topmenutext『黒い手』シリーズ『黒い手』>狼の如く、狐の如く 5
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 狼の如く、狐の如く 5


「人狼族をなめるなーッ!」
 猛々しい咆哮と共にシロはメッシャー目掛けて斬り掛かった。
 しかし、メッシャーは小馬鹿にするような笑みを浮かべて空へと舞い上がり、その一撃を躱す。その表情は地を這う獣風情など、まともに相手していられないと言いたげである。その高さは到底刀が届く距離ではない。しかし、シロの表情に焦りはなかった。何故なら彼女が手にするその刀は、そんじょそこらの刀ではない。人狼族の至宝、妖刀『八房』なのだから。
「まだまだッ!!」
「ムッ!」
 続けてシロは、上空のメッシャーを見上げて『八房』を振るう。刀身から放たれる八つの斬撃で攻撃しようと言うのだ。配下の天使が犬飼ポチにより斬られた所を見ているため、これにはメッシャーも警戒して身構えた。
「……あれ?」
 しかし次の瞬間、『八房』から放たれた八つの斬撃は四方八方に飛び散ってしまった。斬撃は辺りのものを無差別に薙ぎ払っていき、その内の一つは縁側に居たタマモのすぐそば、頭上の壁に命中する。タマモは抱いているひのめを庇うように身体を丸めた。
 崩れた壁がパラパラと落ちてくるが、幸い大きな瓦礫が落ちてくる事はなかった。タマモはすぐさま顔を上げ、シロに抗議する。思わず涙目になってしまっているのはご愛嬌だ。
「あ、あんたバカぁ!? ちゃんと狙いなさいよっ!!」
「そんな事言っても、狙いが付けられないでござるよ……」
 どうやら、シロの技量では犬飼ポチの様に『八房』から放たれる斬撃を制御する事が出来ないようだ。
 更にシロは『八房』を振るうが、次はタマモの横の雨戸が粉々になって吹き飛ぶ。タマモの表情は思い切り引き攣っていた。
「……あんた、狙ってないでしょうね?」
「狙ってないでござるよっ!」
 実際、シロがタマモを狙っているはずもなく、本命は上空のメッシャーだ。しかし、肝心のメッシャーにはまったく斬撃が届いていない。シロの身体に比べて『八房』が大振り過ぎると言うのもあるが、傍目にも刀に振り回されている感があった。
 当然、メッシャーもただ黙って見ているわけではない。右手を地上のシロに向けて熱線を放ってくる。シロはそれを飛び退く事で避けた。
 元より狙いを付けられない『八房』の斬撃。避けながらでたらめに撃ったところで当たるはずもない。上空のメッシャーはシロが居る場所を的確に狙い撃ってくる。シロはそれを避け続ける事しか出来ずに、防戦一方を強いられていた。

