topmenutext『黒い手』シリーズ『狼の如く、狐の如く』>狼の如く、狐の如く 3
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 狼の如く、狐の如く 3


 次に犬飼ポチが出没すると予測されている地区。その中にある人気の無い工事現場に真木は居た。と言っても、工事は始まったばかりらしく、辺りを見回してみても資材が積まれているばかりだ。重機の類も既に撤去されていて、辺りはしんと静まりかえっている。周辺の住民は既に避難しており、建物の中には狙撃班が霊波迷彩装備で身を固めてスタンバイしているだろう。警察による交通規制も敷かれているため、この場に無関係な一般人が現れる事はないはずだ。
 あとの問題は、真木が犬飼ポチの動きを止め、狙撃班が銀の弾丸を以て蜂の巣にするための時間を作れるかどうかである。
《――真木、準備は良いか?》
「問題無い。それより奴はどうしている?」
《――奴? 今のところ検問の方から連絡は無いぞ。サムライを見たら逃げろと言ってはいるが、被害が出ない事を祈るばかりだな》
「そっちじゃない、いけ好かない方の奴だ」
《誰だよ?》
 真木の強い口調に、一瞬通信相手である狙撃班の隊員の声が途絶える。彼にしてみれば『狂犬』犬飼ポチもいけ好かない。他に誰かいただろうかと考え、そこでやっと真木の意図に気付いた。
《……ああ、奴からの連絡も無いな。誰も姿を見ていない》
「妙だな。こんな物を出してきたからには、結果が気になるだろうに」
 真木は手の中で、月の魔力を遮断して一時的に新月と同じ状態を作ると言う装置を玩びながら呟いた。こんな道具、聞いた事も無かった。これを持って来たメッシャーは、一体何者なのか。狙撃班の隊員達は彼の姿を見ていないようだ。彼もどこかに潜み、あの薄い色の付いたレンズ越しにこちらの様子を伺っているのだろうか。

