ぷちルシちゃん はじめての魔王会議 2
魔鈴がアンを連れて魔界に帰還した翌朝、ルシオラはゴモリーちゃんに連れられて魔界正規軍本部の前に立っていた。魔界の軍勢が集う場所なのだから、奇妙な岩が連なったおどろおどろしい魔城をイメージしていたのだが、意外にも目の前にそびえ立って居るのは近代的なオフィスビルである。考えてみれば、魔界の軍事技術は天界のそれよりも進んでいるのだ。ルシオラのイメージはもう古いのかも知れない。
「ルシオラちゃん、ふるえとるえ?」
「風が冷たかったんですよっ!」
ゴモリーちゃんの指摘通り、ルシオラは肩や足が震えていたが、決して武者震いをしているわけでもなければ、怖いわけでもない。
今朝、城を出る際に、ルシオラが魔界正規軍本部は遠いのにどうやって行くのかと聞いたところ、ゴモリーちゃんは例のラクダに乗っていくと言い出した。それを聞いたルシオラ達はそんな悠長にラクダに乗ってカッポカッポと行って間に合うのかと怪訝そうな表情をしたのだが、この時点で彼女達は魔王級と言うものを甘く見ていたと言わざるを得まい。
ラクダに乗り込んだルシオラは暢気そうにあくびをするラクダの顔を見て、遅刻するのではないのだろうかと眉を顰めたが、次の瞬間、景色が猛スピードで前から後ろへと流れて行った。なんと、ラクダが文字通り空を駆けたのだ。
ゴモリーちゃんと一緒にラクダに乗り込む際、何故かヌルが一人だけ「ご愁傷様」と言いたげな表情をしていたが、今なら理解出来る。彼はルシオラ達よりも魔王級と言うものを、もう少し正確に理解していたのだろう。
そのスピードたるや凄まじく、頬に触れる風が身を切るような冷たさになるほどだった。ほんの十数秒で本部まで到着したが、ルシオラが寒さに震えてしまうのも無理もない話である。
「ほな中入ろか。中はあったかいから」
「そ、そうですね〜……って、手繋がないとダメですか?」
「ベスパちゃんと違て、ルシオラちゃんはここ初めてやろ?」
ルシオラが首を傾げて問うと、ゴモリーちゃんも同じ方向に首を傾げて答えてくれる。
確かにその通りなのだが、問題は二人の格好だ。ルシオラがランドセルを背負わされて小学校の新入生のようになっているのは昨日準備した通りなのだが、今はゴモリーちゃんの方も、どこから調達したのかは分からないが、着物姿。気分は「入学式」に子供を連れて来た母親である。
「この子、厩舎の方に連れてったって、お願い出来る?」
「ハッ! お任せください、≪悪霊姫≫様!」
ラクダは入り口に居た守衛に預けられ、厩舎へと連れて行かれる。きっとあのラクダはおとなしい性格をしているが、あの守衛よりも強いのだろうなと思いつつ、諦めの境地に至ったルシオラは、溜め息を一つついてゴモリーちゃんに手を引かれて本部の中へと入って行った。
中に入ると魔界正規軍の面々がチラチラと彼女達を見ている。「小さな新人魔王」、「ゴモリーちゃんが連れて来た子供」、どちらとして見られているかはルシオラには分からないが、かなり目立ってしまっている。しかし、声を掛けてくる者は一人としていない。何ともいたたまれない空気である。
「あ〜ら、珍しいの着てるじゃない。『ニホン』の『キモノ』だったかしら?」
そんな空気をものともせず、ハスキーな声がゴモリーちゃんを呼び止めた。
ルシオラが、声がした方に顔を向けると、そこには一人の獣人が立っていた。豹頭の獣人だ。ゴモリーちゃんも振り返り、その顔を確認すると、知り合いだったようでぱあっと顔を輝かせる。
「あ、シトリー。珍しいなぁ、時間ギリギリに来るシトリーがこんな時間に」
「珍しく早いのはお互い様じゃない。生憎とこっちは昨日から泊り込みよ。『聖祝宰』とこの連中が急に動き出してね」
「あら……」
気になる話題だったのか、ゴモリーちゃんはシトリーと何やら話し始めた。ルシオラはニ柱の話を聞いていても何が何やらさっぱり分からないが、魔王会議がどこで行われるかも分からないため先に一人で行く事も出来ずに手持ち無沙汰となってしまう。
