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ぷちルシちゃん はじめての魔王会議 1


 魔界に不釣合いな白亜の城。アシュタロスが遺したこの城の現在の主は、彼の娘である『魔王見習い』のルシオラだ。
 城壁の上にはプロフェッサー・ヌルのタコの足から生み出されたゲソバルスキー達が歩哨に立っている。ゲソバルスキーは全身鎧を身に纏い、兜を被り、マントを羽織っているため、余計に中世の城を思わせる。
 一時期は兵力が足りないと、ルシオラとベスパの二人で顔を突き合わせて頭を捻っていたが、暇を持て余したヌルが、中世の時代から暇潰しに数を増やしてきたゲソバルスキー軍団をヌルと共に配下に組み込む事により、何とか「ルシオラ軍」の態を成しつつあった。
 そんな城の一室で、魔界正規軍に属する『魔王級』が一同に会する『魔王会議』を明日に控え、ルシオラは準備に追われている。
「……あんた達、言いたい事があるならはっきり言いなさいよ」
「いや、それは……」
「え〜っと、その、似合ってるじゃん?」
 ジト目のルシオラに対し、ベスパとハーピーは直立不動の姿勢のまま、揃って視線を逸らした。ルシオラだけが相手ならばそんな態度は取らないのだが、ベスパ達は緊張の面持ちである。と言うのも、『大魔王ソロモン先生』の教え子にして魔界最高指導者『サっちゃん』の娘、魔王級の中でもトップクラスの力を持つ≪悪霊姫≫ゴモリーちゃんがその準備を手伝っているのだ。ベスパ達では下手に口出しする事も出来ない。
「どや、ウチのコーディネートは。よう似合とるやろ?」
「は、はい。似合ってるんですけど、似合っちゃいけないと言うか……」
 ゴモリーちゃんに問われ、困った顔でしどろもどろに答えるベスパ。一方、されるがままのルシオラは「笑いたかったら笑ってもいいのよ」と憮然とした表情で唇を尖らせた。
 それと同時に我慢できなくなったのか大声で笑い出すベスパとハーピー、特にハーピーに至っては腹を抱えて笑い転げている。
「笑ってもいいとは言ったけど、バカ笑いしろとは言ってなーいっ!」
 ルシオラがすかさずハーピーの頭に拳骨を降らせたのは言うまでもない。そんな彼女はいかにもお嬢様然とした出で立ちに身を包み、真っ赤なランドセルを背負っていた。ゴモリーちゃん曰く、テーマは「入学式を明日に控えた新入生の女の子」との事。本当によく似合っているだけに、ベスパ達が笑ってしまうのも無理はあるまい。ルシオラにとっては不本意な話である。
「あの、ゴモリーちゃん?」
「なあに?」
「なんで、こんな格好しないといけないんですか?」
「よう似合とるえ?」
 ルシオラはおずおずと問い掛けるが、まるで会話が噛み合っていない。ゴモリーちゃんは、『サっちゃん』の命で初めて魔王会議に出席する事になるルシオラをサポートしに来たそうなのだが、これはただ単に彼女が楽しんでいるだけではないだろうか。彼女はかつてルシオラの父、アシュタロスをウェイトレスにした事があるらしいが、ノリとしてはそれに近いものがあるのかも知れないと、ベスパは引きつった笑みを浮かべながらそう考えていた。

