topmenutext『黒い手』シリーズ『続・虎の雄叫び高らかに』>続・虎の雄叫び高らかに 5
前へ もくじへ 次へ

 続・虎の雄叫び高らかに 5

「資格取得しただけあってなかなか…ですが、まだ未熟ですわ!」
『ククク、うーまーいーぞぉー!』
 会場内、氷雅の振り下ろした『シメサバ丸』の太刀筋を見る事ができた者はどれだけいただろうか。
 振り上げるまでは、むしろゆっくりとした速度なのだが、そこから一気に加速してくる。踏み込みの速度も相まって対戦相手の男はまったく反応できずにその一撃を受けた。

 静まり返り、血塗れの男が倒れ伏す音だけがやけに響く会場内で、真っ先に動き出した黒い影。
「タイガー! 早く幻覚をっ!」
 エミだ。彼女は気付いたのだ、これから起きる惨劇を。
「…ハッ、ハイですジャー!」
 一瞬、何の事かわからず反応できなかったタイガーだったが、辺りを見回し「それ」に気が付くとすぐさま精神感応能力を発動させた。
「………」
「…ま、間に合ったんですかいノー?」
「………あら〜、わんちゃん〜ケガしちゃったのね〜? ショウトラちゃ〜ん」
 うまい具合に冥子は幻覚に掛かって、その血みどろの姿を見ずに済んだようだ。彼女の目には足を少しすりむいてく〜んく〜んと泣いている子犬に見えるらしく、心配そうな顔をして霊的治療を得意とする戌の式神ショウトラを呼び出して治療を開始する。
 そう、エミだからこそ気付いたのだ。いつも巻き込まれる経験者として。我ながら情けない理由だと思うが、せっかくタイガーが合格にこぎつけたと言うのに、ここで試験をご破算にするわけにはいかない。もし冥子が原因で資格試験がめちゃくちゃになってしまうと、隣に座る六道夫人が試験そのものを「なかったこと」にしてしまいかねないのだ。

 そして、横島は―――

「うぷ、せっかく食った朝飯が…」

―――スプラッタな場面は刺激が強かったようだ。


 結果として、九能市氷雅の対戦相手は一命を取り留めた。
 しかし傷も深く、シメサバ丸に斬られた際にごっそりと霊力を奪われたようなので、せっかくGS資格を取得したと言うのに、回復して現場復帰するにはしばらくの時間が掛かってしまうだろう。

 ここまでする必要があるのかと言う疑問を抱く者もあるだろうが、それは仮に自分が除霊の依頼者になったと考えれば分かりやすいだろう。
 同じ「新人GS」が二人いたとして、片や一刀の元に斬り伏せられた者、片や斬り伏せた者。
 ただでさえ一般人の感覚から見れば高いとされる除霊料。それをどちらのGSに賭けるかと言う事だ。
 言うまでもなく、後者に賭ける者がほとんどであろう。世の中そういうものである。

 陰念達もここに至って氷雅に注目し始めていた。
 今回の試験ではレディ・ハーケンのみが注目されていたが、受験者が減ってきたことで彼女以外の実力者も目立ち始めたのだ。その中でも九能市氷雅は頭抜けている。横島が勝てたと言うのが陰念には信じられないほどに。
「…女だからなぁ、あの野郎セクハラに走りやがったか?」
 最終的に勝負を決めたのは横島の煩悩なのであながち間違いとは言い切れないが、正解とも言えないだろう。
 いくら考えても心眼の事を知らない彼では「竜神小竜姫に心眼を与えてもらって、それのおかげで勝てました」と言う真相には辿り着けるはずがなかった。
「まずいな、アレの次の相手は横島の弟子だろ?」
「早生さん…」
 心配そうな様子の雪之丞とかおり。
 特に雪之丞は白兵戦を好み、それを実行するだけのスピードを持つ氷雅と、典型的な中距離以上を得意とする術者タイプの成里乃の相性の悪さが分かってしまうので心配もひとしおだ。
「あの女も、まあまあやるようだったが…これまでのようだな」
「…っ!」
 興味なさげに呟いて試合場に向かう陰念に掴みかかろうとするかおりを雪之丞が止めた。彼には成里乃を心配するかおりの気持ちも、白龍会の事しか考えられない陰念の気持ちも分かってしまうため、板ばさみになってしまっている。柄でもない事は自分でも分かっているが、こればかりは仕方がない。


