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 狼の如く、狐の如く 1


「え〜、先生はいないでござるか?」
 いつもの散歩から帰ってきたタマモは、家の中から聞こえてくる声に、玄関の扉に伸ばそうとしていた手をピタリと止めた。
 聞き覚えのある声、おそらくは美神令子除霊事務所の除霊助手、犬塚シロだろう。この家の主である横島の一番弟子を名乗っており、時折散歩の途中でこの家に立ち寄る。いや、タマモと同じく彼女もまた散歩を日課としているため、「時折」と言うよりも「頻繁」と言った方が正確であろうか。
 もっとも、タマモはシロの散歩を散歩とは認めてはいない。
 散歩とは、心穏やかにそぞろ歩くものだ。季節の移り変わりをその身で感じ取り、油揚げの匂いを見つけては隠れた名店に出会う。シロのように力任せにあてもなく突っ走るものは断じて散歩ではない。
 妖狐のタマモと人狼族のシロ。この二人の接点は意外に多い。
 タマモは、小遣い稼ぎのために、美智恵に頼まれてオカルトGメンの調査を手伝う事があるのだが、いざ現場に行ってみるとシロも呼ばれている事が多々あった。二人とも調査には打って付けの超感覚の持ち主なので当然の事なのだろうが、何故かシロの方が対抗意識を燃やしてきて、いつも競争のようになってしまう。どうやら、師と慕う横島の事務所に、タマモが世話になっているのが羨ましいようだ。
 おかげで、二人が手伝った時はオカルトGメンの調査もはかどった。そのため、美智恵やオカルトGメンの面々は二人を名コンビとして扱うのだが、冗談ではない。むしろ、二人は仲が悪いと言っても良いだろう。シロがタマモを羨んで対抗意識を燃やしているように、タマモもまた、何かと突っかかってくる彼女を鬱陶しく思っていた。
 ただし、犬猿の仲ではない。それは断じて認めない。
 何故なら、それを認めてしまうと、「犬」がシロであるのは言うまでもないとして、残りの「猿」がタマモになってしまうからだ。決して犬猿の仲ではない、タマモは狐である。シロも犬ではなく狼なのだが、そんな事などタマモにはどうでも良かった。
 玄関から聞こえてきた声から察するに、おそらくシロは横島に会いに来たのだろう。しかし、生憎と彼は今、魔鈴の護衛として遠い空の下どころか異世界である。
「玄関通る必要はないわね、庭に回りましょ」
 シロと顔を合わせるのは面倒だと考えたタマモは、踵を返して庭へと回った。縁側から家の中へ入るつもりのようだ。
 庭掃除をしているハニワ兵に軽く声を掛け、庭に鎮座する巨大な土偶型の地脈発電機の横を通り、靴を脱ぎ捨てて縁側から居間へと入る。ハニワ子さんが行儀が悪いと怒るが、タマモはそんなものどこ吹く風だ。それどころか、タマモは逆にお茶を淹れて欲しいと頼み、ハニワ子さんはため息を一つついて台所へと向かう。
 タマモが居間で足を伸ばしてくつろいでいると、廊下の向こうからドタドタと足音が聞こえてきた。ハニワ子さんが戻ってきたかと思ったが、これは明らかに二本足の足音だ。彼女のボディはハニワなのでこのような足音はしない。
 横島が帰ってくるのはまだ先のはずだ。愛子と小鳩の二人は学校に行っている。カオスにしては歩調が若い。テレサが玄関でシロの応対をしていたので彼女が戻ってきたのかとも思ったが、少し足音が荒い気がする。テレサは、性格はともかく立ち振る舞いはそれなりに上品なはずだ。
「となると、この足音は……」
「お邪魔するでござるよー!」
 タマモがもしやと視線を廊下に向けると、丁度シロが居間に飛び込んできたところであった。お目当ての横島がいなくても、せっかく来たので寄っていく事になったらしい。
「あんた、横島居ないのに帰らなかったの? て言うか、居ないって知らなかったの?」
「美神殿は何も言ってくれなかったでござるよっ!」
 どこか呆れた表情のタマモにシロは声を荒げるが、今は何かで競い合っているわけでもないので、いきなりケンカには発展しない。
 シロは令子が何も教えてくれなかったと言っているのが、それもそのはずだ。そもそも、横島は令子に海外に行く事を知らせていない。言えるはずがないのだ。何せ、仕事の内容が令子と何かと相性の悪い魔鈴の護衛であり、しかも、同行者が令子の永遠のライバルであるエミなのだから。
「で、あんたは何でここに居るわけ?」
「キツネに用は無いでござるよ。魔理殿達の修行に付き合おうと思ったでござるが……」
 横島が六女のクラス対抗戦のゲストとして招待されて以来、この家には六女の生徒達が集まっていた。