 結局、ゴモリーちゃんに押し切られる形で、ルシオラは明日ランドセルを背負って行く事になってしまった。ゴモリーちゃん曰く、魔王会議に出席するほとんどの魔王級はソロモン先生の教え子なので、決して間違っているわけではないそうだ。要するにルシオラから見れば父の友人達、文字通り「親と子」ほど年が離れていると言う事になる。もっとも、七十二柱の教え子達は全員同年代と言うわけではないので、「祖父と孫」ほど年が離れている場合もあれば、その逆もある。ならば、ゴモリーちゃんはどうなのかと言う疑問がふと浮かんだが、にこやかに笑う彼女の周囲の空気が物理的に重さを増したような気がしたため、口に出して問う事は出来なかった。
「ところで、護衛は必要ですか?」
 ベスパが問い掛けると、ゴモリーちゃんは自分が付いているからと、にこにこ笑いながらやんわりと、それでいてピシャリと同行を断った。そもそも魔王会議は魔界正規軍の本部で行われるのだ。いくら反デタント派の魔族でも、そこに手を出す馬鹿はいない。
 また、魔王会議の参加者についても同様だ。ベスパとて上級魔族であり、一般の魔族の中では頭抜けた力を誇るが、それでも魔王級の足元にも及ばない。仮に参加者の中にルシオラをどうにかしようと言う者が居たところで、ベスパの力では盾になる事すら出来ないだろう。もっとも、アシュタロスの娘に対し、害意を抱く者がいるとも思えないが。

「ぽー!」
 その時、部屋にハニワ兵が駆け込んできた。ベスパが話を聞いてみると、魔法学会に参加するために留守にしていた魔鈴が帰ってきたらしい。事前に魔鈴の護衛として横島も参加すると聞いていたので、ルシオラは明日の準備を切り上げて中庭にある魔鈴の家へと向かった。
 出来る事ならばランドセルも含めた明日の服装をどうにかしたいところではあるのだが、このまま粘ったところでゴモリーちゃんが考えを改めてくれるとは思えない。ならば、一刻も早く魔鈴に会いに行った方が建設的だと考えたのだ。諦めたとも言う。

 瘴気に溢れた魔界において、空間を操作している魔鈴の家だけは人間界に近い神魔中立属性である。そのため、魔界に適応仕切れていない精霊の眷属であるグーラーは、普段は魔鈴の家に避難している。特に今は名ばかりのルシオラだけでなく、本物の魔王級であるゴモリーちゃんがいるから尚更だ。力を抑えてくれているため、ルシオラ達は圧迫感を感じる程度で済んでいるが、魔界に適応できていないグーラーでは、近くに居るだけで命を落としかねない。
 そのため、ゴモリーちゃんは魔鈴の家にだけは近付かないようにしていた。魔鈴とは一度顔を合わせたきりだ。
 魔鈴はゴモリーちゃんが城に滞在している事を聞くと、すぐに会いたいと願い出た。ゴモリーちゃんも人間界でも指折りの魔法使いと聞いて興味を抱き、すぐさま承知したまでは良かったのだが、いざ顔を合わせてみると、ゴモリーちゃんの溢れ出る魔力により魔鈴が倒れてしまったのだ。彼女は普段、家を出て魔界に入る時は魔法で瘴気を中和しているのだが、ゴモリーちゃんの力はその限界を軽く突破してしまったらしい。
 ベスパが仲介して幾度か手紙のやり取りは交わしたりと、仲が悪いと言うわけではないのだが、それ以降二人は顔も合わせていない。いや、出来ない。そのため、ルシオラの後を追うのはベスパ一人だけだ。ゴモリーちゃんは魔鈴の家に行く事が出来ない。
「それじゃ、ウチもこれで……」
「うふふ〜、私達はガルーダちゃんと遊びに行きましょうか〜?」
「ぎゃー! 放すじゃん!?」
 ゴモリーちゃんの意識が走り去ったルシオラの方に向いている隙を突いて窓から飛んで逃げようとしたハーピーだったが、飛び立つ直前に足首を掴まれてしまった。
 この城におけるゴモリーちゃんのお気に入り、一位は当然ルシオラであり、二位はガルーダのヒナ達。そして、その二者に次ぐ第三位が、実はハーピーだったりする。彼女の翼の羽毛をもふもふするのが気持ち良いらしい。
 ちなみに第四位は意外にもプロフェッサー・ヌルだそうだ。いじりがいのあるオモチャ扱いなのは言うまでもない。


