「カモさん、相談があるのですが」
「ん、俺っちにかい? 金の相談以外なら何でも聞くぜ」
「実は…」
これは、午前中の修行を終えた昼食前の一コマである。
のどかと共にネギ達の修行を見守っていたカモの下に何やら真剣な表情をした夕映が現れ、少し言葉を交わした後、一人と一匹はそのままその場を離れて行く。
そして、のどかはそれを見送りながらも、頭の中では別の事を考えていた。
ネギ達の方へと視線を戻すと、そこには力尽きてへたり込むネギと豪徳寺達の姿があった。逆にエヴァはまだまだ余裕があるようで、左右に茶々丸とチャチャゼロを並べて仁王立ちである。
その様子を見て、のどかは何故か羨ましそうだ。豪徳寺達はネギと肩を並べて戦っているのに、自分にはそのための力が無い。アーティファクト『イドの絵日記』が使えるのだから決して無力と言う訳ではないが、今必要とされているのはそんな特殊な力ではなく、『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』、ネギのパートナーとして彼の隣に立ち戦いをサポートする力なのだ。気持ちでは豪徳寺にも負けていないつもりではあるが、如何せん一般人である彼女では、あまりにも力不足である。
「…よしっ」
先程の様子を見るに、夕映も何かしらの決意をして動き出した様子。ならば、自分も勇気を振り絞って動き出そう。そう心に決めて、のどかはその『イドの絵日記』を持つ小さな手にぎゅっと力を込めるのだった。
「エヴァさん、私を魔法使いにしてください!」
昼食時に、のどかはそう切り出す。
彼女が思い付いたネギの隣に立つ方法、それはのどか自身も魔法使いになる事であった。
豪徳寺のような格闘家にはなれないが、魔法使いなら出来るかも知れない。決して魔法使いを甘く見ているわけではないのだが、彼女の中には身体的には弱いが頭は賢いと言う、所謂『ゲーム的』な魔法使い像があるのかも知れない。
「はぁ?」
突然の出来事にエヴァは呆気にとられ、周囲もまた食事の手を止めて二人に注目する。
「魔法を教えろと言うのか? 私が?」
「や、やっぱり無理なんでしょうか?」
「う〜む…」
おずおずとした様子だが、前髪の向こう側に微かに見えるのどかの目は真剣なものだ。
何故いきなりそのような話になるかは理解できないが、彼女のその目を見れば、冗談や悪ふざけの類でない事は分かる。真剣に頑張ろうとしているのを無下に扱うのも気が引けると言うものだ。エヴァはのどかの願いについて真剣に考えてやる事にする。
「まぁ、魔法を使うのに必要な『魔法力』自体は、生きている以上誰にでもあるものだ」
「それじゃ、私でも魔法使いになれるんですか?」
「一朝一夕でどうにかなるものではないぞ? 魔法と言うのは都合の良いファンタジーなどではなく、ある意味では霊能よりも科学に近い」
「そ、そうだったんですか…初めて知りました」
これはネギの言葉だ。彼の場合魔法を『都合の良いファンタジー』と勘違いしていたと言うよりも、今までそんな事など考えた事もなかったのだろう。
魔法界『ムンドゥス・マギクス』と言うところは、人間界で言う科学文明に代わって魔法文明が発達した世界だ。多少の風土的、文化的な差異はあれど、人間界で言う『科学』の部分に『魔法』が存在しており、当然教育の分野においても同じ事が言える。そう、魔法界における魔法は一種の学術体系なのだ。
「…そう言えば、魔法学校にだって、ちゃんと教育カリキュラムはありますね」
「ガキ共に順を追って魔法を教えていく以上、当然必要なものだろう?」
言われてみればもっともな話だ。
ネギも愛衣も納得して頷くばかりである。
「私に言わせれば、魔法使いの家系に生まれたから魔法が使えるわけじゃない。魔法力の引き出し方、扱い方、その辺の基礎からきっちり体系的にまとめられていて、それに従って教育しているから、ほとんどのヤツが魔法を使えるようになるんだ。現に私だって元々は魔法使いの生まれではないぞ」
魔法使いと言えども同じ人間。にも関わらずその大多数が魔法を使えるようになるのは、そのための教育を子供の頃から受けているためだとエヴァは言う。
実際、魔法学校を卒業するだけで使えるようになる魔法と言うのは非常に少ない。これは、魔法力の引き出し方、扱い方と言った、魔法を使うための基礎を中心に学ばせているためなのだ。
「つ、つまり、私が魔法を使えるようになるには、その基礎からやっていかないとダメなんですか?」
