「うぅ……朝、か……」
　千鶴と仮契約（パクティオー）をした翌朝、目を覚ました横島は、のっそりとベッドから身を起こした。
「……あれ？」
　そこで横島は、ここが自分の部屋ではない事に気付く。倉庫にあった家具を必要最低限だけ持ち込まれた、統一感のある均整のとれた部屋。寝ぼけたまま周りを見回し、横島はここが茶々丸の部屋である事を思い出す。
「あ〜……昨日、あのまま寝ちまったのか」
　昨晩、いつも通りエヴァに血を吸われた横島は、その後茶々丸へ霊力供給をするためにこの部屋を訪れていたのだ。

　アスナ達との日々の修行は、彼の煩悩を大いに刺激するものであり、大量の霊力を供給しているにもかかわらず、終わる頃には供給した以上の霊力が湧き上がっていると言う状態が続いていた。それこそ、増え過ぎた霊力が横島の身体に負担を掛ける程に。
　一応、毎晩エヴァに、血と一緒に霊力も吸われているのだが、茶々丸から吸い過ぎを指摘されたらしく、最近の吸血量は抑え気味となっている。それどころか、吸えない分をスキンシップで補おうとしており、ソファの上で、ベッドの上で、抱き着き、舐り、そしてネコの子のように身体をすり寄せて甘えまくっていた。エヴァはそれで満足しているようだが、横島にしてみれば、吸われる霊力量が少ないのが困りものである。
　その後、横島は茶々丸の部屋を訪れて、彼女にもネジを巻いて霊力供給をするのだが、こちらは供給する以上に霊力が湧いて出てくるため、霊力が有り余っている彼の助けにはなっていない。むしろ、負担を増やす一因となっていた。

　横島の枕元には、彼の手に丁度フィットする大きさのゼンマイネジがある。本来、茶々丸が使うゼンマイネジは、一般人でも霊力を供給出来るように、微弱な力を増幅する機能が備わっていたのだが、これはその逆だ。茶々丸の負荷にならないように、供給される霊力量を制御するためのリミッターが付けられている。そう、これは横島が茶々丸に霊力を供給するための、専用のゼンマイネジであった。
　昨夜は、これで茶々丸に霊力を供給し、そのまま寝てしまったのだろう。着ている服が昨日のままだ。
　指先にコツンと何かが当たる感触。横島は視線をそちらに向けると、手元にあった小さな球をつまみ上げた。
　それは横島自身が作り出した文珠であった。新しいネジは、横島が煩悩の赴くままにネジを巻いても茶々丸の負担にはならない。ならないのだが、逆にリミッターによって供給されないままの霊力が横島の負担となっている。
　そこで横島が考えたのは、茶々丸に霊力を供給しながら、溢れ出る霊力に余剰分も合わせて文珠を作ると言う荒業であった。以前、裕奈の胸の谷間を覗き込みながら、霊力供給をしつつ、同時に文珠を造った事があるので、不可能ではないと考えたのである。
　両手が塞がっているため、額のチャクラを通して文珠を作り、額の上で完成した文珠は、そのままポトリとベッドの上に落ちる寸法だ。
「……最近は、一日に一個出来るかどうかってペースだな」
　麻帆良に来る以前に比べると、格段に速い生成スピードだ。
　横島は、その原因に心当たりがあった。一つは毎日アスナ達をあふんあふんと言わせて煩悩永久機関をフル回転させている事。
　もう一つは、日々永久機関をフル回転させる事により生み出される霊力が負荷となっており、横島の魂を鍛え上げている事。
　つまり、鍛えられて魂の容量が増える事により余剰霊力の量も増え、その大量の霊力を用いて文珠を生成しているのである。
　日々の霊力供給は、アスナ達の霊力を鍛えるためのものであるが、それは同時に横島自身を鍛える修行にもなっていた。煩悩永久機関で湧き上がる霊力を利用しているため、横島一人で行うよりも、余程効率が良い修行方法と言えるだろう。
　また、茶々丸に霊力供給をしながら、煩悩永久機関をフル回転しつつ、超人的な集中力で文珠を生み出すのは、文珠の生成スピードを上げる修行になっていた。その結果が一日約一個のペースで生成される文珠である。
　アスナは、横島に出会った事により新たな世界への扉を開いた。そして今は、横島の『魔法使いの従者（ミニステル・マギ）』、横島の除霊助手、横島の弟子として成長している。それと同じように、横島もまた麻帆良に来てアスナ達と出会った事により、着実に成長していた。

