02 その頃、人間界では
「何これ……? え? 何があったの!?」
学校から帰宅した愛子が、半壊した家を見た時の反応は、やはり横島と同じようなものだった。家を見上げてひっくり返ってしまい、背中に背負っていた机に乗る形となる。傍からみれば裏返った亀の様な有様だ。
そこに小鳩も帰って来て、愛子の手を取り、助け起こす。
「な、何やってるんですか?」
「あれ? 小鳩、バイトは?」
「家の方で騒ぎがあったと聞いて、慌てて帰ってきたんです」
小鳩はいつものパン屋のバイトがあったが、店が近所であるため、店長夫婦が横島宅の騒動に気付いていたらしい。詳しい事情は分からないが、ただ事ではないだろうと言う事で、小鳩は臨時に休みをもらい、こうして帰宅したのだ。
二人が家に入ると、横島、カオス、それにエミの三人が出迎えた。愛子達はエミが居る事に疑問符を浮かべる。しかし、カオスから天使が襲撃してきたと言う話を聞き、更にエミからも話を聞いて納得した。呪術師であるエミは魔に属する術者であり、神族過激派の天使が動いているとなれば自分も狙われるかも知れない立場にある。自分の身を守るため、神族過激派の情報を得るためには、ここに居るのが一番良いと判断したのだ。
その一方で、横島は小鳩の話を聞いて頭を抱えた。小鳩のバイト先であるパン屋は、近所と言っても隣や向かいではない。それなりに距離がある。にも関わらずこの家で起きた騒動を察知していると言う事は、それなりの範囲に知れ渡っていると考えた方が良いだろう。
この時、彼の脳裏に浮かんでいたのは、天竜童子の一件でメドーサにより事務所があったビルを爆破された令子の姿であった。彼女が再建したビルへの入居を拒否されたように、横島も近隣の住民から追い出される可能性がある。これは、ある意味、神族過激派よりも厄介な問題であると言えるかも知れない。
愛子と小鳩が居間に向かうと、庭でハニワ兵達が後片付けをしているのが見えた。彼等は、天使が襲撃してきたため、散り散りになって避難していたらしい。今はハニワ子さんが陣頭指揮を執り、サングラスを掛けたハニワ兵が、散り散りになったハニワ兵達を呼び戻すために駆け回っている。そして、逆天号の一部である目付きの悪いハニワ兵は、この片付けには参加していない。彼女はずっと屋根の上に陣取り、神族過激派の襲撃に備え警戒していた。
「ダメね。二階は一階よりもヒドいわ」
「壁は・一階と・同程度・ですが・屋根の・被害・深刻・です」
その時、家の被害状況を調べていたテレサとマリアが、居間に戻って来た。家の被害状況を調べてみたところ、壁は比較的被害が少なかったのだが、逆に屋根の方は甚大な被害を受けていたようだ。特に横島の部屋などは天井に大穴が開いてしまっているらしい。
横島は文珠で直そうとするが、これにはエミが待ったを掛ける。被害が大き過ぎるため、文珠で直すにも幾つ必要になるのか分からない。平時ならともかく、また神族過激派が襲撃してくる可能性があるかも知れないと考えると、文珠のストックは確保しておきたいところである。
「……今夜、寝られそう?」
しかし、すぐに直さないとなると、今夜の寝床を考える必要が出てくる。
横島一人ならば、友人宅に転がり込む事が出来ただろう。しかし、今の彼は家族がいるため、そこまで身軽な立場ではない。それにボロボロになったこの家は、防犯上の観点から見ても無防備である。寝ずの見張りを立てるなり、早急に家具をどこかに運び出すなりして、対処しなければならないだろう。
状況を説明すれば泊めてくれそうな心当たりはいくつかあった。男女別々になれば、候補は更に増える。目の前に居るエミだってそうだ。彼女に頼めば、男性陣はタイガーの部屋に、女性陣は自宅に泊めてくれるに違いない。しかし、そうなると問題となるのは家具だ。
