アン・ヘルシングと賢者の石 1
「海、外、出、張ーーーッ!!」
朝一番に猪場から呼び出されてGS協会に赴いた横島が、鼻血を吹き出さんばかりに狂喜しながら戻ってきたのは昼前の事だった。今日もいつもの様に庭で修行をしていた六道の生徒達は唖然とした表情で転がる横島を見ている。
「横島さん、海外での仕事ってブラドー島とか香港に行った事あるじゃないですか」
「あれは美神さんの仕事について行ってだろ? 今回は俺の仕事で行くんだよ」
おキヌがおずおずと口を挟むが横島は止まらない。完全に舞い上がり、ついには踊りだしてしまう。
実は他にも月に行く際に某国「星の町」を経由したり、月から帰還する際にシベリアに墜落したりもしている。更にはアシュタロスと戦うために南極に行ったりもしたが、彼の中では、これらは除霊の仕事で海外に行くのとはまた少し異なるようだ。
GSを志す彼女達には、そこまで舞い上がってしまう理由も理解できてしまうため、おキヌ達は仕方がないなぁと苦笑するばかりだ。
「どんな依頼なんですか?」
「詳しい事はここに書いてある!」
そう言って横島が懐から取り出したのは大きな封筒。
それなりに厚みがある。中には大量の書類が入っているのだろう。
おキヌはそれを受け取ってみるが、まだ開封されていない。どうやら横島は「海外」と言う時点で喜び、詳しい依頼内容はまだ確認していないらしい。横島は踊ってばかりなので、仕方なくおキヌと愛子が封筒を開いてみる事にする。
「…横島君、これ除霊依頼じゃないんだけど」
「………え゛?」
最初の数行を読んでピタリとその動きを止めた愛子が呟く。
彼女が突きつけた書類を見てみると、そこにははっきりと「護衛」の二文字が書かれていた。
「えーーーっと…」
「ちゃんと依頼内容聞いてきなさーい!」
「はいぃ〜」
愛子に叱られて横島は慌ててGS協会へ引き返して行った。残された者達はもう呆れるしかない。
「横島さんったら」
「まぁ、海外から依頼となると浮かれるのもわかるけどねぇ」
GSへの依頼と言うのは基本的に「信頼」によってなされる物だ。
依頼者はGS協会等からGSの情報を調べ、それらの情報から総合的に判断し、誰に依頼するかを決める。それだけに海外からも依頼されると言うのは、GSにとって一つのステータスなのだ。GS協会は各国に存在するにも関わらず、現地のGSよりも頼りになると判断されているのだから。
つまり、横島も一流の仲間入りを果たしたと言う事なのだが―――
「…あの、これの依頼者…魔鈴めぐみさんみたいなんだけど」
「「「え?」」」
―――横島は書類の入った封筒を忘れてしまったらしく、その中の一枚を見ていた張霞(チャン・シア)が口元を引きつらせて苦笑いをしていた。
「横島さん、ひどいですよ。詳しい話も聞かないで帰っちゃうなんて」
「す、すいません。海外って聞いた時点で浮かれちゃって」
横島がGS協会に戻ると猪場と魔鈴が待っていた。
彼女は最初から別室で控えていて依頼内容の説明の際に登場する予定だったらしい。
「ところで、仕事は護衛だって話ですけど、一体どこに行くんスか?」
「私の母校で行われる魔法学会の研究発表会です」
「魔鈴さんの母校と言うと、確かホグ…」
最後まで言い終わる前に魔鈴の箒でぽん、と叩かれてしまい、横島は思わずその言葉を止める。
「いけませんよ、最後まで言っちゃ『めっ』です」
まるで子ども扱いだが、何故か彼は嬉しさを感じていた。
「…そ、それじゃ学校名はともかく、『魔法学会』って?」
「読んで字の如くですけど?」
「そんなのあるんですか?」
あるのである。
横島の乏しい知識では、魔女の集会と言われてもピンと来ない。
そんな彼でも「サバト」と言う言葉ぐらいは聞いた事あるが、魔鈴に言わせればそれはもう「古い」そうだ。今の魔法使いはそんな事はしないらしい。
「日本にはまだありませんけど、西欧の極一部の学校にはあるんですよ『魔法学』って言うのが」
「うぅ、途端に難しく聞こえる様になったような…」
「気のせいです」
魔鈴曰く、『魔法学』と言うのは歴史、民俗研究に始まり、考古学、化学、はては哲学を融合した様な学問との事だ。錬金術も魔法学の一分野として現在は扱われている。
