06　史上最大の臨海学校（後編）

　横島達が海岸に到着した時、砂浜は既に雑霊達に埋め尽くされていた。海岸に程近い道の脇に車を止め、一行は上着を脱いで水着姿になる。令子は黒の、エミは白のビキニだ。色こそ正反対だが、デザイン自体はよく似ている。二人で示し合わせた訳ではなく、単なる偶然なのだが、なんとも映えるコントラストである。
　その美の女神もかくやと言わんばかりのプロポーションに横島は思わず「おおっ！」と身を乗り出して目を見開くが、見られている令子達が真剣な表情を崩さず意に介していない様子で、見ている横島の方がいたたまれなくなってしまった。
　令子とエミ、そのままでは霊に触る事も出来ないテレサは、まず後部のラゲージスペースから除霊具を出さなければならない。自前の霊能力だけで戦える横島と冥子は、その時間も惜しいと考え、二人で先行して霊団に攻撃を仕掛ける事にする。
　冥子の水着は、出発前日に横島が選んだ物だ。可愛らしい花柄のワンピースである。
「横島君〜。どの子を呼べば〜いいかしら〜？」
「え〜っと、ここはバサラで！　すぐに美神さん達も来るし、バスの皆も到着する！　それまでに出来るだけ数を減らすんだ！」
「分かったわ〜。バサラちゃ〜ん〜！」
　冥子の影から黒い毛に覆われた巨体が姿を現す。頭に小さな一対の角と、意外につぶらな目を持つ式神、バサラだ。霊を吸引する能力を持つ彼は、このような雑霊の群を相手にするのに持って来いである。大量に吸い込み続けると、満腹になってしまうと言う欠点もあるが、令子達が来るまでの間ならば、まったく問題は無いだろう。
「不意打ち食らって出遅れちまったな。街にまで行ってないだろうな？」
「大丈夫よ〜。外の結界が切れるこの時期は〜、内側に予備の結界を張る事になってるから〜。霊は砂浜までしか入れないわ〜」
　大して強くない霊と言っても、生徒達を中心にそれを迎え撃つのだ。当然、もしもに備えての保険は掛けてある。霊が上陸する海水浴場と街の境目に予備の結界を仕掛け、本来の結界が再び張り巡らされるまで、霊が街に侵入するのを阻むのだ。不意を突かれた霊団の奇襲であったが、今回はその保険が功を奏した事になる。
　二人がバサラを連れて砂浜に出ると、辺りは空も海も見えない程に雑霊に覆われていた。冥子曰く、いつもならばヒシャクを持った舟幽霊や、甲羅部分に顔を持つ平家ガニ、魚の姿をしているのにヒレで刃物を持って襲い掛かってくるメロウと言った妖怪の類も現れるらしい。それが何故今年は雑霊しか現れないのか。横島は疑問を抱くが、今はそれどころではない。バサラの吸引能力が届かぬ背後を守るように、横島は両手に出現させたサイキックソーサーを群に投げ付けた。雑霊が集まっている所でソーサー同士がぶつかり合い、霊力の奔流が爆炎となって周囲の雑霊達を薙ぎ払っていく。
　しかし、その一撃で雑霊の群にぽっかりと空いた穴を、後から後からと溢れ返す雑霊達がすぐに埋めてしまった。
「こりゃキリがないな……」
「いつもなら〜一晩掛けて〜みんなで戦う相手だもの〜。すぐには倒せないわ〜」
　つまり、いかに横島と冥子が強くても、二人だけでどうにかするのは無茶だと言う事だ。
　それにしても、冥子は意外にも、のほほんとした笑顔で余裕すら見せている。こう見えても彼女は毎年この除霊に参加しているのだが、いつ暴走するか分からない不発弾のようなもので、いつも一人で一方を担当させられていたのだ。それが今回は横島が隣に居てくれる。彼女の余裕は、その安心感故であった。

