続・虎の雄叫び高らかに 1
GS協会の唐巣の執務室。彼の机の上は、多くの書類で埋もれていた。
普段は唐巣の教会にいるピートも、今日は珍しくこちらに来ている。
「先生、いよいよ明日ですね」
「そうだね。まったく、新参者には荷が重いよ」
そう言って苦笑する唐巣。
彼の手元にある書類には、大きくこう書かれていた。『GS資格取得試験』と。
「まぁ、君達の時のような事は、そう無いと思うがね」
そう言って俯きがちな顔で、眼鏡を光らせる唐巣。心なしか広い額に汗が光っている。
魔族によるGS資格取得試験襲撃。ピート達が受験した時に起きた事件はあまりにも有名だった。
流石に何度も起きる事ではないだろうが、唐巣は想定される全ての事態に対して備えなければならない。
「しかし、幹部招聘後すぐに資格試験の総責任者を任せられるなんて凄いですね」
「誰もやりたがらないだけだよ。あの事件があったからね」
「………」
GS資格を新たに取得する者、すなわち、オカルト業界の未来を担う者達。
そのために試験の責任者の負う責任と言うのは恐ろしく重い。しかも、前回の事件で魔族にとってGS資格試験は狙い目である事が知れ渡ってしまったのだ。
唐巣も資格試験については色々と口出しをしたいと考えていたので自ら立候補したのだが、その時他の幹部達は渡りに船とばかりに彼に任せた。
もし、魔族が再び襲撃してきた時の事を考えると、唐巣以上の人材がいなかったと言うのもある。何せ、GS協会の幹部には元GSもいるが、彼等はあくまで「元」。現役のまま幹部となった唐巣の方が特殊なのだ。
「そう言えば、タイガー君が今回も受けるらしいね」
タイガーが妙神山で修行をしてきた事は、ピートから聞いて知っている。
唐巣は彼が今回の試験の台風の目になるのではないかと睨んでいた。
「横島さんから聞きましたけど、六道女学院から一年生が受験するらしいですよ。横島さんが稽古をつけている子だとか」
「ほう、それは珍しいね。広報部が騒ぎそうだ」
そう言って笑いつつも、唐巣の頭はその事により発生するトラブルを想定しようとしている。
あくまで裏方の仕事だが、色々と気を使わなければならない。
「ピート君、明日は頼むよ」
「何もなければ、一番良いんですけどね」
ピートも明日はガードとして参加する事になっている。
何か起きた際にすぐに対処できるようにと、唐巣が要請したのだ。
しかし、ピートは唐巣と違って割と気楽に構えていた。横島も六道女学院の一年生を応援に来ると言っていたので、何かあったとしても何とかなるだろうと。
「と、とうとう、この日が来ましたノー」
ぶるぶると震える手で一枚の紙を掴むタイガー。心なしか目が血走っている。
その紙はGS資格取得試験の申込用紙だった。
いよいよこの日がやってきたのだ。男タイガー寅吉が、再びGS資格取得に挑む日が。
「…タイガーの奴、大丈夫ですか?」
「妙神山で修行してきたんだから、大丈夫だとは思うワケ…多分」
心配そうにタイガーを見守るのは、同僚の魔理と上司のエミ。
普通に考えた場合、妙神山の門の試練を越えられる実力があれば、GS資格を取得するには十分なのだ。
しかし、タイガーはピートと協力して試練を突破した。一人の実力ではないのだ。大丈夫だと断言する事ができない。
「私は出れないんですよね?」
「あんたが在学中に試験受けるのには、受験資格を得るための試験を受けなきゃいけないワケ。筆記試験もあるけど、挑戦してみる?」
「…遠慮しときます」
実技だけならまだしも、筆記まであるとなると自分ではどうしようもないと魔理はやんわりと断った。
美神除霊事務所のおキヌは、最近エミに雇われた魔理と違って、除霊助手としては十分な経験を積んでいるが、令子に卒業まで待つようにと言われている。
