「『百鬼夜行』て言う割には、百超えてない…?」
「アスナさん、百鬼夜行と言うのは魑魅魍魎の行列のことであって、厳密に百いると言うわけではありませんわ」
「およそ百とは言われてるらしいけど」
愚痴るアスナに、背中合わせに構えていたあやかとフライパンを持った千鶴がツっこみを入れる。
オカルト関係の知識ではあるが、この辺りは雑学の範疇らしく、バカレンジャーのアスナでは、クラスでもトップクラスの頭脳を持つ二人には敵わない。
「現実にはまだまだ終わらないってわけかー!」
悲鳴のような叫び声を上げつつ、アスナは近寄って来た無数の妖怪達を横薙ぎに消し飛ばした。
その手に燦然と輝くのは彼女のアーティファクト『ハマノツルギ』。見た目はただのハリセンだが、召喚された者を強制的に送還してしまうと言う、百鬼夜行のような式神にとっては悪夢のようなハリセンである。
「私やあやかが倒したのは、すぐに起き上がってるみたいね」
千鶴の言う通り、先程フライパンで叩いたばかりのうさぎのぬいぐるみのような姿をした妖怪が何事もなかったかのように起き上がっている。ある意味アニメを見ているかのような滑稽さではあるが、実際に戦っている当事者としては勘弁してもらいたい光景である。
「やっぱりGSじゃないとダメなのかしらねぇ?」
「こうなると横島さんとアスナさんが頼り…アスナさんが数以上に感じるのも無理ありませんわ」
あやかの視線の先には、美砂と円にたかろうとする小さな妖怪達を手から伸ばした光の刃、『栄光の手(ハンズ・オブ・グローリー)』で蹴散らす横島の姿があった。
彼の方は戦う力を持たない者達を守るために駆け回っている。
元より千草達もそれが目的なのだろう。百鬼夜行の妖怪達は彼女達のクラスメイトだけでは飽き足らず周囲の事情が分かっていない一般人の観光客にまで襲い掛かろうとしている。実際に一般人に危害を加えれば困るのは千草達、そして関西呪術協会なのだが、それを踏まえた上で横島を足止めするためにこのような手段を取っている。千草にしてみれば、親書が届けられて関西呪術協会からの援助が望めないとあらば、そこまで彼等の立場を気にする事はないと言うことかも知れない。横島自身、アスナが木乃香を連れてきてから彼女を中心に動いてはいるが、ここまで右往左往しているとどうしても隙ができてしまうのは仕方がないだろう。それこそが千草の目的であった。
「事情は飲み込めませんが、早く終わらせるために私達はサポートに徹しますわ!」
「そうね、私達が動きを止めてアスナさんの前に持っていくようにすれば」
着物の裾から覗く白い足もあらわに、とうに花魁のカツラも取れて髪を振り乱しながら声を張り上げるあやかに千鶴はにこやかに答える。
「あら、いけないコね」
そして千鶴はスカートの中に潜り込もうとする妖怪にフライパンを振り下ろした。ただし、縦に。
そして古菲も横島と同じように戦う力を持たない者達と妖怪の間に入ってその拳を振るっていた。
気による攻撃は、妖怪に対して霊力ほど有効ではないが、彼女にはそれを補ってあまりある武術がある。
「哈ッ!」
古菲の得意技である馬蹄崩拳(マーティーホンチュアン)の一撃で、彼女よりも大きな河童が背後の妖怪達も巻き込んで吹き飛ばされる。
続けて彼女の膝までの高さよりも小さいぬいぐるみのような妖怪達を、足払いをするように蹴散らしていく。
月詠の百鬼夜行の妖怪達は大半がこのサイズのため古菲にとっては戦いにくい相手なのだが、それ以上に彼等は弱かった。
「こいつらはザコみたいネ、どんどんかかって来るアルよ〜」
正直物足りない相手ではあるが、横島と違ってこちらは初めての妖怪との戦いを楽しんでいるようだ。
