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ぷちルシちゃんの魔界的びふぉあふたぁ 1


「魔界へいらっしゃ〜い♪」

 突如現れた幼児に連れられてやってきたは、魔界的には極々普通の一軒家。
 いや、少し違う所があるとすれば、その家の大きさだ。
 周囲の家のまばらさから見るに、ここは魔界でもかなり田舎の方だろう。この辺りに住む魔族は人間界で言う下級魔族よりも更に下、魔界の一般人が住む地域だ。
 魔界の一般人の特徴として、多産で一家庭の人数が十を越える事も珍しくないと言うのがある。そう考えた場合、目の前にある一軒家は十数人単位の家族が住むにはあまりにも小さいのだ。家族全員が目の前にいるルシオラと名乗る幼児サイズならともかく、連れのベスパは普通の人間サイズである。
 本来なら辺境に住むはずもない流れ者だろうか。魔界の事情に詳しいハーピーはそう考えて訝しがるが、目の前の二人はどう見ても自分達より格上。今は彼女達について行くしかない。

 人間の中に時折強い霊力を持った子供が生まれてくるように、魔界の一般人の多くの子の中から、強い力を持った者が時折突然変異的に生まれる事もある。しかし、そういう者は例外なく魔界正規軍等にスカウトされていくので、この辺りに住むのは本当に一般人だけである。
 ちなみに、「等」と言うのは魔界の有力者達、つまり「魔王級」に列挙される者達を指す。魔界においては魔王と呼ばれる者達が独自の兵力を持っているのは極々常識的な事だ。


 ちなみに、本来魔界において≪魔王≫の称号を持つのは『サっちゃん』だけである。「魔王級」の者達は本当の魔王ではない。
 かつて全ての魔族は彼の元に集い神族と戦った。魔族を統べる王、すなわち≪魔王≫と言うわけだ。
 しかし、デタントの流れが生まれて状況が変わってきた。『キーやん』や『サっちゃん』の様な強過ぎる力を持つ者達が、人間界への影響を考慮してあまり力を使う事ができなくなったのだ。
 神族の方はそれでも良いだろう。『キーやん』達三人の指導者の元に秩序を以ってまとまっていたのだから。
 しかし、魔族は違う。『サっちゃん』が力を以って全ての魔族を従えていたのだ。
 その『サっちゃん』が力を振るえなくなる、その事により魔界の情勢は一変した。
 魔界各地で魔王を自称する者達が現れだしたのだ。更にその自称魔王同士の勢力争いが始まり魔界は混乱状態に陥ってしまった。
 これには流石の『サっちゃん』も頭を抱えてしまう。神魔のバランスを守るために力を行使する事ができず、自称魔王達を黙らせるために力を行使すれば強過ぎる力のために神魔のバランスが崩れてしまう。見事なまでの自縄自縛だ。

 それに合わせて動き出したのは、神族のデタント反対派だった。
 秩序に縛られた彼等は表立って『キーやん』に逆らう事はできない。そこで彼等は宗教等の形で人間界に勢力を伸ばし始めたのだ。

 だが、その事により『サっちゃん』は起死回生のチャンスを得る事となる。
 神族のデタント反対派が人間界に勢力を伸ばした事により、世界は神側に傾いてしまったのだ。こうなると世界を中立に戻すためと言う魔の力を行使する大義名分が立つ。
 『サっちゃん』はすぐさま力を解放し、その魔力は魔界全土を蹂躙した。そして自称魔王達は思い知ったのだ。魔界の最高指導者『サっちゃん』は健在であると。
 その後の『サっちゃん』は実にしたたかだった。今回は神族の暴走があったから力を行使する事ができたが、次もそうだとは限らない。
 そこで『サっちゃん』は彼等の持つ勢力、領地の統治を認めた。自称魔王達を自分の代理に統治する者、地方領主としたのだ。この自称魔王達が、今の魔界の有力者「魔王級」である。
 こうして真の≪魔王≫『サっちゃん』が君臨すれど統治せず、その下に「魔王級」の上位魔族達が各地方を支配すると言うシステムが誕生したのだ。魔界正規軍が誕生する遥か以前の話である。