彼女は導師級とも言われるネクロマンサーなのだが、逆に言えばそれ以外に関しては素人同然であるため、霊能力者としては極めてバランスが悪い面がある。そのため、学校でしっかりと基礎を学べと令子は言う。
しかし、令子の考えはそれだけでは無い。
GS資格試験と言うのは、現在過渡期にあると彼女は見ている。これに関しては珍しくエミも同意見だ。
きっかけは横島が受けたGS資格試験。
メドーサによって仕掛けられた火角結界の余波により、霊的な記録媒体が全滅してしまったため、唯一映像記録が残っていない試験であるのと同時に、横島忠夫、伊達雪之丞、ピエトロ・ド・ブラドーと、これからのオカルト業界をリードしていくであろう若手GSの代表格が誕生した試験でもある。
近代オカルト史では、古来より伝わる術具で除霊をする唐巣神父、六道夫人の様な者達が第一世代と分類されている。
同様に精霊石震動子の発明により一気に進化した除霊具を駆使し、除霊を行う美神親子の様な者達が第二世代。
そして、前述の双方に頼らず、≪栄光の手≫や、サイキックソーサーの様な独自の霊能を駆使する者、文珠や魔装術の様な一般に伝承されていない古来からの秘伝の技を習得した者達を第三世代と呼んでいる。つまり、横島と雪之丞の様な者達だ。ピートも唐巣から学んだ第一世代の術を主に使用するが、吸血鬼の能力を同時に扱える特殊なタイプとして、第三世代の一人に数えられている。
ちなみに、タイガーの精神感応能力の様な、世に言う「超能力」は割とメジャーな物だが、これは伝承しようとして伝えられる様な物ではないため、近代オカルト史上の分類では第三世代の能力と言われている。
昨今のオカルト業界では、この第三世代の台頭が囁かれている。
独自の霊能と言うのは特殊な物も多く、全てが戦闘に直接関係するとは限らない。例えばタイガーの精神感応能力などがそうだ。
そのため、霊的攻撃のみ有効と言うルールに則り、狭い試合場で受験者同士を戦わせると言う従来通りの受験方法は、霊能の可能性を狭めてしまうのではないかと言う意見がGS協会では出始めているのだ。
それがおキヌの受験とどう関係しているかだが、彼女のネクロマンサー能力は霊を慈しむ心が重要なため、下手に霊を倒す術を身に付けるとネクロマンサーとしての能力を失ってしまうかも知れないと言う恐れがある。修行の果てに身に付けた物ではないから尚更だ。
学校での授業においても、彼女がネクロマンサーとしての能力を失う事がない様に、六道夫人も気にかけている。
流石に、今すぐ試験方法を変更しようと言う事にはならないだろうが、おキヌが卒業する頃には試験方法も見直されているかも知れない。令子が除霊助手としての経験は十分にあるおキヌに受験を控えさせているのはそのためである。
実は、試験方法見直しを推し進めているのは、他ならぬ唐巣だったりする。
「タイガーは第三世代ですか?」
「そうなるワケ」
学校で使用しているオカルト史の教科書を開いている魔理。
精神感応能力、そして妙神山で身に付けた、特殊な獣人変化。特に後者はタイガーならではの霊能だ。
「かおりの家の水晶観音は?」
「あれは第一世代なワケ。人によって形状が違うけど、弓家一門に伝えられてる技だし」
「そうなのか…」
どこかほっとした様な表情を見せる魔理。
そんな彼女の顔を見て、エミが人の悪そうな笑みを浮かべて続ける。
「手っ取り早く第三世代になりたいなら、一般に伝承されてない禁術に手を出して、雪之丞みたいに極めて無理矢理物にするのが一番なワケ。九割方自滅するから、あんまりお勧めしないけど」
「勧めないじゃなくて、止めてください」
魔理は疲れた様子で、がっくりと肩を落とした。
「勢いに任せて妙神山に行かせたけど、やっぱり順序がメチャクチャなワケ…」
