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 狼の如く、狐の如く 4


 真木は、目の前で繰り広げられる光景が信じられなかった。

「行くぞッ!」
 犬飼ポチは大地を蹴り跳躍すると、有無を言わさずに斬り掛かった。メッシャーが喚び出した天使ではなく、メッシャー本人に向かって。今一番斬りたいのは他ならぬメッシャーであり、雑魚になど構うつもりはないと言う事だろう。
 天使は彼を止めるべく、その背に向けて容赦なく熱線を撃ち込んだ。犬飼ポチは強引に身を捻ってそれを躱す。おかげで直撃こそしなかったものの、攻撃は止められてしまった。空中で急に体勢を変えたため、そのまま墜落するように落下した犬飼ポチは、両足と片手で地面に降り立つ。宙に浮かぶメッシャーも熱線で追い討ちを掛けるが、犬飼ポチは人狼族の瞬発力を以て切り抜けた。
 そしてすかさず『八房』で反撃する。目標は勿論メッシャーだ。しかしメッシャーは微動だにせず、配下の天使がその身を盾にして彼を庇った。天使は八つの斬撃をことごとくその身に受けて血飛沫を散らすが、怯むことなく熱線を放って反撃してくる。大したダメージではないらしい。
 もっとも、無傷と言うわけでもないようで、肩口から流れた血が腕を伝っている。しかし、人間のそれと違いその血に色はなく、地に落ちる前に光の粒子となって虚空へと消えていった。
 その様を目の当たりにして、真木はこれが人ならざる者同士の戦いである事を改めて思い知らされる。

「ふむ、貴様を斬るには、まずそちらを斬らねばならんようだな。名を聞いておこうか」
「我等は神の剣、名乗る名などない。特に、貴様のような下等生物にはな」
「……フン! 詰まらぬヤツよ。墓石に刻む名もないと言うならば、それもよかろう」
 そう吐き捨てると、犬飼ポチは『八房』を構え、不敵な笑みを浮かべる。
 しかしその実、彼には態度ほどの余裕はなかった。原因は先程の八房の斬撃だ。全くの無傷であれば、何かからくりがあるのではないかと疑う事も出来る。しかし、彼は傷を負いながらもなお平然としている。これはすなわち、『八房』で彼を斬るのは、言葉で言うほど簡単ではないと言う事である。
 また、彼等の放つ熱線も厄介だ。あれは斬撃で弾き返す事は出来ても斬る事は出来ない。何より厄介なのは、宙に浮かぶメッシャーが、上から狙い撃たんと隙を窺っている事だろう。犬飼ポチは、呆然としている真木よりも、自分の実力、それに相手の実力を正確に見極める事が出来る。冷静に、そして冷徹に彼我の戦力差を判断した。
「……死ぬな、これは」
 勝ち目がない。勝てないとは言いたくないが、あの熱線が直撃すれば致命傷になりかねない。どちらかが撃ってくると言うのであれば、そちらを警戒すれば良いのだが、メッシャーと配下の天使の両方がそれを撃ってくる。そして彼等は、もう片方に意識を割きながら斬れるほど、やわな相手ではないだろう。
 ここは一旦退いて身を隠すべきか。そんな考えが、犬飼ポチの頭を過ぎる。しかし、彼はすぐにその考えを否定した。
 ニィッと唇の端を吊り上げて、剣呑な笑みが浮かぶ。
 勝つための秘策――そんなものあるわけがない。それでも、犬飼ポチの心にはふつふつとある感情が湧き上がっていた。
「フッ……フフッ……」
 思わず笑みが零れる。この感情は悦びだ。
 このような歯応えのある敵は、フェンリル狼となった犬飼ポチも斬った事があるまい。この目の前の敵を斬る事で味わう事が出来る悦びは、今ここに居る犬飼ポチだけのものだ。自らが犬飼ポチである事を証明するために、誰よりも犬飼ポチであろうとした男。彼の心はとうの昔に壊れていたのかも知れない。

