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パピリオ・レポート

 蝶の化身たる魔族、パピリオ。
 傍目には幼稚園児か小学校の低学年程度にしか見えない幼い少女であるが、これでも『魔王級』を除けば魔界有数の力を持つれっきとした上位魔族である。
 かつては魔王『過去と未来を見通す者』アシュタロスの娘として、世界を敵に戦った彼女だが、現在は魔界正規軍から派遣された留学生だ。デタントの一環として行われている神魔族共存のテストケースとして妙神山に派遣されている。

 普段の彼女は、ゲーム猿となっている猿神(ハヌマン)斉天大聖とゲームで対戦して遊んだり、暇そうにしているメドーサをつかまえてゲームで対戦して遊んだり、同じく暇そうなヒャクメをつかまえてゲームで対戦して遊んだり…要するに皆で猿神からゲームを借りて遊んでいる事が多い。例外は小竜姫ぐらいで、彼女は日々武術の鍛錬を積んでおり、ゲームの対戦にはあまり参加しない。
 それだけ妙神山の面々は普段から暇を持て余していると言う事だが、こちらでも小竜姫のみが例外だったりする。本来の役目である修行者はピートとタイガーの二人が訪れて以来一人も来ていないが、彼女は日々鍛錬を欠かしていないため、妙神山で唯一やる事には事欠かないのだ。

 とは言え、そんなパピリオも常に暇をしているわけではない。
「う〜ん、これは難しいでちゅね〜」
 彼女は今、妙神山の居間でちゃぶ台の上に原稿用紙を広げ、胡坐をかいて頭を捻っている。
 留学生である彼女は、定期的にレポートを魔界正規軍に提出しなければならないのだ。
 普段であれば、妙神山であった出来事を適当に書いていれば良いのだが、今回はあるテーマに基づいてレポートを書くように命ぜられてしまった。
 そんなパピリオの様子に気付いて声を掛けたのはヒャクメであった。
「そんな難しい顔してどうしたのねー?」
「あ、ペス」
「その呼び方は止めて欲しいのねー」
 その名はヒャクメがパピリオ達に囚われていた頃の呼び名だ。
 かく言う彼女は、パピリオの姉であるルシオラが魔界から横島を監視するために製作したモニターにも『ペス』と名付けた事を知らない。

 閑話休題。

 好奇心の塊である彼女は魔界に提出するレポートに対しても興味津々であった。こうしてパピリオがレポートと格闘しているのを見て首を突っ込んできた事は、今までにも一度や二度ではない。冷静に考えれば、魔界正規軍に提出するために書かれたレポートを神族であるヒャクメが見るのは色々と問題がありそうな気がするが、パピリオはそんな細かい事は気にしていなかった。むしろ、レポートを書く際に困った事があれば、ヒャクメに手伝ってもらったりしている。
 小竜姫は頼んだところで「宿題は自分の力でやりなさい」と言うに決まっているし、メドーサは面倒臭がって手伝ってくれない。その点ヒャクメはノリが軽く、パピリオが頼めば「ヒマだからやってあげるのね〜」とすぐに手伝ってくれるのだ。パピリオにとっては何かと頼れる同居人である。
「今回のレポートはテーマが決められているでちゅ」
「テーマ? どんなテーマなのね〜?」

「『デタント推進のために必要な要素』でちゅ」

「…はい?」
 ヒャクメがその一言を返すのに、一分近い時間を要した。
「それ、魔界が言ってきたのねー?」
「そうでちゅよ」
「魔界も昔と違ってデタントについて真面目に考えるようになったのねー」
 ヒャクメの言う「昔」はざっと1000年近く前の話だったりする。かく言う彼女が何歳であるかは考えてはいけない。