「待たせてしまったかな?」
「――ッ!」

 突然背後から声を掛けられて、真木はハッと我に返って身構えた。考え事をしている内に接近を許してしまったらしい。件の装置を持った手は背に隠して見せないようにする。
 街灯の光が届かぬ建物の隙間、暗闇の中に犬飼ポチは居た。肌にビリビリと来る感覚、これは殺気だ。少し気温が下がったような気もする。真木は後ずさりしそうになるのを、下唇を噛んで堪えた。昨夜は本当に見逃されたのだと、今更ながらに思い知らされる。
「馬鹿なっ、検問からは何の連絡も……」
「ククク……貴様を斬る前にこの刃を血で曇らせるのも無粋と思うてな。気付かれぬよう、穏便に突破させてもらったぞ」
「最初からここを目指していたと言うのか?」
「人狼族を舐めてもらっては困るな。貴様の匂いは覚えた。さぁ、拙者を倒すためにどれだけ準備をしてきたか、見せてもらうとしようか」
 犬飼ポチは、そのまま悠々とした足取りで工事現場に足を踏み入れてくる。待ち伏せされているとは考えないのだろうか。それとも、待ち伏せされていたところで、意に介する必要もないと言う事か。真木の頬に一筋の汗が伝った。
「フム、昨夜よりは重装備のようだな」
 犬飼ポチの言う通り、今日の真木は、スーツの上に防刃装備を着込んでいる。
 しかし、犬飼ポチは特に意に介した様子はなかった。そんな物に意味は無いと言いたげに、見下すような笑みを浮かべるばかりだ。
「灯りは良いのか? 拙者は夜目が利くぞ」
「クッ…」
 完全に犬飼ポチのペースである。敵と言う通りにするのは癪だが、彼を相手に暗視スコープで戦うなど愚の骨頂だ。真木は舌打ちをして工事現場に設置されているライトを一斉に点灯した。スイッチを入れる際に犬飼ポチに背を向ける格好となるが、それについては何の心配もしない。
 犬飼ポチは、昨夜見逃した真木が自分を倒すためにどんな準備をしてきたかを楽しみにしているようだ。背を向けた瞬間に不意を討って終わらせるような真似はすまい。
 真木がスイッチを入れると、工事現場全体が煌々とした光に照らし出された。流石に真昼並とは言わないが、これで十分な視界が確保出来る。
 笑みを浮かべる犬飼ポチに対し、真木は向き直って一歩、また一歩と近付いて行く。どうせ妖刀『八房』は離れている相手だろうが斬る事が出来るのだ。距離を取ったところで意味は無い。
「さぁ、始めようか」
「構わんが……手勢を呼ばなくとも良いのか? 周囲に幾人か伏せているようだが、狙撃などで拙者は討てんぞ」
「貴様! 何故それを……ッ!」
 驚いた真木は思わず声を荒げてしまった。これでは本当に狙撃班を伏せていると白状しているようなものだ。
 しかし、真木が驚くのも無理は無い。周囲に潜んでいる狙撃班の隊員達は皆、霊波迷彩装備に身を固めている。最新鋭の装備だ。それを容易く見破るなど有り得ない。いや、有ってはならない。
「見くびってもらっては困るな」
 一方、犬飼ポチは動じる事なく笑うばかりだ。
「どうやら、周囲の住民は避難させているようだな。無意味な事をする――いや、却って妨げよな」
「なんだと?」
「残していれば囮程度の役には立ったと言っているのだ。人の匂いがせん所に、不自然に探れん部分があれば、そこに何かあると喧伝しているようなものではないか」
「クッ……」
 そう言って犬飼ポチは、両手を広げて高らかに笑う。撃てるものなら撃ってみよと言わんばかりだが、実際に撃ったところで仕留める事は出来ないだろう。犬飼ポチの態度からは、防ぐなり、避けるなり出来ると言う自信が見て取れる。
 人狼族の超感覚。話には聞いていたが、甘く見ていた。狙撃班を呼ぶべきか。一瞬、そんな考えが頭を過ぎる。だが、それは悪手だ。真木は激しく首を振って、益体も無い考えを追い出した。
 冷静に考えろ。『八房』の斬撃を防げる可能性があるのは真木の能力のみだ。数を増やしたところで、真木の手が回らない。それに、犬飼ポチは言った。不自然に探れない部分があると。彼も狙撃班の正確な位置が掴めている訳ではない。思っていた以上に知恵が回るだけだ。
 ならば、真木の取るべき行動は当初の予定と何ら変わらない。真正面から犬飼ポチと戦い、狙撃するための隙を作る。ただそれだけである。真木は強気な態度で、一歩前に進み出た。
「そこまで分かっているなら話は早い。お望み通り始めようじゃないか。隙を見せた時が貴様の最後だ」