「くっ……何なのよ、あいつは!」
 一方、縁側のタマモは何もする事が出来ずに、極めて一方的な攻防をただ見守るしかない。元・野球少年のハニワ兵が釘バットを手に今にも飛び出しそうになっていたが、タマモはそれを手で制して止める。彼女自身も狐火で横槍でも入れてやろうかとも思ったが、自分の力では牽制にもならない事はなんとなく理解出来ていた。
 かと言って、シロを見捨てて逃げてしまうほど薄情にもなれない。幸い、メッシャーの狙いはあくまで『八房』、そしてそれを持つシロのようだ。こちらには目を向けようともしない。タマモは赤ん坊のひのめをこのままここに置いておくのは不味いと判断し、ハニワ兵達にひのめを預け、こっそり玄関から避難させる事にする。
「あんた達、任せたわよ」
「……ぽー」
 ハニワ子さんは不服そうであったが、こればかりは仕方があるまい。ハニワ兵はあくまで雑用係として作られており、戦闘用ではないのだ。ハニワ子さんやサングラスを掛けたハニワ兵がそれなりに戦えるのはハニワ兵ボディ自体の運動性能の高さ、カオス謹製の武器、何より生前の実戦経験があってこそである。それにカオスの作った武器はあくまでハニワ兵ボディで扱え、周囲に被害を出さないように殺傷能力をあえて抑えている物ばかりなのだ。 人間相手ではいざ知らず、神族相手には到底通用しない。
 その事が理解出来ているためハニワ子は何も言う事が出来ず、ひのめを連れて逃げる――つまり、シロとタマモを置いて逃げる事を承諾するしかなかった。その表情の分からぬハニワの顔が、心なしか悔しげに見えるのは気のせいではあるまい。
 元・結婚詐欺師のハニワ兵の掛け声に合わせ、数体掛かりでひのめを担ぎ上げると、サングラスを掛けたハニワ兵、元・野球少年のハニワ兵が皆を先導して玄関から飛び出して行く。後ろ髪を引かれながらも最後に飛び出したハニワ子さんは、門を抜けたところで一行の中に目付きの悪いハニワ兵がいない事に気付いた。辺りをキョロキョロと見回すが、どこにも姿が見えない。
「ぽーっ!」
 探しに戻ろうとするハニワ子さんを、それに気付いたサングラスを掛けたハニワ兵が呼び止める。
「ぽー! ぽぽぽー!」
「ぽ! ぽぽー、ぽー!」
 目付きの悪いハニワ兵は少々変わったタイプで周囲から浮いているが、なんだかんだと言って彼女はまだ子供だ。ハニワ子は必死にあの子を探さなくてはと訴えかけるが、サングラスを掛けたハニワ兵はそれを許さなかった。
 目付きの悪いハニワ兵が心配なのは彼も同じだが、彼等はひのめを安全な所に避難させなければならないのだ。幸い、目付きの悪いハニワ兵は彼等の中で唯一、ルシオラ印の戦闘用装備が搭載されている。彼等と違い、むしろ残った方がタマモ達の助けになるかも知れない。
「ぽ〜……」
 その説得にハニワ子は折れた。確かに、今一番優先すべきはひのめの身の安全だ。ハニワ子は三人の少女達の無事を祈りながら、ひのめを連れて美神令子除霊事務所目指して駆け出して行った。

「………」
 そんなハニワ兵達の姿を屋根の上から見詰める小さな影があった。
「……ぽー」
 目付きの悪いハニワ兵である。
 ハニワ子さん達が無事に家から離れて行くのを見届けると、彼女はその三白眼を頭上のメッシャーへと向ける。あちらはすばしっこく熱線を避け続けるシロに集中し、彼女には気付いていないようだ。
 そんな天使の姿を見上げながら、目付きの悪いハニワはぽつりと呟いた。

―――『天使による襲撃』、想定危険レベルA突破を確認」


「さてと、こっちはどうしようかしらね」
 縁側から熱線を避け続けるシロの姿を見ていたタマモは、これからどうしたものかと唇を噛んだ。シロを放ってはおけないと自分も残ったものの、正直なところ上空のメッシャーに対抗出来るとは思えない。シロと違いタマモには狐火と言う飛び道具もあるが、天使相手にどれだけの効果があるのかは甚だ疑問である。
 見れば庭は見るも無惨な姿になっていた。地面にはいくつも熱線で抉られた穴が開き、家の壁も傷ついている。天使と言うからには神族なのだろう。妙神山に抗議すれば弁償してもらえるのだろうか。ふとそんな益体もない事が思い浮かんだ。
 それはともかく、防戦一方のシロはそろそろ限界が近そうだ。体力的にはまだまだ大丈夫なのだろうが、穴だらけの地面が彼女の動きを邪魔している。このままではいつ穴に足を取られてしまうか分からない。
 見たところメッシャーが放つ熱線は一発でも直撃すれば致命傷になりそうだ。一刻も早く対抗策を考えねばならないだろう。シロの頭には期待出来ないので、タマモが。
「……なんも出来ない」
 しかし、一分も経たない内にタマモはギブアップした。天使への対抗手段があるとすればシロが持つ『八房』だが、メッシャーもそれが分かっているのだろう。刀が届かない上空から降りてくる気配が無い。斬撃を飛ばそうにも、彼女が刀に振り回されている状態ではそれも望み薄だ。
 せめてメッシャーが地面に降りてくれば話は別なのだろうが、あれだけ強力な飛び道具を連発出来るのに、わざわざ降りてきてくれるとは思えない。タマモが言葉で挑発しようにも、あの性格では無言で熱線を撃ってくるのが関の山であろう。
「シロー! あんた、その刀制御出来ないのー?」
「む、無理でござるよ! この刀、強過ぎる……ッ!」
 せめて、シロが『八房』を制御出来れば今の一方的な状況を変える事が出来るのだが、それも難しいようだ。
 初めて『八房』を手にしたシロは、気を抜けば弾き飛ばされてしまいそうな暴れ馬のような妖刀の勢いに、手から飛び出た『八房』に自分が斬られてしまうのではないかと言う錯覚すら覚えていた。
 それだけ神経を張り詰めながら、連射される熱線を避け続けているのだから、当然消耗が激しい。熱線が抉り、穴だらけとなった地面を気にしながらなのだから尚更である。

