topmenutext『黒い手』シリーズ『黒い手』最終章』>04 神族の策動
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 04 神族の策動


 ここは、日本で有る事がにわかに信じ難い程の人外魔境。霧が深く、視界はお世辞にも良好とは言えない。霧の合間から辛うじて、険しい岩肌が剥き出しとなった山が頭を覗かせている。
 ここは世界有数の霊格の高い山であり、神と人間の接点の一つであると言われている。切り立った断崖絶壁に囲まれた道の先に、伝説の修行場『妙神山』の門があった。

「はぁ……」
 横島の家への使いを終え、妙神山まで戻って来た小竜姫。その表情は何故か暗い。門の前に降り立った彼女は、鬼の身体に戻り、左右の門に顔を戻した鬼門の前で大きな溜め息をついた。
「小竜姫様、いかがなさいましたか?」
「あ、いえ、少し疲れました……」
 尋ねられた小竜姫が、小さな声でそう呟くと大きな門に張り付いた鬼門の顔は、同情の眼差しを彼女に向けた。両脇に並ぶ彼等の身体が、腕を組み、肩を動かしている。頭が門に固定されているため分かりづらいが、どうやらさもありなんと頷いているらしい。
 小竜姫が憂鬱になっている原因は、横島の家を訪ねた一件にあった。知っての通り、これは立場上頭を下げる事が出来ない『キーやん』一派の代理として「竜神王からの見舞い」と言う建前で彼女が赴いたものである。
 どうして自分が、横島とあんなギクシャクしたやり取りをしなければならないのか。小竜姫は、横島が一般人であった頃からの知己であり、彼の資質を見出し、霊能力に目覚める切っ掛け、『心眼』を与えたのも彼女である。その後も彼の成長に大なり小なり関わっていた。
 横島が妙神山で半年間修行した時も、最も深く関わったのは間違いなく小竜姫であろう。事体術に関しては、猿神(ハヌマン)相手では修行にならないため、小竜姫が面倒を見た。ああ見えても横島は、体術、剣術の基礎は小竜姫に叩き込まれているのだ。もっとも、彼はそれを我流の動きに昇華してしまったが。その技術が今は、回避の技に活かされている。
 それはともかく、小竜姫は神族の中では自分が最も横島と近しいと言う自負があった。これは自惚れでもなんでもなく、紛れもない事実であろう。猿神が師匠ではあるが、最も長い時間一緒に過ごしたのは姉弟子の小竜姫だ。ヒャクメも横島とは親しいが、やはり小竜姫程ではない。他に候補が居るとすれば韋駄天や月神族ぐらいだが、前者はあくまで戦友のような間柄であり、後者はいかんせん地球と月は遠過ぎた。
 どうして自分が『キーやん』の派閥の尻拭いに駆り出されねばならないのか。そんな疑問が頭を過ぎるが、それもまた彼女が最も横島に近しい神族だからである。
「このような形で、横島さんと会うのは勘弁してもらいたいですね……」
 それが愚痴である事は重々承知しているが、どうせ使者として会いに行くのなら、もっと友好的な内容で行きたかった。それが小竜姫の偽らざる本音であった。
「ところで小竜姫様。留守中にタマモめが人狼族の娘を連れて、訪ねて参ったそうです」
「事情が事情でしたので、試しを行わずにヒャクメが中に迎え入れております」
 話は聞いていたが、妖刀『八房』を持ったシロ達は、小竜姫が横島の家に行っている間に、ここに到着していたらしい。鬼門が不在であったため、ヒャクメが応対し、迎え入れたそうだ。それを聞いた小竜姫は、急いで門を潜った。妖刀『八房』と言う危険物の扱いを、ヒャクメに任せるのが不安だったのである。


