大浴場『涼風』での戦いを終えた後、アスナは現在寮に居る3年A組の生徒全てを部屋に集め、一方和美が中心となって残りのクラスメイトの所在を確認した。
まず、寮に残っているのはすらむぃと戦い、夕映が攫われるのを阻止したアスナ、古菲、風香、史伽、千雨。それに間一髪で難を逃れた亜子。そして、部屋に居た和美、桜子、さよの十名だ。
楓と真名の二人は、一度寮に帰って来ていたようだが、その後揃って出掛けてしまったらしい。アスナ達は知らない事だが、現在魔法先生達と共に麻帆良学園都市周辺の山中で大量発生している魔物の掃討に参加しているのだと思われる。
また、のどかも帰ってきていないが、彼女はネギと一緒だそうだ。それに、超を筆頭とする『超一味』こと葉加瀬聡美、四葉五月も戻ってきていないが、こちらは『超包子(チャオパオズ)』 の新商品を開発中のため、今日は寮に戻らない。ザジ・レイニーデイも彼女達と一緒に居るとの事。
そして、千鶴と夏美の二人は横島と一緒にエヴァの家に向かっているそうだ。何故二人が横島と一緒なのかアスナは疑問を抱き、詳しく話を聞こうとするが、夏美の話は要領を得ない。どうやらあちらでも何か事件が起きたようで、彼女も混乱しているようだ。
「大浴場で、まき絵に裕奈にアキラと――」
「ハルナもです」
「それに、美砂とくぎみーも捕まっちゃったんだよね」
「あと、ここに居た木乃香と刹那といいんちょアルな」
すらむぃ達には十名ものクラスメイト達が攫われてしまった。
彼女達はネギと何か関係があるらしいが、詳しい事はネギ当人から聞くまで分からない。今は一刻も早く彼女達を救出する算段をつけるべきであろう。
「ここでくよくよしててもしょうがないわ。私達もエヴァちゃんちに行って、横島さん達と合流しましょ!」
まずはアスナが拳を握り締めて立ち上がった。彼女の言う通り、アスナ達だけではこの状況に対処し切れないだろう。魔法使いの事情を知る和美達はその言葉に同意し、唯一事情を知らない千雨も、横島には修学旅行で助けられた経験があるため、今回も何とかしてくれるのではないかと言う淡い期待を込めて頷いた。
ちなみに、美空については史伽が思い出して電話で所在を確認したようだ。駅前の繁華街に居るが、用事が有って帰れないとの事。魔法生徒として街中の捜索に駆り出されたのだろう。しかし、その裏の事情を史伽は知らないため、そのまま額面通りに受け取ったようだ。ネギが魔法使いである事を知っている者は多いが、美空が魔法生徒である事を知る者はいないのだから当然であろう。
閑話休題。
そのままアスナ達一行が連れ立って玄関へと向かうと、そこでのどかに支えられるようにして力なく立つネギと鉢合わせになった。会えば事情を問い質そうとしていたアスナも、下手に声を掛けられない程に憔悴した様子である。
「ちょ、ちょっと、一体何があったのよ」
「それが…」
ネギが答えられないため、のどかが代わりに答えた。
彼女の話によると、ネギと因縁のある相手と言うのはヘルマンと言う男であり、その正体は魔族。木乃香達を攫ったすらむぃ達は、ヘルマンの命令で動いていたようだ。
「つまり、木乃香達は、そのヘルマンってジジイがネギと戦うため人質にしたって事!?」
「そう、言ってました…」
「許せないッ!」
「落ち着いてください、アスナさん」
ヘルマンに対する怒りを顕わにするアスナ。それを夕映が冷静に止めた。
のどかの話を考えるに、訳の分からない魔物に攫われたのならともかく、その是非は別にして知性のある者が、目的が有って攫ったと言う事だ。逆に考えれば、その目的が果たされるまで人質はある程度は安全だと考える事もできる。かと言って悠長にしている訳にはいかないのは確かだが、比較的希望の持てる状況だと夕映は考える。いや、失わずに済むと言うべきだろうか。
「ところで皆揃ってどうしたんですか?」
「え、ああ、私達は横島さんと合流するためにエヴァちゃん家に行くところなのよ」
「のどか達も一緒に行くです」
「ネギ先生、つらそうやな。ウチも手伝うわ」
のどか一人では大変だろうと、亜子もネギに肩を貸し、二人掛かりで彼を支える。
憔悴し切っていると言うのもあるが、ヘルマンに殴られたダメージが思いの外大きいようだ。カモが心配そうに見詰めているが、千雨が居るため声を掛ける事はできない。
「急いだ方が良さそうね」
「横島師父なら治療用の札を持てるはずアル」
女子寮からエヴァの家に到着するまでに再びすらむぃ達に襲われる可能性もあるのだが、横島の方も大変な様子なので彼の助けを期待するわけにもいくまい。