「お待たせっ！」
　令子達も除霊具の準備を終えて駆け付けてきた。令子は右手に神通棍、左の手首に破魔札ホルダーを装着している。エミは神通棍と同じように霊力を込めて攻撃する事が出来る大きなブーメランを持っていた。更に、二人だけでなく冥子も含め、三人揃って精霊石をあしらったイヤリングにネックレスを身に着けている。魔族相手にも効果がある彼女達の切り札だが、今回に限って言えば、普段から身に着けているアクセサリーとしての意味合いの方が強い。流石に雑霊相手にこれを使う事はないだろう。
　そして、防水装備に身を固めたテレサは、木製の立て札の束を抱えている。破魔札と同じような文字が書かれているが、横島は初めて見る除霊具であるため、それが何なのかが分からない。
「テレサ、なんだそりゃ？」
「……生徒達が来る前で良かったわ。そんなみっともないところ見せずに済んで」
　テレサが抱えてきた立て札は、『簡易結界札』と呼ばれる除霊具だ。地面に打ち込み立てるだけで結界の効果を発揮すると言う、緊急時に役立つ物である。ただし、一本立てたぐらいではあまり効果を持たず、字が書かれた部分を一方向――この場合は海に向けて、一定間隔で線を描くように立てていく事によって巨大な結界を張る事が出来る。今回のような大人数での大規模除霊においては、安全地帯を確保するために必須の除霊具であった。
「あそこよ〜。あそこで〜、お母様が全体の指揮を取ったり〜怪我人の救護をしてるのよ〜」
　冥子が、雑霊達にまとわりつかれた一つの建物を指差す。仮設で建てられたであろうその小屋は、今は全ての扉が閉められている。海開きの後に海水浴に来た人達の憩いの場となる海の家だ。
　本来ならば海開きに合わせて建てられるのだが、六道夫人が全体の指揮を執ったり、怪我人を救護する場所が必要になるため、除霊実習に合わせて建てられている。
「よし、バスが到着するまでに海の家を確保するわよ！」
「扉はどうします？　カギ掛かってるんじゃ？」
「今は放っときなさい」
　雑霊と言えども霊は霊。扉を閉めていても中に入り込んでいる可能性もあるが、それについては海の家周辺一帯を確保してから考えれば良いだろう。確保した後になっても六道夫人達が到着していないなら、それから改めて扉を破って中に入るか考えれば良いのだ。
「まずは結界を張って、あの一帯を確保するワケ！」
「分かったわ。結界札を立てるのは任せて！」
「横島君、文珠は温存しときなさいよ！　何があるか分かんないんだから！」
「了解っス！」
「それじゃ〜、一緒に行きましょ〜」
　結界札を立てるのはテレサに任せ、横島と冥子、令子とエミの二組に別れて周囲の除霊を一掃していく。令子とエミ、普段はライバル関係にある二人だが、部屋が一緒でも何も言わなかったように、仕事に私情を挟む事はない。逆に言えば仕事に支障を来さないレベルであれば私情が入りまくると言う事でもあるが。天使の襲撃を警戒していると言うのもあるだろう。なんだかんだと言って互いの実力は認め合っているのだ。
「うりゃっ！」
　本来ならば一人が支え、もう一人が木槌で地面に打ち込んで使う結界札を、テレサは次々に片手で打ち込んでいく。横島達の活躍もあってみるみる内に結界が構築されていった。そして、海の家をぐるっと囲む結界を張り終わる事には、六女の生徒達を乗せた数台のバスが到着していた。
「準備出来た子から、どんどん来て！」
　本来ならば時間に余裕を持って、砂浜に入る前に全員を集めて点呼を取ってから、それぞれ担当のインストラクターと一緒に除霊実習に当たる事になるのだが、流石に今回はそんな事をしている暇は無い。
　準備が出来たクラスからバスを降り、順々に砂浜に入っては令子達の指揮下に入り除霊実習に参加していく。
「霊体ボウガン班は両翼に展開！　どんどん撃つワケ！！」
「結界工作班、急いで！」
　胸元に「六道女学院」と書かれた学校指定の水着姿の少女達が次々に駆け寄ってくる。それは横島にとっては夢のような光景だったが、残念ながら今は夢見心地に浸っている暇はなかった。
「冥子ちゃん、あともうひとふんばりだ。行くぞ！」
「分かったわ〜！」
　まず生徒達によって結界防御ラインが築かれる事になっている。予定では霊団が砂浜に到着するまでに行うはずだったが、こうなってしまった以上、実戦の中でそれを行うしかあるまい。
　令子とエミが指示を飛ばし、少女達の半数は、二人一組となって一人が結界札、もう一人が大きな木槌を持って防御ラインを構築していく。残りの半分は霊体ボウガンを持ってそれを援護だ。
「どうなる事かと思ったけど〜、この調子なら何とかなりそうね〜」
　全体の指揮を執るために海の家に入った六道夫人は、結界防御ラインが構築されていく様子を眺めながら、ほっとした様子で呟いた。
　奇襲の報告を受けた時はどうなる事かと思ったが、令子達をインストラクターとして参加させられた事が結果として良い方向に回ったようだ。当初は横島だけでも連れて行ければ良いと思っていたが、一部の生徒には非常に慕われていても全体での知名度は低い彼だけでは、ここまで上手くはやれなかっただろう。
「それにしても〜、誰がこんな事を考えたのかしらね〜？」
　令子とエミがいなければどうなっていたか。それを考えると頭が痛くなってくる。
　霊団の奇襲など、六道家がこの地に結界を張り、年に一度の除霊を行うようになって以来、一度として無かった事だ。それが何故、今年になって急に行われたのか。そこに何者かの意志を感じ取った六道夫人は、思わず眉を顰めるのであった。

