「ところで横島…」
表情を真剣なものに変えてここに来た本題に入る真名。
アスナの神通棍の近くに人影が見えたと告げると、彼は何も言わずに自分の足元の芝生を指差した。
一見、何もないように見える。
しかし、真名の魔眼はそこにいる存在を見逃さなかった。
「…いるな、確かに」
「龍宮さん、分かるんですか!?」
真名の正体を知らないネギが驚きの声を上げる。
カモも感嘆の声を上げて目を光らせているが、こちらは「良い仮契約者候補を見つけた」とでも考えているのだろう。
「真名も幽霊が見えるアルか?」
「巫女だからな。…だが、私の目を以ってしても、相当集中しなければ見えない」
「あー、近眼の人がよくやってるねー」
やはり真名の目でもさよの姿をかろうじて捉えるのがやっとらしい。
目を細めてさよがいる芝生を睨むように見る真名。元より凛々しい顔立ちのせいか、怖い顔になってしまいさよは怯えて横島の足にしがみついている。
そんな真名の顔を見て裕奈は苦笑しているが、傍から見ている横島はどこか懐かしいやりとりに苦笑を禁じえない。
『あ、貴方はいつも私の隣に座ってる人ですね』
「君と席隣同士なんだって」
「…あの空いてる席、そういう事だったのか」
和美の顔を見て嬉しそうな笑顔を見せるさよ。
それを横島が告げると元より自分の隣がずっと空席で『座らずの席』だった事には疑問を抱いていたらしく、和美はむしろ納得した様子だった。幽霊を恐れる様子を見せない辺りは流石としか言いようがない。
一方、横島達から少し離れたところでは真名達が顔を寄せ合って密談していた。魔法使いの事情を知らない和美に話を聞かれないために小声で話している。
「で、エヴァは見えるんだな?」
「…そりゃ真祖だからな。霊的な存在に対してなら貴様らより優れた目を持っているぞ」
つまり、見えていると言う事だ。隠してもすぐに分かる事なのでエヴァは素直に答えた。
今までずっと教室にいたが誰にも気付いてもらえなかったと言うさよの事情を聞き、まき絵は既に涙目だ。しかし、黙っていたエヴァを責める事はできない。と言うのも、今までエヴァは自分が吸血鬼であると言う正体を隠してきたのだ。さよについて言及する事は、自ら只者ではないと喧伝しているようなもの、できるわけがない。
「俺も神通棍光らせてくれなきゃ教室に行っても気付かんかっただろうなぁ」
「ああ、恐ろしく隠密性の高い霊体だ」
GSと自称巫女が揃って影の薄さを称賛するが、さよは喜べばいいのか泣けばいいのか微妙な表情をしている。
「このままだと、さよちゃんってずっと一人ぼっちなんですか?」
「麻帆良にだって探せば浮遊霊の寄り合いぐらいあるんだろうけど、ああいうのは年寄りが多いからなぁ」
「…そんなのあるんですか?」
「どこにでもあるもんだぞ。土地の守り神とかが中心になって村社会みたいなのができてな、新入りが入ったらまずそいつに挨拶に行ったりするんだ」
「ゆ、幽霊も世知辛いんやなー」
怪談話なのだろうが、妙に現実的なリアルさを持った話なので苦手な亜子も怖がると言うより呆れてしまっている。
そこにさよが行けば皆から孫のように可愛がられるかも知れないが、「友達」になれるかと言われると首を捻らざるを得ない。何よりここまで影の薄いさよが他の幽霊に気付いてもらえるかも微妙なところだ。
『ああ、幽霊さんの集まりならたまに見ますよ。世界樹の麓のちょうどこの辺りで集まってます』
「…いつもこの辺で寄り合い開いてるんだと」
「「「「!?」」」」
衝撃的な情報に一同は辺りを見回すが、当然幽霊の姿など見えるはずがない。
真名と横島が霊視し「周囲に幽霊はいない」と断言したことで皆は落ち着きを取り戻したが、時間は既に夕暮れ。このままここに留まり続ければ浮遊霊が集まってきてしまうかも知れない。
「そう言えば夕刊配達は?」
「今日は休みなんでまだまだいけます!」
「そうか、俺も修学旅行まで警備は休みなんだわ」
「それじゃ、この後も修行を続けて…っ!」
「…ここで続けたい?」
「………できれば場所を変えたいかなーって」