除霊助手として、いつまでも横島に頼ってばかりではいられないと言う自負心がある事も否めないが、この場の判断としては適当であろう。
「となると、出来るだけ安全なルートで行きたいとこだよね」
「和美さん、和美さん。それなら、私がこの身体から出て、空から偵察しましょうか?」
さよが人形の小さな手を上げて名乗り出るが、偵察をしながら進むのは時間が掛かり過ぎる。それよりも、少々博打的な要素を含むが迅速にエヴァの家に向かう方法に和美は心当たりがあった。
「え、なーに?」
じっと見据えられて戸惑うのは桜子。
その様子に他の者達も察したようで、皆の視線が彼女に集まる。
「た、確かに、賭けだけど…」
「でも、上手く行けば、一番安全で早いかも」
和美の考え、それは人並み外れた強運を誇る桜子に、どのルートを通ってエヴァの家に向かうかを決めさせる事だった。桜子はクラス内で行われるトトカルチョだけでなく、修学旅行の時も、先程のすらむぃ達の襲撃も運良く難を逃れている。その運に賭けようと言うのだ。
「う〜ん…分かった、やってみる」
そう言って、腕を組んで考え始める桜子。
一見真面目に考えているようにも見えるが、その実悩んでいるだけと言った方が正しい。理屈や計算で答えが出るようなものでもないので、直感を導き出すための前準備のようなものだ。
「こっちぃーっ♪」
やがて自信たっぷりに一方向を指差す桜子。やけに楽しげだが、その方向のエヴァの家とは正反対だ。
「え、そっちって逆…」
「信じると決めたのですから、信じるです」
「そうだよ、真っ直ぐ行ったら待ち伏せがあるかもしんないじゃん」
「う〜ん…」
疑問符を浮かべながらも、一行は桜子の直感を信じて駆け足で進んで行く。
時折人通りの少ない路地裏に入ったりもするが、幸いにもすらむぃ達の姿は見えない。
分かれ道があれば桜子が直感で先導し、無い所でも突然方向転換したりする。
「…こんなとこ通るの?」
「この前、ノラ猫追っ掛けてたら見付けたんだ〜♪」
桜子の妙な行動範囲の広さに驚きながら、少し遠回りしつつも、一行は滞りなく進んで行く。
再襲撃はおろか、信号に捕まる事もなくエヴァの家に辿り着き、桜子の伝説に新たな1ページが加えられる事になるのは、今から十分後の話であった。
見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.48
一方その頃、横島達は部屋にある除霊具を掻き集めてエヴァの家に向かっている。
普段はあまり除霊具を使わない横島だが、アスナが弟子入りした事で基本的な除霊具を所持するようになっていた。厄珍を通して破魔札を手に入れた際に、彼から勧められたのだ。
この時一行は、夏美達を守るために簡易結界を使用していた。輪になった細い注連縄を手で持って使用するタイプであり、結界を維持したまま移動もできると言う優れものなのだが――
「…なー、忠夫ちん」
「どうかしたか?」
「流石に恥ずかしいんだけど」
「我慢しろ、効果は確かなんだ」
――その姿は所謂「電車ごっこ」であり、高校生はおろか中学生でもあまり人に見られたくない姿になってしまうのが、欠点と言えば欠点である。
今は中村と山下が前後で注連縄を持ち、その間に夏美と高音を抱いた愛衣が傘を持って入っていた。
これでも、全力のパイパーの攻撃を一度は防いだ実績がある代物なので、山下達の気持ちは分からなくもないが、すぐ隣――いざと言う時に腕の中の千鶴を夏美に託せる位置――にいる横島は、ピシャッと山下の抗議を却下する。
「しかし、横島。この道具…あのパイパーに通じると思うか?」
荷物持ちを一手に引き受けた背後の豪徳寺が声を掛けて来た。
その疑問はもっともだ。実際、悪魔パイパーに対し、横島が持っているような通常の除霊具では真正面からぶつけたところで大した効果は期待できないだろう。大きなリュックに除霊具を詰めて歩く豪徳寺が疑問を抱くのは無理は無い。
しかし、物は使いよう。そのチャンスがあっても、肝心な時に手元になくては意味がない。こうして除霊具を抱えてエヴァの家に向かっているのも、ひとえに備えあればなんとやらの精神であった。
「せめて、もう少し減らせなかったのか?」
「そうは言ってもなー」
もし、仮にこれが令子であれば、使う除霊具を厳選し、取捨選択して荷物を減らしていたであろうが、今の横島にはそれが出来ないのだ。これは普段から除霊具を使い慣れている令子と、ほとんど使わない横島の経験の差である。