 ボコリと音を立てて、犬飼ポチの肩の筋肉が盛り上がった。人体に有り得ない変化に真木は驚いて目を見開く。
 その時、彼の元に仲間からの通信が届く。それは本部からの撤退命令であった。
「な、なんだって!?」
 突然の命令に通信機に向けて声を荒げて問い掛けていると、宙に浮くメッシャーが真木を見下ろしながら本部の代わりに答えた。
「シロー、命令は届いたはずですよ。撤退しなさい」
「し、しかし……っ!」
 真木は尚も反論しようとする。それを見たメッシャーはスッと目を細め、視線は鋭さを増した。
「人間の出る幕ではないと言っているのです。それとも、貴方も神の反逆者として、獣と共に処罰されますか? 貴方の髪など、我々の前では盾にすらなりませんよ」
「クッ……」
 口惜しいが、メッシャーの言う通りであろう。
 だが、考えようによっては、ある意味幸運だったのかも知れない。連続殺人鬼である犬飼ポチは明確な敵だが、感情的にはメッシャーにも積極的に味方したいとは思わない。天使からみれば当然なのかも知れないが、あの人を人とも思わぬ態度には色々と言いたくなる。もし、本部からメッシャーと協力して戦えと命令を下されたら、果たして真木は素直に頷く事が出来たであろうか。
 心に苦いものは残るが、今はただ撤退の命令を下した本部に感謝しよう。真木は苦虫を噛みつぶしたかのような表情となって、天使と人狼が対峙する戦場から身を翻して撤退するのであった。

「邪魔者は消えたようだな」
 犬飼ポチは去る真木の背に視線を向ける事なく言い捨てた。今夜ここに来るまでは、真木を斬りたいと思っていた犬飼ポチだが、今や彼の事は眼中にないらしい。彼が斬りたいのは「強い者」であって「真木」ではないのだ。より正確に言うなれば、「以前の犬飼ポチが斬ったことのない強い者」である。以前の犬飼ポチを越える事により、自分が真の犬飼ポチである事を証明したいのかも知れない。
 そう言っている間に犬飼ポチの身体は異様な筋肉の盛り上がりを見せ、瞬く間に毛むくじゃらな体躯を持つ狼頭の獣人へと変貌を遂げた。その姿を見たメッシャーと天使は揃って汚物を見たかのように顔を顰める。
「獣め、本性を現したな」
「美しかろう? 月夜に映えるこの身体は」
「ほざけッ!」
 挑発に乗った天使が熱線を放つ。犬飼ポチは今度は飛び退く事なく、紙一重でそれを躱した。熱線が腕を掠め、痛みと共に肉が焼ける焦げ臭い臭いが鼻を突くが、犬飼ポチの双眸は眼前の天使を捉えて離さない。
「『狂犬』……貴様が死の恐怖に狂ってしまう前に言っておこう。慈悲深き神は、貴様如きにも救いの手を差し伸べてくださる。『八房』を置いてここから去るがいい」
「なんだと?」
「その刀を置き、尻尾を巻いて逃げれば、犬畜生の生を全うする事が出来ると言っているのだ」
「ほぅ……」
「勝ち目が無い事は貴様にも分かっているはず。悪い話ではあるまい」
 メッシャー側にしてみれば、犬飼ポチが辻斬りを繰り返そうが大した問題ではない。重要なのは、彼の手に折られたはずの『八房』、フェンリル狼復活の鍵が握られていると言う事だ。彼等にしてみれば、かつて神を食い殺してしまった怪物フェンリル狼が再度復活する事は何としても阻止せねばならないのだろう。
 何故わざわざ天使が出向き、何故出向いたにも関わらず犬飼ポチを見逃すのか。これが答えだ。彼等の目的は犬飼ポチを倒す事ではなくフェンリル狼復活の阻止。あわよくば『八房』を手に入れようと言うのだろう。
 なめられたものだ。犬飼ポチの顔に薄ら笑いが浮かんだ。
 心の中で声が聞こえる。逃げろ、ここは一旦退けと。
 何故退かねばならないのか。
 すると、再び声が聞こえてきた。目的を果たすまで、死ぬわけにはいかないと。
 目的とは一体何か。当てもなくコメリカの大地を彷徨う自分に、何の目的があると言うのか。
 頭の隅に浮かぶ『フェンリル狼』と言う言葉。しかし、犬飼ポチはしかめ面をしてそれを追い払った。なってやるものか。犬飼ポチは、犬飼ポチと同じ過ちは繰り返さない。
「目的? クク、ッハハハ……!」
 そして声を上げて笑う。その瞳には狂気とはまた異なる光が宿っていた。
 目的なら、ある。
「貴様等を斬る! それこそが拙者の目的よッ!」
 天使の目的がどうであろうが関係は無い。ただ、目の前にある斬り堪えがあるものを斬るのみだ。
「所詮は『狂犬』か……」
 交渉決裂を悟ったメッシャーは忌々しそうに舌打ちをした。神の慈悲を振り払うとは、なんと罪深き事か。やはり、この獣を生かしておいてはならない。配下の天使に目配せをすると、天使はコクリと頷いて両手を犬飼ポチに向けた。その両手の間に光球が生まれ、どんどん大きくなっていく。その周りの景色がゆらゆらと陽炎のように揺れている。相当な高温のようだ。熱線ならぬ熱球。直撃すれば一溜まりもないだろう。
 威力がある分、「溜め」が必要なようだ。その様子を見て犬飼ポチは思う。今の内に斬るべきかと。
「フハハハハッ! 無粋、無粋よッ!」
 しかし、すぐさまその考えを払って除ける。強い敵を斬りたいと言うのに、相手の準備が整わぬ内に攻撃してどうするのか。
「真っ向勝負! まずは貴様! 次に宙を舞う羽虫をたたき落としてやろうではないかッ!」
 気迫と共に叫び、犬飼ポチは『八房』を構えた。勝負は一瞬、熱球が放たれたその瞬間だ。

