二匹の子猫を抱いてエヴァの家に向かう千鶴と夏美。その途中、横島が高校に通学するために利用しているバス停の前で二人は、頭の上にすらむぃを乗せた横島と、肩の上にカモを乗せたアスナと鉢合わせになった。横島は手に見鬼君を持っている。
「千鶴ちゃん達、何してんだ?」
「あら、忠夫さん」
「ねぇ、ここに来るまでに桜子と茶々丸さん見なかった?」
「いえ……やっぱり、まだ見つかってないんですか?」
アスナの問い掛けに千鶴と夏美は心配そうな表情で顔を見合わせた。肩の上のカモが桜子達がまだ見つかっていない事を伝えると、瞬く間に二人の顔が蒼白になっていく。
「ちづ姉、どうしよう!?」
「私達も探さないと……あ、でも、この子達が」
そう言って千鶴は腕の中の子猫に視線を落とす。横島達もそこで二匹の子猫の存在に気付いた。
「その猫、どうしたんだ?」
「向こうの茂みの中で見つけたんです。どっちも怪我をしているみたいで、魔法で治せないかと思って……」
アスナが子猫に顔を近付けてみると、どちらの子猫も全身傷だらけである事が確認出来た。弱々しく呼吸をしていなければ、死んでいるんじゃないかと思っただろう。横島も子猫の方に目を向ける。しかし、彼は猫を見てはいなかった。
「やはり、これは、なかなか……っ! 猫! そこ替われっ!」
「兄さん、声に出てるぜ。気持ちは分かるけどな……」
猫の向こう側にある千鶴の胸を見ているようだ。心なしか霊力が高まっている。カモは彼の気持ちに理解を示し、涙ながらにうんうんと頷いていた。
「あらあら、忠夫さん。だっこなら後でしてあげますから。それより、この子達どうにかなりませんか?」
「あっ、そうだ! ネギが使ってた治癒の水薬ならあるよ!」
そう言ってアスナは太股に装着した破魔札ホルダーから小瓶を取り出す。元々破魔札を入れるための物だが、そこまで多くの破魔札を持ち歩かないため、最近は他の物も入れるようになっていた。彼女が持っている治癒の水薬はエヴァの物だ。魔法関係者全員に配付されている物らしいが、エヴァには必要ない物である。それならば除霊現場に持って行ったらどうかと茶々丸が勧めてくれたので、アスナは破魔札ホルダーの空いたスペースにこの薬が入った小瓶を常備するようになっていた。
小瓶を受け取った千鶴はきょろきょろと辺りを見回し、バスの利用客のためのベンチを見つける。
「それじゃ、そこのベンチで薬を……どう使うのかしら?」
「飲み薬らしいわ。魔法薬だから、ちょっとで効果が出るって話よ」
「そう、それじゃ……」
ベンチに腰掛けた千鶴は子猫の身体の大きさも考慮し、まず水薬で指を濡らした。そして、それを膝の上の黒い子猫、ビッケに舐めさせる。流石は魔法薬と言うべきだろうか。瞬く間に効果が現れ、ビッケの身体を光が包んだかと思うと、身体の傷がみるみる内に癒えていく。
「ニャッ!?」
光が収まると、目を見開いたビッケは驚いたように千鶴の膝から飛び退いた。そして毛を逆立てて千鶴達を威嚇する。それでも逃げ出さないのは夏美の腕の中の白猫、クッキの事を気にしているためだろうか。
しかし、千鶴はそんな態度など気にも留めていなかった。夏美からクッキを受け取り、同じように治療しようとする。傷が癒えたクッキも飛び退き、そのまま逃げてしまっても良かったのだろう。二匹が元気になるのならば。
「ちょ、ちょっと待て、千鶴ちゃん」
「どうかしたんですか?」
ところが、横島がある事に気付いた事により、事態はより複雑な方に転がり始める事となる。
「見鬼君が反応してる」
「ど、どっちですか?」
「………」
アスナの問いに、横島は答える事が出来ない。自分の目の前の現実が信じられないのだ。
「まさか、こいつは……」
次に気付いたのはカモであった。アスナは隣の横島と肩の上のカモに挟まれておろおろしている。
見鬼君は四つの存在に反応していた。一つは言うまでもなくカモとすらむぃ。オコジョ妖精である彼は、見鬼君に反応するのである。そして、残り二つは横島の視線の先に在った。
