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絶対無敵! グレートマザー再び!! 4


 買い物を済ませて帰宅した横島一行。手を繋いで家に帰り昼食を済ませた後、横島は澪の後について庭に出た。澪の方も特にそれを拒絶する事なく、ぎこちなさはあったものの、いつも自分が見ているものなどを横島に紹介してみせる。
 普段、この庭を六女の生徒達との修行場としてしか使わない彼にとって、澪が見せるものは意外で新鮮な発見ばかりであった。庭の木の枝に鳥の巣があるなど、澪に教えられなければ気付かなかっただろう。また、横島は澪が物静かなおとなしい子ではなく、木登りをするような活発な子である事も知った。先に木に登ってみせる澪を下から眺めながら、スカートばかりではなくショートパンツ、或いはハーフパンツとかも買うべきだったかと考えていた。
「とりあえず、買ってきた服に着替えさせる前で良かったな」
 庭でしか遊んでいないと言うのに、澪の服は既に泥んこまみれだ。澪がいつもよりもはしゃいでいると言うのもあるのだろう。しかし、横島がそれを見て驚いていると言う事は、今まで彼がきちんと澪の事を見ていなかったと言う事でもある。横島は、これからはちゃんと澪と向き合わねばならないと決意を新たにする。
 そして横島の妹にして澪の姉であるタマモはと言うと、こちらは庭で遊ぶ澪の元気の良さを嫌と言うほど知っているため、彼女の事は横島に任せて縁側で丸くなっていた。

「随分、泥だらけになっちまったなぁ」
 遊び疲れて家に入ろうとする澪を見て、横島は何気なくそう呟いた。
「……えっ、だ、だめだった?」
 すると、途端に澪はビクッと肩を震わせて、怯えるような目で彼の顔を見上げた。服を汚した事で怒られるのではないかと考えたようだ。横島は慌てて安心させるように、「すぐに着替えような」と努めて優しく声を掛けながら、家に入る前に服についた泥を払い落としてやる。
 すぐにお風呂に入らせるべきかと横島は考えたが、残念ながら現在風呂場はハニワ子さん指揮の下、ハニワ兵達による清掃の真っ最中であった。そこで洗面所で顔と手を洗わせて、服だけ着替えさせる事にする。勿論、今日買ってきたばかりの服にだ。
「あ、よこ……あの、えと、ど、どれを着ればいいのかな?」
「ん……そうだな。部屋行って選ぼうか」
 やはり、何か言おうとして口籠もっている。それが気になったが、それは後でじっくり聞けば良いだろう。まずは澪を着替えさせようと、横島はタマモを連れてタマモと澪の部屋へと向かった。
 彼女達の部屋は、薫達の部屋と比べて家具の少ない殺風景な部屋であった。あるのはタンスと、折りたたまれた布団程度。澪もそうだが、タマモもあまり部屋に私物を置こうとしないタイプなのだ。本当に部屋ではただ寝るだけなのである。
 部屋に入るなり、澪は汚れた服をポイポイと脱ぎ捨て、そのまま下着まで脱いで真っ裸になってしまった。横島の目があるにも係わらずだ。
「タマモ、下着はお前が選んでやってくれ!」
「ん、おっけー」
 いつも薫と一緒に入浴している横島もこれには慌ててしまう。新しい下着選びはタマモに任せ、自分は袋の中の服とにらめっこを始めた。
 タマモも心得たもので、すぐさま上下セットのストライプ柄の下着を着せると「もういいわよ」と横島に声を掛ける。
「おう、それじゃ、このシャツとスカートを」
 横島が差し出したのは、白い布地の上ににぎやかに英字がプリントされた丈が長めのTシャツに、オレンジ系を基調としたチェック柄のダンドールスカート。買ってきた服の中でも、明るい色合いの物をチョイスした。
「あと任せたわね」
 横島が、後はタマモに任せようかと考えていると、彼女は先手を打って汚れた服を持って部屋を出て行ってしまった。澪に一人で着替えられるかと聞いてみると、彼女は無言で顔を伏せてしまう。前の家に閉じ込められていた頃は、明らかにサイズが合っていないボロキレのようなシャツしか身に着けていなかった澪。ボタンもないような服だが、このように服を渡されてもどうすれば良いのか分からないのだろう。これまでは、タマモやテレサが手伝っていたのだ。タマモは横島にそれを伝えるために、あえて彼に任せたのであろう。
 そこで横島は澪を着替えさせてやる事にした。甘やかすのは簡単だが、いつまでもこのままではいけない。そう思い、着替えさせながら「ちゃんと一人で着替えられるようにならないとな」と声を掛ける。すると澪は、少し恥ずかしそうに頬を染めながらコクンと頷いてくれた。
 Tシャツを着せ、スカートを穿かせ、最後にワンポイントが入った白いソックスを履かせて着替えは終了である。
 着替え終えた澪を頭からつま先までざっと見てみる。なんとも元気の良さそうな可愛らしい少女がそこにいた。横島は我ながら良いチョイスであったと満足気に頷いている。
 一方、澪は恥ずかしそうにもじもじとしていた。これまでも可愛い服ならタマモから借りて着ていたのだが、今彼女が着ているのは自分のために用意された服だ。それがなんともむずがゆく、自分を見てにこにこしている横島と目を合わせられそうにもなかった。
「それじゃ、皆帰ってくるまで居間の方で待ってようか」
「う……うん」
 横島が右手を差し出すと、澪は一瞬躊躇した様子だったが、おずおずとその手を取った。
 そのまま手を繋いで居間まで行くと、そこには既に寛いでいるタマモの姿があった。汚れた服をハニワ子に預けた後、そのまま部屋には戻らず居間に直行したらしい。横島と澪が部屋で戻ってくるのを待っていたらどうするつもりだったのかと聞いてみたくもなるが、こうして二人で手を繋いでここまで来たと言う事は、結果オーライなのかも知れない。実際に彼女に問い掛けてみても、きっと「二人きりになる時間を作ってあげたんだ」としれっと答えていたであろう。