「効率良くやれば、すぐに終わるもんさ。この別荘の中は外より力が充溢しているからな、素人でも案外ポッと引き出せるかも知れんぞ?」
この別荘自体、魔法の力で動く所謂マジックアイテムなので、当然中は外に比べて魔法の力が濃い。
魔法の根源とされる力と言うのは超自然的な力、『マナ』と呼ばれるもので、それは生物・無生物を問わず伝播して力を発揮するとされており、この事自体は人間界においても十九世紀末にある人類学者により提唱されている。
「でも、その引き出し方を知らないのに出来るものなんですか?」
「その力自体は誰にでもあるものだ。ほれ、山とか滝とか自然の多いとこに行くと『癒される』とか言うだろ。あれは空気中のマナ濃度が高いからなんだ。無生物にも伝播する力とは言え、やはり人工物より自然物の方が相性が良い」
つまり、マジックアイテムの中であるこの場所は、マナ濃度が高いのと同じような状態であるため、素人であるのどかでも魔法が使えるかも知れないと言う事だ。
「ぼーや、初心者用の杖の予備はあるか?」
「あ、はい!」
言われてネギは、すぐに懐から数本の杖を取り出す。エヴァとの戦いにおいて愛用の杖を吹き飛ばされた際に、予備の杖を使った経験がある彼は、常に予備の杖として折り畳みができる初心者用の杖を数本持ち歩いているのだ。
先端に星や月が付いた子供向けの可愛らしいデザインにのどか以外の少女達もいろめき立つ。
その内の一本を手に取ったエヴァは、ふむとネギを一瞥するとすぐに視線を逸らして、それを愛衣に投げ渡した。
「佐倉愛衣、だったな。火を灯してみせろ」
「え、え、私ですか?」
「ぼーやは回復に専念させたいからな」
「…分かりました」
ネギが過酷な修行をしているのは知っていたので、愛衣も素直にそれを承諾する。
「それでは、行きます。プラクテ・ビギ・ナル――火よ灯れ!(アールデスカット)」
愛衣が力ある言葉と共に杖を突き出すと、その先端に小さな火が灯った。
先程までエヴァの魔法攻撃に曝されていた豪徳寺達から見ればなんとも地味な魔法であるが、一般人である桜子達から見ればそれだけでも凄い光景だ。おぉーっと拍手が上がる。千雨に至ってはまたもや目の前で繰り広げられるファンタジーな光景に若干引き気味である。
「初心者の練習用として、魔法学校で最初に習う魔法ですね。昔は火打ち石の代わりに使われていたそうですが、今は魔法界にもライターがありますので、あまり実用的な魔法ではなくなっちゃいました。使う人がいなくなったわけではないんですけどね」
拍手されて照れ臭そうな愛衣は、頬を染め若干緊張した面持ちで説明を付け加えた。
「プラクテ・ビギ・ナル」と言うのは、自分専用の始動キーを持たぬ初心者の魔法使いのための仮の魔法始動キーだ。
本来、彼女やネギのような魔法使いは、自分専用の『始動キー』と呼ばれる呪文を持ち、魔法を詠唱する際は最初にそれを唱えるものなのだが、この魔法のように誰もが共通の始動キーを用いて行使する魔法も少なからず存在している。
それは、魔法を学ぶための練習用の魔法、或いは日常生活に密着した目的を持つ誰もが使う魔法。こうした魔法は最初から誰もが共通の始動キーを唱えて発動するように呪文が構成されているのだ。このような魔法を総称して『コモンスペル』と呼ぶ。
『火よ灯れ』の魔法は、料理や夜の灯り等、かつては日常生活でも頻繁に使われていたコモンスペルの一つだ。実用性が失われ、実際に使われる事こそ少なくなったが、今でも魔法界の子供達が学校で最初に習う魔法である事に変わりは無い。ここで重要なのはプロメテウスの神話に基づく一つの技術の起源としての火であり、象徴的な意味があるのだろう。
見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.51
「ほれ、嬢ちゃんもやってみろ」
「は、ハイ!」
エヴァに言われて、のどかは一本の杖を手に取ると、それを眼前に構えて呪文を唱え始める。
「プラクテ〜、ビギ・ナル〜…火よ灯れ!」
しかし、杖は何の反応も示さない。
「まぁ、気が済むまで繰り返すといいさ。私はぼーやの相手で急がしいから、分からない事があればそこの佐倉愛衣に聞くがいい」
このまま続けていると、他の面々が興味を示しかねない。そう考えたエヴァは、後の事を愛衣に任せてその場を離れる事にする。
「ボクもやってみるー!」
「私もー!」
案の定、まずは風香と史伽の二人が動いた。このような面白そうな事、放っておけるはずがない。
続けて桜子、夏美、亜子、果ては中村までもが杖を手に取り、試しに呪文を唱え始める。