「その二匹、ただの猫じゃねぇ! 俺っちのシッポにもビンビンきやがるぜ!」
そう、横島の見鬼君は、クッキとビッケにも反応していたのだ。
「オコジョ妖精の俺っちには分かる! そいつらも妖精だッ!!」
「えぇっ!?」
「ウソっ!?」
アスナと夏美が驚きの声を上げると同時に、千鶴の膝の上のクッキの傷も癒えた。クッキはすぐさま逃げだそうとするが、千鶴がしっかりと押さえ込んでいるため逃げ出す事が出来ない。カモの話を聞き、逃がしてはならないと咄嗟に力を強めたのだ。
それを見たビッケは、クッキを助けるべきか、それともここは逃げるべきかと一瞬躊躇してしまう。その一瞬の隙を横島は見逃さない。見鬼君を放り投げると、飛び付くようにしてビッケを捕まえてしまった。
見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.88
捕まえられた二匹の子猫はしばらく暴れていたが、やがて逃げられないと悟ったのかおとなしくなった。今はすらむぃが二匹を捕まえている。彼女ならば、たとえ引っかかれてもダメージは無い。
「カモ、その話本当なの?」
「間違いねぇ。猫妖精(ケット・シー)ってヤツさ」
「確かにコイツら、ただの猫じゃないゼ。魔法力を感じる」
カモの言葉にすらむぃも同意した。カモが視線を向けると、二匹はプイッと揃ってそっぽを向いてしまった。その態度は逆効果である。カモの言葉を理解していると言っているようなものだ。カモの言う通り、この二匹は猫妖精なのであろう。
「……しょうがない、一旦戻ってエヴァに預けるか。」
「そうですね。このまま連れて歩く訳にもいきませんし」
猫妖精の正体が何であれ、このまま野放しにしておく事は出来ない。しかし、今は桜子達を探さなければならないため、二匹にかまけてばかりいられない。横島達は一旦エヴァの家まで戻り、猫妖精達をエヴァに預ける事にした。
「え〜っと、見鬼君はどこだ?」
「さっき、そっちの方に放り投げませんでした?」
夏美が指差したのはバス停。横島もそちらの方に目を向けるが、見鬼君はどこにも見当たらない。
「あれ? おかしいな……」
「道路の向こうまで飛んでったって事は?」
流石にそこまで強い力で投げてはいないと、横島は首を傾げる。しかし、現に見鬼君はどこにも見当たらなかった。
向こう側に転がったのかと横島がバス停に近付こうとしたその時―――
「そっちに行っちゃダメ!」
―――聞き慣れない声が彼を呼び止めた。
一方、その頃桜子と茶々丸の二人は、不可思議な建物の中を案内されていた。その光景を目の当たりにした時、茶々丸は「白亜の宮殿」と言う言葉を思い浮かべた。しかし、よく見てみるとそうではない事が判明する。一見して大理石のように見えた柱や壁、それに床や天井までもが、謎の物質で出来ているのだ。人間界はおろか、魔法界についての知識を持っている茶々丸でも、それが何であるかは分からない。
「うわっ! 何あれ!?」
「ま、待ってください、桜子さん!」
まず、目を輝かせた桜子が手近な壁に近付き、茶々丸がその後を追う。そこで茶々丸は、初めて謎の物質を詳しく観察する事が出来た。
見た目通りに表現するのであれば、それは巨大な『水槽』であろうか。大理石のようにも見えるそれは、液体に満たされた水槽であった。光の加減で薄い白ともピンクとも表現出来るような不思議な色をしているが、それが器の色か液体の色かは判断出来ない。
しかも、その中には七色に光る無数の小さな何かが悠々と泳いでるのだ。魚の鱗に光が反射しているのかと思ったが、そうではない。水槽の中を泳いでいるのは、親指の爪程の大きさの光の球そのものであった。
もしかしたらこれは、水槽などではなく最初からこのような物質なのかも知れない。そんな疑問が茶々丸の頭を過ぎった時、背後に迫った案内人が手にした槍で二人の頭を小突いてきた。
「コラ! 何をしている!」