 息を呑む音すら耳に響きそうな静寂。犬飼ポチは今までになく落ち着いていた。
 身体を冷たく斬り裂くような緊張感。鼓動は熱く波打ちながらも。同時に氷のように冷たい。

 そして、天使の熱球が完成した。

「獣よ、死ねいッ!」
「ぬるいわ、羽虫がッ!」

 天使が両手を突き出すと同時に熱球が犬飼ポチに向けて飛来する。対する犬飼ポチは避けようともせずに、ただ一度『八房』を振り下ろした。
 『八房』から放たれたのはたった一つの斬撃。それを見た瞬間、天使は力尽きたかと勝利を確信する。
「なっ!?」
 だが、次の瞬間、たった一つの斬撃は天使の放った熱球を容易く斬り裂いたのだ。
 信じられない光景を目の当たりにし、唖然としてしまう天使。その一瞬が命取りとなる。一つの斬撃は勢いを殺す事無く天使の左の肩口から右の脇腹に掛けて、袈裟斬りに真っ二つにしてしまった。
「馬鹿……な……」
 斬り裂かれた上半身は地面に落ちる前に光の粒子となって消え、残された下半身もまた、崩れ落ちるより先に霧散してしまう。
 それを見てメッシャーは、溜め息を一つついた。馬鹿は貴様だと。
「褒めてあげますよ『狂犬』、まさか八つの斬撃を一つにまとめてしまうとは。超人的な集中力だ。……ああ、人ではなかったな」
 そう、犬飼ポチは『八房』の刀身から放たれる斬撃を、一つに束ねる事により、天使を一刀両断に出来るだけの斬撃を生み出したのだ。彼の超人的な技量と集中力があってこそなせる技である。
 しかし、何故か犬飼ポチの表情は、天使を一刀両断したと言うのに浮かない表情であった。それどころか口の端から血が零れている。
「まったく……どこまでも無粋な羽虫よ……」
「私が、貴方の都合に付き合わねばならない理由はないでしょう?」
 崩れ落ちるように膝を突く犬飼ポチ。その腹は大きく抉られ、大量の血が溢れ出ていた。彼が斬撃を放った瞬間を狙って、メッシャーが熱線を放ったのだ。端から彼は、配下の天使を囮としていたのである。
「ここまで、か……」
「ええ、ここまでです」
 最早、犬飼ポチに反撃する余力は無い。そう判断したメッシャーは地面に降り立ち、コツコツとブーツの足音を響かせて近付いて来た。しかし、その途中でピタリと足を止める。そこは丁度、犬飼ポチから溢れ出た血溜まりの端であった。自分のブーツを血で汚す気はないらしい。
「フム、このまま地面ごと焼き尽くして消毒してしまいましょうか。『八房』は残ってくれるといいのですが」
「……貴様が、考えているほど、柔ではないぞ……」
 と言いつつ、犬飼ポチは腰から鞘を抜き『八房』を収める。それを見てメッシャーはようやく降参する気になったのかと肩を竦めた。この出血量、その上内臓のほとんどが焼失しているのだ。いくら人狼族の生命力を以てしても助かるまい。最早手遅れである。
 一方、犬飼ポチの胸の内には、その怪我の重さとは裏腹に言い知れぬ満足感が広がっていた。犬飼ポチも斬った事のない天使を斬る事が出来た。それが死を目前にして彼の心を穏やかなものにしている。
 ただ一つ、心残りがあるとすればメッシャーを斬れなかった事だ。だが、もう本当に力が入らない。それでも犬飼ポチは、鞘に収めた『八房』を自らの血に汚さぬよう、それを杖にして身体を支えようともしなかった。人狼族の至宝をこんな自分の血で汚す訳にはいかないと言う意地だけが彼を支えている。

