topmaintext『黒い手』シリーズ魔法先生ネギま!・クロスオーバー>見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.112
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 数多の人達が行き来する空港のロビー。濃い色合いのローブを羽織った少女、アーニャはベンチにちょこんと座り、不安気な面持ちで辺りを見回していた。強い意志を感じさせるパッチリとした目も、今は不安に彩られている。きょろきょろと頭を動かす度に二つに結った赤毛の髪の上で、黄色いリボンが小さく揺れた。
 到着した当初は意気揚々と迎えが来るのを待っていたのだが、時間が経ち、目の前を通り過ぎていく人の流れを見ている内に、自分が見知らぬ異国の地に居る事を肌で感じ、だんだんと心細くなってしまったらしい。
「あ〜もうっ! 迎えに来るなら、もっと早く来なさいよね!」
 携帯に送られてきた横島の顔写真を見て、寂しさを紛らわせるために大声を張り上げるアーニャ。ネカネに見せてもらったネギからの手紙によると、頼りになるお兄さんらしいが、こうして見てみるとなんとも間抜け面だ。
 周りの人達が何事かと一瞬彼女の方に視線を向けるが、すぐに何事もなかったかのように歩き去って行った。その様子を見て、アーニャはますます心細くなってしまう。目尻にじんわりと涙が浮かんできた。
 しかし、根が勝ち気なためか、そのまま泣くと言う選択肢は彼女には無い。ローブの袖で目元をぐじぐじと拭うと「負けるもんか!」と言わんばかりにベンチでふんぞり返って、横島はまだ来ないのかと辺りを見回した。

 ようやく横島が姿を見せたのは、アーニャが横島の写真を見ては大声を張り上げて、そして涙を浮かべ、それを堪えてふんぞり返ると言うサイクルを三回繰り返した後の事だった。
「ゴメン! 待たせちゃったか?」
「遅いわよっ!」
「す、すまん!」
 横島が声を掛けると、アーニャは振り向きざまにドロップキックを繰り出してきた。横島はそれを顔面で受け止める。
 振り返った時、アーニャは涙目であった。彼女が予告も無しに来日したため、本来の予定をすっ飛ばして大急ぎで迎えに来た横島だったが、その顔を見れば素直に謝るしかない。
「ほら、行くわよ! 荷物持ちなさいよ!」
 そう言ってアーニャがキャリーバッグを押し付けると、横島はこれもまた素直に受け取った。白地にピンクのベルトが付いた可愛らしいデザインだ。大きさも彼が除霊助手だった頃に背負っていた荷物と比べれば可愛いものである。
「えっと、あんたはヨコシマタダオだったわよね? タダオがファーストネーム?」
「ファースト……ああ、名前か。そうだ」
「それじゃタダオでいいわね。私はアンナ・ユーリエウナ・ココロウァ、アーニャでいいわ」
「お、おう、分かった」
 完全に主導権をアーニャに握られてしまっていた。しかし、アーニャは涙目になっていたのを誤魔化すように声を張り上げているため、横島もあえて反論しようとはせずにはいはいとそれに従っている。これで彼女が元気になるなら安いものであろう。
「ところでタダオ。麻帆良祭ってまだ始まってないのよね?」
「ん、まだ半月ぐらい先のはずだぞ」
 麻帆良学園都市全体がお祭りになるその名も「麻帆良祭」は、六月二十日から三日間開催される。その準備は十五日前から始まる事になっており、まだその準備期間にも入っていなかった。準備期間の内から麻帆良はお祭り騒ぎになってしまうので、その隙を狙われないよう援軍は早めに到着したのだ。
 とは言え、アーニャは援軍の事など知らないはず。そんな彼女が何故こんな早い時期に到着したのかと言うと―――