そう言って溜め息をつくエミに魔理は苦笑する。
「エミさん、ここには妙神山の事は書くんですかノー?」
そう言ってタイガーが指差すのは、霊能力者としての経歴の欄だ。
GS免許取得前に妙神山で修行したなど前代未聞だが、現実にしてしまったのだから仕方が無い。GSになった後の事を考えれば正直に書いていた方が良いので、包み隠さず全て書けと投げやりに言う。
おそらく、試験会場で不必要に注目を集め、タイガーにとてつもないプレッシャーがかかる事になるだろうが、そこはそれだ。エミはタイガーを千尋の谷へヒールで蹴落とす事にした。
「よ、よし、全部書けましたジャー。後は、明日これを提出して…」
震えるタイガーの背を見詰めながら、どこか不安そうなエミ。もう少し実戦経験を積ませるべきかとも思うが後の祭りだ。
と言うのも、タイガーが修行を終えてから間がなかったと言うのもあるが、エミの所に来る除霊の依頼は、エミの霊体撃滅波をあてにした物が多く、タイガーが実戦で獣人変化を使う機会がほとんどなかったのだ。
彼はGS免許を持っていないため、彼一人に小さな除霊を任せたりする事ができなかったと言うのもある。
「て言うか、前回の試験じゃ六女の卒業生、全然揮わなかったんだよなぁ」
「六女」と言うのは、言うまでもなく「六道女学院」の略称だ。オカルト業界において「六女」と言えば、その中でも「霊能科」の事のみを指す。
「魔装術の使い手が三人に、変装した令子。それにセクハラ小僧横島がいたんだから、予選落ちしてた方が身のためだったワケ」
「…まじっスか?」
どこか残念そうな魔理に対して、エミは冷めた目で一蹴する。
美神令子、六道冥子、小笠原エミ。同期のGSとして一時代を築いた三人の内、令子と冥子の二人は六女の卒業生なのだが、業界内では令子は「唐巣の弟子」として扱われている。冥子もまた六道家の跡取りであり、純粋に「六女の卒業生」と言うより「GSの名門に生まれたサラブレッド」として扱われていると言った方が正確だろう。
そう、実は六女の卒業生から一流のGSが生まれる事は、ほとんど無いのだ。
エミは元々裏稼業の人間で、足を洗った後は海外での除霊助手の経験を経てGSになっており、令子もまた唐巣の除霊助手だった。やはり、実戦経験が物を言う世界なのだろう。
実の所、エミは実戦経験の乏しい六女の卒業生をかなり低く評価している。受験する前に除霊助手になって経験積んで来いと彼女は言う。除霊助手をしている間に、ある程度篩いにかけられるであろう事も踏まえた上で。
そんなエミが魔理を雇ったのは、彼女のタフさを気に入り、早い内から実戦を経験させて鍛えてやろうと言う、彼女なりの青田買いである。
デスクの上で腕を組み妖しく笑うエミに、思わず魔理は後ずさった。が、背後の結界に阻まれて足を止めた。
実は、この会話をしている間も、魔理の足元に敷かれた布に描かれた魔法陣からは、呪いの力が絶えず彼女を襲っていたのだ。
エミ曰く最弱の呪いとの事だが、今の魔理の実力では常にガードし続けなければならないため、どんどん霊力を消耗している。
自分の元で仕事をするためには、呪いに対するガードは必須技能だとエミは言う。
「…五分。ま、今日は良く保った方なワケ」
魔理の顔色を見て、魔法陣の呪いを解呪するエミ。途端に魔理は青い顔をしてへたり込んだ。
そんな疲れきった魔理と同じぐらいに青い顔をしているのはタイガー。エミは呪いでも使って明日まで強制的に眠らせてやろうかと、半ば本気で考えながらタイガーの背を眺めていた。
一方、横島家の夕食時。
平日なためこの家を訪れていた六道の生徒達は皆帰宅したのだが、成里乃だけが外泊許可証を手に残っていた。
何と、彼女は日頃の努力の甲斐あって、GS資格取得試験を受ける事を先日認められたのだ。