魔法学の本場は西欧であり、魔鈴の母校である大学のゼミが中心となって研究を進めている。
研究と言っても、古い資料を紐解いて、その中から迷信を取り除き純粋な魔法技術を抽出し、当時の技術に追いつくと言うのが現在の課題であり、新しい技術を生み出すと言うレベルまではまだ到達できていないと言うのが現状だ。
「現代において魔法使いと言うのは皆研究者なんですよ。だから年に一度それぞれの研究成果を見せ合ってそれを共有し、魔法学の更なる発展を促すと言う訳です」
「なんだか、魔鈴さんが急に遠くの人に見えてきた…」
ちなみに先程から黙っている猪場も『霊的格闘の先駆者』と呼ばれるだけあって、腰に爆弾を抱えているとは言え、未だに実践の面では高い能力を持っているのだが、知識の方面は横島程ではないにしろ乏しい面がある。
そのため、こういう話題になると何も言えなくなってしまうので、いつも困っているそうだ。
「それで護衛と言うのは?」
「魔鈴君は日本代表の一人としてその学会に出席する。護衛が付くのは当然の事だろう?」
「そんなもんなんスか?」
「芸能人だって大勢の客の前に出る時はガードマンがつくだろう」
「なるほど」
そういう風に言われると横島は納得できるらしい。猪場の説明も含めて、ある意味「らしい」と言えよう。魔鈴は苦笑している。
ちなみに、魔法学会に参加する魔法使いの護衛と言うのは、必ずしも必要と言うわけではない。
西欧は本来『教会』の勢力が強い地域であり、かつては「魔女狩り」が行われ、『教会』と『魔法学会』の関係は極めて剣呑とした物だった。
実は今でも『魔法学』の研究をする事について『教会』は良い顔をしていない。研究発表会も魔法使いが大勢集まるため、会場となる学校自体が通常の手段では辿り着けない所となっている。
その様な経緯があるため、当時からの習しで魔法学会に来る発表者は護衛を必要としているのだ。
現在は『教会』も『魔法学会』も表立って争ってはいないが、この風習はずっと続いている。魔鈴の話によると、「通常の手段では辿り着けない所」には『魔女狩り』の当時から生き延びている魔法使いが存在するそうだ。人間の感覚で言えば数百年前の話なのだが、彼等にしてみれば若い頃の話、忘れようにも忘れられないのだろう。
「そう言う人らがいるなら、研究してないで教えてもらったらいいんじゃ?」
「残念ながら、当時の魔法は向こう側にも残ってないんですよ」
「…『向こう側』ってどこなんスか?」
横島がそう尋ねると、魔鈴はあっさりと「異世界です」と答えた。曰く、神魔界ほど離れてはいないが、次元を隔てているため月よりは遠いとの事だ。
魔法学の研究はその辺りの歴史を学ぶ事から始まると前置きした上で魔鈴は説明をしてくれた。
『魔女狩り』が行われていた当時の魔法使い達は難を逃れるために異世界――魔法界へと移住し、それまで近しい関係にあった魔族達と縁を切ってしまったそうだ。魔鈴は異世界にチャンネルを開いて自宅を建てていたが、それも、この魔法界へ移住するために行使した魔法が何であるかを研究していた際の副産物らしい。その魔法は魔法界でも「魔族の力を借りた最後の魔法」として扱われており、今も伝説として語られているが、詳細については伝えられてないそうだ。
現在の魔法界に住む魔法使い達は、移住先が精霊の力に満ちた世界であったため、魔族の力を借りた魔法を捨てて精霊の力を借りる魔法を扱うようになっているそうだ。元より精霊の力が濃い世界を選んで移住したのかも知れないが、その方法については魔鈴もよく分かっていない。
閑話休題。
「あの、私日本のGSに知り合いってあんまりいなくて…横島さん、お願いできませんか?」
「………」
「あの、最近はそう危険な事もないですから。猪場さんも後学のために是非と言っていますし…」
「………」
正直、横島に断られると他にあてのない魔鈴は必死に頼み込むが、横島は黙ったままだ。
あまりにも反応がないので怪訝な表情で彼の顔を覗き込むと、今までは「溜め」だったらしく、横島はやおらテーブルに片膝を立てると、勢いよく立ち上がりこう叫んだ。
「海、外、旅、行ーーーッ!!」
「しかも、魔鈴さんと二人っきり!?」
「あの、横島さん?」
「我が世の春じゃーーーッ!!」