 門を潜った小竜姫は、早足で自室に戻る。いつもならパピリオ辺りが「おみやげは?」と駆け寄ってくるはずなのだが、今日は誰とも顔を合わさない。彼女は更に歩みを早めた。おそらく、ヒャクメだけでなくパピリオ、メドーサも揃って、シロ達に応対しているのだろう。
 部屋に戻った小竜姫は、スーツを脱ぐ。スーツのタイトスカートは横島にも好評であったようだが、やはり足下がスースーして落ち着かないと小竜姫は思う。そして、普段の胴着に着替え、姿見を覗いて身嗜みを整えた。やはり、この服を着ると気が引き締まる。
 修行者であれば修行場に向かうところだが、シロ達の第一の目的は妖刀『八房』をどうにかする事だ。ヒャクメが応対している事も踏まえ、おそらく客人として扱っているだろうとあたりをつけた小竜姫は客間へと向かった。

「フム……なかなかの業物じゃのぅ。天界広しと言えど、これほどの物は、なかなかお目にかかれんわい」
 小竜姫が客間の前まで辿り着くと、中から猿神の声が聞こえてきた。どうやら、妙神山総出で応対しているらしい。小竜姫は居住まいを正して中に声を掛けると、正座をして襖を開き、一礼してから部屋の中に入った。
 中では、ヒャクメ達がシロ達も交えてテーブルを囲み、談笑する傍らで、猿神が『八房』を手に取り目利きしていた。その刃の煌めきに、見ているだけの小竜姫も、魂を魅入られそうになってしまう。なるほど、確かに妖刀だ。しかも、神族すら魅了する大業物である。

「あ、おかえりなのねー。横島さん、ちゃんと受け取ってくれた?」
「お前、詫びの言葉は使ってねぇだろうな?」
「……不本意ながら、そこはしっかりこなしましたよ」
 ヒャクメとメドーサが笑顔で声を掛けてくる。ただし、普段通りの笑みを浮かべるヒャクメに対し、メドーサのそれは皮肉めいたニヤニヤとした笑みだ。対する小竜姫は、いつものようにメドーサに言い返す気力も無い。
 建前上は詫びの言葉を使わずに、あくまで見舞い金として渡す。命じられた任務を忠実にこなしてきた訳だが、小竜姫はそれを誇る気にはなれなかった。むしろ、神族のしがらみが自分と横島の間に塀を作ってしまったように思えて、落ち込み気味である。
「お、お邪魔しているでござる」
 シロは小竜姫の方に向き直って姿勢を正すと、三つ指をついて頭を下げた。
 タマモが連れてきたと言う事で、どのような娘かと思ったが、想像以上にハキハキとした元気の良い娘だ。一方のタマモは、小竜姫の存在に気付きながらも、面倒臭そうにチラリと一瞥しただけな事もあり、礼儀正しいと言うのも好感が持てる。
「実はですね。横島さんと話をして、貴女達は今回の騒ぎが収まるまで、修行者として妙神山で面倒を見る事になりました」
「な、なんと! ここで修行が出来るのでござるか!? で、では、早速鬼門の試練を……!」
「ああ、それはいいですから。どのような修行を受けて頂くかは、私が判断しますので」
 入るためのテストに関する話は、横島か令子辺りから聞いていたのだろう。シロはやおら立ち上がり、門へと向かおうとするが、小竜姫がそれを止める。今回の騒動は、既に神族の上層部も動いて居るため、解決までさほど長くは掛からないだろうと小竜姫は考えていた。そのため、修行を見ると言っても基礎的な事しかやらせるつもりは無かったのだ。
 鬼門の試練は、いずれシロが修行のために再びここを訪れた時で良い。と言うより、最近の彼等は自分達が蔑ろにされていると感じたのか、暇があれば修行に励んでいる。シロの方は見たところ真正面から力押しでぶつかって行くタイプのようだ。仮にも鬼である彼等が相手では、一人だけでは勝てない可能性があった。
 タマモと協力すれば、彼女が搦め手で何とかするかも知れないが、彼女は「え〜、修行なんて面倒臭いわよ」と、全くやる気が無い。その態度に、小竜姫の口元が引き攣った笑みを浮かべてしまう。
 逆にメドーサの方は、そのふてぶてしい態度を気に入ったようだ。タマモも、生真面目な小竜姫よりも、最近は怠惰な毎日を送っているメドーサの方が波長が合うらしい。何やら意気投合している。
「……メドーサ。シロの方は私が面倒を見ますので、タマモは貴女に任せても良いですか?」
「ん? ああ、別に構わんが……別に修行しなくてもいいんだろ?」
「! ご勝手に! 行きますよ、シロ!」
「了解でござる!」
 やる気の無い者に修行をさせても仕方が無い。小竜姫は、真面目に修行をする気があるシロだけを相手にする事にした。正直なところ、彼女が今まで相手にしてきたのは、修行する事を求めて来た者ばかりなので、タマモのような相手にどう接すれば良いのかが分からないのだ。メドーサの方もやる気がなさそうだが、タマモの相手には丁度良いだろう。
「パピリオ、貴女の修行も始めますよ!」
「ゲッ、とばっちりでちゅ!」
「それでは斉天大聖老師、『八房』の事は、よろしくお頼みいたす! では、失礼するでござる!」
 突然話を振られたパピリオは一瞬嫌そうな顔をしたものの、渋々立ち上がって小竜姫について行った。シロも猿神にペコリと頭を下げると、慌ててそれに続く。
 パピリオは決して真面目な方ではないが、口では拒否しながらも結局は修行をする。シロが小竜姫に、タマモがメドーサに似たタイプだとすれば、パピリオは――横島に近いタイプだと言えるかも知れない。その姿を見て小竜姫の顔に知らず知らずの内に笑みが浮かぶ。彼女は、この不真面目に真面目な弟子の姿に癒されていた。