「ねぇ、麻帆良に行く前に案内して欲しいところがあるんだけど」
「なぬ?」

―――彼女には、麻帆良に行く以外にも目的があったのである。

見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.112


「オカルトの勉強?」
 とりあえず駅へと移動する横島とアーニャ。アーニャの話如何によっては行き先が変わるため、横島は切符を買う前にアーニャの目的について改めて尋ねてみる事にした。すると、彼女はオカルトに関する知識を学ぶために日本に来たと言う。
「私がロンドンで占い師してるってのは聞いてる?」
 二人並んでベンチに腰掛け、自動販売機で買った缶ジュースをアーニャに手渡す。この手の物は魔法界には無いらしいが、ロンドンで半年ほど生活していたためか、プルタブを開ける仕草も手慣れたものだ。
「ああ、魔法使いの修行だってな」
「そうよ」
 横島の答えに、アーニャは缶に口を付けたままコクンと頷いた。二人はすぐ隣り合わせに座っているのだが、身長差があるためアーニャが上目遣いで彼を見上げる形になっている。
 アーニャの話によると、修行のためにロンドンで占い師をやると言っても、別に何から何まで一人でやっている訳ではないらしい。ネギの修行の地である麻帆良学園都市のように組織立ったフォロー体制がある訳ではないが、現地在住のベテラン魔法使いが彼女のサポートに就いているそうだ。
「おばあちゃんぐらいの年の人なんだけど、結構すごい人なのよ」
「へぇ……」
 修行だけではなく、私生活においても彼女の家に居候させてもらったりと世話になっているらしい。
 アーニャはネギと同郷だ。生まれ故郷の村はヘルマン伯爵を含む魔族の襲撃を受けて滅んでおり、両親を石にされてしまっている。そんなアーニャにとって、その女性は親代わりのようなものなのかも知れない。先程までの強がった様子とは打って変わり、サポート役の女性について話すアーニャは本当に嬉しそうだった。横島は、初めて彼女の子供らしい表情を見た思いである。
「でさ、その人が人間界でオカルトの勉強をするなら日本を見てきた方が良いって言うのよ」
「日本を?」
「日本のGSは世界最高レベルなんでしょ? あの魔王アシュタロスを倒したGSは、ほとんどが日本のGSだったって聞いたわ」
「あ〜、確かにそうだったな」
 魔王級《過去と未来を見通す者》アシュタロスとの戦い以降、世界のオカルト関係者の間では日本に注目が集まっていた。
 美神令子を始めとする世界最高峰のGS達に、陰陽寮の他の追随を許さない技術。GS資格試験では、あえて日本でGS資格を取ろうと海外からの受験者がにわかに増えたほどだ。
 修行のために人間界に来ていたアーニャは、GS達とアシュタロスの戦いを知り、オカルトの世界に興味を持った。そこでサポート役の女性から、どうせ学ぶのならばオカルト業界の最高峰である日本に行ってみなさいと勧められたのである。
 後日、ネカネから見せてもらったネギの手紙で麻帆良祭の事を知ったアーニャが、これぞチャンスと日本行きを決めた事は言うまでもない。
「ロンドンでの修行は良いのか?」
「別に休みなしでやらなくちゃいけないって訳でもないしね」
 アーニャは、ロンドンに着いてからほとんど休みなしで占い師の仕事をしてきたので、ここでまとまった休みを取るつもりらしい。
 『リージェント通り裏の占い師アーニャ』と言えば一部では知られた名となっているが、ただの「子供占い師」だけでは物珍しさだけで客に舐められてしまう事もある。そこでオカルトの最高峰である日本で学び、自分に箔を付けたいと言う思惑もあるようだ。
「と言う訳で、日本でお店を持ってるって言う『現代の魔女』マリンに会ってみたいのよ!」
 やおら立ち上がり、ぐぐっと握り締めた拳を天に掲げて高らかに言い放つアーニャ。彼女の言う「マリン」とは、言うまでもなく横島の知る「魔鈴めぐみ」の事である。彼女は魔法界の学校を卒業しており、親しい友人からは偉大なる大魔法使いと名前の響きが似ている事から、それにあやかり「マーリン」と呼ばれていた。そのため、めぐみと言う名前よりも魔鈴と言う姓の方が知れ渡っているのだ。
「ねぇ、タダオ。あなた、どこにマリンの店があるか知ってる?」
「知ってるけど……今から行くのは無理だぞ」
「なんでよ!?」
「流石に時間が掛かりすぎる。ここから直で麻帆良に帰っても二時間以上掛かるんだぞ」
「うっ……そ、そんなに遠いの?」
 アーニャは、魔鈴がどこに住んでいるかについては知らず、仮に時間が掛かっても麻帆良祭までに麻帆良に到着出来れば良いと考えていた。
 一方、本来の予定をキャンセルしてアーニャを迎えに来た横島はと言うと、こちらは出来るだけ早く麻帆良に戻ってネギ達と合流しなければならない。そのため、成田から上野を経由して麻帆良に戻ろうとしていた。それでも二時間以上掛かってしまうのだ。魔鈴の店がある六本木に寄り道し、彼女に会ってから帰るとなると、どれだけ時間が掛かるか分からない。
「え〜、せっかく日本まで来たのに〜」
「日を改めてならともかく、今日は駄目だ」
「……はぁ、分かったわよ」
 返事を渋ったアーニャだったが、これ以上ごねても無駄だと判断し、おとなしく横島に付いて麻帆良に直行する事となった。
 ジュースを飲み終えると二人して電車に乗り込むが、最初の降りる駅まで一時間ほど掛かる。その一時間の間にアーニャが出来る事と言えば、専ら隣の横島に話し掛ける事ぐらいであった。
 アーニャは最初、横島の事を間抜け面だと思っていたが、いざ話してみるとなんとも気さくで話しやすい人物だ。それに、こうして話しているとほっとすると言うか安心出来る。ネギが兄のように慕っているのも何となくだが分かるような気がした。
 そんな彼が日本のGS協会から麻帆良に派遣されているGSだと知ると、アーニャは目を輝かせた。
「ねぇ、それじゃマリンの事も知ってるの? タダオ、どこに居るのかも知ってるみたいだったじゃない!」
「あ、ああ、魔鈴さんの店なら六本木にあるよ。あの人は、俺の独立保証人だからな」
「えっ、そうなの!?」
 横島のような民間GSが独立して事務所を持とうとした場合、二人の有資格者を保証人として、独立して一人前に仕事をやっていける事を認めてもらう必要がある。横島の場合、その内の一人が他ならぬ魔鈴めぐみなのだ。
 それを聞いて、アーニャはますます喜んだ。魔鈴めぐみに会いたいと願って日本にまでやって来たは良いが、実のところどうやって探そうか、どうやって会おうかまではさっぱり考えていなかった。それがこうして来日早々に魔鈴めぐみの知り合いだと言う男と巡り会う事が出来た。これが幸運と言わずに何と言おうか。
「ねぇ、私をマリンに紹介してよ!」
「それは構わんぞ。ただ、学園祭までは忙しいから、その後な」
「約束よっ!」
 そう言ってアーニャは嬉しそうに笑った。
 気分を良くしたアーニャは、横島の太ももに手を突き、更に身を乗り出して話し掛けてくる。まるで空港での寂しさを埋めるように。内容は、ロンドンで出会った人々の事や、魔法学校の友人達の事など様々だ。その姿は、まるで今日一日にあった事を親に話す子供のようであった。横島はその微笑ましい姿に、思わず身を乗り出して隣同士に座っている時よりも近付いた彼女の頭を軽く撫でてしまう。
「んにゃっ」
 当然アーニャはすぐに頭を撫でられている事に気付くが、目の前でニコニコしている横島の顔を見ていると、これも悪くないと思えてくる。結局アーニャはされるがまま彼に向かってロンドンでの日々を話し続けるのだった。