「で、何か思い付きまちゅか?」
「デタント推進のために必要な要素ねー…」
 そう言ってヒャクメは腕を組んで考える。
 最近の魔界では人間の文化に関する研究が流行りつつあるそうだが、神族の事はほとんど知られていない。これは神界も同じであろう。神族は人間達の事は知っているが、魔族の事をほとんど知らない。そのためにお互いをもっとよく知るべく妙神山でテストケースとして神族と魔族の共同生活が行われているのだ。
 つまり、妙神山で暮らしているヒャクメもこの件については当事者と言う事になるのだが―――

「こういうのは、改めて言われても困るのねー」
「でちゅよねー」

―――普段からそんな事気にも留めずに暮らしている彼女達にしてみれば、「デタントに必要な要素は?」などと問われても困ってしまう。
 彼女達にとってはこれが普通であり当然の事なので、今更その秘訣はなどと聞かれても答えようがないのだ。

「いっそ、ヒャクメを提出しまちゅか?」
「それは勘弁して欲しいのねー」
「「う〜ん…」」
 そのまま二人して顔をつき合わせて頭を捻っていると、「…あんたら何やってんだい?」気だるそうなメドーサが寝ぼけ眼で居間に入ってきた。時計の針はそろそろ昼の十二時を指そうとしていたが、今まで眠っていたようだ。ここにくるまでの生活習慣のためか、彼女は妙神山の中でもずば抜けて朝に弱い。寝起きのためか何ともだらしない格好だ。
 妙神山に来た当初は浴衣を寝巻きにしていて、寝起きの度にとんでもない状態になっていたため、ヒャクメがシンプルなデザインのパジャマを贈ったのだが、どれほどの効果があったのかと疑いたくなるような体たらくである。
「…ズボンがずり落ちで、おへそもパンツも見えてだらしないのねー」
「まったく、パピリオを見習うでちゅよ」
 かく言うパピリオの寝起きも似たような状態になっているのはここだけの話である。

「そうだ、ここはメドーサにも聞いてみるといいのねー」
「そうでちゅね、メドは私より立場的には魔族寄りでちゅ」
「は?」
 とりあえずヒャクメは、いまだに覚醒しきっていないメドーサのために濃い目のお茶を淹れてあげる事にした。
 少し熱めのお茶をふーふーと冷ましながら飲むメドーサを眺めながら、しばしの時が流れる。ようやく目が冴えて来たのだろう、虚ろだった彼女の目に光が戻ってきたのを見計らってパピリオはレポートのテーマについて話し、意見を求めた。

「デタント推進に必要な要素ねぇ…」
 そう言ってメドーサは湯呑を手に持ったまま、天井に目を向けて考え込む。
 彼女は、妙神山に幽閉されて以来、指名手配犯だった頃とは打って変わって平穏で怠惰な日々を過ごしている。ある意味、デタントの恩恵を一身に受けていると言えなくもない立場にあるのだが、やはり改めて問われるとうまく答えられないらしい。

「………やる気、じゃないか?」

 しばし考えた末に彼女が出した結論がそれだった。
 確かにその通りだ、やる気があれば神魔族の共同生活だってできる。いや、実際にやってみると環境の違いによって力を抑えられる事を除けば「神魔族である故に問題」と言うのはほとんど無い事が分かってくるのだ。神魔族の共同生活に必要なのは「最初にやる気になるかどうか」であると言うメドーサの意見は間違いではない。彼女の場合、最初の切っ掛けは元指名手配犯である彼女が神界のテリトリーに幽閉されるようになったためだが、それはそれだ。幽閉先として妙神山を選んだメドーサの決意は、まぎれもない「やる気」であると言えよう。
「あとは…我慢と妥協かねぇ。私の場合、小竜姫とは正直気が合わないけど、ここに居なけりゃならないから」
「何か、冷め切った夫婦間みたいな話なのねー」
「と言うか、二人はどうちてわざわざ張り合ってケンカするでちゅか?」
 パピリオから見れば、二人は明らかに不必要な場面でもわざわざ意見を違えて矛を交えているように見えていた。どちらか一方的に突っ掛かっているわけではなく、両方がそうしているのだ。そのため、彼女の目には「二人が好き好んでケンカをしている」と言う風に映っていた。
 するとメドーサは「お前は何も分かっていない」と言わんばかりに不機嫌そうに湯呑をぐっとあおると、座った目をしてその問いに答えてくれた。
「わざとやってるわけじゃないさ。趣味、嗜好、生活習慣、何から何まで私とアイツとは合わないんだ」
 彼女と小竜姫の「好敵手」、或いは「天敵」とも言える関係は有名ではあるが、メドーサの話を聞いていると神魔族の関係、竜神族の沽券とはまた別のところに原因があるように思えてくる。
 ここまでくると、パピリオのレポートとは関係の無い世界に突入してしまいそうなので、ヒャクメが話題を変えようとするが―――

