topmenutext『黒い手』シリーズ『アン・ヘルシングと賢者の石』>アン・ヘルシングと賢者の石 3
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 アン・ヘルシングと賢者の石 3


 中世の城のような魔法学校を眼下に見下ろし、空を二つの影が走る。ピートと『殉教者』部隊の鷲鼻の男だ。
 ここで空中戦を展開すれば、流れ弾で学校に、何より校内の人間に被害が出るかもしれない。ピートは霧化も駆使しながら空を駆け、猛スピードで飛びながら何とか鷲鼻を誘導し、校外へと導こうとする。
「ククク…どこに行こうと言うのかね? まだ我々の戦いは始まったばかりではないか」
 しかし、男はピートの考えを見透かすように笑った。男はピートを見逃す気はないらしい。ならばと、ピートは自ら魔法学校から飛び出し、自分を追跡させようとするが、鷲鼻の男はすかさず霊波砲で牽制し、その動きを妨害する。
 回避行動でバランスを崩してしまったピートは、そのまま手近な屋根の上へと降り立った。
「詰まらない真似をしてくれるな。私は君と戦うのを楽しみにしているのだよ」
 続けて屋根に降り立つ男。猛禽類を彷彿とさせる鷲鼻に細い顎、広い額をしており知性を感じさせるが、同時にその風貌は冷酷さを醸し出している。
 それほど老齢と言うわけでもなさそうだが、髪は全て白髪。肌も色白で、白一色の殉教者部隊の制服と合わせてまさに『白の男』である。ただし、その顔に浮かぶ笑みだけは、腹の中まではそうではないと声高に叫んでいた。
「いっそ、この学校を更地にして見せようか。それならば、君も本気で戦えるのではないかね?」
「貴様…ッ!」
 男の言葉に激昂したピートはダンピールフラッシュを放つが、男はそれを飛んでかわすと、そのままピートに向かって躍り掛かった。
「フハハハッ! 神よっ、今日と言う日の幸運に感謝する!」
 繰り出される右の拳。ピートはそれを両手で受け止め、その重さに驚き、目を見開いた。霧化して空を飛ぶピートについて来た時点で分かっていた事なのだが、この男、人間離れした身体能力を持っている。
 今頃中庭では魔鈴とエミが男の放った剣から生まれたリビングアーマーと戦っている。あれがこの男の『殉教者』だとすれば、今目の前に立つ男は、『殉教者』を所持していないと言う事だ。それだけでない。拳で殴り掛かってきた事からも分かるように、他の武器も所持していないようだ。丸腰である。
 にも関わらず、この男は強い。殉教者部隊は『殉教者』を所持する以外に身体能力も強化しているのだろうか。もし、他の三人もそうならば、横島とアンが危ない。
「仲間の事が心配かね?」
 その指摘に、ピートはハッと男の方へと向き直る。
 男の腕を掴んだまま、ピートは意識を横島達の方に向けてしまっていたようだ。
「初歩的な推理だよ、ピート君。そんな風にチラチラと中庭の方を見ていれば誰にでも分かる」
 ピートはグッと押し黙り、男を睨みつける。しかし、男はどこ吹く風だ。老練さを感じさせる余裕の態度、役者が違い過ぎる。
 しかし、それが直接ピートの敗北に繋がるわけではない。学校内では誰かがピート達の奮闘に気付いたのだろう。会場に避難していた者達が校外への避難を開始している。
 三人の殉教者部隊全員がアン・ヘルシングを追跡しているため、会場には誰も向かっていないのだ。そして、鷲鼻の男の『殉教者』は魔鈴とエミが抑えており、本人は今ピートの目の前に居る。
「お前をここに釘付けにする事が出来れば、会場の人達は安全に避難する事が出来ると言う事か」
「ふむ、そうなるね。やってみたまえ」
 やはり男は余裕の態度を崩さない。実は、彼は元よりピートを片付けてから魔法使い達を皆殺しにしようと考えていたのだ。ピートが勝手に勘違いして自分に向かって来るのだから、わざわざ訂正してやる必要はない。