 真木はあえて手の内を晒す。元より、犬飼ポチは薄々勘付いているのだ。いっその事、狙撃班が狙っている事を知らせて、警戒させてしまえば良い。これで周囲に気が逸れてくれれば儲け物である。
「準備してきたのは、それだけではないぞッ!」
 更に真木は、例の装置を前に出し、月齢を新月に合わせて起動させた。一旦起動すればスイッチを切るまで、装置を中心に半径100メートルの月の魔力を遮る結界を張り続けるそうだ。この工事現場なら全体をカバー出来るだろう。犬飼ポチの出現が予測される地域に、このサイズの工事現場があった事は僥倖であった。真木は装置が動き出したのを確認すると、それをぐっと握りしめた手ごとズボンのポケットに突っ込む。真木は攻撃にも防御にも能力で伸ばした髪しか使わない。装置を握る左手は、その装置を守るために使うのだ。後は犬飼ポチに結界の範囲外まで逃げられなければ良いだけである。
「ん?」
 一瞬、違和感を感じた。視界が少し暗くなったような気がする。犬飼ポチの方を警戒しながらチラリと周囲に視線を向け、真木は違和感の正体に気付いた。
「こうなるなら最初から言っておけ、メッシャー……!」
 なんと、工事現場の周囲が暗闇のヴェールに覆われて見えなくなってしまっていた。月の魔力を遮断する結界と言うのは、月の光そのものを通さないらしい。幸い、工事現場内は先程点灯したライトのおかげで明るい。もし点灯していなければ、月明かりの無い夜の暗闇の中で、夜目の利く人狼族と対峙する事になっていただろう。考えるだけでも恐ろしい話だ。
「グッ……こ、これは!」
 一方で犬飼ポチはガクリと肩を落としていた。正直なところ、心のどこかで半信半疑であったが、月の魔力を遮ると言う効果は確かなようだ。犬飼ポチは膝こそ突いていないものの、脱力感を感じている様子である。
 しかし、油断はしない。真木は伸ばした炭素単結晶繊維の髪を身体に巻き付けて防御を固めると、左右それぞれ一房ずつ分けた髪を伸ばす。それはさながら手のようになって犬飼ポチに掴みかかった。
「行くぞッ!」
「舐めるな! この程度で拙者に届くと思うたかッ!」
 犬飼ポチもこの程度では屈しない。ぐっと腰を落として居合いの構えを取ると、吼えるような掛け声と共に『八房』を抜き放つ。
 刃から放たれる八つの斬撃。無差別にバラ撒かれているように見えたそれらは、まるで自分の意志を持っているかのように、八方から真木の髪へと襲い掛かった。その様は犬飼ポチと言うリーダーに統率されて狩りをする餓狼の群のようだ。
 八つの内、七つの斬撃を食らい斬り刻まれる髪。残り一つは直接真木に襲い掛かってきたが、真木は素早いバックステップでそれを躱した。
 そして真木は、髪を通した昨夜とは異なる手応えを感じていた。伸ばした髪は斬られてしまったが、その力は昨夜ほどではない。犬飼ポチは確実に弱体化している。何重かに重ねて守りを固めれば防ぐ事が出来ると真木は確信した。
「一気に決めさせてもらうぞッ!」
 今は押し切る時だ。そう判断した真木は、更に犬飼ポチへと髪を伸ばす。
 犬飼ポチも引き下がらない。どうしてこうなったかは分からないが、真木が月の魔力を遮断してしまった事は感覚で理解していた。力が抜けてしまっているが、この程度ならば人間相手には丁度良いハンデである。
 真木の髪も斬れない訳ではない。斬撃の威力が落ちたとしても、やりようは幾らでもあった。
「これならば、どうだッ!」
「四つ!?」
 例えば、一つの斬撃が力不足であるならば、二つの斬撃で一箇所を狙うと言う手もある。重ねるようにして繰り出された斬撃は、真木の髪を容易く斬り裂いてしまった。
 一振りで八つの斬撃を繰り出すと言うのは、元々犬飼ポチが望んでそうしているわけではない。妖刀『八房』の持つ特性である。犬飼ポチの超人的な剣技は、その八つの斬撃を自在に操る事を可能としていた。
 真木は理解する。最初の攻撃で七つの斬撃が髪を斬り刻み、残りの一つが自分を狙ってきたのは偶然ではないと。髪の攻撃を防ぐついでに、真木本体にも攻撃するために犬飼ポチがそうしたのだろう。
「適当にバラ撒いている訳じゃないと言う事か……」
 そう呟いた瞬間、犬飼ポチの追撃が来た。今度は八つの斬撃が繋がり、一条の波となって迫ってくる。
 真木は攻撃に回すはずの髪を全て防御に回し、斬撃の方向を逸らす事で辛うじてその攻撃を防いだ。