どうしたものかと考えていると、にわかに家の周りが騒がしくなってきた。近隣の住民かと横島が縁側から外を見てみると、壊れた塀の向う側に黒いスーツ姿の二人の男の姿が見えた。かなりの長身であるため、一見ひょろ長いと言った印象を受けるが、スーツに身を包んでいても分かる、スマートながらも筋肉質な身体をしている。どうやら、野次馬がその二人を見て騒いでいるようだ。
「あの〜……横島さん、いらっしゃいますか?」
「小竜姫様!?」
何者か分からず、思わず身構えた横島だったが、次の瞬間塀に開いた穴の向こうから、赤毛の少女がひょっこりと顔を覗かせ、前のめりにたたらを踏む事になる。その少女は妙神山の管理人、竜神小竜姫だ。
「………あ、もしかして、お前等鬼門か?」
「貴様、さては忘れておったな」
そして、スーツの男達の正体は人間に化けた鬼門であった。横島はすっかり忘れていたが。
「今回の天使襲撃の件についてお話があるのですが、入ってもよろしいでしょうか?」
「え、あ、どうぞどうぞ。なんでしたら、その穴からでも」
そう言って歓迎する横島であったが、流石に塀に開いた穴から入るのはためらわれたのか、小竜姫は素直に玄関まで回るのだった。
居間に入ってきた小竜姫の姿は、天竜童子の一件で令子が用意した服装ではなく、落ち着いた色合いのスーツ姿であった。
「この度は大変な事になってしまい……その」
入って早々に横島の前に正座をした小竜姫は、しばらく何やら言葉を選んで喋ろうとしていたが、やがてバッと三つ指をつき、無言で頭を下げた。
猿神(ハヌマン)斉天大聖の弟子である横島にとって、彼女は姉弟子だ。その姉弟子の突然の行動に、どう対処して良いか分からない横島は、しどろもどろになってしまう。
見兼ねたエミがつつつと横島に近付き、そっと耳元で「例の天使の件じゃないの?」と呟いた。
詳しく話を聞いてみると、エミの予想通りであった。今回の天使の一件、神族過激派の暴走なのだが、神族が人間に対し危害を加えた事に変わりは無い。しかも、デタント派にとって重要人物である横島の家をだ。
その事を知った天界は、それはもう蜂の巣を突いたような大騒ぎとなったそうだ。たかが人間と侮ってはいけない。横島は魔界側から見れば、デタント派の重要人物、新魔王ルシオラとは同じ魂を分けた双子とも言える関係である。つまり、この一件は魔界が天界を糾弾する理由に成り得るのだ。
問題は、それだけでは終わらなかった。天界側でも問題が発生したのだ。
魔界と違い、天界には『キーやん』、『ブッちゃん』、『アッちゃん』と言う三柱の指導者が存在する。
『八房』を追ってこの家を襲撃してきた天使は『キーやん』の派閥に属する訳なのだが、一方で横島の師である猿神は神族の中でも割とはぐれ者であるとは言え、一応『ブッちゃん』の派閥に属している。しかも、『ブッちゃん』の派閥には重鎮、竜神王が存在する。その息子の天竜童子は、横島と懇意だ。口約束とは言え、家来にすると言った事すらある。つまり、それだけ横島は『ブッちゃん』の派閥と縁が深い。
『キーやん』の派閥が、デタント派と反デタント派で真っ二つに割れているのに対し、『ブッちゃん』の派閥は、程度に差はあれど、全体的にデタント派でまとまっている。それだけに『キーやん』派閥の現状が歯がゆいらしく、一時期は一触即発の状態にまで陥ったそうだ。
「……とまぁ、そんな事がありまして、『竜神王からの見舞い金』と言う名目で、今回の被害の弁償をする事になったんです。本当ならば、『キーやん』様の配下の誰かが、その、直接伺うべきなのでしょうが……」