 その後、『キーやん』が「実はあの反対派達、わざと黙認してたんですよ。おかげで助かったでしょ」と『サっちゃん』に告げた事により、「こっちが大変なんわかってんなら、もうちょい気ぃ効いた助け方してくれてもええやん!」と神話級大崩壊(ハルマゲドン)が起きかけたとも言われているが、真相は定かではない。
 ただ、その後神魔族双方により宗教、魔術を介して人間界での勢力争いが活発となった事により、デタントの流れが滞る事となった事実から、この話の信憑性は高いとする魔族の歴史研究家が存在する事は確かだ。


 閑話休題。


「と言うわけで、皆で家まで帰って来たわけなんだけど…狭いわね」
 家に入ったルシオラの第一声がそれだった。
 ルシオラにベスパ、それにハーピーとグーラー、さらにガルーダの雛達に無数のハニワ兵。もともと二人だけで暮らす事を前提とした一軒家なのだ、これだけ揃えば狭くて当然である。
「そりゃそうだろ。元々私と姉さんの二人だけで住むように作ってるんだから」
「あ〜、ご好意は嬉しいんだけど、流石にこの家じゃこの子達が…」
 ガルーダの雛を頭の上に乗せて呆れるベスパ。
 二人が横島の知り合いと言う事で安心してついてきたグーラーだったが、彼女もこれからガルーダ達が大きくなっていく事を考えれば、この手狭な家では色々と問題がある。

「…こうなったら、劇的リフォームね」
「それはちょっと待ってもらおうか」
 ルシオラが瞳に炎を宿して立ち上がった直後、それを鎮火するべく一人の女性が扉を開けた。
「ちょっとワルキューレ、これから盛り上がろうって時に水注さないでよ」
「悪いが、今日はお前達の話を聞いている暇は無い」
 訪ねてきたのはワルキューレ。いつもは一人で来る彼女だが、今日に限ってはそうではなかった。温和そうな笑みを浮かべる一人の老人を連れていたのだ。
 小柄な体格、禿げ上がった頭に、大きな鷲鼻。口元を覆う髭は長く足元まで延びている。魔族は外見から年令を判断する事はできないが、人間として見た場合、百歳はとうに越えていそうだ。ただ、その目だけが異様に鋭い。
 ワルキューレはいつも通りの毅然とした態度ではあるが、どことなく緊張した素振りが見える。
 一見ただの老人だが、魔界において力無き者が上に立つ事は無い。ワルキューレの緊張ぶりを踏まえて考えるに、この老人は彼女より遥かに強いのだろう。ルシオラ達がその隠された力に気付けない程に。

「…何かあったのか? 私達が関係する事で」
「実は、アシュタロスの遺産について問題がな…」
「「アシュ様の!?」」

 ≪過去と未来を見通す者≫アシュタロス。
 造物主に対する叛逆を赦され、輪廻の輪から外れた魂。
 だからと言って、彼に関する全てが消え去ってしまった訳ではない。ならば、彼の遺産が存在しても不思議ではないのだが…。

「そんな話、私聞いたことないんだけど」
「私もだ」
 冷静に突っ込む長女と次女。今は留学中の三女もそんな話は聞いたことがないだろう。
「いや、それはだな」
「それについては、この手紙を見ればわかるじゃろう」
 ワルキューレが説明しようとするのを遮って前に出た老人は、一通の手紙をルシオラに渡す。彼女は封筒に書かれた宛先も確認せずに手紙を取り出すと、開いてそれに目を通した。
 そこに書かれていたのは、アシュタロスの所有する城、全ての領地を彼に預けると言う物だ。