 テレサ達は現在、今晩やって来る百合子を出迎えるために大掃除の真っ最中だ。居間は横島達が買い物に行っている間に掃除を済ませているので、ここで寛ぐ分には問題はないのだが、「絶対に汚すな」とテレサから念を押されてしまった。
 また、大掃除をサボりたいサングラスを掛けたハニワ兵などは、早々にカオスの蔵の研究所へと避難してしまった。実は、あちらの蔵にもテレビがある。マリア、テレサ、ハニワ子の連合軍にチャンネル争いで負けた者達が集まっているそうだ。
 おかげで居間は横島、澪、タマモの三人だけとなっていた。タマモは昼に食べたいなり寿司に満足してお昼寝タイムであるため、彼女の隣に座る澪と、テーブルを挟んで向かいに座る横島が、無言のまま向かい合う形となる。何を言って良いのか分からずに、二人揃ってそわそわしている。
 先に無言に耐え切れなくなったのは横島であった。せっかくなので、思い切ってこの機会に聞いてみたかった事を聞いてみる事にする。
「そういや、澪に聞きたかったんだが」
「え? な、なに?」
「今日何度か、何か言い掛けて止めてたよな? あれ、何が言いたかったんだ?」
 途端に澪はビクッと肩を震わせた。傍目にも分かるぐらいに小刻みに震え続けている。怖がらせるつもりはなかったのだが、澪にとってはあまり触れて欲しくない部分だったようだ。
 その反応に横島はたじろくが、ここで引き下がってはいつまでも澪の事を理解出来ない。自らを心の中で叱咤し、なんとか踏み止まった。
「いやいやいやいや! 怒ってるわけじゃないって、ただ澪が何考えてるか知りたかっただけで……っ!」
 しかし焦りは隠し切れずに、どんどん声が大きくなってしまう。それに比例するように澪は更に怯え、仕舞いには涙目になってしまった。
 どうすれば良いのか分からずに横島がおろおろしていると、昼寝中だったはずのタマモがパチリと目を開いて起き上がってきた。妖狐の超感覚なのか、こっそり様子を窺っていたのかは謎だ。
「澪、言いたい事があるならハッキリ言っちゃいなさいよ」
「でも……」
「ニブい横島でも気付いてるんだから、よっぽど言いたい事だったんでしょ?」
 タマモがそう問い掛けると、澪は恥ずかしそうに目を瞑りながらも、コクリと頷いた。やはり、何か言いたい事があるのだろう。
「それならズバッと言っちゃいなさい! 横島が悪いんだったら、私も援護してあげるから!」
 そう言ってタマモは横島の隣に回ると、彼の肩を叩いて笑ってみせる。
「そ、そうだな。俺が悪いんなら、出来る限りすぐに改めるぞ」
「……わ、わかった」
 横島の言葉を聞くと、澪は意を決したように顔を上げる。
 彼が澪との関係を改善しようと考えていたように、澪もまた、横島との関係がこのままではいけないと思っていた。
 互いにとって、これは避けられない――いや、避けてはいけない問題なのだ。

「あ、あの、私、よ、よこ……あんたの事、どう呼べばいいの?