「は、はぁ……」
無言の横島に代わって返事をしたのは、彼の隣に座る愛子だった。正直なところ雲の上の話過ぎて、小竜姫の話を聞いてもいまいちピンと来ない。
とりあえず、彼女が先程言葉を選んでいたのは、どうやって謝意を伝えるかに悩んでいたと言う事は理解出来た。
神族達には立場があるため、自分達に非がある事が分かっていても、素直に頭を下げる事が出来ない。かと言って放置しておく訳にもいかず、こうして『キーやん』から『ブッちゃん』、『竜神王』を通じて、小竜姫が「見舞い金」を持って横島宅を訪れる事になったのだろう。
しかも、立場上「謝罪」する事は出来ないのだ。小竜姫が頭を悩ませ、結局無言で頭を下げる事しか出来なかったのも、そのためである。
「ま、神族もその辺色々と縛られとるもんだしのー。お上の面子の問題じゃし、この件で嬢ちゃんを責めるのは筋違いと言うもんじゃろ」
「確かに、小竜姫様が悪い訳じゃないですよね」
「そう言っていただけると、助かります……」
カオスと小鳩のフォローに、小竜姫だけでなく、背後に控えていた鬼門達も、再度深々と頭を下げた。
それにしても、恐ろしいのは複雑怪奇な横島の立場である。
神魔族双方に顔が利くため、神族過激派が手を出せば、こうして魔界が騒ぎ出す事になる。逆に、反デタント派魔族が手を出せば、今度は天界が動く事になるだろう。正に『天魔界の火薬庫』、『三界の一人バルカン半島』である。たまに『バカチン半島』と間違われるのはご愛敬だ。
しかし、同時にデタント推進のための重要人物である事も否定出来ない。妙神山ではデタントのテストケースとして神魔族が共に暮らしているのだが、魔族側からは横島の義妹であるパピリオが参加し、幽閉中の魔に堕ちた竜神、横島の『義娘』であるメドーサもこれに加わっている。そして、神族側は妙神山の主であり横島の師匠である猿神、姉弟子である小竜姫、それにオマケのヒャクメだ。驚くべき事に、神魔族の双方、それも全員が横島の関係者である。オマケのヒャクメですらも、横島とは親しいと言う徹底ぶりだ。デタントのテストケースは、実は人間界の各地で密かに行われているのだが、妙神山が一番上手く行っているケースであった。デタント推進のために横島が注目されるのも無理のない話であろう。
ちなみに、堅い、キツい、怖いと三拍子揃った女傑として知られていたワルキューレが、横島と関わる事で人当たりが柔らかくなったと言うのも、彼が注目される理由の一つなのだが、それは『キーやん』、『サっちゃん』のみの秘密である。
その最重要人物が小竜姫の話を聞きながら、何故無言だったかと言うと―――
「も、もうちょいで……!」
―――タイトスカートで正座をする小竜姫を前にして、もう少しで奥が見えるのではないかと目を凝らしていた。
ちなみに、今回小竜姫がスーツ姿で横島宅を訪れたのは、いつもの服で出掛けようとした彼女に対し、メドーサが名目上はどうあれ詫びるつもりで行くなら、普段着で行くのは止めろと忠告したためであった。
普段はいがみ合っている相手からの忠告とは言え、一理あると考えた小竜姫は、白装束に着替えて出掛けようとした。今度はヒャクメ、パピリオも加えた三人掛かりで止められる事になったのは言うまでもない。結局、人間界に潜伏し、暗躍していた経験があるメドーサの意見を聞き入れ、こうしてスーツ姿で訪れる事になったのである。
「こちらは、竜神王様からの見舞い金です。お受け取り下さい」
そう言って小竜姫はアタッシュケースを差し出した。横島は尚も小竜姫の足を凝視していたため、隣の愛子がその脇腹に肘鉄を食らわせて、彼の代わりに受け取る。