そんな事情など露知らず、運べない重さでもないので、豪徳寺はGSとはこのようなものなのだろうと小さく溜め息をついた。
ちなみに、横島が除霊具を買い揃えたと言っても、令子ほど多くの除霊具を知っているわけではないし、経済的にそれだけの余裕があるわけでもない。
よって、豪徳寺がリュックを背負っていると言っても、あくまで常識の範囲内の荷物であり、除霊助手の頃に横島が背負っていた荷物と比べれば微々たる量である事を追記しておく。
「ム、見えてきたぞ」
「あれが真祖の家かいな。随分とこじんまりした家やなー」
先頭に立ち、人狼族の超感覚で警戒に当たっていたポチと小太郎がエヴァのログハウスを発見した。
二人ともエヴァの家は初見なのだが、流石に『吸血鬼の真祖』が森の中の小さなログハウスに住んでいる事に驚きを隠せないようだ。
「ふぅ、パイパーとやらの再襲撃はなかったようだね」
「多分、ネズミを集めてるんだと思う。あいつはネズミを自分の分身にして、例の子供にする呪いを街全体に掛ける事ができるから」
「そうなったら麻帆良壊滅だな、オイ」
もしそれが実行されれば、まず交通事故が多発するであろう。電車の運行中に運転手が子供になってしまえば大惨事だ。しかも、救助に来るはずの者達も子供になってしまうのだから、二次災害、三次災害も懸念される。
タイムリミットはパイパーがネズミを集め終えるまで。それまでに何とかせねばなるまい。こうなってくると麻帆良学園都市の下水事情が気になってくるところだ。
「とは言え、奴の居場所が分からん事にはどうしようもないな」
「それについては俺に考えがあるから、とりあえず中に入ろう」
そう言って横島は扉を叩いた。さほど間をおかずに中から茶々丸が顔を出したのだが、そこで無表情であるはずの彼女が、何故か目を丸くしてしまう。
「いらっしゃ…」
「どうした? 茶々丸」
「………いつの間に?」
「は?」
この時、茶々丸は横島の顔を見ていなかった。
その視線を辿ってみると、その先に居るのは横島の腕に抱かれる千鶴。
「おめでとうございます」
そして深々と頭を下げる茶々丸。言うまでもないがものの見事に勘違いしている。
「いやいやいやいや! 俺の子供じゃないからっ!」
「そうなのですか?」
不思議そうに小首を傾げる茶々丸に、横島は肩を落としてエヴァを呼んで欲しいと頼んだ。一人で説明するよりも彼女を交えた方が楽だと考えたのだ。そう、茶々丸の天然ボケが臨界に達したその時は、エヴァが容赦なくエヴァキックを食らわせてくれるだろうと期待を込めて。
出来る限り急いで来たため、アスナ達が到着したのも丁度同じ頃であった。元よりエヴァの家は位置的に麻帆男寮よりも女子寮に近いと言うのもあるが、これだけ早く到着出来たのは桜子の強運のおかげと言っても過言ではあるまい。
「あ、ヨコシマだー!」
人の姿を視認できる距離まで来たところで風香と史伽が玄関前に立つ横島の姿に気付き、傘を放り出して彼の下へと走り出した。やはり不安だったのだろう、二人で横島の腰にひしっと抱きつき、史伽に至っては涙も浮かべている。
一方、横島達もアスナ達に気付いたようで、のどかと亜子に支えられるネギに気付いて豪徳寺が慌てて駆け寄って来た。
「ネギ君、大丈夫か!? 嬢ちゃん、一体何があったんだ」
いきなり近付いてきた大柄な豪徳寺に慣れていない亜子は少々腰が引けた様子だが、同じネギの『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』であるのどかは流石に慣れているのか、たどたどしい口調ながらも、ヘルマンと言う魔族と遭遇し、ネギが攻撃を受けた事を彼に説明する。
「ならば急ごう、治療用の薬があるはずだ」
それを聞くと、豪徳寺はすぐさま二人に代わってネギを抱き上げた。流石に鍛えているだけあってネギ一人の体重など苦にもしない。
一行はそのまま茶々丸に促されて家の中に入るが、リビングにエヴァの姿は無かった。
「向こうも大変だったみたいだが…ところで、エヴァはどうしたんだ? 出掛けているのか?」
その様子を横目に見ながら横島は茶々丸に問い掛けた。しかし、茶々丸は小さく首を横に振る。詳しく話を聞いてみると、エヴァは既に麻帆良学園都市で起きている事を察知しているそうだ。
しかし、魔物が大量発生している麻帆良学園都市周辺の山中へは『登校地獄(インフェルヌス・スコラスティクス)』の呪いのため行けず、かと言って魔力が封印された状態では学園都市内の魔族を相手にするには分が悪い。