牢の扉を開いて二人を連れ出した案内人だ。二人はおとなしく従い、再び案内人に連れられて宮殿の中を歩いて行く。
廊下を歩きながら、案内人の後ろ姿を見て茶々丸は思った。こうなる前に、案内人を攻撃するべきだったかも知れないと。そうすれば今頃、自由にこの宮殿の中を動いて脱出口を探す事が出来ただろう。今は案内人に手枷を嵌められた状態であるため、脱出するにもまずこれをどうにかする必要がある。
あの時、躊躇するべきではなかった。茶々丸は後悔するが後の祭りである。しかし、あの時はどうしても攻撃する事が出来なかったのだ。
目の前を歩く案内人、いや人ではない。全身けむくじゃらの所謂『獣人』である。声の感じからして女性なのだと思うが、外見からは判断出来ない。頭の上に大きな耳を持ち、頬から突き出た細い髭が後からでも見る事が出来る。手には槍を持ち、上半身は胸当てのような物を身に着けている。長い尻尾を持っており、それが二人の目の前でゆらゆらと揺れていた。
茶々丸が、それを眺めながらポツリと呟く。
「や、やっぱり、かわいい……」
有り体に言ってしまおう。猫だ。彼女達の目の前には二本足で立って歩く猫がいる。ブラックとオレンジのトーティ・シェル――所謂サビ猫である。
牢屋の扉が開き、茶々丸が不意討ちを仕掛けようとしたその時、視界に飛び込んで来たのが、その猫の案内人であった。そのくりくりっとした目を見て、猫好きの彼女が攻撃を躊躇してしまったのも仕方があるまい。なんとも緊張感の無い話である。
もっとも、おとなしく従っている理由はそれだけではなかった。牢屋に閉じ込められていた時からセンサーが上手く働かないと思っていたが、明るい場所に出てその理由を知る事が出来た。猫だ。茶々丸と桜子の二人もまた、前を歩く案内人と同じような猫の姿となっていた。
桜子はふわふわした毛を持つオレンジ色の猫。茶々丸の方はホワイトにブラウンのブチ模様。顔の周りが、一歩間違うとタヌキと呼ばれそうな模様になっている。これはこれで愛嬌のある姿だと茶々丸は思うのだが、まさか自分がそうなるとは思わなかった。
センサーが働くはずがない。なにせ猫の身体なのだから。それどころか、茶々丸の身体に搭載されている全ての武装が無くなっている。これでは桜子を連れて未知の場所を逃げ回るのは難しい。それが今はおとなしく従っている理由であった。エヴァが異変に気付き、誰かが救助に来てくれるのを待とうと言うのだ。
もっとも、エヴァ当人が助けに来るとは考えていない。ここがどこか分からないが、麻帆良でない事は確実であろう。『登校地獄(インフェルヌス・スコラスティクス)』により麻帆良から出られない彼女では、ここまで助けに来る事は出来ないはずだ。
「茶々丸にゃん、大丈夫だって。心配しなくても、横島さんが助けに来てくれるよ」
「……そう、ですね」
「あ、私ってば今運が悪いから、こう言う事は考えない方がいいのかな?」
肩を落とす桜子。流石の彼女も、この異常事態の深刻さにまいってしまったのだろう。いつもの元気が無い。茶々丸は力付けるように、その肩をポンと叩いた。
「大丈夫です。桜子さん」
「茶々丸にゃん……」
「きっと、横島さん達が助けに来てくれます」
「うん、そうだね」
茶々丸の励ましに桜子は力なく微笑んでみせる。
きっと横島達が助けに来てくれる。それが今の彼女を支える唯一の希望であった。
「今、何か言ったか?」
バス停に近付こうとしていた横島が、足を止めて振り向いた。しかし、アスナ達もあの聞き覚えのない声に戸惑っており、互いに顔を見合わせている。そんな中、すらむぃだけがその声の主に気付き、ひょいと身体を伸ばして横島の前に差し出した。
「こいつが喋ったゼ」
「……マジで?」
すらむぃが差し出したもの、それは白猫のクッキであった。その目は横島の方を向いているが、これは見据えていると言うより、戸惑ってどうして良いかが分からずに、目を逸らす事も出来ないと言った方が正確であろう。