「あっ!」
 とうとう限界が来たのか、シロが地面に開いた穴に足を引っ掛けて転んでしまった。
 それを見下ろすメッシャーの顔にニィッと唇の端を吊り上げた笑みが浮かぶ。
「チッ!」
 効かなくても気を引くぐらいならば出来るかと、シロを助けるべくタマモがメッシャー目掛けて狐火を放とうとしたその時―――

「なんじゃなんじゃ、この騒ぎは」

―――庭の外れにある今は研究室となっている蔵の中から、甚平姿のカオスが姿を現した。
 メッシャーは思わぬ乱入者に思わずそちらに目が行ってしまう。その隙にシロは体勢を立て直し、比較的穴の少ない方へと逃れる事が出来た。
「随分と壊されたものじゃのぅ……幸い、こっちの蔵には被害は出ておらんが」
「人間……にしては少々毛色が違うようですね」
「ほほう、天使か。流石のワシもこの目で見るのは初めてじゃ」
 カオスは庭の惨状には目もくれずに、上空のメッシャーを興味深げに見ている。メッシャーも彼の姿を一目見て、ただの人間でない事に気付いたらしい。熱線の雨が止み、シロは一息つく事が出来た。
「なるほど。神の領域を侵した者、貴方も裁きを受けるべき咎人ですか」
「さて、どうじゃろなぁ。ま、敬虔な信徒ではないわな」
「戯れ言を……私の管轄ではありませんが、良いでしょう。私自らの手で神の御許に送って差し上げましょう」
 カオスは錬金術を以て不老不死の肉体を手に入れた男だ。メッシャーから見れば、真っ当な人である事を止め、「人」と言う枠組みから飛び越えようとする逸脱者であると言える。表情に怒りを滲ませるメッシャー。その刺すような視線に晒されながらもカオスは鼻をほじりながらどこ吹く風であった。
 せっかくだから遊んでやろうと頬を緩ませて考えるカオス。こんな考えをしているのだから咎人呼ばわりされるのも当然である。
「なんなら神の御使いの前で、罰当たりな事を一つしてやりたいところじゃが、はて何が良いかのう……」
「カオスー!」
 どうしたものかと考えていると、縁側からタマモが声を掛けてきた。何か考えがあるのかとカオスはそちらに視線を向け、メッシャーもまた邪魔をする気かと彼女を睨み付ける。
「そいつを地面に墜としてやりなさい!」
「なっ!?」
「ふむ……」
 空を飛ぶ相手に攻撃を届かせる事が出来ないのならば、相手を届くところまで下ろしてしまえばいい。口で言うのは簡単だが、タマモにはそうするための手段がなかった。しかし、カオスは違う。この男はボケているが、どんな裏技を隠し持っているか分からない。タマモはそれに期待して指示を飛ばした。我ながら危険な賭だと心の中で思いながら。
「よかろうッ!」
 しかし、意外にもカオスは「我に秘策有り」と言わんばかりにニッと白い歯を見せて笑い返した。
「ハーッハッハッ! 我が秘術を以て、天使を大地に縫い付けてやろうではないかっ!」
 そう言ってカオスは駆けだした。地面に空いた穴を飛び越えて、庭の中央目掛けて進んで行く。
 その足取りは自信に満ちたものだった。正直なところ、指示を飛ばしたタマモにも信じられない展開である。
「……マジ?」
「貴方のような老人に何が出来るのですッ!」
 怒声と共に熱線を放つメッシャー。自分を引き摺り下ろす事など出来るわけないと考えているが、相手は不老不死の肉体を得るほどの錬金術師。念には念を入れてと言う事だろう。
 その一撃はカオスの足下に命中。やはり肉体的に衰えているせいか爆発に巻き込まれ吹き飛ばされてしまった。思い切り転んでしまい、次の熱線を避けられそうにない。
「仕方ないわね……シロ、やるわよ!」
「しかし、制御が……」
「こんだけ壊されてんだから、今更気にする事ないわよ!」
「な、ならばっ!」
 タマモは狐火を、シロは移動しながら斬撃を飛ばしてメッシャーを攻撃する。狐火はほとんど効果がなく、斬撃のほとんどは狙いが逸れてしまったが、いくつかはメッシャー目掛けて飛んで行ってくれた。
「クッ!」
 この程度の斬撃はメッシャーにとって大したものではないが、かと言って無視出来るほどでもない。メッシャーとカオスの間に移動したシロが斬撃で攻撃し続けているおかげで、メッシャーの熱線による攻撃を食い止める事が出来た。
 その隙に、カオスはメッシャーを引き摺り下ろすべく、目的の場所へと移動する。

