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 09 動き始めた世界


「ただいまなのねー」
 六道家から転移し、妙神山まで帰ってきたヒャクメ。その手には、いつもの調査用のバッグだけでなく、いくつもの袋がぶら下げられている。
 彼女が戻ってきた事に気付き、小竜姫、メドーサ、タマモ、シロがやって来て出迎えた。猿神は異空間、鬼門は門から離れられず、パピリオは魔界に戻っているため、現在妙神山に居る面々が全員集合した事になる。
「はーい、おみやげなのねー」
「悪いわね〜」
「おおっ、かたじけない!」
「ちゃんと教えた店で買ってきてくれた?」
 集まった面々の内、メドーサ、タマモ、シロのお目当ては、彼女がぶら下げた袋、下界で買ってきたおみやげであった。妙神山に幽閉の身であるメドーサ。横島周辺に過激派神族の不穏な動きがあるため、妙神山で待っているように言われているタマモとシロ。それぞれ理由は異なるが、どちらも妙神山から出られない身だ。それだけに、下界のおみやげが楽しみなのだろう。出発前から、あれを買ってきて欲しい、これを買ってきて欲しいと頼まれたほどだ。
「あ、これは猿神老師の分なのねー」
「分かりました。後ほど届けておきますね」
 ヒャクメは、最新のゲームがいくつか入った袋を小竜姫に手渡した。
 下界のおみやげを楽しみにしていたのは彼女達だけではなかったらしい。彼は妙神山の主と言う立場だが、そうそう下界に降りる事が出来ないと言う意味では、メドーサと似たような立場である。

「ところで、天界からヒャクメに連絡があったのですが……」
「あ、やっぱり来てた? 報告に来いって?」
「そうですが……やっぱり?」
「ううん、こっちの話なのねー」
 小竜姫の言葉を聞き、ヒャクメは困ったような、それでいて呆れたような複雑な表情を見せる。と言うのも、彼女は横島の下へ状況の説明に行けと言われたその時から、こうなる予感がしていたのだ。いや、予測していたと言い換えても良いかも知れない。
 小竜姫の方は、何故ヒャクメがそのような反応をするのか見当が付かないようで、首を傾げている。ヒャクメの方も、あえて詳しい事は話さなかった。これは生真面目な彼女には向かない話だろう。
 そんなヒャクメの心の内を察したように、メドーサとタマモがニヤニヤと笑っていた。随分と仲良くなったものである。

 ろくな話ではないだろうと思いつつも、行かない訳にはいかない。ヒャクメは早速身嗜みを整えて天界に向かう事にする。と言っても、特別おめかしする訳ではない。下界を出歩くための変装を解き、普段の仕事着に着替えるだけだ。
 主である猿神に挨拶をし、またしばらく妙神山から離れる旨を伝えると、天界へと転移するヒャクメ。
 妙神山に移る以前の仕事場であった古巣の情報部に戻った彼女を待っていたのは、かつての上司の意外な言葉であった。
「は? 『キーやん』様に直接……?」
「ああ、そのように連絡が来ている」
 なんと、横島達に今回の一件に関する情報を伝えた事を、最高指導者である『キーやん』に直接伝えろと言うのだ。
 ヒャクメは首を傾げる。確かに彼はデタント推進においては有力な人物かも知れないが、そこまでの重鎮だっただろうか。これは元上司の方も同じ考えらしい。竜神王配下の例に洩れず彼もまたデタント推進派の一人であり、横島に対しては好意的な考えの持ち主だが、今回の一連の命令には疑問を抱いていた。
「彼についてはお前の方がよく知っているだろう。お前、何か心当たりはないか?」
「……………いくつか、心当たりはあるのねー」
「……そうか」
 彼もそれ以上尋ねては来なかった。
 情報を扱う部署に居ると、度々こう言う事がある。上の方には何か思惑があるのだろう。彼が椅子に深く腰掛け、小さく溜め息をついて口を噤むと、ヒャクメもまた無言で一礼をして退室して行った。