　生徒達は実戦の中での作業と言う事で緊張していた様子だったが、横島達の奮闘もあり、雑霊に邪魔される事なく作業を進めていく。流石に大人数でやると早い。テレサの助力もあってみるみる内に海の家を中心に半円を描く防御ラインが完成した。
「結界防御ライン、設置完了しました！」
「これで食い止められるわ！　各自、全力で応戦しなさい！」
　戦いの中心となっているのは令子とエミの二人だが、なにもインストラクターは彼女達だけと言う訳ではない。令子達が担当するクラス以外は、六女の講師を含む別のインストラクターが率いている。実際、どのクラスを担当するかについては令子達に引率して欲しいと言う希望者が殺到した事により抽選が行われたそうだ。
　ちなみに、それと同時に冥子が担当するクラスについても決められたのだが、彼女の人気はやはり令子達程では無かった事を追記しておく。
　最近は暴走する事も少なくなったとは言え、一度ついたイメージを払拭するのは難しい。良くも悪くも、それだけ彼女が生徒達から恐れられていると言う事であろう。
「横島さん！　結界を張り終えましたので、横島さんの指揮下に入ります！」
「おう、ご苦労さん！」
　クラスメイトと共に駆け寄ってきた張霞（チャン・シア）が、若干興奮気味に頬を染めながらペコリと頭を下げた。彼女達Ｄ組が横島と冥子が担当するクラスだ。
　当然、クラス対抗戦時に着ている霊衣ではないため、帽子も被っていないが眼鏡は健在である。こうして改めて見てみると、生真面目なクラス委員長タイプに見えなくもない。
　しかし、実際のクラス委員長は彼女ではなく薬師堂有喜の方らしい。本来ならば彼女こそが横島に挨拶しなければならないのだが、駆け足で行ってしまった霞に先を越されてしまったと言う訳である。
　霞は横島除霊事務所の引っ越し祝いのパーティに乱入し、横島から練習用のキョンシーを指揮するための木剣をプレゼントされて以来、彼を心の師として慕っている。抽選で冥子の担当と決まり、どんよりしている所にその彼が冥子の補佐に付くと聞かされて、文字通り地獄から天国の気分を味わったのだから無理もない。有喜はやれやれと苦笑するばかりだ。
　霞は化け猫の妖力を受け継いで霊能力に目覚めたはずなのだが、猫より犬の耳とシッポの方が似合いそうに思えるのは、きっと気のせいではあるまい。
　とは言え、クラス委員長としての役目を放棄する訳にもいかないため、霞の隣に立ち改めて横島の指揮を仰ぐ事にした。
「横島さん、指示をお願いします」
「お、おう……」
　フランス人とのクォーターでありながら生粋の和風お嬢様と言う一風変わった経歴を持つ有喜は、メリー程の圧倒的なボリュームは無いものの、均整の取れたスタイルを誇る。しかも、彼女は普段から長いスカートを穿いておりガードが堅い。そんな彼女が水着姿で指示を仰いでくる。横島も真面目にやらねばと考えているのだが、そのギャップも思わずどぎまぎしてしまった。
　とは言え、色白の眩しいフトモモを、いつまでもマジマジと見ている訳にはいかない。横島はゴホンゴホンとわざとらしく咳払いをしながら視線を逸らし、海の方を見た。
「！　なんだありゃ！？」
　すると視線を逸らした先の沖合に大きな影が見えた。なんと、沖合から巨大な怪魚の群がこちらに近付いて来ている。横島達の奮闘のおかげで、雑霊の群については一段落付きそうだが、これで終わりと言うのは甘い考えだったようだ。
「ひしゃくー、ひしゃくくれー」
「もう持ってるけどなー」
　しかも、その口の中には無数の舟幽霊の大群が居る。雑霊の群はあくまで露払い、ここからが本番だと言うのだろうか。
「迎撃準備ーッ！　前に出て戦える子は俺と一緒に来てくれ！　それ以外の子は結界の向こうから近付いて来る連中を迎撃するんだ！！」
「わ、分かりました！」
　前に出て戦うタイプと、後ろから援護するタイプ。いざ分けてみると、前に出て戦うタイプは非常に少なかった。除霊科の生徒とは言え一年生。経験も浅く、霊力が使える以外は素人とほとんど変わらないのだから当然の事なのかも知れない。クラス代表戦に出る霞と有喜も『キョンシー使い』と『防御結界使い』であり、後方から援護するタイプだ。
　結局、横島と共に行くのは、クラス代表の残りの一人、舞浜静美を含む五名だけだった。横島が見たところ、皆可愛い――ではなく、安心して見てられるのは静美だけのようだ。他の四人に関しては、横島が目を離さずにフォローする必要があるだろう。
「静美ちゃん、行けそうか？」
「……任せて！」
　横島の問い掛けに、静美は神通棍を伸ばして短く答える。彼女は基本的に寡黙だ。横島の家で修行している時もそうなのだが、物静かに黙々と修行している事が多い。おかげで、クラスが異なる友人、香月姫から「ジミー」とあだ名を付けられている。実際、長い前髪で目元を隠している彼女は、一見して長い髪とそばかすぐらいしか印象に残らない。はっきりと言ってしまえば「地味」だ。
　横島も言葉を交わす事は少ないのだが、修行に対する姿勢は非常に真面目であり、前髪に隠された瞳には強い意志が宿っている事を知っていた。
　その表情からは分かりにくいが、神通棍に霊力を込めた際に聞こえる「キン！」と言う音から彼女のテンションが高まっている事が伝わってくる。