 次に会場の目は陰念の試合に注がれていた。
 対戦相手はオカルトGメンの岸田、既に傷だらけの顔した禿頭と言う陰念の外見に腰が引けてしまっている。首から下は普通に僧衣姿だと言うのだから、いかにもアンバランスだ。
「へ、へへ…厳つい顔してようが、僧衣姿って事は術者タイプだろ」
 実際、陰念は今までの試合でも霊波砲しか使っていない。僧衣姿なのも術者タイプであるとイメージさせるのだろう。前回の試験の記録映像が残っていないことがここで岸田の足を引っ張った。
 岸田は自分の霊能が少ない事は自覚している。だが、彼にできる今の精一杯で押し切れば勝てると判断した。
 出せるだけの簡易式神を出して牽制もせずに真正面からぶつかる。相手は小柄な術者タイプであるという勘違いが彼にその判断をさせたのだ。
「式神、行っけぇー!」
 一気に四体の人型簡易式神を出現させる。少ないと言うなかれ、これが現在の彼の精一杯なのだ。
 対する陰念は瞑目して動かない。これはチャンスだと思った岸田は陰念を取り囲むように式神を展開させた。
「一気に勝たせてもらうぜっ!」
「………」
 それでも陰念は動かない。
 式神達が一斉に飛び掛り、その拳が前後左右から、陰念の頭部に吸い込まれるように突き刺さる…が「チッ…ここまで来りゃ、それなりに強い奴と戦えると思ってたんだがな」霊力によりガードされた陰念に、その拳は届いていない。
 眼前で食い止めた式神の腕を掴み、そのままぐしゃりと音を立ててそれを握りつぶす。力の差は歴然だ。
「なっ!?」
「せっかく合格できたんだろ? 再起不能にゃしないでやる」
「ひ…!」

 その笑みは僧侶のものでは決してなく、むしろ悪魔だった。後に岸田はそう語ったそうだ。


「今年は〜、あっさり〜勝負の〜決まる〜試合が〜多いわね〜」
「良い傾向なワケ」
「…そうなんスか? 見てて、つまんない試合ばっかな気がするんですけど」
 あまりにも一方的な、しかしまだ続いている陰念と岸田の試合を眺めながら六道夫人とエミは平然と話している。横島は先程の氷雅の試合の衝撃映像のショックからまだ立ち直ってないようで、気分が悪そうだ。
「GS資格試験は〜、強い子を〜残すのが〜目的だから〜」
「?」
 六道夫人の間延びした説明だけでは理解できない横島に対し、エミは苦笑しながら「あっさり勝負が決まるって事は、残った方がそれだけ強いワケ」と付け足してくれた。元よりGS資格試験を取得しても、実際に師から一人前としての許可がもらえる者、それ以降も無事にGS業を全うできる者は少ない。他が弱くとも合格者に数人でも飛び抜けて強い者がいれば、それがオカルト業界全体のメリットになるのだ。無論、負けた方が飛び抜けて弱い場合もあるのだが。
 これまでの傾向から言って、資格取得後のトーナメント戦でもそれが続く場合は、今後のオカルト業界に影響を及ぼすようなGSが誕生する可能性が高い。エミも六道夫人もそれが分かっているのだ。
「…もしかして、エミさんの試験の時も圧勝だったり?」
「準決勝で冥子と当たるまではね」
 その準決勝では、暴走した冥子にあっさりと負けてしまった。
「理事長も?」
「おばさまの〜時は〜そうでも〜なかったわ〜。でも〜、美智恵ちゃんの〜時は〜すごかった〜らしいわよ〜」
「ああ、それはなんとなくわかるような…」
 ちなみに、横島の時の試験も「合格者数人が飛び抜けて強い試験」であるのだが、こちらは記録が残っていないので噂でしか伝えられていない。