 その頃、麻帆良学園都市にあるホテルの前に西からの援軍を乗せた数台のバスや車が到着し、こちらは高畑、弐集院、瀬流彦の三名が出迎えていた。大半はバスに乗ってやってきたようだが、一部はリムジンのような高級車両に乗ってきている。
 それを見て高畑は心の中で苦笑いを浮かべた。その様な車に乗ってくるのは、旧家の当主やそれに類する立場の人間だろう。普通に考えて、大戦が終わったとは言え、ずっといがみ合っていた関東魔法協会のお膝元に援軍としてやってくるような者達ではない。
 学園長に関西呪術協会の長である近衛詠春から連絡があったのだが、彼等は今回の派遣を「関東魔法協会への援軍」よりも「関西呪術協会の次の長を決めるための戦い」と考えている節がある。彼等にとって関東魔法協会に協力する事は、『彼』と戦うための手段であって目的ではないのだ。
 リムジンから降りてきた恰幅の良い着物姿の男性が高畑に握手を求めて来た。彼が西からの援軍の代表なのだろう。こうして代表に選ばれるだけあって、背筋はピンと伸びており、足腰はしっかりしたものだ。しかし、撫で付けた白髪頭は、詠春よりも年輩に見える。年齢的に、後進の育成に専念するなりして実戦から退いている年頃ではないだろうか。
 彼等は後ろで指揮を執る立場で、実際に働くのは彼等が連れて来た若い陰陽師や神鳴流剣士達なのかも知れない。