「……うん、元々壊れてたから、いいよね、うん」
 もっとも、それ以上の被害が周囲に出てしまっていたが。
 この惨状には、やれと指示したタマモも思わず顔を引き攣らせたのは言うまでもない。



 一方、この状況を歯がゆい思いで見守る者達もいた。
「姉さん……」
「我慢、ここは我慢よ」
 魔界のルシオラ達である。既にベスパの眷属である妖蜂を派遣して横島家で起きている事は把握しているのだが、相手が天使であるために妖蜂を援軍に送る事すら出来ずにいた。デタントの流れを守るためにも、神族と魔族が直接矛を交える事は絶対に避けなければいけないのだ。ルシオラは幼児の身体で玉座でふんぞり返りながらも、その拳はぎゅっと強く握りしめられ、今にも人間界に助けに行きたい気持ちを抑えているようだ。
「しかし、天使がにいさんの家に現れるとはな……」
「あの『八房』って刀のせいだろうけど、仕方ないわ。こうなることは分かっていたのよ。あれだけ天使達を動かしていれば、遅かれ早かれ横島の所に辿り着いていたでしょうしね」
 ルシオラは小さな身体を玉座に沈め、溜め息をつく。
 そう、いつかこんな日が来る事は分かっていた。アシュタロスが滅んだ事により神側に大きく傾いた人間界における神魔のバランス。神族の反デタント過激派にとって、これは有史以来の最大のチャンスなのだ。そして横島は本人に自覚はなくとも、神魔族のデタント推進派にとっての重要人物。反デタント過激派神族に狙われないわけがない。
「対抗手段があるとすれば、あの目付きの悪いハニワ兵に搭載された武装か……あれは天使と戦っても問題ないんだよな?」
「一応ね。六つに分解した時点で本来のとは別物になっちゃってるし。あくまで兵鬼よ、あれは」
 そう言ってルシオラは、傍らに控える別の目付きの悪いハニワ兵の頭を撫でた。玉座の周りを固めるように五体の目付きの悪いハニワ兵が控えている。どこか超然としたその姿にベスパは思わず息を呑んだ。やはり、彼等は他のハニワ兵とは雰囲気を始めとして何もかもが違う。ベスパも彼等の全貌を把握しているわけではないが、六体はそれぞれ別の能力を持っているらしい。高性能でコンパクト。ルシオラの拘りが見てとれる。
「向こうに居るのが一番火力があるヤツだったか? 間違えて紛れ込ませてしまったが、結果的にはそれが良い方に転がってくれそうじゃないか」
 六体の内一体だけが人間界の横島の家に行ってしまっている原因は、横島がこれから独立しようとしていた頃、パピリオが魔界に里帰りした時まで遡る。ベスパがそこら辺に居るハニワ兵を適当に捕まえて風呂敷に包み、横島へのみやげとしてパピリオへ渡したのだが、その中に件の目付きの悪いハニワ兵が紛れ込んでしまった―――そうベスパは考えていた。

「……は? ああ、まだ勘違いしてたのね」
「なんだと?」
 しかし、真実は意外なところにあったりする。
 ルシオラは言った。「こうなる事は分かっていたのよ」と。
「ま、まさか」
「こうなる事が分かってるのに、私が手を打たないわけないじゃない。こっそりあの子を風呂敷包みに潜り込ませたのよ。私が
「ね、姉さん……」
 自信満々に言い切る姉の様子にがっくりと崩れ落ちるベスパ。分かっていたはずなのだ。横島が混じって黄泉還った姉が、こういう性格になってしまっていた事は。
「今は、あの子に任せるしかないわね」
「……そうだな」
 ルシオラに出来る事はそう多くはなかった。そんな中でも彼女は、横島のために出来るだけの事をしてきたつもりだ。
 今の彼女達に出来る事は一つ。こっそり送り込んでいた目付きの悪いハニワ兵に全てを託し、ただ見守るのみである。