一年生がその試験を突破するのは相当珍しいらしく、寮に戻れば皆が騒いでろくに休めないだろうと、六道夫人の計らいにより今日は横島の家に泊めてもらう事になっていた。
「いよいよ明日だな。実技試験には道具を一つ持ち込める事になってるけど、成里乃ちゃんは何を持って行くつもりなんだ?」
横島が問い掛けると、成里乃はいつも使用している練習用の物とは、少し違うデザインの扇を取り出して見せた。
練習用のそれは無地だったが、今成里乃が持っている物は京扇子の一種『白檀扇』と呼ばれる物で、少し甘く、それでいて落ち着きのある香りがする。
香木である白檀の板を重ねて作られる「板扇」と呼ばれるタイプの扇で、板一枚一枚に式神和紙が貼られ、特殊な形状をしている。その扇面には横島には理解できない呪言がびっしりと書き込まれていた。
現役GSである成里乃の母が、GS資格試験を受ける娘のために急遽送ってきたらしい。それだけでは飽き足らず西陣織の霊衣まで送ってきたと言うのだから、成里乃の母は相当彼女に期待しているのだろう。
その割にはあまり嬉しそうじゃない成里乃に、横島は怪訝な表情を浮かべる。
詳しく話を聞いてみると、成里乃の母は式神和紙等による簡易式神を使用した除霊を得意とする陰陽寮所属のGSらしく、成里乃も入学した頃は式神使いを志していたらしい。
しかし、六道女学院に入学して式神使いの頂点である六道家の実態を知り、式神使いになる事を止めてしまったと言う過去があるとの事だ。
涙ながらに語る成里乃を見て横島達は、あの一族は何故こうも他人の人生を狂わすのかと、引きつった笑みを浮かべていた。
「ま、まぁ、式神和紙が使えないわけじゃないんだろ? 一つ奥の手ができた思ってそれを使えばいいじゃないか」
「横島さんが、そう言うなら…」
そう言って成里乃は扇を閉じるが、どこか複雑そうな表情だった。
「あの、横島さんは明日は…」
「勿論見に行くつもりだよ。学校の方にも顔を出すから、昼からって事になるかも知れないけどね」
横島の返事に安堵の溜め息を漏らす成里乃。
GS資格試験において、午前中に行われるのは霊力量を測るための一次試験だ。流石にこれに梃子摺るようでは、元より受験など認められない。成里乃が心配しているのは実戦形式で戦う午後からの二次試験なので、昼から来てもらえれば何の問題も無い。
厳密には師弟関係とは言えないかも知れないが、やはり今まで面倒を見てくれた横島に来てもらえれば彼女も安心できるようだ。
成里乃は安心して、その日は横島に言われるままに早めに就寝する事にする。
「そう言えば、カオスの爺さんは今回は受けないのか?」
「ワシは研究できればそれで良いからのぅ。生活に困ってもおらんし、GS資格を取るのも今更じゃな」
そう言って豪快に笑うカオス。言うなれば横島のヒモなのだが、彼の豊富な知識には助けられる事も多いので、何か文句を言うのもそれこそ今更である。一々呆けた記憶を思い出させるのが面倒だが、それはそれだ。
マリア曰く、シェイクする速度にコツがあるらしい。勿論シェイクするのはカオスの頭だ。
結局その晩は何事もなく過ぎたのだが、翌朝成里乃を車で送迎するために六道夫人が迎えに来て一つ問題が起きた。変に特別扱いして成里乃を緊張させないで欲しいと、横島が待ったをかけたのだ。
六道夫人は横島の言葉に眉を顰める。彼の言う事も分かるのだが、この扱いには理由があるのだ。
本来、六道女学院の生徒は卒業までGS資格試験を受ける事ができない。これは既に前述した事だ。そのために受験資格を得るための試験を受ければ良いと言う事も同様だ。
しかし、この受験資格と言うのはあくまで六道女学院内だけの事であってGS協会は関係無い。