「なんで、じいさんが…ハッ、まさかアシュ様のお父様!?」
「私達のおじいちゃん!?」
 ベスパとルシオラは驚いて身を乗り出すが、老人は笑顔でそれを否定した。
 彼の方から正体を明かす気はないらしく、ワルキューレが一歩前に出て紹介する。
「…お前達が知らんのも無理はないが、このお方は魔界最大派閥の盟主≪知識と魔術を統べる王≫ソロモン様であらせられる」
「ま、まさかこいつ…いや、このお方があの≪ソロモン先生≫…?」
 魔界での暮らしが長いハーピーだけが彼の事を知っていた。ルシオラ達はハーピーの言葉の中にある「先生」と言う単語に揃って疑問符を浮かべる。
 その彼女達の表情は、次のワルキューレの言葉で驚愕に塗り替えられる事となる。

「そう、アシュタロスの恩師にあたるお方だ。
「「「恩師ぃーーー!?」」」
「「「「「ぴよーーー!?」」」」」
 とりあえず、ガルーダ達も一緒に驚いておいた。


 魔王≪知識と魔術を統べる王≫ソロモン、人呼んで≪ソロモン先生≫。
 魔界の歴史を語る上で避けては通れない魔王だ。
 元は古代イスラエルを統治する立場にあった彼は、人間の身でありながら魔界へと赴いた大魔法使いである。
 彼は力こそが全てで、混沌の支配する魔界に喝を入れ、≪激怒の魔神≫アスモダイら七十二柱の大悪魔を集めてまず「学校」を作った。その七十二柱の大悪魔の中に当時のアシュタロスも居たのだ。

「ちなみに、当時のヤツの写真じゃ」
 ≪ソロモン先生≫の出した写真を覗き込んでみると、そこには白い特攻服に身を包んだアシュタロスの姿が写されていた。背中に書かれた「叛逆上等」の文字をカメラに向け、肩越しに睨みつけるその姿は、流石は後の魔王と言うべきか、なかなかの迫力である。
「アシュ様、昔は暴走族だったんだ」
「アハハ、アシュ様が剃り込み、アシュ様が剃り込み…」
 敬愛する父の意外な過去を見せられて、ベスパは軽く壊れてしまった。

 当時の魔界では、誰もが≪ソロモン先生≫を嘲笑っていた。しかし、彼は決して諦めず、根気よく、体当たりで指導を続け、見事彼等に知性と教養を与え、本当に更正させてしまったのだ。
「それから、このお方は熱血教師≪ソロモン先生≫と呼ばれるようになったそうじゃん。ばあちゃんに聞いた事があるじゃん」
「あの頃は若かったのぉ」
 そう言って≪ソロモン先生≫は茶を啜る。熱血教師も今は昔と言う事なのだろうか。しかし、アシュタロスが魔王になる前から生きる彼が、ただの人間で無い事は明白である。そもそも、ただの人間のままでは魔王になれるわけが無い。

 その後、無法地帯であった魔界において軍隊を組織し、混沌の支配する世界に統制と、ある種の平和を与えたのが、彼の教え子達≪七十二柱の悪魔達≫である。
 ≪ソロモン先生≫の教えが魔界を変えたのだ。この軍隊は後に「魔界正規軍」と呼ばれる事となる。
 彼等は各地方の「魔王級」の持つ軍勢とは別に独立して存在し、『サっちゃん』の名の元に魔界を統制している。
 つまり、混沌の魔界においてあるはずの無い鋼鉄の秩序で統制された軍隊が存在するのは、≪ソロモン先生≫が七十二柱の教え子達を更正させたためなのだ。
 教え子達は今も彼を慕っている。叛逆者となったアシュタロスさえも、魔界に居た頃は彼に敬意を払っていた。
 すなわち、彼は魔王を統べる魔王、大魔王。
 元人間でありながら、魔界最大派閥の盟主と呼ばれるのはそのためなのである。
 もっとも、大魔王というのも「魔王級」と同じく通称に過ぎなくはあるが。