 高畑が握手をしている間、後ろに控えていた瀬流彦が援軍の面々を見回すと、二人が握手している姿を腹立たしそうに見ている者達の姿がある事に気付いた。年の頃は代表の男と同程度だろうか。着物姿、スーツ姿と服装は様々だが皆貫禄がある。
「……弐集院先生、あの人達どうしたんでしょう?」
「多分、代表とは別の家の人だろうねぇ」
 隣に立つ弐集院にぼそぼそと小声で問い掛けると、弐集院も援軍の面々に聞こえないよう小声で答えてくれた。
 それを聞いて瀬流彦は、なるほどと得心した。誰が代表として挨拶するかを決める時から後継者争いは始まっていたのだろう。
 改めて援軍を眺めていると、一定間隔ごとに腹立たしげな年配者の姿が見える。そう、「西からの援軍」と一言で言っても一枚岩ではない。各旧家の当主がそれぞれ手勢を率いて参戦し、それが集まったのがこの援軍の正体なのだ。
 何か問題も浮上するのではないか。そんな漠然とした不安を抱いた瀬流彦と弐集院は、揃ってこっそり溜め息をついた。

「君が高畑君か。憎きフェイト・アーウェルンクスなる輩を討ち果たすため、互いに力を合わせて頑張ろうではないか」
「は、はい、よろしくお願いします」
 表面上はにこやかに握手をする高畑。その名は偽名だとツっこもうかと思ったが、すぐに思い直して口を噤む。
 『彼』の本名は魔法使いの間では忌み名となっていて、呼ぶ事が禁じられている。しかし、それを陰陽師である彼等に強制する事は出来ない。そんな彼等が自ら偽名で呼んでくれているのだから、わざわざ訂正する事は無いだろうと思ったのだ。握手をしながら高畑はコードネーム『フェイト』を本当に学園長に提案しようかと考えていた。
「それではご案内します」
「ウム」
 高畑は西からの援軍を先導してホテルの中に入って行った。麻帆良学園都市は意外と宿泊施設が多い。一般人が気付いていないだけで、魔法関係者が出入りしているためだ。
 無論、それだけでは一般人から見て不自然なのは言うまでもない。表向き知られている理由は学園祭の方であろう。麻帆良学園都市を挙げて開催される『麻帆良祭』は一般に言う「学園祭」の規模を遥かに超えており、県外からも観光客が殺到する。
 つまり、麻帆良学園都市に多くある宿泊施設は、表向きは学園祭のシーズンに訪れる観光客を狙ったものであり、オフシーズンにも魔法関係者のおかげで意外と売上げが落ちないのである。
 このホテルはその内の一つで、最高級と言う訳ではないがそこそこの格を持ち、旧家の人間を出迎える上で何も問題は無い。従業員は一般人だが、陰陽師は魔法使いと違って一般にも知られている存在なので問題は無いだろう。
 「陰陽師の集団」と言うのは、流石に初めての経験だろうが、そこは彼等に頑張ってもらうしかない。何の救いにもならないかも知れないが、陰陽師に雇われた神鳴流の剣士も居ると言う事で、ご勘弁願おう。