今日は夕刊配達がないので寮の門限を破ってでも修行に励もうと思っていたアスナだったが、ここが浮遊霊の集会所と聞くと流石に場所を変えたくなってくる。これには横島も同意見だ。
そうなると、一体どこに移動するかと言う話になるのだが…。
「横島さん、寮の方に来たら?」
「女子寮にか? そりゃ拙いだろ」
「ちゃんと理由があれば大丈夫だよ〜」
そう言って裕奈とまき絵が誘うが横島は良い顔をしない。
女子寮に行くのが嫌なのではなく、自分の理性に自信がないからだ。
日頃「中学生は守備範囲外」と自称している彼だが、杓子定規的に年齢で判断しているわけではない。あくまで相手の見た目で判断している。要するにスタイルの良さを見ているのだ。
聞けば、彼女達のクラスには真名や和美を越える『猛者』がいるとの事。
しかも場所は彼女達が日常生活を送る女子寮。もし、そんな『猛者』達の湯上りの姿でも拝もうものなら、脆いことで有名な横島の『理性』と言う名の防壁は、ものの見事に砕け散ってしまうだろう。
それが分かりきっているだけに、横島はわざわざ自分の評判を貶める気にはなれなかった。
「あーあ、皆喜ぶと思うんだけどなぁ」
「また今度な」
心の底から残念そうな表情を見せる裕奈。彼女の場合横島がどうこうと言うよりも、現在クラスで話題になってる渦中の人物を皆でオモチャにしたいと言う気持ちが強そうだ。
アキラも「皆のオモチャにされる」と忠告してくれたので横島は危険を回避してやんわりと断る。裕奈達は残念そうにしていたが、明日が休みなので彼女達のノリに身を任すとそのまま泊まっていけと言われそうだ。ここで欲望に負けるわけにはいかない。
「だからと言って男子寮に連れてくわけにもいかんし…」
顎に手をあてて考え込む横島の視線がある人物に注がれる。
それにつられて皆の視線もその一人に集まった。
「な、なんだ…?」
つつと近寄り、にこやかな、しかしどこか嘘臭い笑みでその一人の肩をがしっと掴む。
そうやって逃げられないようにして、相手の意向を確かめることもなく横島は一方的にこう宣言した。
「それじゃ今日はエヴァの家で合宿する事に決定ってことで」
「なんでだーーーっ!?」
エヴァの絶叫が響き渡るが、皆にこやかに拍手をして誰も聞く耳を持たない。
彼女をなだめようとしてある事を思いついたネギが横島に何かを耳打ちし、それを聞いた横島が今度はエヴァと茶々丸に耳打ちする。
「…む、そう言う理由ならば仕方あるまい」
「了解しました。歓迎します、横島さん、アスナさん」
話を聞くと一転して面白くなさそうな表情ではあるが渋々と了承するエヴァに歓迎の意を示す茶々丸。
こうしてなし崩し的にアスナの初の合宿が催される事となった。
他のメンバーは「また明日遊びに行くねー」と言ってそれぞれ寮に帰って行く。エヴァはてっきりまき絵達も押しかけてくるかと思っていたのだが、どうやらネギが手を回してくれたらしい。
「それじゃ、泊まる準備整えてから集合って事で」
「ハイ、わかりました!」
満面の笑顔のアスナ。何とも元気の良い返事だ。
泊り掛けで修行できるのがよほど嬉しいらしい。
「ところで、そこの幽霊はどうするんだ?」
「それについては考えてる事があるんだ。エヴァ、とりあえずお前の家に連れて行っててくれ」
「………まぁ、いいだろう。今更一人増えても変わらん」
『え? え?』
横島の頼みを彼が何を考えているのかに興味があるのかあっさりと承諾するエヴァ。「ほら、行くぞ」とさよを掴んで歩き出し、地縛霊のはずのさよはされるがままにずるずると引きずられて行く。元より神通棍に憑いて世界樹前広場まで来ただけあって麻帆良学園付近なら問題ないらしい。何ともアバウトな地縛霊だ。実はさよをとらえる地の力さえも彼女を見失っているのかも知れない。
「クックックッ…そう言えば、貴様の隠密性に何かしらの原因があるのなら、解明すれば私の呪いを解く足しになるかも知れんな」
『あ〜れ〜』
「マスター、お手柔らかに」