 ちなみに、人間界においては≪ソロモン先生≫は七十二柱の悪魔を使役する召喚師とされているが、これは魔族と人間の間に、契約以外の関係が成り立つはずがないと思われていたためだ。
 七十二柱の悪魔達はさまざまの知識を与えてくれるとも言われているが、これも元々は≪ソロモン先生≫が教えた事。
 事実が誤って伝承されたりする事はよくある話であろう。

 更に言えば、『ソロモンの小さな鍵』と呼ばれる魔術書『レメゲトン』。その第一部『ゴエティア』には七十二柱の悪魔の名と、彼等の姿、能力が記されているが、これは実は≪ソロモン先生≫が当時使用していた出席簿と内申書だったりする。
 魔鈴も写本を持っているが、彼女がこの事実を知れば、ショックのあまりに卒倒する事だろう。世の中知らない方が幸せな事も存在するのだ。


「つまり、アシュ様は恩師である貴方に自分の遺産を預け。貴方は今、本来の後継者である私達に、それを返しに来たと言う事ですね」
「そういう事じゃ、理解が早いのぅ」
 そう言って、目を細める≪ソロモン先生≫。心の中では理解の早さよりも、目の前の相手が大魔王と知っても怯まない彼女の胆力に感心している。
「それで、遺産と言うのは…あまり大きい物だと、置く場所に困るんですけど」
「大きい事は大きいが、置き場所に困る事はなかろう」
 そう言って彼がルシオラに渡したのは、その言葉とは裏腹にとても小さな鍵だった。
「これは…」
「あやつのの鍵じゃよ」
「おしろ!?」
 考えてみれば、魔王であるアシュタロスが自分の城を持っているのは当然の事だ。王なのだから。
「あと、領地の範囲じゃが」
「アシュ様、領主だったのね…」
「当たり前じゃ。何百年もワシに押し付けおってからに」
 ぶつぶつと言いながら≪ソロモン先生≫が広げた地図を見てみると、アシュタロスの領地は彼の領地と隣接した所にあるらしい。領地を預けられた≪ソロモン先生≫には都合が良かったのだろうが、アシュタロスが魔王になった当時から叛逆の事を考えて、恩師に自分の領地を預ける事まで考えていたとすると、色々と複雑だ。
 ≪ソロモン先生≫の話によれば、アシュタロスは彼の生徒だった頃から優等生ではあったが、他の七十一柱とはどこか一線を画していたらしい。彼の教えを最も良く解し、より高み、いや、深みを目指していたのだ。
 今にしてみれば、アシュタロスはこの世界の真理に近付き過ぎてしまったのかも知れない。そして、彼は叛逆者として滅んだ。まるで、太陽に近付き過ぎた英雄が地に堕とされたように。

「あやつを生徒にしたのは間違いだったのかも知れんのぅ」
「恨んでいるなら、貴方を信じてこんな手紙を送らなかったと思いますけど」
「…だと良いのじゃが」
 まるで、あの頃のアシュタロスを思わせるような、しかし、どこか希望を抱いているように見えるルシオラの眼差しに、≪ソロモン先生≫はどこか救われたような心持ちになっていた。
「とにかく、いつまでも代理のワシがアシュタロスの領地を管理しておるわけにはいかん」
「それはわかりますけど、魔界において領主になれるのは魔王だけのはずでは?」
「うむ、お主等では力不足もいいとこじゃがな。ワシが後見人になると言う事で、上は納得させた」
「う〜ん…」
 魔王になると言うのは、魔族にとって大出世だ。色々と都合の良い事もあるだろう。しかし、ルシオラは素直にそれを喜ぶ事はできなかった。
 彼女にとって一番重要な事は「『魔王級』は、神魔の最高指導者の許可無く人間界に行けない」と言う事なのだ。反デタント派なら話は違っていたかも知れないが、その先に待っているのは叛逆者の烙印しかない。
 つまり、この話を受ければ、ルシオラは自分の意思で横島に会いに行けなくなると言う事だ。彼女にとっては一大事である。
 同時にそれは、魔界全体に対してある程度の発言力を持つ事でもあり、人、妖怪、神魔の融和を目指す横島の援けになれると言う事となる。無論、彼女の力では手に入る発言力など微々たる物ではあるのだが。
 そして一番の問題は、ここで断ると言う事は≪ソロモン先生≫の顔をつぶす事に他ならない。父の恩師となればそれも気が引けるし、何より実力的にそれが可能な相手とは思えない。
 つまり、選択の余地は無い。
「…わかりました。拒否できるものでもなさそうですし」
 ルシオラの返事に≪ソロモン先生≫は鷹揚に頷いた。
「では、今日からお主は『魔王見習い』と言ったところじゃな」
「ま、魔王…」
「見習い…」
 ルシオラの最近の行状を知るベスパとワルキューレの二人は、眩暈を覚えてよろめいた。豪華なガウンを着て玉座に座り、高笑いをあげる幼児ルシオラをイメージしてしまったのだ。