　文珠を体内に仕舞い込んでいると、不意に声を掛けられた。
「横島さん、目が覚めましたか？」
「あ、茶々丸おはよ――お約束！？」
　そう言えば、部屋の主である茶々丸の事を忘れていたと、声のした方に振り返ってみる。すると、そこには着替え中だったのか下着姿の茶々丸の姿があった。バーガンディーを基調にした上品なレース。今のボディになる前から思っていた事だが、相変わらず下着のセンスが良い。
　ここで横島はハッと気付く。自分がこの部屋のベッドで寝ていたとすれば、部屋の主である茶々丸はどこで寝ていたと言うのか。
　視線を下げてみると、自分の寝ていた場所がベッドの上でも左側に寄っている事に気付いた。更に視線を右にやると、枕がもう一つ並べられており、誰かが寝ていた形跡がある。
「あの、茶々丸さん、昨夜はもしかして……？」
「昨日はお楽しみでした」
「マジでッ！？」
「冗談です。横島さんは、ネジ巻きを終えた後も離してくれずに眠ってしまったので、そのまま休んでいただきました」
　茶々丸によると、昨夜横島は茶々丸への霊力供給を終えた後、崩れ落ちるように倒れ、そのまま泥のように眠って起きなかったそうだ。文珠を速成した事による極度の疲労が原因だと思われる。
　背中から抱き着かれた状態の茶々丸は、横島を起こそうとしたものの、まったく反応が無かったため、そのまま枕を並べて眠ってしまったらしい。
「横島さんの部屋までお連れする事も考えましたが、せっかくでしたので」
「そ、そうか」
　説明を続けながらも茶々丸は着替えていく。麻帆良女子中の制服に着替えた彼女は、更にその上からエプロンを身に着けた。
「私は朝食とお弁当の準備がありますので厨房に行きますが、横島さんはどうされますか？」
　そう言われて横島は時計を見る。アスナ達との朝の修行が始まるまで、もう少し時間がありそうだ。
「時間まで、この部屋を使っていただいてもかまいませんが」
「いや、修行の前に風呂に入るわ。昨日入ってないし」
　横島の一日のスケジュールにおいて、入浴は茶々丸のネジ巻きを終えた後となっている。昨日はネジ巻きを終えた直後に眠ってしまったため、風呂に入っていない。と言う訳で、横島は朝の修行の前に入浴する事にした。
「分かりました。それでは……」
　茶々丸はベッドまで近付いてきて、横島の脇にあったゼンマイネジを手に取る。
「また今夜も、よろしくお願いしますね」
「お、おう！」
　そしてそれを横島に手渡し、ネジを持った彼の手を包み込むようにしてぎゅっと握った。このネジは茶々丸のために作られた物であり、横島が使うために作られた物でもある。
　知らず知らずの内に、彼女の口元に微笑みが浮かんでいた。以前ならばこれほど自然に笑みを浮かべる事は出来なかったのではないだろうか。新しいボディになったと言うのもあるが、茶々丸はそれ以上に自分の内面が変わっていると感じていた。
　その原因として考えられるのは、やはり目の前の横島忠夫と言う男。それに、一緒に暮らすようになった新しい家族達だ。
　愛おしげに二人の手の中にあるゼンマイネジを見詰める茶々丸。それは、マスターであるエヴァとの繋がりと同じぐらいに大切な、自分と横島を繋ぐ架け橋となるネジであった。


　茶々丸の部屋を出た横島は、一旦部屋に戻って着替えを取ると、そのまま一階にある大浴場へと向かった。流石に一度に全員が入ると手狭になるだろうが、四、五人ならば十分に寛げる広さを誇っている。
　横島はその広い大浴場を一人で堪能する事が出来るのだ。鼻歌交じりに服を脱ぐと、早速中に入って行く。
　そのまま鼻歌を歌いながら湯船に向かうと―――

「……え゛？」

―――そこには、水ごりをする刀子の姿があった。鼻歌が反響していたため、水音に気付かなかったらしい。
　薄手の白い襦袢を一枚纏っているが、水に濡れて透けている。少女達とは異なる充実した肢体に、横島は思わず心を奪われて立ち尽くした。
　だが、それもほんの数秒の事である。
「刀子さあぁぁぁんっ！！」
「ハッ、怪しい気配！？」
　勢い良く飛び掛かる横島だったが、素早く察知した刀子の振り返り様の一撃が、吸い込まれるように急所に命中。そのまま撃墜されてしまった。流石と言うべきか、見事な必殺の一撃だ。
「って、横島君！？　え？　え？」
　撃墜してから、それが横島である事に気付いたらしい。身体をくの字に折り曲げて呻いている横島を見下ろし、自分が何を殴ったかにも気付いて刀子は赤面している。
「ゴ、ゴメンなさい！」
　その苦しみ様に介抱しようかとも思ったが、透けて裸同然の自分の今の格好を考えれば、この場に留まる事は出来ない。刀子は仕方なく横島をその場に残し、逃げるように大浴場から出て行ってしまった。
「ヨコシマ、ナニやってんダヨ？」
　そして、取り残された横島を湯船の中から顔を覗かせたすらむぃがニヤニヤしながら見ていた。