 獣人を含めて外見が混沌としていた魔法界からの援軍と比べ、こちらは流石に人間界の常識と言うものが備わっている。着物姿、スーツ姿の者と様々だが、このまま街を歩いても特に問題の無い面々ばかりだ。
 魔法界からの援軍に獣人達も居ると言う連絡は、既に明石教授によって麻帆良に来ていた。今頃、神多羅木を筆頭に出迎えに参加していない面々が、人払いの結界や認識阻害の魔法等、彼等を出迎える準備を進めているはずである。
「こっちはこっちで別の問題、か……」
 先頭を歩く高畑は、後ろに続く援軍の面々に気付かれないよう、微かな声でぽつりと呟いた。魔法界からの援軍は外見が混沌としているとすれば、西からの援軍は内面が混沌としている。一纏めの援軍に見えて、その実各旧家同士が競争者だ。
 学園長が待つ広間の前に到着した高畑。西からの援軍は、戦力としては頼もしいが、その分気苦労も多そうだ。半ば確信に近い予感を抱きながら目の前の扉を開いていった。



 ぐぅ〜〜〜〜〜。

「あっ……」
 アーニャが立ち止まって頬を紅くする。麻帆良で高畑が胃が痛くなるような思いをしている頃、アーニャのお腹は空腹を訴えていた。
 キャリーバッグを持った横島は、何事かと不意に立ち止まった彼女を見る。恥ずかしそうにしているアーニャを見て、横島は理由を察した。
「ん、お腹空いたか?」
「もう! そんなハッキリ言わないでよ!」
 ストレートな横島の言葉にアーニャは怒るが、すぐにそっぽを向いてもじもじし始めた。
「し、しょうがないじゃない。飛行機乗ったの、その、初めてで……すっごく緊張したんだからっ!」
 当然、飛行機内では機内食も出たが、アーニャは緊張のあまりほとんど喉を通らなかったらしい。
「んぢゃ、ここらで何か食ってくか」
「え、いいの?」
「俺も小腹が空いてきたしな」
 横島は、麻帆良で早めの昼食を済ませてきたが、そろそろ小腹が空いてきたと言うのは嘘ではなかった。今すぐ何かを食べたいと言う訳でもないが、ここはアーニャに付き合った方が良いだろう。
「何かリクエストはあるか?」
「ど、どうせなら、日本食が食べたいかな」
 突然話を振られて、口ごもりながらもリクエストを言うアーニャ。
 言った後に、先程よりも顔を真っ赤にしながら、横島に背を向けると、火照った頬を両手で押さえ「や、やだ、男の人から食事に誘われちゃった……」などと呟いていたりする。
「和食かぁ……ソバとか、うどんとか?」
「ん〜、スシとか、テンプラとか、サシミとか?」
 知っている日本食の名前を挙げていくアーニャ。横島もこの辺りには詳しくないので、少し探さないといけないかも知れない。
「あっ!」
 突然、アーニャが駆け出した。何事かと横島が追い掛けると、彼女はビルの入り口横に置かれた小さな見本入りのケースを見て目を輝かせている。
「ねぇ、タダオ! 見て見て! うわぁ〜、美味しそう〜」
「天ぷらか……」
 見本に添えられた価格を見てみると、結構な値段だ。しかし、アーニャは輝かんばかりの笑顔で横島を見上げている。
 除霊助手時代の彼ならば、何とか誤魔化すか、踵を返して脱兎の如く逃げ出していただろうが、今の彼は違う。自分を見上げるアーニャに視線を向けてニッと笑うと、これは将来への投資だと見栄を張って、アーニャの望み通りに天ぷらをご馳走する事にした。
 ビルの五階にあるその店に入ると、店内から上野公園まで見る事が出来た。昼時から少しずれているため店内は空いており、二人はその風景が見渡せる席に腰を下ろす。
「天ぷら定食でいいか?」
「え、あ、うん。よく分かんないからタダオと一緒で」
「それじゃ、天ぷら定食二つ」
 軽く済ませようと思っていた横島だが、いざ店内に入ってみると自分も食べたくなったのでアーニャと揃って天ぷら定食を注文する。
 注文をして待っている間、アーニャはずっとそわそわした様子だった。
 しばらく待っていると、注文していた料理が運ばれて来る。
「キャー! スゴーイ!」
 初めて見る料理に心を躍らせるアーニャ。これまた初めて手にする箸を持ち、天ぷらを食べ始めた。
「うひゃはーっ! おいしぃー! 何コレ、すっごい新食感!」
 先程まで心の内では初めて男の人に食事に誘われたと舞い上がっていたアーニャだったが、やはりまだまだ色気よりも食い気の年頃と言う事だろうか。初めて食べた天ぷらを気に入ったらしく、慣れない箸を天ぷらに突き刺して、かき込むように食べている。なかなかに良い食べっぷりだ。
「麻帆良には食堂棟ってのがあってな。そこにも色々と日本食の店はあるぞ」
「ホント!?」
「学園祭まで半月あるからな。色々試してみたらいいんじゃないか?」
「うん、そうするっ! ジャパニーズフード最高ーっ!」
 麻帆良の誇る食堂棟の事をアーニャに教えながら、横島はアーニャに負けじと食事を進める。アーニャの方はよほどお腹が空いていたのか、ご飯をおかわりしていた。