 ヒャクメはこれから『キーやん』の下に転移して、今回の一件についての報告を行う。竜神王に会う時も緊張するものだが、これはその比ではない。
 皆、猿神のようにもっとフレンドリーだったら良いのにとヒャクメは思うが、それでは威厳も何もあったものではないだろう。
「……うぅ、緊張するのねー」
 とは言え、いつまでもこうしていたところで、報告の仕事がなくなる訳でもない。
 ヒャクメはぐっと握った両の拳を胸の前まで持ってくると、よしっと気合いを入れて、その勢いを借りて『キーやん』の下へと転移した。
 転移を終えて恐る恐る目を開くと、そこには光り輝く世界が広がっていた。前後左右上下の全てが光に包まれており、この場が広い空間なのか、狭い部屋なのかも判別出来ない。ヒャクメは、何かに腰掛ける体勢の『キーやん』と向かい合っているが、腰掛けているものも光輝いており、それが何であるのかも分からなかった。
 『キーやん』自身もまた、眩いほどに後光が差し、顔も見えない状態だ。まさしくここは光に包まれた空間であった。
「ようこそヒャクメさん。任務は無事終えたようですね」
「は、はい!」
 穏やかだが、それでいて威厳のある声に話し掛けられ、ヒャクメは思わず姿勢を正して返事をする。『キーやん』はそれを手で制し「楽に」と言うが、言われた側がそれでリラックス出来れば苦労はない。ヒャクメは緊張し、身を強張らせたままであった。
「まずは、ご苦労様でした。彼は今回の件について納得してくれましたか?」
「え、え〜っと、それは〜……」
 結論から言ってしまえば、納得してもらえたとは言い難い。
 横島一人だけならばいくらでも誤魔化す事が出来ただろうが、今の彼は令子、エミと行動を共にしているのだ。彼女達も巻き込まれている身なので、ヒャクメが説明に行けば、ここぞとばかりに彼女達が問い詰めてくるのは自明の理。そして、ヒャクメが彼女達から逃げ切れないのは分かり切っていた事なのだ。たとえ小竜姫が説明に行ったところで結果は同じだっただろう。
 仮に横島一人だけに聞かせられたとしても、ルシオラの城が襲撃された事を知られれば、やはり怒って納得してもらえなかったはずだ。
「どうやら駄目だったようですね。予想通りですが」
 予想していたのなら無茶な仕事を押し付けないでくれと言いたいが、相手は最高指導者なのでヒャクメは黙っている。もっとも、その表情は唇の端がつり上がり、引きつっていたが。
「では、質問を変えましょう。横島忠夫以外にも説明を聞かせましたか?」
「―――ッ!」
 やはり聞かせては不味かったのか。どう答えたものかと慌てふためくヒャクメだったが、その態度がもう答えているようなものである事に気付き、ピシッと固まってその動きを止める。
 この時、固まった事が良かったのか、かえってヒャクメは冷静に物事を考える事が出来た。
 何故今、『キーやん』はその事を確認するのか。もし事前に話してはいけない事を言っていてくれれば、それを免罪符にして令子達には聞かせない事も出来たと言うのに。
 『キーやん』ならば、それが分からないと言う事はないだろう。こうしている今も、ヒャクメは心を読まれているかも知れない。
 もし、横島以外に説明を聞かせてはいけないのならば、何故事前にそれを言わなかったのか。めまぐるしく考えを巡らせながら、ヒャクメは徐々に落ち着きを取り戻して行った。
 そして彼女は一つの結論に辿り着く。
「その通りですよ」
 ヒャクメの心の内を肯定するように、『キーやん』の静かな声が響き渡った。後光で顔は見えないが、微笑んでいるような雰囲気を感じる。
 『キーやん』の目的は、逆だ。横島に今回の一件を説明し、解決したと納得させる事ではない。
 「横島以外」に今回の一件を説明し、「納得させない」事で「未だ事態は解決していない」と理解させる事こそが、真の目的だ。
 令子に、エミに、もしかしたら六道夫人も含まれているかも知れない。彼女達に『聖祝宰』一派の存在を報せる事こそが、『キーやん』の目的だと考えると、不自然な命令も全て納得出来る。今にして思えば、六道邸に居る間に、『天智昇』が宇宙のタマゴを持って姿を消したと言う報せが届いたのも、あえてその事が彼女達に伝わるようにしたためであろう。
 知っての通り、神魔族は『聖祝宰』一派に対し、あまり強引な手段には出られない状態にある。
 だが、人間は違う。彼等は神属性、魔属性に傾く者達もいるが、基本的には神魔混合属性であり、自分達に危害を加えようとする者に対しては相手が神であろうと魔であろうと、おかまいなく迎え撃つと言う、ある種の「平等」な価値観を持っている。
 きっと今頃令子達は、あの手この手を使って『天智昇』を捜しているだろう。六道夫人も動いているとなると、相当な数の人間が動いていると思われる。彼の計画が実現すれば人間界も滅ぶのだから、人間界に住む全ての人々が一致団結するのも難しくはないだろう。
「ふむふむ、なかなか優秀ですね」
「あ、ありがとうございますなのねー……」
 ヒャクメの考えは、概ね正しいようだ。『キーやん』は何やら楽しそうである。
「全ての始末を人間の手に委ねるのは、いささか心苦しいですが……今回のケースに関しては、仕方がないでしょうね」
「………」
 その一言でヒャクメは全てを察した。
 神族が『天智昇』を始末するのは色々と問題がある。魔族がそれをすれば、聖書級大崩壊(ハルマゲドン)一直線だ。
 だが、人間は違う。彼等は『天智昇』を敵とする事が出来る。戦う事が出来る。
 そう、『キーやん』は、人間の手で『天智昇』を倒させるつもりなのだ。