「……は?」
 しかし、澪が口にしたのは、横島にとっても、タマモにとっても予想外の事であった。もっと深刻な内容だと身構えていた横島はガクリと肩を落とし、その肩に手をおいていたタマモもつられてバランスを崩してしまう。
「だ、だって、そうじゃない! タマモは『横島』って呼んでるから、私もそう呼ぼうって思ったけど、考えて見れば私も『横島』だし。同じ名字なのに名字で呼ぶのがおかしいぐらい私にも分かるわよ! ……でも、タマモは『横島』って呼んでるし……」
 そして一気にまくし立てる。
 兄妹なのに、名字で呼ぶのはおかしいのではないか。彼女なりにこの家に来てから色々と考えていたらしい。しかし、足りない知識では答えを出す事が出来ずに迷っていた。それならば、頼りにするタマモに相談すれば良いのではないかと思うが、そうする訳にもいかない理由があったのだ。

「お前が原因か、タマモーっ!」
「ええっ、私なの!?」

 何故なら、他ならぬタマモこそが彼女を惑わせている原因の一つなのだから。
「お前が、俺を、『横島』と呼んでいるからだろ、明らかに!」
「で、でも、前から呼んでたじゃない。なんで今更……」
「前は前! 今は今!」
 横島の意味不明な勢いに気圧されてしまうタマモ。彼女の言っている事も間違いではないのだが、今は澪が彼女を手本にしようとしているのが問題だった。
 タマモを真似て横島の事を名字で呼ばなければならないのか。しかし、自分も「横島澪」になったはず。それなのに「横島」と呼ぶと言う事は、やはり新しい兄は他人でしかないのか。そんな疑問が、真っ白の紙の上に零した黒いインクのように、じわじわと染みになって頭の中で広がっていく。
 新しい兄をどう呼ぶべきか。横島、タマモは呆気に取られているが、澪にとっては大真面目な大問題であった。

「話は聞かせてもらったわ!」
 横島がどう答えるべきかと頭を悩ませていると、突然居間にランドセルを背負った紫穂が飛び込んで来た。続けて姿を現す薫と葵。学校を終えて急いで帰ってきたのだろう。こっそり瞬間移動能力(テレポーテーション)も使ったのかも知れない。
 先程の話を聞いていたようだ。突然の闖入者に呆然とする三人をよそに、紫穂はピッと人差し指を立てて、得意気に話し始めた。
「澪の迷いを断ち切る方法は一つ! ズバリ、タマモさんが横島さんの呼び方を変えればいいのよ」
「いや、澪が別の呼び方にするだけでいいじゃない」
「あら、恥ずかしがる事ないじゃない。お兄ちゃん、お兄ちゃま、あにぃ、お兄様、おにいたま、兄上様、にいさま、アニキ、兄くん、兄君さま、兄チャマ、兄や。色々あるわよ」
「私も『横島』って呼び慣れてるし、今更変えるってのも……」
「今だからこそ、変えるんじゃない」
 珍しくうろたえたタマモの様子に「サ」の付く人の血が騒いだのだろうか。それにしてもこの紫穂、ノリノリである。
「でも、実際傍目に見てて変やで。妹が兄を名字で呼ぶって。ウチらは事情知ってるからええけど」
 更に、葵が常識的な見地から紫穂の援護に回る。確かに彼女の言う通りである。兄を名字で呼ぶ妹と言うのは、「タマモが実は妖狐でありその正体を隠すために横島の妹と言う事にしている」と言う事情を知らないご近所の目にはおかしなものとして映っているだろう。
 横島もタマモも周囲の目に気付いていなかったからこそ、今まで変える事のないまま続いていたタマモの「横島」と言う呼び方。それが今になって問題となって浮上してきたと言うわけだ。澪の迷いと言う形を以て。
「それを言うんだったら、あんた達だって変えたらどう? もう、この家に住んでるようなものなんだし」
「そうね、良いタイミングかも知れないわね」
「……へっ?」
 やられっぱなしは性に合わないためタマモは何とか反撃を試みるが、紫穂はあっさりそれをいなしてしまった。彼女と葵もまた、横島の事を名字で呼んでいる。これを機会に呼び方を変えるのも悪くないと考えたのだろう。葵も少し恥ずかしそうではあるが、特に反対はしていない。
 こうなってしまうとタマモも呼び方を変えざるを得ない。彼女にしては珍しい、壮絶な自爆である。その様を見て紫穂は、興奮気味に頬を染め、恍惚とした笑みを浮かべていた。傍から見ていた横島が、その視線を自分に向けて欲しいと思っていたのは秘密である。