「あ〜、おいしかった〜っ!」
 アーニャにとっての初めての日本食は、大満足の結果に終わったようだ。
 椅子にもたれかかったアーニャは、少し膨らんだお腹に手を置いて満足気である。年頃の女の子としては少しはしたないかも知れないが、これはこれで愛嬌のある姿だ。
「あ……」
 自分の姿に気付いたのか、頬を紅く染めたアーニャは姿勢を正してそそくさとローブの前を閉じた。
 横島はそんな様子を見て、苦笑しながら立ち上がる。
「それじゃ、行こうか」
「う、うん……」
 その後、支払いを済ませて店を出た二人は、そのまま上野駅で電車に乗り込む。後は修学旅行の時と同じく大宮駅で乗り換えて麻帆良へと帰るのだ。修学旅行の時と異なるのは、結界を誤魔化さなければならないエヴァがいないので、横島も電車に乗って麻帆良に帰れる事だろう。
 成田から上野までは、アーニャが自分の事について横島に話していたが、今度は横島の番だ。アーニャが質問攻めにし、横島はそれに答える。
 内容はオカルト関係の事がほとんどだったが、だんだんと横島自身の事も混じるようになってきた。横島が除霊助手時代の失敗談などを面白可笑しく話すと、アーニャはニコニコと楽しそうに、その話に耳を傾けていた。
 途中で寄り道をして少々時間が掛かってしまったが、何とものどかな道中である。