「カモ、猫妖精って喋るのか?」
「そりゃオコジョ妖精だって喋るからな」
言われてみれば、その通りだ。先程この二匹はカモの言葉を理解してそっぽを向いた。自分達も喋れたとしても不思議ではない。
「え〜っと、何がダメなんだ?」
答えてくれるかどうか分からないが、腰を屈めてクッキに尋ねる横島。傍目にはおかしな事をしているように見えるだろうが、横島は大真面目である。クッキはどうしたものかと迷っていたが、やがてポツリと一言だけ答えてくれた。
「……水たまり」
高い子供のような声だ。見た目通り、この猫妖精はまだ子供なのかも知れない。
「水たまり?」
再びバス停の方に振り返ってみると、確かにバス停のすぐ側に水たまりがあった。それを見て横島は、今日の午前中に通り雨があった事を思い出す。
この水たまりがどう危ないのか。疑問符を浮かべて顔を近付けてみる。日の光を反射しキラキラと輝く何の変哲もない水たまりだ。
「ん?」
ここで横島は違和感を覚えた。改めて水たまりを見てみると、やはりキラキラと光っている。逆に空を見上げてみると、通り雨の雲はとうに過ぎ去っているものの、晴天とも言い難い空模様であった。この水たまりは、一体何の光を反射していると言うのか。
「まさか……」
異常に光る水たまり。消えてしまった見鬼君。ふと彼の脳裏にある考えが浮かんだ。
「アスナ、ちょっと神通棍貸してくれ」
「え、あ、はい」
突然の話に戸惑いながらも、アスナは神通棍を手渡す。それを受け取った横島は、神通棍を伸ばすと、それを水たまりへと突き立てた。
「――っ!?」
その光景に皆が息を呑む。
ここは舗装された道路だ。水たまりと言っても靴底ほどの深みもない浅い物のはずである。突き立てた神通棍は霊力も込められておらず、すぐに硬い音を立てて止まるはずだ。
ところが、彼等が目にしたのは、ずぶずぶと水たまりの中に飲み込まれていく神通棍の姿であった。半分ほどまで行ったところで横島は神通棍を抜き取った。水に濡れているだけで傷一つついていないが、ただの水たまりでない事は確かである。
「こいつぁ、もしや……」
カモがアスナの肩から降りて水たまりに近付いて行く。そして息を止めて水たまりの中に顔を突っ込むと、中を確認してから再び顔を上げた。
「カモ、分かるか?」
「コイツは多分、妖精環(フェアリーサークル)ってヤツだ。妖精の世界へ通じてるんだ」
妖精環と言うのは本来、円を描くように生えるキノコの環の事である。妖精の世界に通じており、妖精達はそのキノコの上で踊ると言うのだ。水たまりの周りにキノコは生えていないが、妖精の世界への入り口と言う事で、カモは『妖精環』と言う言葉を使ったのだろう。
「なんでこんな所に……ここ、普通のバス停だぞ」
「それは分かんねぇけどよ……この水面の向こうの匂いは間違いなく妖精の世界に繋がってるぞ」
「魔法界か?」
「いや、冥界だ。天界、魔界のお隣さんだな」
その言葉を聞いて、横島は仮契約(パクティオー)した際にアーティファクトを与えてくれる職人妖精達が冥界に居ると言う話を思い出した。「お隣さん」と言っても概念的なものであり、物理的に隣合っている訳ではないのだろう。
「あっ!」
アスナがある事に気付いて声を上げる。
この辺りはバス停はあっても降りる人はほとんどなく、人通りの少ない道である。それに、普通ならばこんな水たまりは避けて通るだろう。
しかし、彼女は気付いてしまった。運悪くこの道を通り、運悪く水たまりを踏んでしまいそうな少女の存在に。
「横島さん、もしかして桜子……この水たまりに落ちちゃったんじゃ!?」
「「桜子ちゃん!?」」
しかし、その言葉に反応したのは横島ではなかった。揃って驚きの声を上げたのはクッキとビッケだ。
「え? あんた達、桜子の事知ってるの……?」
「そう言えば……」
夏美が思い出した。以前教室で桜子が自分の飼い猫の写真を皆に見せて回っていた事を。寮生活になったばかりであまり会いに行く事が出来ずに、家から送られてきた写真を皆に見せびらかしていたのだ。