 更に犬飼ポチは幾度か攻撃を繰り返すが、真木はなんとかその猛攻に耐えた。しかし、真木が攻勢に出る余裕が無い。
 髪で犬飼ポチを仕留める事が出来なくとも、足を止める事さえ出来れば、狙撃班に攻撃してもらう事も出来るのだが、それすらも出来ない。真木が距離を取った隙を突いて、数回狙撃班が援護してくれたのだが、それでも犬飼ポチを捉える事は出来なかった。
 犬飼ポチは狙撃班の位置を把握していないはず。それでも狙撃班の放った銀の弾丸が一発も命中しないのだから、人狼族の身体能力と超感覚の凄まじさを思い知らされる。
 月の魔力を遮断する結界がある限り、真木は負けないだろう。油断しなければの話だが。しかし、このままでは千日手だ。勝つ事も出来ない。
 真木の表情に焦りが浮かんできた。千日手は、真木が犬飼ポチの攻撃を凌ぎ切ってこそ成り立つ。彼を前にして油断する気など毛頭ないが、疲労による集中力の低下だけは如何ともし難い。
 人狼族はやはり、人間よりもスタミナがあるのだろうか。これまでの攻防を見るに、人間の方がタフと言うのは有り得ないだろう。
 時間を掛ければ、敗北するのがどちらかは言うまでもない。真木はこれまでの攻防で既に息が切れかけている。揺るぎようがない冷徹な事実。これは撤退を考えるべきか。真木の頭をそんな弱気な考えが過ぎる。
 犬飼ポチはその僅かな変化すら見逃さなかった。
「この程度か! ならば、斬らせてもらうぞッ!!」
「させるかあぁぁぁーッ!!」
 ドンと強く地面を踏み込み、犬飼ポチは一気に距離を詰めてきた。斬撃を飛ばすのではなく、そのまま『八房』で直接斬りつける。
 迫り来る刃に集中力を取り戻した真木は、咄嗟に髪を伸ばしてそれを受け止めようとする。それを見て犬飼ポチは笑みを浮かべた。防げるはずがない。髪ごと胴体を一刀両断にしてやると。
 しかし、真木も諦めない。残された力を振り絞り、『八房』に向けて髪を伸ばし続ける。
「なぬッ!?」
 次の瞬間、犬飼ポチは驚愕の声を上げた。なんと、真木の伸ばした炭素繊維の髪が『八房』を包み込んで受け止めていたのだ。
 斬れないはずがない。そこまで力が落ちてはいない。犬飼ポチは、何が起きたのか理解出来なかった。
 理解出来なかったのは真木も同じだ。『八房』を受け止めようとして、伸ばした髪が斬られた感覚があった。しかし、現実に髪は刃を受け止めている。
 そして、今も続く髪を斬られる感覚。感覚がそれを知覚した時、真木は何が起きているのかを理解した。
 確かに炭素繊維の髪は『八房』を受け止める事が出来ずに斬られた。しかし、真木が炭素繊維を精製し続ける事により、斬られる速度と精製する速度が釣り合ったのだ。
「ぐ……ぬぅ……」
 犬飼ポチも何が起きているのか気付いたらしい。力を込めて、押し斬ってしまおうと踏ん張っている。
 真木も負けてはいなかった。ここぞとばかりに炭素繊維を精製し続ける。
 これこそ好機だ。真木の髪が『八房』を掴んでいる限り、犬飼ポチは刀を手放さなければ動く事が出来ない。
 狙撃のチャンス到来である。真木はチラリと視線を狙撃班が潜む家屋の一つに向け――そこで、信じられないものを目にしてしまった。
 狙撃班が銃口を覗かせる窓よりも更に上。最初は見間違いかと思ったが、そうではない。結界越しにうっすらと見える屋根の上の立つ一つの影。白いスーツに身を包んだ細身の男が立っている。
 そう、どこに居るか分からなかったメッシャーが、屋根の上から薄い色のレンズ越しに真木達を見下ろしていたのだ。その口元には笑みを浮かんでいるが、双眸は獲物を狙う猛禽類のように二人を見据えている。
 更に、メッシャーの背後の夜空がぐにゃりと歪んだ。その歪みの中から光が生まれ、どんどん大きくなっていく。
「――ッ!?」
 身の危険を感じた真木は、頭で考えるよりも早く犬飼ポチを突き飛ばすようにしてその場を離れた。突然の真木の動きにたたらを踏んだ犬飼ポチも、結界越しでも見える強い光に気付いて飛び退いた。
 二人が退避した直後、彼等がいた場所を強烈な光が薙いだ。その光は、強力な熱線となって地面を抉り、二人の間に焼け焦げた溝を作る。あと一秒、退避するのが遅れていれば、二人とも蒸発してしまっていただろう。
「どう言うつもりだ、メッシャー!!」
 屋根の上のメッシャーに向かって真木は怒鳴る。対するメッシャーは何も答える事なく、右手を高々と天に掲げた。それに応じるように背後の空間の歪みが激しくなり、夜空に大きな穴が開く。真木からは結界越しであるため何が起きているのかよく分からないが、異常事態が起きていると言う事だけは分かった。
 一方、犬飼ポチは状況が理解出来ずに「仲間割れか……?」と呟いた。そして、何が起きたにせよ両方が敵となる可能性が一番高いだろうと判断し、居合いの構えを取って両者の動きを警戒する。