 当初はミーハーな者、溜まり場として利用する者と様々な者達が集まっていたが、しばらくすると徐々に訪れる人数は減っていった。ここで修行した成里乃がGS資格を取得した事が切っ掛けとなり、今は真剣に修行しようと思う者だけが集まるようになっている。横島が居てくれれば色々とアドバイスしてもらう事も出来るのだが、それがなくともこの家に集まる意味が彼女達にはあるのだろう。
「六女の連中なら、まだ来ないわよ」
 しかし、今は彼女達も学校だ。ここに居るはずがない。
「うぅ〜、それなら待たせてもらうでござるよ」
「帰る気はないのね……」
 あてが外れてしまったシロであったが、どうやら帰る気は無いようだ。
 聞いた話によると、仕事の時は毅然としている令子も、普段は割と怠惰な生活を送っているらしく、シロが家の中で騒いでいると追い出されてしまう事が多々あるらしい。おそらく今日も令子に追い出されてここに来たのだろう。そのため、戻ろうにもしばらくは戻れないのだ。
 六女の少女達がこの家を訪れるまで、あと数時間ある。
 タマモもシロも無言で何とも言い難い微妙な空気が漂っている。ハニワ子さんが二人分のお茶を持って来てくれたが、家事があるのかすぐにどこかに行ってしまった。
「………」
 手持ちぶさたでそわそわした様子のシロを見ながらタマモは思った。
 確かに二人は仲が悪い。しかし、何故と問われると、上手く答える事が出来ない。出会った当初から仲が悪かったため、仲が悪くなった切っ掛けが無いのだ。あえて言うならばシロの子供っぽいところが気にくわないと言ったところだろうか。
 二人を外見で見比べた場合、どちらかと言えばタマモよりもシロの方が年長者に見える。それが余計にタマモを苛立たせているのだろう。
 タマモは自分の部屋に戻る事も出来たのだが、それは「逃げ」のような気がする。しかし、この沈黙はいつまでも耐えられそうにない。そこでタマモは自分の方が大人なんだと余裕を見せて、あえて自分の方から話し掛けてみる事にした。
「ねぇ、あんたって人狼族なのよね?」
「……そうでござるが」
「人狼族って人間とは距離を取って隠れて暮らしてるんでしょ? どうやって横島達と知り合ったのよ?」
 せっかくなので、前々から気になっている事を聞いてみた。人狼族はそのほとんどが異空間に隠れ住んでおり、人前に姿を現す事はほとんどない。シロが一体どう言う経緯で横島達と出会い、弟子入りしたのかは、タマモも興味があった。
「あ〜、それは……」
 しかし、問われたシロは何故か困った表情を見せる。それを見たタマモは、何か不味い事を聞いてしまったかと悔やむが後の祭りだ。
 シロの反応も仕方のない事だろう。タマモは知らない事だが、彼女にとっては横島達と出会った良い思い出であると同時に、『狼王』フェンリル狼への先祖返りを目論んだ人狼族の恥にして父の仇の苦い記憶でもあるのだから。
「えーっと、なんか不味い事聞いちゃった?」
「……い、いや、大した事ではないでござるよ。拙者は、父の仇を追う旅をしている途中で先生達と出会い、助けてもらったでござる」
「ふ〜ん……」
 気のない返事をしながら、タマモは単純なヤツめと心の中で舌打ちした。全て話さず、何か隠しているのがバレバレだ。しかも、それに触れて欲しくないと思っている事も。これでは、それ以上突っ込んで尋ねる事もできなくなってしまうではないか。
 しかし、そうなると再び話題がなくなってしまう。再び居間を静寂が支配した。
 時計の秒針が何周かした頃、廊下をテレサが通り掛かったのだが、彼女はへたれにも居間の雰囲気に気付くと、その場で回れ右して立ち去ってしまった。六女の面々が早く帰って来なくても、誰かがシロの相手をしてくれれば解決すると言うのにままならないものである。
 ふと気が付くと、襖の影からサングラスを掛けたハニワ兵と元・野球少年のハニワ兵がこちらを見ていた。
 タマモはまだテレサのようにハニワ兵達の表情を察する事が出来ないが、この時はハッキリと分かった。連中は絶対にニヤニヤしながら自分が困っている様子を見ている。特にサングラスの方は確実に。湯飲みを持つ手に自然と力が入り、軋むような音が聞こえてくる。
 先程のタマモの質問のせいだろう、シロは物思いに耽り、すっかり静かになってしまった。
 タマモは焦りつつも、何とか次の話題を探そうとする。しかし、さほど親しくない仲なのに、そうポンポンと話題が出てくるはずもなく、頭を悩ませていると、ふとある疑問が浮かんできた。丁度良いと、深く考える事なくシロに尋ねてみる事にする。