今、彼の中では様々な妄想が渦巻いているのだろう。魔鈴では止められそうもない。
このまま騒いでいると隣の部屋から苦情が来そうなので、猪場が自慢の豪腕で横島を絞め落とした。
「あー、横島君。言い忘れてたが、魔法学会に日本からは二人の研究者が参加する事になっている」
「え?」
「つまり、君と魔鈴君と、もう一人の参加者にその護衛の四人で現地に向かう事になるな」
「…ちなみに、もう一人の参加者ってのは?」
そう言いつつも横島の額には冷や汗がだらだらと流れている。
横島の知る範囲で、魔鈴と並ぶ魔法使いなどそういない。そして唯一の心当たりは、横島にとって頭の上がらないあの人だった。
「君にとっても縁のある人物だったな、世界屈指の呪術師、小笠原エミ君だ」
「やっぱりーーーっ!」
呪いも魔法の一種なのである。
「ちなみに、小笠原君は護衛にピエトロ・ド・ブラドー君を指名した」
「知り合いばっかやん、ニッポン代表!」
何とも狭い世界だと横島は思うが、猪場に言わせれば彼の周囲が特殊なだけである。更に言ってしまえば、魔鈴とエミは日本を代表して魔法学会に参加するわけではなく、日本から参加するのがこの二人だけと言う事に過ぎない。
この時、横島はナチュラルにDr.カオスの事を忘れていた。彼もかつては魔法学会に参加していたが、ここ数十年はどのような研究をしているかも報告していないので招待される事もないのだ。
「ま、横島君も行く気になっとるようだし、日本からの参加者はこの四名で決定だな」
「そうですね」
「それでも、魔鈴さんと海外旅行である事は変わらんわけだし…いや、しかし、エミさんがいるって事は…だが、しかし…」
横島は今もなおぶつぶつと呟いている。魔鈴は彼の知り合いの中でも数少ない良識的な大人の女性なのだ。彼女と一緒に海外旅行が出来るとなれば、色々と考えてしまうし、期待も抱いてしまう。
しかし、同行するエミは独立を援けられた横島にとっては令子と並んで頭の上がらない業界の先輩である。彼女の目が届く所でハメを外すのは色々な意味で不味い。
横島は出発の日時を聞き流しつつもずっと考え事を続け、そのまま頭を悩ませながら家へと帰って行った。
そして出発当日、横島は空港で待ち合わせするとばかり考えていたのだが、指定されたのは何故か魔鈴の経営するレストランだった。旅行鞄を持って店を訪れると、そこには既にエミとピートが到着していた。ピートは仕事の時はいつも着ているスーツ姿だが、エミの方は呪術の儀式の時に着る物とは少し異なるゆったりとした黒いローブ姿だ。前が開いたローブの下にはタイトスカートのスーツをビシッと着こなしており、普段の彼女と比べるとまるで別人を見ているかのようだ。
「あら、横島さん。これで全員揃いましたね」
そこに現れたのは魔鈴、こちらは白いローブを身に纏っている。こちらのローブも前が開いており、下は白を基調としたロングスカートのドレスで身を固めている。普段は黒を基調としたいかにも「魔女」と言った服装を好む彼女としては実に珍しい。
「ローブの色が違うのは何か意味があるんスか?」
「ああ、魔法使いってのは基本的に黒いのと白いのに分かれるワケ」
「つまり、エミさんが黒で魔鈴さんが白と言う事ですね」
「なるほど、黒かぁ…」
「そうなるワ…」
補足してくれたピートの言葉にしみじみと頷く横島。理解が早いことに満足気に頷くエミだったが、そこで彼女の言葉がピタリと止まった。
中腰になった横島の視線がある一点、腰掛けて足を組んだエミのスカートの中に注がれている事に気付いたのだ。
「パンツの色じゃないワケ!」
「あぁ! ついっ!!」
炸裂するエミキック。エミの足に目を奪われていた横島は成す術もなく蹴り飛ばされてしまう。
「最近おとなしくなったと聞いてたら」
「堪忍や〜! 最近女子高生ばっか見てきたから、大人の色香に耐え切れんのや〜!」
「雪之丞も言ってましたけど、横島さん最近追い詰められてますねぇ…」
最近六女の生徒達から好意的な目で見られているためハメを外せない横島は追い詰められていた。
彼女達は元々の横島を知らず、独立後の彼しか知らない。確かに、高校生の身でありながら独立し、自分達を指導してくれる好青年――の仮面を被った横島は、それだけの好意を受けるに値するかも知れない。しかし、それは横島の血と汗と涙と鼻水が滲む我慢の上に成り立っているのだ。
