ加えて犬豪院。その読みは『いぬたけのいん』、意外と古風な名前だ。人狼族らしいと言えるかも知れない。
 彼の方も問い質される事は覚悟していたようで、真正面から横島達を見据えている。
 まずは山下が腕を組んだ姿勢のまま犬豪院ポチに問い掛ける。二人はクラスメイトだっただけに聞きたい事も多い。
「『人狼族』と言うのがにわかに信じ難いが…君は確か丹波の出身と言っていた、それも嘘だったのかい?」
「いや、それは本当だ。丹波の愛宕山、そこに俺達の住む集落がある異空間への入り口がある」
 突然「異空間」と言われても山下は戸惑った様子だったが、横島はその言葉で彼はやはりシロ達と同じように人間から隠れて暮らしている人狼族であると理解した。

 彼の故郷は『犬豪院の里』と呼ばれている。と言っても、彼がそこの長の一族と言うわけではなく、その里に住む人狼族全員が『犬豪院』を名乗っているらしい。
「人狼族って皆そうなのか?」
「俺ら『狗』は人間とほとんど変わらんで」
「俺の知ってる人狼族も、苗字に『犬』は付いてたが、一つではなかったなぁ」
 その話を聞いて犬豪院ポチは苦笑している。  彼自身、自分達が他の人狼族と異なる事は自覚している。彼等が皆、犬豪院の姓を名乗るのは、彼等一族の歴史において、その名が重き意味を持つ故であった。
「全員同じ苗字って、分かりにくいんじゃない?」
「その代わりに、里の者達はそれぞれ『屋号』と言うものを持っている。それが苗字の役割を果たすんだ」
 外部の者に対しては『犬豪院』の姓を名乗るが、里の者達同士では代わりに屋号を名乗り合うとの事。『高耳屋』や『巻尾屋』など、その家の者達の身体的な特徴を表したものや、『紺屋』や『古鉄屋』など、その家が生業としているものがある。
 ちなみにポチの屋号は『辰口屋』だそうだ。
 その名は、犬豪院の里において辰の方角より来る襲撃から村を護る守人の役割を担う一族が名乗る屋号だ。

「辰、口、縦に並べると…」
「言うな」
 ポチはその分厚い唇から紡がれる短い、それでいてしっかりとした声で横島を止めた。

 閑話休題。

「…ん? 愛宕山から見た辰の方角と言えば、京都じゃないか?」
 その事に気付いたのは豪徳寺であった。確かに彼の言う通り、愛宕山から見た辰の方角――厳密には少しのずれがあるが、東南東に位置するのは、他ならぬ京の都である。
 何故、彼等が京都からの攻撃に備えるのか。これは犬豪院の名が持つ歴史に由来していた。

 時代は平安時代の末期、検非違使が裏の世界に潜って『神鳴流』と名乗り出したのも丁度その頃で、人狼族を含む土着の妖怪達にとっては冬の時代の始まりでもあった。
 そんな中、京都に程近い愛宕山を住処とする犬豪院の一族は、『神鳴流』から身を守るためにあえて人間達の庇護を求めた。古来より他の人狼族の群と比べて人間とは親しい関係にあった彼等は、下手に抵抗したり逃げ隠れするよりも、人間の中に入り込む方が良いと考えたのだ。
 とは言え、人間の中に身を隠すだけではいけない。人狼族の身体能力は人間よりも遥かに優れており、いつふとした事から正体が知られてしまうか分からないため、人狼族の能力を活かした上で、神鳴流から身を護る事ができる庇護者が求められていた。
 そして彼等は見つけ出した。力を求め、なおかつ神鳴流でも手出しできない程の影響力を持った存在を。
 それは、都の北東に位置する山を本拠とする、ある密教寺院であった。
 当時の彼等は武装化し、物資の流通を握る事によって経済力も持った、時の権力者も介入する事ができぬ一種の独立国のような様相を呈しており、当然、神鳴流も手出しする事ができなかった。
 その後、犬豪院の一族はその密教に帰依し、僧兵として人狼族の力を振るう事となる。犬豪院と言う名自体、僧兵として活躍する彼等の当時の長に与えられた戒名なのだ。ちなみに僧兵というのは基本的に出家ではなく、僧侶の格好をしているだけの鎧武者の事を指す。であるからして、犬豪院の一族も僧侶というわけではない。