「あ、あの、呪文を唱える時は、杖の先端を顔から離してくださいね。火が付いた時に火傷しちゃいますから」
杖を持つ人数が一気に増えてしまったため、愛衣は慌てて皆に注意する。
先程彼女が唱えた際は加減して小さな火を出したが、加減の効かない素人が使用した場合、間違って大きな火が発生してしまう事もあるのだ。気を付けないと髪が焦げる程度で済めばまだ良いが、場合によっては顔を火傷しかねない。
「やっぱ、全然出ないねぇ」
「いきなりは無理なんとちゃうかな?」
とは言え、やはり素人である彼女達。いきなり成功するものはいないようだ。のどかを筆頭に何人かは繰り返して呪文を唱え続けているが、夏美と亜子は早々に諦めてしまっていた。
「おおっ! 成功してるアルよ!」
「えっ!?」
「うそっ!?」
古菲の声に二人が驚いて振り返ってみると、確かに杖の先端に小さな火が灯っている。
「…って、なんだ、高音ちゃんじゃない」
ただし、高音の持つ杖の先に。
皆が魔法の練習をし始めたので、警戒心が薄れたのだろうか。自ら率先して杖を手に取り、手本だと言わんばかりに『火よ灯れ』の魔法を実演してみせ、えへんと胸を張っている。
一緒に千鶴も杖を持って舌足らずな口調で呪文を唱えているが、こちらはやはり成功しないようだ。
「横島さんは出来るんですか?」
「どうだろ? 霊力とは系統が違うみたいだしなぁ」
アスナに言われて、横島も試しに杖を手に呪文を唱えてみるが、何故か杖の先端が点滅して光るだけで火が灯る事はなかった。これでピロピロと音がなれば、子供のオモチャである。
「…なんで?」
「それは霊力の光だと思われます。魔法力が引き出せておりません」
やはり無理なようだ。茶々丸の分析によると、魔法力を引き出そうとしても慣れている霊力を出してしまい、魔法を使うのではなく、神通棍に霊力を込めるようにして杖の先端を光らせてしまっている。
アスナも試しにやってみるが、こちらは火が灯るどころか、光りもしなかった。
「うぅ…横島さん! お昼からも頑張りましょう!」
「お、おう。やる気満々だな」
アスナはその勢いでぐっと横島の手を取ると、休憩もそこそこに再び砂浜に向かって行った。古菲もそれに気付き、慌ててその後を追う。
「ったく、何やってんだか、あいつらは…」
そんなにぎやかな輪から離れて、一人蚊帳の外に身を置いているのは千雨。
オカルト、魔法の存在を認めざるを得ないのかと半ば諦めの心境ではあるが、自ら率先して一歩踏み外す気にはなれないようだ。杖を手に取ってみようともしない。
「長谷川千雨」
「な、なんだよ?」
他人の振りを決め込もうとしていると、突然エヴァが声を掛けてきて、千雨の隣に腰掛けた。
教室でのエヴァが人に話し掛けるような事は滅多にないため、千雨から見ればこれも一種の非日常であると言えるかも知れない。出来れば近くにいたくないのだが、ここで慌てて席を立つのも負けたような気がして悔しいので、我慢してその場に留まる。
「目を逸らし続けるのは勝手だが、我々は決して幻想世界の住人などではないぞ?」
「ぐっ…」
「今回は運良く免れたようだが、自分が犠牲者になってから後悔しても遅い。せいぜい気を付ける事だ。気付いた時には既に、貴様の背後まで迫っているぞ、奴等は」
「………」
他ならぬファンタジー世界の住人当人から言われてしまい、ぐぅの音も出ない。
『奴等』とは何を指すのか聞いてみたい気もするが、それは現状を受け容れる切っ掛けになってしまいそうで、千雨は何も言う事が出来なかった。
現状を受け容れ切れていない千雨を脅かしてやろうと言う意図があっての事だが、同時にこれは実際目の前に危機が迫っていても現実逃避していれば世話は無いというエヴァなりの忠告とも言える。
「ケケケ、最近丸クナッテキタンジャネーカ?」
「やかましいぞ」
エヴァの足元で、その意図に気付いたチャチャゼロがからかうように口を開く。話の内容云々よりも、この事自体が千雨にとっては目を逸らしたいファンタジーだ。
一方、エヴァも自覚が全くないわけではないので、今度は彼女が何も言えなくなってしまう。
とは言え、このまま言われっぱなしと言うのも癪なので、エヴァはすぐさま話題を転換する事にした。
「ところで、綾瀬夕映はどこに行った? こういう事には、すぐに興味を示すと思っていたが…」
「綾瀬? ああ、あいつなら例のオコジョを連れてどこかに行ったぞ」
「あの小動物か…」
「何カ企ンデルンジャネーカ? アイツモ悪ダカラナー」