 穴から何かが現れ、結界の中に飛び込んでくる。地面に着地する事なく空中で制止したそれは、真木と犬飼ポチの目の前で、優雅に白い翼を広げて見せた。
 男――だろうか。ブロンドの髪は巻き毛であり、肌の色は白く、その風貌は彫刻のように整っている。薄い衣を身に纏い、その背中には一対の大きな白い翼が生えていた。その者の周囲だけ、空気が違うかのようだ。
「天使……か?」
「その通りです。人の子よ」
 呆然とした真木の呟きに、天使は意外にもあっさりと答えた。涼しげな透き通るような声だ。高くもなく、低くもなく、声から性別を窺い知る事が出来なかった。天使なのだから、どちらでもないのかも知れない。
 信心深い者ならば、膝を突き感動の涙を流すべきシーンなのだろうが、生憎と今の真木はそのような気分にはなれなかった。何故なら、目の前の天使は、つい先程彼等を蒸発させようとした熱線が放たれた向こう側からやって来たのだから。この天使こそが熱線を放った可能性が高い。
「あの熱線を放ったのは、まさか……」
 しかし、その問いには目の前に天使ではなく別の声が答えた。
「フッ、信心の無い愚か者には、神の裁きも熱線ですか。救えませんね、シロー」
 メッシャーだ。いつの間にか屋根から下り、結界内に入ってきている。真木が声のした方へ振り返って見ると、メッシャーは既に近付いて来ており、真木の脇を通り過ぎて天使の隣に立った。
「神の裁き?」
 何故、自分も一緒に裁かれなければならないのか。真木は訳が分からない。
「全く、あのまま君が『狂犬』を押さえていてくれれば、今頃決着がついていたでしょうに」
「俺ごと吹き飛ばそうとされたのだ。避けるのは当然だろうが!」
 怒気を孕んだ真木の声に、対するメッシャーは、やれやれと肩をすくめる。その表情は笑顔で、まるで子供の駄々を窘めているかのようだ。
 しかし、次にメッシャーの口から紡がれた言葉は、真木にとって到底容認出来るものではなかった。
「何を言っているのです。正義のための尊い犠牲ではないですか」
「なん、だと……?」
 一瞬、真木はメッシャーが何を言っているのか理解出来なかった。脳が理解を拒否した。
 真っ白になった頭で何とか理解しようと頭をフル回転させる。メッシャーは言った。正義のために死ねと。つまり、彼等は真木ごと犬飼ポチを葬るつもりであの熱線を放ってきたと言う事だ。
 だんだん腹が立ってきた。真木は剣呑な目でメッシャーを睨み付けるが、彼は意にも介さない。それどころか、自分に酔っているのか大袈裟な身振り手振りで語り続ける。
「まったく。これは本来、人の手で決着を付けねばならない問題なのですよ?」
 そう言って恍惚とした表情で両手を広げて天を仰いだ。この男は一体何者だと言うのだろうか。天使と共にあると言う事は、『教会』の関係者なのだろうか。
 真木はポケットの中に入れていた装置を取り出し、メッシャーに向けて突き出す。
「この装置も『教会』の物だと言うのか?」
「まさか! それは我等が偉大なる主より贈られた物。人間の技術では作れませんよ」
 つまり、神族の技術で作られた物と言う事だ。これほどの結界が張れる装置だ。間違い無いだろう。
「君達だけでは『狂犬』を捕らえる事も出来ないから、わざわざ用意してやったのです」
「なんだとっ!?」
「事実でしょう。その恩も忘れ、死を恐れて逃げるとは……所詮人間と言う事ですか」
「ふざけるなッ!!」
 見下した態度で唇の端を吊り上げて笑みを浮かべるメッシャー。酷い侮辱であった。真木はオカルトGメンとして死など恐れはしない。しかし、死に急ぐつもりも、無駄死にするつもりもない。任務遂行の最中に勝手な横槍を入れられ、ついでに殺されるなど御免だ。
 真木は怒りに任せて装置を地面に叩き付ける。流石に壊れはしなかったが、その衝撃でスイッチが切れて工事現場を包む結界が消えてしまった。
「ム……」
 その瞬間、犬飼ポチの身体に力が戻った。『八房』の柄を握る手にぐっと力を込めて、脱力感が消えている事を確認する。
 しかし、すぐに攻撃には移らなかった。メッシャーの横槍により状況が変わってしまい、どちらに斬り掛かるべきか判断がつかないのだ。