「横島君〜、バサラちゃんは〜そろそろ限界よ〜」
「それじゃ、冥子ちゃんは結界の内側のグループの方を頼むよ。敵は小さいのが多いそうだし、バサラは引っ込めてサンチラかアジラで」
「分かったわ〜。アジラちゃ〜ん」
　バサラはそろそろ満腹なので、一旦影の中に引っ込める事にする。二番手に横島が指名したのは広範囲に電撃で攻撃する事が出来る蛇の式神であるサンチラと、火を吹き、石化能力を持つ、トカゲのような姿をした竜の式神、アジラだ。冥子は、サンチラは以前横島とテレビ出演した際に喚んだので、今回はアジラを喚ぶ事にした。
　彼女の式神、十二神将は非常に強力だが、一定の力を使い果たしたら影に戻ってしまうと言う弱点を持つ。しかし、そんな強力な式神を操る冥子の霊力はその限りではない。こうして状況に応じて使う式神を絞れば、彼女は意外にも長期戦もこなすのである。
「それじゃ、俺は行くけど……大丈夫だよな？」
「大丈夫よ〜。いってらっしゃ〜い〜」
「霞ちゃん、有喜ちゃん、ここは任せたぞ〜！」
　にこやかに、ひらひらと手を振る冥子。そんな彼女に見送られながら、静美達を引き連れて走って行く横島。残される霞や有喜が心なしか引き攣った表情をしているのは気のせいではあるまい。
　地獄から天国だと思っていたのに、また突き落とされてしまった。しかし、次に落とされる場所が地獄かどうかは微妙なところだ。横島の言う通り、アジラしか出していない事もあり、彼女自身が傷付けられる事でもなければ、暴走する可能性は低いだろう。
「やるわよ、有喜。横島さんの期待に応えるためにも！」
「……そうね。結界があるから、冥子先輩を守るのは難しくないわ。私達の力でやってみましょう」
「あの〜、私の方が守られてるのは〜気のせいかしら〜？　私〜インストラクターなんだけど〜？」
　生徒達を任されたはずなのに、いつの間にか生徒達に任されてしまっていた。横島とは異なり自分がフォローされる立場である事に気付いた冥子の頬を一筋の汗が伝うのだった。