手応えは感じられないが、それよりも「妖怪と戦っている」と言う事実が古菲にとっては嬉しいのだろう。知らず知らずの内に彼女の顔には笑みが浮かんでいた。
「…スゴイな、古菲」
古菲の戦いを横目で見ていた横島は感嘆の声を上げていた。
チャイナドレスのスリットから伸びる眩しいフトモモに目を奪われて…ではない、多分。そこに目が向いていたのは確かだが、感嘆の声を上げた理由はまた別にある。
考えてやっているのではないだろうが、彼女の巧みな戦い方に感心しているのだ。
妖怪達の目的は一般人に襲い掛かる事で横島の足止めをし、月詠が刹那と心置きなく戦えるようにする事だ。そして古菲は最も敵が集まるところを直感で選んだようで、妖怪達の出現位置である月詠の立ち位置と一般人の見物客の間に立ち塞がるようにして戦っている。
つまり、否が応でも間に立つ彼女に多くの妖怪が殺到する事となると言うわけだ。奇しくも横島達の目的の一つである「一般人を守る」ことを彼女は見事に果たしていた。
しかし、それは同時に古菲を妖怪との戦いに釘付けにする事となり月詠の目的である足止めも果たされているのだが、彼女達はまだそれに気付いていない。
現在、それに気付いているのは月詠当人と―――
「月詠〜、そのままうまい事足止めしとるんやで〜」
―――いまだその姿を見せぬ千草だけであった。
見習GSアスナ極楽大作戦! FILE.29
一方、戦う術を持たないクラスメイト達は、飛び掛ってくる妖怪達を避け、引き剥がし、そして足元から潜り込もうとしてくる者を蹴飛ばしていた。
これでは近付く者を一時的に離す事しかできないが、そうしている内に横島が現れて妖怪達を退治してくれるので何とか持ち堪えている。
「な、何で私がこんな事に巻き込まれて…冗談じゃねーぞ!」
長谷川千雨も、戦う術を持たない一般人の一人だ。
胸元目掛けて飛びついてきたバスケットボール大の妖怪を引き剥がそうとしていると、横島が駆けつけて鉤爪状となった『栄光の手』でその妖怪の頭を掴み、一息に千雨から引き剥がす。妖怪がそれに抵抗したため着物の胸元がはだけそうになるが、千雨は慌ててそれを押さえて事なきを得た。
「大丈夫か?」
「あ、ええ…」
「大丈夫です」と続けようとしたところで、千雨ははたと動きを止める。
先程の言葉、普段のおとなしく無口な彼女からは想像もできないような言葉遣いを横島に聞かれてしまった事に気付いたのだ。
この眼鏡を掛けて髪形も地味な長谷川千雨と言う少女、3年A組の中でも数少ない常識人だ。クラスでは目立たないように目立たないようにと心掛けており、おとなしい性格だと思われているが、その実内弁慶的な性格で攻撃的かつ毒のある一面を隠し持っている。
そんな彼女だけに「冗談じゃねーぞ!」なんて言葉遣いを聞かれてしまうと非常に不味い。しかも、相手は最近妙にクラスと関わりが深い横島だ。クラスメイトのほとんどと顔見知りの彼に知られると、すぐにクラス全体に知れ渡ってしまうかも知れない。そう考えた千雨が何とかして誤魔化そうとしどろもどろとしていると、横島が再び大丈夫かと心配そうに声を掛けてくる。
おずおずと伏せていた顔を上げてその顔を見てみると、彼は普通に心配そうな表情で千雨を見ており、他意はなさそうだ。先程の言葉遣いの事など気にした様子もない。
ここで千雨はある事に気付いて心の中でほくそ笑んだ。
よくよく考えてみると、横島が彼女の言葉遣いに違和感を感じるはずがない。
と言うのも、二人は今初めて言葉を交わしたのだ。つまり、横島は普段の彼女を知らない。少々荒い言葉遣いの子だと思っても、彼女の二面性については気付かないに違いない。