「た・だ・お・さん♪」
 いたずらっぽい笑みを浮かべて紫穂は横島の肩にしなだれかかった。
「『兄ちゃん』って呼ぶのは妹の特権だろうし、居候の私は『忠夫さん』って呼ばせてもらう事にするわ。ね、いいでしょ?」
 そう言って紫穂は横島の耳元に口を近づけ、フッと息を吹き掛けた。横島が腰砕けになって了承したのは言うまでもない。
 それにしても、前々から考えていたかのような良い手際である。もしかしたら彼女は、この家に来て以来何とはなしに使い続けてきた「横島さん」と言う呼び方を変える機会を窺っていたのかも知れない。「兄」と呼ばないのは、妹ではなく一緒に古物除霊をする仕事上のパートナーであると言う、少し背伸びをした彼女なりの主張だと考えられる。
「あ〜、それならウチは『忠夫はん』かな」
 葵も「兄」と呼ぶのではなく、名前で呼ぶ事にする。こちらは紫穂のように裏の考えがあるわけではなく、純粋に妹としてではなく居候としてお世話になっていると言う遠慮だ。横島としては紫穂も葵も妹同然なのだが、彼女にしてみれば横島だけではなく薫に対する遠慮もあるのだろう。
「あー……それじゃあさ、私は普通に忠夫って呼ばせてもらうわ。別にいいでしょ、妹が兄を名前で呼んでも」
「ん〜、まぁ、いいんじゃないか? 俺は気にしないぞ、うん」
 流石に可愛らしく「おにいちゃん」と呼ぶなどガラではないタマモは、普通に名前を呼び捨てにする事を選んだ。横島としては正直なところ、タマモが兄と呼んできたらどんなだったか興味があったが、本人が嫌がっているのだから仕方があるまい。

「ど、どうしよう?」
 こうなると困るのが澪だ。タマモの真似ばかりしてきた彼女だが、流石に名前を呼び捨てにするのが不味いんじゃないかと言う事は、なんとなく理解出来る。これはタマモだからこそ許される事だ。横島に尋ねてみるが、彼は困った表情で肩をすくめて応えた。こればかりは彼にも答えようがない。
「あたしと一緒で『兄ちゃん』じゃダメか?」
「え?」
 そこに今まで黙って見守っていた薫が助け船を出した。
「いや、別に無理にあたしに合わせる必要はないんだけどよ。変に紫穂が言うみたいな奇抜なのにしなくてもよ、普通に呼びやすい呼び方でいいと思うんだ」
 話しながら、薫はやっぱり調子が狂うと頭を掻いていた。澪は確かに子供っぽいところがある。しかし、薫と澪の二人を並べてみると、背丈はほとんど変わらない。やはり澪を妹のように思えと言われても違和感が拭いきれない。
「そ、そうなの……?」
 だが、縋るような目をして小首を傾げる澪を見て薫は思った。「姉」にはなれそうにないが「妹の先輩」にはなれるのではないかと。
「ま、任せとけ! あたしが先輩として、妹とはなんたるかをレクチャーしてやる!」
「ホント?」
 澪はぱぁっと表情を輝かせて薫の手を取る。二人の間に絆が生まれた瞬間――なのかも知れない。
「それで、なんて呼ぶ事にするの?」
「えと、『お兄ちゃん』で」
「ふっつーやなぁ」
「だって、呼びやすそうなんだもん」
「いいじゃねえか、呼び方なんて最初の第一歩! 妹道は一日にしてならずだ!」
「う、うん! がんばる!」
 何を頑張るのか詳しく聞いてみたいところが、聞かない方が良いような気もする。
 薫は澪の手を取り、そのまま横島の前まで連れて来た。
「さぁ、手始めに兄ちゃんを呼んでみるぞ」
「分かった……お、お兄、ちゃん」
「な、なんだ、澪?」
 呼ぶ妹も、呼ばれる兄も、どちらもぎこちない。薫は口笛を吹いて囃し立てる。二人が初めて兄妹の言葉を交わした瞬間であるのだが、澪は顔を真っ赤にして俯き、これ以上喋れそうにない。二人が兄妹として普通に言葉を交わすためには、もうしばらく時間が必要なようだ。