本当は六道夫人がわざわざ同伴する必要もなく、証明書を一枚発行すれば済む事なのだが、そう頻繁にある事ではないので、彼女は在学中に受験する者が現れた時は、必ず試験会場に応援に行く事にしている。限りなく見物に近い応援ではあるが。
どれくらい稀な事かと言うと、彼女が理事長に就任してから数えて片手の指で足りる程だ。
「と、言うわけで〜、早生さんは〜おばさまと〜一緒に〜行かないと〜いけないのよ〜」
「それなら仕方ない…のか?」
違うような気もするが、これ以上追求しても無駄だろうと横島は肩を落とした。
「横島クンも〜、一緒に〜来る〜?」
「いや、俺は昼の二次試験から見に行きます。午前中は学校に行くんで」
「そうなの〜、残念だわ〜」
朗らかに笑う六道夫人の顔はあまり残念そうに見えないが、彼女は心底残念がっている。
気付いている者は少ないが、彼女は以前から横島を六道の関係者として見せようと画策している。この前のTV出演の際にも六道家一門の式服を着せたりしていた。
今回のGS資格試験も、GS協会の広報部が取材に訪れるため、自分と一緒の姿を映させる事ができればと考えていたのだ。
六道の関係者として報道する事で、スパイとしてアシュタロス陣営に潜り込んだ際に「人類の裏切り者」として報道された事による風評被害等から横島を守るためだと彼女は言うが、本当にそれだけかは甚だ疑問である。
「それじゃ成里乃ちゃん、がんばって。冷静さを忘れるなよ」
「ハイ!」
打てば響くような良い返事だ。
これなら大丈夫だろうと横島は成里乃を見送り、自分もまた愛子、小鳩と一緒に学校へと向かった。
「そう言えば横島君。タイガー君も試験受けるって知ってた?」
「え、まじ?」
「ピート君も、唐巣神父に試験の手伝いを頼まれてるんだって。知らなかったの?」
「全然」
以前横島は、雪之丞に対して「友情より女を取るか」と責めた事があったが、やはり親友同士と言うのはどこか似てくる様だ。
三人仲良く並んで横島達が登校している頃、タイガーは一足早く試験会場に辿り着いていた。
横島の家から学校までは遠く、普通の高校生より早めに家を出る事を考えれば、はっきりと言わなくても早過ぎである。受付開始時間まで、あと一時間以上もある。
実は昨夜エミにより強制的に就寝させられたタイガーは日の出前に目覚めてしまい、居ても立ってもいられなくて試験会場にやってきたのだ。
「皆、わっしと同じ様に緊張してるんかノー」
周囲を見回してみると、まだ数人ではあるが霊能力者だと思われる者達がいた。方法は様々だが、皆瞑想して精神を集中させている。その事に気付いたタイガーは、ますます緊張してしまった。
「イカンイカン! わっしも精神集中、精神集中…」
しかし、何も思いつかない。
「フンガー! スク、ワッ、トォーッ!!」
焦った状態でいくら考えても頭が真っ白になるだけのタイガーは、瞑想するどころか猛烈な勢いでウェイトトレーニングを開始してしまった。
良い塩梅で壊れているが、彼にとって「余計な事を考えない」と言う意味では、それなりに成果があるのかも知れない。
「…タイガー、こんな所で何やってるワケ?」
タイガーがいなくなっている事に気付き、急ぎ車で会場に駆けつけたエミが、疲れ果てて倒れるタイガーを見つけたのは、受付開始の数分前だった。倒れるまで延々とウェイトトレーニングを続けていたらしい。
「てか、あんた朝何も食べないで来たでしょ。とっととこれ食べて、受付済ませてくるワケ!」
「は、ハイですジャー!」
エミはコンビニで買って来たであろう弁当三人前が入った袋をタイガーに手渡すと、尻を蹴飛ばして受付を急がせた。
GS資格試験は試験直前に受付で申し込むと言う、飛び入りのみ可能な一風変わった申し込み方法をしている。
これは、二次試験において下手をすれば死んでしまう事もあるため、直前まで受けるかどうか考える事ができるようにするためだ。