「……勝てますか?」
 恐る恐るヒャクメは尋ねた。
 天使長『聖祝宰』は魔王級と同等の力を持っている。そして、上司程ではないとは言え『天智昇』もまた、魔王級の腹心程度の力を持っていた。魔王の腹心と言っても、ルシオラの腹心であるベスパをイメージしてはいけない。彼女達は魔界でも弱小中の弱小勢力。本来の魔王の腹心と言うのは、人間界で上位魔族と呼ばれる者達を雑魚と断じて一蹴する程度の力は持っているのだ。
 語弊はあるが、魔王『過去と未来を見通す者』アシュタロスと戦うのと同じようなものだと考えても問題はないだろう。当人同士にしてみれば、絶大な力の差があるとは言え、人間から見て「訳が分からないレベルの強さ」である事に変わりはない。
「……さて、どうでしょうね」
 不安そうな表情のヒャクメに対し、『キーやん』は答えをはぐらかすばかりだ。
「あ、そうそう。あなたはしばらく天界に留まってください。妙神山も、しばらくの間門を閉ざしてもらいます」
「えっ! どうしてなのねー!?」
 それどころか、ヒャクメを人間界に帰さないと言い出した。
 ヒャクメは神族の中でも指折りの、人間と懇意な神族だ。令子達とは特に親しく、横島に対しては身内意識すら抱いている。
 いざとなれば神族同士で争う事になっても、横島達を助けに行こうと考えていたが、それを事前に潰されてしまった。おそらく小竜姫も同じような事を考えていたと思われる。妙神山の門を閉ざすと言うのも同じような理由だろう。
 それだけ神族は身内同士で争う訳にはいかないのだ。
「まったく、こう言う時は魔族の皆さんが羨ましいですね。身内同士の争いはいくらでもして良いと言うのですから」
 神族の最高指導者としては危険な発言だが、おそらく『キーやん』の本音であろう。
 今回の一件、神族同士で始末を付ける事が出来れば、一番穏便に事を済ませる事が出来たのだ。『キーやん』陣営の天使長に対し、『ブっちゃん』、『アっちゃん』の陣営が手を出すのが問題となるならば、それこそ『キーやん』陣営の他の天使長が戦えば良い。デタント派の天使長がいないと言う訳ではないのだから。
 しかし、それが出来ない以上、他の手段を使うしかない。これは『キーやん』にとっても苦肉の策であった。
「………」
 無言で考え込むヒャクメ。そんな彼女を見て、『キーやん』が声を掛ける。
「……なんとかして『天智昇』を捜し出し、それを人間達に伝えられないかと考えていますね?」
「えと、それは……」
 図星だ。ヒャクメは『ブッちゃん』陣営の、竜神王の派閥に属している。竜神王は神族の中でも比較的融通が利くタイプだ。多少強引な方法を用いれば、人間界と連絡を取る事も可能ではないかと考えたヒャクメだったが、それも『キーやん』に見抜かれてしまった。
「そんなに心配する必要はありませんよ。私もまたデタントを推進する立場です。みすみす人間界を滅ぼさせはしません」
「………はいなのねー」
 ヒャクメは、それ以上何も言う事が出来なかった。
 こうなってしまえば、全てが終わるのを待つしかない。彼女に出来る事は、人間達の勝利を祈る事ぐらいだろう。
 退室し、神殿の外に出たヒャクメ。その目尻には涙が浮かんでいる。そして彼女は果てなく澄み切った天界の空を見上げ、ポツリと呟いた。