「…かも知れんな」
エヴァはチャチャゼロの言葉に否定要素を見出す事はできなかったが、だからと言って何か手を打とうとも思わない。自分に累が及ばない限りは勝手にしてくれと言うのが、彼女の偽らざる思いであった。
一方、横島達が塔を降りて砂浜に出ると、そこには既に先客の姿があった。
「あれ、夕映ちゃん?」
そこに立っていたのは夕映、その足元にはカモの姿もある。
「あ、あの、横島さん!」
「どうかしたのか?」
何やら様子がおかしい。顔どころか耳まで真っ赤にした夕映の姿に、アスナの心の中で警報が鳴り響いている。そして数秒後、それが正しかった事が証明された。
「わ、わた、私と仮契約(パクティオー)してくださいっ!」
真っ赤な顔をしたまま深々と頭を下げる夕映。
そう、彼女がカモに相談した内容と言うのは、仮契約についてだった。
カモならば良い方法を思い付いてくれるのではと期待しての事なのだが、意外にも彼が提案したのは「真正面から頼み込む」事であった。
決して手抜きをしたわけではない。「仮契約一件につき5万オコジョ$」の事を考えれば、それこそ騙まし討ちのような方法を使っても良いのだが、夕映の話を聞いている内に彼女の真剣さが伝わってきたので、ここは正攻法で行くべきだと判断したようだ。仮契約後の事も考えた上での判断である。
無論、打算が全く無いわけではなく、横島の性格ならばアスナ達の目を意識して二つ返事で承諾するような事はないが、女の子とキスするチャンスを逃さないためにキッパリと断る事もできないとカモは考えていた。たとえそれが鳴滝4号な夕映であってもだ。
ならば、真摯に頼み込めば押し切れる。
加えて、周囲に3年A組の面々がいると大騒ぎになって仮契約の話自体が有耶無耶になってしまうので、こうして人が少なくなるのを見計らって先回りした。
アスナと古菲が一緒に居るのも、予測の範囲内だ。古菲は仮契約についてはあまり口出ししようとしないし、アスナも夕映が真剣であればあるほど、効果的な反撃は出来なくなってしまうだろう。
「な、なんで横島さんなの? 別にネギでもいいじゃない。そ、それに、佐倉さんとも仲良いんでしょ?」
「確かに、そのお二人も仮契約する相手として考えました」
「だったら…!」
「しかし! 私自身が仮契約をしたいのは横島さんなんです。横島さんしかいないんです!」
「ぐっ…」
この通り、逆に夕映の真剣さを証明する結果になってしまうのがオチだ。
カモは「計算通り」と、夕映の足元で邪悪にほくそ笑んでいる。
「ネギ先生、そして横島さんが麻帆良に訪れて以来、私の前には未知の世界が広がり、胸躍る思いです。一ヶ月前までは想像も付かなかったような充実した毎日ですよ」
そして、切々と仮契約への想いを語り始める。
こうなると、もはや夕映の独壇場だ。
「私は決意しました、私自身もこの世界をより深く知るために自ら一歩足を踏み出そうと」
クワッと目を見開いて力説する夕映の瞳には炎が宿っていた。『火よ灯れ』で愛衣が出して見せた小さな火とは比べ物にならない燃え盛る炎だ。横島達も思わず気圧されてしまう。
「そして、私が知りたいのは魔法世界だけではなく、三界、いえ四つの世界全てなのです! その切っ掛けとなったのは横島さん、貴方です! それらに深く関わる者、それも横島さん、貴方ですっ!!」
「ぐうぅ!?」
矢継ぎ早に繰り出される夕映の言葉に、横島は後ずさる。別に責められている訳ではないのだが、そう言った雰囲気になってしまっている。
実際にそれを知る手段となったのは、エヴァが集めた人間界におけるオカルト研究に関するレポートなのだが、夕映がそれに対し興味を抱いた切っ掛けはやはり横島であろう。彼がいなければ、今朝もオカルト関係のレポートなど読もうともせずに魔導書を読んでいたはずだ。
「だから私は決意しました。横島さんに受け容れてもらえるならば、貴方の従者として、共に歩んでいこうと…」
これだけ聞いているとまるでプロポーズのように聞こえてくる。元々はアーティファクト欲しさに仮契約しようと思い付いたのだが、その相手について考えている内に、自分がこれから歩むべき道について考えるようになったのだろう。既に本来の目的は二の次となり、横島と共に歩んで行き、未知の世界を開拓していく事が主な目的となっている。