「あんたも大変ねぇ…」
「分かってくれます? だったら、その胸で泣かせてくだ…ぐほぁっ!!」
飛び掛ろうとする横島を、エミは無言のまま渾身の力を込めた拳で撃墜した。
「今日は令子がいない分、私がツっこんであげるから覚悟するワケ」
「お、お手柔らかに…」
やはりエミには敵わないようだ。
それだけ彼女が令子に似ていると言う事なのだろうが、それを口にすると、更に拳かヒールか、或いは両方が飛んでくるので、横島は黙ってコクコク頷くだけに留めるのだった。
「でも、魔鈴さんが白って…いつも黒いのばっか着てるから、なんかイメージ違うんですけど」
「一般人のイメージでは、魔女と言えば黒ですからね」
れっきとしたGSだと言うのに一般人のような感想を漏らす横島に、魔鈴は笑みをこぼす。
黒と白を分けるのはその魔法使いがどのような魔法を使うかによって分けられるものであって、普段着ている衣服の色は関係無い。魔鈴の場合、魔法料理レストランを開店するにあたり一般人の抱く魔女のイメージに合わせて黒を基調とした衣服にしているのだ。
「魔法薬みたいな、何かマジックアイテムを作ったりする魔法使いを『白』と呼ぶんです」
「で、私みたいな詠唱とか儀式ですぐに効果を発揮する魔法を使うのを『黒』と呼ぶワケ」
エミの言う「すぐに」と言うのは、詠唱、儀式を終えた直後の事を指している。儀式自体に長時間掛かる場合も、儀式を完了した直後に効果が発揮されるのであれば、それは「すぐに」となる。
また、魔鈴の言う『魔法薬』も『白』と言う言葉のイメージから傷を癒す薬や、病を治す薬を想像しがちだが、毒薬や媚薬のような人に害を与えるようなものもれっきとした『魔法薬』であり、それを作る魔法使いもこの分類に属する。
要するに、完成した時点ではなく、それを使用した時点で効果が発揮される魔法の道具を作成する者を総じて『白』と呼ぶのだ。Dr.カオスのような錬金術師も、こちらに分けられている。
勿論、魔鈴が『黒』の魔法を使えないわけではないし、エミが呪いの人形などを作るのは『白』の範疇である。この事からも分かるように、あくまでこれはどちらの魔法を専門にしているかと言う便宜上の分類に過ぎない。例えば、魔鈴が『黒』魔法の研究発表をする際は、黒のローブを着るそうだが、これも傍目に分かりやすくするためのものだ。
「魔法料理も『白』なんスか?」
「ええ、完成した時ではなく、食べた後に効果が発揮されますから」
ちなみに、魔鈴は魔法料理や魔法薬が専門であるため『白』と呼ばれているが、『白』だけでなく『黒』魔法分野においてもその才を遺憾なく発揮している稀有な存在である。
人間界における魔法研究第一人者と謳われているのは伊達ではないのだ。
そして、この魔法もまた、魔鈴の才あってこそのものであった。
「それじゃ皆さん、席に就いてください」
「へ? 今から空港に行くんじゃ? 昼にはまだ早いし」
「いいから魔鈴の言う通りにするワケ」
やはり彼女には逆らえず、エミに叱られておとなしく席に就く横島。
三人が席に就いたのを確認すると、魔鈴もまた空いた席に就き呪文の詠唱を始める。
「それじゃ、今から直接現地に向かいますね」
「え゛!?」
横島の驚きなどおかまいなしに魔鈴は呪文を完成させ、力ある言葉と共にそれを発動させた。
途端に周囲が光に包まれ、目を開いていられなくなってしまう。フッと一瞬感じる浮遊感、そして、ずっと椅子に座っているはずなのに感じる着地する感覚。
恐る恐る目を開けてみた横島は驚きのあまりその目を大きく見開いた。周囲の景色が一変していたのだ。
どこかの部屋だろうか、先程までいた魔鈴の店とは明らかに違う。どこか薄汚れた印象を受ける。
ピートも戸惑いキョロキョロと周囲を見回しているが、エミは何が起きたかを理解しているのか魔鈴と共に女性陣二人だけが平然としている。
「こ、ここはどこだ!?」
「ロンドンにあるお店ですよ、魔法でここに転移したんです」
「えっ、魔法界にもロンドンってあるんスか!?」
横島の問いに魔鈴は「違いますよ」と笑顔で否定する。