「そういやさ、その仇は今どうしてるの?」

 この雰囲気を何とかしようと気ばかり焦り、つい深く考えずに質問してしまったが、後になって思えば、これは愚問だったかも知れない。
「どうしてる、とは? 勿論、先生と一緒に倒したでござるよ」
「いや、そうじゃなくて……ほら、テレサとかって、魔族だ妖怪だってわんさか現れた時の騒ぎで復活したそうじゃない。コスモプロセッサだっけ? そいつも一緒に復活してるのかなーって」
「ム……」
 途端にシロの表情が険しくなった。今まで考えた事もなかったらしい。
 タマモは、テレサだけでなく魔族のハーピーからもその話を聞いていたので知っていたが、シロはそうではなかったようだ。
 ハーピーから聞いた話によると、コスモプロセッサによる魔族、妖怪の大量出現は二種類のプロセスで行われたとの事。一つは強制的に人間界の地上に召喚すると言うもの。海に沈んでいたテレサや魔界で引き篭もっていたハーピーは、コスモプロセッサにより強制的に召喚された口となる。テレサなどはその際に錆びた身体等も直されたそうだ。人間と戦わせるために呼ぶのだから、戦えない状態では意味が無いのだろう。
 もう一つのプロセスと言うのが、その時点で既に滅んでいた者達を復活させると言うもの。横島達が愛子組の山で戦ったデミアン、ベルゼブルクローンなどがこれに当たる。
 これらを行ったアシュタロスが意図したのかどうかは分からないが、令子に関わる者達が多数呼び出されていたので、シロの仇である犬飼ポチも当然復活している可能性は高いだろう。
「……ん?」
「どしたの?」
「いや、よく考えてみれば、犬飼ポチは死んでないような……いや、もう死んでる女神様に連れて行かれたわけだから、やっぱり死んでる……?」
「……どう言うこと?」
 訳の分からないシロの言葉に、疑問符を浮かべるタマモ。
 普段の仲の悪さも忘れて問い詰めるが、これはシロ自身が理解出来ていないので、説明のしようが無い。
 犬飼ポチとの戦いの顛末は色々と複雑だ。
 犬飼は『狼王』フェンリル狼への先祖返りを目論み、犬神族の秘宝、妖刀『八房』を奪って人狼族の村を出奔した。シロの父が殺害されたのは、この時に犬飼を止めようとしたためである。
 シロも村を飛び出し犬飼を追ったが、仇は斬ったものから霊力を奪う妖刀『八房』によって更にその力を増していた。シロは令子達と出会い協力してもらったが時既に遅く、犬飼はフェンリル狼への先祖返りを成し遂げてしまう。
 こうなってしまうと、人間の力では勝ち目は無い。そこで令子は、月の魔力に支配される人狼族の弱点を突くべく、古き神々の一柱である人狼族の守護女神を呼び出す事でこれに対抗。女神の力を得た令子により倒されたフェンリル狼は、守護女神と共に消えたのだが―――