「あ〜らら、小竜姫ったら『八房』の処置も聞かずに行っちゃったのねー」
「せっかちなヤツね〜」
「ま、これはワシの担当じゃしな」
 そう言って猿神は『八房』を鞘に収める。
「で、どうするの?」
 後生大事に扱う猿神に、湯飲みを手にしたタマモの目がスッと細まった。
 『八房』が人狼族の至宝である事は、ここに来るまでの道中シロから嫌になるほど聞かされていた。しかし、それが原因で迷惑を被ると言うのであれば、さっさと処分して欲しいと言うのが、彼女の本音だ。
 しかし、猿神はニコニコと笑いながら、タマモを窘める。
「いかんな、責任の所在を履き違えては。この刀が悪いのではなく、襲ってきたヤツが悪いに決まっておろう」
「「………」」
 さらりと言う猿神に、タマモとメドーサは揃って呆れたような表情になる。当然だ。ハッキリとは言っていないが、その言葉は派閥こそ違えど同朋であるはずの天使が悪いと言っているも同然である。
「……え、えーっと、ギリギリセーフなのねー」
 ヒャクメ曰く、ハッキリとは言ってないからセーフらしい。とか言いつつ、その頬には冷や汗が一筋伝っているので、かなり危ない発言であった事は確かなのだろう。タマモとメドーサは目を逸らして茶を啜り、揃って聞かなかった事にした。賢明な判断である。
「まぁ、今回の騒動が収束するまで、妙神山でおとなしくしておれ。暇つぶしが必要ならゲームを貸すが、どうする?」
「あんました事ないんだけど、暇つぶしにはなりそうね。借してもらうわ」
「では、後で持って来よう。その前に、こいつをワシの部屋に仕舞っておくかの」
 猿神は、鞘に収めた『八房』を持って立ち上がった。異空間にある自室に隠すのだ。彼の自室は、強過ぎる力で人間界の神魔のバランスに影響を与えないよう、冥界に属する次元にある。つまり、一時的とは言え『八房』が人間界から消える事になるため、過激派神族の天使達も手出し出来なくなってしまうと言う訳だ。
 もし、これでも『八房』を奪いに来たら、『キーやん』の派閥が『ブッちゃん』の派閥に戦いを仕掛けたと言う事になる。神族同士の争いで神属性側の勢力が弱まれば、魔属性側に隙を見せる事になる。反デタント勢力も、それだけは避けなければならないのである。
「………」
 タマモは笑顔のまま自室に戻って行く猿神の背を見送った後、そっと溜め息をついた。
 それを目敏く見付けたメドーサが、からかうように声を掛ける。
「どうした、お家に帰りたいか?」
「……いや、帰ってもボロボロになってるしねぇ」
 厄介な事に巻き込まれてしまったと言うのが、今の正直な心情であった。
 確かに、妙神山に居れば安全だろう。神族だけでなく魔族の過激派も攻めてくる可能性も考えられるが、そのような時のためにパピリオは魔界に帰還せずに妙神山に留まっているのだ。単純にマイト数だけで比べれば、彼女は小竜姫よりも強いのだ。それこそ、ベスパクラスの上級魔族でも来ない限り、あっさり返り討ちにしてしまうだろう。