「ねぇ、千草はん。やっぱり、むかつきますよねぇ〜。殺っちゃいません?」
「……ハァ。なんでウチ、いつの間にかコイツの担当になってるんやろ」
 高畑が西からの援軍を案内したホテルに程近い公園のベンチで、一人の女性が溜め息をついていた。
 胸元を大胆に開くように着物を着崩した、眼鏡を掛けた黒髪の女性。名前は天ヶ崎千草。アスナ達が修学旅行に行った時に、木乃香を誘拐し大鬼神『両面宿儺(リョウメンスクナ)』の復活を目論んだ陰陽師だ。
 その隣に居る小柄な少女は月詠。千草が宿儺の復活を目論んだ際、同朋の神鳴流剣士と戦えるからと言う理由で彼女に手を貸した異端の神鳴流剣士だ。とろんとした目で、白を基調としたフリルをあしらった洋服に身を包むその姿は、それこそ図書館島で物静かに本でも読んでいる方が似合いそうだ。しかし、彼女はこう見えても小太刀二刀流を得意とする『狂人』の異名を持つ剣士である。
 そんな彼女が千草に話し掛けていた内容は、現在ホテルに滞在中の旧家の当主達を始末してしまわないかと言う物騒なものだ。
 当然、そんな事をしようとすれば彼等の護衛に就いている神鳴流剣士が黙っていないだろう。そう、月詠の目的はやはり同朋の神鳴流剣士と戦う事なのである。『狂人』は、今もなお健在であった。
 彼女達はアスナ達に敗北し、詠春によって捕らえられていた。罰として二人で色々と仕事をこなしてきたが、何故か禊が終わった後も二人のコンビは解消されないままであった。
 その理由は千草にも分かっている。それは彼女が今こうしてホテルを出て公園のベンチに居る事にも、月詠が旧家の連中を始末しようと誘ってくるのも、同じ理由が根底にあった。

「はぁ〜、陰陽師もう辞めたろかなぁ。出世の道は閉ざされてもうたし……」
 実は、『両面宿儺』の復活が失敗に終わった事により、関西呪術協会ひいては陰陽寮における千草の立場は微妙なものになっていた。
 あまり大きな声では言えないが、彼女がアスナ達と戦っていた時は、水面下でそれを支援してくれる旧家が少なからず存在していた。しかし戦いの後、そんな連中はこぞってそっぽを向き、千草との縁を切ってしまったのだ。彼女との関係を知られ、自分の立場が悪くなる事を恐れたのだろう。要するに、千草は干されてしまったのである。
 今回の援軍もそうだ。問題を起こしたとは言え、千草は優秀な陰陽師である。敵が両親の仇であるフェイトだと知った千草は自ら志願し、その腕を買われて援軍に参加する事になった。
 そこまでは良かったのだが、先述の通り今回の援軍は、旧家の連中にとっては後継者争いとしての側面を持っている。そんな彼等にとって、ほぼ全ての旧家からそっぽを向かれ、なおかつ実力者である千草は非常に厄介な存在であった。彼女が手柄を立ててしまうと不味いのだ。
「やっぱり、殺っちゃいませんかぁ?」
「やらんて」
 そんな立場にあるため、月詠の言いたい事も分かるのだが、だからと言って自ら破滅の道を歩む気は毛頭無い。千草ははいはいと月詠の言葉を受け流す。
「あんな放っといても、あと何年もせん内にくたばりそうな連中斬ってどないすんねん。もっと前向きにもの考え」
「はぁ、それもそうどすなぁ……」
 手をひらひらと振って答える千草の言葉に、月詠は納得した様子で引き下がった。
 彼女は強敵と戦い、自らの身を危険に晒し『死』を身近に感じる事で悦びを覚える困った性質を持っている。そんな彼女だけに「大して強くない」と言う方向で話を進めると、あっさり冷めて引き下がってしまうのだ。
 あまり認めたくはないだろうが、千草は月詠の扱いに慣れてきていた。
「そんなら真面目に返しますけど〜……陰陽師辞めてどないしはるつもりで? GS資格でも取りはりますか?」
「いや、GS資格は除霊助手やる研修期間が必要やからあかんやろ」
「六道女学院に入学するって手もありますえ?」
「………余計にあかんやろ。女子高生に混じって制服着るのは」
「そうどすなぁ、卒業する頃には千草はんも――」
「ちょっと黙れ」
「は〜い」
 陰陽寮に認められた陰陽師と、GS協会に認められたGS。世間ではどちらの立場が上かと言うと、これはやはり国家資格である民間GSの方に軍配が上がる。
 実際、陰陽師でありながら、GS資格を取得すると言う話もそう珍しいものではなかった。この場合、GS資格取得試験を受験出来るだけの実力がある事を陰陽寮に認めてもらう必要がある。GS資格を取って見返してやるのも一興だが、ほとんどの旧家にそっぽを向かれてしまった今の千草には難しい話だろう。
「かと言って、除霊助手も今更やなぁ……」
 知っての通り、陰陽師にして式神使いである千草は、霊能力者としては優秀な部類に入る。そんじょそこらのGSでは彼女に敵わないだろう。そんな彼女だからこそ、今更除霊助手として自分より弱いかも知れないGSの下に付くのは御免被りたかった。
「い、いっその事、寿退職とか!」
「相手おりはりますの?」
「何言うてんねん、ウチかてなぁ……」
 その時、彼女の脳裏に浮かんだのは、戦いの最中同じようなノリでボケツッコミが出来た横島の顔であった。かつては敵であった彼だが、確かにある種のシンパシーを感じていたような気がする。
 しかし、ない。流石に、これはない。千草は頭に浮かんだイメージを打ち払うべく、ブンブンと両手を振ってそれを追い払った。隣の月詠が何事かと千草の奇行を眺めて首を傾げている。
「まぁ、あれや。ウチの実力認めて、ある程度自由にさせてくれる上司がおるなら、除霊助手も考えてもええかもな」
「GSって魔族とも戦いはるんよねぇ……千草はん、その時はウチも呼んでくださいな」
 そう言ってニィッと唇の端を釣り上げて笑う月詠。黙っていれば可愛らしい少女だと言うのに、それを台無しにする不気味さだ。
 しかし、千草は慣れたものである。月詠の笑みを特に意に介する事もなく、近くのゴミ箱に視線を向けると、飲み終えた空き缶を放り投げた。その缶は見事にゴミ箱に入る。なかなかのコントロールである。