確かあの写真には白と黒の二匹の子猫の姿が映っていたはずである。中学に入学した頃の話なので今も子猫のはずがないと思っていたが、猫妖精ならば今も子猫と言う事があるのではないだろうか。
「も、もしかして、この子達……桜子の家の飼い猫なんじゃ?」
「へ? ああ、そう言えばクッキとビッケって猫を飼ってるって言ってたような……」
「あら、首輪に書いてた名前と一緒ね」
アスナ達は確信した。この二匹は桜子の飼い猫であるクッキとビッケである。
「って事はあれかい? 桜子の姐さんは猫妖精を飼ってたって事かい?」
「そうなるんだろうな……それよりも、今はそいつらに詳しい話を聞こう。桜子ちゃんの行方も分かるかも知れん」
「水たまりの向こうで間違いないんじゃねぇカ? それなら、マスターが茶々丸と交信出来ないってのも頷けるゼ」
「だったら、その水たまりの向こうについて聞こう」
ひとまず戻ろうかとも考えたが、もうすぐ他の3−Aの面々がこの道を通ってエヴァの家に来るはずだ。水たまりを放っておくのも不味いだろうと言う事で、横島達はベンチの周りに集まって、クッキとビッケから話を聞こうとする。
クッキとビッケを捕まえたままのすらむぃがベンチの上に登り、皆がベンチを取り囲んだその時、突然横島達の背後に異様な気配が膨れ上がった。皆がベンチの方を向いていたためバス停に背を向けてしまっており、一瞬反応が遅れてしまう。
『見つけたぞ』
全員の脳裏に響く不気味な声。その声を聞いた直後に一行は水たまりから噴き出した真っ黒な霧のようなものに飲み込まれてしまった。
霧はすぐに水たまりへと吸い込まれていく。全ての黒い霧がなくなった後、横島達の姿はどこにも無かった。
そして一瞬水たまりが光輝いたかと思うと、その光もすぐに収まった。後に残されたのはただの水たまり。そう、キラキラ光る事のない、薄暗い空を映し出すただの水たまりがそこにあった。
妖精環が閉じられたのだ。まるで、役目を終えたと言わんばかりに。
「うぅ、ここは……?」
横島は狭い石造りの部屋の中で目を覚ました。彼は知らない事だが、桜子達が捕らえられていた牢とはまた別の場所である。四角い窓から光が差し込んでおり、すぐに周りの様子を見る事が出来た。ガラスも何もない、ただ壁に穴が空いただけの窓だ。
「なんじゃこりゃ……?」
部屋の中の異様な様子に横島は目を見開いた。
猫だ。三匹の猫が横たわっている。更にその奥にはカモらしき一匹のオコジョの姿があった。起き上がろうとすると腕が重い事に気付き、そちらに目を向けてみると、彼の腕にすらむぃがしがみ付いている。
「……ん?」
違和感を覚えた横島は、再度自分の腕を見てみた。やはり、すらむぃが腕にしがみ付いている。しかし、自分の腕はこんなに毛深かっただろうか。すらむぃごと腕を持ち上げ、拳を握ったり開いたりしてそれが自分の腕である事を確かめる。確かに指は思い通りに動いている。しかし、その手のひらには見事な肉球があった。
「猫ぉーーーっ!?」
部屋中に響き渡る大声。その声に反応して三匹の猫とカモが飛び起きる。
「よ、横島さん!? どうしたんですか!?」
「え? え? 何が起きたの?」
「あらあら?」
三匹の猫は辺りをキョロキョロと見回している。横島の姿を探しているのだが、見つける事が出来ないようだ。それもそうだろう。横島は今、桜子達と同じように猫になっているのだから。
「おい。こっちだ、こっち!」
人間であった時と変わらぬ声でアスナ達に声を掛けると、彼女達は揃って横島の方を見た。彼女達の目にはすらむぃが腕にしがみ付いた、直立する三毛猫の姿が映っている。
「も、もしかして、横島さんですか?」
「おう、自分達の姿も見てみろ。皆猫になってるぞ」
そう言われてお互いの顔を見る三人、更に視線を下げて自分達の姿を確認し――直後に、三色の絶叫が響き渡ったのは言うまでもない。