 しかし、自分の安全が確保出来たとなると、次は残してきた家族の事が心配になってくる。横島の腕の事を知っているため、彼の事は特に心配だ。
「横島は大丈夫かしらねぇ……」
「あのダメ親父は殺しても死なんだろ」
 何気ないメドーサの一言に、タマモは一瞬呆気に取られてしまったが、やがて「してやったり」と言わんばかりの笑みを浮かべた。ヒャクメもニヤニヤとメドーサを見ている。
 二人の反応に、当のメドーサも自分の失言に気付き、微かに頬を染めてばつの悪そうな顔をした。
「あ、やっぱり父親扱いなんだ?」
「ん……まぁ、一応な。……って、ニヤニヤ笑うなヒャクメ!」
「いやー、実は暇な時に横島さんの事覗いてたりするんだけどね。その時は、大抵メドーサも一緒に……」
「私もヒマなんだよっ!」
 大声で否定するが、顔を真っ赤にしては意味がない。
 メドーサは妙神山に幽閉されている身であるため、かなりあやふやな立場にある。そのため、何でも良いから誰かと繋がりを持ち、自分の立ち位置をハッキリさせたいと言う思いがあった。妙神山での怠惰な生活を知ってしまった今、幽閉が解かれたとしても再び裏の世界で生きていこうとは思わないと言うのもある。
 実は、メドーサは小竜姫に負けないぐらいに彼との因縁が深い。彼を殺そうとした事もあれば、逆に二度殺されてもいる。小竜姫に比べれば物騒な間柄だが、その事については双方既に水に流していた。
 だからこそ、横島なのである。メドーサからしてみれば、二十歳にも満たない若造を父と呼ぶのも変な話なのだが、一度は彼の腹を利用して生まれ変わったのは事実である。あまり認めたくはないが、横島を「ダメ親父」と呼んで踏み付ける程度には気は許していた。
「向こうの動きも気になるから、心配しなくても後で見せてあげるのねー」
 「娘」と「妹」の言い争いを眺めるヒャクメは、暢気に煎餅をつまんでいた。
 だが、何もせずにのんびりしている訳ではない。こう見えても、彼女はしっかりと仕事をしているのだ。現に、小竜姫が帰ってきた直後に、無事に見舞い金を渡せた事を天界に報告していたりする。
 今も、現在進行形で人間界、天界の情報を収集していた。彼女が横島の生活を覗き見しているのも、ただ単に趣味と言う訳ではないのだ。周辺に過激派神魔族が現れないかを見張り、彼の安全を確保する。信じられないかも知れないが、修行に訪れる者も少ないこの妙神山で、最も多くの仕事をこなしているのは、実は彼女なのである。
「横島さんは今、六道家に行って面白い事になってるのねー」
 もっとも、半分以上趣味でやっている事は、否定出来ないが。