見舞い金と言う名目でこれを渡すと言う事は、中には札束でも詰まっているのだろうか。まるでサスペンスドラマの身代金のようだ。そんな事を考えながらケースを開いた愛子は、中から溢れ出す輝きに言葉を失ってしまった。
なんと、ケースの中には小判が詰まっていた。これは愛子だけでなく、小鳩、カオス、テレサの三人も絶句である。マリアだけは皆が何故驚いているかが理解出来ずに小首を傾げていた。ちなみに、小竜姫としては、本当ならば千両箱を風呂敷に包んで届けるつもりだったのだが、ヒャクメがスーツ姿でそれはないと言ってきたため、アタッシュケースに詰め替えたのである。
「よ、横島くん! 大変よ!」
「え? 何? 見えてないぞ?」
「そーじゃなくて! これ見て!」
「なんじゃこりゃ!?」
愛子は、小竜姫の足に注目していた横島をこちらへ呼び戻し、開いたケースを差し出して見せた。ここで横島も「見舞い金」の実態に気付いて驚きの声を上げる。小竜姫からの支払いと言えば小判。これが令子ならば何度かあった事なので驚きはしなかっただろうが、横島にとっては初めてなので驚くのも無理は無い。
しかし、これは家の修理をどうしようかと頭を悩ませていた彼にとって、救いの光明であった。これだけあれば、家を修理する事はおろか、建て替えても御釣りが来るはずだ。
これを差し出した小竜姫は、申し訳なさそうにもじもじして、上目遣いで横島を見ていた。しかし、横島達にとって彼女は救いの女神だ。横島は小竜姫の手を取り、ぶんぶんと大きく振りながら感謝の言葉を述べる。
その反応に、小竜姫はようやく肩の荷が下りたと、微かな笑みを浮かべるのだった。
ついでに横島は、小竜姫の手を取ったまま、タマモ達について尋ねてみる。
「あ、そう言えば、タマモとシロが『八房』を持って妙神山に向かってるはずなんですけど」
「そうなんですか? 入れ替わりになったのでしょうか……?」
しかし、小竜姫はタマモ達とは顔を合わせていないらしい。おそらく、タマモが面倒臭がって通常の交通機関を利用しているため、まだ妙神山に到着していないのだろう。
「そう言えば、天使の目的は『八房』でしたね」
「らしいの。そのついでにタマモ達も始末するつもりだったようじゃが」
正確に言えば、天使メッシャーの目的は、人間界で魔側に属する者達を始末する事だ。
もし、あの場にエミがいれば、彼女もターゲットになっていただろう。おそらく、『天魔界の火薬庫』横島が居たとしても、態度は変わらなかったはずだ。何故なら天使メッシャーは反デタントの神族過激派なのだから。
「フェンリル狼を復活させられるとなると、狙う気持ちも分かるなぁ。『神殺しの狼』っしょ?」
一方で横島は、『八房』を狙う天使に一定の理解を示した。実際にフェンリル狼が復活したのを目撃しているので、それを恐れる気持ちも分かると言うものだ。
この『八房』を恐れていたと言うのも、あながち間違いであるとは言えない。『神殺しの狼』は神族にとってそれだけ危険な存在なのだ。
「え〜っと、その『八房』を妙神山に持って行ったらどうなるのかな? 何か不味い事になるの?」
「本来ならば『八房』は、その製作者である人狼族が守るべき物ですが、今回は特殊なケースですので……おそらく、今回の騒動が解決するまで、斉天大聖老師が預かる事になると思います」
「解決したら、人狼族に返すと言う事ですか?」
「そうですね。本来の持ち主は人狼族ですから」
問題は、人狼族がそのまま『八房』を守っていた場合、神族過激派が人狼族を襲撃する可能性があると言う事だ。その事を考えれば妙神山に持って行くと言うのは妙案であった。