「よし、辿り着いたぞ!」
 タマモとシロの尽力で、カオスはメッシャーの熱線を食らう事なく目的地まで辿り着く事が出来た。そこは庭の中央付近に鎮座する巨大な土偶の上半身、カオス謹製の地脈発電機である。
「さぁて、腕が鳴るわい。どうしてくれようかのぅ」
「いいから、とっととやんなさい!」
 地脈発電機を前に指を鳴らすカオス。背後からタマモが大声で急かしてくるが、彼の耳には入っていないようだ。早速、地脈発電機の制御板を開いて何やら操作を始める。
 その姿は当然上空のメッシャーからも見えている。しかし、彼には地脈発電機が一体何なのかすら理解できず、カオスが何をしようとしているのかが分からない。それだけに何かが起きる前に止めねばならないと言う考えに至っていた。
「消えなさいッ!」
 『八房』の斬撃は数撃てど、そうそう自分の下には届かない。カオスが何をしようとしているかは分からないが、彼を仕留めればタマモ達に対抗手段は残されていないはずだ。防御に使っていた力を攻撃に回し、一気に勝負を決めてしまおう。そう判断したメッシャーは、一撃でカオスを消し飛ばせるだけの熱線を発射しようと、彼に向けて両手を構えた。
「チッ!」
 メッシャーの動きをタマモは目聡く見逃さなかった。最大火力の狐火をメッシャー目掛けてお見舞いする。
「効か……ぬぅっ!?」
 メッシャーに反応にタマモはニヤリと笑う。
 効かない事など百も承知だ。タマモの目的は一つ。
「ほ、炎が!」
 狐火で彼の視界を遮る事にあった。  タマモの放った炎は、消える事なくまとわりつくようにメッシャーの頭を覆っている。これでは炎と熱により彼の視界は歪み、まともに狙いを付ける事も出来なくなるだろう。
 力の差は歴然なのだから、そう長くは保つまい。なんとかカオスの作業が完了するまで持ち堪えてくれれば良いのだが―――