 そうやって横島達が談笑している内に陰念と岸田の試合は終わったようだ。
 岸田は必死に逃げ回ったが、陰念の乱射する霊波砲から逃げ切る事はできず、所々火傷をしたような状態で担架で運ばれていった。
 宣言通り再起不能には程遠いが、しばらく病院のベットでの生活が続きそうな様子だ。

「チッ、あっさり受けて倒れりゃよかったものを…」
 軽く気絶する程度で済ませるつもりだった陰念は、口惜しそうに舌打ちしている。
 想像以上に岸田がねばったため、考えていた以上の怪我を負わせてしまったのだ。ただし、彼が口惜しがっているのは怪我を負わせた事ではなく、岸田の実力を見誤った自分の未熟さにだったりする。

「協会を通してオカルトGメンに見舞いの使者を出すべきかしら?」
「…いらねぇだろ。正当な試合での怪我だし」
 心配そうなかおりに対して、雪之丞はドライだった。
 何よりこのまま波風も立たないまま試験が終わるはずがない、直に圧倒的勝者同士の戦いが始まるからだ。今は勝者の陰念も次の試合では岸田と同じ末路を辿る可能性がある。
 そう、例えばこの男―――

「よくも俺の仲間をやってくれたな」
「あん? 文句があるなら吠えてねぇで力尽くで来な」

―――オカルトGメンからのもう一人の出場者、浅野に倒されてしまう可能性だってあるのだ。

 剣呑な雰囲気を放つ二人に、会場の注目が集まる。あのレディ・ハーケンの視線さえも彼らに注がれていた。
 陰念は背が低いと言うのに見下したような笑みを浮かべて更に浅野を挑発。僧衣の下で拳を握り臨戦態勢で待ち構えている。
「どうした? オラ来いよ、ポリ公」
「…フン、お前を倒すのは試合でだ。首を洗って待っていろ」
 しかし浅野は挑発に乗らず、ローブを翻して担架で運ばれた岸田の後を追った。良い感じに増長している。よほど身に着けた黒魔術に自信があるのだろう。
 一方、陰念は肩透かしを食らった状態だった。いまだに正体不明の浅野の攻撃を見極めたいと考えて挑発してみたのだが、どうやら彼に見抜かれてしまったらしい。彼もまた憤慨した様子でその場から立ち去った。



「あら〜、次は〜成里乃ちゃんと〜氷雅ちゃんの〜試合だわ〜」
「あれ? タイガーの試合は?」
「皆がハゲのにらみ合いに注目してる間に終わったワケ」
 一応勝ったそうだ。
 哀れ、タイガー。



「………」
 次の試合を目前に控えた成里乃は、母から贈られた神通扇を握り締めて精神を集中させていた。
 次の対戦相手は九能市氷雅、今回の受験者の中でも五指に入る実力者であろう。忍者にあるまじき必殺の居合いに妖刀『シメサバ丸』、「なんとかに刃物」の言葉通り、レディ・ハーケン、陰念と並んで手のつけられない受験者の一人だ。
 横島は「合格したなら、ケガしないうちに上手く負けちまえ」と言っていた。彼女の身を案じての事だろうが、そう言われると逆に、自分でもここまでできるのだと見せてやりたくなってしまう。
「…やってやるわ、私だって」
 力強く一つ頷く。
 成里乃は今までにない鋭い瞳に決意を秘めて立ち上がった。
 向かうは試合会場、そこには妖刀を腰に差した氷雅が待ち構えている。