「ハァ……ハァ……ま、まさか、横島君と鉢合わせになるなんて……」
　脱衣場まで戻って来て、扉を閉めた刀子は、そこでようやく一息ついた。まだ胸がドキドキと高鳴っている。
　心を落ち着かせるために水ごりをしていたと言うのに、これでは本末転倒だ。とは言え、また大浴場に戻る訳にもいかない。この後は横島達と一緒に朝の修行に参加する事になっている。こうなったら身体を動かして気を紛らわせようと、刀子は襦袢を脱いで身体を拭くと、トレーニングウェアのジャージに着替え始めるのだった。
　水ごりしていた理由が、昨日見た光景のおかげで、妙な夢を見てしまったためなのは、刀子だけの秘密である。

見習ＧＳアスナ極楽大作戦！　FILE.99

　大浴場にはすらむぃだけでなく、ぷりんも入っていて、彼女が動かない横島を介抱してくれた。痛みをこらえつつ入浴を済ませ、風呂から上がった横島が別棟の前に出ると、そこには既に体操服に着替えたアスナ達が集合していた。
　皆でお揃いのトレーニングウェアを買おうと言う話も出たのだが、予備の体操服を使えば良いだろうと言う事になり、それ以降修行中は体操服を着るようになっている。
　今朝からは、刀子、シャークティ、高音、愛衣、美空、ココネの六名も参加する事になる。高音はしっかりと目を覚ましているようだが、愛衣とココネは眠そうに目をこすっていた。そして美空は立ったまま寝ていて、後頭部にシャークティの一撃を食らって目を覚ましている。
　更に、ココネは人形のさよを腕に抱いていた。昨夜は一緒に寝ていたらしい。さよはまだ夢の中のようだ。
　愛衣、美空の二人は、アスナ達と同じ体操服だ。ココネもショートパンツのデザインが少々異なるが、学校指定の体操服姿である。刀子とシャークティの二人はジャージ姿だ。なんとも色気の無い出で立ちだが、普段見慣れない姿のため、新鮮である。刀子は先程の事を気にしているのか、頬が紅い。
　そして、高音もまた皆に合わせて学校指定の体操服に着替えていた。
「よ、横島君、あんまり見ないでくれる？」
「す、すまん、つい……」
　なんと、高音の学校、聖ウルスラ女子高等学校の指定体操服は下がブルマであった。スラリと伸びた色白のフトモモが眩しい。横島の視線は高音に釘付けになってしまっている。頬を染め、もじもじしている高音は、上着の裾を引っ張り下げて、それを隠した。
「……私も、ブルマ買っちゃおうかしら？」
「ど、どこで買う気アルか？」
「それよりさ、人数増えてきたし、皆でお揃いのウェア買わない？」
　横島の反応を見て、高音に対抗意識を燃やすアスナ。体操服以外のトレーニングウェアを用意しようと言う裕奈の方が建設的かも知れない。

　とにかく負けていられない。アスナはてててっと横島に駆け寄ってきた。
「横島さん、おはようございますっ！」
　そしてペコリと頭を下げて元気良く挨拶をする。横島が「おう、おはようさん」と頭を撫でてやると、アスナは本当に嬉しそうな表情で目を細める。
「えへへ……よーこしーまさんっ♪」
　ひとしきり頭を撫でられたアスナは、続けてぴょんっと横島の胸に飛び込んだ。そのまま背中に腕を回し思い切り抱き着くと、彼の胸に顔を埋めて頬ずりをした。横島の目の前で揺れる護符の赤いリボン。彼がアスナに買って上げたものだ。あれから彼女は毎日このリボンを付けている。
　アスナはリボンを買ってもらった翌日から、この朝の挨拶をするようになっていた。横島は当然の如くそれを受け容れ、押し付けられる胸、密着する身体の感触を堪能しているのは言うまでもない。
「兄ちゃん、おっはよーっ！」
　続けて裕奈が右から飛び込んで来た。来るのは分かっていたので、横島はそれに合わせて右腕で彼女の身体を抱き寄せる。そして横島と隣のアスナの背に腕を伸ばし、ぐっと力を込めて抱き着く。
　知っての通り、プライベートでは甘えん坊の一面を見せる裕奈。アスナがこの「朝の挨拶」を始めた当初から、自分もやりたそうにうずうずしていた。そして、翌日には彼女も元気良く飛び込んでくるようになって現在に至る。
「横島師父、おはようアル」
　次に古菲が寄って来た。しかし、彼女は頬を紅潮させたままで、アスナ達のように飛び込んではこない。
　古菲と言う少女は、普段の能天気さとは裏腹に、色恋に関しては純であり、恥ずかしがり屋の一面を持っている。アスナ、裕奈と同じように横島に近付いて来ても、自分から最後の一歩を踏み込む事が出来ずにもじもじするばかりだ。
　その最後の一歩をゼロにするのは横島の役目である。左腕でやや強引に抱き寄せると、古菲ははにかんだ笑みを浮かべ、されるがままに飛び込んで来た。裕奈と同じく横島とアスナの背に腕を伸ばして強く抱き着くのだ。