そして茶々丸も「それではお待ちしております」と一礼してからエヴァに続くのだが、幽霊一人を引きずりながら去る後姿はどこからともなく物哀しげなメロディが聞こえてきそうな雰囲気だった。
見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.14
横島とアスナがエヴァの家に訪れると、メイド服に着替えた茶々丸が出迎えてくれた。
合宿の話を聞いた時からどこかそわそわした様子だったが、どうやら彼女は「お客様を歓迎する」事に燃えているようだ。用意された夕食はとても豪勢で、エヴァも「奮発しおって…」と怒れば良いのか喜べば良いのか複雑な表情をしている。
表情を変えぬ彼女がここまで内なる炎を燃やす理由は、今までのエヴァの交友関係の狭さにある。エヴァは自宅に客を招いた事など十数年間ほとんどなかった。ところが今年に入ってネギと出会い、横島と出会い、そしてまき絵達と友人になってこの家に訪れる者が増え始める事となる。それが茶々丸にとって何よりも嬉しいのだ。
「しかし、これは…」
『私食べれないからよくわかりませんけど…スゴイですね、色んな意味で』
「な、何か至らぬところがございましたでしょうか?」
「とりあえず『手加減』って言葉を覚えような」
「『手加減』ですか?」
疑問符を浮かべて首を傾げる茶々丸。一方、エヴァとアスナは横島に同意してうんうんと頷いている。
嬉しいと言うのは無表情の茶々丸を見ていてもなんとなく分かるのだが、食欲旺盛な面々が揃って白旗を挙げるほどに山と盛られた料理はいかがなものだろうか。
「俺が言うのはなんだがお前の家のエンゲル係数は大丈夫なのか?」
「気にするな。払うのは学園長だ」
心配そうな横島の問いにしれっと答えるエヴァ。
元より呪いにより学園都市に閉じ込められ、学生である事を強いられた「だけ」の彼女が真面目に警備員を勤めているのは、そういう契約があっての事らしい。学園長も魔力を封じられてもなお強い彼女にはそれだけの価値があると判断しているのだろう。
「それはともかく横島、貴様の考えを聞かせてもらおうか」
「おっと、そうだったな」
食事を終えた後リビングに移った面々。食後のティーと共にデザートが出されたが、後者は丁重に脇にどけて横島とエヴァはさよをどうするかを話し始めた。
さよは期待を込めた眼差しで二人を見守り、これにはアスナも何も口を挟まない。自分の修行も大事だが、さよを助けたいのはアスナも同じなのだ。
「ところでチャチャゼロはどこだ?」
「ん?」
「この前、屋敷で業物のナイフをやってな。その代わりを貰える事になってるんだ」
「ほう…アイツが気に入るとはどれだけの命を奪った業物だ?」
「親父の土産で、武装ゲリラから分捕ったものらしいからなぁ、俺も詳しい事は知らん」
「………色々とつっこみたい事はあるが、よした方がよさそうだな」
「できれば聞いて欲しいなー、『魔法使い』の常識を踏まえたコメントを聞いてみたいんだが」
「戯言はジジイ相手にやっておけ、私は遠慮する」
そう言ってエヴァは横島を睨む。そんな話をしたいのではない。
誰にも見えぬさよを、如何にして見えるようにするか。横島忠夫はその難問を一体どうしようと言うのか。彼女の興味はそこにある。
エヴァはドンとテーブルを叩いて先を促した。
「さっさと本題に入れ、代わりのナイフを依り代にするわけではあるまい」
「んな物騒なもんはいかんだろ、流石に…」
ナイフに幽霊を憑依させると妖刀になるのかは興味があるが、さよを取り憑かせたところで大したものになるとは思えなかった。何よりそんな依り代を手に入れたところでさよは喜ばないだろう。
「ズバリ言うんだが、ナイフいらないからその代わりに用意してもらいたいものがある」
「何だ?」
この時点ではエヴァにもまだ余裕があった。
優雅な仕草でティーカップを手に取り、茶々丸の淹れた紅茶を一口含み―――
「チャチャゼロをもう一体作ってくれ」
―――その一言を聞いて盛大に噴き出した。
「な、な、な…」