魔法世界においても、ネギが目指す『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』は最も尊敬される仕事の一つなのだが、「共に『立派な魔法使い』を目指す」と言うと、途端に「生涯を添い遂げよう」と言うのに等しい意味合いを帯びてくる。夕映の言葉も、これと似たようなものなのかも知れない。横島だけでなく、アスナも、古菲も茫然自失で二の句が継げない状態だ。
「あ、あの…ダメ、でしょうか…?」
「はうっ!?」
真っ赤な顔のまま、恥ずかしいのか伏し目がちに上目遣いで聞いてくる夕映に、何故か横島はのけぞって身悶える。
彼の中では現在理性と本能がせめぎ合っているのだろう。相手が鳴滝4号な夕映であるため若干理性の方が優勢のようだが、本能も負けじとこんなに真剣に頼んでくる夕映の頼みを無下に断って良いのかと、本能のくせに正論を振りかざして対抗していた。
「で、でも、でも…」
何とか夕映を思い留まらせたいアスナであったが、何と言って良いのか見当もつかない。何より、彼女の真剣さは横島に弟子入りを申し込んだ時や、彼と仮契約した時の自分の真剣さに通じるものがあるため、アスナ自身それで良いのかと迷ってしまっている。
「流石に即答はできねぇようだなぁ…」
横島の返事がないまま時計の秒針が一周した頃だろうか、ここでカモがタバコを咥えながら一歩前に進み出た。唇の片端を吊り上げてニヒルな笑みを浮かべている。
「仮契約コーディネイターとしてプロの目で言わせてもらうが――」
しかも、『仮契約コーディネイター』と言う謎の肩書きを持ち出して来た。
「夕映の嬢ちゃんはなかなかの有望株ですぜ。何より真剣だ。オレっちの心を動かし、正攻法を使わせるほどにな」
言っている事は自慢できるような内容ではないが、確かにその通りだ。
思えば、最初にネギとのどかを仮契約させようとして豪徳寺と仮契約してしまった時も、修学旅行の際に和美と一緒に企んで『ラブラブキッス大作戦』を敢行した時も、関西呪術協会の総本山でハルナとネギが仮契約した時も、全て当人達、或いは片方にそれとは知らせずに騙し討ちのような形で仮契約を行わせていた。
アスナは横島にハッキリと申し込んだ末に仮契約を行ったが、これはカモ達の企み『ラブラブキッス大作戦』の事を知った彼女が、用意された仮契約用の魔法陣を利用したに過ぎない。
そんなカモが、今回に限っては真正面から頼み込むと言う正攻法を使っている。
勿論、そちらの方が有効であると判断したと言うのもあるが、夕映の真剣さにほだされて、同じく従者であるアスナとの今後の関係を考えた上の判断である事も確かだった。
「い、いーのか! ホントにやっちゃっていーのか!?」
「ああ、ぶちゅーっとやっちまいな! 魔法陣発動ッ!!」
カモの言葉と共に夕映の足元で魔法陣が光り始める。予め準備しておいた仮契約用の魔法陣だ。
足元から溢れ出る力の奔流に捲れ上がろうとするスカートを押さえもせずに、夕映は真剣な表情で横島を待つ。
対する横島は、最後の最後で踏ん切りがつかないようなのだが―――
「横島さん…私からもお願いします。仮契約してあげてください」
―――最後の最後でその背を押したのは、意外にもアスナであった。
「あ、アスナ…いいアルか?」
「だって夕映ちゃん、あの時の私みたいな顔してるんだもの」
おずおずと問い掛ける古菲にアスナは笑顔を見せて答えた。
当然、その心中は複雑なのだが、先に仮契約した者としての権利を振りかざすよりも、正々堂々と勝ちたいと言う思いが彼女の中にある。
「でも、私負けないからね、夕映ちゃん!」
「ハイ! 私も負けません、アスナさん!」
アスナは「横島への想い」で、夕映は「従者として」、この時点で互いの「負けない」と言う言葉に、すれ違いがある事に二人は気付いてない。それを差し引いても二人は真剣そのものであった。
「さぁ、話がまとまったところで、兄さん! ここでゆえっちに恥をかかせちゃ男じゃねぇぜ!」
「お、おう、ホントにやっちゃうぞ!」
その言葉を聞いて、夕映はそっと瞼を閉じた。それに合わせてアスナと古菲も一歩後に下がり、横島は逆に一歩前に出る。受身だったアスナの時とは異なり、夕映は完全に待ちの態勢だ。
血走らせた目で突き出した唇をゆっくりと近付けて行く。
アスナは複雑な想いを抱きながら、古菲と共にそれを見守っている。
「…鼻息がくすぐったいです」
「す、すまん」
言われて横島はハッと真顔に戻り、そして、息を止めて一息に顔を近付けて行った。
「…ムッ!」
「どっ、どうしたんだよ、マクダウェル」
それを敏感に察知したのはエヴァ。
隣に座っていた千雨がビクッと驚いて、何事かと問い掛ける。