「その辺のこと、小竜姫にも聞いてみまちゅ」
「ちょ、ちょっと待つのねー!」

―――少しばかりタイミングが遅かったようだ。パピリオがその話題に興味を持ってしまった。
 パピリオはやおら立ち上がると、メモ用紙と鉛筆を持って部屋を飛び出して行った。この時間なら小竜姫は台所で昼食の支度をしているはずなので、パピリオもそちらに向ったのであろう。
 ヒャクメは慌てて追いかけるが、如何せん能力が違い過ぎる。パピリオはああ見えて、妙神山において猿神に次ぐ力を持っており、小竜姫やメドーサよりも強いのだ。とてもじゃないが、神族の中でも非戦闘員であるヒャクメでは追い着く事ができなかった。


「小竜姫ーっ!」
 パピリオが台所に飛び込むと、割烹着姿の小竜姫が料理中だった。以前は普段の道着姿で台所に立っていた彼女だが、最近になって何か思うところがあったのか、台所に立つ際は割烹着を着るようになっていた。
 どうやらこれはヒャクメの入れ知恵らしいが、彼女は元々「エプロンを着用するように」と言ったそうだ。しかし、小竜姫がそれは恥ずかしいと言ったため、今のようになっている。何がそんなに恥ずかしいのかと疑問に思ったヒャクメが聞いてみると、彼女は裾がヒラヒラしてるのが恥ずかしいらしい。それはエプロンのデザインが悪いのだと言おうとしたが、よくよく聞いてみると妙神山には横島がおみやげとして持ってきた一着のエプロンしかなく、他のデザインの物は無いらしい。
「…そう言えば、メドーサも料理する時はエプロンしてるはずなのねー」
 つまり、フリル付きと言う事だ。

 閑話休題。

「あらパピリオ、どうしました? お昼ごはんならすぐに持って行きますから、もう少し待っていて――」
「それより聞きたい事があるでちゅよ」
「聞きたい事?」
 小竜姫が料理の終えて振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべたパピリオの姿があった。
 こういう表情でメモを手にしている時は、何か質問がある時だ。小竜姫は、とりあえず出来上がった料理を居間に運び、昼食を食べながら話を聞くことにして、パピリオに配膳の手伝いをさせる。

「なんで向こうで話終わらせてこなかったのねー…」
「何がですか?」

 二人揃って昼食を載せた御盆を手に居間に入ると、時間経過、そして平然としている小竜姫を見て、パピリオ達が話を終わらせぬまま居間に戻ってきたと察したヒャクメが頭を抱えたのは言うまでもない。
 こうして、ここに人里であればご近所でも評判の美人姉妹、と謳われるかも知れない四人が一同に会したのである。

「斉天大聖老師は?」
「相変わらず部屋に篭ってゲーム猿みたいなのねー。あれは、自分から出てくるまで放っておいた方がいいんじゃないかしら?」
「…そうですか」
 昨日と変わらぬヒャクメの返事に溜め息をつく小竜姫。
 彼女の師匠である猿神は、ここ数日横島に頼んで送ってもらったゲームにハマり、自室でゲーム猿と化しているのだ。仮にも神なので数日食事を摂らなかったとしても何の悪影響もないだろうが、今の妙神山にはまだまだ子供であり、色々な事を学んでいかねばならないパピリオがいるのだ。小竜姫としては、猿神にはもっと彼女の見本となるような規律正しく、健康的な生活をして欲しい。