 一方、魔鈴の家ではグーラーとヌルの二人が家主の帰りを出迎えていた。
 この家に住むグーラーは当然として、何故ヌルも出迎えているのか。ヌルの興味がグーラーにあるのは間違いないのだが、同時に彼は魔鈴とも親しかったりする。
 と言うのも、ヌルはかつて中世の頃、アシュタロスの命により人間界に魔法使いと偽って潜り込んでいた事があるのだ。だからと言って魔族である彼は魔法を使う必要などないのだが、凝り性である彼は実際に魔法に関する深い知識を身に付けてしまったのだ。そう、『魔女狩り』により滅んでしまった中世の魔法に関する知識をである。魔鈴がそれに興味を持ったのは当然の事であろう。
 ヌルは、その知識と引き換えにいつでも魔鈴の家を訪れて良いことになっていた。グーラーが魔界の瘴気に慣れるためには知恵者であるヌルの協力が必要と言うのもあるが、実はこっそりゴモリーちゃんからの避難所としても使われていたりする。
 こうなってくると普段魔鈴が留守がちなため、グーラーの身が危ぶまれるところだが、その点については心配無用だ。
「痛っ、痛い! 私はエサじゃないぞ、ついばむんじゃない!」
「ほどほどにするんだよ、スカベリンジャー」
 魔鈴のペットである死肉を好む魔鳥、スカベリンジャーが、留守がちな魔鈴に代わって面倒を見ているグーラーにすっかり懐いてしまったのだ。いまやいっぱしのボディガードであり、ヌルが不必要にグーラーに近付こうものなら容赦なく攻撃を仕掛けている。
 ガルーダのヒナ達、ハーピー、そしてスカベリンジャー。意外にも彼女は鳥類と相性が良いのかも知れない。

「ただいまー」
 ヌルがスカベリンジャーについばまれていると、魔鈴が大きな旅行鞄を提げて帰ってきた。
「あらあら、小鳥さん。それはまだ死んでないわよ」
「そもそも、エサじゃありませんっ!」
 こんなやり取りも、もういつもの事である。

 魔法界では『殉教者部隊』の襲撃がひと段落した後、魔法界の面子も賭かっているのか魔法学会は予定より数時間遅れであったが、何事もなかったかのように開催されていた。
 魔鈴とエミは無事研究発表を終え、後はパーティーに参加するのみとなったのだが、ここで一つ問題が起きた。いや、起きようとしたと言った方が正確であろうか。
 『炎の獅子』アロセスが現れた事は、力の大半を魔界に置いてきたにも関わらずなお余りある強大な力のおかげで、魔法学校に居た全員が気付いていた。そのため、アロセスに接触した横島とアンの二人が、魔法界に目を付けられてしまったのだ。
 このままでは危険だ。最悪、魔法界に拘束されてしまうと判断した魔鈴とエミは、パーティーをキャンセルして、早々に横島達を連れて 人間界に帰還する事になった。
 魔鈴は日本に到着して解散した後、こうしてすぐに帰宅したのである。

「色々大変だったんだねぇ……」
「ふぅむ、『殉教者』ですか、噂には聞いた事がありますが」
 魔鈴の話を聞いて労わりの表情を見せるグーラーに対し、ヌルは『殉教者』について興味津々と言った様子だ。『殉教者』が創られたのはここ数十年程の事であるため、コスモプロセッサによる召喚を除けば中世以降人間界に行った事のない彼は、話には聞いた事があっても実物を見た事がない。
 更に身を乗り出して詳しい話を聞こうとした矢先にルシオラが飛び込んで来た。
「魔鈴っ!」
「あ、ルシオラさん。ただいまです」
 こうなっては仕方がないと、ヌルはあっさり引き下がる。後で話す時間はいくらでも作れるし、彼にとってルシオラは主君なのだ。何より、彼女の邪魔をすると後が怖い。
「ねぇねぇ、横島は元気だった?」
「ちょっと待って下さいね。お話の前に皆に紹介したい人が」
「紹介?」
 ベスパは怪訝そうな顔をした。アシュタロスが遺した白亜の城、魔鈴の魔法はヌルによって結界を改良強化されたこの城に正規の方法以外で出入りする唯一の方法と言っても良い。それを使って一体誰を連れ込んだと言うのか。
「あ、あの、こんにちは……」
 魔鈴に続いておずおずと姿を現したのは、アン・ヘルシングだった。
 彼女もアロセスと接触したため、魔法学校に居るのは危険だと騒動がひと段落するまで身を隠す事になる。しかし、魔法学校に知られている自宅以外の場所となると、アンはピートがいる唐巣神父の教会ぐらいしか宛が無い。そこで、魔鈴がアンを匿うと名乗りを上げた。彼女は横島の魔族化した腕の事を知ったため、その事について口止めする必要もあったのだ。ちなみに、魔鈴は横島から直接聞いた事はないが、ルシオラ側からその情報を得ている。
 当初は魔界に行く事を渋ったアンだったが、隠し通路に置いておくのは不味いと言う事で魔鈴に転送してもらったイージススーツも魔界に送られている事を知り、覚悟を決め、こうして魔界に来たと言うわけである。
 今、アンの目の前に並んでいるのは、触角の生えたルシオラとベスパ。角が生え、耳が尖ったグーラー。そして、ヌルは人間の姿に化けているため一見普通の男性のように見えるが、この男が一番怪しい雰囲気を醸し出している。正に魔界、人外魔境である。