 そんな男の態度に、ピートの紳士的な外見とは裏腹に短気な部分が顔を覗かせる。
 魔力を開放し、男の腕を掴んだ手に力を込め、骨も折れよとばかりに握り締める。これには堪らず男は腕を振り払い、ピートから距離を取った。
 男が自由に動ける隙を与えてはいけない。ピートはすぐさま跳躍し、追撃を仕掛ける。
 バンパイアハーフであるピートは、人間としての霊力だけを使っている状態と、バンパイアとしての魔力も使っている状態では、その力に大きな隔たりがある。それはすなわち人間とバンパイアの持つ力の差でもあった。
 ピートは渾身の力を込めて男を蹴り上げた。空を舞う男目掛けてダンピールフラッシュで追撃、そのまま息つく暇もなく空中戦に移行する。
 男が右の拳を顔目掛けて繰り出し反撃するが、ピートは頭の一部を霧化してそれを避ける。
 その時、ピートの視界にある物が映った。そこにあったのは校舎の中でも一際高い塔――と言っても、今はピート達がそれを見下ろす高さにいるのだが。その先端には避雷針だろうか、見事な装飾が施された鉄芯が突き立てられている。その鋭利な先端はまるで突剣のようだ。
 殉教者部隊は手加減して掛かれる相手ではない。ピートは決意を秘めた瞳で男の両肩を掴み、男を下にした体勢のまま鉄芯目掛けて落ちていく。男は抵抗するが、もはやその勢いは止まられない。
「これで、文字通り釘付けにしてやる!」
「なにっ!?」
 ピートは男を突き放し、そのままの勢いで屋根に降り立つ。かたや男は、鉄芯に腹を貫かれて血を吐いた。これでは釘付けと言うよりもモズの速贄である。
 力なくだらりと垂れ下がる手足。男はピクリとも動かない。身体能力を強化しているのだから、死なない可能性も考えられた。しかし、生きていたとしてもダメージは大きく、動く事は出来ない。正直なところ、ピートはそれに期待していたのだが、どうやらそれは甘い考えだったようだ。
「…このような任務に就くと言う事は、返り討ちと言う結果も覚悟していたはずだ。悪いが、このまま行かせてもらうぞ」
 勝利したと言うのにやりきれない表情のピート。しかし、気になる事が多過ぎて、状況は彼に物思いに耽る時間を与えてはくれない。所有者である男が死ねば、あの『殉教者』のリビングアーマーは止まるのだろうか。横島はアンを連れて逃げ切っているのだろうか。
 まずは中庭に降り、魔鈴達と合流しよう。そう考えて屋根の縁に足を掛ける。
「…どこに行こうと言うのかね?」
 聞こえるはずのない声。慌てて振り返ろうとした瞬間、ピートの腹を霊波砲が貫いた。
 ダメージは大きいが、バンパイアハーフであるピートにとっては致命傷には程遠い。振り返り、霊波砲の主を見たピートは驚きに頭の中が真っ白になってしまう。
「バカな…っ!」
「おやおや、何か不思議なものでも見つけたのかね?」
 鷲鼻の男が、鉄芯に腹を貫かれた体勢のまま、視線と腕だけをピートに向けて霊波砲を放っていた。
 唇の端から血を滴らせているが、その唇は笑みの形を浮かべている。
「何故? そう言いたげな顔だな」
「………」
 男の指摘は正しい。如何に身体強化しているとは言え、内臓を著しく損傷しているのだ。腹を貫かれて平然と笑みを浮かべていられるはずがない。
 どこまで強化していると言うのか、人間の領域を遥かに凌駕している。これではまるで――
「まるで、何だと言うのかね?」
 その言葉を口にした瞬間、男の体が掻き消えた。
 同時に背後に湧き上がる身の毛もよだつような気配。そう何度も霊波砲を受けるわけにはいかないと慌てて振り返ると、そこには腹に穴を開けた鷲鼻の男が宙に浮かんでいた。
「貴様は一体…?」
「フフフ、あまり化け物を見るような目で見ないでくれたまえ」
 そう言って男は白い歯を見せて笑う。