 しかし、その平穏も永劫に続くものではなかった。
 時代は移り変わり、戦国の世の果てが見え始め、同時に太平の世の足音が聞こえ始めた頃、犬豪院の一族に転機が訪れた。彼等が庇護を受けていた寺院に対し、大規模な焼討が行われたのだ。
 この頃の彼等はその寺院において僧房を持つまでになっていたのだが、一歩外に出れば神鳴流による妖怪狩りが猛威を振るい、人狼族であると言うだけで問答無用で斬られてしまうような時代になってしまっていた。他の人狼族の群も、異空間に姿を隠して久しい。
 もはや独立勢力としての寺院の勢力は衰退し、彼等を庇護するだけの力は無く、むしろ神鳴流を呼び寄せる事となり寺院に迷惑を掛けてしまう。そう判断した当時の長は、寺院を離れて一族の故郷である愛宕山に戻り、自らも他の群に倣って異空間への門を開き、人間界から姿を消す事を決意した。
 その後、焼討された寺院は再建される事となるのだが、既に犬豪院の一族が去ってしまっていたため、犬豪院の僧房が再建される事はなかったそうだ。現在では、存在したと言う記録すら残されていない。

「つまり、その犬豪院一族の末裔ってのがお前なのか」
「そう言う事だ」
 その後も彼等は、件の寺院と密かに連絡を取り合っており、他の人狼族の群とは異なり時代の流れに取り残されなかった稀有な例である。
 ここで横島は、最も重要な事を尋ねた。犬豪院の姓を持つ者は大勢いるそうなので、あえて「ポチ」と呼ぶ事にする。
「なんで、ポチ先輩は麻帆良に来たんだ?」
 京都から来たと言う時点で、麻帆良学園都市を拠点とする『関東魔法協会』と京都を拠点とする『関西呪術協会』との関係を思い浮かべてしまう。もし彼が両者の争いに関わる人物であるならば、非常に厄介だ。
 しかし、彼の返事は横島の心配をよそに、二つの組織とは全く関係のないものであった。
「『西』との関係を心配しているのか? それは無用の心配と言うものだ。今となっては神鳴流も無闇に罪もない妖怪達を斬る事はできなくてな、辰口屋の役割自体がなくなりつつあるんだ。だから俺は、新たな戦いを求めて故郷を出た。それだけだ」
 GS協会が台頭して来た事で神鳴流の在り方も変遷し、辰の方角、すなわち京都からの神鳴流の攻撃を警戒しなくてもよくなっていた。
 辰口屋の跡取りであるポチは、それならば表の世界を見てみたいと一族の長に願い出て、それを許された。シロの故郷がそうであったように、犬豪院の里も次代を担う若者の代表としてポチを人間社会に送り出したのだろう。
 京都の動向を常に監視していた彼等は、東西の確執についても知っており、麻帆良が関東魔法協会、魔法使い達の本拠地である事も知っていた。
 ただし、真名や刹那のような関東魔法協会に雇われる傭兵のような立場にはない。あくまで武者修行の一環として、麻帆良を選んだに過ぎなかった。人狼族の持つ超感覚が、戦いの気配を捉えたのかも知れない。