「はたして、あれで犬飼が死んだのかどうか……」

―――本当に犬飼は死んだのかと問われると、首を傾げざるを得ない。
 フェンリル狼となった犬飼を倒した事は確かだ。しかし、あの時点でフェンリル狼はまだ生きていた。
 人狼族の守護女神は、倒れたフェンリル狼を連れて還って行ったが、果たしてどこに還ったのだろうか。
 令子は守護女神の事を「とうに引退して実体を失った神」だと言っていた。ならばあれは幽霊のようなものだったのか。
 その幽霊に連れて行かれたフェンリル狼も、やはり死者なのか。
 しかし、フェンリル狼は生きていた。ならば「生きたまま死んだ」と言う事か。
 考えれば考えるほど、頭がこんがらがってくる。
「うぅ〜〜〜」
「あー、無理しなくてもいいわよ?」
 腕を組んで唸り、今にも頭から煙を吹き出しそうなシロを見て、流石のタマモも悪い事をしてしまったような気持ちになってきたので、宥めるようにしてシロを止める。
 女神に連れて行かれたと言う事は、フェンリル狼は冥界へと連れて行かれたのだろう。かつて世界を滅ぼしかけた怪物を野放しにしては人間界が滅びかねない。デタントの流れから考えても、守護女神の判断は正しかったと言えるだろう。
 フェンリル狼となった犬飼が死んでいるのか生きているのかはタマモにも分からないが、これはもう死んでいるとした方が良いだろう。仮に生きていたとしても、冥界まで追って行く事など出来はしないのだから。
「そう言えば、戸棚に煎餅あったはずだけど、いる?」
「いただくでござる」
 これ以上話しても埒があかないと判断したタマモは強引に話題を転換する事にした。こいつも色々と苦労しているんだなと思いながら。
 それを察したのか、シロも素直にそれを受ける。仲の悪い二人の距離が少し縮まった瞬間かも知れない。
「あ、こっちの海苔付きは私のね」
「なっ、それはズルいでござるよ!」
 もっとも、それは気のせいかも知れないが。


 タマモは気付かなかった。シロは考えすらもしなかった。
 犬飼ポチが死んだか、どうか。その問題を最も重く受け止めている者が他に居たと言う事を。


「拙者は……一体……」
 たった今斬り伏せた男の骸を見下ろしながら、男は独りごちた。手にした刀は返り血をその身に受け、月の光を浴びて妖しく煌めいている。
 柄を握る手を通して、斬った男の霊力が身体に染み渡っていくが、彼は何の感慨も抱けなかった。
「――ッ!」
「―――!!」
 周りの者達が何か喚いている。しかし、彼はその言葉を理解出来ず、鬱陶しいとしか感じない。ただ、彼らは手にした銃をこちらに向けており、自分を殺そうとしている事だけは理解出来た。
「フンッ!」
 一息に周囲に薙ぎ払い、三人居た男達を一刀両断にする。
 これで四人の人間を斬ったと言うのに、刀は一点の曇りもない。先程まで刀身を濡らしていた血も、玉露となって散っていった。
「まだ、殺されてやるわけにはいかんのでな」
 斬り殺したのはこれで何人目だったろうか、男は覚えていなかった。
「我が名は犬飼ポチ、犬飼ポチだ……!」
 自分に言い聞かせるように繰り返す男――犬飼ポチ。
 コスモプロセッサによりニューヨークで目覚めたこの男は、英語も理解できないまま、広大な北コメリカ大陸を彷徨っていた。
 身体だけでなく心もまた彷徨っている。遠い空の下、人狼族と妖狐の少女達が、フェンリル狼となった犬飼ポチの生死について悩んでいたが。これは彼にとっては文字通り他人事ではない。
 犬飼ポチは本当に死んだのか、自分でも分からない。
 仮に生きていたとすれば、今ここに居る犬飼ポチはフェンリル狼でなくてはならないのではないか。そうでないと言う事は、犬飼ポチはやはり死んでいたのか。