「貴様、一体何者だ!」
 激昂した真木がメッシャーを指差し、荒々しい口調で問い掛けた。指差されたメッシャーは、その無礼な態度にムッとした表情を浮かべる。
「それは拙者も聞きたいものだな。一対一の戦いに横槍を入れるとは、無粋な奴め」
 また、犬飼ポチもメッシャーの方へと向き直り、身構えて一歩踏み出した。どちらを斬るか、或いは両方を斬るにしても、メッシャーの正体が分からない事にはどうしようもない。
 そもそも、メッシャーの隣に浮かぶ天使は、彼の合図で攻撃してきた。何故、天使はメッシャーの命令に従っているのか。真木がそんな事を考えていると、突然天使がメッシャーへと向き直り、着地して跪いた。
 これには真木も度肝を抜かれる。その姿は、明らかにメッシャーの方が天使よりも上の立場にある事を表している。
 ならば、メッシャーとは一体何者なのか。

「控えよ……」

 静かな、それでいて力強い声が辺りに響いた。抑揚の無い声だが、真木が今まで聞いたメッシャーの声の中で最も感情が――「怒り」と言う名の感情が込められているような気がする。
 次の瞬間、二人は驚きに目を見開いた。突然メッシャーの背が異様に盛り上がったかと思うと、白いスーツを突き破り、より白い大きな翼が姿を現したのだ。そう、メッシャーもまた、天使だったのである。真木は驚きで声も出なかった。
「フム、人間の匂いがせんと思えば、天使であったか」
 一方、犬飼ポチは特に驚いた様子も無い。メッシャーが近付いて来ても人間の匂いがしなかったため、天使である事は分からなくても、人間でない事は分かっていたようだ。
 犬飼ポチは有無を言わさずにメッシャーに斬り掛かった。しかし、その前にメッシャーを守るように天使が立ちはだかる。
「そこをどけいッ!!」
「させません」
 天使は障壁を張って犬飼ポチの斬撃を防ぐ。犬飼ポチは、このまま押しても斬れぬと判断すると、すぐさま飛び退いて距離を取った。天使はすぐさま反撃する。放たれた熱線は、犬飼ポチの脇腹を掠めていった。それでも十分な威力があったらしく、彼の着物を焼き、掠めた脇腹は焼け爛れている。
「ククク……斬り応えがありそうではないか。本気を出させてもらうぞ!」
 犬飼ポチが夜空に向けて遠吠えを響かせると、彼の身体がみるみる内に毛むくじゃらな獣のそれへと変わっていく。それと同時に、熱線が掠めた脇腹は、みるみる内に治っていった。凄まじい回復力だ。
 人が人ならざるものに変わっていく一部始終を目の当たりにし、真木は思わず息を呑んだ。彼の前に立つ、天使とは別の意味である種の神々しさを感じさせる姿。これこそが人狼族が本来の潜在能力(ポテンシャル)をフルに発揮出来る肉体、狼頭の獣人の姿である。
「獣風情が……片付けろ」
「ハッ」
 メッシャーは汚らわしいものを見るような目付きで犬飼ポチを一瞥すると、触れるのも嫌だと言わんばかりの表情を見せる。犬飼ポチの事は配下の天使に任せて、自らは翼を羽ばたかせると、夜空へと浮上してしまった。
 犬飼ポチは何よりもメッシャーを斬りたいらしい。すぐさま空を見上げて斬撃を放とうとする。
「させません」
 地上に残った天使は、そうはさせじと何発もの熱線を放ち犬飼ポチを牽制する。犬飼ポチは咄嗟にそれを避けたが、おかげでメッシャーを攻撃する事が出来ずに、一発の熱線が腕を掠めてしまった。
「フン、くだらん事を……」
 しかし、その腕もみるみる内に回復してしまう。真木はその様子を見て唖然としてしまったが、天使の方は驚いていないのか表情を変えようともしなかった。