　アスナ達の行動に、呆気に取られていた愛衣。しばらくアスナ達四人の様子を眺めていたが、気になったのか、おずおずと四人に問い掛けてきた。
「あの〜、何してるんですか？」
「あ、これ？　朝の挨拶よ」
　あっけらかんと答えるアスナ。愛衣達は知らない事だが、これが彼女達の毎朝の挨拶であった。アスナ曰く、朝の修行は割と皆バラバラに動いている事が多く、その穴埋めらしい。
　十分に堪能したアスナ達は、横島から離れると愛衣に向き直る。
「愛衣ちゃんもやってみる？　なんて言うか、こう、安心出来るわよ」
「え？　いいんですか？」
「何言ってんの、今日から一緒に修行する仲間じゃない」
　この「朝の挨拶」は、横島を中心に繋がったアスナ達の連帯感の表れと言えるだろう。
　互いのぬくもりを密着して感じ取る事により、「横島と一緒」、「皆と一緒」と言うのを実感しているのだ。
「え〜っと……それじゃ、遠慮無く。えいっ！」
　誘われた愛衣は、嬉々として横島に飛び付いた。その小柄な身体を受け止めた横島は、左腕で彼女を抱き寄せ、右手で頭を撫でる。
「あぁ〜、お兄様ぁ〜」
　愛衣は、横島の方から抱き着いてきたりする事はそれなりにあったが、自分からこうして抱き着くのは初めてだった。力が抜けてしまい、しっかり立っていられずに横島にその身を預ける。アスナ達に比べて小柄なその身体は、とても軽い。
「………」
「ん？」
　体操服の裾が引っ張られる感覚に気付いた裕奈が振り返ると、そこにはココネが立っていて、じっと裕奈を見上げている。
「ん〜、ココネちゃんもやる？」
　見上げるばかりで何も言わないココネ。裕奈はもしやと思い、しゃがんで視線の高さを合わせ、小首を傾げて問い掛けてみると、ココネは無言のまま小さくコクリと頷いた。
　和やかなアスナ達を見て、羨ましくなったのかも知れない。
「ほい、兄ちゃん。ココネちゃんもごあんな〜い♪」
　その声に、表情をとろけさせていた愛衣がハッと我に返り横島から離れた。それに合わせるように、さよを抱いたココネがトテトテと近付いて来る。
「タダオ、私も……」
「おぅ、いいぞ！」
　言うやいなや、横島はココネを力強く抱き上げ、そしてそのままグルグルと回り始めた。
　突然の横島の行動に目を白黒させたココネは、振り落とされないよう彼にひしっと抱き着いた。横島がしっかり抱いているのでその心配はないのだが、慣れない動きに怖くなったのだろう。半分寝惚け眼だったココネの目は、完全に冴えてしまっている。
　難儀なのは、ココネと横島の間に挟まれる事になったさよだ。その衝撃に目を覚まして、こちらも状況が理解できずに目を回していた。
「あぅ、ビックリしましたよ、おとうさ〜ん」
　ココネを下ろした後も、さよは横島に抱き着いたまま離れない。よっぽど驚いたようだ。これからの修行の間、ココネが彼女を抱いたままと言う訳にはいかないので、このまま横島が預かる事にする。
　一方、ココネはと言うと、最初こそ驚いたものの、段々楽しくなってきていたらしい。下ろした後も、じっと横島を見詰めている。表情はあまり変わらないのだが、なんとなく期待しているように感じられる表情だ。横島はココネの頭をくしゃっと撫でると「また明日な」と笑ってみせた。

　ちなみに、この場にいないもう一人の『魔法使いの従者』夕映はどうしているかと言うと、朝に弱い彼女を起こしに行くのが横島の役目であるため、その時に同じ様な挨拶をしているそうだ。
　起こしても寝ぼけたままの場合がほとんどで、「もるです……」と呟いては、トイレまで運んでもらう事もあるらしい。

「………」
　その一方でもう一人、愛衣、ココネと同じく一緒に修行する仲間となった高音はと言うと、無言のまま横島を囲むアスナ達を見詰めていた。流石に少女達のノリで横島に飛び込む事は出来ない。仮にアスナ達と同年代だったとしても、彼女の性格では難しかっただろうが。
　そんな高音の視線に気付いた横島は、彼女の方に向き直り、バッと両手を広げて、こう叫んだ。
「高音！　俺の胸に飛び込んで来いッ！！」
　その言葉に応えるように飛び込んで来たのが、高音の操影術によって生み出された影の使い魔であった事は言うまでもない。