話を聞いてみると、ここはまだ人間界、ロンドンの片隅にあるパブ兼宿屋だそうだ。人間界と魔法界の中間点に存在しており、この店の裏庭には魔法界へと通じるゲートもあるらしい。今日は魔鈴が事前に一室を予約し、そこを目標に魔法で転送したそうだ。
横島とピートはこんな薄汚れた店がと驚くが、魔鈴に言わせればこれこそが「いかにもな」佇まいとの事。この店はしっかりと人間界に存在しているのだが、魔法が使えない者には視認する事すら不可能なのだそうだ。
「他にも魔法界に行く方法はあるんですけどね…」
困った表情で魔鈴は苦笑する。
実は魔法学会に参加する研究者全員に対し、必ずこの店で迎えの者と合流し魔法界入りするようにと、魔法界側から定められているのだ。更に、この店と研究発表会が行われる学校以外の場所に行く事も禁じられている。
文化交流のために一つの学校の門戸を人間界の人間に対しても開いているが、あくまで魔法界は他界との交流を絶っているのだ。日本が鎖国をしていた時代の長崎の出島をイメージすると分かりやすい。
「…って、あれ? 魔鈴さんって西条と一緒の大学だったんじゃ?」
「魔法界で古代ヨーロッパの魔法の研究なんて出来ませんよ」
魔鈴はこれから向かう彼女の母校で十一歳から十八歳までの七年間を過ごし、卒業後に中世魔法技術を研究するために人間界の大学に進学したのだ。西条と出会ったのは、この大学に在学中の頃である。
何故、魔法使いの世界にいながら魔法を研究するために人間界に戻って来たのかと横島は疑問を抱くが、魔法界では移住する以前、人間界で扱っていた魔族の力を借りた魔法を使う事はおろか、伝える事や記録として遺す事すら禁じられている。
何より、魔法界の魔法使い達の間には、人間界出身の者達や魔法使い以外の血が混じった者を「非魔法族」として侮蔑する面が見え隠れしているのだ。自分達は「魔法使い」であり、「人間」ではない「人間より優れた者」であると言う考えがその根底にあるのだと思われる。
「実際、私も在学中は色々大変だったんですよ」
「魔法界とはそんな所だったんですか…アン・ヘルシングは大丈夫だろうか」
「あの子もこれから行く学校に通ってるんだっけ? …そう考えると遠いようで近いなー、魔法界」
以前、曽祖父ヴァン・ヘルシング教授愛用の除霊具に染み付いた執念に取り憑かれ、ピートを倒そうと来日した事もあるアン・ヘルシング嬢。彼女は現在、魔鈴と同じ学校に通い魔法の勉強をしていた。
「と言うか、日本に来た時もそこの生徒だったんですけどね」
そう言ってピートは苦笑している。
幼い頃に、曽祖父の遺品である除霊具に触れ過ぎたために、彼の吸血鬼退治に掛ける執念に取り憑かれてしまった彼女は、年に数度の割合でピートを襲撃していたそうだ。
しかし、彼女が普段から吸血鬼憎しの思考をしていたかと言うと、そうではない。「血が騒ぐ」と表現するのが一番近いだろうか。執念が囁きかけているのか、時折発作的に吸血鬼を倒したいと言う衝動にかられて居ても立ってもいられなくなるらしい。
「そう言えば、以前に友人から聞いた事があります。時々発作的に失踪する生徒が入学したとか」
「…多分、それがアン・ヘルシングです」
つまり、アンは魔法界の学校に在学中であるにも関わらず、時折失踪して人間界に赴きピートを襲撃していたと言う事だ。そのおかげで彼女は学校の方でも変わり者の生徒として知られているとの事。
「ヘルシングって…あの、ヴァン・ヘルシング教授の?」
「ええ、その曾孫です」
エミもその名に興味を持ったらしく口を挟んできた。
ヴァン・ヘルシング教授と言えば、十九世紀末にドラキュラ退治で名を馳せた科学者だ。その曾孫が魔法使いになろうとしているとは、その道の先達であるエミにとっては非常に興味深い話である。
「魔法学会に行けば会えるかも知れませんね」
「アンちゃんかー、中学生ながらなかなかええ足しとったなー」
「…おたく、それ以外の印象は残ってないワケ?」
横島なのだから、残っているはずがない。
洗脳装置に操られてイージス・スーツ『ゴリアテ号』を着せられて対ピートの尖兵にされたり、その結果令子を怒らせてしまったりしたが、横島にとってはそんな事は記憶の彼方であった。残っているのは彼女が洗脳装置を取り出すために自ら捲り上げて見せた若さ溢れる健康的な生足のみである。