「さぁー、女の戦いです。注目の試合です!」
「て言うかこの試験、妖刀とか使っていいの?」
 解説のヒャクメが冷静に突っ込むが、それに対する枚方の返答は無い。
 と言うのも、『シメサバ丸』は元々賞金の掛かっていた妖刀だが、一度令子により除霊されているのだ。そしてコスモプロセッサにより世界中で妖怪、魔族が復活をした際、『シメサバ丸』は存在を確認されなかったため、再度賞金を掛けられる事はなかった。

「フフフ…私の前に『シメサバ丸』が現れた時は、天命を感じましたわ」

 どうやら妖刀は復活しなかったのでなく氷雅が故意にその存在を隠匿していたらしい。

「えーっと…それは人間界では罪になるのかしら?」
「微妙な線ですが、なりませんね。一度除霊されていれば、人間界でのそれまでの罪状も白紙となりますからね。それ以降、妖刀『シメサバ丸』による人斬り事件は起きていませんので」
 かなり反則的な解釈ではあるが、コスモプロセッサによる復活劇はオカルト業界ではそのように扱われていた。メドーサの人間界での罪状が白紙になっているのもそのためである。
「GS資格のない素人が所持していた事については?」
「全て白紙ですから今現在は妖刀と認められていない状態ですね…と言うか、九能市選手はきっちり使用許可を取っているようです。彼女がGS資格を取得したわけですから、今後『シメサバ丸』は霊刀に認定される可能性が高いです!」
「明らかに妖怪化してるのにねー」
 とは言え、ヒャクメだって元々は妖怪が神属性に転じて神格化した存在だ。  『シメサバ丸』だって今はともかく、この先神属性に転じる可能性はある。

「横島忠夫の弟子、早く来なさい! 我が愛刀『シメサバ丸』は貴方の血を求めていますわッ!!」
『早く斬らせろー!』

「………」
 可能性だけはある。多分。


 遅れて成里乃が試合場に入り、審判が高らかに試合開始を宣言した。
 先程まで騒いでいた氷雅はピタリと静まり返って氷のように冷め切った瞳で成里乃を見詰めている。
 内心は怨敵、横島忠夫の弟子を前にしてマグマのように腸が煮えくり返っているのだろうが、それは一切表に出していない。その心の強さは見事としか言いようがないだろう。
 実戦においては感情的にならずマシーンのように淡々と事を進める。彼女は精神面においては既に『プロ』であった。
 一方、成里乃も負けてはいない。
 板扇を開いて口元を隠し、氷雅と一定の距離を保ちながら静々と円を描くように歩を進めている。
 その姿はまるで高貴な姫君のようだが、手に持つ板扇には梵字が浮かび上がっている。霊力が込められている証だ。

 先に動いたのは氷雅。
 俊足の抜き足で踏み込み斬りかかるが、これは待ち構えていた成里乃が霊力を込めた板扇で受け流す。
 霊力を込めることで硬度が増すだけではなく霊的な障壁を張る力もあるようで、『シメサバ丸』は板扇に直接触れることも適わなかった。
「………」
 氷雅は一歩退いて間合いを測る。
 近距離での白兵戦を得意とする氷雅に対し、成里乃は霊波砲を得意とし、中遠距離の戦いを得意としているので距離を取るのは氷雅にとって不利になるのだが、それでもあえて氷雅は距離を取った。
「なかなか面白い物を持っていますのね…」
「貴方の刀ほどじゃないわ」
 成里乃の板扇を警戒したのだ。
 先程の攻撃は先制攻撃と言うより板扇の性能を調査する意味合いが強い。
 氷雅もそうだが成里乃もここまでの試合をほとんど一瞬で終わらせてきた。しかし、この試合は今までのものとは違う。そう判断した氷雅はまず相手の情報を集め丸裸にしてやろうと考えたのだ。