「今、誰かが別荘内で魔法を使った」
「え〜、誰もまだ成功してないよ〜?」
その言葉には桜子が振り返りながら答えた。彼女を含めてのどか、風香、史伽、そして千鶴の五人は延々と呪文を唱え続けていたが、成功したものはまだ一人もいない。つまり、エヴァが察知した魔法は彼女達ではない。
「いや、そんな小さな魔法じゃない…これは、仮契約の魔法陣だな」
「ええっ!?」
それを聞いて横になって休んでいたネギが跳ね起きた。仮契約と言えばカモだ。
慌てて彼の姿を探すがどこにも見当たらない。疲れていてそれどころではなかったが、思い出してみると食事中から姿が見えなかったような気がする。
「仮契約…?」
一方、中村と山下はその言葉を聞いても『仮契約』がそもそも何であるかが理解できていない。
とりあえず、自分達よりも魔法使いの事情については先達である豪徳寺に話を聞こうとするが、彼は冷や汗を垂らして顔を背けるばかりだ。
「まさか…ゆえっち、ホントにやっちゃったんじゃ」
「綾瀬夕映か、姿が見えんと思ったら…よし、行ってみるか」
和美の呟きにエヴァは何があったのかを察すると、やおら立ち上がって横島達が居るはずの砂浜へと向かった。和美達もすぐにその後を追い、そしてネギは、のどかでは少々力不足であったため、豪徳寺におぶってもらいながら三人で塔を降りて行く。
エヴァが察知した時点で仮契約が行われていたので当然と言えば当然の事なのだが、彼女達が砂浜に到着した時点で仮契約の儀式は全てつつがなく完了していた。
横島を中心に左右にアスナと夕映が居て、古菲とカモは少し離れている。照れているのか、夕映と横島、そしてアスナの三人は並んでいるにも関わらず、互いに目を合わそうとしていない。
「ゆ、ゆえ〜、仮契約…しちゃったの? 横島さんと?」
「は、はいです」
その様子から、仮契約の相手は横島であろうと問い掛けてみると、夕映は顔を真っ赤にしたまま素直にコクリと頷いた。アスナがおとなしくしていると言う事は、カモによる騙まし討ちなのではなく、しっかり同意した上で仮契約を行った事がのどか達にも推察できる。
「どうやら、小動物が暗躍して強引にやったと言う訳ではなさそうだな。ならば、当人同士の問題なのだが…」
そう言うエヴァがどこか呆れた様子なのは、この非常時に何をやっているのかと言いたいからであろう。
割と勢いで仮契約してしまったが、終わって冷静に考えてみれば、確かにその通りだと夕映も思う。
しかし、「後悔はしていません」と夕映は力強く言った。自らの意思で自分の道を決め、そのために横島と仮契約をしたのだ。その決断に後悔は無い。アスナが二人の仮契約を受け容れたのも、この強い意志があってこそであろう。
照れて視線を逸らしている割には、こっそり横島の腕に自分のそれを絡ませて寄り添っているのは、アスナなりの「負けない」と言う意思表示なのかも知れない。
「それで、結局どんなアーティファクトが現れたの? やっぱ百科事典?」
和美が問い掛けるが、夕映は黙って首を横に振った。いつの間にか仮契約する事自体が目的になっていたため、まだカモから仮契約カードを受け取っていなかったのだ。
それを聞いて一同の視線がカモに向けられるが、彼は腕を組んで砂浜に置かれたカードとにらめっこをするばかり。隣の古菲も一緒にカードを覗き込んで首を傾げている。
「どしたの、カモっち」
和美も近寄ってカードを覗き込むが、そこに描かれた夕映の姿を見て言葉を失った。
アスナ、のどか、ハルナ、そして豪徳寺。彼女は四人の仮契約カードを知っているが、それらには全てアーティファクトを持った当人の姿が描かれていた。当然夕映もそうなるはずだ。しかし、現れた仮契約カードの描かれた夕映の姿はおかしい。
何事かとネギもカードを覗き込み、そして見た。
「…何ですか、この変な人形は」
そう、仮契約カードに描かれているのは、本ではなく人形を抱いた夕映の姿だったのだ。
「人形だと?」
興味を持ったエヴァが砂浜に置かれたカードを手に取る。
確かに、そこには人形を抱いた夕映の姿が描かれていた。ただし、それはエヴァが好む西洋アンティークのような可愛らしい人形などではない。
何よりそれは、エヴァも、カモも知らないアーティファクトである。もしかしたら、まだ魔法界でも未発見のアーティファクトかも知れない。
「とにかく綾瀬夕映、アーティファクトを呼び出してみるんだ。」
「は、はいです」
何やら大変な事になってきた。夕映は仮契約カードのコピーを受け取ると、不安なのか横島の近くまで戻り、それを掲げて「来れ(アデアット)!」と唱えた。