「そろそろ学校からの使者が来ているはずですから、下に降りましょう」
魔鈴に促されて一行は部屋を出て一階へと降りる事にする。
学校から案内人が迎えに来る手筈になっており、一階のパブで待ち合わせをしているそうだ。
階段を降りてみるとそこは薄暗く異様な雰囲気に包まれており、見回してみると何人もの姿があった。亜人や獣人が並んでいるような事はなく、全員人間のようだが、皆どことなく異様な雰囲気を醸し出している。周囲から聞こえる言葉が英語で何を言っているのか分からない事を差し引いてもだ。
一階はパブだと聞いていたので、横島は皆が賑やかに飲む明るい宴会場のような雰囲気をイメージしていたのだが、どうやらここは騒いで良いような場所ではないらしい。
「ピートおにーさま!」
圧迫感する感じさせる雰囲気に気圧されていると、その張り詰めた糸を断ち切るような声が聞こえてきた。
その声に振り向いてみると、一人の少女がピート達の下に駆け寄って来る。
ピートと横島はその声に聞き覚えがあった、アン・ヘルシングだ。二人の前に立つその姿は、例の学校の制服だと思われる衣服に外套を羽織っている。
「ア、アンちゃんが学校からの迎えなのか?」
横島が尋ねると、アンは彼の顔を見てふと困ったような表情になる。
何事かと横島とピートが怪訝そうな表情をしていると、彼女は少し思い悩んだ末にその口を開いた。
「え〜っと…ゴリアテさん!」
「横島忠夫じゃー! 覚えとらんのかーっ!?」
なんと、アンは横島の名前を覚えていなかった。
思い悩んでいたと言う事は顔は覚えていたのだろう。それが救いである。
「あらあら、今年は随分と可愛らしいお迎えさんなワケ」
「あいやしばらく、それがしもいるでおじゃるよ〜」
魔鈴とエミが微笑ましそうに横島達のやり取りを見守っていると、突然背後から声を掛けられた。
二人振り返り、そして声の主を目の当たりにして絶句。横島とピートの二人もその様子に気付き、声の主を見て彼等もまた絶句。ただ一人、アンだけが諦めたかのように溜め息をついている。
そこに立っていたのは一人の男。少々時代がかった日本語を流暢に喋っているが、明らかに白色人種。碧い瞳で魔鈴達を見ている。
年の頃は横島の父、大樹よりも上だろうか。スラッと背が高く、スマートでなかなかのナイスミドルと言えなくもないのだが、魔鈴達の視線は彼のある一点に注がれていた。
「アン、彼は一体…?」
「え〜っと、紹介します。彼は学校職員の方でピエールと…」
「はじめましてでござい、ピエール之介でおじゃりまする」
「ぴ、ぴえ〜るのすけさん、ですか?」
「いかにも」
ピエール之介と名乗る男の頭に魔鈴は若干引き気味だ。
無理もあるまい。その男の頭は立派なチョンマゲ、所謂『茶筅髷』。しかも、服装は白い紋付羽織袴である。ブロンド髪のチョンマゲと相まって異様な雰囲気を醸し出している。
「あの、今回は英語が話せない方が来ると言う話だったので、ウチの学校の中で唯一日本語が話せる教職員が案内役になる事になって…」
「…で、この日本かぶれの変態男が選ばれたワケ?」
「流石に心配になって私も付いて来ました」
このピエール之介と言う男はアンと同じく人間界出身の魔法使いであり、元々日本の時代劇フリークなのだそうだ。
流石に普段から紋付羽織袴と言う事はないが、常日頃から髷を結っており、アンとは別の意味で困った名物男との事。アンが心配になって付いて行くと言い出すのも無理はあるまい。もっとも彼女の場合、今回の日本からの参加者の護衛としてピートが来ると聞いたからこそ同行を希望したと言うのもあるのだが。
何にせよ、彼が魔法学校からの使者である事は間違いない。
魔鈴達は気を取り直して、アン達二人と共に魔法学校へ向かう事にするのだが、アンとピエール之介はゲートがあると言う裏庭には向かおうとせずに店を出ようとする。
「って、あれ? 店出るんスか? 裏にゲートがあるんじゃ…?」
「そこなゲートは横丁の方に続いておりまする」
「学校へは別ルートで向かうのよ、ゴリアテさん」
「いや、だから横島だってば」
アン達の話によると、この店のゲートは魔法学校の生徒達がよく利用する横丁へと続いているそうだ。