「私もバンパイアハーフなのだよ。君とは少々異なるがね」

 そこには、吸血鬼の証である鋭い牙が生えていた。


 一方、中庭では魔鈴とエミの二人が苦戦を強いられていた。『殉教者』の剣から生まれたリビングアーマーが思いの外強力だったのだ。
 兜は鳥をイメージしているのだろうか。肩部分等も含め、全体的に翼で飾り付けたような装飾が刻まれており、その銀の輝きはどこかの屋敷に飾っていたとしても不思議ではない出来栄えだ。即席で作った物とは思えない。
 しかし、その繊細な外見とは裏腹にその動きは無骨なものだった。剣術の達人にはほど遠い構え。大きく振りかぶった剣を無言で力任せに振り下ろしてくる。むしろ、動きそのものは鈍いと言って良いだろう。
「ナイフが通らないワケ!」
「魔法もほとんど効果がありません!」
 ただし、それを補って余りある力をリビングアーマーは持っていた。
 呪術用のナイフを投げても刃が通らない。魔法で攻撃しようとしても弾かれてしまう。段違いのパワー、単純な力量差は如何ともし難い。
 エミはまるで魔族と戦っているかのような印象を受けていた。正確には天使だが、人間と比べて圧倒的に強いと言う一点においては同じである。
 手にしているのが殉教者部隊――あくまで人間であれば、対処のしようはいくらでもあったが、所有者がピートと共にどこかへ飛んで行ってしまった。『殉教者』の剣を手にするのが、剣そのものが形作るリビングアーマーとなればどうしようもない。剣を振るう肉体にも、剣と同等の力があるのだから。
「こんだけのエネルギー、一体どこに詰め込んでるワケ?」
「おそらくですが、柄の部分にある宝石ではないでしょうか。おそらく、あれが天使です」
 魔鈴が指差す先、剣の柄には大きな宝石が一つ埋め込まれていた。それ自体が淡い光を放っており、確かに強い力を感じる。エミもアクセサリーとして常に所持している破魔札よりも強力なGSの切り札である精霊石のようにも見える。
 『殉教者』は天使の死体を利用して作られていると言う話なのだが、魔鈴は死体と言うよりも魂そのものを利用していると考えていた。エミも『殉教者』の話を聞いて同じ推論に辿り着いているため、魔鈴の言葉に神妙な面持ちで頷く。

 人間もそうなのだが、霊力は魂から引き出されるもの。それならば、魂は霊力の塊だと言う見方も出来る。それが神魔族のものとなると、莫大なエネルギーとなるのは言うまでもない。
 つまり、あの宝石は天使の魂を凝縮した結晶。既に天使の意志は失われてしまった純エネルギー体である。もはやそれは天使ではなく、人間がそれを振るって魔族と交戦したとしても、デタントの流れを乱した事にはならないと言うのが、反デタントである神族過激派の言い分だ。
 『殉教者』の剣により生み出されたリビングアーマーは、すなわち天使と同等の力を持っている。それでもあくまで人間の持つ道具の力だと言うのだから、反則もいいところであろう。