光と共に現れるアーティファクト、それはやはり本などではなく人形――いや、正確には人形ですら無い。
大きさは横島達高校生組の膝までより少し低いと言ったところだろうか、しかし横幅はかなりあり、上半身はそれほどではないが、下半身は男の腰周りよりも太そうだ。大きな瞳は細く閉じられ、短いながらも太い手足。その手にはそれぞれ三本の指が付いている。「ずんぐりむっくり」と表現するのが一番相応しいだろう。
今にも動き出しそうなその姿にエヴァは自律型のアーティファクトかと警戒を強める。アーティファクトが召喚主に危害を加えるなど聞いた事がないが、そもそもこんなアーティファクトなど見た事も無い。
何より、おとなしそうに見えて意外にエキセントリックで過激な一面を持つ夕映と、珍妙奇天烈摩訶不思議を地で行く横島が仮契約して現れたアーティファクトだ。どんな反則技があっても不思議ではないだろう。
皆が固唾を呑んで見守る中、やがてそのアーティファクトの瞳が、ゆっくりと開かれた。
「おお、ヨコシマ! 久しぶりだなー!」
「土偶羅ーーーっ!?」
なんと、そこに立っていたのは、魔王『過去と未来を見通す者』アシュタロスが作り上げた兵鬼、土偶羅魔具羅(ドグラマグラ)であった。
「…遮光器土偶?」
「おお! どこかで見たと思たら、歴史の教科書に載てたアル!」
どうやら、古菲が首を傾げていたのは、それが何であるかが理解できなかったのではなく、ただ単に遮光器土偶の事を思い出せなかっただけのようだ。
「いきなり、わしの外部端末の写し身が人間界に呼び出されて驚いたぞ。一体何事だ?」
「が、外部端末?」
写し身と言うのは、人間界にアーティファクトが呼び出される際に仮契約カードによって作成されるコピーの事だ。アスナ達のアーティファクトも本体は常に冥界に存在し、彼女達が使用する物はその写し身に過ぎない。
しかし、土偶羅の言う「外部端末」と言うのが分からない。そもそも土偶羅はあの戦いの後に回収された時、首から下は完全に消失していたはずだ。
「…知り合いか?」
「………だと思うんだが」
「ヨコシマ、とっとと事情を説明せんかい。それとも、ポチと呼ばなきゃ分からんか?」
「お、おう」
何故か首から下が元に戻っているが、横島の知る土偶羅魔具羅本人である事に間違いはなさそうだ。
横島はカモにも協力してもらい、横島と夕映が仮契約し、夕映のアーティファクトとして土偶羅が現れた事を告げる。
「ほほぅ、わしを召喚するとは、なかなか見所があるな」
今度は横島達が土偶羅に話を聞く番だ。
まず、何故首から下が再生しているかについて聞いてみると、それは横島の誤解で、彼の目の前に居る土偶羅は、土偶羅本体ではなくレプリカボディなのだそうだ。
更に詳しく話を聞いてみると、首だけの状態で回収された土偶羅の処遇を決める際に、宇宙処理装置(コスモプロセッサ)を制御出来る情報処理と演算の能力を見込まれて天界と魔界で争奪戦が繰り広げられたのだが、結局魔界側が引き取る事になり、首だけの土偶羅は魔界正規軍情報部のメインコンピュータとして第二の人生を歩み出したらしい。
「つまり、お前の本体は…」
「今はそのメインコンピュータに接続された状態だ」
この接続の際に魔界正規軍に協力したのが他ならぬ職人妖精達である。
土偶羅はこう見えてもアシュタロスによって生み出された芸術品とも言える兵鬼だ。情報処理と演算能力に関しては三界最高峰と言っても過言ではない。そう、並の技術者では手も足も出なかったのだ。やむを得ず職人妖精達に助けを求めるほどに。
その後、職人妖精達が土偶羅魔具羅を再現しようと試行錯誤した結果生み出されたのが、レプリカボディである。
ただし、これは外見を再現しただけで、機械的に命令を聞いて、メインコンピュータである土偶羅に接続し情報をやり取りする事が出来る情報端末の外部ユニットに過ぎない。職人妖精達でも土偶羅魔具羅を完全に再現する事はできなかったのだ。
「し、しかし、貴方は自律的に喋っています」
「それは、わしがこのレプリカボディの写し身を操っているからだ」
我慢できなくなった夕映が口を挟むと、土偶羅がクルリと振り返って夕映の顔を見る。
彼女が自分を呼び出した事は聞いていたので、土偶羅はすぐにその疑問に答えるが、すぐさま横島の方に向き直ってしまった。
現在、レプリカボディは量産され、どこでもメインコンピュータに接続できる外部ユニットとして魔界正規軍で利用されているそうだ。