 ルシオラの返事を聞いた後、≪ソロモン先生≫も暇ではなかったらしく、すぐさま席を立ち「困った事があれば、訪ねてきなさい」と言い残してワルキューレを伴って去って行った。
 ベスパは軍人らしく敬礼で見送り、ハーピーも慌ててそれに倣うが、ルシオラだけは大きく手を振って彼を見送った。

「あれ、グーラーは?」
 家の中に戻ってみると、昏倒したグーラーの周りでガルーダ達がぴよぴよと鳴いていた。
 ≪ソロモン先生≫の放つ威圧感に耐えられなかったのだろう。ただでさえ魔界の瘴気に適応できてない彼女には、力を隠しているとは言え、魔王の前に出るのは少し酷だったらしい。


「と言う訳でお引越しよ」
「まったく唐突だな…」
 ≪ソロモン先生≫が帰った直後のルシオラの宣言に、ベスパは呆れた顔をしているが、姉が唐突なのはいつもの事なので、既に諦めの境地だ。
「でも、グーラー達の事を考えたら、この家のままじゃダメでしょ。いい機会よ」
「そりゃ、そうだろうけど…」
 ベスパから見れば「いい機会」と言うより、「最悪の状況」の到来である。
 横島が混ざってしまったかのような姉の性格もある。しかし、それ以上に問題となるのは、魔王になると言う事は、魔界において色々な場面で矢面に立つと言う事だ。ただ玉座でふんぞり返っていれば良いと言う物ではない。
 しかし、ベスパの心配をよそに、ルシオラはそんな事を気にせずに話を進める。
「グーラー達も、城ぐらいに広ければ大丈夫でしょ?」
「大丈夫だと思うが…いいのかい?」
「いいのいいの♪」
 そう言ってケラケラと笑うルシオラ。
 彼女も、ただ親切心で彼女を誘っているわけではない。人間界生まれのガルーダに精霊の眷属。彼女達はルシオラにとってとても知的好奇心をそそる興味深い存在だ。
 それを抜きにしても、横島と懇意とあらば放っておくわけにはいかない。何より横島がいつか魔界に来た時、彼女達と共に盛大に出迎えれば、彼もきっと喜ぶ事だろう。

「あー…それじゃ、そろそろあたいはおいとまするじゃん」
「待ちな、ハーピー」
 ベスパは、そろりそろりと逃げ出そうとするハーピーの首根っこをぐっと掴んだ。
「いや、あたいは別に横島と仲が良いわけじゃ」
「そう言うな。向こうじゃ、縁は異なものって言うらしいぞ」
 据わった目をしたベスパに迫られて、ハーピーは何も言えなくなってしまう。
 結局のところ、ベスパは道連れが欲しいのだ。これからの負う事になるであろう苦労を共に分かち合える者を。
「お前だって、アシュ様の元にいたんだ。魔界での立場はそう良い物じゃないだろ?」
 押し黙るハーピー。べスパの言葉は紛れも無い事実だった。
 アシュタロスは赦されたと言っても、それは神魔最上層部の話。世間ではそんな事は関係無い。場所によっては、アシュタロス陣営の関係者と言うだけで後ろ指を指される事となる。
「私がこう言うのも何だけど、姉さんと横島に関わったのが運の尽きだと思いな」
「トホホ…」
 ハーピーの不幸は、まだまだ終わらないようだ。