「……もう、出番はなさそうなのねー……」

 その呟きは誰にも聞かれる事なく、空の彼方へと溶けて消えてゆくのだった。



 一方その頃、人間界では別の意味で泣きたくなるような立場に陥っている者が居た。
「クソッ! なんだと言うのだ!?」
 他ならぬ『天智昇』である。
 令子達の行動は素早く、一日経つ頃には『天智昇』の企みは世界中に知られる事となっていた。
 新しい宇宙で人間界――地球を押し潰すと言うのは、核ミサイルを使って人類を脅迫したアシュタロス以上の暴挙と言えよう。
 まず、六道夫人はGS協会と陰陽寮にこの事を報せ、すぐに『天智昇』の行方を捜させた。
 エミもまた呪術師としてのコネを活かし、世界中の魔法使い達にこの事を報せる。今回の件では神族過激派や殉教者部隊に狙われる立場であった魔法使い達は、ここぞとばかりに立ち上がった。『天智昇』の行方を探るだけでなく、ここぞとばかりに殉教者部隊に対しても攻撃が仕掛けられたりもしたが、『教会』はこれに対し沈黙を保つ。冗談抜きで世界は滅亡の危機に瀕しているのだ。ここで下手に動けば「人類の敵」に認定されかねないのだから当然の判断だと言える。
 そして令子はと言うと、すぐにこの一件を母、美智恵と西条に報せてオカルトGメンを動かした。日本だけならばともかく、世界で見ればオカルトGメンこそが最も大きな組織力を持っている。世界の危機に対し、これを動かそうと考えた彼女の判断は正しい。
 アシュタロス以上の世界の危機。これはオカルト関係者の間で瞬く間に世界中に広まり、彼等は対策に追われる事になる。流石に一般人にまで知られる事はなかったが、各国の上層部も動き出した。こうして、一夜にして『天智昇』は「人類の敵」となったのだ。
 『天智昇』程の力を持つ者が人間界を動き回っていれば、人類の技術はすぐさまそれを察知する事が出来る。その居場所はたちまち知られる事になり、それに気付いた『天智昇』は再び行方を眩ませる。
 彼を追う追跡者達は、『天智昇』から見れば取るに足らない虫けらのような存在であった。「天に背く咎人」として裁く事も難しくない。
 問題は、彼が今宇宙のタマゴを所持している事だ。彼等の狙いはこのタマゴである。戦いのどさくさに割られる訳にはいかなかった。
 割られてしまえば、中にいる『聖祝宰』と、彼に仕える天使達も唯では済まない。何より『天智昇』の計画そのものが潰えてしまう。その先に待っているのは、『天智昇』自身が咎人として裁かれると言う末路であった。これだけは避けねばならない。
「『聖祝宰』様は気付いていないだろうか?」
 空を飛び、次の隠れ場所を捜しながら、『天智昇』は懐に抱えたタマゴを見て呟く。
 この外の騒ぎは、タマゴの中までは伝わっていないはずだ。もし伝わっていたら、いまだにタマゴが人間界にある事に対し、『聖祝宰』から何か言ってくるはずである。
「早く、タマゴを孵す場所を見付けなければ……」
 極端な話、地球上であればどこでも良いのだ。人間が居ない場所。たとえ『天智昇』の存在に気付いても易々とは近付けない場所。『天智昇』は宇宙のタマゴを孵すべき場所を探すため、追い掛けてくる戦闘機以上のスピードで飛び去って行った。