「見えないなら見える身体を用意すりゃいいじゃん。この子は霊力弱そうだから茶々丸サイズは無理にしてもチャチャゼロサイズなら何とかなると思うんだわ」
「そりゃそうかも知れんが…」
言葉に詰まるエヴァ。確かに横島の言う通りだ。
チャチャゼロの身体はエヴァが作った人形だ。普通の人間が作ったものよりも幽霊のような存在とは相性が良いはず。そういう意味では横島の判断は正しい。
「チャチャゼロって?」
「マスターの最初の従者です。見ての通り普通の人形サイズですが、私の姉にあたります」
チャチャゼロと会った事のないアスナが茶々丸に聞くと、茶々丸はエヴァの寝室に置かれていたチャチャゼロを抱いて連れてきてくれた。今は動くことのできないチャチャゼロはされるがままだ。
「ヨオ、テメェガ横島ノ女カ。噂ハ聞イテルゼ」
「人形が喋ったーーー!?」
突然人形に話し掛けられてアスナは驚きの声を上げる。
「横島ノ女」とか一体どんな「噂」を聞いているのかなど、言わなければならない事はいくつもあるのだが、突然人形に話し掛けられたショックで何も出てこない。
そういう意味ではアスナはまだまだ一般人の域を抜け出せずにいた。
「貴様…私に丸投げする気か?」
話すアスナ達を横目に見ながら、エヴァの機嫌はだんだん悪くなっていた。
横島が何をやらかすかを楽しみにしていたのに、彼がやった事と言えば「ナイフが貰える権利を放棄しただけ」あとは全てエヴァにやらせようと言うのだ。期待はずれ極まりない。
「そんな怒るなよ。適材適所、俺には作れんし」
「チッ…」
そっぽを向きながら改めて考えてみるが、エヴァには横島のものより良い案は思い浮かばなかった。
仮に肉の身体が用意できたとしても、貧弱なさよの霊力では持て余してしまうのは明白である。
そして、人形作りに関して麻帆良学園都市にエヴァ以上の者は存在しない。
だがしかし、、横島の言いなりになって自分が動くと言うのが気に入らなかった。何より彼ごときの案を予測できなかったのが悔し過ぎる。
故に、エヴァは少し意地悪をする事にした。
「あれでもチャチャゼロは私の技術の粋を究めた人形だからな。ナイフ程度と引き換えにはできん」
「ならばどうしろと?」
「貴様らは最近忘れているようだが、私は悪い魔法使いだ。願いを叶えて欲しくば、それなりの代価を支払ってもらわんとなぁ…安くはないぞ、私の技術は」
「また血か? しょうがないな…」
「脱ぐな! そうじゃないっ!!」
いきなり横島が服を脱ぎだしたので怒鳴って止める。
一瞬ペースを乱されてしまったが、エヴァは気を取り直してソファに座ってふんぞり返ると足を組み、横島に対して要求を突きつけた。
「まずは私に跪いて足を舐めろ。貴様の態度次第では聞いてやらんこともないぞ?」
悪者全開のオーラを迸らせた笑みを浮かべるエヴァ。
「あ、あんた何言って!」
「アスナ、よすんだ!」
アスナが激昂して立ち上がるが、横島がそれを手で制止し、落ち着いた目でエヴァを見据える。
「フフフ…どうした?」
「………」
悠然とした笑みを崩さないエヴァに対して無言の横島。
そして次の瞬間、彼は予想外の、いや、ある意味予想通りの行動に出た。
「俺でよければ謹んでーーーッ!!」
「アホかァーーーッ!!」
勢いよくエヴァの組んだ素足に飛び掛かったのだ。
「このたわけ! ってコラ、ホントに舐めるな!」
「何やってるんですかー!」
「へぶぅっ!」
エヴァは突然の出来事にろくに反応ができなかったが、アスナの方がつっこみの魂を揺さぶられたのか、横島の背中に渾身の一撃を食らわせてエヴァを救出した。
「はっ、しまった!」
その一撃で横島は正気を取り戻す…が。
「あまりにもな女王様っぷりに、幼女だってのに身体が勝手にっ!」
「貴様にとっての問題はそこだけかーっ!」
正気であっても、実に横島であった。
閑話休題。
「…ま、まぁいい。さよの依り代は私が作ってやろう」
乱れた息を整えながら、ため息混じりに依り代の件を承諾するエヴァ。
「おお、俺の誠意が通じたんだな!」
「断じて違うっ!」