魔法学会への参加者達は、そちらに足を踏み入れる事は禁じられている。魔鈴のような卒業生は時折利用しているそうだが、今日は横島達が一緒なので行く事は出来ない。
ならばどうやって魔法学校へ行くのかと尋ねてみると、なんとそこへは汽車に乗って行くとの事。
そのまま店を出て徒歩で駅まで連れて来られた横島は汽車が空でも飛ぶのかと考えたが、いざ駅に到着するとホームでレンガの柱に吶喊しろと言われてしまった。どうやら、ホームにゲートが設置されており、そこから魔法界の駅のホームへ行けるようだ。
「ここはもう魔法界なのか…」
「横島さん、こっちですよー!」
息を止めて柱を抜け、魔法界側のホームを見回して呆然としていると、魔鈴が横島の手を引いてくる。汽車の出発が間近らしく、一行が慌てて汽車に飛び乗ると、その直後に汽車は走り出した。
指定席が用意されているわけではないとの事なので、横島達は空いていた個室席、所謂コンパートメントの席に就いたところで一息付く。四人用のコンパートメントであったため、魔鈴、横島、ピエール之介と、エミ、ピート、アンの二組に別れる事になった。
「あとはこのまま汽車に揺られていたら到着ですよ」
そう言って魔鈴は魔法でティーセットを出して紅茶を入れてくれる。しかも手作りのスコーン付きだ。
この汽車内で販売されている物は当然だが全て魔法界の物で、一般人の感覚では受け容れ難い物が多いそうだ。それを聞いた横島は少し好奇心をくすぐられてしまうが、魔鈴に「臓物味とかありますけど、かまいませんか?」と言われてしまったので、横島はその場で土下座をして謝った。流石にトラウマになりそうなものは食べたくない。生き物のように動くチョコレートもあるそうだが、横島はチョコレートのゴーレムには良い思い出がないので、それも遠慮したいところだ。
そんな会話を交わしながらも良い雰囲気に横島が浸る一方、ピエール之介はやけに上機嫌に鼻歌を歌っていた。横島でも知っている有名な時代劇のテーマソングだ。この男、本当に日本の時代劇には詳しいと見える。
「実はそれがし、此度の務めを果たした暁には、素晴しい報酬を授かるのでおじゃるよ」
「素晴しい報酬?」
実に嬉しそうに話し掛けてくるピエール之介の言葉に横島は興味を抱いた。
詳しい話を聞いてみようとすると、彼も語りたくてうずうずしていたのだろう、待ってましたと言わんばかりに目を輝かせて語り始める。
「よくぞ聞いてくだされた! 実は我輩、報酬として幻と言われた時代劇のDVDボックスを授かる事になりにけり!」
「へ、へぇ…」
横島は時代劇にさほど興味がないため、ピエール之介の勢いに押されっぱなしだ。
そのまま、その時代劇がいかに素晴しいかと語り始めるピエール之介。その話を聞いて、横島は彼の統一されていない口調が様々な時代劇の登場人物を真似たものだと言う事に気付いた。海外で時代劇を見るなど、それなりの苦労があるだろう。にも関わらず、この男は相当数の時代劇を見ている事がその話から窺える。
「それで、その時代劇はなんてタイトルなんです?」
横島がそう問い掛けると、ピエール之介は「横島殿は若輩故、知らぬかもしれませぬなぁ」と前置きしてからその時代劇のタイトルを教えてくれた。
案の定、横島の知らないタイトルだ。
ピエール之介の話によると、それは江戸時代のある藩に実在した心優しい姫の生涯を追ったものらしい。数十年前の作品で、当時の日本では荒唐無稽過ぎるとあまり評価されなかったが、姫役に抜擢された新人アイドルの体当たり演技に関しては評判が良く、また海外で放映された際にも一部で熱狂的なファンを生み出したらしい。
そして、そのタイトルに意外な人物が反応した。
「あの作品、DVDボックスが出てたんですか!?」
ピートだ。隣の客室にも声が聞こえていたらしく、居ても立ってもいられず飛んできたようだ。エミとアンの二人も何事かと顔を覗かせている。
「ピート、お前も知ってるのか?」
「当然ですよ! まだ唐巣先生と出会う以前の話ですが、僕はその番組で日本の事を知ったんです」
計らずも熱烈なファンが本当に存在する事が証明されてしまった。
なんと、ピートも数十年前に放映された時代劇を見て、熱烈なファンになってしまった一人だったのだ。