「ハァッ!!」

―――そんなタマモの願いも虚しく、メッシャーは一息で狐火を掻き消してしまった。
「残念なでしたね。私の方が早いようです。……消えなさいッ!」
 メッシャーはすぐさま後は撃ち込むだけだった熱線を放つ。カオスは地脈発電機の方を向いて作業をしているため、彼に背を向けた状態だ。このままではカオスが直撃を食らってしまう。シロは考えるよりも早く動き出し、カオスを突き飛ばして横っ飛びにその場を離れた。
 そして二人がいなくなった後、熱線は地脈発電機の外殻を溶かすようにして容易く破り、そして貫く。
「ち、地脈発電機が……」
 力が抜けたようにタマモがへたり込む。
「ハ、ハハハハハッ! 何をする気だったかは知りませんが、肝心のそれが壊れてしまえば何も出来ないでしょう。万策尽きましたか? では、順番に一人ずつ消してさしあげましょう」
 耳障りなメッシャーの笑い声を聞きながら、シロに突き飛ばされたカオスがむくりと起き上がった。その唇は不敵な笑みに歪んでいる。
「いやあ、感謝するぞ。最後の仕上げを、わざわざ自分でやってくれるとは。天使とは意外に親切なんじゃな」
「なに……?」
 怪訝そうな表情でカオスを見るメッシャー。カオスはそれを見て益々笑みを深くする。
「実はどうしようかと思って困っておったのじゃよ。最後にあの頑丈な地脈発電機をどう壊すかを
 次の瞬間、地脈発電機は大きな爆音と共に火柱を立てて吹き飛んだ。突然の爆発に一瞬たじろいたメッシャーだったが、すぐに体勢を立て直し片翼に掠らせながらもその火柱を避ける。
「クッ!」
 爆炎で攻撃する策だったのだろうか。しかし、命中しなければ意味がない。
 再び視線をカオスに向けると、彼は火柱の命中を確認する事もなく、シロとタマモに何やら指示を飛ばしていた。
「二人とも何かに掴まれ! 吸い込まれるぞ!」
「え?」
「ちょ……あんた、何したのよ?」
 タマモの問いに答えたのは、カオスではなく地脈発電機が爆発した跡から発せられた轟音であった。
「な、なんなのよ!」
 突然風が巻き起こり、爆発跡へと吸い込まれていく。タマモは咄嗟に家の柱にしがみ付いた。カオスとシロもそれぞれ庭の木、庭石にしがみついて難を逃れる。
 しかし、上空のメッシャーはそうもいかない。しかも片翼を火柱で傷付けているため体勢を維持する事も出来ずに、爆発跡に吸い寄せられ、そのまま地面に叩き付けられてしまった。
 何が起きているのかさっぱり分からない。地面に目を向けてみるが、そこには穴どころか焼け焦げた地面しかない。しかし、何かが確かに自分を地面に吸い寄せている。
「フッフッフッ、驚いたようじゃの」
 声のする方へ忌々しそうに目を向けてみると、そこには庭石にカエルのようにしがみ付いたカオスの姿があった。お世辞にもみっともいいものとは言えない姿である。しかし、その表情は勝ち誇っており、メッシャーを見下していた。
「一体何を……!」
「お前さんが破壊したのは地脈発電機。地脈から霊的エネルギーを吸い上げ、それを電力に変換する装置じゃ」
「? ? ?」
 カオスが何を言いたいのか理解出来ずに、焦りの表情と共に疑問符を浮かべるメッシャー。
 続いてカオスはトドメとなる事実を彼に告げた。
「そいつを逆回転させたまま、壊して暴走させたらどうなると思う?」
「……ま、まさか?」
「そう、空中の霊的エネルギーを吸い寄せ、地脈に流し込む渦の一丁上がりじゃ」
 メッシャーの表情が驚愕の色に染まる。完全にしてやられた。この渦は、周囲に存在する霊的エネルギーを持つ存在――すなわち、魂を持って生きる者全てを吸い込もうとする。神魔族はいわば強大な霊的エネルギーの塊だ。天使であるメッシャーも例外ではない。
 そう、ただの地面に見えても、そこには確かに穴が空いているのだ。メッシャーが熱線で抉って作った穴とはまた異なる「地脈の穴」が。
「う、動けない……!」
「そりゃそうじゃろ。その状態はしばらく続くから、おとなしくしとれ」
 今すぐにでもカオスを熱線で撃ち殺したい衝動に駆られるが、気を抜けばそのまま地脈に吸い込まれそうな状況ではどうする事も出来なかった。メシャーは悔しげに唇を噛む。人間ならばそこから血が流れていたのだろうが、メッシャーの唇からは光の粒子が溢れ、それはそのまま地脈の穴へと吸い込まれていく。
「さぁ、地面に縫い付けてやったぞ。後はどうするんじゃ?」
「後はシロがやっちゃいなさい!」
「しかし、拙者では『八房』の制御は……」
 タマモは、シロに決着を付けるよう指示を飛ばすが、シロは動く事が出来なかった。『八房』に振り回されている現状では、メッシャーを倒す一撃を放つ自信がないのだ。
 そんな彼女の様子を見て、柱にしがみついたままのタマモはだんだん腹が立ってきた。せっかくカオスがチャンスを作ってくれたと言うのに、この地脈の穴が収まってしまえば、元の木阿弥になってしまうのだ。その時こそ、万策尽きてしまう。
「だからあんたバカなのよ!」
 情けないシロに渇を入れるべく、タマモは声を張り上げる。
「誰もそいつを制御しろとは言ってないでしょ!」
 そう、タマモは『八房』を制御しろなどとは言っていない。メッシャーを倒せと言ったのだ。
「全部その刀から出てるんでしょ! だったら……直接叩き付けてやりなさい!
「ッ!!」
 シロは弾かれるように顔を上げた。
 そうだ。『八房』を制御出来なくとも、勝つ方法はある。
「がってんしょーちっ!」
 しがみ付いていた木から手を離し、『八房』の柄を両手でぐっと掴むと、シロはメッシャー目掛けて駆け出した。その姿はメッシャーの目にも映っていたが、この状況ではどうする事も出来ない。
 犬飼ポチは八つの斬撃を一つに束ねる事で天使を一刀両断にした。シロの技量では斬撃を制御する事も出来ない。
 しかし、そんな彼女でも八つの斬撃を全て天使に食らわせる方法がある。
 この状況で自ら跳躍し、地脈の穴に吸い込まれる勢いも利用して地面に縫い付けられたメッシャー目掛けて『八房』を振り下ろす。その刃が彼の身体に触れる瞬間こそが勝負の時だ。
 そう、八つの斬撃が全て『八房』の刀身から放たれるのならば。零距離で放ってしまえば、どこに飛ぼうが関係が無い。
「てりゃあぁぁぁーーーッ!!」
 気合と共に放たれる斬撃。無差別に放たれたそれらは、メッシャーの肩口で炸裂。悲鳴を上げさせる間も与えずに彼の腕を抉り取った。
 その一撃――いや、八撃は地脈の穴にも影響を与えた。穴は塞がり、メッシャーを地面に縫い付ける力は失われてしまう。
「ど、どきなさい!」
 メッシャーは残された腕でシロを薙ぎ払い、なんとか空に逃れようとする。翼は既にボロボロであったが、神族である彼は力さえ残っていれば、空を飛ぶ事も出来た。
「! 逃がしちゃダメよ!」
 タマモの声に反応し、吹き飛ばされたシロが飛び跳ねるように起き上がる。
 すぐさまメッシャーに攻撃しようとその姿を探すが、彼はふらふらとしながらも既に空へと逃れてしまっていた。
 もう一度斬撃を飛ばすべきか、それとも跳躍するべきか。迷っている内にメッシャーはどんどん高度を上げていく。
 このまま逃げられてしまう。タマモ、シロ、カオス、その場に居た三人皆が思った。メッシャー自身も、このまま逃げ切る事が出来ると確信し、ぐっと残された拳を握りしめた。次は援軍を連れて来よう。天使の軍勢で攻めればものの数分で終わるはずだ。彼女達にどう天罰を食らわせてやろうかと思いを馳せていたその時、彼の目に、ある小さな影が映った。