となれば、助けてもらったのは確かなのだから、普通に応対していれば問題はない。千雨はそう判断して、とりあえず礼を言う事にした。
「あ、その、大丈夫です。ありがとうございます」
こうして人と面と向かって話すのは慣れていないので、横島の目を真っ直ぐ見ることができず、笑みもぎこちないものになってしまうのは仕方が無い事であろう。
「ところで君、もう一人の子と一緒にいたよね?」
「も、もう一人?」
「ほら、髪の短い子」
そう言われて千雨は先程まで一緒にいたクラスメイト、春日美空の事を言っているのだと理解する。
千雨と美空は普段から特に親しいと言うわけではないが、修学旅行中は共に騒がしい面々から逃れるためにあやかが班長を務める三班に入ったためか、何とはなしに二人で行動を共にしていた。
シネマ村に来てからも早々に町娘の衣装に着替えて二人で姿を眩まし、何事もなく平穏無事に観光を済ませて後は帰るだけと言う時にこの騒ぎに巻き込まれたのだ。
「あの子、見当たらないんだけど…どこに行ったか知らないか?」
「え、春日さんなら…」
辺りを見回す横島につられて千雨も美空を探してみるが、彼女の姿はどこにもない。
そこで、ふと千雨は思い出す。美空は陸上部に所属しており、極めてインドア派の千雨と違って俊足を誇る。
そう、彼女の足ならば可能なはずだ。
「あんにゃろ、一人で逃げやがったな!」
「…はい?」
「逃げるんなら、私も連れてけーーーっ!!」
なんと、美空はいつの間にか一人で逃げ出してしまっていたらしい。
それに気付いて突然叫び出す千雨。横島はそんな彼女を「変わった子だな〜」と暖かい目で見守っていた。
「長谷川、悪いね」
横島達の居る場所から少し離れた所、千雨の叫びが聞こえる距離に美空は居た。
ただし、妖怪達に見つからないよう屋根の上に登って隠れている。
「まったく、西の連中も一般人巻き込まないで欲しいよねー」
呟く彼女の視線の先にいるのは月詠。どうやら美空は月詠の正体を知っているようだ。
「ネギ先生がいないって事は、木乃香絡みか…」
「大変だねー」と言いつつ、美空はコソコソと物陰に隠れるようにしてその場から離れていく。
やけに横島達の事情に詳しいようだが、だからと言って手伝う気はさらさらないらしい。いや、知っているからこそ巻き込まれまいとしていると言うべきか。
横島はその存在を聞き及んでいたが、麻帆良学園にはネギのような魔法使いの教員、所謂『魔法先生』だけでなく、生徒の中にも『魔法生徒』なるものが存在している。実は、美空はその魔法生徒の一人であった。
彼女は他の魔法使いの例に漏れず、一般人にその正体を知られてはいけない立場にある。そのため、このような一般人も入り混じっていると、大っぴらに戦う事ができない。
「て言うか、東西の戦争に首突っ込むなんてメンドイっスよ」
しかし、それはあくまで建前で、厄介事には関わりたくないと言うのが本音のようだ。
「…とにかく、今いないなら気にしても仕方がないな」
「そりゃ、まぁ…」
とりあえず、姿の見えない美空の事は気にせずに二人は話を進める事にする。千草達もこの場から離れた一般人に手出しはすまい――と、美空が魔法生徒である事を知らない横島は判断した。
「それより千雨ちゃんだっけか、君達は一箇所に集まってくれ。その方が守りやすい」
「わ、分かりました」
千雨も彼がプロのGSである事を知っているため、その言葉に素直に従う事にする。
彼女は気付かなかったが、横島が指差す先には木乃香を中心にクラスメイト達が集まっている事は言うまでもない。