　一方、令子とエミは生徒達と連携して迫り来る妖怪達を次々に撃退していた。こちらも既に雑霊の姿はなく、平家ガニやメロウが姿を現している。
　地を這う平家ガニに、見た目は可愛らしいメロウ。どちらも別々の理由で攻撃しにくいため、生徒達には投網も使って対応させていた。
　自らが先陣を切って皆を引っ張っていく令子に、後方から皆に指示を飛ばし、必要に応じてフォローを入れるエミ。やり方は異なれど、どちらも上手く生徒達を指揮していると言えるだろう。
　ちなみに、くじ引きの結果、令子は早生成里乃率いるＡ組、エミは逢大和率いるＧ組を担当している。

「それにしても妙ね……」
「な〜んかおかしいワケ」

　最前線と後方、離れた二つの場所で令子とエミは似たような内容を同時に呟いた。
　二人はこの除霊実習に参加するのは初めてだったが、話に聞いていたのとは明らかに異なる、統制の取れた妖怪達の動きに違和感を感じたのだ。これは彼等だけで出来る動きではないと。
　今のところ、横島と冥子のＤ組、令子のＡ組、エミのＧ組、それにおキヌ、かおり、魔理が奮闘しているＢ組は、上手い具合に迎撃出来ている。しかし、他のクラスは際限なく現れる敵の物量に若干押され気味であった。
　このままでは時間の経過と共に不利になっていく。だが、今ならば引っくり返す事も可能だ。

「早生さん、ここお願い！　敵の攻撃が激しくなったら、結界まで引いて防戦に徹して！」
「逢！　ちょっと行ってくるから、ここ頼むワケ！」

　この戦況を引っくり返すために行動を開始する。奇しくも、二人が決断したのもまた同時であった。
　令子は後方のエミにその事を伝えるために踵を返し、エミは最前線の令子に会うべく結界から飛び出したため、二人が顔を合わせたのは丁度その中間点であった。目が合った瞬間、二人は互いに同じ事を考えていると察する。神妙な面持ちで頷き合うと、二人は早速行動を開始する事にした。
　二人で海の家に駆け込むと、六道夫人は「ボートなら用意してるわよ〜」とにこやかな笑顔を見せた。彼女も早い内から沖合に居る何かの存在に気付いていたらしく、船を手配していたのだ。
「それじゃ〜、二人にお願いしようかしら〜」
「勿論よ。船を用意する手間が省けて助かったわ」
「Ａ組とＧ組のフォローを頼むワケ」
　こうして、令子とエミの二人が沖合に潜む妖怪軍団の大将であろう何者か――海坊主を退治しに行く事になった。相手が海中に居る事も考えられるため、六道夫人は潜水用の装備も揃えてくれている。ただし、時間が無いため一人分しか用意出来なかったようだ。
「………」
「………」
　ボートに積まれた潜水装備を前にして無言で立ち尽くす二人。状況を考えるに、どちらかがボートを運転し、残った一人が潜水装備を身に着けて沖合に到着した所で、潜って海坊主と戦う事になる。
　その瞬間、二人は横島を連れて来るべきだったと考えたが、後の祭りである。
　では、どちらが海に潜るのか。二人がその場で白熱したジャンケンを繰り広げるのは、それから数秒後の話である。

「く〜〜〜っ！　あの時、チョキを出してれば！」
「ほっほっほっ、おたくは早く潜る準備をしてるワケ！」
　ジャンケンの結果、エミが運転を担当し、令子が潜る事になった。流石に「やっぱり三回勝負！」と言う時間はないため、令子は諦めて酸素ボンベを背負い、足ヒレを履く。
　エミは見鬼君を頼りに妖怪軍団を指揮する大将を探してボートを発進させる。
　念のために腰のベルトに差して行くが、水中では神通棍は使いにくいだろう。メインとなる武器は破魔札だ。紙製だが、水に濡れてもすぐに使えなくなる訳ではないので、その点については心配いらない。
「そろそろ到着するワケ！　令子、準備はいい？　反応の真上に止めるから、すぐに行きなさい」
「あーもう！　いつでもいいわよ！　やってやろうじゃない！」
　半ばヤケになって答える令子。そのまま勢い良く海に飛び込もうと身構えた瞬間、不意に空が明るくなったため、何事かと顔を上げて空を見る。
「ッ！？　緊急回避！！」
　令子がそう叫んだ瞬間には、既にボートは動き出していた。その急激な動きに思わず振り落とされそうになるが、それに文句を言う事も出来ない。
　エミも空を見上げて気付いたらしい。上空から落ちてくる光球の存在に。