 その後、ガルーダ達を庭に出して、その世話をハーピーに任せ。弱ったグーラーは、魔鈴から預かっている合鍵を使って、彼女の家で休ませる。
 結界に囲まれた魔鈴の家の中に瘴気は無いのだ。魔界のそれに適応できていない今のグーラーには、唯一の安息の空間である。
「さぁー、ハニワ兵! 魔鈴が帰ってくるまでに荷物をまとめるわよ!」
「「「「「ぽーっ!」」」」」
 ハタキを片手にほっかむりをしたルシオラの掛け声にハニワ兵達が応える。
 玄関先の方では、ベスパが妖蜂達に、家屋の処理を命じていた。

 魔界において「引越し」と言う行為は、人間界のそれは少し異なる。
 一番の違いは、引っ越した後に何も残さないと言う事だ。
 数多の種族が混在する魔界においては、「家」と言うより「巣」と呼んだ方が相応しいような家屋も多く、それらには種族ごとの伝統がある。
 全ての巣に共通する事は、引越しの際に跡形も無く更地にしてから去ると言う事。これは種族全体が同じような構造の家を使用しているため、他種族にそれを知られないようにと言う自衛の意味も込められている。巣を調べれば、卵がどこにあるのか、食料をどこに溜め込んでいるのか等を知る事ができるからだ。
 ベスパの建てたこの家もそうだ。彼女はこれから、妖蜂達と共に、この家をバラバラにする。
 彼女は同種の個体を持たない上位魔族だが、やはり似たような蜂の魔族がいるので、その者達のためにもこの家を残してここを去る訳にはいかない。

 ベスパの作ったこの家は、一見普通の人家に見えるが、実は蜂の巣である。
 蜂の巣と言うのは、蜂自身が分泌する蜜ロウ、所謂「巣蜜」で作られているのだが、スズメバチの悪魔であるベスパの巣にそれは当てはまらない。眷属の妖蜂達により木の繊維を唾液のタンパク質で固めた紙のような物で作られている。
「巣蜜が取れれば良かったんだけどねぇ、薬にするにも量が多いか」
 材料が材料なだけに、向こうに持っていったところで再利用などできるはずがない。
 実は薬として利用する事もできるのだが、それをするならベスパは巣を再利用するよりも、最初から薬そのものを作る。その方が不純物も少ない。
 彼女のやるべき事は、情報を残さないように分解し、燃やして、全てを隠滅する事だけだ。

「おっと、妖蜂達の巣は持って行かないとな。あれだけ大きくなったんだし」
 ベスパは屋根の上に上り、破風の下にある妖蜂の巣を剥がす。人間がスズメバチの巣に対して同じような事をすれば、防護服でも着ていない限り、すぐに巣の主達に襲われてしまうだろうが、妖蜂にとってはベスパこそ主である。何の問題も無い。
「そういや、人間界に行かされた連中は元気にしてるんだろか…」
 巣を抱えたベスパは、遠い異世界の空の下にいるであろう妖蜂達に思いを馳せる。
 彼等はルシオラが復活した頃に、横島監視のためにルシオラの命令で人間界に派遣されてしまったのだ。
 人間界、特に横島の住む日本と言う国では、巣ごと駆除されてしまったり、地方によっては幼虫を食べてしまうらしい。魔界も物騒だが、人間界も大概物騒である。
「皆、無事にお勤めを終えて帰ってくるんだよ」
 そう呟くベスパの目は、少し涙ぐんでいた。