 今はエミが魔鈴の前に立ち、投げナイフでリビングアーマーを牽制している。とは言え、彼女は元々矢面の前衛に立つタイプではない。他に選択肢が無いとは言え、これはあまりにも無茶と言うものだ。
「そうだ、ピエール之介! あいつ侍気取ってるなら、刀持って前に…」
 そう言ってエミはピエール之介のいる方へと視線を向け、ピシリと音を立てて固まってしまった。
 先程まで倒れていたはずの彼の姿がないのだ。そのまま倒れていたとしても、無理矢理奮い立たせて前に出させようと思っていたのに、いないと言うのは予想外である。
「あんにゃろ、逃げやがったワケ…」
「エミさん、来ます!」
 実際に逃げたのかどうかは分からないが、現在彼がここにいない事は確かだ。髪の毛を一本手に入れておくべきだったと後悔しても時既に遅し。やはりエミ達は二人でリビングアーマーと相対しなければならないらしい。
 二人の力で天使と同等の力を持ったリビングアーマーを倒す。難しいがやるしかあるまい。
 横一文字に剣を一閃するリビングアーマー。エミは咄嗟に一歩退いてそれを避けるが、完全には避け切れなかったのか、胸部分の衣服がぱっくりと裂け、露わとなった胸元から一筋の血が流れる。
「もしかして、速くなってるワケ…?」
「………」
 先程までのスピードならば、難なく避けられたはずだ。
 エミは心によぎった疑問を口にするが、リビングアーマーは当然の事だが、黙したまま語らない。
 癪な話である。二人が破壊せねばならないのは『殉教者』の剣、正確にはリビングアーマーではない。それは剣によって作られている物なのだから。その剣を振り回していると言うのに手出しが出来ない、いや、手出ししても効果がないのだ。これほど癪な話があろうか。
「魔鈴、宝石を狙い撃ちには出来ないワケ?」
「出来なくもないですが…敵もそれに対して防御策を講じているでしょうね」
 天使の魂である宝石を外部に晒していると言う事は、その部分が弱点となる。にも関わらず、内部に隠したり、カバーで覆うなどしていないと言う事は、それ自体が頑丈な物なのだろう。天使の強大なエネルギーをあの大きさにまで凝縮しているのだ、その密度は相当な物だと思われる。そう簡単に外せる構造でもないのだろう。
 しかし、彼女達の突破点はそこにしかない。エミの霊体撃滅波ならばある程度の効果を期待できるかも知れないが、あれは一度放つために三十秒の時間を要する。その間、魔鈴が前に立ってリビングアーマーを食い止める事となり、それが如何に無茶な話であるかは、二人ともよく分かっていた。
 本来、魔鈴もエミも魔法使い、術士タイプなのだ。横島やピートのような前衛が居てこそ、その真価を発揮する事が出来る。圧倒的なパワーでゴリ押ししてくるリビングアーマーは、彼女達にとって最も相性が悪いと言っても過言ではない相手であった。
 しかし、ここであっさりと諦めるようではGSは務まらない。今必要なのは、相性の悪さを引っくり返してしまうような奇策。美神令子のような裏技である。
「そうだ! 魔鈴、空!」
「分かりました!」
 エミと魔鈴は顔を見合わせて頷き合うと、魔鈴が手にしていた箒に跨り、エミがその背に乗って上空へと逃れる。
 流石にあのリビングアーマーも飛行能力までは持っていないだろう。それに、鷲鼻の男が下した命令は、魔鈴とエミを殺す事。その二人を無視して、壁の大穴を抜けて校舎内に入って行く事はあるまい。
 案の定、リビングアーマーは空まで追い掛ける事が出来ずに中庭をうろうろとしている。校舎内に入ろうとする様子もない。
 そう、『殉教者』の剣は、あくまで鷲鼻の男の命令を忠実に実行するだけ。自身の判断能力は極めて乏しい。
 元々デタントの流れを乱さないために、天使達は自意識を殺して『殉教者』となったのだ。
 その強大な天使のエネルギーを持つ『殉教者』自身が柔軟に状況を判断出来るような自意識を持ってしまえば、それは『殉教者』すなわち天使のエネルギー自体の意思が介在する事となり、あくまで人間の道具であると言う建前が崩れてしまう。あくまで『殉教者』は人間の意思により振るわれ、人間の命令を機械のように遂行するだけの道具でなければならないのである。