 そして、成里乃も同じ事を考えていた。
 情報と言う面においては彼女に僅かばかりの分がある。と言うのも、横島から『本気で死に掛けた対戦相手』として聞いていた三人。伊達雪之丞、陰念、そして最後の一人が九能市氷雅である。
 特に九能市氷雅については「どれだけ技を隠しているか分からない」との評価だった。実際横島は彼女との試合において『忍法・失言の術』でギブアップしようにもできなかった事があるのだ。
 結果としてその時ギブアップしなかったおかげで今のGS横島があるのだが、「忍者のくせに居合い斬りが得意」と言うイメージが強いらしく、彼女は幾つもの忍術が使えるだろうと横島は考えているようだ。
 実は女の武器を利用した術がきっとあると言う横島の願望の表れなのだが、その考え自体は決して間違っていない。結果としてそれが成里乃の助けとなっていた。

 それからしばし、二人は一進一退の攻防を続けた。
 氷雅が斬りかかれば成里乃がそれを弾き。
 成里乃は距離を詰められると板扇から光線のような霊波砲を放って氷雅を退かせる。
 試合開始当初は着物姿の成里乃が不利かと思われていたが、なかなかどうして機敏な動きで氷雅についていっている。これは陰陽寮所属のGSを母に持つ、代々霊能力者の家系に生まれた彼女はそれこそ物心つくかつかないかの頃から着物に慣れ親しんできたためであろう。子供の頃は御転婆で着物姿で野山を駆け巡った経験もあるのだ。

「しぶといですわね…」
『おのれ、小器用に障壁を張りおって!』
 そう言いつつも氷雅は眉一つ動かしておらず、疲れている様子もない。
 やはり身体的な基礎能力が違い過ぎるのだろう。霊力においては横島の元で霊力を鍛える修行を続けてきた成里乃に分があるかも知れないが、それ以外の全てにおいては氷雅の方が勝っている。
 例えば実戦における情報収集能力と分析能力。これまでの戦いの中で氷雅は成里乃の手の内をほとんど暴いてしまっていた。自らは剣術しか使っていないにも関わらずだ。
 成里乃の強さの秘密は光線のような霊波砲を放ち、妖刀の一撃を防ぎ切る障壁を張る攻防一体の板扇に頼った部分が大きい。しかし、最大の弱点もまた板扇に隠されていた。
 それはまず霊力を込めて攻防を行うプロセスにある。両方を同時に行う事ができないのだ。霊波砲を撃った直後、そして障壁を張った直後に板扇に込められた霊力が著しく減少し、一時的にほぼゼロとなってしまうのだ。
 それに気付いた氷雅は勝利を確信した。
 一瞬の勝負であれば、それこそ彼女の独壇場なのだ。