「……なんだ、あれは?」

 それは、屋根の上にいた目付きの悪いハニワ兵であった。三白眼でじっとメッシャーを見詰めている。
「なんだと、言うのだ……!」
 その小さなボディから感じられる力がどんどん膨れ上がっていく。それに合わせてだんだんとメッシャーの顔が青くなっていった。

『ポ゛ーーーーーッ!!』

 そして、その口の奥がチカッと光った瞬間、ハニワ兵の口から大口径のビームが放たれた。
 満身創痍のメッシャーには避ける事も防ぐ事も出来ない。意識は光の奔流に呑み込まれていく。最早メッシャーに為す術はない。彼の存在はそのまま断末魔を残す事も、その暇もなく光の中へと消えていくのだった。

「な、なんなの?」
 空を見上げていたタマモが呆然と呟く。一瞬の出来事で何が起きたのか理解出来ない。
 シロとカオスも同様だ。目を丸くし、ポカーンと大きく口を開け、まるで彼女達の方がハニワになったかのようだ。

「天使の消滅を確認 ――任務完了」

 そんな彼女達の様子など気にも留めず、目付きの悪いハニワ兵はこちらを監視している妖蜂へと視線を向ける。そして彼女は、魔界のルシオラへと戦いが終わった事を報告するのだった。