 一方、息もつかせぬ攻防を目の当たりにし、真木は茫然自失の状態であった。耳に装着しているレシーバーからは混乱した狙撃班からの指示を求める声がひっきりなしに届いているが、当の真木が何かを判断出来るような状態ではない。
 今の彼に出来る事は、ただこの戦いの行く末を見守る事だけであった。

「つまらん奴め。貴様は斬っても詰まらなそうだ。そこをどけ」
「させぬ、そう言ったはずです」
 先程攻撃した時もそうだ。眉一つ動かさない淡々とした態度。犬飼ポチにはそれが気に食わないようで、天使を睨み付けて唸り声を上げている。対する天使は、やはり眉一つ動かさずに、それを聞き流している。
「チッ! メッシャーとやらを斬るには、まず貴様を片付ける必要がありそうだな」
 そう言って『八房』の切っ先を天使に向けて正眼に構える犬飼ポチ。その身体から息が詰まりそうなほどの殺気が噴き出し、周囲の者達に物理的な圧力となって襲い掛かる。
 それを見て侮れないと判断したのか、天使がチラリとメッシャーへと視線を向けると、メッシャーはコクリと頷き「許可する」と答えた。
「罪深き者達よ、悔い改めよ」
 天使がその言葉を唱えると、夜空を切り裂き光が舞い降りた。光の柱が天使を包み込み、天使はその光から武具を精製していく。光が収まると、そこには黄金の兜、鎧を身に着け、同じく黄金の剣と盾を手にした天使がそこに立っていた。
「そちらも本気を出したと言う事か」
「我等にそのような感情は存在しない。咎人を討つために、しかるべき手段を取ったまで」
「詰まらぬ奴よ。だが、斬り応えは増したようだなッ!」
 犬飼ポチは狼の顔であるため表情が読みにくいが、今の表情は見れば誰でも分かったであろう。笑みだ。犬飼ポチはかつてない敵を前にして笑みを浮かべているのだ。目の前の天使を斬るのが楽しみで仕方がないと言ったところであろうか。
 妖刀『八房』を手にした大神の末裔たる人狼族と、光の装備に身を固めた天使。人智を超えた戦いが、今始まろうとしていた。


つづく




あとがき
 今回はシロとタマモの出番が有りませんでした。
 彼女達の活躍をお待ちの方々には申し訳ありませんが、次回をお待ち下さい。

 コスモプロセッサによる二種類の復活方法。
 ニューヨークで復活した犬飼ポチのその後。
 コメリカのオカルトGメンに関する描写や設定。
 これらは『黒い手』シリーズ独自の設定です。ご了承下さい。

 また、メッシャーは『黒い手』シリーズのオリジナルキャラクターです。
 古代バビロニアの『動物の生命を司る』天使の名を借りておりますが、そのものではない事をお断りしておきます。

 作中に登場している真木ですが、これは言うまでもなく『絶対可憐チルドレン』に登場するパンドラの真木です。
 これはクロスオーバーと言うよりもゲスト出演だと解釈してください。

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