それでも、毎回一千人以上、場合によっては二千人近くの受験者がやって来るのだから、GSがどれだけ人気の高い職業かがわかると言う物だ。
「小笠原オフィス所属のタイガー寅吉ですジャー」
「ハイ、こちらが受験票となります。一次試験は第一試験場で行われますので―――」
事務的に受付を済ませると、タイガーはすぐさま第一試験場の近くまで移動し、ベンチに腰掛けて弁当を食べ始めた。
一方、試験会場前には袈裟を着た集団が到着していた。その脇に一人だけ私服姿の少女がいる。
「いよいよですわね」
「…ああ」
少女は袈裟姿の集団の先頭に立つ小柄な男の声を掛けるが、返ってきたのはぶっきらぼうな一言。
礼儀のなっていない男の反応に少女は気を悪くするが、これからGS資格試験を受けるのは他ならぬその男なのだ。下手に集中を乱すような事はしてはいけない。少女にもそれぐらいの分別はあった。
「行くぞ!」
そう言って男は歩き始める。周囲の者は腰が引けたのか道を譲り、その様はさながら海を割るモーゼの様であった。
大きな傷痕が目立つ顔に剃髪した頭と言う、ある種のミスマッチ。そんな外見の怖さもあるのだろうが、身に纏う闘気が並の物では無い。
「ふぅ、闘竜寺の娘として見届けなければならないとは言え…まぁ、早生さんの応援ができますから良いのですけど」
そう言って男を見送った少女、弓かおりは一人愚痴った。
休日に行われるならば話は別だが、六道の生徒はGS資格取得試験を見学に行ってはいけないと言う規則がある。
後学のために見た方が良いのは確かなのだが、映像資料を後々授業で使うので、直接見に行く必要が無いのだ。
ただ、特別な理由があればその限りではなく、かおりはその特別な理由を父から与えられていた。弓家一門の寺から試験に参加する者を見届けて来て欲しいと頼まれたのだ。
その寺は、門下生が問題を起こした事でオカルト業界での立場が悪くなっていた。
更に唯一の現役GSであった住職が一線を退いてしまったため、今回の試験でその男がGS資格を取る事ができなければ、その一門は取り潰しとなってしまうのだ。
「しかし、因果ですわね…」
かおりは、そう言って肩に掛かった髪を払う。
彼女は弓家一門の傘下の大半を把握しているが、その寺に関しては昨日初めて知った。元々一門の系譜の端に名を連ねるだけの小さな寺だったらしい。事務所の規模として考えれば個人レベルの。
しかし、その名を聞いた時、思いがけない縁と言う物を感じてしまった。父は無理にとは言わなかったが、それでも今回の試験を見届ける事にしたのはそのためである。
「氷室さんにノートを借りる約束はしていますし、何の問題もありませんわね」
その辺りも几帳面にしているあたり、彼女はやはり優等生なのだろう。
寺の門下生達の期待を一身に背負った男は、そのまま真っ直ぐに受付に向かい申込用紙を提出した。
ある意味有名な名前であったため、係員は一瞬ぎょっとした表情を見せるが、すぐにそれを消して事務的に対応する。
男は鋭い目で係員を見据えながら名乗った。
「白龍会所属…陰念だ」
つづく
もはや毎度の事ではありますが…。
かつて雪乃丞達が所属していた白龍会が、弓家の闘竜寺の一門であると言う設定は『黒い手』シリーズ独自の物です。
横島達が受けた試験の記録映像が無いとか、『近代オカルト史』『第○世代』なんて単語も同様です。
原作を読み直しても、こんな事は書いてありませんので、ご了承ください。
闘竜寺と白龍会。名前に関連性があると言うのも理由の一つですが、それだけではありません。
その理由については後々に。
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