一体、このシトリーと言う獣人は何者なのか。気になったルシオラは、ゴモリーちゃんの後ろからおずおずと顔を覗かせるようにして前に立つ豹頭の獣人を見上げた。
ゴモリーちゃんよりもかなり背が高いようだ。ゴモリーちゃんも割と小柄であるが、シトリーの方も女性の割には、いや男性と並べても長身である。
「ん?」
そこでルシオラは気付いた。その口調から女性だとばかり思っていたシトリーが、実は女性ではなく男性、いや、オカマであると言う事を。
スラッとした立ち姿で、ウエストも細く、それでいて腰もしっかりしており、胸板も厚い。ボディラインが見えるピッチリとしたレザースーツを着ているあたり、スタイルには相当の自身を持っているのだろう。性別を抜きにして見ても、何ともキレイな立ち姿である。豹頭の切れ長の目もセクシーだ。
彼こそが≪情欲の豹≫シトリー、ソロモン先生の七十二柱の教え子の一柱にして、ワルキューレや勘九郎が所属する魔界正規軍第二軍特殊部隊の隊長でもある。この部隊は、人間界に長期潜伏して活動するエージェントが所属する部隊だけあって、人間界の方に動きがあると、途端に忙しくなってしまう立場にある。
「ところで、その子は? 子供作ったって話は聞いてないけど」
「いやん、やっぱり仲良し親子に見える?」
シトリーがルシオラの視線に気付き、ゴモリーちゃんに話を振った。対するゴモリーちゃんは親子として見られて嬉しかったのか、思わずルシオラを抱き上げて頬擦りを始める。
「どっちかと言うと迷惑してるように見えるわね、とりあえず離してあげなさい」
当然、力は加減してくれているのだが、それも完璧ではなく、苦しそうなルシオラを見かねてシトリーが助け船を出してくれた。
「お嬢ちゃん、大丈夫?」
「あ、ありがとうございます」
「……ああ、貴方が例のアシュの娘ね」
「え?」
ゴモリーちゃんが今日の魔王会議にルシオラを連れて来る事は、既に魔界正規軍で知れ渡っていたらしい。元々注目度が高かったと言うのもあるが、魔界正規軍に居た頃のベスパが、一般兵の間で知名度が高かった事も、それに拍車を掛けたようだ。
「そうなんよ〜、ルシオラちゃんはあんま似てなくてかわええやろ? もう一人、ベスパちゃんって子がおるんやけど、そっちはもぉ、アシュのヤツにそっくりでなぁ……」
「知ってるわよ。あの子はちょっと前までこの本部に居たんだから。……まぁ、確かに、ベスパの方がアシュに似てるわね。私も一緒にウェイトレスやった時の事思い出したわ」
ニ柱の話を聞いてルシオラは呆れ顔である。
かつて、ゴモリーちゃんが、アシュタロスにウェイトレスをやらせた事があると言う話は聞いていたが、どうやらそれは一人だけではなく、目の前の豹頭のオカマも一緒にやっていたらしい。彼の方は喜々としてやっていたのが容易に想像出来てしまう。
ちなみに、彼女達が言う「娘」と言うのには二つの意味がある。一つは父、母がいて、その間に生まれる子供と言う意味での「娘」、人間の親子関係と同じような意味だ。『サっちゃん』とゴモリーちゃんがこれにあたる。もう一つはアシュタロスがルシオラ達三姉妹を生み出したように上位魔族が自分の配下として生み出した魔族を指している。ルシオラはアシュタロスの魔力により生み出され、それを受け継いでいるため「娘」と呼ばれているが、厳密には親子関係にあるとは言い難いのである。当然、ゴモリーちゃん達もそれは承知している。ルシオラの場合は、アシュタロスの跡を継ぎ、魔王見習いになったからこそアシュタロスの後継者として、「アシュタロスの娘」と呼ばれているのだ。
「早いとこ部屋の方に行きましょ。今回は皆この子に会うのを楽しみにしてるだろうし、いつもより早く来るヤツも多いわよ、きっと」
「仕事の方はええの?」
「皆人間界の方に派遣して、報告待ちの状態だから構わないわ」