「――と言うわけでして、アンさんをここで匿っても良いでしょうか?」
「ん、良いわよ〜。私ルシオラ、よろしくね!」
 アンが事情を説明すると、ルシオラはあっさりと承諾した。横島のためでもあるならば断る理由がない。
 ともあれ、これで人間界における横島の腕の事を知るのは、魔鈴、タマモにアンを合わせて三人となった。
「横島……元気なのはいいけど、このままぽんぽんバレて、人間界に居られなくなるとかないでしょうね……」
 本音を言えばそうなって欲しいのだが、今はルシオラの周囲を取り巻く状況がそれを許してくれない。
 彼女がアシュタロスの跡を継いで魔王見習いになる事を決めたのは、いずれ横島が魔界に来た際に、彼の安住の地を確保するためでもあった。しかし、現実はそう甘くはなく、上級魔族程度の力しか持たない魔王見習いルシオラは、反デタント派に目をつけられ、デタント派もまた、彼女の動きに目を光らせている。言わば「魔界の火薬庫」のような目も当てられない有様になっていたのだ。
 まずは、この状況を何とかしない事にはどうしようもない。そのため、魔鈴には横島を連れて来ないように頼み、自らもまた会いたい気持ちが募ってはいけないので、人間界の監視は控えるようにしていたりする。本当ならば、魔鈴から話を聞くのも止めた方が良いのだろうが、そこは乙女心は複雑と言う事で勘弁してもらいところである。
「でも、この家で匿うと言っても、家の外には出れないんじゃ?」
「え、そうなんですか?」
 ベスパの言葉に、まさか家の中に閉じ込められるとは思ってもいなかったアンは驚きの声を上げる。
「ほら、魔界は人間界と違って瘴気が溢れてるから」
「消耗しても回復しないだけで、全く出歩けないわけじゃないんですけどね。とりあえず、私が瘴気を中和する魔法を教えますよ」
 アンも魔法学校で基礎から学んでいる身だ。魔鈴が教えれば、彼女の魔法を覚える事も不可能ではないだろう。そうすれば、少なくとも城の中なら自由に過ごせるはずだ。城の外にも出れない事はないが、それは危険なのでお勧め出来ない。
 何にせよ、この城はかなりの広さを誇る。とりあえず、この家から出られるようになれば、アンがここで過ごす分には全く問題はないだろう。