 しばらく無意味に届かない剣を振り回していたリビングアーマーが、その剣の切っ先を空の魔鈴達に向けた。
「まさか…」
「エミさん、しっかり掴まっていてください!」
 次の瞬間、剣の切っ先からビームのような細く鋭い霊波砲が放たれて彼女達に襲い掛かった。身構えていた魔鈴は急旋回でそれを避け、エミは振り落とされまいと必死にしがみ付いている。
「あんにゃろ、空まで攻撃出来たワケ」
「でも、連射は出来ないようです。先程までよりは対処しやすいですよ」
 見ると、剣の柄の宝石が放つ光が刀身部分に伝わり、刃自体が淡い光を放っていた。その光が最高潮に達すると霊波砲が発射され、刃からその光が消えるのだ。
 あれだけの力を持っているのだ、飛び道具の一つぐらいは持っているだろう。これは予測出来ていた事だ。
 エミが周囲を見渡してみると、少し離れた所に空中戦を繰り広げるピートと鷲鼻の男の姿が見える。魔鈴とエミが空に逃げた事に気付いた男が、リビングアーマーに新たな命令を下したのだろう。
「魔鈴、男から見えない所に移動するワケ」
「そうですね、私達を放って校内の人達に攻撃するよう命令されても困りますし」
 魔鈴はすぐさま高度を下げて、鷲鼻の男からは校舎の陰になって見えない位置に移動した。勿論、リビングアーマーの剣が届かない高さを維持する事は忘れない。
 エミは窓から背にした校舎を覗き込み、その近辺に人がいない事を確認して、魔鈴に告げた。これから剣の放った霊波砲の流れ弾で校舎が破壊されていくのだ。校舎内の人々に被害が及ばないようにリビングアーマーを引き付けているのだから、流れ弾で怪我人を出してしまえば本末転倒である。

 その後も、リビングアーマーは闇雲に霊波砲を発射し続けた。鷲鼻の男から新たな命令は来ていないようだ。
 ピートと戦いながら、こちらの動きを確認する余裕がないのか、そもそもこちらには余り興味がないのかは分からないが、やはり『殉教者』は、あくまで人間の意思によってのみ振るわれていると言う事は間違いあるまい。
「…そうかっ!」
 ここでエミがある事に気付いた。このリビングアーマーを無力化する、倒す以外のもう一つの方法に。
 エミが呪文を唱え、投げたナイフが地面に突き刺さると、リビングアーマーの足元に生える雑草が触手のようにその足に絡みついた。それを見た魔鈴もまた、魔法の力でリビングアーマーを縛り付けようとする。
「エミさん、私にも分かりました。アレを倒す方法が」
 魔鈴にも分かったようだ。発想の転換である。どうやって倒すかではなく、どうやって無力化するか。
 リビングアーマーは、鷲鼻の男に命じられて二人に斬り掛かった。鷲鼻の男に命じられなかったから、上空に逃げた二人に対し届かない剣を振り続けた。そして、鷲鼻の男に命じられたから攻撃を霊波砲に切り替え、今は何も命じられないから、ただひたすらにその命令を実行している。
 そう、あくまで『殉教者』は人間の意思によって振るわれる道具。今も鷲鼻の男と『殉教者』の剣は、命令を下すためのチャンネルが繋がっており、男は自身の意思を以って剣を動かし続けているのだ。
 命令を繰り返すのみなので、無意識の内に行っているのだろうが、そこに男の意思が介在している事は間違いないだろう。
 そう、所有者である鷲鼻の男の意思がなくなってしまえば、『殉教者』は攻撃を続ける事ができない。
 「続けられない」のではなく「続けてはいけない」、法により支配されている神族は、反デタントの過激派と言えども、表立ってはデタントを推進する最高指導者である『キーやん』に反逆する事ができない。してしまえば、その先に待っているのは『堕天』。すなわち魔に転じて堕ちるのみである。
 デタントの流れを無視して魔を滅ぼし、人間界を神属性で染め上げようとしているからこその過激派だと言うのに、魔属性に堕ちてしまっては自己矛盾、レゾンデートルの崩壊である。
 だからこそ、自ら天使としての自意識を捨て、純エネルギー体となった結晶を以って『殉教者』が作られたのだ。脆弱な人間が魔族と同等の力を得るために。それは、自ら魔族と戦う事が出来ない神族過激派が、人間達を自分達の代行者とするための手段なのである。
「つまり、ピートが、あの男を倒してしまえば…」
「『殉教者』はそれ以上攻撃を続けてはならない!」
 魔鈴の言葉にエミはコクリと頷く。方針は決まった。ピートの勝利を信じて『殉教者』の剣が校内の者達に危害を加えないように、中庭で食い止めるのだ。
「あの男、作戦を間違えたワケ」
 エミは、鷲鼻の男はここを離れずにピートと戦うべきだったと考える。そうすればピートと戦いながらエミ達の動きにもリビングアーマーを対応させる事が出来たはずだ。
 もっとも、これは彼女が鷲鼻の男の正体がバンパイアハーフである事を知らないからこそ抱ける考えであろう。少なくとも、彼がピートに対し、任務以上の何かしらの拘りを持っている事はエミの目からも見て取れた。
 同じバンパイアハーフだからか、それとも他に個人的な恨みつらみがあるのかは、鷲鼻の男当人にしか分からない事である。