ルシオラの頭上でそんな会話を交わしながら一行は魔王会議が行われる部屋へと向かって行く。ルシオラとしては人間界で何があったのか気になったが、シトリーが「仕事の話は御免」と言いたげな雰囲気を醸し出していたので、黙ってニ柱について行く事にした。
「さぁ、この部屋よ」
「ここ……ですか?」
その部屋に一歩足を踏み入れたルシオラは絶句した。
木製の床が敷き詰められた部屋の奥に一段高い段がある。そこに会議の進行役が立つ事になるのだろう。少し大きめの机が置かれている。そして綺麗に整列して並ぶパイプ机にパイプ椅子―――
「ホントに学校っ!?」
―――魔王級が集う会議が行われる部屋、どんな歴史がある荘厳な部屋が待ち構えているかと思いきや、なんとルシオラを待ち構えていたのは、本当に人間界の学校からそのまま持ってきたかのような教室だったのだ。しかも、小学校の。ご丁寧に教壇がある壁には黒板もある。
ルシオラの中にある横島の霊力の影響か、学校に通った事のないルシオラもこの教室の雰囲気にどこか懐かしさを感じていた。
「ウチらの学び舎でもあるんよ、ここは」
ゴモリーちゃん達七十二柱の大悪魔達は、皆この教室で≪ソロモン先生≫の教えを受けたそうだ。魔王正規軍本部の中に教室があるのではなく、この教室があった場所に本部が建てられたらしい。ルシオラが感じる懐かしさは横島の霊力のせいだけではなく、アシュタロスの魔力も影響しているのかも知れない。
「おやおや、ヌシらがワシより早いとは、珍しい事もあるものじゃの」
背後から聞こえてきた声に振り返ると、そこには老紳士と若い男性のニ柱が立っていた。何者かは分からないが、ゴモリーちゃんとシトリーを「ヌシら」と呼べるのだから、こちらも魔王級であろう。
「アガレスのじーさんは相変わらず早いわね」
老紳士の名は≪突き崩す者≫アガレス。老紳士の姿をしており、見た目には≪ソロモン先生≫と同年代のように見える。七十二柱の大悪魔は、あくまで≪ソロモン先生≫に賛同した者達であり、同年代が集められた訳ではないので、実際にゴモリーちゃん達とは年齢が離れているのかも知れない。
傍目には温和そうな老人だが、彼はその名の通り、権威を崩壊させ、また大地を打ち砕く力を持つ魔王級だ。また、全ての言語を使いこなし、それに謎と嘘を織り交ぜる≪空言の王≫とも謳われる心理戦に長けた策士でもある。
「そちらの子がアシュタロスの……?」
「そうや、ヴァサーゴ。かわええやろ」
老紳士の後ろに立っていた若い男性がルシオラの方に顔を向けてくる。しかし、何故かその両目は閉ざされたままだった。
彼の名は≪水晶眼の貴公子≫ヴァサーゴ。貴公子と謳われるだけあって、絶世の美貌を誇る。
過去、現在、未来の全てを見通す力を持っている――と書くと≪過去と未来を見通す者≫アシュタロスと同じような力と思われるかも知れないが、アシュタロスが知の力を持って予測するのに対し、ヴァサーゴは文字通りその目を以って見通す事が出来る。今は閉じられている両の瞼の向こうには水晶球の瞳があり、それが過去、現在、未来を見通す力を持っているのだ。
「……なるほど、似た雰囲気を感じますね」
その代わり、彼は普通に物を見る目を持っていない。そのため彼は周囲の気配を探る事で状況を把握している。
その柔和な表情そのままの穏健派の魔王であり、七十二柱の大悪魔の中では物静かな知性派として知られていて、同じく知性派であったアシュタロスとは特に仲が良かったそうだ。どこか懐かしそうに、それでいて痛ましい表情でヴァサーゴはルシオラの頭を撫でている。
知っての通り、アシュタロスは魔であり続ける事に耐えられずに神魔に反逆し、そして滅びた。
実は、ヴァサーゴはこの学び舎で学んでいた頃に、永久に茶番劇の悪役であり続ける事を嘆く彼の話を聞いた事があるのだ。きっと無理だったのだろうが、自分に止める事が出来なかったのかと言う後悔もある。彼等は≪ソロモン先生≫の下で色々な事を学んだが、中でもアシュタロスは貪欲に知識を吸収し、結果として世の真理に近付き過ぎたのだろうとヴァサーゴは考えている。