こうして戦う術を持たないクラスメイト達は一箇所に集い、横島は木乃香と合わせて彼女達を守る。古菲は妖怪達と一般人の間に立ち塞がり、あやか、千鶴の二人が片っ端から妖怪達を蹴散らし、アスナが『ハマノツルギ』で送還していく。この調子で行けば百鬼夜行が全滅するのも時間の問題であろう。
「あら〜、皆さんやりますなぁ」
横目で彼等の戦いを見ていた月詠は、意外な少女達の健闘ぶりに素直に称賛の言葉を投げ掛ける。
「随分と余裕だな、月詠…」
そんな彼女を鋭い瞳で睨み付ける刹那。
すると月詠はその殺気混じりの視線を実に嬉しそうに受け止めると、花の蕾がほころぶような場違いな笑みを浮かべた。
「だって、ウチの目的は刹那先輩と戦う事。目的は果たされとりますえ♥」
「戦う事だけが目的だと言うわけか…『狂人』め」
「ややわぁ、そんな褒められると照れてまいます♥」
『狂人』呼ばわりされた月詠は実に嬉しそうに頬を染めて照れてみせた。それだけを切り取って見ると可愛らしい姿なのが、実に場違いであり、また彼女の異常さを際立たせている。
「貴様は天ヶ崎千草に雇われているのではないのか?」
「ウチは神鳴流と戦うために千草はんに協力しとるだけどす…それに」
「それに? 何だと言うんだっ!?」
何かを言い掛けて言葉を止めた月詠を刹那が問い質すと、月詠はふとその動きを止めて、ぐりんと異様な動きで刹那に向き直ると両目を見開き、文字通り『目の色を変えた』。夜の帳に染め上げられたかのような目、瞳の部分だけが暗闇の中で火を灯すごとく淡く光っている。神鳴流剣士の中でも激情的な性格の者に見られる特徴だ。誰でもできるわけではなく、厳しい修行の果てに辿り着く一つの境地であると言われている。
「それに…千草はんの目的も、直に♥」
「何っ!?」
慌てて木乃香の方に振り向こうとすると、その隙を突いて月詠が斬り掛かって来た。刹那は咄嗟に神通棍でその一撃を受け止めるが、その場から動く事ができなくなってしまう。
「先輩、余所見はあかんえ」
「クッ、貴様と遊んでいる暇は…」
そう口で言ってみるものの、月詠が油断をすればすぐさま致命傷を受けてしまうような相手である事は剣を交えている彼女が一番よく分かっている。口惜しいが、これでは今すぐ木乃香の下に駆け付ける事などできようはずがない。
「よし! 月詠、ようやったっ!」
そして、千草はこの隙を逃さなかった。
この時を待っていたのだ。数で攻め、一般人を守るために横島達を分散。木乃香だけでなく他のクラスメイト達も守るために一箇所に集め、クラスメイト達が横島達と木乃香を遮る壁となるその瞬間を。
「「「キャアァァッ!」」」
次の瞬間、木乃香達の頭上に二つ大きな影が現れ、まるで隕石のように勢いを付けて落ちてきた。
何事かと横島達が振り向くと、そこには千草の式神、『猿鬼(エンキ)』と『熊鬼(ユウキ)』の姿と、それらの落下の衝撃により吹き飛ばされて倒れ伏すクラスメイト達の姿があった。
「しまった!」
見ると、『猿鬼』の口から千草の顔が覗いている。例の如く式神を身に纏い、自ら飛び込んで来たのであろう。その肩には意識を失ったのかぐったりとした木乃香が担ぎ上げられている。
「ふふふ…お嬢様は貰っていきますえ」
「くそっ!」
「お前の相手はコイツやっ!」
横島が身を翻し木乃香を助けに向かおうとするが、千草はすぐさま『熊鬼』をけしかける。
緊張感のないぬいぐるみのような顔とは裏腹に鋭い一撃が襲い掛かり、横島はサイキックソーサーでそれを受け止める。続けて『熊鬼』は空いた手で追撃、スピードとパワーを兼ね備えた攻撃に横島の足は完全に止められてしまった。