 修行場の方は、今頃真面目な小竜姫とシロに、パピリオが振り回される形で盛り上がっているだろう。
 しかし、客間の方も、タマモ、メドーサ、ヒャクメの三人で負けじと盛り上がっていた。



「ふむ……『見舞い金』は、無事横島さんの手に渡ったようですね」
 一方、冥界では『キーやん』が光に包まれた何もない空間でヒャクメからの報告を受けていた。ここは天界とも異なる異空間である。報告を持って来た天使は、『キーやん』の前に跪いていた。その偉大さにこうして近くにいるだけで身が削れる思いだ。
 いつもならば、このような騒動が起きた時は『サっちゃん』もこちらに出向いているのだが、今回は流石の『サっちゃん』も魔界に留まり魔界全土に睨みを効かせている。
 現在の状況は、下手をすれば『聖書級崩壊(ハルマゲドン)』一直線に成りかねない危険なものであった。人間界で神魔族が争ったのとはレベルが違う。魔界本土に天使が攻め込んだのだ。これで騒ぐなと言う方が無茶である。反デタントの過激派ばかりでなく、デタント推進派の中にも、これには激怒している者も多いそうだ。当然の反応であろう。
「ご苦労様でした。下がりなさい」
「ハッ!」
 深々と一礼をして、跪いていた天使が空間を転移して天界へと戻って行く。
 残された『キーやん』は、その天使がいなくなった事を確認すると、大きな溜め息を付いた。
「まったく、『聖祝宰』も厄介な事をしてくれたものですね……」
 この時点で『キーやん』は、今回の騒動を起こしたのが『聖祝宰』の一派であり、魔界に攻め込んだのが『天智昇』である事まで掴んでいた。『天智昇』が如何なる手段を用いて堕天する事なく『宇宙のタマゴ』を手に入れたかまで。
 『宇宙のタマゴ』の本来の用途とは、その名の通り新しい宇宙を生み出す『創世』だ。しかし、アシュタロスが、神魔が逆転した世界をシミュレートするために利用し、『究極の魔体』のバリアにそれを応用したように、さまざまな用途に用いる事も出来るエネルギー結晶でもある。
 その気になれば、天界でも作る事が出来るのだが、それには莫大なエネルギーと時間が必要であった。それを大量に所持していたアシュタロスは、どれだけ時間を掛け、周到に準備していたかが伺える。
 では、『聖祝宰』は、その『宇宙のタマゴ』を手に入れて何をしようと言うのか。その点について『キーやん』配下の天使達は、『聖祝宰』一派の目的をいまだに掴みかねていた。