一方、ルシオラはどこか不安気な表情でヴァサーゴの事を見上げていた。穏やかに見えて過激なゴモリーちゃん達と違い、ヴァサーゴはアシュタロス以上に『魔』に向いていないように感じたのだ。彼もいつかアシュタロスと同じように魔である事に耐え切れなくなるのではないかと。
「大丈夫ですよ、私は」
そんなルシオラの気持ちを見透かすようにヴァサーゴは笑みを浮かべる。その表情はどこまでも優しげだ。
「貴女を見ていると娘を思い出しますね」
「お子さんがいらっしゃるんですか?」
「ええ、可愛い娘ですよ」
アシュタロスとヴァサーゴの大きな違いは、ヴァサーゴには妻も娘も居ると言う事だ。ルシオラよりもずっと大きい娘がいるらしく、彼自身見た目は若いが、その精神は父親のそれである。そのため、魔の存在がどうこうと考えるよりも、娘のためにもデタントを推進しなければならないと言う考えに至っているのだ。
「そうなんよ、ええ年こいて≪貴公子≫なんやから、笑えるやろ?」
「……人がそう呼んでいるだけですよ。自ら名乗っているわけじゃありません」
にも関わらず外見は若いままの美しさを保っているため、いまだに≪貴公子≫と呼ばれている。そのため、仲間内ではそれがからかいの対象になっているようだ。
実際、『サっちゃん』を初めとする『二つ名』と言うものは、名前で呼ぶのは恐れ多い者を呼ぶ時、或いは、敵対関係にある等の理由でさほど親しくはない相手で、それなりに地位を持つ者に対し使われるものなので、自分や周囲の親しい者達が使うものではない。ゴモリーちゃんは出会った当初からルシオラに「ゴモリーちゃん」と呼ぶように言ったが、これは彼女がルシオラの事を仲間として受け入れようとしていたと言う証でもある。
「ほんにめんこいのう、孫を思い出すわい」
アガレスの方もルシオラに近付いてきて彼女を抱き上げた。
「ベスパの方はアシュタロスによう似ておったが、こっちはあんまり似とらんのぅ。ええ事じゃ、ええ事じゃ」
「そうですか? お義父さん。私には、むしろベスパの方が似ていないように感じられるのですが」
おそらく、アガレスは外見を、ヴァサーゴは内面を見ているのだろう。確かに外見はベスパの方がアシュタロスの面影を残している。しかし、内面に関してはその限りではない。アシュタロスは永久に茶番劇であり続けなければならない現状を打破するため、ルシオラは横島と添い遂げるために、とそれぞれ動機は異なるが、現状と言う名の鳥籠から飛び出して行こうとした性格は、ルシオラの方がアシュタロスのそれをより強く受け継いでいるといえるだろう。逆に徹頭徹尾アシュタロスの配下としてアシュタロスに尽くしたベスパは、現状を守ろうとする保守的な性格であると言える。
「……お義父さん?」
「ああ、ヴァサーゴの奥さんって、アガレスの娘なのよ」
ルシオラの疑問にさらりとした口調で答えるシトリー。つまり、アガレスとヴァサーゴは義理の親子と言うわけだ。アガレスの言う「孫」とヴァサーゴの言う「娘」は同一魔族を指している。
彼等がこの学び舎で学んでいた頃には既にアガレスには娘がおり、その娘が在学中のヴァサーゴを見初めたそうだ。
当時親馬鹿であったアガレスは猛反対したのだが、娘の方も引かず、結局はアガレスとヴァサーゴの直接対決で決着を付ける事になってしまった。この時の戦いは今でも魔界中で語り草となっている。
結局、その戦いは引き分けに終わったが、結果としてアガレスは娘の結婚を許す事となりヴァサーゴは学生結婚する事になった。
それからしばらくアガレスは沈み込んでいたが、ヴァサーゴ夫婦の間に娘が生まれると、今度は見事なまでの爺馬鹿に華麗なる転身を遂げる事になる。
「……うぅ」
「って、おじーちゃんどうしたの!?」
この時、急にアガレスが涙ぐんだ。ルシオラがどうしたのかと問い掛けるがそれには答えず、ルシオラをシトリーに預けると、彼はその場で泣き崩れてしまった。