 とは言え、小竜姫では猿神に口でも勝つ事はできない。説教したところでのらりくらりとかわされるだけだ。手段があるとすれば、彼がゲームをしている所に行ってリセットボタンを押す事ぐらいだが、その場ではショックを受けるだろうが、それで生活態度を改めてくれるとは到底思えない。
 こうなってくると、小竜姫の矛先はもう一人の不摂生生活代表メドーサに向けられてくる。
「メドーサ、貴女のその格好から察するに、またお昼近くまで寝ていたのですね?」
「………」
 配膳しながらジト目で話し掛けて来る小竜姫に対し、こう来るだろうと予測していたメドーサは無言のまま昼食を食べ始めた。すると今度は小竜姫の額にうっすらと青筋が浮かび、ヒャクメがこっそりと溜め息をついた。
 メドーサが生活態度について小竜姫に注意をされるのは一度や二度ではない。当初はその都度ケンカになっていた二人だったが、今はメドーサが無言で受け流すようになって、ケンカに発展する事はなくなっている。

「………」
「…フン!」

 まるで、地響きの幻聴が聞こえてくるようだ。
 あくまで「今は」ケンカに発展しないだけであって、後でまとめてくるので、良くなったと言ってしまって良いのかどうかは微妙なところである。
 と言うのも―――

「とにかく、早く着替えてきてください!」
「うっさいね、昼飯食ったら着替えてくるさ」

「迷い箸はお行儀が悪いですよ!」
「ハッ、あんたの料理はロクなもんじゃないからね。どれが一番マシかって迷いもするさ」
「〜〜〜っ!!」

―――この二人、ことある事にぶつかり合うのだ。
 礼儀作法、行儀等に厳しい小竜姫、普段はルーズでラフな生活態度のメドーサ。料理に関しても、小竜姫が不得手としているわけではない。全体的に薄味であっさりとした料理が好みの小竜姫に対して、メドーサはこってりとした濃い味を好む傾向にある。

 魚と野菜中心の小竜姫に、とりあえず肉が食べたいメドーサ。
 毎日きっちりと道着を着こなす事で気が引き締まると言う小竜姫に、弓の弦は普段から張り詰めていてはいけないと言うメドーサ。
 犬派だと言う小竜姫に、猫派だと言うメドーサ。
 ヒャクメが横島の私生活を覗き見していると注意してくる小竜姫に、一緒に見ると言い出すメドーサ。
 慎ましやかな小竜姫に、中学生程度まで若返ったのに既に小竜姫を追い越しそうなメドーサ。

 具体的に何であるかはともかく、最後の一つは特に確執が深い。パピリオが小竜姫側に、ヒャクメがメドーサ側について神魔族関係無しに局地的ハルマゲドンが起きそうな勢いである。
 そして、二人が争う原因は幼い魔族の少女、パピリオにもあった。
 彼女を正々堂々とした立派な武人に育てたいと言う小竜姫に対し、メドーサは策略を練り、情報戦にも長け、女としても『魔性』の二文字に相応しい立派な魔族に育てようとしている。
 この両極端な教育方針でも二人はよくぶつかっていた。まるで子供の教育方針でケンカする夫婦のようだが、以前ヒャクメが軽い気持ちでそれを口にしたところ、凄い目で二人から睨まれて石にされそうだったので、それ以降口にしないようにしていたりする。

「パピリオ、よく見るのね。これがデタント推進を阻む障害の生きた事例なのねー」
「なるほど〜、勉強になるでちゅ」
 とりあえず、この二人の争いに関しては下手に首を突っ込んでも痛い目を見るだけなので、ヒャクメは悪い見本としてパピリオに紹介してやる事にする。
 その効果は覿面で、特に小竜姫はバツの悪そうな顔をして言い争いをピタリと止めた。彼女はデタントのテストケースを任されていると言う責任感があるため、こう言うのが、一番効果が高い。