 こうして横島家で暮らす少女達は、薫を除いて皆横島の呼び方を一新したわけだが、これはマリアやテレサ、それに学校から帰ってきた愛子達にも波及する事になる。やはり、これまでの習慣で「横島」と呼び続けていたが、こうして一つ屋根の下で暮らす家族になってなおそう呼び続ける事に違和感を覚えていたのだろう。
 その後、六女の生徒達も修行のために訪れた。今日は横島が澪を優先しているため、自主的に修行するばかりだ。彼女達も澪の事情は知っているため、暖かく見守っている。
「え、百合子おばさまが?」
「今晩帰ってくるらしいで」
 それよりも、葵から聞かされた百合子帰国の方が大問題だったらしく、皆が顔を引きつらせていた。やはり、霊圧で令子と互角に渡り合ったと言う百合子の存在は、彼女達にとってもプレッシャーとなっているらしい。
 ただ一人、かおりだけが平然としていたが、これは彼女が根っからの優等生気質であるためであろう。それでも緊張はしているらしく、修行そっちのけで、失礼のないようどう挨拶したものかを考えていた。
 そして、彼女達に百合子の事を伝えた葵、それに紫穂の二人も少し緊張気味であった。二人が横島家で暮らし始めたのは、百合子がナルニアに帰った後の事。実は二人とも百合子と直接言葉を交わした事はなかったりする。

 それらを他人事のように眺めているのは、横島、薫、澪の三人だ。タマモに至っては我関せずと言わんばかりに眺めてすらいない。
「なんで皆、あんなに緊張するんだろな。確かに怒ったら怖いのは認めるけど」
「その『怒ったら怖い』ってのが重要なんじゃねーの?」
「……怖い? 何が来るの?」
 横島と薫にしてみれば、百合子の帰国はいちいち慌てるような事ではない。そして澪は、百合子が一体何者であるかを知らなかった。朝食時に皆が話していたのを聞いてはいたが、理解出来なかったのでそのまま聞き流していたのだ。
 ちなみに、薫と澪の二人は、胡座をかいた横島の膝の上に、肩を寄せ合ってちょこんと座っている。薫曰く「妹道修行その一」らしい。澪は恥ずかしそうだが、これも仲良し兄妹になるためだと、顔を真っ赤にして我慢している。恥ずかしいが嫌と言うわけではない。むしろ、実はこっそり横島と薫の関係を羨ましく思っていた。薫はタマモも誘ったが、彼女は面倒だと一蹴してしまったので、膝の上には薫と澪の二人だけである。
「なにって、かーちゃんが帰ってくるんだよ」
「かーちゃん?」
「母親だよ、母親」
「はは、おや………ママ?」
 澪の動きがピタリと止まった。薫がやばっと口を押さえるが、もう遅い。彼女に母親の話題は禁句だ。
「だいじょーぶ!」
 すぐさま横島は、安心させるように二人をまとめて抱き寄せる。
「ウチのおふくろは怖いだけじゃないからな。それに俺がついてる!」
「あたしもついてるぞ!」
「……うん」
 やはり、澪はまだ「母親」と言う存在を恐れている。実際に会えば自分を閉じ込めていた母親とは違う事が分かるだろうが、会う時には横島達がついていてやらねばなるまい。
 百合子が帰国するまであと数時間と言ったところだろうか。まだまだ前途多難なようである。