横島の協力があれば前者はどうにかなりそうだが、魔法使いの関係者の中にはエヴァを一時的とは言え自由にする事に眉を顰める者がいるため、エヴァとしてもわざわざ援軍に行ってやる義理はないし、学園長としても彼女に頼みにくいのだろう。そのため、現在彼女は非常に手持ち無沙汰な状態にあった。言い方を変えれば「除け者にされている」のである。
「…で?」
「スネてしまいました」
なんと、エヴァは不貞腐れて例の『別荘』に篭ってしまっているそうだ。これには横島も力が抜けて、がっくりと肩を落とした。
「マスターからは、横島さんかネギ先生が訪ねてきたら、別荘に通すようにと仰せ付かっております」
そのために茶々丸は外に残されていたのだろう。
しかし、エヴァは機械音痴であり、その辺りの事は全て茶々丸に任せているため携帯電話も持っていない。つまり、別荘内に入らなければ、エヴァと連絡を取る術が無いと言う事だ。そして、中に入れば中で二十四時間、外で一時間確実に拘束される事となる。このような状況では、一部が入り一部が残るような事は避けたい。
「不味いな、知らない連中もいるんだが」
「それについても…『私は気にしない』だそうです」
「本気で不貞腐れてるな、オイ」
横島としてはその言葉に乗っかりたいところではあるが、事は魔法使いの問題だ。
ネギにも相談をしようと思ったその時、突然横島の携帯電話が鳴り始める。見てみると、それは学園長からの連絡だった。
「お、学園長からだ」
その一言で皆の視線が横島に集中した。
皆が見守る中、何か起こったのかと横島が電話を取ると、向こうからどこか疲れた様子の学園長の声が聞こえてくる。
「…え、マジっスか?」
次の瞬間、驚きに見開かれる横島の瞳。彼は小声で応対しており、周りの者達も気が気ではなく、誰かがゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえそうな気がするほどだ。
やがて横島は電話を終えると、神妙な面持ちで皆に向き直った。
「あ、あの、横島さん。一体何があったんですか?」
おずおずとアスナが尋ねる。
次に横島の口から紡がれた言葉は、衝撃的な事実を皆に告げた。
「ヘルマンって魔族が…学園長のとこに現れたらしい」
「ヘルマンがッ!?」
その名に反応して項垂れていたネギがバッと顔を上げる。
豪徳寺の腕から飛び降りて横島に詰め寄り、学園長の下に現れたヘルマンが一体何をしたのかと問い質すが、それに対する横島からの返事は、ネギにとって最悪と言えるものであった。
「木乃香ちゃん達を人質に取ってるから、ネギとの戦いに横槍入れるなって言ってきたそうだ」
「…ッ!?」
まるでハンマーで頭を殴られたかのような衝撃に、ネギは思わずよろめいて膝を付く。
すぐさまのどかが駆け寄るが、そこで彼女が見たのは、血が噴き出さんばかりに下唇を噛みしめたネギの苦悶の表情。鬼気迫るとは正にこの事で、のどかでさえも思わず身を震わせてしまう。
「ところで、この近くに屋外ステージってあるのか?」
「ああ、世界樹前広場の近くにあるが」
横島に問いに山下が答えた。様々なイベント、特に学園祭で活躍する場所だ。
「決闘の時間と場所も伝えてきたそうだ。今夜十二時、その屋外ステージで」
観客席に囲まれており、外から中の様子を伺う事は難しく、その性質上一旦中に入ってしまえば身を隠す場所はほとんど無い。奇襲するのは難しいだろうが、同時に防戦に向いているとも言い難い。ヘルマンと言う魔族が、真正面からの決闘を望んでいる事がひしひしと感じられる。
和美が思わず時計を見ると、時間は夕方四時半を過ぎた辺りであった。雨雲で空が暗いため時間感覚が鈍っていたが、普段ならばまだ日も沈んでいない時間だ。
「あと七時間ちょっとか。ネギ君の傷を癒して、身体休めて…ぐらいかな、出来る事と言えば」
和美の言う通りだ。ヘルマンとしても、全力のネギと戦うために傷を癒し、身体を休める時間を用意したのだろう。
しかし、ネギは座して待つ気などさらさら無かった。
「茶々丸さん、師匠(マスター)に会わせて下さい」
「え、しかし…」
「『別荘』では外の一時間が中の二十四時間。七時間あれば一週間修行ができます」
決意を秘めた力強い瞳。先程まで力なく憔悴し切っていたネギだが、ヘルマンが自分と戦うために木乃香達を利用している事を知って吹っ切れたようだ。