アスナは明るい茶色のトラ模様の猫になっていた。千鶴はクリーム色をした波紋模様のあるペルシャ猫だ。そして夏美はと言うとグレーのマンチカンであった。可愛らしい姿なのだが、夏美は「人間の時のスタイルが関係してるのかなぁ……」と何やら短い手足にショックを受けている様子である。
「ところで……カモ、デカくなってないか?」
「いや、兄さん達が縮んだんじゃないですかい?」
全員立ち上がってみて分かったのだが、カモの身長が横島達の胸の辺りに迫っていた。カモ曰く、横島達が猫の姿になって小さくなったとの事だが、横島達にしてみれば、急にカモが巨大化したと言う異様な光景が目の前に広がっている。
「じゃあ。すらむぃも大きくなったわけじゃないのか……?」
「別に水吸収した訳じゃないゾ?」
そして、すらむぃもまた横島の腰辺りまで頭が届く大きさになっていた。こちらもやはり、すらむぃが大きくなったわけではなく、横島達が小さくなったのだろう。今までのすらむぃは、それこそぬいぐるみのようなサイズであったが、今のすらむぃは横島達の感覚で言えば人間の子供サイズだ。今の横島達は猫だが、並べば親子のようなサイズ差と言えるだろう。それが新鮮で面白いのか、すらむぃは嬉しそうに横島に飛び付いていた。
「こら、飛び付くな」
「へへっ、いいじゃんかヨ。このサイズおもしれーナ」
すらむぃは自分も猫の姿になろうとするが、どうにも上手くいかない。しばらく悪戦苦闘していたすらむぃは、結局頭の上に猫の耳を生やし、お尻から猫の尻尾を生やす事で妥協したようだ。
「それより、ここはどこなんだ? カモ、ここが妖精の世界なのか?」
「多分、そうだろうな」
そう言って壁際まで移動したカモは、窓から外の様子を伺う。どうやらここは、人里であるらしい。外は多くの人――いや、二足歩行する猫が行き交っている。
「ニキラなんとかって言う猫妖精の世界だと思うんだが、俺っちも初めてだから、よく分かんねぇ」
妖精の世界と言っても色々とあるらしく、カモも猫妖精の世界については詳しくないようだ。横島も同じように窓の外を見てみるが、確かに行き交うのは猫ばかりでオコジョの姿は無い。
「それより、あの二匹は? この部屋にいないの?」
アスナが部屋の中にクッキとビッケの姿が無い事に気付く。言われてみれば、横島が目を覚ました時から二匹の姿は無い。
「俺達だけがここに現れて、あいつらは別の所か?」
「そうかも知れないわね」
しかし、一体何が起きて自分達がここに居るのかを理解していない横島達には、それ以上の事は分からなかった。
「でも、あの声って一体何だったんダ?」
「ああ、あの 『見つけたぞ』 ってヤツ?」
演劇部らしく、あの時の声を真似て見せる夏美。迫力は無いが、なかなかに似ている。
不気味な声であったが、誰もその声に聞き覚えは無かった。声の感じからして男性だと思うのだが、年齢までは判別する事が出来ない。
「とにかく、ここに居ても仕方がないから外に出たいんだが……オコジョ妖精とかスライムが外出歩いてても大丈夫なのか?」
「珍しがられるだろうけど、それでいきなりとっつかまるって事は無いと思うぜ」
「そうか……いざとなったら逃げるしかないな」
このままここで待っていても事態は進展しない。そう判断した横島達はこの部屋から出て外で情報を集める事にする。
木製の扉に手を掛けてみると、カギは掛かっておらず、すぐに扉は開いた。表に出てみると、そこは人気の無い通りであった。窓とは反対方向なので、向こうが表通り、こちらが裏通りなのかも知れない。
「それじゃ、猫になってる俺達で表通りの様子を伺いながら、基本的には裏通りを進んでくって事で」
「賛成だ。わざわざ目立つ真似する必要はねぇからな」
横島の提案にカモも賛成する。アスナ達も頷き、猫四匹にオコジョとスライムは行動を開始した。
一方、宮殿内を歩かされている桜子と茶々丸は、これまでと少し異なる場所に差し掛かっていた。右側に宮殿の外に続く道があり、その先には大きな門が見える。扉は開放されており、その向こうには人通りの多い町が見えた。やはり、行き交う人々は猫ばかりだ。