　その頃、ボート直下の海中では、海坊主が敵の防御ラインの一角が崩れたとの報告を受けて快哉の声を上げていた。
　彼の周りには船乗りの装いの悪霊達がおり、彼等もまた喜びの声を上げている。
「ククク……圧倒的じゃないか、我が軍は……ッ！？」
　だが次の瞬間、上空から落とされた光球が、何が起きたのか理解する間も与えずに、海坊主を周囲の悪霊達ごと飲み込んでしまった。


「な、何が起きたワケ？」
「さぁ……？」
　何とか回避を成功させた令子達の眼前に広がるのは、沸騰して泡立つ海面だった。
　令子達は海中に何が居たのかも知らなかったが、妖怪軍団の大将があの光球からは逃れられなかったのだと言う事は理解出来た。
　見鬼君も、海中に対しては何も反応を示さない。先程まで大将以外にも複数の存在を感知していたが、それらもまとめて光球の餌食になってしまったのだろう。
「って、反応してるわよ？」
　ただし、見鬼君は何の反応も示さなくなっていた訳ではない。むしろ、今も現在進行形で強力な存在を察知している。
　だが、これは海中ではない。むしろ逆、見鬼君のレーダーは上空に何かが存在している事を現していた。
「じょ、上空に何か居るんだって」
「それは分かったから、とっととスイッチ切るワケ。うるさいわよ」
「そ、そうね」
　言われてスイッチを切ると、見鬼君はピタッとその活動を停止した。先程までうるさく反応していたのに、急に静かになってしまっため、沈黙に耳が痛くなるような錯覚を覚える。
「……で、どうする？」
「どうするって言ったって……待ってみる？　助けてくれてありがと〜って」
「『どういたしまして〜』って、さっきの光球が飛んで来ても知らないワケ」
「………」
「………」
　沈黙が痛い。
　実のところ、令子達は上空に居る存在に察しがついていた。ただ、それを認めたくないのだ。
　しかも、彼女達の霊感は、それがゆっくりとこちらに近付いて来ている事も察知していた。このままでは雲の向こうから「それ」が姿を現すのも時間の問題だろう。そう、神族過激派の天使が。

「……逃げよっか？」
「その方が良さそうなワケ」
　互いに顔を見合わせて頷き合うと、二人はボートを急発進させて海岸へと急いだ。
　このまま海岸に向かい、天使が後を追ってくれば、砂浜に居る生徒達が危ないのは分かっている。しかし、このままでは自分達の身が危ないのだ。こんな船上で襲われたら流石の彼女達でも一溜まりもないだろう。
　天使が来るよりも早くに砂浜に辿り着いて、生徒達を避難させる。そして、自分達は横島達と合流するのだ。これしかないだろう。
「エミ、精霊石借りるわよ」
　令子は運転中のエミの首に手を回し、ネックレスに付けられた精霊石を取り外す。続けてイヤリングに付けられた精霊石も外し、いつでも投げられるように手に持った。もし、あの光球が再び放たれれば、これ以外に対抗手段が無い。
　当然、運転中のエミは光球を迎撃する事など出来るはずがない。それが分かっているので、彼女もされるがままであった。
「撃って来ない事を祈るしかないわね……」
　そう呟く令子の表情は、奇しくも強力な魔族に遭遇した時のそれと同じであった。

あとがき
　六道家と六道女学院に関する各種設定。
　小間波海岸では、沖合の結界が消える間は、砂浜と街の間にも予備の結界を張っている。
　左手首に破魔札ホルダーを装着する、美神家伝統の片手投げスタイル。
　テレサのボディは、素材は異なるが、マリアと同型。
　これらは『黒い手』シリーズ独自の設定です。ご了承ください。