「あーもう、しつこいーっ!」
 その頃、横島達は地下の隠し通路を全速力で走っていた。三人の殉教者部隊の執拗な追撃は続いている。
 それなりの広さがあるじめじめした石造りの通路。火が灯っているわけでもないのに、通路全体が薄明かりに照らされているかのようで、足元まではっきりと見える状態だ。魔法の力なのだろうか。
 当初、横島はアンの手を引いて二人で走っていたのだが、彼女の息が切れ、走れなくなってしまい、その隙に殉教者部隊が近付いてきたため、今はやむなく横島が横抱きにアンを抱き上げてがむしゃらに走っている。
 アンにしてみれば恥ずかしい事この上ないが、こうしている今も霊波砲が次々と背後から襲い掛かってくるのだ、そんな事を言っていられる余裕はない。
「アンちゃん、この通路は一体どこに繋がっているんだ!?」
「わ、わかりません。途中に隠し扉があって、そこの部屋に『ダビデ号』と『ゴリアテ号』を隠してたんですけど、ここまで奥には来た事がなくて…」
 アン自身もこの隠し通路の全容を知っているわけではないようだ。
 途中に隠し部屋があったのならば、そこに隠れれば殉教者部隊をやり過ごせたかも知れない。何故教えてくれなかったのかと訊ねようとした横島だったが、よく考えてみれば、隠し通路に入り、大慌てでアンの手を引いて駆け出したのは他ならぬ横島だ。あれではアンも隠し部屋の事を告げる間もなかっただろう。
 何より、殉教者部隊は入り口の見えない隠し通路に飛び込んだ横島達をいとも容易く追跡してきているのだ。隠し部屋の存在に気付かれてしまっては、それこそ袋のネズミである。
 アンの曽祖父ヘルシング教授が遺したイージス・スーツ、ダビデ号とゴリアテ号の力は惜しいが、かつて横島が身に着けたゴリアテ号の大きな身体では、この通路の幅ではほとんど身動きが取れなかったと思われる。また、アンにダビデ号を身に着けさせたとしても、途中で彼女が走れなくなってもスーツごと彼女を担ぎ上げる事は出来ずに、結局は脱ぎ捨てて行く事になっただろう。
「行けるとこまで行けるしかないか…って、うぉっ!」
 その時、横島の頭上を霊波砲が掠めた。後頭部の髪が煙を燻らせているのが匂いで分かる。咄嗟に頭を下げなければ後頭部に直撃していただろう。
「だぁーっ! そんなバスバス連発するなよ、無尽蔵か! 奴等のエネルギーは!」
 横島は知る由もないが、正確には『殉教者』のエネルギーは無尽蔵ではない。ただし、天使の力が強大であるため、人間の感覚で言えば、それに近いものがある事は確かだ。
「横島さん、頑張って! 通路はもうすぐ終わりです!」
「行き止まりか?」
「いえ、どこかに繋がってるみたい…」
 言っている間に横島は通路を駆け抜けて飛び出した。
 その先にあったのは円形ドーム状の広い空間、端から端まで百メートルと言ったところだろうか。天井まではその半分程度、球体の上半分のような空間だ。床から天井に至るまで通路と同じ石造りで、天井の方を見上げれば、溝に沿うように木の根が這っている。
 だが、それよりも問題は床の方だ。
「なんだこりゃ…」
「魔法、陣…?」
 そう、円形の床全体を覆うような巨大な魔法陣が青い光を放ち、ドーム全体を照らしているのだ。