少し遅れてアスナと古菲の二人が木乃香を取り戻すべく千草を捕らえようと駆け出すが、それより速く千草は『猿鬼』の身体能力を以って屋根へと飛び移り、そのまま屋根伝いに走り去ってしまった。
「あの猿、速っ!?」
「アスナ、追うアル!」
一瞬、見た目とは裏腹に機敏な動きを見せた『猿鬼』に呆気に取られた二人であったが、すぐさま持ち直して『猿鬼』、千草を追いかけ始める。
しかし、傍目には動きにくそうな着ぐるみと言えども式神。いかに健脚を誇る二人でも、とてもじゃないが追いつけそうにない。
このままでは千草に逃げられてしまう。月詠と切り結びつつ、千草達に背を向けながらも木乃香の危機を敏感に感じ取った刹那は、渾身の力を込めた蹴りを月詠の腹に叩き込んだ。不意を突いた一撃に彼女が咽ている内に、無防備にも刹那は月詠に対して背を向け、屋根の上を走る『猿鬼』を纏った千草を見据える。それがどれだけ危険な事は理解しているが、それこそ木乃香のためならば、刹那は自分の命など惜しくはない。
横島は動けない。アスナと古菲では追いつけそうにない。そして、刹那は最も千草から遠く離れている。
しかし、刹那には千草に追いつくための手段があった。通常ならば決して見せる事を許されない最後の切り札。これを切れば刹那自身も失うものは大きいが、前述の通り木乃香のためならば、刹那は命すらも惜しくはない。
そうしている間にもアスナ達はどんどん千草に引き離されていく。
ここまでかと覚悟を決めて、刹那が一歩踏み出そうとしたその時―――
『魔法の射手(サギタ・マギカ)ーッ!!』
―――追いすがるアスナ達とは正反対の方向、千草の進む真正面から突如放たれた魔法が『猿鬼』に隠れていない無防備な部分、彼女の顔面に見事直撃した。
「あたーーーッ!」
流石の千草もこれにはたまらずのけぞり、つい木乃香を担いだ腕の力を緩めてしまう。
バランスを崩した千草は木乃香を落とすまいと必死に体勢を立て直そうとするが、その隙にアスナと古菲が追いついた。
「これでも食らいなさいっ!」
しかし、追いついたとは言えアスナ達は地面の上に立ち、千草は屋根の上。『猿鬼』を身に纏った千草のように屋根の上まで一息にジャンプするような超人的な跳躍力は彼女達には無い。
何か投げつける物はないかと懐を探っていると、彼女の指がスカートの、正確にはフトモモに装着した破魔札ホルダーに触れた。しかし、ここでアスナは眉を顰める。確かに破魔札は式神を纏った千草にも効果が望める飛び道具だ。だが、遠くに飛ばすには技術が必要となる。今のアスナにはそれが無い。
横を見てみると、古菲が片足を上げて靴を脱ごうとしていた。彼女も何か投げつける物を探して、自分の靴を投げつけてやろうと思い付いたらしい。
アスナもそうしてやろうかと自分の足元に目を向けるが、残念ながら現在彼女が履いているのは、『扮装の館』で借りた足袋に草鞋だ。これは投げつけても効果は望めない。
「! そうだ、これなら…古菲!」
「何アルか?」
「どうせ投げるなら…中身の詰まったのを投げない?」
「……確かに、それは効きそうアル」
ポンと古菲の肩に手を置いて笑うアスナの表情が、まるで悪巧みを思い付いた時の横島のそれとそっくりであった事は、古菲だけの秘密である。
「ぺぽーーーっ!!」
体勢を整えて再び走り去ろうとした千草に、再び衝撃が襲い掛かった。
古菲が投げつけたのは彼女の靴。ただし、その中にアスナが所持していた破魔札を丸めて詰め込んである。
陰陽寮で交換してもらった物もあるが、数日の内に使い切らねばただの紙になってしまう物がほとんどだ。ならばこの機に全てを使ってやろうとの大盤振る舞い。見事彼女の後頭部に命中したそれは、次々に破魔札が誘爆して爆炎と共に『猿鬼』の頭を吹き飛ばした。