「みんな、ご飯よ〜」
 魔鈴の声に誘われて、通風口から次々に姿を現すのは、ベスパに心配されていた妖蜂達。
 彼等は現在、魔法料理『魔鈴』の天井裏を間借りして、巣を作り生活している。食事も本来の主食である終齢幼虫の分泌する栄養液は無いが、魔鈴が蜂蜜、メープルシロップを用意してくれるし、魔法薬の材料採取に行った際に、彼等の好むシラタマタケを見つけて来てくれる事もある。
 ちなみに、スズメバチは肉食だと思われがちだが、それは幼虫の話だ。成虫の彼等には関係の無い話だし、女王蜂たるベスパのいない彼等の巣に幼虫はいない。
 最近の彼等は、本来の横島監視と言う任務以外に、魔鈴の除霊や材料採取を手伝ったりもしているらしい。都会であるため天敵も少なく、魔鈴の保護下にある事により巣が駆除される事もない。
 なかなかの好条件で、彼等はそれなりに楽しく生きていた。


 そんな遠い空の下の妖蜂達の現状を知る由もないベスパは、妖蜂の巣を魔鈴の家の屋根に移し終えて、ルシオラの元に向かう。
 すると、ルシオラは台所のテーブルの上に胡坐をかいて、ハタキを振り回しながらハニワ兵達に指示を飛ばしていた。
「ところで姉さん。どうやってアシュ様の城まで行くんだ? 流石に連中を連れて旅をするのは危険だぞ」
 ベスパの言う通り、人里を離れると魔界の治安は恐ろしく悪い。ハーピーは自分で自分の身ぐらい守れるだろうが、グーラーとガルーダ達はそうはいかない。何より、ハニワ兵も合わせれば三十人近い大所帯だ。目立つ事この上ない。
「あー、その点は大丈夫よ」
「私らで守れって言うのか?」
「何で、そんな面倒臭い事を…そこのハニワ兵ー、まとめた荷物は魔鈴の家に運び込んでー!」
「は?」
 訳のわからないルシオラの命令に、ハニワ兵は軽快な返事を返すと、荷物を詰め込んだダンボールを魔鈴の家に運んで行く。
「なんで、魔鈴の家に…」
「皆でアシュ様の城まで行くのは無理でも、ベスパ一人が空を飛んで行くのは簡単でしょ?」
「そりゃ、まぁ」
 得意気にハタキを振りながら説明するルシオラ。彼女には何か算段があるらしいが、ベスパはまだピンとこない。
「座標さえわかれば、魔鈴の家をそっちに転移する事ができるから。後は皆を魔鈴の家に詰め込んでおけばいいのよ」
「あ、なるほど」
 そこまで言われてベスパは気付いた。
 ルシオラ達が引っ越すと知れば、魔鈴も後を追ってくるだろうとは思っていたが、彼女は引っ越す必要が無いのだ。異界空間に建ててある家を、魔法で結界を張って魔界に出現させているだけなのだから。

「だから言ったでしょ。魔鈴が帰ってくるまでに荷物の整理を済ませなさいって」
「あいつも、帰ってきたら驚くだろうな…」
 そう言って、疲れた様子で肩を落とすベスパだったが、ルシオラは魔鈴はきっと喜んでくれると確信していた。
 何故なら、彼女もルシオラと同じく知の探求者だからだ。
 魔界のより深淵を覗き見る事ができるのだ、喜ばないはずがない。
 そう考えるルシオラの表情は、ベスパが思わず後ずさってしまう程の、実に良い笑みを浮かべていた。



つづく




 言うまでもない事ですが、作中の≪ソロモン王と七十二柱の悪魔(精霊)≫の設定は『黒い手』シリーズ独自の設定です。
 『レメゲトン』についても同様です。決して本気にしないで下さい。
 (第一部『ゴエティア』に七十二柱の悪魔の名前、姿、能力を書いていると言うのは本当らしいですが)

 正しい事を知りたい方は検索してみて下さい。普通にその手のサイトが見つかると思います。

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