もしかしたらメッシャーが所属する神族過激派が引き渡しを要求してくるかも知れないが、猿神ならば断固としてそれを拒否するだろう。こうなれば神族同士の問題となり、猿神が責任を持って保管するとなれば、神族過激派もそれ以上は何も言えなくなるのだ。
「状況が状況ですので、タマモさんとシロさんも、しばらくこちらで預かる事になるでしょう。お二人の事は、私達に任せておいてください。せっかくですから、修行者として面倒を見ますよ。……特に、タマモさんは、念入りに、あの根性を叩き直しましょう」
そう言って小竜姫は不敵に笑った。実のところ、小竜姫とタマモは相性が非常に悪い。生真面目な小竜姫に対し、ずぼらなタマモの性格はメドーサに近いものがある。小竜姫とメドーサの関係を考えれば、二人の相性が悪いのは、ある意味当然の事であった。
シロとメドーサは今回が初対面になるが、シロもどちらかと言えば生真面目で小竜姫に似た面を持っている。この二人が顔を合わせれば、やはり小竜姫とタマモのようになるのかも知れない。
「あの、よろしくお願いします」
「ハイ、任せてください」
にっこりと笑顔を残し、小竜姫達は妙神山へと帰って行った。
神族過激派の動きは不安ではあるが、それ以上に小竜姫達は信用出来る。タマモとシロの事は心配だが、そちらに関しては小竜姫達に任せるしかあるまい。
こうして、『八房』の始末や、資金面に関する様々な問題はクリア出来た。後は、今夜の寝床と家の荷物をどうするかだ。
引っ越し業者でも呼ぶべきか、そんな事を考えていると、横島が電話をするよりも早くに、横島宅の前に大きなトラックが停まる。何事かと思い横島が家の前に出ると、その耳に独特の間延びした声が届いた。
「あら〜、横島くん〜。大変だったわね〜」
六道夫人である。小鳩のバイト先の店主が、横島宅の騒ぎに気付いたように、彼女もまた、この家の騒ぎに気付いていたらしい。そして、家の状況を把握し、後片付けを手伝おうと、こうしてやってきたと言う訳だ。
「いったい〜何が〜あったのか〜、おばさまにも〜教えて〜欲しいのよ〜」
無論、六道夫人も、ただ手伝うためだけに自ら出向いた訳ではない。それなら、むしろ冥子と一緒に六女の生徒達をボランティアと称して送り込んでいただろう。彼女の目的はエミと同じく神族過激派に関する情報であった。
「え、え〜っと……」
「神族過激派は〜、ウチにとっても〜他人事じゃ〜ないのよ〜」
魔に属する者をひたすらに始末しようとする神族過激派。これは式神使いも例外ではない。式神は元々鬼である者が多い、従って過激派の理屈によれば式神使いは魔を従える者達なのだ。間違っているとは言い難い理屈である。
つまり、六道家も当事者だ。そう判断した横島は、天使が元々『八房』を追い掛けて来た事、そして今はタマモとシロがそれを妙神山に運んでいる最中である事を伝えた。
その話を聞いた六道夫人は、天使メッシャーを撃退した事で、騒動が一段落ついている事にほっと胸を撫で下ろしていた。ひとまず、態勢を整える時間はありそうだ。
安心したところで、六道夫人は本題に入る。
「それにしても〜、ボロボロに〜なっちゃったわね〜」
家を見上げながら呟く夫人。その顔はにこやかだ。
「修復するにも〜お金が〜掛かるでしょ〜? 横島君さえ〜よければ〜、おばさまが〜援助するわよ〜?」
ここぞとばかりに横島に恩を売るつもりらしい。確かに有り難い申し出だ。小竜姫からの見舞い金がなければ、他に選択の余地はなく、この話に飛び付いていたかも知れない。
「い、いや、竜神王からの見舞い金が届いたんで、そこまでしてもらわなくても大丈夫っスよ」
「あら〜、そうなの〜?」