「だから、そう言う上司がおったらやって。ホンマに除霊助手になるって決めた訳やないよ」
「残念やなぁ……あ、横島のお兄さんや」
「なにぃっ!?」
 突然の月詠の声に驚き、千草は思わずベンチからずり落ちそうになってしまった。
 何とか体勢を建て直し月詠が指差す先を見ると、そこには確かに見覚えのある男の姿があった。そう、アーニャを連れて麻帆良に戻って来た横島である。
「どないします?」
 その後ろ姿を見送る千草に、脇から月詠が声を掛けて来た。千草はその問いに、しばし考えてから答える。
「ん〜、とりあえず追い掛けてみよか。どうせ暇やし」
「ええどすなぁ、センパイの居場所とか知ってるかも知れませんし」
 千草の提案に、嬉しそうな笑みを浮かべて同意する月詠。
 二人はやおら立ち上がり、横島達の追跡を開始するのだった。



つづく


あとがき
 原作でのないがしろにされっぷりに『見習GSアスナ』ではアーニャに出番をあげようと思いました。

 アシュタロスとの戦い以降のGS資格試験については、『黒い手』シリーズ本編の『続・虎の雄叫び高らかに』をご覧下さい。
 魔鈴めぐみが魔法界の学校に通っていた事については、『黒い手』シリーズ本編の『アン・ヘルシングと賢者の石』をご覧下さい。
 横島の独立に関する経緯は、『黒い手』シリーズ本編の『渡る世間は○ばかり』をご覧下さい。


 関東魔法協会、関西呪術協会に関する各種設定
 麻帆良学園都市に関する各種設定。
 アーニャのロンドンでの生活に関する各種設定。
 修学旅行編以降の千草と月詠に関する各種設定。
 これらは『黒い手』シリーズ、及び『見習GSアスナ』独自の設定です。

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