　横島が影の使い魔の下敷きになっていると、刀子が近付いて来て声を掛けてきた。いつものスーツ姿なら、ミニのタイトスカートを下から覗き込める位置だ。ジャージのパンツを穿いているからこそ、ここまで近付いて来たのだろうが、それ以上に横島は大浴場で見た光景を思い出していた。
「と、ところで、刹那は朝の修行に参加していないのかしら？」
　やはり刀子の方も大浴場での一件が尾を引いているのか、少しどもっている。
「あ〜、その、刹那ちゃんは木乃香ちゃん達と一緒に朝食の準備してるんで、参加してないんスよ」
「あら、体力作りは重要よ。料理は当番制にした方がいいかも知れないわね」
　そう提案するのはシャークティ。この件については、今日の夕食後に話し合いが行われる事になる。
　高音が使い魔を影に戻したので、横島もその場で立ち上がる。
「んじゃ、俺達は軽くランニングから始めるけど、高音達はどうする？」
「私達も参加させてもらうわ。城内を走るの？」
「いや、城壁周りを一周だ」
「……そう言えば、城外も自由に使えるのよね。つくづく凄い所だわ」
　高音はしみじみと呟いた。
　魔法生徒にとって、修行場所の確保と言うのは頭を悩ませるところである。これまで、深夜の人目につかない場所などを選んで修行をしてきた事を考えれば、ここで暮らすのも悪くないと思い始めていた。
「まぁ、アスナと同レベルで走ろうとか無茶だから、皆無理はすんなよ。特にココネとか」
「分かった」
　この中で一番の健脚は、間違い無くアスナだ。これに関しては古菲と裕奈も敵わない。新聞配達で鍛えた脚は伊達ではないと言う事であろうか。対抗出来るとすれば、妙神山での修行――もとい麓の町までの買い物で人外魔境の山を上り下りしていた横島ぐらいである。
「それじゃ、自分のペースで城壁一周な。野生動物は、あんま近付いて来ないって話だけど、一応気を付けろよー！」
「このジャングル動物が住んでるんですか！？」
「鳥なら、庭でも見掛けるだろ？」
　悲鳴のような声を上げる愛衣に、横島はあっけらかんと答える。実はそうなのだ。この水晶球の中には城周辺のジャングルと一緒に動物の類も一緒に収められている。流石に動物は城周辺にはあまり近付いてこないが、鳥などは中庭でよく見掛ける。エヴァ自身、特に管理はしていないが、天然のサファリパークのような状態であった。
「今度、探検してみるのも、面白いかも知れないアル！」
「そんな〜、怖いですよぉ〜」
「俺達毎朝走ってるけど、いまだに見た事ないから大丈夫だって。心配なら一緒に走るから」
「は、はい、よろしくお願いします」
　皆でランニングと言っても、ぺースを合わせて一緒に走る訳ではない。あくまで早朝の修行は体力作りが中心なので、それぞれ自分のペースで走る事になる。アスナが飛び抜けており、その後に古菲、少し遅れて裕奈と続く。高音は特に格闘技をしている訳ではないが、それでも操影術の力を借りずに裕奈についていける程度の力はあった。
「ほら、ちゃんと走りなさい！」
「は、はいーーーッ！！」
　のんびり走ろうとしていた美空は、背後からシャークティに追い立てられて猛スピードで走っていく。アスナに匹敵するスピードだ。後から聞いた話によると、美空とアスナは体育の授業において、毎度短距離のトップを競い合う仲らしい。
「横島君、ここは任せてもいいかしら？」
「え、ああ、いいっスよ」
　横島の返事を聞くと、まだ頬が紅い刀子は、プイッと視線を逸らし、シャークティ達を追って走り去っていった。こちらも神鳴流剣士だけあって基礎体力は相当なものがある。横島は、あの時は透けた襦袢に包まれていた刀子のお尻を凝視して見送っていたが、その姿はすぐに小さくなっていき、やがて弧を描く城壁の向こうに消えて見えなくなってしまった。
「俺達も行くぞ〜」
「は、はい、お兄様！」
「………」
　そして、残された横島、愛衣、ココネは、三人一緒になってゆっくりと城壁沿いに走るのだった。さよは、横島の頭の上にしがみ付いている。バンダナに手を掛けると、丁度良い具合に頭に張り付く事が出来るようだ。