 その時、犬飼ポチの脳裏に一人の少女の姿が浮かんだ。今は遠い日本の空の下にいる犬塚シロである。
 彼女の父を斬ったのは、他ならぬ犬飼ポチだ。恨みがあったわけではない。ただ、『八房』を持ち出す際に止めようとしてきたため、斬り捨てたのだ。思えば、犬飼ポチが最初に『八房』で斬ったのは、彼であった。斬りたくて斬ったわけではないが、それは言い訳にもなるまい。
 犬飼ポチの脳裏に天啓が閃く。彼女ならば、父の仇と自分を追い、見事それを成し遂げた彼女ならば、この忌々しいメッシャーを斬ってくれるかも知れないと。
 『八房』を天使の手に渡すぐらいならばと、犬飼ポチは最後の力を振り絞る。自分に残された全ての力を『八房』に込める。
「すまぬ、犬塚……また、貴様の娘に迷惑を掛ける……」
「貴様、一体なにを……?」
 メッシャーが気付いた時にはもう遅い。次の瞬間、『八房』は一条の流星となって夜空へと消えてしまった。不意を突かれたメッシャーは呆然とそれを見送るのみである。
「……どうした? なにを、当てが外れたような、顔を、している」
「おのれ、犬畜生が……」
 怒りに満ちたその表情を見て、犬飼ポチは少し溜飲が下がったような気がした。
「クッ……クククッ……ハァーハッハッハハハッハッ!
 夜空を仰ぎ、高らかに笑う犬飼ポチ。晴れ晴れとした気分で逝けそうだ。
「見よッ! 天上に去りし、フェンリル狼よッ! ワシはッ! 犬飼ポチの生命を全うしたぞッ!!」

「黙れッ!」
 激昂したメッシャーの放った熱線が、地面を抉り、犬飼ポチを跡形もなく消し飛ばす。
 しかし、その笑い声が、彼の耳から離れる事はなかった。
 耳障りな笑い声を振り払うようにメッシャーは夜空を見上げる。流星となった『八房』は西の空へと飛び去った。西と言えば犬飼ポチの故郷である日本がある。おそらく『八房』は日本に飛んで行ったのだろう。
 『八房』の回収、もしくは処分は最優先任務だ。破壊したのならともかく、飛び去ってしまったとあれば追わねばならない。
「許さんぞ、犬畜生が……」
 吐き捨てるように呟いたメッシャーは西に向けて飛び立って行った。


 翌朝、真木達が現場に戻ってきた時には、そこには抉れた地面と、その端に僅かな血痕が残るのみであった。
 真木の手元に例の結界発生装置が残っていたが、それもすぐさま上からの命令で取り上げられてしまい、真木達現場の人間はこの件について調べる事を禁じられてしまう。
 僅かに残った血痕を調べた結果、それが人狼族のものであった事が判明。これにより『狂犬』による連続通り魔事件は、真木の心に複雑なものを残したまま、被疑者死亡として処理される事になるが、それはもう少し先の話である。