 魔法については素人である横島は勿論のこと、魔法学校の生徒であるアンにも、これが何を目的とした魔法陣であるかは分からない。ここは何か魔法の実験室だったのだろうか。
「って、それどころじゃないな。逃げ道を探さないと」
「そ、そうでした」
 ハッと我に返った横島とアンは慌てて逃げ道を探すが、どうやら隠し通路はここに来るための物だったようだ。通路は背後の一つのみしかなく、このドームには魔法陣以外何もなく身を隠す事もできない。
 袋のネズミにならないようにとここまで全速力で逃げてきたが、結局その先に待っていたのは隠し部屋よりも広いだけの袋であった。
 こうなれば文珠を使って隠れようかと、横島は右手に文珠を出した。アンを抱き上げたままだったので、突然自分を支える横島の手の中に現れた感触に彼女は眉を顰めている。
 一旦文珠で姿を隠し、殉教者部隊がドームに入ってきた隙に通路に出て、後は通路を爆破するなりして防いでしまえば、彼等をここに閉じ込める事が出来るのではないだろうか。
 咄嗟の思い付きだが、これは良い考えだ。横島はアンにしばらく黙って静かにしていてくれと頼むと、『隠』の文字を込めた文珠を発動させた。
 光学迷彩のように横島とアンの姿が消え、同時に二人の気配も消える。殉教者部隊がドームに入って来たのは丁度その時だった。
 横島はジリジリと足音を立てないよう、殉教者部隊の三人を遠巻きにして通路への入り口へと近付いて行き、三人は横島達の姿が無い事を疑問に思い、辺りを見回している。
 もう少しで通路に駆け込めそうな距離まで来たところで、殉教者部隊の細身の男に動きがあった。『殉教者』である銀の仮面を取り出して、それを身に着けたのだ。
「そこだ! 通路に逃げようとしている!」
「フンッ!」
 細身の男が指差す先は、ズバリ横島が居る場所。大柄の男はその言葉を疑おうともせずに一歩前に出て、両手をそちらに向けて『殉教者』が放つ大口径の霊波砲を撃ち込んだ。
「のわーっ!」
 横島は横っ飛びに飛んでそれを避ける。勿論、アンを庇う事を忘れない。
 文珠で隠れていたのに何故かバレてしまった。横島はその秘密が細身の男が被る仮面にある事に気付く。
 そう、銀の仮面は魂と霊力の流れを見る事が出来るのだ。隠れたとしても仮面の前では無意味。霊力の流れを追えば、相手を追跡する事も出来る優れものである。隠し通路をすぐ見つける事が出来たのも、秘密の入り口を見つけたのではなく、横島達の霊力の流れを追い、それが地面の向こうへと消えている事に気付いたのだ。
「こなくそっ!」
 横島はサイキックソーサーを投げて反撃するが、殉教者部隊の女が前に出て掌をかざすと、『殉教者』の放つ光によりサイキックソーサーは掻き消されてしまう。
 厄介な相手だ。彼等の身に着ける銀の仮面以外の『殉教者』は全てガントレット型だが、それぞれに能力が異なる。
 大柄の男が身に着けるそれは手首に例の宝石がついており、大砲のような破壊力を持つ霊波砲を放つ。また、女が身に着けているものは掌に宝石があり、攻撃を無効化してしまう。
 そして、細身の男もまた銀の仮面以外にもガントレットを身に着けており、これは相手を麻痺させてしまう霧を発生させる事ができるのだ。
 何とか隙を突いて逃げ出そうとする横島に対し、細身の男が容赦なくそれを発動させようとしたその時、ドームの中におぞましい大きなかすれ声が響き渡った。