 そもそも、自分は本当に犬飼ポチなのか。

「ガァッ!」
 自分の思考の帰結におぞましさを感じた犬飼は、手近な街灯を斬り倒す事でそれを振り払おうとした。
「拙者は犬飼ポチだ……ッ!」
 再度自分に言い聞かせる。しかし、心は静まらない。
 彼には記憶があった。犬飼ポチとして人狼族の村で生まれ育った記憶が。人間への恨み、憎しみ、それらが彼の心をドス黒く染め上げている。
 しかし、手にした刀――犬神族の秘宝、妖刀『八房』を見詰めるその瞳は迷いに曇りきっていた。
 『狼王』フェンリル狼に先祖返りする事を目論んだ野心もそうだ。彼の心の中でその身を焼き尽くさんばかりに燃え上がっている。
 にも関わらず、彼の心が以前のように奮い立つ事はなかった。むしろ虚しさを感じていた。
「『狼王』になったところで、何だと言うのだ……」
 そう、彼は知っているのだ。フェンリル狼になったところで、人間達を皆殺しにする事など叶わぬ事を。
 現に彼は敗れたのだ、脆弱な人間に。取るに足らぬ力しかない人狼族達に。人狼族の守護女神の力と言ってしまえばそれまでだが、自分もフェンリル狼となるために『八房』を手に取ったのだ。脆弱な人間が守護女神を呼び出す事を阻止出来なかったのだから、敗北は敗北である。
「何故だ! 何故なんだ! そんな事に意味は無いと言うのに……ッ!」
 だが、彼の心の中で蠢く闇が囁く。人を斬れと、『狼王』になれと。その声に従い、彼は彷徨いながら、目に付いた者達を斬り捨ててきた。
 止めようにも止める事が出来ない。何故なら『狼王』フェンリル狼への先祖返りこそが、犬飼ポチの野心。人を斬り、霊力を奪い続ける事こそが『狼王』への道を開くのだから。
 だが、彼は知っている。『狼王』になる事に意味などない事を。そして彼はハッと我に返るのだ。自分は何をしているのだと。
 『狼王』フェンリル狼となる事が犬飼ポチの野心だった。それは間違い無い。ならば、それを虚しいと感じる自分は一体何なのか。虚しいと感じながら、心の中で燻るこの炎は一体何だと言うのか。
「拙者は……拙者は犬飼ポチだァッ!!」
 月に向かって吠えてみるも、その心が晴れる事はなかった。
「見つけたぞ、『狂犬』ッ!」
 それどころか、彼を追う者を呼び寄せてしまったらしい。
 夜毎に人を斬り殺す犬飼を現地の警察組織が放っておくはずもなく、彼は現在コメリカのオカルトGメンに追われる身であった。
 当初は警察が彼を追っていたが、数人斬ったところで妖刀による犯行である事が知られたらしく、最近は専らオカルトGメンが彼を追っている。
 だが、犬飼にとってはそれこそどうでも良い事だった。こちらから斬りに行くか、向こうから斬られに来るかの違いでしかない。それ以外に違いがあるとすれば、多少斬り甲斐のある獲物であると言う事ぐらいだ。
 コメリカのオカルトGメンは日本のオカルトGメンとは異なり、対霊障のエキスパートだが、『八房』を持つ犬飼にとってはその程度の差でしかなかった。
「………」
 今回は少し興味が沸いたのか、犬飼は剣呑な視線を現れたオカルトGメンの男に向けた。久しぶりの日本語に懐かしさを感じてしまったのかも知れない。彼が日本語で声を掛けてきたのは、犬飼が袴姿である事が気紛れに見逃した者達から伝わったためだろう。数は一人、この連続殺人鬼を相手に良い度胸をしている。
 男は一瞬たじろいたが、すぐに気を取り直して身構えた。銃は持っていない。通用しない事を理解しているのだろう。オカルトGメンが撃ってきた弾を『八房』で弾き返してやったのは、つい先日の話である。
 犬飼は男を観察した。長い黒髪に顎髭を蓄えた長身の男だ。髭の方はともかく、髪の方は犬飼の感覚で言えば「だらしない」と感じるボサボサの髪である。髪の色と同じく黒いスーツに身を包んでおり、両手は銃を持たずに、ポケットに収められている。暗器を隠し持っているのかも知れないが、犬飼はその考えを自ら捨てた。
 オカルトGメンに所属している以上、彼も霊能力者なのだろう。と言うよりも、霊力を感じられたからこそ、犬飼は彼がオカルトGメンと判断したと言った方が正しいだろう。
 これまで何人もの警察やオカルトGメンを返り討ちにした事で、向こうは犬飼に関する情報をある程度持っているはずだ。にも関わらず一人で現れたと言う事は、何かしらの対抗策を持っていると見るべきであろう。
 犬飼は刀を鞘に収めて居合いの構えを取った。先程までの迷いはどこへやら、彼の心は目の前の敵を斬ると言う一点に集中する。全く度し難い。知らず知らずの内に自嘲気味の笑みが彼の顔に浮かんでいた。