「ん〜、よく分かんねぇけど、ポチ先輩は武者修行のために麻帆良に来たって事か?」
「いささか単純過ぎる気もするが…まぁ、ポチが危険な人物でない事は、俺達が一番良く知っているはずだな」
 話を聞き終えた中村と山下は、結局「犬豪院ポチは友人」と言う結論に達していた。シンプルな考え方ではあるが、彼の人となりを知っているだけに、あまり危険とも感じられないのだろう。豪徳寺も同じ考えのようだ
「吸血鬼と仲悪かったりする?」
「? いや、会った事もないが」
「あ、そう…」
 横島も、彼ならばエヴァに会わせても問題はないだろうと判断する。神鳴流に狙われていたと言う一族の中で育った彼は、立場的にも彼女に近い。
 問題は夏美と千鶴の二人だ。出来る事ならばこれ以上関わらせたくないのだが、横島は令子と共にパイパーと戦った際に子供になった令子を人質に取られた事がある。それを繰り返させないためにも、彼女達の安全はしっかりと確保しておく必要があるだろう。
 山下と中村も問題だ。横島がこれからやるべき事は大きく分けて二つ。一つは言うまでもなく夏美、千鶴の安全を確保する事だが、もう一つは子供となった千鶴と高音を助ける事。そのためにも何とかしてパイパーを倒さなければならない。
 しかし、このパイパーと言うのは強さもさることながら厄介な悪魔で、ピエロのパイパーを追い掛け回しているだけでは奴を倒す事はできない。ピエロはあくまで分身であり、巨大ネズミの本体が別に存在しているのだ。
 その本体を探し出すために豪徳寺、小太郎、そしてポチにも協力してもらって人海戦術を駆使したいところなのだが、小太郎はともかく豪徳寺、ポチだけを連れ出して、山下、中村は残れと言うのは無茶な話だ。とてもじゃないが、彼等が納得してくれるとは思えない。
 現実問題として、山下、中村もパイパーから見れば一般人。人質にされる可能性はあるのだが、その事が完全に頭から抜け落ちてしまっている辺り実に横島である。

「横島、俺が言うべき事じゃないが、山下と中村も連れて行くべきではないか?」
「うぅ、やっぱそうか?」
 豪徳寺は、横島が何を悩んでいるのかを察して声を掛けた。
 彼もポチが「こちら側」の人間であった事に驚いた様子だったが、横島と出会う以前から親友であった三人にネギの事を隠すのは心苦しいと考えていたので、むしろ救われた思いである。  そして、今回の一件で山下、中村の二人もこちら側に巻き込まれてしまったと、豪徳寺は考えていた。  正確には横島が魔法使いの事を隠そうとしているので少し異なるのだが、これは彼が魔法使いとGSの違いをしっかりと理解していないためだ。愛衣に貰った薬から彼女の正体に気付き始めていると言うのもある。
 ここで豪徳寺が声を潜めて尋ねてきた。
「ところで、あちらの嬢ちゃんはもしや…」
「やっぱり分かるか?」
 「あちらの嬢ちゃん」とは言うまでもなく愛衣の事である。パイパーの攻撃は凄まじいものであった。その傷がたちどころに治ってしまうのだ、あの水薬がただの薬でない事は理解できる。横島が傷の治療には治療用の札を使っているのを知っているだけに、あれが魔法の品だと考えるのは当然の思考の帰結である。また、横島、愛衣と共に居た高音も魔法使いの関係者である考えるのもまた当然であろう。
「………手遅れ、か?」
「手遅れだろう。安心しろ、無闇に吹聴して回るような連中じゃない。むしろ、ここに残して狙われた方が大変だ」
 横島もとうとう諦めて大きな溜め息をついた。
 豪徳寺が指摘した通り、山下、中村は横島の身内としてパイパーに狙われる可能性がある。逆に言えば、人質としてどれだけの効果があるか分からない他の寮生は狙われる可能性は低い。
 ならば、狙われる可能性がある者は一箇所に集めてしまった方が良いだろう。迷惑を被るのは、その集まる一箇所であるエヴァの自宅だが、あそこは一見ただのログハウスに見えて、実は魔法による護りが施されており、その堅さは麻帆良学園都市内でも屈指を誇る。
 図書館島地下迷宮に潜ると言う手もあるのだが、如何せんあそこは魔法生物等が横島達の思い通りにはならない。夏美、千鶴の安全を考えるならば、やはりエヴァの家が一番なのだ。