 家中の掃除が終わり、夕飯の支度を終わらせる事が出来たのは、そろそろ百合子がやって来そうな時間であった。空港からこの家まではクロサキが車で送ってくる事になっているため、横島達が空港まで迎えに行く事はない。
 六道の生徒達は、百合子に挨拶をしていきたがったが、寮生達は門限があるため帰らなくてはいけなくなってしまった。家が遠い者や、門限が厳しい者もまた、明日も学校があるため百合子に会わずに帰宅する事になる。結局、残ったのは門限について家族があまり五月蠅くない魔理と、皆に代わって百合子にきちんと挨拶せねばと使命感に燃えるかおりだけとなった。
 それから三十分も経たない内に玄関のチャイムが鳴る。もう少し支度を終わらせるのが遅ければ、まだ準備が整わない内に彼女を出迎える事になっていたであろう。
 チャイムの音を聞き、横島の隣で緊張した面持ちで座っていた澪がビクッと身を震わせる。横島はその小さな肩を抱き寄せ、自分を見上げる澪に対して大丈夫だと笑ってみせた。
 エプロンを着けた愛子と小鳩が率先して玄関に出迎えに行く。横島、薫、カオス以外の皆が緊張した面持ちで百合子が居間にやって来るのを、今か今かと待っている。
 足音がどんどん近付いて来た。心なしか大きな足音に聞こえるのは、緊張のためだろうか。一同は息を呑んで足音の主が姿を現すのを待ち構えた。

「やー、横島君! お邪魔させてもらうよ!」

 しかし、居間に入ってきたのはスーツ姿の大柄な男であった。B.A.B.E.L.の局長、桐壺である。
 壮絶な肩透かしに、居間にいた皆は、揃ってズッコケてしまった。
「き、桐壺さん? なんでここに……?」
「なんでって、君のお母さんに挨拶だよ。超能力者の子供を引き取るのだから、当然だろう?」
「……はぁ、そうなんですか?」
 続けて愛子と小鳩が苦笑いを浮かべる柏木を伴って戻ってきた。柏木は、皆が盛大にズッコケた理由をなんとなく察しているのだろう。
「横島さん、これはB.A.B.E.L.が行っているアフターケアの一環なんです。超能力者と家族になると言うのは、色々と注意しなければならない事もありますから。複雑な事情があって養子縁組をした場合は特に……」
「な、なるほど」
 言われてみれば当然の話だ。養子縁組だけをして「ハイ、さようなら」では余りにも無責任過ぎる。新しい家族と上手くやっていけるよう、また超能力者であるが故のトラブルが起きぬよう、色々とレクチャーするのもB.A.B.E.L.の仕事である。もっとも、局長である桐壺自ら出向くのは稀であろうが。
「うんうん、上手くやっているようだネ。安心したよ」
 横島が澪の肩を抱いているのを見て、嬉しそうにうんうんと頷く桐壺。澪はこの家に来た経緯が経緯だけに、彼も殊更に気に掛けていたのだろう。兄妹仲良くやっているのを見る事が出来て、ようやく一安心と言ったところである。
「あ、これおみやげネ」
「ど、どうも」
 そう言って桐壺は包装紙に包まれた箱を手渡してきた。しかし、何が入っているか確かめている暇はないため、すぐさまテレサに預ける。彼女が台所に持って行って中身を確かめたところ、中は高級そうな洋菓子の詰め合わせであった。
 とにかく、桐壺と柏木の二人もまた、百合子と澪の対面に同席するそうだ。場合によっては別の部屋から見守る事になるが、それは百合子と澪次第である。
 どうするべきか、横島と桐壺でそんな話をしていると、再び玄関のチャイムが鳴った。桐壺の登場でどこか気の抜けていた一同に緊張が走る。
「……最初からこうすれば良かったんだわ」
 溜め息をついて紫穂が床に手を当てた。彼女の接触感応能力(サイコメトリー)であれば、誰が来たかを知る事ぐらい朝飯前だ。
「間違い無いわ」
 今度こそ、玄関の前に立っているのは百合子のようだ。一気に空気が張り詰めたように感じられるのは気のせいだろうか。愛子と小鳩は互いに顔を見合わしてコクリと頷くと、身嗜みを整えながら再び玄関へと向かった。
「いよいよか……」
 気分は怪物に捧げられた生け贄と言ったところであろうか。桐壺もその異様な雰囲気に呑まれて黙ってしまっている。
「お、お兄ちゃん……」
「大丈夫だ」
 横島は既に涙目になっている澪の頭を撫でてやった。

 いよいよその時が来たのだ。
 横島百合子、帰国である。



つづく





あとがき
 澪の父親がハニワ兵である。
 澪が横島家の養女となる。
 魔理の門限。
 B.A.B.E.L.が、超能力者の子供を養子を迎えた家に説明等のアフターケアをしている。
 これらは『黒い手』シリーズ及び『絶対可憐チルドレン・クロスオーバー』独自の設定です。

 また、澪の性格など、いなり寿司が好き等の設定。それに、六女の生徒達に関しては、原作の描写に独自の設定を加えております。
 ご了承ください。

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