「なんであの子は戻ってこんのじゃあぁぁぁーっ!!」
「え? え?」
「あ〜……あのね、アガレスの孫、つまりヴァサーゴとこの子って、数年前に家出したまま戻ってきてないのよ」
なんと、ヴァサーゴの娘は現在消息不明になっているらしい。
力の大半を城に残しており、それに揺らぎがないため何事もなく無事である事は分かっているのだが、その行方については全く分かっていないそうだ。人間界の文化に興味を持っていたので、人間界に行ったのではないかと言われている。場所が場所だけにシトリーは娘の捜索を頼まれており、この辺りの事情には詳しかった。
「お前じゃ! お前が悪い! お前がちゃんとあの子を躾ておらんから!!」
「何を言うのですかお父さん! 躾がなっていないとでも? あの子は良い子です!」
「そんな事はワシも分かっとるッ!!」
「それより、お義父さんは失せ物を見つけ出し、去った者を連れ戻す能力があるのでしょう? それであの子を探して連れ戻してください!」
「可愛い孫娘の意思を無視して、力尽くなんて真似が出来るかあぁぁぁぁッ!!」
そのまま二人は取っ組み合いのケンカに突入してしまった。
温和そうに見えるアガレスも、やはり魔王である。ヴァサーゴの方も、見事なまでに貴公子のイメージが崩壊していた。
「ルシオラちゃん、放っといてええよ」
「二人のケンカはいつもの事よ」
ルシオラはどうするべきかとおろおろしているが、ゴモリーちゃんとシトリーは慣れているのか慌てた様子を見せない。言われるままにニ柱を放って席に就いて待っていると、魔界正規軍の大総統である≪激怒の魔神≫アスモダイをはじめとして続々と魔王級が姿を現したが、誰一柱としてアガレスとヴァサーゴのケンカを止めようとはしなかった。本当に「いつもの光景」のようだ。
皆一様にルシオラの周りにやってきてはアシュタロスを懐かしみ、ルシオラを可愛がり、頭を撫でたりしていく。かなりサイズが違う者、そもそも人型ではない者等、色々いるが、皆ルシオラに対して好意的であった。
中には今回議題に上がるであろう≪炎の獅子≫アロセスの姿もあった。ルシオラにとってアロセスは横島を助けてくれた恩人であるだけに、それが原因で処罰されるかも知れないと考えると心中複雑である。
その時、アロセスにシトリーが声を掛けた。シトリーの方はどこか怒った様子だ。
「ちょっとアロセス、あんた横島忠夫に魔力の使い方教えたそうじゃない」
「ほんの少し、実戦を経験させただけでござるよ」
「あんたねぇ、人間界での活動はあたしの担当でしょ? そもそも、横島忠夫に魔力の使い方教えるのも私の部隊の任務なんだから、勝手な事しないでよ」
「そうは言っても、魔法界での話でござるからなぁ……」
実は、魔界正規軍では横島に魔力の使い方を覚えさせる計画が以前から持ち上がっていたのだ。その計画はシトリー率いる第二軍特殊部隊の手で遂行されるはずだった。
しかし、当の横島が仕事で魔法界に赴き、そこでアロセスと遭遇し、しかも、神族過激派の使いである『殉教者部隊』が攻めてきたと言う三つの偶然が重なり、結果としてアロセスが横島に魔力の使い方を実戦で学ばせる事になったと言うわけだ。シトリーはこの事について怒っている。
「あたしが手取り足取り腰取り、愛の個人レッスンをしてあげるはずだったのにーっ!!」
「………」
シトリーの言葉に、ルシオラは絶句して二の句が次げなかった。
アロセスは命だけでなく、別の意味でも横島の恩人だったようだ。これは感謝してもし切れない。
「何をしている! 魔王会議を始めるぞ!」
ルシオラがアロセスにお礼を言おうとした時、『ルー坊』こと≪光を避ける者≫ルキフゲ・ロフォカレが教室に入ってきた。彼は魔界正規軍情報部の長官であり、この魔王会議の進行役でもある。
アガレスとヴァサーゴも、流石に『ルー坊』が来てしまってはケンカを続ける事は出来ずに、おとなしく席に就いた。