正直面倒なのだが、これ以上ごねていたら横島に何をされるか分からないので選択の余地はないと言ったところだろうか。的外れに納得している横島を怒鳴りつけると『リビングは好きに使え』と言い残し、これ以上付き合ってられんと茶々丸とさよを連れて物置になっている地下室へと降りて行った。
「それじゃ、修行の続きを!」
「今は人目がないからこっちを使おうか」
そう言って横島は大きなダンボール箱を出した。宿泊の準備を整えてこちらに来た際に担いで持って来た物だ。
アスナはてっきりさよの依り代に使う物だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。「開けてみ」と促されて蓋を開けてみるとそこには大量の紙束が乱雑に詰め込まれていた。
「これってまさか…」
「最近だとTVでも見るだろ、破魔札だよ」
それは横島が取り寄せていた『五円』の破魔札の束だった。厄珍に注文し、彼が一般には流通していないものを特別に取り寄せてくれていたのだが、それが今日届いたそうだ。
「こんなに…いいんですか?」
「…いや、百枚あっても五百円だから」
ダンボール一杯に詰め込まれた破魔札を見てアスナは嬉しそうな笑顔を見せるが、そんな表情を見ていると横島はむしろ心が痛かった。
一般に流通していないと言っても危険なものでも何でもなく、その理由はひとえに「役に立たない」ためだ。
こんなものを大量に一体どんな陰陽師が作ったのかと横島は疑問を抱いたが、調べたところで知っている阿呆に辿り着きそうな気がしたので深く追求はしていない。
「…でも、こんなにデカデカと『五円』って書いてたら有難味が薄れますよねー」
「分かりやすくていいじゃないか」
破魔札の構造は中身の『破魔』と書かれたお札と、それを包む値段の書かれた包み紙の二重構造となっている。
中身の『破魔』札こそが本体であり、包み紙の方は本体の力が使用するその時まで外に漏れないようにするためのものである。アスナはただの模様と思っているようだが、値段の下に書かれた文字や周囲を飾る装飾は雰囲気作りなどではなくれっきとした力を封じるための呪言なのだ。
古来より伝わる正式な使用方法としては、包み紙から中身を取り出し相手に投げつけると言うものなのだが、最近は包み紙から出さないままでも使用できるように改良されている。
遥か昔から伝統の技術として受け継がれているように見えて、破魔札が現在の形になるまでには数多の陰陽師の熱意と努力があったのだ。現在陰陽寮において旧家と呼ばれる家の中には、破魔札製作の技術改革において名を成したものも多い。
技術改革の中でも最たるものは、使用するまで力を漏らさず投げると力を解放すると言う包み紙の開発であろう。除霊の現場においては破魔札を包み紙から取り出す数秒が生死を分ける事もあり、この技術が完成したことにより九死に一生を得たGSは枚挙にいとまがない。
それはある陰陽師の一族が三代に渡って研究を続けて完成させた執念の賜物なのだが、その経緯はドキュメンタリーの二時間スペシャル番組が作れてしまいそうな波乱万丈の物語なので、詳しい事は割愛する。
「よくわかんないけどスゴイんですねー」
「そんな事より投げ方を覚えないとな」
何故なら、それを使うGSにとっては『便利で使いやすい』事だけが重要であって、そんなバックボーンはどうでも良い事だからだ。つくづく裏方とは光の当たらぬ役割である。
ちなみに、包み紙に値段を書くと言うのもここ数十年の間に始まった事らしい。
当時GSが一般的となったことにより破魔札の需要が激増したそうだ。
「陰陽寮に赴き、請うて破魔札を譲り受ける」と言う昔ながらの形式に重きを置いた流通方法では到底供給が間に合わなくなってしまったため、古き伝統を破って陰陽寮以外でも破魔札を大々的に流通させようとある商魂逞しい旧家が立ち上がって商売を始め、その際店頭に並べるために包み紙に値段を書いたのが始まりとの事。
この商魂逞しい旧家は破魔札の売買により莫大な財産を築いた後に陰陽寮からの独立を果たしている。