メインコンピュータになってしまったため身動きの取れない土偶羅は、時折こうしてレプリカボディをコントロールし、自分の分身として利用しているらしい。動力源も異なるため、性能に関しては本来のボディに比べて数段落ちるが、元々戦闘用ではないため特に問題ではないようで、横島にしてみても放射能臭い息を吐かれないのは安心である。
「つ、つまり、貴方はその『魔界正規軍』と言うところのメインコンピュータから情報を引き出せるのですか!?」
「だから、さっきからそう言って…ぬぉっ!?」
再び夕映が声を掛けてきたので振り返ってみると、そこにはキラキラと目を輝かせた夕映が土偶羅を見詰めていた。土偶羅は知っている、これは好奇心が刺激されるものを目の前のにした者の目、己の興味の赴くままに突っ走る人種の目だ。
「素晴しい! 素晴しいです!」
そう言って夕映は土偶羅を抱き上げた。奇しくもそれは、仮契約に描かれた夕映の姿と同じ構図である。
魔界正規軍情報部のデータベースにアクセス出来る、三界最高峰の情報ユニット。自分のアーティファクトがそんなに凄い物だと知った夕映の心は喜びに満ち溢れていた。
「い、いや、わしにも守秘義務と言うものがあるから、何から何まで教えるわけにはいかんぞ!?」
「それでも構いません! 今の私はその足元にも及んでいないのですから!」
土偶羅の持つ情報に心奪われた夕映は鼻息を荒くして土偶羅に迫り、何故かそれを見ていた高音が何かを思い出したかのように怯えて愛衣に抱き着いた。
流石の土偶羅もその様子に恐怖を感じてしまう。
「ぎゃー! 横島、わしを助けろー!」
「諦めろ、お前は夕映ちゃんのアーティファクトになったんだ」
「お前の従者だろがーーーっ!!」
確かにその通りなのだが、こうなった夕映を止める術など横島には無い。
「…なんてーか、現れるべくして現れたアーティファクトって事なのかな?」
そう言いつつ、和美は普段は見られない夕映の姿をカメラに収めるべくシャッターを切った。
横島に渡す仮契約カードを手に夕映の姿を目で追うエヴァ。
カモも何とか逃れた土偶羅を追い掛け回す夕映の姿を眺めながら煙草を吹かしている。
その仮契約カードに描かれているのは土偶羅を抱いた夕映。実は、この図柄のおかしな点は、土偶羅の存在以外にもう一点ある。
「魔界、か。ならば、これも理解できるか?」
「そうだなぁ、あれ見てるとゆえっちの本性って気がしないでもないけど」
それは、カードに描かれた夕映が、黒を基調とした所謂『小悪魔』ルックに身を包んでいると言う事だ。
当初は何故かと考えたが、土偶羅が魔界から来た事を考えれば納得できるし、その土偶羅を追い掛け回す今の夕映を見ても納得できる。夕映と土偶羅、合わせてこのカードなのであろう。
「アーティファクトはその人に合わせて選ばれると言う事ですね」
「デモ、選ブノハ職人妖精デアッテ、従者デモアーティファクトデモナインダヨナ」
最後は茶々丸とチャチャゼロがまとめた。正にその通りである。
つづく
あとがき
魔法が学術体系である事と、『コモンスペル』と言う設定。そして、土偶羅魔具羅のその後。
これらは『黒い手』シリーズ、及び『見習GSアスナ』独自の設定です。ご了承ください。
『マナ(mana)』については『見習いGSアスナ』独自の設定――ではなく、1891年にイギリスの宣教師コドリントン(R.H.Codrington)により西洋に紹介されたと言うのは本当の話です。ただし、オカルト的なものではなくメラネシアの宗教概念を理解するための用語としてですが。
「生物・無生物を問わず伝播して力を発揮する超自然的な力」と言う説明自体も間違いではありません。『マナ』と言う言葉自体は、その後「原始的な宗教」を説明するために頻繁に使われるようになり、広く普及していったそうです。
『ネギま』原作においては「魔力とは空気、水、その他全て万物に宿るエネルギー」と言う説明がされておりますが、これの『魔力』と言う単語を『マナ』に置き換えて考えても、あながち間違いではないと思います。
『見習GSアスナ』では、これらに私なりの解釈を加えて設定させていただきました。
この辺りを書いていて思ったのですが、最近よく言われる『マイナスイオン』と言うのも実はマナなのかも知れません。マイナスイオンを発生させるエアコンは、実は人工マナ発生装置――と考えてみると、面白いかも知れませんね。
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