とにかく、資金面の問題は既にクリア済みなので、その事を六道夫人に伝える。すると、彼女はさほど残念そうじゃない様子でころころと笑った。トラックを用意してここまで来たと言う事は、目的はそれだけでは無いのだ。
「それじゃ〜、修理の〜間の〜仮住まいは〜どうするの〜? 良ければ〜、ウチに〜来ても〜いいのよ〜?」
これだけ被害が大きいと、修理するにも本格的に工事する必要がある。となると、その間横島達はどこか別の場所に仮住まいを用意する必要があるのだが、六道夫人は、ならばその間六道家に居候すれば良いと言い出した。
どちらかと言えば、これが本命だったのだろう。有り難い申し出だ。冥子と一つ屋根の下と言うのは、色々と身の危険も感じるが、美味しい話ではある。何より、思惑はどうあれ、六道夫人は横島を歓迎しようとしている。
しかし、これは明らかに罠だ。この道を一歩進んだら最後、退路を完全に断たれてしまう。今の横島は、美味しそうな餌がぶら下げられた罠の前をうろうろするタヌキであった。
「………」
承諾するのも怖いが、断るのも勿体ない。横島は返事する事が出来ずに無言のまま立ち尽くした。六道夫人はニコニコとそれを見守っている。
その様子を伺っていたエミは、六道夫人の思惑も、横島の葛藤も手に取るように理解出来た。口出しすべきかどうか迷ったが、下手に横槍を入れると六道夫人の矛先が自分に向く可能性があるので、ここは黙って見守る事にした。
そして、六道夫人は更にもう一押しする。
「ウチの〜冥子も〜、神族過激派に〜狙われる可能性があるのよ〜」
「そ、そうなんですか?」
横島が助けを求めるように、チラリと視線をエミへと向ける。こっちに振るなと返してやりたかったエミだったが、ここは素直の本当の事を伝える事にする。つまり、肯定だ。十二神将と言う強力な鬼は、明らかに魔に属する者達である。神族過激派がこれを狙う可能性は少なからずあった。
「横島君〜、冥子を〜守ってあげて〜くれないかしら〜? おばさま〜、心配なのよ〜」
これは紛れもない本音であろう。
つまり、六道夫人の思惑は、これを機に横島を六道家に取り込もうとするのと同時に、冥子を守る護衛が欲しいのだ。
十二神将を率いる彼女にそんなものが必要なのかと言う意見もあるだろうが、冥子の場合はそう言う強さとは別に、まず心が弱い。だからこそ、横島を側に置いておきたいのだろう。最近の冥子が、横島に信頼を寄せている事は親の目から見ても明らかである。
「〜〜〜っ!」
これは効果覿面であった。横島の心は揺れまくりだ。
このままでは陥落も時間の問題かと思われたその時、横島の脳裏に起死回生の策が閃いた。
「ちょっと待ってて下さい」
横島はそう言って携帯電話を取り出すと、その場を離れてどこかに電話をし始める。
どうやら、電話を掛けた相手に、天使襲撃の件について説明しているようだ。やがて説明を終えた横島は、電話を切り六道夫人の前に戻ってくる。
「それじゃ、しばらくお世話になります」
「ありがと〜歓迎するわ〜。ところで〜、誰に〜電話してたの〜?」
「美神さんっスよ」
自信満々に胸を張って、横島は答えた。
「エミさんに冥子ちゃんも巻き込んで、美神さんに内緒にしてたら、後でぶっ飛ばされますからね〜」
「ちょっ!?」
あえて傍観者に徹していたのに、いきなり巻き込まれてしまいエミは抗議の声を上げる。
そう、これこそが、横島の起死回生の秘策であった。「横島」と「六道家」と言う二者だけの話にしてしまうから不味いのだ。エミや令子も巻き込んでしまえば「GS達」と「六道家」の話となる。
少なくとも同じく神族過激派に狙われる可能性があるエミは、巻き込める可能性が高いだろう。令子が来てくれるかどうかは微妙なところだが、魔族メフィストの生まれ変わりである事を理由に狙われる可能性もあるならば、彼女も巻き込まれてくれる可能性はある。