その後、古都京都を離れて首都東京に移り住み霊能力者養成機関を設立。現在もオカルト業界全体に大きな影響力を持っており、今やその力は古巣である陰陽寮すら凌いでいるとか。
しかも、それだけでは飽き足らず、育てた霊能力者達を業界の隅々まで行き渡らせる事でその影響力は今もなお拡大し続けているそうだ。
その一族の名は『六道家』と言い、養成機関の名は『六道女学院』だったりするのだが、これも横島やアスナには何ら関わりのない事であった。
「ま、細かい事は抜きにして練習をはじめようか」
「はい!」
「厄珍が練習用の破魔札もオマケでつけてくれたから、まずはこれで練習してみようか」
「…白紙?」
横島が取り出したのは『白札』と呼ばれる何も書かれていない白紙の破魔札のようなもの。霊力などはまったく込められていないがサイズ、重量は本物の破魔札と全く同じで、見習い等が破魔札を投げる練習をするためのものらしい。
陰陽寮の見習いや六道の生徒達も最初はこれで練習するぐらいに有り触れたもので、その値段は五枚セットで五百円。ただの紙なのに五円の破魔札より高級品だったりする。
「破魔札の使い方は基本的に二つ!」
「えーっと…直接叩きつけるか、投げつけるかですか?」
アスナもこれぐらいは知っていたようだ。
「直接叩きつける場合の注意点は?」
「えーっと…」
ただし、雑誌やTVからの知識なので、詳しい事は知らなかった。
この場合の注意点は呪言の書かれた方を相手に向けることである。基本的に破魔札の爆発は中身の札に描かれた魔法陣から飛び出すように発せられるものなので、もし裏返しで使ったら爆発は使用者の方に襲い掛かることとなるのだ。
実際に横島が五円破魔札を裏返してテーブルをぺしっと叩いてみせると、破魔札はポムとカンシャク玉のような湿気た破裂音を出した。その情けない音の割にははっきりと肉眼で確認できる光が発せられたので爆発が逆向きに起こった事がアスナの目でも確認できる。
「破魔札をホルダーに入れる際に向きを間違えて、それに気付かずに使った人がやるんだと」
こういう事故を業界用語で『逆札』と呼んでいて、この言葉は「間抜け」の代名詞としても使われているらしい。それだけこの事故を起こす者の数が少ないという事だ。
実際のところ、除霊現場で破魔札の向きを確認しながら使う人はほとんどいないそうだ。大抵のGSは身体で破魔札を投げるモーションを覚えていて、ホルダーに入れる向きを統一する事で事故を防いでいる。
「ちなみに破魔札の投げ方は色んな『型』があるんだけど、これはどこにホルダーを持っているかで変わるそうだ」
横島のオススメは文明開化以降、西洋のドレスが日本に入ってきてからできたとされている胸元を大胆に開いてそこをホルダーにする型だが、アスナがそれをやるには色々と足りないので口には出さない。
「ちなみに横島さんの型は?」
「いや、俺はサイキックソーサーがあるから普段は破魔札使わないんだよ」
先程アスナに教えた破魔札の使用方法や注意点も、実は五円破魔札を注文する際に厄珍から受けたレクチャーの内容そのままだったりする。
「えーっと、それじゃ横島さんの元上司の美神令子さんは?」
「大量の除霊具を全部まとめて助手の俺に持たせてた。ホルダーの位置で言うなら助手がホルダー代わりだ」
「………」
横島独立後の荷物持ちの役割は人狼族の少女、犬塚シロが受け継いでいるらしい。彼女は横島を慕い「せんせいの一番弟子」と名乗っているので、実はアスナの姉弟子にあたる。
シロは優秀な前衛でもあるので、最近の令子は除霊現場に着いてから手荷物を取捨選択し量を減らし、自らも破魔札ホルダーを身に着けてから現場に突入しているそうだ。
その名の通り正に『美の女神』を彷彿とさせる肢体を誇る令子ならば横島が期待する『胸元ホルダー』も可能なのだろうが、残念ながら彼女のホルダーはそこではない。
彼女はあくまで伝統にのっとり袖口、彼女の場合は左手の手首にホルダーを装着している。使用する際には手首に沿って滑らすように破魔札を取り出している。こうする事により破魔札を取り出し、投げる一連の動作が片手でできるようになるのだ。