「良かった。何とか天使を撃退出来たみたいね」
「ね、姉さん……」
 魔界で事の成り行きを見守っていたルシオラ達も、その報告を聞いてようやく一安心だ。
 ルシオラはほっと胸を撫で下ろし、肩の力が抜けて、その幼児の姿に相応しい笑みを浮かべる。
「姉さん!」
「な、何よ、ベスパ」
「あれは……いや、私も気にしてはいたんだけど」
「?」
 しどろもどろになって何を言いたいのか分からなくなってしまうベスパ。ルシオラは可愛く小首を傾げて疑問符を浮かべる。
 しかし、ベスパもここで引き下がるわけにはいかなかった。あの目付きの悪いハニワ兵の主砲。威力の大きさもさる事ながら、彼女はあれに見覚えがあったのだ。
「ありゃ『断末魔砲』だろっ!?」
 そう、目付きのハニワ兵の口から放たれた主砲は、かつて妙神山をその結界ごと跡形もなく吹き飛ばした兵鬼、『断末魔砲』と同じものであった。
「そうよ〜、言ってなかったっけ?」
「一体どこから、あれはアシュ様が作った……」
「あるとこから持って来たに決まってるじゃない」
「なに?」
 満面の笑みを浮かべてあっけらかんと答えるルシオラ。一瞬怪訝そうな表情を浮かべたベスパはハッと何かに気付いたようにルシオラの玉座の周囲に控える五体の目付きの悪いハニワ兵を見た。
 六体に分けて作られた兵鬼。ならば、最初の一体は何だと言うのか。
「そいつらは逆天号かッ!?」
「なによベスパ、今頃気付いたの?」
 驚きの声を上げるベスパに対し、ルシオラは悪びれる事無く微笑んだ。
 そう、目付きの悪いハニワ兵達の正体は、かつてルシオラ達の母艦として世界中を飛び回った兵鬼『逆天号』だ。その魂を六つに分割し、ルシオラの眷属として作り替えたのが、このハニワ兵達である。
 横島の家に送り込まれた彼女には『逆天号』の能力の一つ、『断末魔砲』が受け継がれていた。
「ま、横島の役に立ったみたいだし、ひとまずはめでたしめでたしと言う事で」
「あ、ああ、そうだな………これでいいのか?」
 なんともご機嫌なルシオラに対し、ベスパは本当にこれで良いのかと頭を抱える事になる。しかし、彼女の疑問に答えてくれる人は誰もいなかった。



 その後、シロは帰国する横島に会う事なく出掛ける事となった。
 妖刀『八房』をどうするべきかと言う問題があるためだ。

「そりゃやっぱり他の天使が狙ってくるだろうから、どこかに持ってくべきでしょ」
 タマモの言う通り、『八房』を狙う天使達がメッシャーを撃退したからと言って諦めるとは思えない。しかし、人狼族の里に持ち帰ったところで、彼等の迷惑にしかならないだろう。かと言って、今のシロの実力では『八房』を使いこなす事など出来るわけもなく、シロが所持し続けるのも却下である。
「だったらさ、いっそこっちから神族のところに持って行ったら?」
「だ、ダメでござるよ!」
 天使に襲撃された事で神族全体を信じて良いものかと迷っていたシロ。それは自ら膝を屈する事になるから承伏出来ないと反対するが、タマモの考えはそんなものではなかった。
「勘違いすんじゃないわよ。妙神山に持って行くのよ」
「妙神山に?」
 妙神山の事はシロも知っていた。元々彼女は妙神山に修行に行った横島の代わりに令子にスカウトされた身だ。その名は耳にタコが出来るほど聞かされていた。主に酒を飲んでいる時の令子の愚痴で。
「ああ、それは良い考えかも知れんのう」
 カオスもタマモの提案に賛成する。
「あそこは同じ神族でも天使とはまた別のグループに属しておる。それに小竜姫と斉天大聖なら、そう悪いようにはせんじゃろ」
「……ん、まぁ、あいつらは横島の味方よ。多分」
「そうなのでござるか?」
 単純だが、シロはタマモの言葉を聞いて、横島の味方であるならば信用しても良いのではないかと考えた。現実問題として、再び天使達に襲撃された場合『八房』を守り切る事は難しいと考えられる以上、他に手段が無いと言う事もある。
 何にせよ、すぐにでも何か手を打たねばならない。シロは『八房』を妙神山に持って行く事に決めた。
「タマモ。皆にはワシから説明しておくから、お主が妙神山まで案内してやるがいい」
「私が?」
「拙者、妙神山がどこにあるのか知らないでござるよ」
「お主は行った事があるんじゃろ?」
「う……」
 しかし、シロは妙神山に行った事がない。あの人外魔境に辿り着くには道案内が必要なので、この中で唯一妙神山に行った事があるタマモが、シロと一緒に妙神山に赴く事となった。
「しょうがないわねぇ……行くわよ、シロ!」
「全速力で行くでござるよ!」
「いや、それは私がついてけないから、ほどほどになさい」
 こうして二人は、横島が帰国するより前に『八房』を持って妙神山へと出掛ける事になったのである。




つづく




あとがき
 技量次第で『八房』の放つ斬撃を束ねる事が出来る。
 技量次第では『八房』の放つ斬撃を制御する事が出来ない。
 これらは『黒い手』シリーズ独自の設定です。ご了承下さい。

 また、メッシャーは『黒い手』シリーズのオリジナルキャラクターです。
 古代バビロニアの『動物の生命を司る』天使の名を借りておりますが、そのものではない事をお断りしておきます。

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