「姉さん! 人間界が……って、なんだこりゃあっ!?」
 この頃になると、魔界にも『天智昇』の企みに関する情報が伝わっていた。ワルキューレが魔界正規軍の情報部に属する弟、ジークからこの情報を入手し、それをベスパが城の地下空間で作業中のルシオラに伝えに来たのだが――彼女を待っていたのは、用途不明の巨大な柱であった。
「あら、ベスパ。どうかしたの?」
 柱の根本でオレンジ色のつなぎ服を着たルシオラが振り返った。作業着としてつなぎ服を着ているのだろうが、幼児サイズであるため子供服のようにも見える。
 よく見れば、それはただの柱ではなかった。柱の各部分から太い管が飛び出して地下空間の各部に繋がっており、根本部分は巨大な炉になっている。ルシオラは、その炉の正面にあるコンソールの前に立っていた。
「い、いや、人間界の情報が手に入ったんだが……それより、これは一体何なんだ?」
「ああ、これ? 地獄炉よ♪」
「なっ!?」
 眩い笑顔であっけらかんと答えるルシオラ。その可愛らしさと、相反する返事の物騒さにベスパは一瞬立ちくらみを起こすが、なんとか踏み止まってルシオラを問い詰める。
「地獄炉って、あの地獄炉か!?」
「『あの』ってどれよ? 私、このタイプ以外の地獄炉なんて聞いた事ないわよ?」
 地獄炉と言うのは、かつてプロフェッサー・ヌルが人間界で作った、地獄に直通するパイプラインを引く事で、莫大な魔力源を得る事が出来ると言う代物だ。この「地獄」と言うのは魔界の一地方の事であり、実際は繋げるのは魔界ならばどこでも良いらしい。
「て言うか、この柱はどこに繋がってるんだ? この上は城だろ?」
 ベスパが上を見上げると、地獄炉の柱は天井に向かって伸び、その先は暗闇の向こうに消えていた。広大な地下空間であるため、こう暗くては天井まで見る事が出来ない。
「ご安心を。物理的に人間界まで炉を伸ばしている訳ではありませんよ」
 その疑問にはルシオラ以外の声が答えた。誰の声かとベスパが辺りを見回してみると、かつて地獄炉を作った張本人、プロフェッサー・ヌルが炉の向う側から姿を現す。
 まだ襲撃してきた天使にやられた怪我は完治していないが、こう言う作業をする分には問題がない程度まで回復しているらしい。この地獄炉はルシオラと彼の手によって造られたのだろう。
 彼の説明によると、この炉から伸びている柱は人間界に続くパイプラインなのだが、亜空間を通じて繋がっているらしく、物理的に直接繋がっている訳ではないそうだ。
「でも、魔界で地獄炉なんか造ったってしょうがないだろ? これ、人間界のどこに繋がってるんだ?」
「ま、色々と目的があってね。ところで、何の用だったの? 何かあったんでしょ?」
「おっと、そうだった」
 地獄炉を見た衝撃で当初の目的を忘れてしまっていた。ベスパはワルキューレから聞いた、現在の人間界の情勢についてルシオラに伝える。妙神山に居た末の妹であるパピリオは、今回の一件による情勢の悪化に伴って既にこちらに帰還しているので問題はないが、人間界がどうにかなってしまえば、横島もただでは済まない。
「なぁ、にいさんだけでも魔界に避難させる事は出来ないか?」
「う〜ん、そうねぇ……」
 そして、それはルシオラも考えていた事であった。
 敵が神族である以上、魔族は手出しする事が出来ない。しかし、その一方で反デタント派の勢力が、人間界、天界へと侵攻しようと意気込んでいた。
 当然、デタント派の方は今回の一件については静観すると言う方針を固めていたのだが―――