この投法は奇しくもかつて美智恵が小学生の頃に襲い掛かってきた妖怪を破魔札で撃退した時のそれと同じだったりする。
令子は悪魔『チューブラー・ベル』によってGS生命を絶たれた祖父母や、若くして非業の死を遂げたとされていた母、美智恵のイメージを消すようにしてきたため新鋭のイメージが強いが、それなりに歴史を持った陰陽師の家系の出身で祖父母の代までは破魔札を用いる独自の除霊法を受け継いできた。
その『美神流除霊術』は美智恵が最新鋭の除霊具を駆使する除霊スタイルに走ってしまったため現在途絶えてしまっているが、その娘の令子が無意識の内にそのスタイルに辿り着いたのは、彼女の中に流れる血が成せる業と言うことなのかも知れない。
「う〜ん、破魔札一つにも色々あるんですねぇ」
「昔からある最も基本的な除霊具だからな」
アスナは練習用の白札で色んな投げ方を試している。
例えばもう一つの代表的な除霊具である神通棍、『精霊石震動子(せいれいせきクォーツ)』の誕生後に誕生したそれの歴史などせいぜい二、三十年といったところだ。
破魔札はその何十倍もの長い時間研究され続けてきたのだ。それだけに投げ方一つをとっても長い間研鑽され続けた投法が無数にあるのだ。陰陽師の旧家の中には『投法の宗家』なるものも存在し、美神家もその流れを汲んでいる家系である。
「ぶっちゃけ、そこまで投げ方に拘ってるって陰陽師ぐらいらしいけどな」
「そうなんですか?」
「GSにとってはいざとなったらばら撒いて乱れ撃ちするような消耗品だぞ。オカルトGメンなんかマシンガンに詰めてるぐらいだからな」
「あー、それ便利そう」
そう言ってアスナは練習の手を止めてソファに座り込む。横島の話の中でアスナが特に興味を引いたのは『破魔札マシンガン』のようだ。
実際に投げてみて分かったのだが、破魔札は物が紙だけに普通に投げても真っ直ぐに飛ばずに、空気の抵抗を受けてすぐにヒラヒラと落ちてしまう。マシンガンで撃ち出すなら投げる練習も必要ないと思ったのだろう。
「聞いた話だが、投げる前に自分の霊力を込めてビームみたいに撃ち出す投法もあるらしいぞ」
「そ、それは格好良いかも…」
そこまでくると投法と言うより破魔札に込められた霊力を利用した一種の術だ。
しかし、その話はアスナの興味を引いたらしく、彼女は再び破魔札を投げる練習を始めた。
「前に投げるって言うより斜め下に叩きつけるんだ」
「こう、ですか?」
「ボールじゃないからな。腕を真っ直ぐ突き出すような感じで」
「ハイ、横島さん!」
横島の言う通りに白札を投げ続けるアスナ。
実は破魔札にはほんの少し霊力を込める事で空力を調整する事ができる呪言が書かれており、霊力を全く使わずに飛ばすのは非常に困難な代物なのだ。その点自分の腕力しか頼れない今のアスナでは手近な所に叩きつけるのが限界だろう。
にも関わらず横島が彼女に破魔札の練習をさせているのには理由がある。
それはアスナが一日でも早く除霊現場に出たがっている事を知ったからだ。破魔札が使えるならば少なくとも自分の身を守る事ぐらいはできるようになるだろう。そしたら横島はアスナを除霊現場に連れて行こうと考えていた。
「修学旅行中、流石に俺が女子中学生に交じるわけにはいかんからなぁ」
そしてもう一つ。アスナ達が修学旅行で行く京都は木乃香を巡っての危険が予想される。
そのため、親心ならぬ師心として可愛い弟子に自衛手段の一つでも与えてやりたかったのだ。
「あ、そうそう。ホルダーなんだけどな、とりあえずフトモモに着けるタイプのを用意した」
「うわっ、女スパイみたいですねー」
『早撃ち』ならぬ『早投げ』ができるようになればホルダーの位置にも拘らなければならないのだが、今はただ持ち歩ければ良い。そのため横島は女性ならではの隠し場所であるスカートの中をホルダー位置として選んだ。