「あぷろぺらーーーっ!」
流石に頭を吹き飛ばされてしまっては『猿鬼』も身体を維持できないようで、そのまま頭だけでなく全身が煙のように消えていく。そして式神のサポートを失った千草の細腕では木乃香を支える事ができず、二人まとめて屋根から転がり落ちてしまった。
「木乃香っ!」
下で待ち構えていたアスナが飛びつき、木乃香の方は無事受け止める事に成功する。「へぶっ!」そして千草は誰も受け止める者がいなかったので、そのまま地面に墜落する。
「あたた…なんつームチャするガキどもや…」
彼女も相当頑丈にできているらしい。むくりと起き上がった千草は痛みを堪えて着物の胸元から一枚の鬼札を取り出し発動させる。
すると、そこに現れたのは『猿鬼』。ただし、顔のデザインが微妙に異なり、その額には「2」と描かれている。
「月詠! ここは一旦退くでっ!」
『猿鬼2号』はそのまま千草を担ぎ上げると、アスナ達に背を向けて一目散に飛び去る。『熊鬼』も目の前に居た横島をすくい上げるようにして放り投げると、月詠に駆け寄り彼女を小脇に抱えて飛び去って行った。
刹那も追跡する余力はあったが、ここは深追いせずに横島達の下へと駆けて行く。見ればアスナと古菲も木乃香を連れてこちらに向かっているようだ。先程までは木乃香の事に集中していたが、見れば千草の襲撃によりクラスメイトの多くが負傷してしまっている。一刻も早く皆を連れて安全な場所へと移動しなければならないだろう。
「…総本山、か」
千草達が一般人を傷つける事もいとわなくなってきたとあらば、クラスメイト達をホテルに戻すのも問題となってくる。自分達が木乃香と共に関西呪術協会の総本山に向かってしまうと、A組の宿泊しているホテルが無防備となる。
一般人は巻き込まないと言う前提が崩れてしまった今、千草が取れる有効な手段の中に木乃香達の友人、すなわちクラスメイトを人質に取ると言うカードが顔を覗かせてくる。それを防ぐためにも、やはり彼女達も総本山に連れて行くしかあるまい。
刹那は横島達の下に着くと、彼を呼び寄せてそう提案する事にした。
「横島さん、皆を連れて総本山に向かいましょう」
「それしかないかなぁ。皆にどう説明しようか、木乃香ちゃんが実はお嬢様だったって事で押し通せるかな?」
「襲われたのは家庭の事情だと? …あながち間違いとは言い切れませんが」
二人で頭を悩ませるが、どうにも答えは出そうにない。
この問題は横島と刹那だけでなく、ネギ、そして関西呪術協会の長である近衛詠春も交えて話し合わなければならないだろう。逆に言えば二人だけで結論を出して良い問題ではない。
「とりあえず横島さん、治療用の札です。これをGSの横島さんからと言う事で皆に」
「…そうだな。文珠でも治せるけど、こっちは温存してた方が良さそうだ」
「私は総本山への足を確保してきます」
刹那から怪我の治療用の札を受け取った横島は、急いで怪我をしているクラスメイトの下へと向かった。それを見届けた刹那はシネマ村のスタッフ、神鳴流の関係者に話を通して観光用のバスを用意してくれるよう頼み込む。
すると、シネマ村、神鳴流側も関係者が一般人も巻き込んで騒ぎを起こしたと言う負い目があったため、二つ返事でそれを承諾。すぐさま運転手も用意してくれた。
刹那が戻ってその事を伝えると、皆は不意に湧いた『木乃香のお宅訪問』と言うイベントに盛り上がりを見せる。あやかは委員長らしくホテルの門限を気にしていたが、ネギが既にそちらに到着している事を伝えるとあっさり掌を反した。