「ところで、ちょい前に送ってきた鎧みたいなの、アレは一体何なんだい?」
 「アレ」とは、魔法界から帰還する前に魔法で送ったアンのイージススーツの事だ。
 自分を取り巻く状況が目まぐるしく変化したため、忘れてしまっていたが、その言葉で思い出し、アンは身を乗り出してグーラーに問い掛ける。
「ひいおじいちゃんのイージススーツ! どこにあるんですか!?」
「それなら、この部屋に置いておくには邪魔でしたので、玄関先に置いてありますよ」
 それを聞いたアンは慌てて駆け出し、玄関の扉を開け、そこで何かを浴びせられたかのように身を仰け反らせた。
 いや、実際に浴びたのだ、魔界の瘴気を。その感覚は、夏場の暑い日に冷房が効いた屋内から、さんさんと暑い日差しが降り注ぐ外に出た際に感じるむわっとした熱気をイメージすると分かりやすいかも知れない。
 もっとも、今アンが感じたのは熱気と言うよりも悪寒に近い身の毛もよだつような寒気だ。肌寒く感じるのに、熱気を浴びたかのような不快感がある。実際、暑いのか寒いのか、自分でもよく分からない。これが魔界の瘴気だ。このまま外に出る事も可能なのだろうが、一歩歩く毎に体力を奪われ、身体を休めても癒される事はない。いや、こんな瘴気の中で休めるはずがない。
「ああ、ダメですよアンさん。魔法も使わないで外に出ては」
「で、でも……」
 魔鈴の言う事ももっともなのだが、アンはやはりイージススーツが気になるようだ。
「それじゃ、私の実験室の方に運び込みましょうか。ヌルさん、お願い出来ますか?」
「フッ、お任せを」
 言うやいなや、ヌルは本来の姿であるタコの魔族に戻り、アンはその姿を見て引きつったような細い悲鳴を上げる。
 しかし、ヌルはそんな事など意にも介さずに八本の足を駆使して玄関先に置いてあった二つのイージススーツ『ダビデ号』と『ゴリアテ号』をいとも容易く持ち上げ、そのまま魔鈴に案内されて彼女が魔法の儀式を行う部屋へと運び込んだ。この部屋は中央に魔方陣があるため広さの割には物が少なく、二つのイージススーツを運び込めるだけの十分なスペースがある。

「ねぇねぇ、そのスーツって一体何なの?」
「えっと、これは――」
 この家に飛び込む時は、何の置き物だろうかとスルーしていたルシオラも、そのイージススーツに興味を持ったようだ。ベスパが恐れる、好奇心に目を光らせた状態である。
 アンの方も触角が生えているとは言え、見た目が年端もいかない少女であるため、警戒心も薄れてそれが曽祖父が作った吸血鬼退治用の道具である事を説明する。
「なるほど〜、機械式の割にはちょっと古いと思ったら、そういう事だったのね」
「もう、百年ぐらい前の話だから……」
 ルシオラに言わせれば「改良の余地ありまくり」と言ったところだろうか。特に大きな『ゴリアテ号』の方は、着込むタイプの割には動きにくそうなのが致命的に思えた。
 一方、ヌルも似たような事を考えていた。こういう物を見ると、その性格故、もし自分も同じ目的のために何かを作るとしたら、どんな物を作るのだろうかと考えてしまうのだ。
「アンはしばらくこっちに居るのよね? 私も協力するから、コレ改良してみない?」
「え?」
「おお、名案ですな。及ばずながら、私も協力しましょう」
「え? え?」
 戸惑うアンをそっちのけで盛り上がるルシオラとヌル。キョロキョロと周りを見回し、この場で一番強そうなベスパと目が合ったので助けを求めようとしたが、彼女は全てを諦めたかのように力無く首を横に振るだけだった。

 結局、アンを助けたのは魔鈴だった。盛り上がるルシオラに対し、一言こう言ったのだ。
「あの〜……ところで、どうしてランドセル背負ってるんですか?
「はうぅっ!?」
 なんと、ルシオラはランドセルを背負ったままこの場に来ていたのだ。アンが魔族である彼女を年端もいかない子供と判断したのも、そのためである。
「はいはい、魔鈴も疲れてるんだから、私達はおいとまするよ」
「あっ、放しなさいベスパ!」
 このチャンスを逃さず、ベスパはすかさずルシオラを抱き上げる。
「イージススーツの改良、興味があればいつでも言って下さい。中世の魔法技術を伝授いたしましょう」
 そう言ってヌルも恭しく一礼すると、そのままベスパの後を追って城の方へと戻って行く。