 いつもなら、ここでメドーサが反撃に出て再び緊張感が高まる事になるのだが、ここはヒャクメが一肌脱いで話題の転換を試みる。
「ところで小竜姫、パピリオの話なんだけど」
「…ああ、そうでしたね。何が聞きたいのですか?」
「小竜姫とメドは――」
「パピリオ、例のレポートでちょっと難しい課題出されたみたいなのねー」
 パピリオが言い終わる前に、最初の目的を無理矢理ねじ込むヒャクメ。
 ここで「小竜姫とメドーサは、どうしていつもケンカするでちゅか?」なんて聞けば、再び緊張感が高まるのは目に見えているからだ。
「魔界正規軍に提出するレポートですよね。難しい課題と言うのは、一体どういうものなのですか?」
「あ、えーっと、『デタント推進に必要な要素』についてでちゅ」
 本来の目的を思い出したパピリオが答えると、やはり小竜姫は困った表情をした。改めて問われるとうまく答えられないのだ。

「う〜ん…やはり我慢、でしょうか?」
「がまんでちゅか?」
「ええ、神魔族の間で考え方の違いがあるのは当然の事です。同じ竜神でも魔に堕ちた者は随分と変わりますからね」
「…チッ」
 ここで小竜姫がジト目でメドーサを見、メドーサも舌打ちしてそっぽを向いたので、ヒャクメは間に入ってまぁまぁと二人を宥める。
「…コホン。ともかく、ここでお互いに我を通していては争いはなくなりません」
「どの口が言ってんだろうね〜」
 ここでメドーサがそっぽ向いたまま茶々入れをしてきたので、小竜姫は一瞬キッとそちらに目を向けるが、ここは大人の自制心で抑えて話を続けた。
「互いに距離をおけば争う事もないのでしょうが…、それでは互いに理解し合う事もできないでしょうね。それは哀しい事だと思います」
「つかずはなれずの距離感が必要ってことでちゅか?」
「そうでしょうね」
「う〜ん、こっちは熟年夫婦円満の秘訣みたいな話になったのねー」
 ヒャクメが軽くまとめるが、パピリオは首を傾げてばかりだ。
 最後は彼女が困った表情をする番らしい。

「何となーく分かるんでちゅけど、『やる気』とか『距離感が大事』って書いたレポート提出したって、魔界正規軍の人達は分かりまちゅかね?」

 そう、問題はそこなのだ。
 確かに二人の意見は、実際に共同生活をしているパピリオやヒャクメならば、何となく理解できる。
 だが、魔界の常識しか持たない者が見たらどうだろうか。それこそ魔族ばかりが我慢を強いられると勘違いしてしまうかも知れない。神魔族双方が我慢していると言った方が正確なのだろうが、それを理解してもらえるかが疑問だ。
「どうせお前のレポートを上に持ってく前に…ほら、何て言ったかな、この前妙神山に来た情報部のヤツ」
「ああ、ワルキューレのおばちゃんの弟でちゅね」
 名前は覚えていないらしい。
「そうそう、そいつだ。その弟が翻訳するんだろ。細かい事はそいつに任せたらどうだ?」
「そうですね、彼ならば猿神師匠の元で修行していた事もありますし、横島さん達とも懇意です。デタントの事はよく分かっていると思いますよ」
「そうでちゅねー…それを最後の手段にして、もう少し考えてみるでちゅ」
 こうして「いざと言う時はジークに押し付ける」事にして、その場はお開きとなった。
 昼からのパピリオは小竜姫の指導の下で修行である。
「…レポート書かないといけないから、休んじゃダメでちゅか?」
「ダメです」
 何とか休めないかと聞いてみるが、小竜姫はそう甘くはなかった。