「ずっと…私の修行を見てくれていた横島さんのためにも…負けるわけにはいかないのよ!」
 「横島」の名を聞いた氷雅の眉がピクリと動く。
 それは前回の試験でも合格確実と言われた彼女を阻んだ怨敵の名。
 今、マシーンの歯車に少し熱が生じた。
「フ、フフ…そうでしたわね。貴方は『あの』横島忠夫の弟子…」
 氷雅は小さく呟いて『シメサバ丸』を構えなおす。
 彼女は決着を急いだ。横島の弟子如きと試合を長引かせてしまっては、自分の評価が落ちると考えたのだ。そして、それは彼女にとって決して許せる事ではなかった。
「師が憎ければ弟子まで憎し、百度殺しても飽き足らぬ…今までは運が良ければ助かる程度に手加減していましたが…貴方は『必ず殺す』と書いて必殺です!」
「クッ…」
 氷雅の殺気が膨れ上がり、可視できるほどの霊力が溢れ出した。
 次の一撃で勝負が決まると会場の皆が固唾を呑んで見守る中、一撃必殺を狙った一太刀が来ると成里乃は板扇に霊力を込めて防御態勢を取るが、それを見た氷雅はニヤリとほくそ笑む。
「死になさい!」
 成里乃はその笑みに気付いたが、それが何であるかを理解するよりも早く氷雅が動いた。
 今まで以上の速度で踏み込んでの一撃。
 それをかろうじて板扇で受け止めた成里乃は、意外に軽い一撃に瞳を見開いて驚愕する。
「!? し、しまっ…」
「遅いッ!!」
 斬撃を板扇で防がれた氷雅はその瞬間『シメサバ丸』を捨てた。
 自らの武器を捨てるなど、試合会場にいる誰が予想したであろうか。
『貴様…ッ!』
「貴方は次の機会をお待ちなさいな」
 選手を斬って霊力を喰らいたいのはあくまで『シメサバ丸』の都合であって、氷雅にはそれに従う義理は無い。そして、忍の極意とは己の全てを凶器とする事。彼女にとって『シメサバ丸』はあくまで『手段の一つ』に過ぎないのだ。
 その時、氷雅の足元で霊力が膨れ上がり、逆に板扇の霊力はほぼ零となる。
 最初の一撃は彼女のフェイク。『シメサバ丸』には僅かな霊力しか込めず、踏み込みの速度を上げるための足に大量の霊力を込め、それを巧みに隠していたのだ。
 成里乃が次の反応に移れぬうちに、足に残された霊力を解放し首を刈り落とすような蹴りを放つ。
 決まった、皆がそう思ったであろう。
 しかし、この時成里乃は予想外の行動に出た。
「なっ…!?」
 驚愕の表情と鈍い笑み。前者は氷雅であり、後者は成里乃。
 会場に耳障りな鈍い音が響く。
「貴方、自分の腕を犠牲に…!」
 そう、成里乃は板扇の障壁防御が間に合わないと見るや躊躇することなく自分の左腕を犠牲にし、必殺の蹴りの前に晒したのだ。
「こうでもしないと、勝てそうにないからねっ!」
「霊波砲ごとき!」
 痛みを堪えながら残された腕で成里乃は板扇を振るう。
 渾身の一撃を放った直後であった氷雅にそれを避ける術はない。
 それでも咄嗟に両腕を交差してダメージを最小限に食い止めようとするが、その腕に触れたのは霊波でも物理的な何かでもなかった。言うなれば、霊波と物理の中間点。

「これは………簡易式神ッ!?」

 交差した腕を掴む腕。それは式神和紙により生み出された簡易式神だった。
 がっちり氷雅の腕をホールドした簡易式神は、蹴りのために片足を上げた状態で不安定な体勢の彼女をそのまま試合会場の端まで追い出さんとする。
「がはっ!」
 試合会場は閉ざされた決戦場だ。当然その端には外部への被害を食い止めるための結界がある。簡易式神は怒涛の勢いで氷雅をその結界に叩き付ける。
「…この程度!」
 しかし、この程度で九能市氷雅は沈まない。
 すぐさま簡易式神を引き離そうと腕に力を込め―――

「切り札が一つ増えたと思え、か…横島さん、貴方はやっぱり素晴しい先生です」

―――その瞳に映るのはだらりと左腕をぶら下げながらも気丈に板扇を構える成里乃の姿。
 開かれたその板扇は一枚だけ装飾の和紙が消え、剥き出しの白樺が姿を見せていた。

「貴方が強くなければ私はこれを使おうなんて思わなかったでしょうね…感謝するわ」
「こ、この私が…横島忠夫の弟子なんかに…」

 次の瞬間、無数の簡易式神が氷雅に襲い掛かる。
 その勢いは弾丸の如し、そのまま結界を破り氷雅は簡易式神達と共に試合場の外へと弾き出されてしまった。
「九能市選手場外! 勝者、早生成里乃!!」
 審判が全ての式神和紙が消えて白樺の板だけとなってしまった扇を持つ成里乃の右腕を持ち上げてそう宣言する。彼女は勝利したのだ。優勝候補の一人である氷雅に。