「こう言っちゃなんだけど、横紙破りって魔族の十八番よね」

―――そんな規則で縛る事が出来るぐらいに魔族が規律正しい存在ならば、それこそ神族と変わらない。
 彼等が現在、命じられるままにおとなしくしているのは、ひとえに『サっちゃん』が睨みを効かせているためであった。
「魔族の同朋を救うためならば、後々文句も言われないでしょ。多分」
「そ、そうだよな」
 しかし、半魔族である横島を魔界に帰還させるぐらいならば、後々問題にもならないだろう。ベスパはほっと胸を撫で下ろした。ルシオラに助けに行く気があるのならば、きっと大丈夫だ。なんだかんだと言って、ベスパはこの小さな姉を信頼していた。
「後はタイミングよね。ヌル、ここは任せても良いかしら?」
「そうですな……後は微調整だけですし、私だけでも何とかなるでしょう」
「それじゃ、ここはお願いね。こっちでも人間界の情報を集めないと」
「お任せを」
 恭しく頭を下げるヌルを残し、ルシオラはベスパを伴って地下空間から出て行った。

 他の魔王達もやっている事だが、ルシオラは人間界を調査するための独自のルートを持っている。そう、魔鈴の店の天井裏に巣を作っている、ベスパの眷属である妖蜂達だ。
 ルシオラは、妖蜂を通して人間界を見る事が出来る巨大モニター『ペス』の前に立ち、早速妖蜂を動かして情報を集め始める。
「あ、そうだ。ベスパ、ワルキューレ達にも準備をさせといてちょうだい。いつでも出られるようにね」
「……あいつらは、正規軍から派遣されてる身だぞ? あいつらも巻き込むのか?」
 横紙破りに正規軍の軍人を巻き込んでしまえば、大きな問題になりかねない。ハーピーはともかく、ワルキューレと勘九朗は巻き込んではいけないのではないだろうか。
 訝しげな表情を見せるベスパに、ルシオラはクスクスと微笑んでみせた。
「いいのよ。あなたは言われた通りに準備を進めときなさいな」
「あ、ああ……」
「今に分かるわ。もうすぐ私達の出番だから」
 そう言って笑みを浮かべるルシオラ。その表情は自信に溢れ、外見が幼児である事を差し引いても凛々しく見える。
 まるで、子供の姿になる以前のルシオラのようだ。かつての彼女の姿を思い出しながら、ベスパはルシオラの命令を遂行すべく、ワルキューレ達の下に向かうのだった。



つづく




あとがき
 天界、魔界についての各種設定。
 地獄炉に関する各種設定。
 宇宙のタマゴと、それを用いた創世に関する各種設定。
 これらは『黒い手』シリーズ独自の設定です。ご了承ください。

 なお、『聖祝宰』、『天智昇』の名前、及び外見は『ビックリマ○2000』からお借りしております。

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