 そして、厳しい修行を終えて、時は夕暮れ時。
 今日の修行を終えたパピリオは、庭で剛練武(ゴーレム)と禍刀羅守(カトラス)に餌をあげていた。このニ鬼はパピリオが妙神山で暮らすようになって以来、彼女のペット扱いとなっている。おかげで以前より彼等の扱いが良くなったとも言われているが、それもあながち間違いとは言えないだろう。
「ほ〜ら、たくさん食べるでちゅよ〜」
 ちなみに、禍刀羅守(カトラス)と違って剛練武(ゴーレム)は魔法生物に近く、本来食事を必要としない。その証拠に普通に食事の入った禍刀羅守(カトラス)の皿と違って剛練武(ゴーレム)の皿に入っているのは砂だ。
 だが、これはパピリオが「ごっこ遊び」のように餌をあげる振りをしているわけではない。
 岩の身体を持つ剛練武(ゴーレム)は、普段から動くだけでその身体が僅かにだが磨耗してしまう。その磨り減った身体を補修するために砂を摂取する必要があるのだ。つまり、パピリオは剛練武(ゴーレム)が定期的に行わなければならない砂の補給を「餌」と呼んでいるのである。

「ふ〜、それにしても今日も厳しかったでちゅね〜。小竜姫はあれでちゅ、私の若さに嫉妬してるでちゅよ」
「なにバカなこと言ってるのねー」
 パピリオがうっかり口を滑らせて危険な事を言っていると、背後からヒャクメが声を掛けてきた。更にその背後には小竜姫とメドーサもいたが、幸い小竜姫に先程の言葉は聞かれなかったようだ。
「どうしたでちゅか?」
「夕飯のリクエスト聞きに来たのねー」
 今日の夕食の料理当番はヒャクメだ。パピリオはう〜んと好物の料理を一通り考え、そして元気よくその内の一つの料理名を挙げた。

「カレーライスがいいでちゅ!」

「「!!」」
 その瞬間、キラーンと目を光らせた若干約ニ名、小竜姫とメドーサだ。
 それを見たヒャクメは「今日は楽できるのねー」と呟いた。

「「ヒャクメ! 今日は私がっ!!」」
 一方的にそう言い放つと、二人はそのまま台所に向けて駆け出した。
 前述の通り、あの二人は味の好みに関しては熾烈な争いを繰り広げている。メドーサがエプロンを着けて台所に立つようになったのも、その辺りが原因だ。
 そして、その争いはある一つの料理を前にすると更に激しくなる。そうカレーライスだ。


「メドーサ! どうしてそんな激辛3倍なんて入れようとするんですか!?」
「ハッ、甘口なんか食ってるから甘ちゃんなんだよ!」
「なんですって!? 子供の舌の事も考えなさい! このカレールーはハチミツもたっぷりと…」
 二人の後を追ったパピリオ達が台所を覗き込むと、鍋に投入するカレールーをどれにするかで言い争う小竜姫とメドーサの姿があった。
 その他の作業も全て二人掛かりなので流石に早いのだが、後はカレールーを投入して煮込むだけと言うところで膠着状態に陥ってしまっている。

「…ウチのカレーっていつもこうやって作られてたんでちゅねー」
 カレーライスはハチミツ以外も食べるようになったパピリオの好きな料理の一つだ。
 とても美味しいものなのだが、まさかこんな状態で作られているとは想像だにしなかった。

「パピリオ、もう少し待っていてくださいね。すぐに美味しいカレーを…」
「先手必勝ッ!」
 台所入り口にいるパピリオ達に気付いた小竜姫がにこやかな笑顔をそちらに向けると、メドーサが隙をついて激辛カレールーを放り込んだ。
「あ、ずるいですよ!」
 続けて負けじと小竜姫も甘口カレールーを放り込む。
 更に二人揃ってお玉に手を伸ばすと、これも同時で二人掛かりで睨み合いながら渾身の力を込めて鍋をかき回し始めた。