　ランニングを終えた後は、三つのグループに分かれる。まず、演武、組み手をする刀子と古菲。古菲は刹那に続く組み手相手の登場に喜んでいた。次に、シャークティは裕奈、愛衣、美空、ココネを集めて精神集中を始めとする魔法の基礎修行をする。
　最後に横島、アスナ、高音の三人は、ストレッチを中心に行っていた。最近は刹那に剣の稽古を付けてもらったりもしていたので、刀子に稽古してもらえるよう頼むと言う手もあるのだが、それは横島に霊力を供給してもらって霊力が充実した状態になる夕方に取っておく事にする。
　横島とアスナがストレッチを行っていると、突如高音が何やら語り出した。
「昨日の話を聞いて思ったわ……私は、操影術が使える事で、いい気になっていたかも知れないって」
「どう言う事ですか？」
　突然の言葉に、屈伸をしていたアスナが疑問符を浮かべて問い掛ける。
　それが聞こえているのか、いないのか、高音は握り締めた拳をわなわなと震わせながら話を続けた。
「確かに操影術は強力な魔法よ。でも、影は私の魔法力で維持するもの。近接戦闘においては、あくまで私の身体能力に上乗せするものなの」
　ここで高音は、バッと腕を横に薙ぎ、大きな声を張り上げる。
「だから、そこで満足していてはいけなかったのよ！　もっと精進しなくてはいけなかったの、そう私自身が！！」
「……ッ！」
　その言葉はアスナにも衝撃を与えた。自分で霊力を引き出し、扱える時点で、アスナは古菲達よりも一歩先に進んでいると言えるだろう。アスナ自身、それに満足していた節もある。
　しかし、それではいけないのだ。高音の言う通り、アスナも自分自身を鍛えなければならない。身体も、霊力も。
「高音さん！　一緒に頑張りましょう！」
「分かってくれたのね、アスナさん！　私の事は高音でいいわ！」
「私の事も、アスナって呼んでください！」
　ガシッと固い握手を交わすアスナと高音。『色ボケ少女』と『脱げ女』の間に、熱い友情が芽生えた瞬間であった。


　少々騒がしくなった早朝の修行を終え、朝食も済ませた一同。そろそろ登校する時間が近付いてきた。
　教師である刀子とシャークティは少し早くに城を出る事になっている。
「え、私達の分も作ってくれたの？」
「みんなの分作るのは当たり前やし、遠慮せんと持ってってください」
「……そうね、有り難くいただくわ」
　別棟を出る直前に手渡される木乃香達お手製のお弁当。まさか、自分達の分まで用意されているとは思わなかった刀子とシャークティは戸惑った様子だったが、ここは素直に受け取る事にする。
　昼になって弁当箱を開いた刀子は、自分よりも料理が上手いかも知れないと敗北感に打ちひしがれたそうだ。同時に、もしシャークティの提案通りに料理を当番制にするならば、自分も作らなければならない事に気付き、レーベンスシュルト城に住む人数を数えて愕然とする事にもなる。

「それじゃ、ウチらも行こか〜♪」
「そうね」
　刀子達に遅れて、アスナ達も登校する時間となる。留守番はチャチャゼロ、すらむぃ、あめ子、ぷりん。チャチャゼロ以外は、皆が帰ってくるまで家周辺の森で遊びながら侵入者に備える事になる。
　レーベンスシュルト城に住むメンバーのほとんどが麻帆良女子中の生徒だ。例外は横島、高音、ココネの三人のみだ。
「……って、私達だけバスなの！？」
　高音はバス停の前で声を張り上げた。
　横島は、ここからバスに乗って麻帆良男子高校に向かうのだが、なんと、高音の通う聖ウルスラも同じルートなのだ。ちなみに、ココネの通う小学校は、麻帆良女子中に向かう途中にあり、アスナ達が送って行く事になっている。
「お姉様、どうかしたんですか？」
「え、いや、何でもないわ。何でもないのよ、うん」
　愛衣に心配そうに見詰められて思わず強がってしまうが、内心はそれどころではなかった。
　横島と一緒に登校するのが嫌と言う訳ではない。彼は魔法使いではないが、高音はそれなりに好意を抱いている。良いか悪いかはともかく友人だとも思っている。教師陣も含めて、彼女がこれだけ好意的に接している男性は他にいない。
　問題は、二人で登校する姿を聖ウルスラの生徒に見付かると不味いと言う事だ。ただでさえ、図書館島の一件で付き合っている男がいるのではないかと疑われている立場だと言うのに、これではトドメを刺すようなものである。
「お、バスが来たぞ。それじゃ皆、また放課後にな」
「は〜いっ！」
　そうこうしている内にバスが到着し、横島はさっさと乗り込んでしまった。高音も渋々乗り込むが、郊外を走るルートのせいか自分達以外に客の姿が無い。昨日まで使用していた通学路は、それこそ通学ラッシュの真っ只中であった。あまりにもなギャップに、高音はバスに入った所で呆然と立ち尽くしてしまう。彼女の脳裏には今日は休日だったか、間違ってしまったかと、湧いてきた疑問が渦巻いていた。
　そんな彼女にはおかまいなしにドアが閉まり、バスは出発する。中は右側の列に一人用の席が並んでおり、左側には二人用の席が並んでいた。最後尾の席は三人ぐらいが並んで座れそうだ。
　横島はいつも通りに前に進んでいき、身体が揺れている事に気付いてハッと我に返った高音は、転ばないように気を付けながら彼の後に続く。
「よ、横島君、このバスっていつもこうなの？」
「ああ、空いてるだろ？　毎日座れるから楽だぞ」
　そう言ってニッと笑った横島は、左側の二人用の席に座り、窓際に詰めた。通路側が空いており、高音が隣に座れる形だ。
　自分はどうするべきかと高音は迷うが、結局周りの目が無いので横島の隣に座る事にした。
「って、ちょっと待って。人増えて来てない？」
「学校に近付いてくるとそれなりにな。俺等が乗り込むところだと、人がいないから、こうして席が確保出来るって訳だ」
「そう言う問題じゃないでしょっ！」
　学校が近付くにつれて乗り込んでくる人が多くなり、その中にクラスメイトの姿を見付けた高音が頭を抱えて後悔するのは、数分後の話である。