「はぁ〜、しょうがないワケ。確かに、身を守るには皆一緒の方がいいだろうし」
案の定、エミは頭を掻きながらも巻き込まれる事を承諾してくれた。
「やるわね〜、横島君〜」
その呟く六道夫人の表情は、むしろ横島の機転に感心した様子であった。
ここで一気に横島を六道家に取り込むと言う策は成らなかったが、少なくとも家を修理する間、六道家に居候する事に関しては承諾させる事が出来たのだ。第一の目標はしっかり達成出来ているのだから、六道夫人にとって損はない。
「それじゃ〜、荷物を〜運んじゃいましょうか〜」
「了解っス!」
話はまとまったので、後は行動あるのみだ。横島達は、早速引っ越しの準備に取り掛かる。
事務所としている部屋や、カオスの研究室には色々と霊具の類も置いてあったが、これらも全て六道夫人が責任を持って預かってくれるらしい。
サングラスを掛けたハニワ兵が全てのハニワ兵を集めて戻って来たので、そちらも総動員しての突貫作業だ。日が暮れるまでに準備を終えなければならない。
ハニワ兵達の作業を眺めながら、六道夫人がにこやかな笑顔で横島に声を掛けてきた。
「横島君〜。冥子の護衛も〜、引き受けてくれると〜考えていいのね〜?」
「そうっスねぇ、俺で良ければ」
「ありがと〜、おばさま〜一安心だわ〜」
六道夫人は安心した様子だ。やはり、娘の事が心配だったのだろう。
「それじゃ〜、明後日から〜よろしくね〜」
「明後日? 何かあるんスか?」
安堵の笑みを浮かべる六道夫人に対し、横島の笑顔はだんだんと引き攣ってくる。
六道夫人の裏をかき、出し抜く事が出来たと思っていた。しかし、それは甘かったのではないか。まだ何か裏があったのではないか。だんだんと心の中で不安が渦巻き始める。
そして、六道夫人は本日最後の爆弾を投下した。
「六道女学院の〜臨海学校が〜、明後日からなのよ〜」
「……へ?」
実は、六道夫人は嘘は言っていないのだが、一つだけ横島に伝えていなかった事がある。
十二神将が魔側に属する。これは本当だ。
神族過激派が動けば、冥子も狙われる可能性がある。これも本当だ。
しかし、竜神王が動いている今、再び動くのかと問われると首を横に振らざるを得ない。
メッシャー以外の神族過激派がいたとしても、この状況で『三界の一人バルカン半島』に手を出す者はいないだろう。メッシャーの襲撃により、竜神王を始めとするデタント派神族も目を光らせているのだ。下手に動けば他の神族からタコ殴りにされるのがオチである。
実のところ、横島は敵の襲撃から冥子を守るための護衛ではなく、そもそも敵に襲撃させないための護衛であった。
「冥子も〜インストラクターとして〜同行するから〜、横島君も〜一緒に〜行ってね〜」
「なんですとおぉぉぉぉぉッ!?」
ちなみに、横島から竜神王の話を聞かなければ、神族過激派の存在を理由に冥子を臨海学校に同行させるのは中止にして、横島と二人で身を隠させるつもりだったらしい。どちらにしても、六道夫人には損が無いと言う事になる。
何はともあれ、この状況下で予定通りに冥子を臨海学校に同行させつつ、生徒の安全も確保すると言う六道夫人の策は、これで成った。
完全にしてやられた。やはり、六道夫人の方が一枚上手だったようである。
つづく
あとがき
霊障による被害は保険の対象外である。
『冥界』に関する各種設定。
神族のパワーバランスに関する各種設定。
これらは『黒い手』シリーズ独自の設定です。ご了承ください。
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