 静寂が支配する白亜の宮殿。その中庭の泉の前に二柱の天使が佇んでいた。
 一柱は『天智昇』、羽ばたく翼を彷彿とさせる金色の髪の上に四つの天使の輪が絡み合っていた。翼を模した眼鏡の位置をクイッと神経質そうに指で押し上げて直している。彼こそが魔界に攻め込み、配下の天使を犠牲にして『宇宙のタマゴ』を奪った張本人である。
 もう一柱は『聖祝宰』、頭には大きく広げた翼を象った冠を被り、ゆったりとした紫紺の衣を身に纏っている。そして、その背には色取り取りの六枚の翼があった。真っ白な神殿の中において、際だつ色彩の持ち主である。豊かな長い髪は光沢があり、その深い色合いはまるで翡翠のようだ。その顔は柔和な笑みを浮かべている。
 『聖祝宰』は天使達を束ねる天使長の一柱であり、神と呼ばれる存在だ。潔癖な性格であり、その温和そうな物腰とは裏腹に、魔に連なる者は全て滅ぶべしと言う過激な思想の持ち主だ。
 彼の掲げる理想は『天使絶対』、天使のみの完全なる善の世界を作る事にある。天使達の中には彼の理想に共感する者も多く、『キーやん』の派閥の天使達の中でも、確かな勢力を誇っていた。デタントを推し進める『キーやん』にとって、獅子身中の虫と言っても過言ではない一派である。
「おお、これが『宇宙のタマゴ』か!」
「ハッ!」
 『天智昇』よりタマゴを受け取った『聖祝宰』は、両手でそれを持ち、大事そうに抱え込んだ。これは、彼の理想を実現するためのカギとなるのだ。それをようやく手に入れる事が出来たのだから、喜びもひとしおである。
「これで……これで、我が理想を現実のものにする事が出来る!」
「いえ、まだタマゴを孵化させるためのエネルギーが足りません。魔に堕ちし者達を狩り、力を蓄えねば」
「うむ……心苦しいが、我が理想の礎となってもらおう。『天智昇』よ、我が配下の天使達を人間界に送り込むのだ。『殉教者部隊』にも命令を」
「ハッ!」
 恭しく一礼した『天智昇』は、そのまま踵を返し、配下の天使達に命令を下すために中庭を出て行く。
 一柱残った『聖祝宰』は、泉の前に立ち、水面を覗き込んだ。そこには人間界が映し出されていた。大都会のビル群なのだが、彼の目には神の教えを忘れた醜悪なオブジェのように見える。
「なんと醜い……デタントが進めば、この人間界だけでなく、魔界とも交流を進めると言うのか」
 デタントを推進するにつれて、魔界が人間界の文化に興味を持ったように、天界もまた人間界の影響を受けつつあった。それは、『聖祝宰』にとって絶対に許せぬ事である。
「このままでは駄目だ。このままでは、天界までもが腐り、朽ち果ててしまう」
 『キーやん』がデタントを推進し、天界を腐らせると言うのであれば、自分は『天使絶対』を実現させてみせよう。
 『聖祝宰』は、『宇宙のタマゴ』を高々と掲げて、こう叫んだ。

「見ていろ! 私は創世を果たし、新たなる造物主となる! 『天使絶対』の世界を創り上げてみせるぞッ!!」

 この天界が朽ち果てると言うのであれば、それはデタントを推し進めた結果だ。ならば、自分は天使のみの『天使絶対の世界』を創世する。そのためならば犠牲は厭わない。
 そう叫ぶ『聖祝宰』の瞳には、端正な顔立ちとは裏腹に、猛々しい決意の炎が宿っていた。