　当然の如く巻き起こる、高音の交際疑惑。学園長が手を打ってくれたのか、幸い学校側から何か言われる事は無かったが、生徒達の間で囁かれる噂に関しては流石に打つ手が無かったらしい。
　報道部に所属する生徒にもバレて、危うく記事にされ掛けたが、それは和美がすかさず別の記事を差し込む事で阻止してくれたそうだ。
　クラスメイトに詰め寄られた高音は必死に否定する。しかし、よく考えてみれば、明日も一緒に登校している所を目撃されてしまうだろう。否定すればするほどドツボに嵌ってしまう事に彼女は気付いていなかった。
　本当に嫌ならば登校する時間をズラせば良いのだが、訳もなくそうする事が出来ないのが、彼女の生真面目さの表れであろう。一緒に登校している所を見られたくないから出発時間をズラすと面と向かって言えないのは、「良い人」なところと言える。
　また、そこまでする程嫌ではないと言う複雑な心境も、その胸の内には潜んでいた。なんだかんだと言って高音は、横島の事を嫌いではないのだ。


　一方、横島はと言うと、特に何事もなく学校生活を過ごしていた。
　高音と同じく、クラスメイトの何人かに二人で登校しているところを見られてはいたが、付き合いが悪い謎の転校生、しかもＧＳで、いつの間にか麻帆男寮から姿を消していたと言う、評判の悪さが、彼の周囲で騒ぎになるのを防いでいる。皆、横島を遠巻きにしてひそひそと噂するばかりだ。
「横島、相変わらず早いな」
　男子校で付き合いのある数少ない相手、豪徳寺と中村の二人が教室に入ってきた。おそらく今頃学年の違うポチと山下、学校が異なる小太郎とネギも登校しているだろう。横島と同じく周囲から浮いた存在である彼等は、寮内では大体一緒に行動していた。
「ん？　なんか匂うな……お前、湿布貼ってるか？」
「分かるか？　昨夜、ガンドルフィーニ先生に連れられて警備に出たんだが……その時に、ちょっと打ち身をな」
　そう言って豪徳寺は上着を捲り上げて、湿布を貼った脇腹を見せる。彼等は昨夜、ガンドルフィーニ、豪徳寺、中村の三人でチームを組んで、郊外の警備に当たったのだが、そこで襲撃者と遭遇してしまったらしい。戦闘中に脇腹に良い一撃をもらい、ご覧の有様のようだ。
「例の薬は使わなかったのか？」
「生憎切れててな。修行中に使い過ぎた」
　横島が、自分が怪我をした訳でもないのに痛そうに見ているのに対し、豪徳寺はさほど気にした様子もなく豪快に笑っている。
　『例の薬』と言うのは、関東魔法協会から魔法関係者に支給されている『治癒の水薬』の事である。幾つかの携帯用の小瓶と、詰め替え用の大瓶で支給されているそうだ。魔法関係の物なので、『認識阻害』の魔法を使えない彼等は、その名を大っぴらに言う事は出来ない。
「ああ、そうだ……」
　はたと笑いを止めた豪徳寺が、顔を近付けてきて声を潜めた。
「横島、昨日遭遇した襲撃者なんだがな……」
「どうした？　キレイなねーちゃんだったのか？」
「いや、そうじゃない。どうも、『西』の連中っぽいんだ。お前、何か聞いてるか？」
「はぁ！？」
　思わず大声を出してしまった横島の口を、豪徳寺が慌てて押さえる。周囲のクラスメイト達はしんと静まり返り、何事かとこちらを見ている。しかし、豪徳寺が無言のままでいると、やがて興味を失ったのか元の喧騒が戻ってきた。その様子に豪徳寺はほっと胸を撫で下ろす。
「お前、大声出すなよ」
「ス、スマン。いきなりだったもんで、つい……」
　横島が驚くのも無理はない。豪徳寺の言う『西』とは京都を拠点とする『関西呪術協会』の事だ。かつて『関東魔法協会』との間で戦争が起き、ずっと冷戦状態だったところに、ネギが親書を届けて、やっと和解が成ったばかりのはずだ。この件には、横島と豪徳寺も関わっている。
「で、なんで『西』が襲撃してくんだよ？」
「俺が知るか。お前なら何か知ってるかと思ったんだがな」
　そう豪徳寺は言うが、横島は関西呪術協会が、まだ麻帆良を襲撃している事自体が初耳である。刀子達もそのような話はしていなかった。