それに、このまま勝負を挑んだところで勝ち目は薄い。一週間みっちりエヴァに稽古をつけてもらいでもしなければ勝負にすらならないのが現実であろう。
「…分かりました。こちらへどうぞ」
これは止めても無駄だと判断した茶々丸は、ネギを『別荘』のある地下室へと案内する。
気分は生贄の羊を邪悪な儀式の場へ運んでいるかのようだ。実際似たようなものかも知れない。
「お、おい、ちょっと待てよ。別荘に行くのになんで地下に行くんだよ!」
事情を知らない千雨がネギを追おうとするが、それを和美と桜子が止める。
「お、おい、横島…」
「ああ、豪徳寺も知らないんだったな」
これには事情を知る豪徳寺も『別荘』の事は知らないので訝しげな顔をしていた。
しかし、横島にしてみれば、ネギにその気があれば夏美達も別荘の方で匿ってもらおうと考えていたので渡りに船である。豪徳寺達への説明は後回しだ。別荘に入った後でカモにでも任せれば良いだろう。どうせ魔法使いの事情を説明するのであれば、その証拠としてカモがただのオコジョではなく、人語を解するオコジョ妖精であると言う事実を突きつけるところから始まるのだから。
ヘルマンはここまでネギと戦うためにお膳立てしたのだから、実際夜の十二時までは動かないだろう。しかし、パイパーは話が別である。
悪魔パイパーは良くも悪くも「正しい悪魔」。言葉として矛盾しているが「正々堂々と決闘」などと言う言葉とは程遠い位置に存在している事は確かだ。
そもそも『悪魔』と呼び名自体、魔族の中でも人間界で悪さをし、『邪悪な魔族』として認定された者に付けられる、ある種の称号のようなものである。そのような者を放置して、悠長に今夜の決闘まで待っていれば、それよりも早くネズミを集めたパイパーに麻帆良学園都市を子供の街に変えられかねない。
本音を言ってしまえば、横島としては魔法先生達にでも丸投げしてしまいたい。
しかし、彼等は山中で大量発生している魔物達の対処に追われてしまっていた。こちらはある意味でパイパーよりも厄介である。ほとんど知性を持たない魔物は飢えた獣のようなもの。放っておくと街に下りて無差別に人に襲い掛かるだろう。
しかも、これは魔法使いだと思われるローブの男が召喚した者達だ。関東魔法協会が情報公開をしようかと言う今、魔法使いが原因で一般人に被害が出るのはどうしても避けねばならないだろう。
ネギはヘルマンと戦い、魔法先生達は大量発生した魔物に対処し、ローブの男を追う。
ならば、悪魔パイパーには横島が手を打つしかあるまい。
「と言うわけで、ポチ先輩と小太郎に頼みがある」
しかし、横島は他力本願だった。
「俺達に、か?」
「何やねん、兄ちゃん」
「実は、麻帆男寮で戦ったパイパーなんだがな――あれ、本体じゃないんだ」
「何、だと…?」
「それホンマか、兄ちゃん!?」
「お、おい、忠夫ちん。冗談だよな? な?」
これにはポチ、小太郎だけでなく、豪徳寺、中村、山下の三人も驚きに目を見開いた。
「…どう言う事だ?」
「実は、俺は以前にパイパーと戦った事があるんだがな――」
そこで横島は、手短にパイパーの事を説明する。
あの道化師は分身のようなものである事と、本体は巨大なネズミの魔物であると言う事。
そして、『金の針』から無限の魔力を得て、子供にした人間から奪った時間は風船にしてどこかに隠し持っている事を伝えた。
「つまり、その『金の針』とやらを手に入れて風船を割らないと、あの二人は元に戻らないと言う事か」
「て言うか、パイパーは『金の針』じゃないと倒せないから、何とかして手に入れるしかない」
「でも、あのハゲ、針なんか持っとらんかったやろ」
「わかった! 本体のネズミが持ってるんだな、忠夫ちん!」
中村の言葉に横島はコクリと頷いた。
『金の針』はパイパーの魔力の源であると同時に、パイパーを滅ぼす事の出来る唯一の武器でもある。
針を持たない道化師のパイパーを追い回しても仕方が無い。どこかに隠れている本体を探し出して針を奪わない事にはどうしようもないのだ。
「そこで、ポチ先輩と小太郎の出番ってワケだ!」
「どう言う事だい、横島君」
「なるほど、俺達人狼族の超感覚だな」
山下が疑問を口にするが、ポチはその一言で全てを察したようだ。
そう、横島の作戦はパイパーの本体をポチと小太郎、二人の人狼族の超感覚で探し当てようと言うもの。ネズミが集まる前に先制攻撃を仕掛ける事ができれば、十分に勝機はある。逆に言えば、時間を掛ければ掛けるほどネズミが集まって勝機は失われていく。