 その頃、天界で過激派神族が理想実現のために動いている事など知る由もない横島はと言うと―――

「ねぇねぇ〜、横島くん〜。この水着〜、どうかしら〜?」
「テレサ、パス」
「いや、あんたが聞かれたんでしょ」
「ぽー」

―――暢気に、明日の臨海学校の準備を進めていた。

 横島達が六道家に泊まった翌日、臨海学校まではあと一日あるのだが、この状況では学校に行く訳にもいかない。逃げ道が無い横島は、冥子の準備を手伝う事になった。ちなみに令子達はと言うと、当然冥子に関わろうとするはずもなく、せっかく六道家に入り込んだのだからと、六道家が所有する除霊具や文献の類を物色しているらしい。
 手伝うと言っても、着替え等の準備は既にメイドのフミさんが済ませている。この期に及んで何を手伝えば良いのかと横島が考えていたところに、買ったばかりの水着を身に着け、少しはにかんだ表情をした冥子が、彼の前に現れたのだ。
 普段の彼女はその子供っぽい性格に合わせておとなしいデザインの水着を好んで着ていたのだが、今回は横島も一緒と言う事で、六道夫人がちょっぴり大胆な物を幾つか選んできたらしい。しかし、幾つも持って来られると、どれを選べば良いか分からず、それなら横島に選んでもらおうと言う事になった。それが六道夫人の入れ知恵であるのは言うまでもない。
 と言う訳で、現在横島達に宛がわれた部屋で、冥子の水着ファッションショーが開かれていた。
 しかし、呆気にとられた横島は、上手く返事を返す事が出来ない。テレサに丸投げしようとするが、冥子は横島に答えを求めているのだから、テレサではフォロー出来ない。目付きの悪いハニワ兵も言わずもがなである。
 あまり芳しくない反応に、冥子の瞳にじわりと涙が浮かぶ。
「やっぱり〜、こう言うのは〜似合わないかしら〜?」
「あ、いやいや! 似合ってる! すっごい似合ってるから!」
 ここで泣かせてしまえば、待っているのは式神の暴走だ。横島は慌ててフォローすると、一転冥子は嬉しそうにパァッと表情を輝かせた。
「ホント〜? それじゃ〜、次のを〜着てみるわね〜。最後に〜、どれが一番良かったか〜聞かせてね〜」
「お……おっけー……」
 次の水着に着替えるために、いそいそと隣の部屋に行く冥子。横島はドッと疲れた様子でベッドに腰を下ろした。続けて隣に座ったテレサが、同情した様子でポンとその肩を叩く。実は隣の部屋には六道夫人が控えているのだが、横島はそんな事など知る由もない。
 確かに冥子は子供っぽい性格をしているが、本当に子供と言う訳ではない。令子とエミと言うある意味規格外の二人に囲まれているため目立たないが、立派な大人の女性、お姉さんである。少なくとも、身体の方は。
 そんな彼女が自分に見せるために、いそいそと水着に着替えている。それが嬉しくないはずがない。本来ならば、涙を流し、伏して拝んで喜ぶところである。自分を慕ってくれているのが見て取れるので尚更だ。
 ただ、どうしても六道夫人の罠の気配を感じてしまうのだ。
 いっそ諦めて罠に嵌ってしまえば楽になれるのかも知れない。それに、純真な冥子を裏切って良いのかと言う、良心の葛藤もある。
「横島君〜、これはどうかしら〜? ビキニなんて〜、恥ずかしいんだけど〜」
「やってくれたな、六道夫人!!」
 そんな横島の苦労など何も知らない冥子は、新しい水着を着て、満面の笑みを浮かべて部屋に戻ってきた。普段の彼女ならば絶対に着そうにない、露出度の高いビキニだ。
 横島は必死に自分の本能と戦いながら、引き攣った笑みで「ちょっとダイタン過ぎるんじゃないかなぁ」と答えた。冥子もやはり恥ずかしかったらしく「そうよね〜」と返すと、次の水着に着替えるために再び隣の部屋に行く。
 扉が閉まるまで、引き攣りながらも笑みを維持した横島。扉が閉まると同時に、肩を落として項垂れてしまった。
「……ご苦労さま」
「……テレサ」
「何?」
「その胸で慰めてくれないか?」
「硬いから、オススメしないわ」
 その答えを聞いて、横島は更に肩を落とす。彼の苦労は、もうしばらく続きそうである。
 ちなみに、冥子の水着は普段通りの可愛らしいデザインの物が選ばれた。護衛として二人一緒に居る事は決定事項なので、横島は自分の理性を守るためにそれを選んだ。六道夫人は残念そうだったが、冥子の方はとても喜んだそうだ。
 これもある意味墓穴なのかも知れないが、横島はその事に気付いていなかった。



つづく




あとがき
 六道家に関する各種設定。
 妙神山に関する各種設定。
 『冥界』に関する各種設定。
 神族のパワーバランスに関する各種設定。
 『聖祝宰』、及び『天智昇』に関する各種設定。
 テレサのボディは、素材は異なるが、マリアと同型。
 これらは『黒い手』シリーズ独自の設定です。ご了承ください。

 なお、『聖祝宰』、及び『天智昇』の名前、及び外見は『ビックリマ○2000』からお借りしております。

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