千雨などは、これ以上巻き込まれてたまるかと心の中で考えているが口には出さないので、これで反対する者は表面上いなくなる。
「それじゃ木乃香の家に向けて出発ー!」
「出発ですー!」
クラスメイト達の怪我で大きなものは横島が既に札を使って治していたので、そのまま一同はバスに乗り込み関西呪術協会総本山に向けて出発する。
観光用バスであるため、中にはカラオケ等も備え付けられていたが、流石に皆疲れているらしく道中静かなものであった。
最前列の席には横島とアスナが並んで座っており、アスナは身体は疲れているのだが、初めて除霊助手らしい活躍ができた事に興奮冷めやらぬ様子で、かえって目が冴えてしまっているようだ。
「そう言えば…逃げるお猿さんを足止めしてくれた人って誰なのかしら?」
あわよくば横島にもたれかかって眠ろうかと考えていたが、眠ることもできず。静かな車内の沈黙にも耐えかねたアスナは先程の襲撃に関して一つ疑問を抱いていた事について彼に問い掛けてみた。
それは木乃香を担ぎ上げて逃げようとしていた千草を足止めしてくれた、あの『魔法の射手』を誰が唱えたかと言う事だ。
ネギが総本山にいる事はアスナも知っている。つまりネギ以外の誰かと言う事になるのだが、残念ながらアスナには心当たりがない。
しかし、心当たりがないのは横島も同様だったようで、アスナの問いに「さぁ?」と言葉を濁すばかり、続けて刹那の方にも視線を向けてみるが、彼女は無言で首を横に振った。
「一体誰だったのかしら?」
「きっと通りすがりのヨコシマンアル」
「いや、それは…」
背後の席からの冗談混じりの古菲の声にアスナは額から汗を一筋垂らして答えに詰まる。
少なくとも誰かがいた事は確かなのだが、横島はあの時『熊鬼』と戦っていた。別の協力者が存在するのであれば、今からでも同行して欲しいのだが、あの後結局出てこなかったと言う事は、向こう側にその意志がないと言う事であろう。
「でも、ホントに誰だったのかな?」
「気になるアルな」
アスナと古菲は揃って首を傾げる。
横島や刹那にとってもそれは気になるところだが、その答えは意外と近くにあった。
バスの後部座席の方には小声で会話を交わす二人の姿。
「春日、さっきは一体どこに行って…」
「いや〜、悪いね長谷川。ちょっとヤボ用で」
美空と千雨の二人である。
千雨が先程突然行方を眩ませた美空の事を責めているようだが、美空の方はのらりくらりとかわしているようだ。
しばらく千雨は一方的に喋っていたが、美空の様子は正に暖簾に腕押し、糠に釘。これ以上言ったところで美空は真面目に取り合わない、そう感じた千雨が憮然とした表情で黙り込むと、美空はやっと嵐が過ぎ去ったと言わんばかりに小さく笑みを浮かべて窓の外を眺めるのだった。
「ま、友達の命が掛かってるのにとんずらってのは流石にできないっスよ」
「ん、何か言った?」
「うんにゃ、なーんにも」
外の景色を眺めながらポツリと小さく呟いた言葉は、隣の千雨にも聞こえなかったようだ。
美空はニヤニヤと笑みを浮かべながら、手では小さな棒状の何かを弄んでいる。
「それ何?」
「ただのオモチャだよ〜」
彼女の手にあるのは先端に星型の飾りが付いたスティック。
見る人が見れば、それが魔法使いの練習用の杖である事に気付いたであろうが、千雨の目にはただのオモチャにしか映らなかった。
一方、関西呪術協会の総本山では一つの事件が起きていた。
いや、正確には事件が起きたのは別の場所なのだが、そのためにネギ達が部屋にあったテレビに釘付けになっているのは事実である。
「…これ、アレだよな」
「多分、て言うか間違いなく」