GSらしいものを身に着けられると、アスナはすぐさまその場でスカートをたくし上げてホルダーを装着しようとし、その堂々とした態度に思わず横島の方が照れて視線を逸らしてしまう。
「ね、念のために普通に使えるヤツもホルダーに入れといたぞ」
「いいんですか? 破魔札って高いんじゃ…」
「そう言う事は気にせずに、間違って裏向けて使わないようにだけ気をつけてくれ」
「は、はい…」
横島がアスナのホルダーに入れた破魔札は十万円札と二十万円札、計百万円分だった。アスナは札をホルダーから取り出してその金額を確認し立ち眩みを起こしている。
使う場所が京都であればそれは必要経費として計上できるのだが、かつては自分の安全と報酬を秤にかけて五十円札を使った男が成長したものだ。
「それでアスナの安全が買えるなら安い買い物っつー事で」
「ありがとうございます!」
「はっはっはっ、この俺に任せなさい!」
経費で落とす気満々のくせに胸を張る横島。
案外この男、親馬鹿ならぬ師匠馬鹿なのかも知れない。
「ところで、霊力を使う修行はもうしないんですか?」
「今は人目がないからな」
「?」
横島に霊力を注いでもらい霊力が体内を流れる感覚を感じ取る修行は、アスナにとってどこかくすぐったいと言うか身体が火照るような感覚で気持ち良くなってしまうため、彼女としては人目のないところでやりたいのだが、師匠の横島にとっては全く逆らしい。
人に見られたいと言うわけではなく、誰かに監視していてもらわないと危険なのだ。横島の理性が。
「あれだ、古菲かエヴァか茶々丸がいるとこでならやってもいいから」
選考基準はいざと言う時に横島をしばき倒せる者。実力だけなら豪徳寺もそうなのだが「男には見せてやらん」と言う事で、最初から除外している。
「や、約束ですよ?」
「…おう」
自分がどんな声を出しているか自覚はあるのだろう。しかし霊力を使えるようになりたいと言う気持ちには勝てないようだ。頬を染めながらもアスナは間近で横島の顔を見上げるようににっこりと微笑む。
それを見た横島が手近な柱にガンガンと頭をぶつけていると、地下室から駆け上がってきたエヴァが「人の家を壊すなっ!」と横島の後頭部に渾身の力を込めたスリッパの一撃を食らわせた。
「よ、横島さん!?」
「フッ…屋敷で文珠を使っちまったからな。補給するには丁度いい…」
アスナが慌てて駆け寄るが、横島は大きなたんこぶを作りながらもサムズアップをしながら倒れ伏す。彼の意識はそのまま彼岸へと旅立つが、いつもの事なので心配はいらない。明日の朝には戻ってくるだろう。
「フン、今夜はそのままおとなしく寝てろ!」
「エヴァちゃん、ちょっとやり過ぎなんじゃ?」
「安心しろ、馬鹿は風邪を引かん」
そう言ってエヴァは再び地下室へと戻って行く。
ゆすっても横島は起きそうにないのでアスナは彼に毛布を掛けてやり、自分は再び破魔札を投げる練習を始めた。
気付かぬうちにアスナの顔に笑みが浮かぶ。
GSとしてまた一歩前進できたのが余程嬉しかったのだろう。今の彼女は疲れを感じないぐらいにハイになっている。練習はしばらく終わりそうになかった。
そして、よほど良い夢を見ているのか、毛布を掛けられた横島はどこかにやけ顔をしている。
「…いい夢見てるのかしら?」
当然のことながらアスナの問いに答える者はいない。
ただ一つ言えることは、煩悩を霊力の源とする男はしばらく霊力に不自由しそうにないと言うことだ。
つづく
あとがき
破魔札について書く際に自分で紙を切って、折って、実際に破魔札のモデルを作ってみました。
ちょっと小さめのものでしたが…ホントに飛びません。
そのため、『黒い手』作中では破魔札は霊力を込めないと真っ直ぐ投げられないとしました。
その他にも破魔札に関する設定、そこから発展して六道家、美神家についても色々と書きましたが、全て『黒い手』シリーズ独自の設定ですのでご了承ください。
…ホントに、原作ではどうやって投げてたんでしょうね、アレ。
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