「せんせー、クロセル君がまだ来てませーん!」
「誰が先生か。クロセルは……もう近くまで来ているようだな」
『ルー坊』がチラリと視線を窓の方にやり、ルシオラも釣られて窓の外へと視線を向けた。すると遠くの空に大きな何かが浮かんでおり、その辺りで雷鳴が轟いている。
「あれは……?」
「ああ、クロセルやな。あいつが遅れるのはいつもの事や」
ルシオラが疑問を口にすると、隣の席に座っていたゴモリーちゃんが、あれは≪荒天の有翼虎≫クロセルであると教えてくれた。
「あの大きな影がクロセルさん?」
「ちゃうちゃう、あれはクロセルの竜や」
ゴモリーちゃんの話によると、クロセルは人間界で言うカバのような姿をした巨大な竜を駆る竜騎士なのだそうだ。神魔族が直接矛を交えて争っていた頃は、真の≪蝿の王≫と共に天使軍団と死闘を繰り広げていた空軍のエースで、デタント派きっての武闘派魔王らしい。
今、クロセルはあの大きな竜の背の上にいる。
「あんなとこで何やってるんですか?」
「反デタントの過激派に襲撃されとるんやろなぁ」
「えぇっ!?」
ルシオラはその言葉を聞いて神族過激派がついに魔界まで攻めてきたのかと考えたが、そうではない。過激派は過激派でも、魔界の魔族過激派の方だ。
知っての通り、反デタント魔族過激派のトップは真の≪蝿の王≫ベルゼブルである。≪荒天の有翼虎≫クロセルは、かつてはその真の≪蝿の王≫と肩を並べて戦った仲なのだ。
魔界がデタント派と反デタント派に二分した時、当然クロセルは反デタント派側につくと思われていたのだが、同時にクロセルは≪ソロモン先生≫の教え子でもある。かつての同僚と、七十二柱の仲間達、どちらかを選び、どちらかを捨てなければならないと言う選択を突きつけられた時、クロセルは仲間を選びデタント派についた。
そのため、反デタント派の中には、今でもクロセルを裏切り者だと考えている者が少なからず存在している。
「それじゃ、あれは……」
「魔王級が単独行動しとるわけやから、これ以上とない襲撃のチャンスやな」
教室の面々は窓に鈴なりとなってその戦いを見物していた。しかし、誰一柱として助けに行こうとはしない。
これもまた、魔王会議では恒例の出来事の一つなのだ。一度、魔界正規軍内でクロセルに護衛を付けるべきではないかと話し合われた事があるのだが、そんな事をすれば襲撃そのものがなくなってしまう。フラストレーションを溜め込ませて暴発を招くより、こういう時に散発的に発散させておくべきだと言う主張が通り、その案は却下されてしまった。
「ヒドイ! 一体、誰がそんな事を!?」
「クロセルや」
「えぇっ!?」
言うなれば、仲間を囮にする考え方である。ルシオラは抗議の声を上げるが、その主張が他ならぬクロセル自身のものであると聞き、抗議の声は驚きの声へと変わってしまった。
「な、な、なんでまた?」
「まぁ、反デタント派を裏切った事は確かやしなぁ……後ろめたいとこあったんとちゃう?」
つまり、デタント派と反デタント派が直接ぶつかる事を避けるためにあえて自分が囮になって襲撃される事こそが、真の≪蝿の王≫を裏切る事となった自分への罰だとクロセルは考えているのだ。
実はクロセルが毎回遅れてくるのも、自分一柱だけが襲撃されるように仕向けているためである。
「大丈夫、なんですか……?」
「大丈夫やろ。元々クロセルは単騎で軍勢を相手にする方が得意なんや。天使軍団と戦ってた頃は『空中要塞』て恐れられてたんよ」
ゴモリーちゃん曰く、クロセルは水を操る力を持っているらしい。空の向こうの竜の周辺では雷鳴が轟いているが、あれはクロセルが嵐を起こしているそうだ。今頃は雲から氷の刃を降らせて襲撃者をまとめて斬り刻んでいるだろう。
「あの様子じゃ、あと十分ほどでこっちに着くやろ。ルシオラちゃん、ちょっと窓から離れとき。多分、窓から直接乗り込んでくるから」
「は、はい」