横島はピートに席を譲って、向かい合って座っていた魔鈴の隣に移動する。
これはチャンスだと、こっそり魔鈴に近付いてその肩に手を回そうとするが、それよりも早く魔鈴は知ってか知らずか、手作りのスコーンを手渡す事でそれを阻止してしまった。
「そう言えば、おじいちゃんもそんなタイトルの番組を見てたような…」
そう呟いたのはコンパートメントの入り口から覗き込んでいたアン。意外と日本よりも海外の方がその時代劇のファンは多いのかも知れない。「お父さん」ではなく「おじいちゃん」と言った事からも分かるように、その時代劇は相当昔の番組なのだろう。横島は久々に同級生のピートが実は七百歳のバンパイア・ハーフである事を思い出していた。ピエール之介も、実は見た目より年を取っている可能性がある。
横島は目の前で盛り上がる男二人を眺めながら、そんな事を考えつつ魔鈴手作りのスコーンを半分に割り、ジャムとクロテッドクリームを付けて齧り付いた。
「城をこっそり抜け出した姫が、みなしごの娘とはじめての友達になるシーン、二人を待ち受ける運命を考えるとやり切れませんよね…」
「分かる! 分かるでござるよ、ピート殿!」
酒を呑んでいるわけではないのに、やけに二人のテンションが高い。
魔鈴とエミも二人の勢いにはついて行けないらしく彼等を見て苦笑いするばかりである。
「父親を前にして姫が啖呵を切る名シーン! くぅ〜っ、堪らんでござるなぁ!」
「『何をおっしゃいます父上、生命に身分の上下などございませぬ! 姫も十五、この者達も十五、生命に何の違いがあろうぞっ!!』でしたよね」
「おおっ、ピート殿も分かっておられる!」
「僕もあのシーン好きなんですよ。その後の、生贄となった親友に自分が身代わりになると申し出るシーンと合わせて」
「泣き崩れた姫のために親友の歌う子守唄、今思い出しても心に沁みますなぁ…」
ピートの言うシーンは、作品屈指の名シーンとしてファンの間で語り継がれている場面だ。新人アイドルのアイドルとは思えぬ名演技もあり、このシーンのおかげで姫を神聖視するファンも多い。
作品はその後、姫が親友を救うためにくノ一となって生贄の儀式を止めに向かうも一歩及ばず、眠りについた親友を守るために神社を建立した姫が巫女となって、いつか自分の子孫がその親友を救うのだと誓うシーンで終わっている。
優しく、涙もろく、当時の時代背景を考えれば奇跡的と言えるほどの自己犠牲精神に溢れる姫。
かと言って受け身になるばかりではなく、必要とあらば友のために立ち上がる事が出来る強さを持った姫。
実はピートも姫を神聖視している熱烈なファンの一人らしく、彼の中には日本人女性に対するある種の幻想のようなものがあったりする。
「その話だけ聞いてると、すっごい良い話に聞こえるんだけど…なんでだろな、全然見たいとは思えないのは」
「そんな事言わずに、横島さんも機会があれば見てみたらどうですか?」
「いや、遠慮しとく」
「残念無念でござるなぁ…」
ピート達が止まりそうにないので、横島と魔鈴はエミとアンを連れて隣のコンパートメントに移る事にした。結局二人はその後、汽車が目的地に到着するまでの間、心行くまで語り合っていたらしい。
二人をそこまで夢中にさせる時代劇のタイトルは『華が如く』、大妖怪 死津喪比女(しずもひめ)に襲われた藩の心優しい姫君、女華姫(メガひめ)の生涯を描いた、涙無しには語れない感動の名作である。
つづく
あとがき
久しぶりの『黒い手』シリーズ本編です。
更新履歴で確認したところ昨年10月以来なので半年以上経っていた事になります。
言うまでもない事ですが『華が如く』なんて時代劇は存在しません。当初は大河ドラマにしようかと思いましたが、大河が海外で放送される事はないだろうと言う事で民放の時代劇と言う事にしました。
なお、魔法学校についてですが
モデルは存在します。
しかし、『黒い手』シリーズ本編独自の設定と組み合わせて書かれておりますので、モデルになった特定の学校とはあくまでも別の学校であると言う事をここに明言しておきます。
実名は出していませんし。
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