「なるほどなぁ、確かにいい手…って言うか、それしか無いって感じだな」
「…まぁ、他に手が無いわけでもないんだがな」
そう言って言葉を濁す横島。彼の考える他の手と言うのは、呪術の類を使って麻帆良学園都市中のネズミを全滅させる事なのだが、流石にそれは目覚めが悪い。何より呪いに関しては素人同然、丑の刻参りの紛い物を行うのがやっとの横島では実行するのは不可能であろう。横島にとっては業界の先輩、呪術のエキスパートである小笠原エミでも出来るかどうか怪しいところだ。
「どうする? エヴァの別荘を使えば一時間で一日休む事が出来るんだが」
「? よく分からんが、その一時間の内にネズミが集まってしまっては事だろう。俺はすぐに出発する」
「俺も行くで! 元々あいつらとは決着付けるつもりやったんや、置いてけぼりにされてたまるかい!」
横島が治療用の札を渡そうとすると、それよりも早く二人は家の外に出て、そこで狼の姿に変身する。
再び額に札を貼った小太郎は、先程と同じく子犬の姿に。一方、ポチは虎かライオン、大型の肉食獣程の大きさの巨大な狼に姿を変えていた。小太郎も狼とは呼べない姿であるが、ポチの方も正反対の意味で狼とは言い難い。
「治療用の札を持たせたいんだが…」
本当は治療に時間が掛かる治療用の札よりも、愛衣の持つ治癒の水薬を持たせた方が良いのだが、これは数に限りがある上、先程麻帆男寮で使ってしまったため、今はほとんど残っていなかった。
「有り難い。ならば、風呂敷に包んで首に巻いておくとしよう」
ポチの方は狼の姿でも人語を話す事ができるようだ。
所々聞き取り辛い部分もあるが、横島達にも十分に理解できる。
「濡れないように、ビニールにも入れとくな。使う時は人間の姿に戻って使ってくれ」
「分かった。では、行って来る」
そう言ってポチと小太郎は駆け出し、雨の中に消えて行った。
風呂敷包みの中には、ポチの携帯電話も入っているので、いざと言う時は豪徳寺の方に連絡が行くだろう。
「それじゃ、横島さん。私達も別荘に行きましょう!」
そして、ポチ達を見送って横島が家の中に戻ると、アスナが目を輝かせていた。
こちらもネギのやる気に触発されたのか、彼女も一週間掛けて修行する気満々のようだ。
「そうだな、事情を知らない連中にもちゃんと説明しないといけないだろうし――カモ、頼むぞ」
「ガッテンでさぁ、兄さん」
横島に声を掛けられてビシッと手を挙げ応えるカモ。
突然のどかの辺りから聞こえてきた男の声に、事情を知らない中村、山下、そして千雨が目を白黒させる。
「え? え?」
「…ハ、ハハ、なかなかハスキーヴォイスなお嬢さんだね」
「いや、それおかしいだろ! まさか、そこのオコジョが喋ってるのかッ!?」
「お、理解が早いじゃねぇか、姐さん」
やっと喋る事が出来てカモは嬉しそうだ。
しかし、ここで説明をさせるわけにはいかないので、横島は皆を促してまずは別荘に入る事にする。
「お〜い、ここでの一分が別荘内じゃ二十四分なんだぞ。」
「そ、そうでした。既にネギ先生が入って中では一時間以上経過しているはずです、急ぎましょう」
夕映も急ぐように促し、一行は横島の案内で地下室へと降り、そして件の『別荘』の中へと入った。
突然高い塔の上に出た事に驚いた千雨が思わず横島に抱きついてしまったり、現実離れした状況に軽く山下が壊れかかってしまうような一幕もあったが、赤面した千雨のアッパーカットが炸裂した以外は特に問題なく一行は別荘内に降り立つ事に成功する。
そして、ゲートがある支塔から手摺りの無い橋を渡って本塔の屋上へと移動すると、力尽きて倒れ伏すネギと、仁王立ちのエヴァの背中が彼らを出迎えた。
「やっぱりーーーっ!?」
ある意味予想通りの光景だ。やはり、不機嫌なエヴァの課す修行に、ネギが耐え切れなかったのだろう。
「愛衣ちゃん! あの薬、あの薬!」
「は、はい!」
横島に言われて、愛衣は慌てて治癒の水薬の最後の一瓶をネギに飲ませる。
流石は魔法薬と言うべきか、薬はすぐさまその効果を発揮し、ネギはパチッと目を開いて飛び起きた。
「ま、まだまだっ! …って、貴女は誰ですか?」
「え、あの、私は…」
そしてすぐさま身構えるが、目の前に居るのはエヴァではなく愛衣。初対面であるためネギも驚いた様子で、そこから先が続かない。
「はいはい、そこまで。まずは状況を整理するぞ、ネギ」
「あ、横島さん」
「お前達も来たのか。丁度良い、挨拶代わりに魔力を補充させてもらうぞ」