 オカルトGメンの男はある程度の距離を取って、それ以上は近付こうとはしなかった。刀の間合いを計っているのだろうか。
 犬飼の顔に、先程までのものとは異なる嘲りの表情が浮かぶ。彼はまだ知らないようだ。この『八房』は、距離を取ったところでどうにもならないと言う事を。今まで刀を抜いた時は全て殺し、見逃した時は鞘に収めたままだったのだから仕方のない事だろう。
 ならば、今宵はそれを教えてやる事にしよう。
「フッ……」
「――ッ!」
 犬飼の居合いに合わせて放たれた八つの斬撃が男に襲い掛かる。これこそが妖刀『八房』の力だ。刀の間合いなど『八房』を手にしている以上、何の意味も持たない。
 後は斬り刻まれた骸が地面に転がるだけだ。今日はいつもより距離があったので、運が良ければ生き残るかも知れない。そんな事を考えながら、犬飼は『八房』を鞘に収めた。
「それで終わりか?」
「何っ!」
 しかし次の瞬間、犬飼の目は驚きに見開かれる事になる。
 なんと、男は無傷だったのだ。黒い何かが身体に巻き付き、彼の身体を守っている。
「それは……髪かッ!?」
「半分正解、と言っておこうか!」
 彼の髪に繋り、そこから伸びて広がっているように見えるが、正確には彼の能力で精製した炭素単結晶繊維である。
 男の名は真木。コメリカのオカルトGメンに所属する捜査官の一人であった。
「さぁ、貴様の刀は通用しないぞ!」
 『八房』の斬撃を防いだ事で勝利を確信した真木は、髪で身体をガードしながら、一房を犬飼へと伸ばして捕らえようとする。
 だが、犬飼は動じる事なく、牙を見せて剣呑な笑みを浮かべた。
 殺気を感じ取った真木は、咄嗟に身体を守る髪の量を増すが、その次の瞬間、犬飼に伸ばした髪、身体を守る髪、それら全てが一瞬にして断ち斬られてしまった。斬撃は真木の身体にも届いており、背広の胸元がパックリと斬り裂かれ、そこから血が噴き出して、彼は膝を突いて倒れる。
「フム、なかなかに斬り応えがあるではないか」
「バカな……ッ!」
 対する犬飼は、先程と同じく『八房』を一閃しただけである。
「まさか、本気で拙者の斬撃を防げると思ったのか?」
 余裕の笑みを浮かべる犬飼。彼は現代科学を以てしても到底及ばない強度を誇る全盛期のドクターカオス謹製であるマリアの装甲を容易く斬り裂く力を持っているのだ。先程は、運が良ければ生き延びて、犬飼の力を仲間に伝えてくれるのではないかと、多少手心を加えただけに過ぎない。
「だが、なかなかに楽しめたぞ。今日のところは見逃してやろう」
 倒れる真木を見下ろす犬飼は、そのまま彼にトドメを刺さずにそのまま立ち去る事にした。
 今までにない敵の出現に楽しめた事は事実だし、彼が生き残り、仲間に自分の能力を伝えてもらえると言う当初の目的もこれで果たされるからだ。
 これでオカルトGメンは更に本腰を入れて自分を狩りに来るだろう。それこそが彼の望みである。
 度し難い。全くもって度し難い。
 犬飼ポチは思う。犬飼ポチと言う男はなんと度し難い男かと。
 彼は今までになく充実していた。ただ人を斬るよりも、強敵を斬る方が面白い。この感情は悦びだ。心が躍るとは正にこの事であろう。
 強き者を斬るその瞬間、己が何者であるかに疑問を持つ男は、自分が犬飼ポチである事を強く実感出来る。誰よりも犬飼ポチである事が出来る。
 知らず知らずの内に犬飼の顔に笑みが浮かんでいた。心の底から声が湧き上がってくる。来るがいい、オカルトGメンよ。いや、強ければGSでもいい。もっと犬飼ポチを感じさせろと。もしかしたら、それは心の中に燻る『狼王』を目指す野心よりも大きい声かも知れない。
 今日は久しぶりに良い気分で眠れそうだ。この地で黄泉還って以来、初めての事だ。
 早速今日の寝床を探そう。気分が高揚した犬飼は、そのまま軽い足取りで闇の中へと消えていくのだった。



つづく




あとがき
 タマモが散歩を日課にしている。
 コスモプロセッサによる二種類の復活方法。
 ニューヨークで復活した犬飼ポチのその後。
 これらは『黒い手』シリーズ独自の設定です。ご了承下さい。

 作中に登場している真木ですが、これは言うまでもなく『絶対可憐チルドレン』に登場するパンドラの真木です。
 これはクロスオーバーと言うよりもゲスト出演だと解釈してください。
 『絶対可憐チルドレン・クロスオーバー』の兵部の居ない世界で『パンドラ』の面々はどうしているのかと考え、生真面目な真木はどこかの組織に属していそうだと、コメリカのオカルトGメンに所属していると設定しました。

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