 そうと決まれば、行動は早い方がいいだろう。豪徳寺がポチ達に、横島は夏美達に事情を説明する。今の状況では横島を頼るしかない夏美に異論はなく、愛衣は当然エヴァの事を知っているため驚いていたが、ここは「お兄様」である横島を信じる事にした。
 一方、小太郎は横島からも、豪徳寺からも離れてポチの側に居た。同じ人狼族であるだけに親近感を感じているのかも知れない。
「それじゃ、行こうか」
 横島が促し、夏美が千鶴を抱いたまま立ち上がるが、小柄な夏美には、流石にそのままエヴァの家まで行くのは辛いだろう。横島は彼女を気遣い、すぐさま千鶴を引き受ける。横島に抱き上げられた千鶴は、一瞬何が起こったか分からずにきょとんとした様子だったが、自分がしっかりと抱き上げられている事と、視点が急に高くなった事に気付くと、ぱぁっと表情を輝かせてぎゅぅっと横島に抱き着いた。
 鳴滝姉妹を担ぎ上げて森の中に疾走した事のある横島にとって、更にもう一人担ぎ上げる事などわけない。
 高音も愛衣から離れようとしないので、こちらも預かろうと手を差し伸べると、高音は一瞬顔を上げて横島に視線を向けるが、すぐにぷいっと視線を逸らすと、再び愛衣の胸に顔を埋めてしまった。こちらは完全に愛衣以外には心を開いてないようだ。愛衣はこっそり魔法で身体能力を強化するから大丈夫だと微笑んでいるので、横島は仕方なく諦めて出発する事にする。


 千鶴を抱いてエヴァの家に向かう道すがら、横島は現在の状況を頭の中で整理してみた。

 まず、コスモプロセッサで復活したパイパーが攻めて来た。しかも、令子と共に戦った時と違って最初から魔力の源である『金の針』も所持している。
 その上、本体の大ネズミがどこにいるかはようとして知れない。また、子供にされた千鶴と高音を元に戻すには奪われた時間が詰まった風船を金の針で割る必要があるのだが、これも本体と一緒にあると思われる。つまり、どこにあるのか分からない。

 ローブの男は、麻帆良学園都市周辺山中の各所で何度となく魔物召喚を行っており、魔法先生のほとんどがこの魔物達から麻帆良を護るために出動して行った。
 これはすなわち都市内の防衛が手薄になっていると言う事だ。いざと言う時は本当に横島達だけで何とかしなければならないだろう。こうなってくると、山下、中村も貴重な戦力だと言える。

 更にもう一人、コートの男がいるようだが、こちらは今の所姿を見せていない。どこで活動をしているかは分からないが麻帆良に来ている事は間違いあるまい。
 小太郎が言うには、このコートの男は三体の魔物らしきものを従えているらしい。小太郎も逃走中であったため、はっきりとその正体を確認する事ができなかったそうだ。
 この正体不明の第三の男についても意識を割いておく必要がある。