横島達も来た事に気付いたエヴァはすぐさま横島に血を要求する。ネギに稽古を付けるために、かなり魔法を使ったのだろう。エヴァ自身少し顔色が悪い。
対する横島はこれも予想していたようで、ここでネギの休憩を兼ねてアスナ達に情報を整理させる事にし、自身はエヴァを連れて彼女の魔法力を補充しに行く事にする。その場から離れるのは事情を知らない夏美や千雨に、いきなりクラスメイトが吸血している所を見せるのは酷だろうと言う気遣いである。
最近、血を吸われる事に抵抗がなくなってきている気もするが、もしこれが男の吸血鬼であれば横島は断固拒否していたであろう。他ならぬエヴァが女王様気質であるため、所謂『マの付く人』らしき面がある横島は抵抗しないのかも知れない。
子供の成長を見るのが好きなヘルマンと、子供にするのが好きなパイパー。ある意味共存できる嗜好があってこそ、あの二人の魔族は手を結んだ。案外、横島とエヴァの関係もそれに近いものがあるのかも知れない。
「ぼーや、直に茶々丸が食事を運んでくるはずだ。しっかり食べて次の修行に備えて身体を休めておけ」
「はい!」
「宮崎のどかも来ているならば丁度良い、ぼーやが無茶をしないようにしっかり見張っておけよ」
「わ、わかりました〜」
ネギ達にそう言い付けると、エヴァは嬉しそうに横島の手を引いて塔の中へと入って行く。今日は部屋で横島の血を戴くつもりのようだ。彼女自身も事情を知らないクラスメイトや、見知らぬ男達の前で吸血するのは躊躇したのだろう。
途中で茶々丸とすれ違い、エヴァは新たに来たアスナ達にも食事を用意するようにと言うが、茶々丸はネギを案内してくる前に彼女達に会っているため、既に皆の分の食事の準備を進めていた。
それを聞いたエヴァは満足気に頷くと、自分と横島の分は別室に用意するよう命じて、彼女お気に入りの海の見えるディナールームへと向かう。
「お前はどうか知らんが、俺にとっちゃまだ夕方で晩飯には少し早いんだがなぁ」
「フフ、ならば少し待つのもいいさ。貴様の血を戴くのは食事の後、それは変わらんぞ」
笑みを浮かべたエヴァの言葉に横島が疑問符を浮かべていると、エヴァは横島の手を取ってその指先を咥え、ねぶるようにして少しだけ血を吸った。そして口を離し舌なめずりすると、「やはりな」と呟き一人納得した様子だ。
「ここに来るまでに一戦交えてきたのだろう?」
「…分かるのか?」
「霊力にしろ、体力にしろ、消耗すると言う事は、身体に蓄えたエネルギーを使うと言う事だ。疲れている時は、若干血の味も落ちるし、補充できる魔法力の量も少ない」
食道楽であるエヴァは、血の味によって相手の体調が分かると言う話は聞いていたが、既に横島の血に関しては更に一歩前進してしまったようだ。
食事の後、身体に栄養が巡れば、僅かにだが血の味も向上するらしい。言うなればこれは「味付け」である。
なんと、横島はこれからエヴァに文字通り料理されてしまうと言うのだ。
「…お手柔らかに頼むぞ? 俺だってやる事はあるんだから」
「貴様の事だ、どうせ捕まった女達の救出だろう?」
図星である。
パイパーについては既にポチ達に任せてしまったので、彼の行動指針は捕らえられた少女達の救出に向けられていた。
「まぁ、それも一週間後の話だ。それまでは私に協力してもらうぞ」
そして二人はディナールームに到着する。
そこは屋内なのだが壁が大きく開かれており、そこから外の景色、大海原が一望できる広々とした部屋であった。
こちらも夕方だったようで、海だけでなく部屋全体が紅く染まっている。しかし、閉ざされた空間内であるためか太陽は見えない。案外、空の色自体、この別荘の機能で人工的に変えているのかも知れない。
部屋の中央には小さなテーブルが一つ置かれており、向かい合うように二つの椅子が並べられている。その雰囲気は明らかに高級レストランのそれ、横島にとっては馴染みの薄いものであった。
「あんまこう言うのは慣れてないんだがなー、マナーとか」
「安心しろ、貴様に完璧なマナーなど求めんよ」
正直な横島の台詞にエヴァは「次からは、あまり堅苦しくない場所にしよう」と苦笑している。
そのまま椅子に腰掛けて、エヴァを膝の上に乗せながら海を眺めていると、やがて茶々丸が二人の食事を運んで来た。その雰囲気から横島が想像した通りの豪華なコースメニューだ。
茶々丸に促されて二人は席に就き、彼女はまず前菜を並べようとするが、ここでエヴァが構わないから全て並べろと言い出す。一気にがっつきたいと言う横島を気遣っての台詞であろう。茶々丸も察したようで、心なしかおかしそうにかしこまりましたと一礼するとテーブルを少し大きめのものに取り替えて、その上に料理を全て並べていった。