これはチャンスかも知れない。そう判断した茶々丸は、思い切って前を歩く案内人に声を掛ける。
「あの、私達はどこに連れて行かれるのでしょうか? 用件が何なのか、聞かせていただきたいのですが」
「うるさい、黙って付いて来い!」
しかし、案内人はまともに答えてくれなかった。心なしか声がヒステリックになった気がする。
その反応に茶々丸が得心して頷いた。答えを期待していた訳ではない。どう反応するかが見たかったのだ。
案の定、案内人の反応はお世辞にも友好的なものではなかった。やはり、自分達は悪意を以て閉じ込められていたのだと茶々丸は判断する。このまま付いて行ってもろくな事にならない可能性が高い。
状況が掴めず、逃げ切れる見込みが無い内はおとなしくしていようと思っていた。しかし、今その状況が変わろうとしている。
「こっちだ」
案内人はそこで左に曲がろうとしている。そちらに目を向けていると、豪華な広間の先に階段が見える。目的地はその階段を上った先にあるのだろう。二階に上ってしまうと、逃げるのが更に困難になる。茶々丸は決心した。チャンスは今しかないと。
「……桜子さん」
案内人に聞こえないように桜子の耳元で小さく耳打ちする。猫の姿のため耳が少々高い位置にあったが、茶々丸の意図はしっかり伝わったようだ。桜子は神妙な面持ちで小さく頷いた。
二匹は言われるままに交差点を左に曲がる。それを見た案内人は小さく頷くと再び先導して歩き出した。この背を向けた一瞬がチャンスだ。茶々丸と桜子は無言で踵を返し、そのまま門に向かって全力で走り出した。
猫の足であったためほとんど足音がなく、案内人は気付くのが遅れてしまう。二人が逃げ出した事に気付いた時は、既に二匹は門の近くまで走っていた。当然、門には門番が立っているのだが、突然の出来事にどうすれば良いのか分からずに戸惑っているようだ。
案内人がまたヒステリックな声を上げて桜子達を止めるように叫ぶ。門番はその声に弾かれるように動き出す。
「申し訳ありません!」
しかし、迫り来る二匹の猫門番を茶々丸は腕に手枷を嵌めたまま、回し蹴りで薙ぎ払ってしまった。猫の身体で武装は無くなってしまったが、格闘技術まで無くしてしまった訳ではないのだ。
桜子が一緒のため、多勢に無勢となれば彼女を守りきれなかっただろうが、二対一ならば何とかなる。猫を蹴飛ばしてしまったため良心が痛むが、こればかりは仕方が無いだろう。
「まずはどこかで、この手枷を外しましょう!」
「お、オッケー。よく分かんないから、茶々丸にゃんに任せるよ!」
手枷を外し、人混みに紛れてしまえばそう簡単に見つかりはしないだろう。まずは、この手枷を外さねばなるまい。
二匹はそのまま案内人の甲高い声を背に受けながら、猫の街へと飛び出して行ってしまう。
こうして謎の宮殿から逃げ出した桜子と茶々丸。
これが猫妖精の世界を舞台にした、桜子の冒険の始まりであった。
つづく
あとがき
レーベンスシュルト城、桜子の強運、家庭環境、及び飼い猫クッキとビッケは、原作の表現を元に『黒い手』シリーズ、及び『見習GSアスナ』独自の設定を加えて書いております。
オコジョ妖精の世界が冥界にある。
同じく猫妖精の世界『ニキラなんとか』が冥界にある。
猫妖精の世界『ニキラなんとか』に関する各種設定。
これらは『黒い手』シリーズ、及び『見習GSアスナ』独自の設定です。ご了承下さい。
そして、前回の後書きにあったオマージュしている作品についてですが
それは青い鳥文庫の『摩訶不思議ネコ ムスビ』と言う作品です。
私の好きな作品なのですが、このサイトの読者層は知らない人が大多数なのではないでしょうか。
『見習GSアスナ』における猫妖精の世界とは色々と設定が異なっています。どう違うかについては、実際に『摩訶不思議ネコ ムスビ』を手に取ってお確かめください。
|