 一方、日本では、今日もシロがひのめを連れて横島家にお邪魔していた。
 本当ならば、横島がそろそろ魔法界から帰ってきている頃なのだが、向こうで起きた殉教者部隊の襲撃と、魔王級『炎の獅子』アロセスの降臨により足止めを食らっているらしい。場合によっては魔法界に捕らわれる可能性もあるため、抜け出して帰ってくるそうだ。とは言え、帰宅はもう少し遅れてしまうだろう。
 この事は、魔鈴が魔法を使って、使い魔の黒猫へと連絡し、黒猫が魔鈴の店の天井裏に巣を作っているベスパの妖蜂を使って知らせてくれた。
「う〜、今日も先生はいないでござるか」
「しょうがないでしょ、向こうでトラブルがあったって話なんだから。て言うか、あんたも手伝いなさい。私にばっかり押しつけてないで」
 縁側でひのめをあやしながら、ジト目でシロを見るタマモ。一方のシロはそんな視線を意に介さずに、木刀を持って素振りに没頭している。家に帰れば、嫌でもひのめの面倒を見なければならないため、こちらに居る間は、とことんタマモに押しつけるつもりのようだ。これではタマモも堪ったものではない。ちなみに、シロが持つ木刀は、この家で修行する魔理が置いていった物である。
 タマモとしても、ひのめの事が嫌いと言うわけではない。それについてはシロも同じなのだろう。しかし、赤ん坊のひのめの面倒を見るのは、なんと言っても疲れるのだ。
 頼りになるマリアとテレサは揃って買い物に出掛けてしまった。愛子と小鳩も今は学校だ。現在この家に居るのはタマモとシロとハニワ兵のみ。唯一頼りになりそうなハニワ子が家事に大忙しであるため、シロがやらないとなると、どうしてもタマモ一人で面倒を見る事になってしまうのである。
「いいから! こっち来なさ……ん?」
 少し語気を荒げてシロを呼ぼうとしたタマモだったが、途中でその言葉を止めてしまった。何かがこちらに近付いて来るのを敏感に察知したのだ。
「シロ……」
「分かってるでござるよ。しかし、これは、どこか懐かしいような……?」
 シロも気付いた。接近してくるものに、何故か懐かしさを感じている。
 そうこうしている内に風切り音が近付いて来た。タマモは空の向こうから物凄い勢いで飛んでくる何かの存在に気付く。
「ハニワ兵っ!」
 ここまで来ると庭をたむろしていたハニワ兵達もその存在に気付いた。タマモが一声掛けると、一斉に集まってひのめを抱いたタマモの前に並び立ち、更には積み重なってハニワの壁を作る。
 ハニワの壁が完成した直後に、何かが空から庭へと降ってきた。土煙が巻き上がり、土や礫が辺りに飛び散るが、ハニワ兵が身体を張って防いでくれたおかげで、タマモとひのめには小石ひとつ飛んでこない。
「な、なんでござるか?」
 腕で目をガードしたシロは、土煙が収まるのを見計らって何が落ちてきたのかを確認しようとした。細長い何かが、庭に突き立っている。
「ムッ、まさか……あれは……」
 それに見覚えがあったシロは急いで駆け寄り、地面からそれを引き抜いた。
「シロ〜、一体何が落ちて来たのよ〜?」
「………」
 タマモがハニワ兵の壁の向こうからひょいと顔を覗かせてシロに問い掛けるが、シロはわなわなと肩を震わせるばかりで、返事を返さない。
 自分も庭に下りて何が降ってきたのか見に行こうとするタマモ。しかし、次の瞬間ゾクッと肩を震わせ、再びハニワ兵の壁の向こうに隠れてしまった。
「シロ! 避けなさいッ!」
「ハッ!?」
 タマモの声に我に返ったシロは、慌ててその場から転がるように離脱する。直後に上空から放たれた光が地面を撃ち抜いた。天使メッシャーの放った熱線である。
「何、あれ……?」
「天狗、でござるか?」
「我は天使である。無知なる人の子よ。……いや、どちらも人ではないようだな」