ルシオラは窓から離れて席に着いた。ゴモリーちゃんの言葉通り、それから十分程すると、襲撃者を全て片付けたクロセルの乗る竜が本部まで飛んできた。
近くでみると、竜の巨大さが改めてよく分かる。その姿は確かにカバに似ている。しかし、その体表は白銀の鱗で覆われていた。この竜は元々氷河に生息する氷竜の一種らしい。毛皮を持たないため、寒さから身を守るために脂肪を蓄積するようになり、どんどん巨大化していった種類なのだそうだ。
その名の通り氷のブレスを吐く事が出来るため、クロセルの力との相性が良く、彼もこの巨大なカバドラゴンを好んで乗騎にしている。
「あれが、≪荒天の有翼虎≫……」
竜の背に立つ小さな影が見える。竜が巨大過ぎるためにその大きさはよく分からないが、シルエットからはその名の通り大きな翼を持っている事が分かった。ルシオラは翼を持った虎の魔獣ではないかと思っていたが、二本足で歩いてこちらに向かってきている。シトリーのような獣人なのかも知れない。
「いや〜、今日の襲撃はしつこかったニャ」
「……にゃ?」
しかし、ルシオラの予想はことごとく外れていた。
窓から飛び込んで来たのは、虎どころかルシオラよりも小さなネコだったのだ。確かに二本足で歩いているが、これは獣人ですらない。でっぷりと太った貫禄のあるネコである。
ルシオラも包み込めそうな大きな白い翼を持っており、その姿はまさしく猫天使。魔界に居るのだから堕天使なのだろうが。
「せめて虎縞ーっ!」
「ど、どうかしたかニャ?」
「なんか、夢が壊されたって感じね」
せめて虎縞のネコだったら諦めがついたかも知れないが、残念ながらクロセルは三毛猫であった。オスの三毛は希少価値が高いが、今のルシオラの慰めにはならない。
「有翼虎」、虎に翼と言う言葉は、本来強者がより強くなると言う意味である。これは水を操るクロセルが、氷のブレスを吐く竜の背に乗り、雲に近い空を戦場とする事で、手がつけられなくなる事を指しているのだ。実際に翼が生えた虎を指しているわけではない。あくまでもたまたまクロセルが猫の姿をしており、翼を持っていただけの事である。とは言えそのあたりの事情を知らないルシオラが勘違いするのも無理は無い話であろう。
「よし、クロセルも来た事だし、会議を始めるぞ」
『ルー坊』が教壇の上のスイッチを押すと、黒板の右側に天井からモニターが降りてきた。そのモニターにはシルエットになっていてはっきりとその姿を見る事が出来ないが『サっちゃん』が映っている。
流石に『サっちゃん』はここに来る事はなく、モニターを通して会議に参加するようだ。
「ほな、第何回か忘れたけど魔王会議始めよか〜」
何とも気の抜けた挨拶で魔王会議が始まった。『サっちゃん』のゆるい雰囲気とは裏腹にルシオラは緊張した面持ちである。
実際、他の魔王達も厳かな雰囲気とは程遠いのだが、この会議がデタント派の未来を決めると言っても過言ではないのだ。ルシオラは真剣な表情で唇を真一文字に結んで前を見据えた。
「ああ〜、ルシオラちゃん。真剣な表情もかわええなぁ〜」
隣でゴモリーちゃんの顔がにやけているように見えるのは、きっと気のせいだろう。
パシャパシャとシャッターを切る音が聞こえるのも、きっと幻聴である。多分。
つづく
言うまでもない事ですが、作中の≪ソロモン王と七十二柱の悪魔(精霊)≫の設定は『黒い手』シリーズ独自の設定です。
あえて性格、外見、或いはその両方を伝承の解釈をちょっと曲げて書いております。
また、魔界正規軍、及び魔界正規軍本部に関する設定は『黒い手』シリーズ独自のものです。
それと、神族過激派についですが、実際に伝承に存在する天使の名前を使うわけにはいかないため、今回名前だけ出ている『聖祝宰』は、別の所から名前だけをお借りしています。
ご了承ください。
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