「パピリオ、パピリオ。ここでヒャクメおねーさんからのワンポイントアドバイスなのねー」
「なんでちゅか?」

「カレールーは一種類だけ使うよりも、ブレンドした方が美味しいのねー」
「なるほど〜」

 感嘆の声を上げる彼女の目の前では、割烹着姿の小竜姫とエプロン姿のメドーサが激しいバトルのような料理を繰り広げていた。
 これだけ気合を込めれば、そりゃ美味しくなるだろう。と変な方向性で納得するパピリオ。どうせなら愛情を注いで欲しいところだが、そう言ったところで、変にてんこ盛りの愛情を盛り込まれそうなので、黙って見守る事にする。

「激辛激辛激辛激辛激辛〜ッ!!」
「甘口甘口甘口甘口甘口〜っ!!」

 これが妙神山のカレーライスの美味しさの秘密なのであろう。
 正直、知りたくなかったと感じたのは、パピリオだけの秘密である。


 完成したカレーライスはとても美味しかった。
 もしかしたらいつもより美味しかったかも知れない。
「チッ、誰かさんのせいでせっかくの激辛が台無しだよ」
「まったく、甘口のまろやかさを理解できないとは…」
 小竜姫とメドーサは互いを悪態をつきながらスプーンを口に運んでいるが、何故かどことなく楽しそうにも見える。
 パピリオが二人を不思議そうな顔をして眺めていると、ヒャクメが笑いながら教えてくれた「美味しいものを前にしたら、ケンカなんてしてられない」と。
 なるほど、パピリオは納得した。二人はカレーライスが美味しいからケンカしているヒマもないのだ。
「ほう、美味そうな匂いがしておると思ったら、今日はカレーか」
「あ、猿神のじいちゃんでちゅ」
「斉天大聖老師、すぐに用意するのねー」
「うむ、お相伴させてもらうかの」
 この日の夕飯は数日振りに猿神も交えての賑やかな食卓となった。
 そしてパピリオは思った、この光景こそが『デタントを推進するのに必要な要素』なのだと。

「ヒャクメ、これで今回のレポートはうまくいきそうでちゅ!」
「それは良かったのねー」
 突然のパピリオの言葉にヒャクメは一瞬呆気にとられた様子だったが、すぐに察してにっこりと微笑んだ。
 その日の晩、パピリオがカラフルな色鉛筆を手にレポートを書き上げたのは言うまでもない。



「パピリオのレポートが届きました」
「うむ、そうか」
 後日、魔界正規軍情報部にてレポートを受け取ったジークフリード少佐は、すぐに情報部員を集めて会議を開いた。
 本来なら、ジークが一人でパピリオの『絵日記調レポート』を上へ提出する形式に『翻訳』するのだが、今回のレポートはいつもよりも具体的にデタントに関する情報を要求したので、普段のレポートよりも重要度が高いのだ。そのため翻訳作業もジーク一人だけではなく、情報部員が集まって行われる事となる。
「それではレポートを」
「ハイ」
 ジークは促されて封筒からパピリオのレポートを取り出し、そして広げる。
 するとそこには、パピリオ特有の拙い文字で一言、こう書かれていた。

『かれーらいすでちゅ』

「………」
「………」
「………」
「………暗号、か?」

 その後、七日間もの間、魔界正規軍情報部の機能はマヒしてしまった。
 八日目の朝、憔悴し切った顔のジークにより情報部長官の下に届けられたレポートにはただ一言「デタントとは、かくも厳しい道である」とだけ書かれていたらしい。結局理解できなかったようだ。
 後にこの事件は『空白の七日間』と呼ばれ、原因となったレポートの原本は『パピリオ・コード』と題され、情報部資料室の奥深くに封印される事となったそうだ。





パピリオ・レポートコード






「カレーにチョコレートを一欠けら混ぜると美味しいらしいですよ」
「何言ってるんだ、トンカツのトッピングが一番に決まってるだろ」
「生卵落とすのも美味しいのねー」
「ホントでちゅか? 今度またレポートに書いて皆に教えてあげるでちゅ!」

 第二の『パピリオ・コード』が誕生するのは、そう遠い話でもないのかも知れない。



エンドレス…?



 タイトルが変わっているような気がしますが、それは目の錯覚です。

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