 タマモとシロが空を見上げると、宙に浮かぶメッシャーが、二人を見下ろしていた。
「いきなり何をするでござるかっ!」
「それに触れてはならぬ。それは我々が回収すべき物だ」
「なっ……何故!?」
 シロは思わず、それを自分の背に隠す。一目で分かった、空から降ってきたのは人狼族の至宝、妖刀『八房』だ。犬飼ポチが持ち去り、戦いの最中に折れてしまった『八房』が何故ここにあるのかは分からないが、天使がこれを回収しようとする理由はそれ以上に分からない。
 シロはスラリと『八房』を鞘から抜いてみた。小柄なシロが持つには大振りな刀はずしりと重く、その刃は妖しい輝きを放っている。勿論、折れてなどいない。
「『八房』は犬飼ポチとの戦いで折れたはず!」
「その犬飼ポチは黄泉還ったのだよ。コスモプロセッサによってね」
「なんと……では、この『八房』も……」
「共に黄泉還ったと言う事だな。さぁ、説明はこのぐらいでいいだろう。早く渡し給え」
「………」
 シロは刀を手にしたまま俯いて動かない。タマモも黙って成り行きを見守った。本音を言えば、厄介事は御免なのでとっとと渡して欲しいのだが、どうやらシロに関わりがある事のようなので、部外者である自分が口出しするべきではないと思ったのだ。
「どうした?」
「もう一つ、聞いても良いでござるか……?」
「なにかな?」
「この刀を持っていた御仁は?」
「あの『狂犬』なら、私が消した。君は消えたくはあるまい。さぁ、早く渡しなさい」
 シロはギリッと強く歯を食いしばる。今、天使は『狂犬』と言ったのか。
 『八房』を持っていたのは、間違いなく犬飼ポチであろう。彼がこれを手放す理由がない。宙に浮かぶ天使によって殺されてしまったと言うのも間違いあるまい。そうでなければ、彼が『八房』を手放すはずがない。地面を撃ち抜いた熱線を見れば、天使がそれだけの力を持っている事は理解出来る。
「さぁ、早くしろ!」
 メッシャーが地面に降り立ち、早く渡すように迫る。しかし、シロは『八房』を構える事でそれに応えた。
 犬飼ポチは父の仇だ。彼が死んだと聞かされたところで同情などしない。むしろ、生きていたのならば自分の手で討ちたかったとさえ思う。
 だが、この『八房』を手にしていると、あの天使に渡すなと語り掛けてくるような気がしてくるのだ。刀は武士の魂。親の仇とは言え、それが自分の手に託された以上、それを力に屈して渡してしまうのは恥である。
「フン、所詮は犬畜生か。おとなしく飼い犬であれば良いものを」
 その一言でシロは切れた。誇り高き人狼族を犬畜生呼ばわりしたのだ。シロの心は決まった。絶対に『八房』は渡さない。奪おうと言うのであれば、返り討ちにするまでだ。
 シロは空に向かって雄々しく吼えた。
 託された者と、それを奪わんとする者。両者の戦いが今始まろうとしていた。




つづく




あとがき
 コスモプロセッサによる二種類の復活方法。
 ニューヨークで復活した犬飼ポチのその後。
 コメリカのオカルトGメンに関する描写や設定。
 技量次第で『八房』の斬撃を束ねる事が出来る。
 気合い次第で『八房』をコメリカから日本まで飛ばす事も出来る。
 これらは『黒い手』シリーズ独自の設定です。ご了承下さい。

 また、メッシャーは『黒い手』シリーズのオリジナルキャラクターです。
 古代バビロニアの『動物の生命を司る』天使の名を借りておりますが、そのものではない事をお断りしておきます。

 作中に登場している真木ですが、これは言うまでもなく『絶対可憐チルドレン』に登場するパンドラの真木です。
 これはクロスオーバーと言うよりもゲスト出演だと解釈してください。

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