「はぁ〜、スゴイ人達ですねぇ」
 ルシオラ達が出て行き、時計の秒針が三周程してからアンはようやく口を開いた。
 彼女達と出会い、会話したのは僅かな時間だが、それだけでアンが今まで抱いてきた「魔族」と言うものに対するイメージ、価値観は完膚なきまでに木っ端微塵である。
「ところで、あのルシオラって子はどうしてあんな格好してたんですか? ランドセルまで背負って」
「ああ、なんでも明日『魔王会議』ってのがあるらしいよ」
「へぇ……」
 アンの疑問にグーラーが答え、アンは生返事を返したが、ますます分からなくなってしまった。『魔王』の『会議』で何故ランドセルを背負う事になるのか。

「……え゛?」

 本日最後にして最大の驚きがアンを襲った。
 グーラーが言うには、「ルシオラは魔王会議に出席するためにランドセルを背負っている」との事、つまり―――

「魔王って、ルシオラさんの方なんですか?」

―――この城の主たる魔王は、他ならぬあの小さな女の子だと言う事だ。
 その話を聞くまで、この城の魔王はこの場にいないか、或いはベスパの方だと思っていたらしい。無理もあるまい。



「ああ、そりゃ神族過激派の仕業やな」
 その夜、ゴモリーちゃんが魔鈴の事を気に掛けてルシオラに尋ねてきたので、ルシオラは魔法界で起きたと言う殉教者部隊による襲撃事件の事を伝える。するとゴモリーちゃんはあっさりと敵の正体について教えてくれた。
 魔界正規軍はデタント派魔族の集団であり、そこには人間界以上に天界の情報が集まっている。彼女達デタント派魔族にとって、魔に連なるもの全てを滅ぼそうと考える反デタント派神族と言うのは反デタント派魔族以上の敵なのだ。
 ちなみに、魔界におけるデタント派のトップは魔界正規軍の大総統≪激怒の魔神≫アスモダイとなっている。
 本当ならばデタント派を推進するトップは魔界最高指導者≪魔王≫である『サっちゃん』だが、彼が下手に力を振るうと魔界全土はおろか人間界にも影響を及ぼしてしまうため、表舞台に立つ事ができない。
 また、魔界全体で考えた場合、魔界のナンバー2となるのは≪光を避ける者≫ルキフゲ・ロフォカレ。彼は魔界正規軍が結成される以前から自ら動く事が出来ない『サっちゃん』に代わり魔界を動かしてきた。そんな彼も魔界正規軍では情報部長官の地位に落ち着いている。『サっちゃん』だけでなく、時には『キーやん』とも連絡を取る立場だからこその地位なのだが、デタント派総本山である魔界正規軍の中では大総統より下の立場になるため、デタント派魔族のトップは≪激怒の魔神≫アスモダイなのだ。
 ちなみに、反デタント派魔族のトップは≪真の蝿の王≫、神族と魔族が熾烈な戦いを繰り広げていた頃は『サっちゃん』の副官として空軍を率いて天使軍と大空中戦を繰り広げていた武闘派だ。こちらも『サっちゃん』と同じく下手に動くと人間界にまで影響を及ぼしてしまう程の、文字通り世界を滅ぼす力を持っている。
 神族との共存など以ての外と言う強硬派である一方、神魔の闘争も度が過ぎると決着が付く前に世界が滅びてしまう事も理解しているため、今は表舞台から姿を消している。妙な話だが、反デタント派のトップが反デタント派魔族の暴走を抑えるストッパーの役目を果たしていた。
「≪蝿の王≫って、アシュ様の配下だった……」
「ああ、あんなもんは暇つぶしやね。モノホンはごっつ強いえ」
 しかし、ルシオラやベスパには、アシュタロスに仕えていたと言うベルゼブル・クローンの事を聞いていたためそちらのイメージが強かったりする。ゴモリーちゃんはそちらについても知っているようで、二人の表情を見て苦笑していた。