「すいません、ちょっと行ってきます!」
 観客席から見える成里乃の左腕は既に変色してしまっている。間違いなく骨折しているだろう。
 しかし、横島の文珠ならば一瞬でそれを治す事ができる。急いで横島が成里乃の元に向おうとするが、エミがその腕を掴んで止めた。
「離して下さい、次の試合までに治してあげないと」
「行っちゃいけないワケ」
 振りほどこうとするも、エミは決して手を離さない。
 エミが止めたのには当然理由がある。六道夫人はメイドのフミに何かを言いつけると、珍しく真剣な表情をして振り返り説明を買って出てくれた。
「試験中に〜、他の〜人から〜霊的な〜助けを〜受けると〜失格に〜なっちゃうのよ〜」
 試合会場では冥子がショウトラと共にヒーリングを行うために控えているがそれはあくまで敗北者のためのものだ。
 受験者達は試験に臨んでいる限り、全て自分の力で対処しなければならない。他人からヒーリングしてもらおうものなら即座に失格となってしまう。
「でも、あれ明らかに骨折してるじゃないっスか」
「物理的な〜応急処置なら〜既に〜行われて〜いるはずよ〜」
 六道夫人の言う通り、成里乃は試合を終えた後すぐに救護班により骨折の治療を受けていた。棄権しなければ次の試合は添え木で腕を固定して登場するだろう。通常の医療行為であれば許されているのだ。
「式神和紙も使い切っちゃったし、」
「だから〜、今〜フミさんに〜届けて〜もらったわ〜」
 式神和紙は破魔札と同じく消耗品扱いなので補充が可能だ。
 成里乃の場合は扇に貼り付けなければならないのだが、片腕が骨折しているのであればそれもままならないだろう。
「道具の補修を手伝うのは…?」
「それぐらいなら〜かまわないわよ〜」
「やっぱり行ってきます。手先の器用さには自信あるんで」
 そう言って横島はエミの手を振り払うと成里乃の元へと向った。
 六道夫人はそれをのほほんとした笑顔で手を振って見送っているが、エミは憮然とした表情で腕を組んで席についた。それを見た夫人は「弓さんが〜いるから〜大丈夫よ〜」と微笑む。確かに彼女ならば横島が成里乃を治療しようとしたとしても止めるだろう。
 試合会場で不正を行って失格になると言うのは横島が思っている以上に大事なのだ。しかし彼は知識が足りずにそれが理解できていない。エミにはそれがもどかしい。
 六道夫人はそれを見透かしているようでクスクスと笑っている。
 何とか反撃したいが彼女はエミが太刀打ちできる相手ではないので、彼女は頬を染めながらそっぽを向いて、その視線を試合会場へと向けた。
 その視線の先にいるのは今回の試験で最も注目されているであろう受験者、レディ・ハーケン。
 ブロンドの髪をなびかせて颯爽と歩く姿は、ここが試験場でなければモデルか何かだと錯覚してしまいそうだ。
 彼女が進む先にいるのは…陰念。
 先程、陰念と浅野が一触即発の状態になった時もレディ・ハーケンは彼に注目していた。やはり実力者同士何か通じるものがあるのだろうか。
 彼女は陰念に近付くと耳元でそっと何かを告げる。
 すると彼の目がカッと見開き、何か驚愕した表情でレディ・ハーケンに向き直った。

「…?」
 その様子を見ていたエミは不審に思って首を傾げるが、流石にここからでは何を言っているか分からない。
 そうこうしている内に審判がレディ・ハーケンを呼んだので、彼女はそのまま陰念の元から離れて試合場へと向った。

「…間違いなく〜彼女でしょうね〜」
「?」
 六道夫人の呟きにエミが振り返ると、六道夫人の顔から表情が消えていた。
 その手にあるのはトーナメント表。それを見てエミは気付いた。
 彼女も教育者、自分の生徒が心配なのだ。
「間違いなく〜勝つのは〜あの子ね〜」
「………ええ、それ以外考えられないワケ」
 その視線の先にいるのは当然レディ・ハーケン。
 六道夫人が心配になるのも無理はあるまい。
 成里乃の試合の直後に行われるこの試合、その勝者こそが次の彼女の対戦相手となるのだから。



つづく



前へ もくじへ 次へ