「今日の放課後、会議があるから聞いてみるか」
「ああ、その会議ならネギ君も出席するそうだぞ」
「ん、そーなのか？」
　二人の言う会議とは魔法先生と一部の魔法生徒達が参加する関東魔法協会の会議の事だ。以前の高音と愛衣は、ガンドルフィーニに付きそう形で参加していたが、今回からは高音がチームの代表者として参加する事になっている。
　言われてみれば、ネギは既に魔法先生達との顔合わせを済ませているので、魔法先生達の会議に出席するのは当然の事かも知れない。
「どーしたよ、薫ちん、忠夫ちん。そんな深刻そうな顔して」
　中村が自分の机に鞄を置いてやってきたので、この話は一旦お仕舞いと言う事になった。彼等の話題は、昨日の襲撃者へと移っていく。
「それにしても昨日の連中、強かったよなぁ」
「ネギ君と一緒に修行してきたが……まだまだ足りんのかも知れんな」
　昨日の襲撃者との戦い、豪徳寺の怪我からも分かるように、随分と苦戦したらしい。よく見ると中村の腕にも包帯が巻かれていた。もっとも、平然と腕を振り回しているので、さほど痛くはないのかも知れない。
「もっと、気を強くする事が出来たらいいんだがな」
　ぐっと握り締めた拳を見詰め、しみじみと呟く豪徳寺。ヘルマンとの戦いで、ネギ、小太郎、それにポチとの実力差を思い知った彼等は、現在死に物狂いになって修行している。しかし、同時にネギ達も修行をしており、なかなか差が縮まらないのが現状であった。
「それなら、限界まで気を高め続ける修行したらどうだ？　お前らやってるじゃん、ハアァァァ！って」
「そりゃやってるけど、それって何か意味あるのか？」
「多分、それで気が強くなれると思うぞ」
「マジで！？」
　横島の言う方法は、普段より強い気を使い続ける事により、その強い気に身体を慣らすと言う方法だ。奇しくもそれは、横島が行っている霊力、魂を鍛える方法と同じ理屈である。理論上は横島が行っている修行と同じようにマイトを高める事も出来るはずだ。
「あんま無理はすんなよ。霊力でやる程じゃないだろうけど、結構荒行だから」
「分かってるって！　そっかぁ、そうやって気を強くするのかぁ」
　気を強くする修行方法を聞いて中村は上機嫌だ。豪徳寺はと言うと、こちらは呆気に取られている。
　気を高めるのは、実戦で行う事はあってもそれはあくまで瞬間的な事であり、それだけを続けると言う発想は無かった。これまで実戦形式で拳を交える修行ばかりしてきた豪徳寺には、正に目から鱗である。
「よし、今日から早速始めるとするか！」
　そう言って立ち上がった豪徳寺の表情は、先程までとは打って変わって晴々としていた。
「その意気だぜ、薫ちん！」
　中村もノリノリである。
「そうだ！　忠夫ちんも一緒に修行しないか？」
「それは断る！　アスナ達を放ってそっちに行く訳にゃいかないだろ」
「……あ、そっか」
「まぁ、それもそうだろうな」
　別段、競い合っている訳ではないが、豪徳寺と中村はネギパーティの一員であり、横島は自らのパーティを率いる身だ。二人とも、すぐに納得して引き下がった。
　そう、パーティメンバーを放って、彼等と修行する訳にはいかない―――

「ムフフ……アスナ達の修行時間を削る訳にはいかんからなぁ〜」

―――と言うのは建前であり、横島の本音が、アスナ達に囲まれて過ごす時間こそが大切なのであって、男にかまけている時間は無いと言うものであるのは、言うまでもない事である。

あとがき
　レーベンスシュルト城は、原作の表現を元に『黒い手』シリーズ、及び『見習ＧＳアスナ』独自の設定を加えて書いております。

　麻帆良学園都市内の学校の配置、地理関係。
　葛葉刀子、シスター・シャークティ、ココネ・ファティマ・ロザに関する各種設定。
　『気』でも負荷を掛ける事により、魂を鍛える事が出来る。
　これらは『黒い手』シリーズ、及び『見習ＧＳアスナ』独自の設定です。