彼等が見ているのはニュース番組。横島達の到着を待って手持ちぶさたなハルナが適当にチャンネルをいじっていると、あるニュースを目にしてカモが彼女の手を止めた。
そのニュースは今日大阪で起きたある事件を伝えるものだった。
何と、とある遊園地で怪物が大量発生したらしい。
「うわっ、これ大事ジャン」
「この遊園地…確か、まき絵さん達が行っている場所では?」
「ウソっ!?」
ニュース番組にゲストとして呼ばれた専門家、GS協会大阪支部の幹部だと言う男が気難しそうな顔で語った話によると、遊園地に現れたのは下級の鬼で、これだけの数が自然発生する事は地理的な事も踏まえて考えても有り得ない事らしい。
つまり、何者かが人為的に召喚したと言う事になるのだが、それについては幹部の男は黙して語らなかった。不用意に不確定情報を公共の電波で流す事を避けたのだろう。
「誰かが召喚したって…怖いわね〜」
「あーんま人事みたいに言ってられないかも知れないぜ?」
そう言ってカモが部屋の外、部屋と廊下を隔てる障子の方を指差す。
そちらに視線を向けてみると、障子は締め切ってあるのだが、そこに映る影は多くの人が慌しく行き交っている事を示している。
「しかも、召喚されたのは『鬼』だろ。陰陽師関連なんじゃねーか、この事件」
「そんな…」
「窓の外も見てみろよ、衛士の数が明らかに減ってやがる」
画面の中のニュースキャスターは、事態を収拾するために陰陽寮が動き出した事を伝えていた。
関西呪術協会の衛士は、陰陽寮に属する陰陽師の中でも実力者揃いと言う話だ。先ほど詠春から聞いた話によれば、総本山の衛士達はいざと言う時のための、陰陽寮の実働部隊としての顔も持っているそうだ。
これほど大規模な霊障が起きてしまうと「内輪揉めしてるので動けません」とは言えないのだろう。
「…総本山の戦力を削るための陽動、でござるか」
「多分な」
楓の予測を誰も否定する事ができない。
ネギ達は、ただただ横島達が早く到着する事を祈った。
ニュースの方は続けて現場に居合わせた観光客のインタビューを流している。
特に鬼によるジェットコースターの倒壊が一番大きな事故だったらしく、完全に瓦礫と化してしまったジェットコースターを背景に親子連れの観光客がインタビューに答えていた。
『あの時私達はあのジェットコースターに乗るために並んでいたんです。あと一周待てば乗れると言う時に鬼が現れて…』
『それは大変でしたね、お怪我はありませんでしたか?』
『ええ、私達の前に並んでいた小さな女の子が、倒れてきたジェットコースターを押しのけてくれたんです』
『そ、それはスゴイですね…』
「「「………」」」
あまりにもなインタビューの内容にハルナ達は呆気にとられて言葉を失っている。
インタビューを終えたアナウンサーは「現場は混乱し、荒唐無稽な情報が飛び交っているようです」と締めていた。やはり小さな女の子が巨大なジェットコースターをどうにかしたなど到底信じられないのであろう。普通に考えれば当然の話だ。
ネギ達も言葉を失っているのは彼女達と同じだ。しかし、その心の中では―――
エヴァだ。エヴァが何かしたに違いない。
―――観光客が言う「小さな女の子」の正体を察して、引きつった笑みを浮かべる事しかできなかった。
つづく
あとがき
今回の話を書く上で悩んだ事が二つほどありました。
美空の魔法使いの杖ってどんな形状なのでしょうか?
美空が使う魔法は何の精霊を使っているのでしょうか?
ええ、両方美空関係です。
そう言えば、彼女のアーティファクトの名前も不明ですね。
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