流石に茶々丸が持てる技術をふんだんに盛り込んだだけあって、とても美味しそうな料理ばかりだ。全て並べ終えると、夕食には少し早い時間であるにも関わらず、横島は早速がっつき始める。
「横島、食べながらでいいから聞け」
「ん?」
「これから一週間のぼーやの修行に関してだ。お前の協力が必要不可欠となる」
見ればエヴァの表情が真面目なものに変わっていた。
彼女とて外がどんな状況であるかは理解している。ネギがヘルマンと言う魔族と決闘する事も。
「貴様も知っての通り、今の私が魔法力を大きく補充するためには血を飲むしかない」
「それは分かってる」
一週間と言う限られた時間の中で、どこまでネギに修行を課す事が出来るか。ネギが修行で負うダメージと、それを回復させるのに費やす時間の事を考えると、一つの問題が浮上してくる。
「問題?」
「私がぼーやの修行を見てやるにも魔法力が必要となる。しかし、ぼーやから魔法力を戴いて、それで修行をつけていれば、おのずと回復が遅れ、結果として修行量が減る事になる」
普段の修行であれば、日頃横島から戴いている血のおかげで何とかなっていたのだが、一週間通しての修行となると、流石に魔法力が足りなくなってしまう。
実際エヴァは、ネギ一人だけが来て一週間修行させて欲しいと頼んだ時は、この問題に直面し、どうしたものかと頭を抱えていたのだ。
「…つまり、ネギが一週間修行する間に使う魔法力を、俺から補充したいと」
「無論、一気に補充するわけじゃない。そんな事をすれば貴様もただでは済まないからな」
つまり、これから一週間毎日、しかも普段より多く血を吸いたいと言う事だ。
こうして吸血の前に食事を取らせたりするのも、多分にエヴァの趣味が混じっていそうだが、少しでも多くの魔法力を補充するためでもあるのだろう。
「…分かった。ネギがヘルマンを抑えてくれたら、俺も木乃香ちゃん達を助けるのが楽になるからな」
「契約成立だな」
「ところで、一週間修行したぐらいで強くなれるもんなのか?」
一日で終わる妙神山の修行を経験している横島が言う台詞ではないが、それはもっともな疑問であった。
問われたエヴァは少し困った表情をして眉を顰める。
「う〜ん…意味が有ると言えば有るし、無いと言えば全く無いな」
「なんじゃそりゃ?」
実は、現在エヴァが考えている修行と言うのは、茶々丸、チャチャゼロも交え、彼女の知るあらゆる戦闘パターンでネギを痛めつけると言うものであった。勿論いじめている訳でない。一週間で基礎能力を高めるには限界がある。それならば、戦闘経験の乏しいネギに、手っ取り早く経験を積ませるために、様々な戦闘を身体に刻み込んで覚えさせようと言うのだ。
ネギが倒れるまで戦い、倒れれば回復させ、そして再び倒れるまで戦う。このサイクルを一週間の間、最終日は回復に充てるとして実質六日間の間にどれだけ続けられるかがカギである。
「…とんでもない事考えたな、お前」
「貴様と違って、私は厳しい師匠なんでな」
エヴァの話によると、ネギの基礎能力は元々かなり高いのだが、戦闘経験の乏しさのせいでそれを活かす事ができずにいるそうだ。
この修行は、その力を上手く活用できるようにするためのもの。かなり厳しいスパルタとなるが、ネギにとって有意義な修行になると言う自信がエヴァにはあった。
「と言うわけで食え食え、横島。たーっぷりと血を戴くからな」
「…楽しんでないか?」
「フッ、何の事だ?」
ジト目の横島に対し、少女には似つかわしくない妖艶な笑みを浮かべるエヴァ。明らかに確信犯である。
「―――ッ!?」
「兄貴、どうしたんだい?」
「いや、何か寒気が…」
その頃、屋上にて、ネギが謎の悪寒に襲われていたのは言うまでもない。
「それにしても、横島さん遅いわね〜。何やってんのかしら?」
「血吸われ過ぎて、干からびて帰って来たりして」
「あ、朝倉、それシャレになってないアル」
アスナ達も、なかなか戻ってこない横島を心配していた。
和美の予想通りに横島が干からびて帰って来るかどうか、それはエヴァのみぞ知ると言うものである。
つづく
あとがき
今回は、これまでのヘルマン編では目立たなかったエヴァが目立ちました。
彼女の吸血に関する設定は、原作の描写に独自の解釈を加えて書いており、料理に関する話や、吸血する生物に関する話から設定を組み上げました。ご了承下さい。
|