「もしかして…結構、ピンチ?」
 もしかしなくても、麻帆良学園都市の危機である。



 時間は前後して――横島が高音達四人の見目麗しい少女達を連れて男子寮に到着し、男達の憎しみを一身に受けていた頃、アスナもまた女子寮へと辿り着いていた。
 ネギと約束した通り、途中でクラスメイトに会えば早く帰るように伝えるつもりであったが、途中から雨が降り出したせいか誰と遭遇する事もなかった。
「木乃香達、もう帰ってるよね? 早速、刹那さんから一人で出来る修行を聞かないと!」
 慌しく折り畳み傘を畳むと、早足で階段を駆け上がっていく。
 木乃香の修行は、普段自室で行われている。今日も二人は部屋にいるだろう。
「たっだいまーっ!」
「あれ、おかえりアスナ。横島さんとの修行はどないしたん?」
「それがさぁ、急に仕事頼まれたみたいで、中止になっちゃったのよ」
 本当に残念そうな口調のアスナ。今の彼女にとっては、霊能力を身に付ける事と、横島と一緒の時間を過ごす事は同じぐらいに大切なのだ。霊能力を身に付ける事も、横島と一緒に居るための手段だと考えている節もある。言い換えれば、煩悩がやる気に直結している状態だ。流石は師弟、この辺りも実によく似ていた。
 そんなアスナに掛けられた声が一つ。
「あらあら、残念でしたわねぇ」
「そうなのよー…って、『でしたわねぇ』?」
 木乃香の口調でも、刹那の口調でもない。何より声が違う。
 そして、アスナはその声に聞き覚えがあった。普段からよく聞いている声だ。
 タイを解こうとしていた手をピタリと止め、恐る恐る振り返ってみると案の定、そこにはまるで薔薇の花束を背負ったかのような颯爽とした立ち姿、『いいんちょ』こと、雪広あやかの姿があった。
「い、いいんちょ!? なんで、あんたがここに居んのよっ!」
「失礼ですわねっ! 私が用もなく、この部屋に来ると思って!?」
「あ、ウチが頼んだんよ〜」
 さも当然のように口喧嘩を始めようとする二人を、木乃香の暢気な声が止める。
 話を聞いてみると、木乃香がある事について調べようとしていたところ、あやかがその調査を買って出たそうだ。珍しいこともあるとアスナがバカにしたような笑みを浮かべると、何故か木乃香はニコニコとし、刹那は苦笑している。
 当のあやかも押し黙ってしまい、アスナが何事かと不安そうにしていると、笑顔の木乃香が一つの大きな封筒を手渡して来た。手に持ってみるとずっしりと重く、中身が詰まっているようだ。
「何コレ?」
「いいんちょがな、アスナのために取り寄せてくれたんよ」
「つ、ついでですわよ! あくまで木乃香さんのために取り寄せたもので…」
 傍から見ていても無理のある言い訳だ。あやかの顔は真っ赤になってしまっている。
「アスナもいると思うて、わざわざ一つ余分に取り寄せてくれたんやな。おおきに」
「グッ…」
 真正面から礼を言う木乃香に、あやかの顔は熟れたトマトのような有様であった。
 刹那もとうとう我慢できなくなって、口を手で押さえて声を押し殺して笑っている。
「な、何なのよ…」
 そう言いながら封筒の中身を取り出してみると、最初に出てきたのはパンフレットのような小冊子であった。タイトルを見てみると、そこには『六道女学院入学案内』と書かれている。
「何よ、これ?」
 興味ないと言いたげなアスナの態度、木乃香と刹那が諌めようとするが、それよりも早くあやかが爆発した。
「アスナさん!? 貴女はGSの横島さんに弟子入りしたのでしょう? GSを志す以上、当然考えておくべき進路のはずですわよッ!?」
「…そーなの?」
 パンフレットで口元を隠しながら、こっそり刹那に耳打ちして聞いてみるアスナ。
 どうやら彼女は本当に何も知らないようだ。あやかはアスナの暢気さにこめかみをピクピクとさせている。
「て言うか木乃香、ここで進学するんじゃなかったの?」
「そのつもりやったんやけど、『除霊科』ってその学校にしかないらしいんよ」
 つまり、修学旅行の一件で、自分の進路を考え直す必要に迫られたと言う事だ。
 六道女学院除霊科、通称『六女』は、霊能力者としての基礎的な知識や技術を学ぶのに適している。その分、実践的な経験を積むには向いていないが、令子の除霊助手であるおキヌや、エミの除霊助手である魔理のように、除霊助手の仕事で現場に立ってそれを補う事はできる。これはGSを志す者にとって魅力的な選択肢と言えるだろう。