「でも、そうなると明日の魔王会議はアロセスが吊るし上げられるかもしれへんなぁ」
「え?」
「『殉教者』言うんはデタントの抜け穴やし」
「抜け穴?」
「そや」
 現在、神族と魔族が直接戦う事は認められていない。反デタント派の魔族となれば、そんな事などおかまいなしなのだが、法と秩序を重んじる神族は、反デタント派の過激派でも、そう言った思い切った事ができないのだ。
 しかし、これには抜け道が存在している。人間界の生命である人間の意志によるものならば良いのだ。そのため神族過激派の天使達は、自意識を捨て、純粋にエネルギーのみの結晶となり、それを人の手に委ねるのだ。
「……魔族と戦うために自分の命捨てちゃうんですか?」
「『殉教』ってヤツやな。ウチにはよう分からへんけど」
 人間は契約により、自分の魂と『殉教者』を接続させて天使の力を行使する。つまり、天使の力で戦っていたとしても、それはあくまで人間の意志によるものと言う事だ。倒された殉教者部隊の『殉教者』が消えてしまったのも、この契約のためである。
「でも、相手は抜け穴通ってきたんでしょ? それと戦ったら罪に問われると言うのは……」
「アロセスも抜け穴使うたら良かったんやけどんねぇ」
 ルシオラはその言葉を聞いて疑問符を浮かべるが、なんて事はない。神族に抜け穴が存在するように、魔族の方にも抜け穴は存在しているのだ。
 それは、自分の意思ではなく人間の意志で力を振るう事。そう、契約である。
 直接魔界から人間界に行くのではなく、魔法陣によって人間界に召喚され、契約によって人間の命に従わなければならない場合、その命令によって神族と戦う事になっても、それが罪に問われる事はないのだ。何故ならそれは人間の意志により振るわれる力なのだから。
 もっとも、こちらは天使とは異なり、何かと契約した人間を出し抜こうとしたりもする。これは魔族ならではの考え方であろう。
 アロセスの場合、半魔族である横島は無理にしても、人間のアンと契約を交わし、アンの命令で殉教者と戦う事が出来た。
 しかし、彼があえてそうはしなかった。
「アロセスがやったら一秒も掛からんし、横島忠夫に魔力の使い方教えたかったのかも知れへんな」
 実は、前回の魔王会議では横島の事が議題に上がっていたらしい。人間界にて魔族化した腕を使わずに過ごしている横島、しかし、いつまでも魔族化した腕の使い方が分からないのでは、いざ神族過激派に襲われた時に切り抜けられないのではないかと。
 その時は、人間界への長期潜伏が出来るエージェントを多く抱え、自らも人間界に詳しい≪情欲の豹≫シトリーが人間界に出向いて教える事になっていたのだが、別件で魔法界に潜伏していたアロセスが横島と出会い、そこで彼に魔族化した腕の使い方を教えたと言う訳だ。

「ま、自意識失おうと天使は天使。結果として、その天使が消えてもうたしね。やっぱ、デタント派が天使を消してもうたのは問題になるわ」
「そんな……」
 それを聞いてルシオラは愕然とした。≪炎の獅子≫アロセスとは会った事もないが、魔鈴から話を聞き、横島を助けてくれた人と言うイメージを抱いていたのだ。それが明日、ルシオラのはじめての魔王会議で処罰される事になる。それは彼女にはショックだった。
 しかし、逃げるわけにはいかない。魔王見習となり、デタント推進の道を歩み始めた以上、これは避けては通れない道なのである。



つづく




 言うまでもない事ですが、作中の≪ソロモン王と七十二柱の悪魔(精霊)≫の設定は『黒い手』シリーズ独自の設定です。
 あえて性格、外見、或いはその両方を伝承の解釈をちょっと曲げて書いております。
 ご了承ください。

 ちなみに、書いてる途中で≪炎の獅子≫アロセスが「抜け道を使って責任をアンに押し付けなかったのは彼の良心」みたいな方向に話が進んでいきかけましたが、あのラストでそれはないだろうと言う事で書き直していたりします。
 極悪人と言うわけでもないんでしょうけどね。

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