「そうはいかぬでござるよ」

 この場に居るのは殉教者部隊の三人に横島とアンの合わせて五名。細身の男の立ち位置から見れば、全員自分の前方、通路へと続く入り口側に居る。
 しかし、その声は背後から聞こえてきたような気がした。被ったままの仮面も、背後に何かが存在すると告げている。
 麻痺の霧はまず背後の存在に使うべきだ。そう考えた細身の男はガントレットをそちらに向けようとするが、その瞬間、赤い光が一閃し銀のガントレットは男の腕ごと斬り飛ばされてしまった。
 細身の男は腕を押さえてのた打ち回り、仲間達は彼へと駆け寄って行く。そうする事で横島達の視界は開け、銀のガントレットを斬り飛ばした声の主の姿を目の当たりにする。
「いや〜、アン殿がこの隠し通路を知っているとは思わなかったでありまする。もっとも、隠し部屋の存在はそれがしも気付いておらなんだが」
 そう言って朗らかに笑い、頭を掻く声の主。その声の調子はピエール之介のものだったが、横島達はそれがピエール之介であると断言する事が出来なかった。
 何故なら、声が異なると言うのもあるが、そこに立っていたのは例の金髪のチョンマゲ男ではなく、燃え盛る炎のような色をした禍々しい全身鎧に身を包み、血で染め上げられたかのような大振りの赤い剣を携えた戦士だったのだから。
 その兜は獅子を模ってあり、たてがみの部分は、その色も相まって正に炎だ。また、大剣もただの剣ではない。複雑な形をした刃は刺々しく、まるで敵に喰らい付く獣のような刀身だ。全体的に赤いのだが、どこか透き通っており、一体材質は何なのか、そもそも金属なのかどうかすらも分からない。
 ただ、横島にはその剣から魔界の瘴気が噴き出しているように感じられた。明らかに魔剣である。
「ぴ、ピエール之介、さん?」
 アンがおずおずと問い掛けると、赤い鎧の戦士は「いかにも」と鷹揚に頷いた。
 本人はそう言っているが、本当にピエール之介なのかどうか、今一確信が持てない。何かが彼を装って自分達を騙していると考えた方が、まだ納得がいく。
「なれど、この姿を見せたからには、今一度名乗らせていただこう」
 そんなアンの思いなど気にも留めず、戦士は両手で持った大剣を眼前に構えて、高らかに名乗りを上げた。

「我が名はアロセス。ソロモン先生が教え子、七十二の大悪魔の一柱なり!」


つづく




あとがき
 繰り返しとなりますが、魔法学校について。
 モデルは存在します。しかし、『黒い手』シリーズ本編独自の設定と組み合わせて書かれておりますので、モデルになった特定の学校とはあくまでも別の学校であると言う事をここに明言しておきます。
 『殉教者』に関する設定も『黒い手』シリーズ独自のものです。

 また、今回登場したソロモンの七十二柱の悪魔の一柱である『アロセス』についても、伝承等の情報をベースに独自の解釈を加えて書いております。
 当然の事ですが、時代劇好きなんて伝承は存在しません。
 ご了承下さい。

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