「まぁ、木乃香さんも必要としていると聞いた時は驚きましたが、せっっっかくですから、不肖雪広あやかが微力ながらお手伝いさせていただきましたわ」
 と、あやかは言っているが、実際の所はあやか自ら六女の事を調べて、木乃香に対してこんな学校もあるとアスナに伝えて欲しいと頼んだのだ。
 それを聞いた木乃香は自分の分の入学案内資料を取り寄せて欲しいと頼んだ。ここでアスナの分について触れなかったのは、あやかならば言われなくともアスナの分を取り寄せてくれると言う事と、アスナの分を頼めば、あやかは恥ずかしがると言う二つの確信があったからだ。中学入学以来、二人の喧嘩をずっと側で見てきているだけあって、彼女達の性格はよく分かっている。
「でもさ、まだ一学期よ? まだまだ先の話じゃない」
「アスナさん、貴女ねぇ…」
 しかし、アスナの反応は軽かった。
 元々、GSになりたいとかではなく学費返済を目的にしていたと言う事もあり、霊力に目覚めさせられて必要に迫られた木乃香と違って危機感が薄いのかも知れない。いや、単に理解できていない可能性もある。
 ここで刹那が見かねて口を挟んだ。
「あの、アスナさん。気付かれていないのかも知れませんが…六女に志願すると言う事は、受験しないといけないんですよ?
「!?」
 これは効果覿面であった。
 何故なら彼女はバカレッド。クラス内成績ワースト5、バカレンジャーの一人なのだから。
 六道女学院の普通科は都内でも有名な難関校だ。除霊科は若干ハードルが下がるとは言え、アスナにとってはどちらも高過ぎて誤差の範囲である。
 勿論、除霊科ならではの霊能力者に対する推薦枠は存在するのだが、横島に霊力を借りなければ神通棍も使えない今の彼女には、それこそ夢のまた夢であろう。何とかして、実力で入試を突破するしかない。
 実際は、必ず六女に入学しなければならないと言うわけではなく、除霊助手を続けていれば、いずれGS資格取得試験への挑戦権を得る事ができるのだが、アスナはそんな事知る由もなかった。相当ショックを受けたようで、パンフレットを手にしたままテーブルに突っ伏している。
「これからちゃ〜んと勉強せんとな」
「うぅ、分かったわよぅ…」
 いつもなら何とかして逃げるところだが、今の彼女にその元気はない。
「アスナさん。貴女が望むなら、家庭教師役、承ってもよろしくてよ」
「うぅ…」
「…あら?」
 来るべき反撃が来ない為、あやかは怪訝そうな表情をする。
 次の瞬間、アスナはあやかにとって予想外な行動に出た。
「いいんちょ、ありがとぉ〜っ!」
「アスナさん!?」
 突然、涙目のアスナは、感極まってあやかに抱き着いたのだ。これには流石のあやかも目を白黒とさせている。
 普段は仲の悪い二人だが、こうしている姿はまるで優等生の姉と出来の悪い妹のようだ。本人達が聞けば怒ったであろう。いや、今の二人にはその余裕すらもないかも知れない。
 刹那も驚いた様子だったが、木乃香だけはこうなる事は分かっていたと言わんばかりに、にこにこと微笑んで二人を見守っていた。やはり、付き合いが長いだけあって、二人の事がよく分かっている。
 なんだかんだと言って、結局二人は仲が良いのだ。

「チーン!」
「って、鼻かまないでくださいますッ!?」
 ………多分。



 一方、女子寮の外には、降りしきる雨の中、傘も差さずに佇む一人の男の姿があった。ロングコートを身に纏い、鍔広の帽子を目深に被っている。かなり高身長の男性だ。
 その男の足元では、水溜りがまるで生き物のように三つ盛り上がっていて、その中にはまるで眼のような二つの光が灯っている。
「ネギ・スプリングフィールドは、まだ帰宅していないようデス」
「それは残念だ」
 そう言って男は本当に残念そうに肩を落とした。
 帽子のおかげで表情を窺う事ができないが、その様子からは本気の感情が感じられる。
「まぁ、彼が帰宅する前に色々と準備しておくのも悪くない。どうせなら趣向を凝らして迎えてやりたいじゃないか――せっかくの再会なのだからね
「よーするに、ネギってヤツが逃げられないように人質集めろって事ダナ」
「では、予定通りニ…」
 男が鷹揚に頷くと、三つの盛り上がった水溜まりはとぷんと音を立てて、ただの平らな水面に戻った。
 それを見届けたコートの男は、女子寮に向かってゆっくりと歩を進めて行く。その髭を蓄えた口元を、ニヤリと笑みの形に歪めながら。



つづく


あとがき
 言うまでもありませんが、犬豪院ポチ、及び犬豪院の里に関する設定。
 高音、愛衣、それに関わる魔法界の設定。
 及び、千鶴の子供時代に関する設定は、『見習GSアスナ』独自の物です。ご了承下さい。

 特に犬豪院ポチについては、結構詳細に設定を固めてみました。
 実在のモデルが存在するキャラなので、とりあえず「実在する人物とは、一切関係ありません」とお断りしておきます。

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